JS事件から1年後。元機動六課のメンバーはそれぞれの道を歩み始めていた。
だが、輝かしい未来に立ち込める暗雲。JS事件の首謀者であるジュエル・スカリエッティの脱獄。
そして人々が頑なに葬り去ろうとした者達がその姿を現し、恰も時代の罪を忘れさせまいとするように輝ける未来の前に立ちはだかる。
戦争が残した癒えぬ傷跡。人々の過ちによって生み出された忌むべき存在。この世に居てはならない者達。
一度は葬り去られた筈のそれらは蘇り、人々に何を伝えようと言うのか。
彼らの悲しみを湛えた瞳が見詰め続けるのは過ぎ去りし破壊の過去か、それとも破滅という名の未来なのか。
やがて訪れる破壊と戦乱、そして愛する者の罪と罰。フェイトにとって最も過酷な戦いが今始まろうとしていた。
― 魔法少女リリカルなのは 蘇る闇の書 ―
第2話「時空管理局が制止する日」
午後22時50分。
既に廃墟を化した首都中心部。そこに現れた鋼鉄の大巨人。
フェイトはその姿に困惑を覚えていた。何故ならその姿が夢に出てきたあのロボット、鉄人28号と全く同じだったからだ。
寸分の狂いもなく夢と同じ姿で存在する巨人。ならあれが鉄人28号?
「でも、どうしてあんな物が」
単なる夢だと思っていた事が現実になっている。今朝から妙な引っ掛かりを感じてはいたがこういう事だったのか?
いや、だがおかしいではないか、夢では確かに自分が鉄人を操縦していた。なのに、この光景はなんだ。
夢の中では味方であったはずの鉄人が街を壊し、魔導師部隊を殺し、そしてなのはをも……。
今だ腕に抱き締めるなのはは、唇を噛み締めて震えを堪えているようだった。だがいくら堪えようとしても小さな震えは確かになのはの肩を通して伝わってくる。
なのはを恐怖させる物が味方であるはずがない。だから目の前に居る物は夢に出て来た正義の味方なんかではない。そう、大切な親友を傷付けようとする悪魔の手先だ。
鉄人に対してフェイトが敵意を剥き出しにしているのと同じ頃、時空管理局本局に設置された作戦司令室では、数十名のスタッフがモニターに映し出される巨体に釘付けとなっていた。
各セクション毎に階層型になった司令室、その最上段でクロノ・ハラオウンは目の前に現れた鋼鉄の兵士に戦意を燃やしていた。
「あれが母さんの言っていた……。まさかこんなに早く来るとはな」
クロノは事前にリンディから鉄人について聞かされていた。その全てをリンディが語る頃はなかったが規格外の兵器である事は確かだった。
その姿は、以前なのは達とプレシア・テスタロッサ確保の際に交戦した傀儡兵にも似ている。
クロノ自身リンディから鉄人の詳細を聞いてはいないので、通常よりも強力な傀儡兵程度にしか見ていなかった。
それに見た所、目立った武装もなく、せいぜい背中に取り付けられた黒いタンクユニットらしき物2つがそれらしいと言えばそれらしい。
だからクロノには分からなかった。何故母が鉄人をあれほどまでに恐れていたのか?
確かにディバインバスターの直撃に耐えうるシールド性能は脅威と言えよう。だが相手に武器がないなら離れて戦えば問題ではない。
そして先程の武装隊に関してもクロノは指揮を取っておらず、現場の指揮官が奇襲攻撃にパニックを起こした事が壊滅の原因であるとクロノは推測していた。
だからこれまでの戦況と敵の能力を総合して指示を出し、なのは、フェイト、はやてにヴォルケンリッターと合わせて計5人を使えば敵を撃破出来る。
クロノはそう確信していたが、念には念を入れるに越した事はない。クロノは階層の一段下を見やるとそこに居る今回の補佐官と技術関係の主任に指示を出した。
「エイミィ、マリー、奴の内部構造の解析出来るか?」
「りょうかーい、司令官どの」
そう茶化したように答えるのはエイミィ・ハラオウン。クロノの妻で現在は海鳴に住んでいるのだが今回リンディの頼みでクロノの補佐として復帰した。
「了解です、司令官」
丸ぶちの眼鏡を輝かせているのはマリエル・アテンザ。技術班出身でマリーの愛称で呼ばれる彼女もまたリンディからの要請で今回の作戦に参加する事となった。
クロノの指示通りマリーが解析を始めると、その眼前のモニターには走る様な速度で様々な文字や数字が羅列されていく。解析中の目標は特にプロテクトも掛けていないようで内部構造のスキャンは非常に容易な物だった。
だが次に次に表示される解析結果にマリーが見たのは驚くべき内部構造の数々。予想とは全く異なるそれにマリーは驚きを露わにしていた。
「内部構造に魔力炉確認出来ず。これは……まさか」
「どうしたマリー」
クロノの呼び掛けに答えずマリーは冷汗混じりに解析を続けている。
「魔法技術を使用した部品が一個ない。でもそんな事があるわけが」
「マリーどうしたの?」
隣に座るエイミィがマリーの驚き、焦り、何よりも科学者としての好奇心に満ちた様子に声を掛ける。それが既存の技術であればマリーがここまで好奇心を露わにする事は滅多にない。
だからこそエイミィは悟るのだった。あの鉄人が只者ではないという事に。クロノもまた普段とぼけている妻の緊迫した表情からマリーの解析結果が自分たちに芳しい結果でない事を直観的に感じていた。
クロノ自身それを聞く事は怖くもあった。だがありとあらゆる情報から敵の正体を正確に把握する事が、作戦成功には欠く事の出来ない重要な要素である。
微笑むマリーの頬を一筋の汗が流れた。それが未知の技術を見た歓喜なのか、はたまたその存在への畏怖を現すのか、それとも純粋な好奇心か。
マリーは確信する。科学技術に疎い者でもこれを知れば驚愕する以外あるまい。何故なら自分達の前に居る者は、次元世界全体の科学技術の根幹を覆すような存在なのだから。
「あれは傀儡兵なんかじゃなりません」
「じゃあ」
もったいぶったマリーの口調に、クロノは急かす様に言葉と視線を送った。それを察してか、それとも知らずか、マリーは満面の笑みを纏わり付かせた表情を見せる。
科学者として歴史的瞬間に立ち会えた喜び。そして全世界に革命を起こすやもしれない技術。
「あれは魔法技術の一切を使用せずに作られた……ロボットです!」
クロノを含めた司令室に居る全員がマリーの放った事実に驚愕した。何故なら魔法技術を使用しない二足歩行型ロボットの開発技術はミッドチルダで発展していないからだ。
正確に言えば、人間と同程度の大きさのロボットなら作れない事もない。だが巨大なロボット、まして戦闘に使えるレベルの物など通常ありえない技術なのだ。
例えばフェイトの母親プレシア・テスタロッサが使用していた傀儡兵は、その名の通り人形を魔力で操るだけの技術であり、ロボットとは到底言えない代物であった。
また傀儡兵を使役する魔導師には、規格外の魔力が要求されるため、誰もが安定して運用出来る兵器ではなく、使用しているのは膨大な魔力を持つ極一部の高ランク魔導師のみに留まっている。
そしてJS事件で日の目を見た戦闘機人も戦闘に耐えうるロボットの開発技術がミッドチルダにないがための、云わば妥協案として考えられたのである。
人間を素体として、そこに機械を埋め込む事で身体能力の向上を図り、才能に依存してしまう魔導師と同等の戦闘能力を持った兵士を安定して量産するのが戦闘機人の開発理由であった。
一見便利に見える戦闘機人だが、素体となる人間に埋め込んだ機械が適応しなければ拒絶反応を起こして、素体の人間は死んでしまう。
その為生産コスト、さらに素体の人権的問題等からその開発は中止され、現在ではスバルにその姉ギンガ、スカリエッティの作ったナンバーズが現存する数少ない戦闘機人となった。
つまりは生産コストや戦場での有用性こそ不明であれ、人権的問題を孕んでおらず且つコストと開発のノウハウさえあれば安定して製造が可能。
しかも強い魔力を持たない人間でも運用する事が出来て、さらに人型をした兵器である鉄人の存在は、管理世界の兵器論を覆す大発見なのだ。
「馬鹿な……何故そんな物が」
だから改めて考えてもクロノは目の前に映し出されている物に使用された技術が信じられないでいた。
魔導師という限られた人間にしか与えられない才能が支配する管理世界で誰でも使えるロボットの登場。
魔力を持たない者はこぞってこの力を手に入れようとする事は容易に想像出来る。
クロノにはリンディの言っていた意味がようやく分かった。こんな力が拡散すれば現在の管理世界のパワーバランスは崩壊する事になる。
ロボットという存在は世界の均衡を保つには危険過ぎる。確実に排除しなければならない。
「技術もそうですが、問題は、高ランク魔導師中隊に匹敵する戦闘力」
そんな思考を遮るようなマリーの言葉にクロノは焦燥をより強くする。そう、例え虚を付かれたにしろAAランク以上を集めた中隊が壊滅したのだ。
ひょっとしたら戦艦に匹敵するやもしれない戦闘力。もしこれが量産可能な代物だとしたら世界は瞬く間に火の海になるだろう。
「だからこそ、ここで確実に破壊しないと。それも徹底的に、パーツ一つ原型を留めずに」
マリーの考えにクロノも同調した。もしその技術が管理局と敵対する者に渡ったらそれこそ世界の均衡は崩れる事になる。
現にこうしてロボットがミッドチルダに攻め込んでいる以上、管理局に敵意を持つ者が手に入れているという事だ。
既にその技術を解析されているかもしれない。ならばロボットを破壊すると同時にロボットを手に入れた敵も叩かねば。
そうなれば、歴戦の勇士たる機動六課のメンバーと言えど、やや分が悪いかも知れない。
とにかく彼女たちに任せるばかりではなく、もっと戦力を投入し敵の破壊を確実な物にしなければならないだろう。
「よしエイミィ、地上本部にも援護の要請を出してくれ」
「了解!」
一刻も早くロボットを倒し、そして敵が他の管理局を敵視する勢力に技術を渡す前に、決着を付けなければならない。
クロノはロボット倒すだけで事件が解決すると思っていた自分の認識の甘さを後悔した。
目の前の物をスクラップにして解決出来る問題ならどれほど良かっただろうか。今回の事態は単純ではないどころか、世界規模の脅威に繋がる事なのだ。
「頼んだぞなのは、フェイト、はやて」
祈るように手を握り合わせるとクロノは3人の名前を口にした。自分はここで見守る事しか出来ない。だから戦場の仲間を信じて出来る限りのサポートをする。
それが今の自分に出来る事。それがクロノの使命なのだから。今の自分にはそんな事しか出来ないのだから。
そして司令室の外側、出入り口の扉に背を預けながら、ついに始まってしまったこの事件にいかなる解決策を取るべきか考えている人物が一人。
「ついに来たわね」
そう呟いてリンディ・ハラオウンは手袋越しに爪を噛む。先程の武装中隊の壊滅を見れば魔導師の手に負える問題でない事は明らかだった。
リンディが思い描く姿は、この世でたった一つだけ鉄人に対抗しうる力。しかしそれを使う事で事態はより大きな混乱を見せる事になるだろう。
だがこのまま放っておけば大切な友人達が、そして何よりも愛する娘が鉄人に奪われてしまうやもしれない。
「こうなってはやはり『黒い牛』を使うしか……」
意を決したようにリンディは扉から背を離すと廊下を歩き始めた。
自分の娘を守るために必要ならば、それを使う事もやむを得ないだろう。
リンディは制服の内ポケットから携帯電話を取り出すと短縮ダイヤルから電話を掛けた。
「リンディ・ハラオウンです。長距離次元跳躍可能な大型輸送船の用意をしてください。そう今すぐにお願いします」
リンディは電話を切ると次元航行艦のドッグへと向かって歩き出した。その表情に抑え切れぬ懺悔の念を貼り付かせて。
「ごめんなさい。巻き込みたくはないけど。フェイトのため、そう、全てはフェイトのためなのよ」
同時刻 ミッドチルダ中央部。
なのはの眼前に存在している巨体。その艶めかしく光る鉄の身体は彼女の放った砲撃の威力を嘲笑うかのようだった。
なのはにとって砲撃という最大の切り札がまるで効果を成さなかった瞬間。それは今までも何度かあったがこれほどまでに圧倒的な事はなかった。
最大出力の砲撃で傷一つ付かない強固な装甲。いかなる敵をも貫く砲撃を撃つために自分は居るはずなのに、結局最大威力でも傷一つ付ける事さえ敵わなかった。
存在理由とも言うべき砲撃が役に立たないのなら自分がここに居る理由は? 砲撃魔導師としての価値は? これまでの経験と鍛練は何だったのか?
何がエースオブエースだ! 何が六課最強の砲撃魔導師だ! 自身の輝かしい称号と栄光の軌跡がなのはの心を抉り取っていく。
「なのは大丈夫だよ」
「フェイトちゃん……」
フェイトは潤んだ瞳を湛えたなのはの肩に手を置くと名残惜しそうに身体を離した。
本当なら抱き締めて慰め続けたいけど今はなのはを傷つけようとする敵を倒す事が先だ。
「私が君を守るから」
そう、なのはの事を誰よりも大切に思うから、だから誓った。なのはを傷つける物全てを切り裂く戦斧となり。
「なのはには指一本触れさせないから」
なのはを傷付けるいかなる物をも通さぬ強靭な盾となる。
「あの化け物は」
それがどれほど強大であろうとも、どれほど絶対的であっても。
「私が倒す」
そう言ってフェイトはバルディッシュを起動させると瞬時にザンバーフォームを展開する。
煌めく雷光を封じ込めた大剣はフェイトの身の丈さえ上回り、鋼鉄や岩盤でさえも切り裂く威力を持つ。
闇の書の防衛プログラムをも切断した大威力斬撃。例えディバインバスターに耐える装甲であろうと叩き斬る!
「はあぁぁぁぁぁぁ」
雄叫びを上げながらフェイトは装填されているカードリッジ6発を全弾ロードすると、立ちはだかる巨体に大剣を猛然と振り掲げながら飛び出した。
鉄人は正面から突っ込んでくるフェイトを見やると腰を落して身構えた。だがフェイトは鋼鉄の化け物が臨戦態勢に入っても恐れる所か、さらに速度を上げて間合いを詰めようとする。
フェイトは普段おとなしく声を荒げる事も滅多にないがその実、非常に好戦的な性格の持ち主で「短所にもなりうる」とクロノから指摘を受けるほどであった。
攻撃を意識過ぎたり、装甲が薄いのに意地を張って敵の攻撃を正面から受けたりとその性格が災いして敗因となってるケースも少なくはない。
六課の中でも恐らく1、2を争う好戦的な性格でおまけに負けず嫌い、そのくせ精神的には打たれ強くないといった面がフェイトの欠点に拍車をかけている。
今回の鉄人も本来なら距離を取って戦うべき相手なのに、わざわざ敵の間合いに飛び込んで戦おうとしているのがいい例だ。
「うおぉぉぉぉぉぉ」
フェイトがザンバーを天高く掲げると一瞬で鉄人の身の丈にも迫ろうかというほど刀身が伸び上がる。
これこそがフェイトの近接技の中でも最大級の破壊力を持つ金色の斬撃!
「ジェットザンバァァァァ!!」
雷光の如き一撃が鉄人の装甲を切り裂かんと唸りを上げて迫り来る。
それを見た鉄人は、左腕を盾の様に差し出すと巨大な刃を微動だにせず受け止めた。瞬間、耳を劈くような鋼鉄と魔力刃の摩擦音、それに伴う激しい火花が廃墟となった夜の街を眩いばかりに照らし出していた。
フェイトはバルディッシュを握る手に力を込めて振り抜こうとするが刃にはまったく動く気配がない。
正面からザンバーの直撃を受ければ普通の装甲なら切り裂かれているはずだ。なのに刃は一向に進もうとしない。
いくらディバインバスターに耐えると言ってもこれほどの強度があるのかとフェイトは改めて驚愕していた。
「グルルル」
一方唸り声を上げる鉄人にとって、この光刃は歯牙にも掛けない程度の代物であったが、別にこのまま受け続けてやる義理もあるまい。
ならばと左の剛腕に力を込めると勢いよくそれを振り抜いた。轟くのは空を切る轟音と何かが砕け散るような音。
何が起こったのか分からないフェイトが手元に目をやるとそこにはあるべきはずの魔力刃がなくなっている。
まるでハンマーを使ってガラスでも叩き割ったかのように粉々に砕かれたザンバーの破片がフェイトが居る中空を満たしていたのだ。
雪のように降り注ぐ稲妻の欠片は傍目に美しさを感じさせたが、当人にとってはそんな感想を抱いている余地もない。
戦いにおいて猪突猛進と言えるフェイトであってもザンバーの直撃に耐えられた上、容易くその魔力刃を粉砕されては撤退を考えざるを得なかった。
一度距離を取るべくフェイトが後退しようとすれば、すれ違う様にして赤い魔力を纏った鉄球3発が鉄人目掛けて飛んでいく。
時速にして数百kmの速度で飛翔するそれは、鉄人の身体を捉えると同時に、細かい鉄片を撒き散らしながら例外なく砕け散った。
「テスタロッサ下がれ!」
フェイトが声に振り向くとやや離れた位置から怒号を飛ばすヴィータの姿。既に左手には放たれる事を待つようにして鈍く輝く鉄球が3つ、指の間に挟み込まれている。
それを見たフェイトはヴィータの射線を確保するため、言われるままに後退した。フェイトの離脱を確認してからヴィータは鉄球を放り投げると魔力を込めた愛杖グラーフアイゼンで1つ1つ打つ据えていく。
赤い魔力光を伴った鉄球が再び正面から鉄人を捉えると今度は数メートル程の爆発3つが鉄人の装甲に叩き込まれた。貫通出来ないのならば爆風でダメージを与えるというのがヴィータの作戦であった。
しかしその程度の爆発でダメージを与えられるはずもなく、攻撃に対してこれと言ったアクションを見せない鉄人にヴィータは舌打ちをする。
「レヴァンティン!」
ならば自分の攻撃で撃ち砕いてやるとシグナムは手にした剣型アームドデバイス、レヴァンティンのカートリッジを2発ロードした。本体である剣とそれを納める鞘を合わせて形成されるのは弓の形。
シグナムが残った2発のカートリッジをロードすると現れたのは魔力を大量に蓄えた矢。紫の炎を宿したそれはシグナムの最大火力。
やはり魔力で出来た光の弦を力強く引いて。この手が放つのは超音速で飛来する最強の遠距離攻撃。
「シュツルムファルケン!」
叫んだシグナムの指が弦を離すとソニックブームを響かせて突き進む超音速の矢。それは鉄人が反応する間も無く直撃し、その身を包むほどの爆風を生み出した。
しかしその刹那、纏わり付くそれを吹き払う様にして振るわれる巨大な左腕。すると一撃で全長を上回る爆発は退けられ、鉄人は身の無事を誇示する。
シグナムは舌打ちと共に苦々しい表情を浮かべて、一切の攻撃が通じない現状に対して絶望にも似た感情を抱いていた。
「なんてやつや! ファルケンでも抜けん装甲とは!」
はやてにとって、ここまで鉄人の装甲が頑丈に出来ているとはまったくの予想外であった。仮にディバインバスターを防ぐ装甲でも攻撃を受け続ければいつかは摩耗する物だ。
しかし今眼前に立ちはだかる鋼鉄の兵士はそんな様子を微塵も感じさせてはくれない。
それは遠く離れた本局に居るクロノも感じていた。予想を遥か上行く鉄人の実力、もはやオーバーSランク5人と言えど荷が重すぎる。
「みんな聞こえるか!?」
モニター越しに映るなのは達に声を掛けるとはやてが焦りを湛えた様子で応答してきた。
「クロノ君? あいつは、あいつは一体!」
「こっちで内部構造の解析をしたんだがどうやら人型のロボットらしい」
予想の遥か斜め上を行くクロノの回答に、はやてはリンディから直接聞かされる事はなかった敵の正体に驚きを隠せないでいた。
「ロボットって!? でもどうしてそないな物が」
「ああ、しかし問題は誰が操っているかだ」
確かにそのとおりだ。魔法技術を使わずにこんな兵器が造れるようになれば誰でも魔導師を凌駕する力を得る事が出来る。
それは無用な争いの火種になりかねない。まして悪人の手に渡ればどんな事に使われるか。
パワーバランスの崩壊は管理システムと世界秩序の崩壊をも意味する。ならば何としても止めなければ。
「そうかもしれへんけど、でも、でもどうやってあれを」
「さっき地上本部に援護を要請した。君達は地上部隊と連携してあのロボット、鉄人28号を破壊してくれ」
「て、鉄人28号……やっぱりあれは」
クロノが発した聞き知った名前にフェイトは呆然した。鉄人28号、夢の中で確かにフェイトが呼んでいた名前だ。やはりあれは鉄人28号なのか。
フェイトが思い起こすのは夢の事。なのはという最愛の友を亡くしたあの瞬間、あの喪失感とあの怒り。あんな事を現実にしてなる物か。なのはを失う恐怖などもう二度と味わいたくはない。
だがどうだ結局自分の切り札はまるで通用しなかった。それどころか彼は姿を現わしてから一歩も動いてはいない。
なのはを守るために強くなると誓った。しかし今立ちはだかる現実は、まるでそれを嘲笑うかのようにして存在している。
「鉄人ってフェイトちゃんが言ってた……」
そして高町なのはも思った。もしかしてフェイトが夢に見たのはこの事だったのかと。眼前にそびえ立つこの悪魔がフェイトを苦しめていたのかと。
だけどそれを撃ち砕く力は自分にはない。ただこの世界をフェイトの悪夢が蝕んでいく様子を見る事しか出来ないのだろうか。
友はきっと苦しんでいるはずなのに、それをどうする事も出来ない。きっと自分に出来るのは、ありふれた慰めを掛けて、その事実に陶酔して自己満足するだけ。
フェイトちゃん大丈夫? 私が付いてるからね。そんな言葉だけ掛けてから抱き締めて傷を癒したつもりになる。
フェイトが求めているのはそんな言葉じゃない。何よりも求めているのは悪夢を撃ち砕ける力、敵を粉砕する圧倒的な力。
「私の夢は……いや、でもそんな事が」
フェイトに提示されたのは一つの可能性。もしも夢が現実に繋がっているのならきっと高町なのはという人を失う事になる。
なら方法は簡単だ、あの化け物を倒してしまえばいい。そう、確かにその方法は簡単だが問題は、フェイト達にその方法を実現し得る手段が一切ない事だ。
倒すにしても、ビルをも叩いて砕く測り知れぬほどの凄まじい馬力。そしてディバインバスターを始めとした高威力魔法が通じないほど強固な鎧。
敵を打ち砕くパワーも敵の攻撃を阻む装甲も完璧だ。それは正に難攻不落の要塞という形容が一番似合うだろう。
ここまでくれば勝算があるとかないとかそういった次元の話ではなくなってくる。単純に例えるならお手上げ状態、白旗を振い敗北を認める以外にない。
自分達が持ち得る最大火力を撃ち込んで倒せぬとあらば、もはや対抗手段など残されている訳がない。
それでも鉄人の足を止めなければ被害は広がる一方だが勝算はない。
とにかく鉄人相手に、この人数だけで戦うのは分が悪すぎる。とりあえず体勢を立て直してから地上本部の部隊と連携攻撃を掛ける。
それがはやての出した答えだった。この人数で勝ち目はなくとも大隊規模で波状攻撃を掛ければあるいは。
「よしみんな一時後退! 地上本部と連携してあのロボットを攻撃するで!」
はやての指示にフェイト達は頷かざるを得ない。結局留まって魔力が無くなるまで攻撃しても結果は同じだろう。
それが地上本部と合流する事によってどれほど改善されるかは不透明であったが、今5人で戦い続けるよりは建設的に思えたのだ。
撤退は悔しくもあったが仕方がない、そう想いを噛み締めながらフェイト達はそれぞれに色鮮やかな魔力光を纏うと鉄人から距離を取るべく飛び去った。
鉄人はそれを見届けると視線をある方向に合わせ歩き始める。その先にある物は、このミッドチルダでもっと高くそびえ立つビルであった。
一方本局では鉄人28号を撃退するために、地上部隊の配置が急がれていた。
「エイミィ、鉄人の進路予想だ」
「了解」
先程の軽口とは打って変わってエイミィは至極真剣な眼差しでクロノの指示を受けた。彼女自身、既に夫をからかう余裕などなくなっていたのだった。
現在の鉄人の進路を調べると、まるで何かに引き寄せられるように一直線に歩いている事が明らかになり、エイミィはその事実をクロノに伝える。
「あいつ一直線に進んでる。やっぱり明確な目標があって行動を」
「それでどこに向かってる?」
どこにどう部隊を展開するかで戦局という物は著しい変化を見せる。敵の進路さえ分かれば、効果的な配置による効率的な攻撃が可能となるのだ。
エイミィは進路計算シミュレーターを大画面モニターを表示するとキーボードを叩き始める。
計算と言っても目標が一直線に進んでいる以上、その進路上に重要拠点などがないかを調べる程度である。
そして画面上に表示されたのはCGで再現された鉄人。彼は同じくCGで再現されたミッドチルダを闊歩していた。
進路上にはビルが何棟もあり、それを薙ぎ倒しながら鉄人は進んでいく。一見すれば無駄な行動だが、あのパワーならビルを避けて歩く必要もあるまい。
むしろ迂回するよりもビルを壊して直進したほうが目標には早く辿り着けるだろう。
だがそれはクロノ達にとってみれば正に悪夢である。今だ首都中央部にすむ市民の避難は完全には終わっていない。
今も地上本部の魔導師が救助活動に避難誘導にと駆り出されているが、それでも大都市の人間を一斉に避難されるのは容易な芸当ではなかった。
仮に鉄人の進路上にあるビルの中に逃げ遅れた人が居れば、その人たちの命はないだろう。
そんなこちらの想いも知らずに、シミュレーター上の鉄人はミッドチルダを廃墟で侵食していく。
数時間後にはこの光景が現実なるかと思えば、さすがのクロノでも頭を抱えざるおえなかった。
そして街を焦土に変えながら鉄人が辿り着いた先は……。
「なんやて! 地上本部!?」
「ああ、間違いない! あいつは一直線に地上本部を目指してる」
クロノからはやてに告げられたシミュレート結果は鉄人が地上本部を目指しているとの事であった。それも迷う事なく一直線に。
地上本部と言えば1年前、スカリエッティによる襲撃を受けたばかりだ。その時の痛手は地上本部に所属する隊員達の脳裏に刻み込まれている。
はやて率いる機動六課もその現場には居合わせたが、幸い死傷者や本部自体の被害は最低限にとどめられていた。
だが鉄人が相手となれば話は別である。あの巨体にそんな器用な真似が出来るわけがない。恐らくただ闇雲に本部を破壊するのがオチだ。
そうなれば周辺の被害と合わせてどれだけの人々が犠牲になるのか想像もつかない。たった一機のロボットがもたらすのは正に天変地異とも言うべき物であった。
だがあのロボットをこれ以上放置しておくわけにもいかない。市街地への被害も決して多少とは言えないが、ここは目を瞑り地上本部の防衛も優先せねばなるまい。
幸い鉄人の移動方法は徒歩である。歩幅が大きいとは言え、その姿を見てからでも何とか避難は間に合うだろうとクロノは判断した。
とにかく鉄人の撃退が最優先事項。それに必要なのは地上部隊の展開とはやて達の部隊を合流させる事。その一点こそが作戦の成否を分けると考えたクロノは、はやてに作戦の説明をし始めた。
「いいか今鉄人が居る場所から地上本部まで5キロ。部隊の展開時間を考えると地上本部から1キロの地点に集結させるしかない。君達もそこに合流してくれ」
『了解!!』
了解の声を聞いてクロノは願う。そう、あの鉄の化け物を倒す事を。このミッドチルダに平和を取り戻せるように。
全ては現場指揮者であるはやての双肩に掛かっていると言っていい。
「頼んだぞはやて」
クロノは呟いた。祈るように、はやて達の勝利を願って。
だがクロノの思いとは裏腹にミッドチルダ首都部は燃えていた。猛り狂う炎の渦に飲み込まれようとしていた。
全ての元凶は鋼鉄の巨人、全てを破壊する無敵の鋼鉄兵士。鉄人は18メートルの巨体を揺らしながら真っ直ぐに地上本部を目指していた。
その後陣を行くのは破壊の証明たる赤い炎。通り過ぎた後に残るのは、瓦礫と廃墟と死体の山。吐き気を催す匂いは、犠牲者達の焼けた物。
全てが壊れ、燃えていく。そこには有機物や無機物の差別はない。あるのはただ横たわる破壊の証明。
ただ歩いているだけなのに、壊したいわけではないのに、その抑えきれぬ力は無用な破壊までをも齎してしまうのだろうか。
今から10年前、そう10年前だ。自分は確かに破壊のために作られた。全てを破壊し、全てを殺し、そして最後に残るは無の空虚。
だけどただ1つ言える事。全てを破壊する為に生まれたが、それでも家族には間違いなく愛されていた事。
鉄人は、父の溢れんばかりの愛情を受けて生まれ、愛情故に葬られた。そして鉄人の兄弟は溢れんばかりに彼を愛し、そして共に戦い抜いてきた。
戦いの運命は終わり、この身に宿る世界に最後を齎す大罪は葬られた筈だった。もう戦う事はない、これからは安らかに眠り続ける事が出来る。
それが何よりの……たった1つの願いだった。ただ昏々と眠りについて時折兄弟の顔を見ながら彼の成長を見守っていくはずだった。
彼の笑顔が守れるならば世界を敵に回しても構わない。彼を守るためならば自分の命を投げ出す事だって厭わない。
ただこれからは、たった一人の兄弟と、最も大切な友と過ごす日々が欲しかっただけ。
そう、自分が望んでいるのは……望んでいるのは……。
「ガオォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
こんな破壊じゃなかったのに。
時空管理局地上本部正面1キロ地点。
非常に開けた場所である地上部隊との合流ポイントではやて達が見たのは、道路を埋め尽くす勢いで敷き詰められた戦車隊の姿であった。
本来ミッドチルダは質量兵器の使用を禁止しているが、有事に際してはその使用が検討される場合もあり、戦車は低ランク魔導師の戦闘増強にも役立つため地上本部に配備されているのである。
機動性では空戦魔導師や陸戦魔導師のそれに及ばない戦車だが、火力に関しては高ランク魔力砲撃と言われる物に匹敵する威力を持っていた。
少なくともコンクリートや通常装甲であれば訳も貫通する威力を持った戦車砲。その火砲が今向けられているのは鉄人が来るべき方向。
今回の作戦で展開された戦車の数は実に50台。さすがにこれほどの戦車を相手にするのは高ランク魔導師でも不可能と言っていいだろう。
仮に六課最硬の防御力を誇るなのはであっても戦車砲の直撃を受ければタダでは済まない。そして超音速で飛来する弾頭はそう簡単にかわせる物ではない。
その砲門が50機も鉄人を撃つべく待機しているのだから、はやてが先程抱いていた気優は消えつつあった。
これだけの戦車部隊に自分達、元機動六課の隊長陣が加わり、さらに平均C~Bランクとは言え陸戦魔導師100名と空戦魔導師100名がプラスされるのであればその布陣は鉄壁無双と言ったところだろう。
「よく短時間でこれだけの部隊を……」
JS事件の教訓からか地上本部の部隊展開スピードは以前とは比較にならないほど迅速かつ正確な物であった。
クロノが部隊展開の指示を出したのが数十分前。たったそれだけの短時間でこれだけの部隊を展開したのである。
その錬度は目を見張る物であり「地上部隊は小回りが効かない」と憂いていたはやてにとっては非常に嬉しい誤算であった。
機動六課隊長陣とこの地上部隊の共同作戦なら、あの鉄の化け物を確実に葬る事が出来る。はやての淡く儚かった希望は絶対的な勝利の確信へと変わっていったのだ。
そんなはやての思案に割り込むようには居る通信が一つ。
『みなさん聞こえますか。こちらエイミィ・ハラオウンです』
それは本局からバックアップを担当するエイミィからである。
彼女は10年以上のキャリアを誇る局員ではあるが今回の作戦には久しぶりの実戦の上に相手が相手だ。その声には僅かばかりに緊張を含んでいるように聞こえた。
『攻撃目標間もなく射程距離に入ります。戦車隊と各魔導師は攻撃の準備を。以降全部隊の指揮権は八神はやて三佐に譲渡。各部隊は八神三佐の指示に従って行動してください』
『了解!!』
エイミィの指示に作戦に参加している局員全員が声を張り上げる。これ以上自分達の済むミッドチルダを破壊されてたまるか、そんな思いを込めた咆哮だった。
そう、局員達が居抱く願いは只一つ。そこには海だの陸だのと言った事は一切関係がない。あの鉄の化け物を葬り去り、この世界に平和を。
彼らが待望の眼差しで見つめる視線の先に居るのは、本作戦の指揮官である八神はやて三佐。
あのJS事件を解決した奇跡の部隊『機動六課』の部隊長だった人物。彼女ならばきっとこの難解な状況を打破してくれるに違いない。
その想いにはやてが感じるのは押し潰されそうな重圧。この場に居る数百人の命は、今はやての手の上にあるのだ。
一瞬の判断ミスでたくさんの同志を死なせてしまうかもしれない。常人ならば到底耐える事など出来ないプレッシャーがはやてを襲う。
しかし八神はやては退く訳にはいかない。この場に居る全員の命を背負い戦う事が自分の責務なのだ。意を決したはやてに飛び込んでくるのはエイミィからの通信。
『はやてちゃん! 目標射程圏内に入ったよ!』
「よっしゃ! 全部隊攻撃用意! 敵ロボット鉄人28号を破壊するんや!!」
『了解!!』
そんな様子をビルの上、眼下に広がる光景を不吉な笑みで見つめる一人の男。
「この程度で……舐められた物だな」
場違いな白衣を纏い、ビル風に紫色の長髪を靡かせる不気味な男。名をジュエル・スカリエッティ。そう、1ヶ月前、脱獄を果たしたJS事件の主犯である。
彼が持つのは、2本のレバーに3つのダイヤルが付いた箱型の装置。これこそが鉄人28号を唯一制御し得ると共に、持つ者を世界で一番強い存在に変えてくれる物。
そう、これこそが! これこそが! これこそが! 完全無欠! 絶対不死身の兵士にして、戦争と言う名の悲劇が生んだ鋼鉄不落!
完全無敵の人型最高兵器、鉄人28号の操縦機なのだ!!
「さぁ私の娘達、良くご覧! これが私の夢なのだよ!! これから起こる事をその眼に焼き付け、後世に伝えるのだ!
私ジュエル・スカリエッティが如何なる人間だったかをねぇ~!
例えこの身が神と呼ばれようとも! 悪魔と罵られようとも! これから始まる事は誰しもが声を上げる惨事となるだろう!
そして世界は知るだろうさ! そして世界に残るだろうさ! 後の世代に語られるだろうさ! この日! この時! この夜が!
時空管理局が制止する日だとね!!」
『はい、ドクター・スカリエッティ』
スカリエッティの背後に光る影達はそう言って頷き微笑んだ。そう、これこそが復讐なのだ。我等が創造神に歯向かった者共への制裁である。
その粛清たるや大胆不敵、居並ぶ敵を真正面から叩いて砕く! 砕く!! 砕く!!! 砕き尽くして廃墟を作れ! 全てを壊して炎と踊れ! 涙の代わりに血を流せ!
笑いの代わりに恐怖の声を!
粛清されるは怨敵六課! ならば狂気の宴を開こうか! 例えそれが悪魔の所業と言われようとも!
「むしろ結構!! 本望さ!!」
神に背くか! 悪魔に背くか! 果たしてどうなるこの戦い!? されど止める事など笑止千万!!
さぁ神よ、悪魔よ、ご覧あれ! 今宵の酒は女の血! 今宵の肴は女の悲鳴! 今宵の宴は!
「まっこと、誠に甘美なり!!」
闇夜に響くは男の嬌声。もはやこの男、神も悪魔も恐れぬのか?
『目標をレーダーにて捕捉! 射程距離まであと10秒!』
そんなスカリエッティの言葉を裏腹に、隊員からの通信で緊迫した空気が地上部隊を一瞬で支配する。ついに来たのだ、あの化け物が。
『発射用意!!』
戦車長の指示に戦車砲は一斉の同じ方向へと向けられた。いくら鋼鉄で出来たロボットと言えど、この火砲に耐えられるはずがない。
戦車砲に装填されているのは徹甲弾。その名の通り鋼鉄で出来た装甲を貫く為に作られた弾頭である。正面から迫り来る相手には格好の武器であろう。
敵は目立った武装は装備していない。なら狙うのはアウトレンジからの一斉射撃、敵を近づける事なく集中砲火で撃破する。
砲塔が狙いを済ましてからやや時間が経って、不気味な地鳴りが辺りに木霊し始める。
やがて部隊員の目に映るのは鋼鉄の巨躯。それはもはや見間違えるはず等がない、見間違えようがない。
ついに来たのだ。
『鉄人28号を目視確認!!』
『撃てぇぇぇぇぇぇ!!』
鉄人がその姿を晒した瞬間、敵を貫くべく放たれた弾頭が衝撃波を纏って、ありとあらゆる方向、角度から鉄人に押し寄せる。さすがにこの巨体でこれだけの一斉掃射をかわす事は不可能だ。
その為か鉄人はまったく動こうとはしない。だがそれは決して己の敗北を悟り、抵抗を諦めたのではない。
砲撃の発射音よりも遥か速く鉄人に辿り着いた弾頭は、その鋼鉄の身体に勝負を仕掛ける。
何発もの弾頭がほぼ同じタイミングで命中。勝利を確信する隊員達だが次に響いたのは装甲を貫通する音ではなく激しい炸裂音であった。
その音に何事かと隊員達が思えば、突然鉄人の周囲に建つビルのガラスが粉々に砕け散り、その壁は小さい衝突音を無数に立てて火花を散らすと細かな陥没が幾つも出来ていた。
それらガラスやコンクリート片は、まるで雨のように地面に降り注いでいる。一瞬何が起きたのかまるで見当も付かない隊員達であったがハッとした戦車長が一言発した。
「徹甲弾が……弾かれたのか?」
そう、徹甲弾は敵の装甲を破壊するという役割を果たす事なく、鋼鉄の鎧に阻まれ砕け散ったのだ。結局散らばった破片が壊した物と言えば、付近のビルのガラスや壁だけ。
よもや敵を破壊するための攻撃が市街地に被害を与えるとは。彼等自身、流れ弾による多少の被害は想定していたが敵に効果が無い上に、街だけ壊すとは本末転倒である。
だがこのまま引き下がるわけにも行くまいと、すぐさま第二波攻撃が続行される。しかしまたまた炸裂音が響いたかと思えば、弾き返された弾頭の破片がビルや道路に無数の傷跡だけを残していく。
戦車長は怒声と共に攻撃続行を指示するが、いくら徹甲弾の洗礼を浴びせた所で鉄人の身体は傷一つ負わない綺麗な物であった。
「あかん! 魔導師のみんなは射撃準備! 撃てぇぇぇぇぇぇー!」
これではまずいと思ったはやてが待機していた魔導師大隊に攻撃命令を出す。砲撃が出来る者はその場で、出来ない者は鉄人と距離を取るべく空から陸から近付いていく。
戦車砲の連射に混じって砲撃魔法や射撃魔法の大群が鉄人を襲う。それらの着弾は連鎖するように爆発を起こすが、やはり効果はなかった。
鋼鉄を犯そうと溢れ返る爆風に包まれても、まるで何事もないかのように一歩一歩を踏み締めながら、鉄人は地響きと共に地上本部へと前進を続ける。
少しでも足を止めようと懸命の攻撃が繰り返されるが、鉄人の歩調が変わる事はない。着実に目標へと向かって行進する姿は、宛ら不死身の兵士といった風情で見る者に威圧感と敗北感を与えていく。
魔力砲撃は意味を成さず、射撃魔法に至っては論外。戦車砲の弾頭は砕けてショットガンの様に散らばり、街への被害を広めるだけ。
敵へのダメージがあるなら被害を考慮しても続ける価値はあるだろうが、そんな様子を微塵も見せない鉄人に隊員達が居抱くのは絶望と恐怖。
「な、なんて装甲や。こ、こ、これほどとはっ!」
指揮官たる八神はやても最早戦意を喪失しかけていた。先程の安堵は、落胆と焦燥にすり替わり、はやてを追い詰めるだけであった。
この人数でもさしたるダメージを与える事は出来ないのか? これだけの攻撃でも傷一つ付ける事も叶わないのか?
それは装甲が頑丈と言ったレベルを超越している。例えとして適切ではないが『暖簾に腕押し』と言った所であろうか。
ようはこの攻撃自体に全く意味がないのである。つまり作戦行動自体が無駄そのもの。
街の被害に目を瞑り、攻撃を仕掛けた結果は、効果なし。これでは何のための作戦なのか分からないのだ。
意味のない作戦で意味のない被害が生まれ、そして絶対的な存在への畏怖のみが魔導師達を支配する。
「こなくそぉ!!」
だがヴィータはそれを切り払うようにグラーフアイゼンを掲げ、猛然と鉄人に立ち向かおうとしていた。
今だ続く弾幕の雨を縫うようにすり抜けるとカートリッジ3発ロード、振り上げるアイゼンは鉄人に迫る巨鉄槌となり、敵を打ち砕くべく一気に打ち下ろされる。
「食らえぇー!!ギガントォォォハンマァァァァァァァァ!!」
巨人の鉄槌と銘打たれたヴィータの最大火力、圧倒的質量と内包された膨大な魔力を併せ持つそれが、正真正銘の巨人に向かって突き進む。
その威圧感にさしもの鉄人も両手を差し出して、受け止めんとする。やがて鉄人とギガントハンマーが邂逅を果たすと鈍く巨大な衝突音がビル街と大地を揺らした。
既に鉄人の重量を支えるのに精一杯の道路は、さらなる質量の追加に耐え切れなくなったのか、鉄人の足周りを中心にクレーターのような陥没が広がった。
だがその大質量攻撃をも鉄人自体は、微動だにせずに支えている。それもそのはず、鉄人の腕力ならば数百トンの物体を軽々持ち上げ、投げ飛ばす事が出来るのだ。
如何なヴィータのギガントハンマーと言えど、不死身の兵士に対しては破壊力不足と言わざるを得なかったのである。
「ギガントハンマーが……そないな事があるわけ、あるわけが」
そしてその光景は、はやての戦意に止めを刺すには、十分すぎる物であった。ヴィータは六課の中でも最高の物理破壊力を持った騎士である。
それ故にヴィータのギガントハンマーが効かないという事は、少なくとも六課所属のメンバーの攻撃では鉄人を破壊する事は不可能と言う証明でしかなかった。
「だったらぁ!!」
尚も食い下がるヴィータは、ギガントフォルムを解除するとアイゼンを再び振り上げた。ギガントが効かないならそれをも上回る鉄槌を。
グラーフアイゼンが赤い魔力に包まれたかと思えば、弾け現れるのはヴィータのリミットブレイク。
巨大なロケットエンジンの先端にドリルを取り付けたような形状を見せるのは、鋼鉄を爆砕する究極の鉄槌。その名をツェアシューテルングスフォルム。
衝撃波を伴ったロケット噴射とそれに連動して高速回転する巨大なドリルは『聖王のゆりかご』その強固な動力炉を破壊した機動六課最強の物理破壊攻撃だ。
ヴィータ最大のリミットブレイクは、唸るような爆炎を噴射口より吐き散らしながら鉄人を捉えんと振り下ろされる。この一撃に鉄人は、どっしりと腰を落として構えると迎撃すべく拳を突き出した。
破壊の鉄槌とビルをも壊す鉄拳の正面勝負。互いの噴射速度と拳速は持ち得るポテンシャルの最大限を引き出している状態だ。
そして互いに最高の威力を持って激突した鉄槌と鉄拳。耳を劈く衝撃音に皆がどちらが壊れたのかと目をやると。
「ああ……ア……アイゼェェェェェェェェン!!」
泣き叫ぶようなヴィータの声が木霊する。その衝撃に耐え切れなかったのは、鉄槌のほうであった。
「ヴィータのリミットブレイクまで……」
鋼鉄の伯爵の敗北は、はやてに驚嘆の声を上げさせた。鉄人のパンチの直撃を受けたアイゼンは粉々に砕け散り、破片が中空の至る所に散らばっている。
もはや鎚の部分は原型は留めておらず、放心状態のヴィータの手に残されたのは、全体がヒビ割れた柄の部分だけであった。
一方鉄人の拳は、アイゼンの直撃を受けた部分から摩擦熱による白煙こそ上がっている物のこれ言って目立った外傷は見つけられない。
戦車と魔導師部隊があれほどの集中砲火を浴びせた上にヴィータのリミッドブレイクを持ってしても装甲を摩耗させる事さえ敵わないのか。
しかしヴィータの敗北は、はやての尽きかけていた戦意を燃え上がらせるには十分だった。はやては、大切な家族を傷つける者を許すわけにはいくまいと声を荒げる。
「ヴィータは下がるんや! 私達は上空からフォースブレイカーいくで!」
はやてはとにかくヴィータに下がるよう指示。ヴィータは自分の攻撃が効かない悔しさと唯一無二のパートナーであるグラーフアイゼンの全壊に泣きそうな表情を浮かべながら、無言で頷くと自陣の後方へと後退した。
その様子に胸を締め付けられるはやてだったが、今はヴィータを慰めている場合ではないのだ。この戦いが終わった時、せめてこの胸に抱いて大いに泣かせてやろう。
その為にも残された最後の切り札、各人が持つ最大火力を直撃させるフォースブレイカー。強大な『闇の書の防衛プログラム』をも沈黙させたこの攻撃で鉄人に勝負を掛けるしかない。
幸い敵は、遠距離武装の類を装備していない。ならば足を止めたチャージにも時間を取れるし、全魔力を注ぎ込んだ強力な砲撃を撃てば或いは。
「全員高度100メートルまで上昇! 行くで!」
そう言ってから上昇を始めるはやて。続いて、なのは、フェイト、シグナムも伴う様にして飛翔した。砲撃魔法の射程距離と鉄人のリーチを考えれば100~200メートルほど距離を取るのが最善策。
本当ならば万全のため200メートル以上離れるのが一番だが、そこまで離れると魔法の威力が減衰してしまう。危険を伴っても100メートルの距離で撃つのが有効であるとはやては考えたのだ。
最大魔法を放つために空へと昇っていくはやて達に、鉄人が視線を合わせると突然空気を切り裂くような音が辺りに響き始めた。
この異常は遠く離れた本局でもエイミィが察知しており、鉄人のステータス値の変化を司令官であるクロノに伝えた。
「鉄人の背中付近に熱源反応!? これは……」
「何をする気だ!?」
クロノもモニター越しに鉄人の異変に気が付いていた。鉄人の背中で巻き起こるのは激しく燃え上がる陽炎の渦。武装はないとタカを括っていたがこの様子では何か隠し玉を持っているのは間違いない。
それは現場で鉄人と直に対峙しているはやても感じている事だった。背中のユニットが陽炎を起こしている事と鉄人が魔力系統を使用していないのなら予想出来る攻撃は物理的な炎熱攻撃。
その選択肢から考えられるのは、熱線か火炎放射。背中のユニット形状からミサイルやロケット弾等の可能性も捨て切れない。
はやては、このまま足を止めてのチャージは危険と判断。散開を指示しようとしていたその時。
「みんな、さんか……」
はやての言葉を遮る様に突如響いたのは、重々しい爆発音。そしてはやてが見たのは、目の前に居た筈の鉄人の姿が消えている空間。
どれだけ眼下に広がるビル街を見下ろしてみても、その巨大な姿はどこにも存在しない。鉄人ははやて達の前から完全にその巨体を消し去っていたのだ。
あれほど巨大なロボットが一瞬で消えるなど物理的に考えてもあり得ない。魔法技術を使えば転送魔法等の使用で不可能ではないだろうが、それでもあの質量の転送にはそれ相応の装置が居る。
鉄人が内部構造に魔法技術を使用していない以上、転送魔法による瞬間転位は不可能と言っていい。
そんな思案をはやてがしていれば、耳に入ってくるのはどこかで聞いた覚えのあるエンジン音。そう、ロケットやジェット機が飛ぶ時に出すエンジン音。それと似た音がはやて達の後方から聞こえてくるのだ。
やがてはやてを含めた全員が気が付く。鉄人が消えた状況、今後ろから聞こえるエンジン音、鉄人の背中に発生した陽炎。それらを総合して考え出される一つの結論。それははやて達にとって最悪を意味している結果であった。
「ウゥゥゥゥゥ」
はやてが振り返り認めたのは、唸り声を上げる鉄の巨人。もし見間違いならどんなにうれしいか、しかしこの巨体を見間違える訳がない。
間違いなく背後を飛んでいるのは鉄人の姿。見れば背中のユニットから猛炎を噴き出し、空に浮かんでいる。
これまで戦ってきて鉄人が近距離戦闘特化型の格闘専用機体である事は分かっていた。だからこそアウトレンジからの砲撃魔法が唯一安全な攻撃手段であると踏んだのだ。
しかしそれも鉄人の移動手段が歩く以外にはないと思っていたから成立する考え方であり、飛行能力を持っているとなると、もはやアウトレンジからの攻撃も有効な手段とは呼べなくなってくる。
どれほど距離を離してもそれを詰められたら意味がないのだ。まして砲撃魔法は足を止めなければ撃つ事が出来ない。はやての中でヴィータの敗退によって燃え上がっていた闘志も既に風前の灯と化していた。
「そないな……て、鉄人が……空を」
そう漏らしたはやては、鉄人の多機能さに驚嘆を覚える以外になかった。ビルを壊す力と砲撃魔法を防ぎ切る装甲だけでも驚異なのにその上、空まで飛べる機動性と来たのだ。
完全無欠とはこの事を言うのだろう。既にはやて達に付け入る隙は残されていなかった。
「ガアァァァァァァァァァァー!!」
「はやて!」
逆に思案に耽るはやては隙だらけである。咆哮と共に鉄人が右の剛腕をはやて目掛けて突き出すとそれに気が付いたシグナムが庇う様に飛び出した。
全速力で飛んだシグナムは、迫り来る拳の射線からはやてを突き飛ばす。突然の事に、はやては小さな声を上げてバランスを崩し掛けたが、ジグナムのお陰でパンチの直撃する軌道からは外れていた。
シグナムも飛び出した反動を生かして必死に身を捩り、ギリギリの距離で鉄人の拳を回避。触れそうな距離を通過する拳から発生した焼け付くような風圧が騎士甲冑を擦りつける。
単なる拳圧とは言え、それだけで騎士甲冑越しに衝撃を感じるほどである。直撃時の破壊力を想像すれば、歴戦の勇士たるシグナムに戦慄を覚えさせるには十分過ぎるほどであった。
「グオォォォォ!!」
だが相手に安堵の猶予を与えないよう咆哮する鉄人。その左腕は既にシグナムに狙いを付けている。
一方シグナムはと言えば、無茶な体勢から強引に身体を捩って回避したせいで、今だ体勢を整え切れずにいた。
剛風を纏いながら放たれる拳は真っ直ぐにシグナムへ向けて飛翔する。来るのは分かっていても身体が動かず、仮に障壁を展開したとしても直撃を受ければ待つのは確実な死。
もはやこれまでかと覚悟を決めれば突如視界に飛び込んでくる一筋の雷光。それは鉄人の拳が到達するよりも数瞬速くシグナムを救い出していた。
そのあまりのスピードにシグナムは自身の反射神経を持ってしても状況を把握出来ずにいたが、やがて急停止して雷光が弾け飛ぶと、現れたのは見慣れた金髪の靡かせる少女であった。
「テスタロッサ……」
「大丈夫ですか?」
真剣ではあるが、どこか温かみのある顔で問い掛けたフェイトはシグナムを見つめている。シグナムが改めて自分の状況を見ればフェイトに横抱き、俗に言うお姫様抱っこをされている事に気がついた。
まさか守護騎士である自分がこのような格好で助け出されるとは思ってもなく、戦いの最中とは言え、妙な気まずさがシグナムを支配していた。
「グウゥゥゥゥ」
だがそれも束の間、不気味な唸り声に2人が正面を見るとそこに居るのは鉄人の姿。思いもしない状況に驚きを隠せないフェイトだがそれも無理はない。
何せフェイトはスピードと機動性では六課最速なのである。そのフェイトが持ち得る最速の移動魔法ソニックムーブを使ってシグナムを救出した上に、安全のため間合いは十分に取ったつもりであった。
なのに目の前に居るこの巨体は確かに鉄人その物である。フェイトがソニックムーブを発動した瞬間鉄人はパンチを放っていた。もし鉄人が回り込んで来るタイミングがあるとしたら静止してシグナムの安否を聞いた瞬間。
たった数秒で安全圏だと思っていた距離まで回り込んで来るスピードと機動力、それは六課最速と言われるフェイトに匹敵するという意味であった。
本局の指令室でもその様子に驚愕の声を上げる者は多く、普段は冷静なクロノも義妹であるフェイトがスピードで鉄人に負けるとは思ってもなく驚くより他に選択肢はない。
「一体どうなって、フェイトが前を取られるなんて、そんな事が」
「クロノ! あの鉄人、音よりも速く飛んでる!」
「馬鹿な、あの質量が音速だと!?」
エイミィが使うモニターに表示されている分析結果。それは鉄人28号が音速を超えて飛行したという事実を淡々と表示していた。
確かに音よりも早く飛べば短時間でフェイトの前に回り込む事は出来るかもしれない。しかしあれだけの質量が音速で飛び、ましてフェイトの前を行く等、信じられる事ではなかった。
鉄筋コンクリートのビルをも壊してしまうパワー、砲撃魔法や戦車砲の直撃にも耐える装甲、そして高機動魔道師と互角に飛べる音速のスピード。
鉄人28号は高ランク魔道師でもその方面に特化していなければ出来ない事を簡単にそれも単独で成し遂げているのだ。勝ち目などない。直接鉄人と対峙する八神はやてにとって、その事実は認める以外になかったのである。
「完全や、全てに死角がない」
そう呟いて、はやての心は完全に砕け散ったのである。もはや戦車隊も魔道師部隊の誰しもが攻撃の手を止めてしまっていた。
辺りに響くのは鉄人のロケットエンジンの噴射音のみ。誰一人として言葉を発さず、ただ無敵の兵士の姿を見つめ続けるに留まったのである。
シグナムを横抱きにしているフェイトもそのままの姿勢で眼前の鉄人を見つめるしかなくなっていた。スピードでも歯が立たないのだから何をしても無駄だと。
如何なる抵抗も無意味なら、ただ立ち尽くして成り行きを見届けるより他にない。もしも鉄人が拳を突き出せば確実に殺されるだろう。
しかし逃げようとしても速度はこちらと同等か、むしろ向こうが速いのかもしれない。なら回避行動自体が成り立たないと言ってよかった。
絶対的な力量差を突き付けられ、ただ呆然と立ち尽くす魔道師達に鉄人は呆れたのか、目の前のフェイト達に拳を振り上げる事もなく、横を通り過ぎながらゆっくりと地上本部へと飛び去って行く。
フェイトは後方に飛び去っていく鉄人に安堵を覚えていた。しかしそう思うという事は同時に一つの結論に至ったという事でもある。
そう、それは敗北。その場に居る誰もが、鉄人を追おうとはしないし、各隊の隊長陣も迎撃せよとの指示を出す事はなかった。
既に全員が悟っていたのだ。追った所で勝負は見えている、なら抵抗は止めて生き延びた方が得なのではと。地上本部には既に避難命令が出ているはずだから人的被害は最小限で済むはずだと。
あの化け物に勝てる者など居ないのだと。
「諦めたか」
そして離れた位置から鉄人を操縦するスカリエッティは、双眼鏡ではやてたちの顔を見ながらほくそ笑んでいた。もう少し遊んでもよかったのだが、鉄人に対抗出来る者が居ない以上、退屈なだけだ。
プログラム改竄をしてプレイヤーキャラを無敵状態にしたゲームは、始めのうちは面白くとも、普通にやるよりも早い段階で飽きが来てしまう物。
それに目的は何も魔道師連中と遊ぶ事ではない。それはそれで楽しい時間ではあるが仕事は仕事、こちらを優先せねばなるまいて。
「鉄人カプセルを回収しろ」
「ガオー!」
地上本部に辿り着いた鉄人はスカリエッティの指示に咆哮で答えると右腕を突き出した状態で本部目掛けて急降下。地上本部は建物自体が堅牢に出来ており、さらに魔力障壁も張り巡らせた2重構造になっている。
通常攻撃であれば鉄壁を誇るが、圧倒的質量を持ちながら音速のスピードで迫る鉄人には、その防御策も大した効果がある物ではない。
音速で突撃を仕掛けてくる鉄人に、まず魔力障壁が立ちはだかるがまるで銃弾の直撃を受けた窓ガラスのように砕け散り、そして堅牢な外壁構造も爆音と共に障子紙のように破り去られた。
鉄人が鉄筋コンクリートを敷き詰めて作られた分厚い床板を突き破りながら目指すは、地下のロストロギア保管庫。
「そこだ鉄人」
「ガオー!」
ちょうどその位置に差し掛かった所でスカリエッティは鉄人に停止の指示を出す。既に地下数十メートルまで突き進み、鉄人の真下がロストロギア保管庫だ。
鉄人は薄い発砲スチロールを相手にするかのように保管庫の天井を破壊すると中から薄汚れた一つのカプセルを取り出した。
その光景を双眼鏡越しに見つめていたスカリエッティは、粘り付く様な気味の悪い笑みを浮かべると鉄人と背後に控えるナンバーズ達に指示を出す。
「よし鉄人退却だ。クアットロ、シルバーカーテンで鉄人をステルスにしてくれ。追跡されても面倒だ」
「はいドクター」
そう言って眼鏡を光らせるのは戦闘機人ナンバー4『クアットロ』電子戦を得意としており諜報戦やジャミングなどに長けている戦闘機人である。
彼女の固有技能『シルバーカーテン』はレーザー撹乱やステルス迷彩等の機能を持っており、偽装工作や潜入のサポートなどその使用方法は多岐に渡り、戦術性の高い能力であった。
今回も巨大な鉄人を飛ばしていては非常に目立つため当然時空管理局から追跡を受ける。そうなれば自由に行動が取り辛くなるがために彼女の出番と言う訳だ。
スカリエッティの予想通り、本局ではクロノ達が鉄人の追跡準備を急いでいた。仮に倒せないまでも位置を把握しておく事が戦略的に重要だからである。
「エイミィ! 鉄人を追跡するんだ!」
「それがレーダーに機影が映らなくって! これじゃあ追跡出来ないよ……」
エイミィの言葉にクロノは愕然とした。この上ステルス機能まで兼ね備えた機体なのかと。これでは相手がどこから来るのかも、どこに行くのかも分からない。
悔しさを紛らわせるように握り締めた右の拳をデスクに叩きつける。
「くそぉぉぉぉ!!」
鈍い音を立てて叩きつけた拳は切れ、血が滲む様にデスクに広がっていった。
遥か遠くで起きているそれを嘲笑うかのようにスカリエッティは実に愉快な笑顔を浮かべている。
「地上はまた今度でいい。さて」
「次はどうしますかドクター」
そう聞くのはスカリエッティの右腕たる戦闘機人ナンバー1『ウーノ』簡潔に説明すればスカリエッティの右腕のような存在で、クアットロ同様彼女も情報戦や電子戦と戦闘補助の能力に長けている
スカリエッティは微笑みかけながらウーノに向き直った。
「次元航行艦の用意は出来ているね?」
「もちろんです」
「いい子だねウーノ。なら行こうか時空管理局本局へ!!」
午後23時50分 時空管理局地上本部付近。
「まるで廃墟だ……。そう、私の夢に出てきたあの……」
煌々と炎が照らし出す廃墟でフェイト佇むようにただ呆然としていた。目の前に広がる光景は間違いなく今朝見た夢に似ている物。
そう、高町なのはという大切な人を失い、この破壊の張本人『鉄人28号』を我が手に操っていた夢。
結局鉄人という存在は現実の物になってしまった。もしかしたらこれも夢の延長ではと考えもしたが、焼ける炎の匂いや土埃が身体を打ち付ける感覚が現実である事を否応無しに伝えていた。
これが夢だったらどんなに良かっただろう。今この状況が現実なのだとしたら、夢の中でなのはを喪失した事もまた現実になり得ると言うのか?
そうでないと誰が言える。現にフェイトの夢は正夢となり現実世界に襲いかかったのだ。それならばなのはを失う事も現実になる。
そんな事実断固として認めたくはない。認めたくはないが、しかし鉄人の存在を否定する事が出来ないならなのはの死を否定する事も出来ないのだ。
「全部壊れちゃったね」
「なのは……」
なのは、そんな悲しそうな顔をしないでおくれ。君の悲しみは私にとっての身を切り裂かれるよりも辛いんだ。だから笑っておくれよ。
そう願うフェイトの隣になのはは寄り添うようにして近付いて、フェイトの左腕に縋るように抱き付いた。
腕を通して伝わる温もりにフェイトは最愛の親友の生を実感する。よかった彼女はまだ生きている。だったら守る事が出来るんだ。
もう傷付かない様に守り抜いて行こう。この手に伝わる温もりを失う事は、自分にとっての死と同意義なのだから。決して失ってなる物か。
そう、自分を犠牲にしてでも彼女だけは守らねば。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンに始まりをくれた誰よりも温もりに溢れた手、誰よりも眩しい笑顔。
生涯始めての友達で、今までもこれからも誰よりもかけがえのない存在。フェイトにとってのすべてに勝る大切な人。
「どうしてかな、どうしてこんな事をするのかな」
ポツリと漏らした言葉は独り言のように聞こえるが、なのははフェイトに問いかけているのだろう。しかしそれに対する答えをフェイトは持っていなかったのだ。
むしろ教えてほしいぐらいだ。なんでこんな事になっているのか。そしてなぜ夢が現実になっているのか。分からないから言える言葉は少ないけど。
「分からない。私にも何も分からない。どうしてこんな事になったのかなんて、どうして現実になってるのかなんて」
「じゃあやっぱり……」
そう、夢が現実になっている。いやもしかしたら現実を夢に見たのか? いやそれだけはダメだ。もしそうならなのはが死ぬ事が現実になってしまうではないか。
絶対にそんな事があってはならない。だから決めた。初めて彼女と友達になった日からずっと思ってきた事。それは彼女を守り抜く事。
そう、だから今ここに誓おう。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンが全力を持って全うするべき誓いを、絶対に曲がる事のない信念の誓いを。
「なのは、私はいつでも傍に居る。どんな時でも君の傍に居る。そう、この世の全てが敵だって私は君だけの盾になる」
「フェイトちゃん……」
フェイトの言葉になのはは戸惑いを覚えていた。なぜこんな事を言うかと、でも不思議と彼女の言葉は心地よいのだ。
自分を守ってくれる騎士の様で。守られるのが好きという訳ではないが、この人であれば自分の命を預けてもいいと思える存在。
そしてきっとこの人は自分の命に代えても自分を守ろうとするだろう。だけどそんな事は絶対に嫌だ。大切な親友を自分のために失うなんて。
「無茶は、しちゃダメだよ」
「君もね」
釘を刺すように言われて逆になのはは恥ずかしくなっていた。まさかここでカウンターを食らうとは思ってもないのであった。
だがフェイト自身、無茶の塊であるなのはに、そんな事を言われなくはないのだ。誰よりも無茶をするくせに人には無理をするなという矛盾した性格。
それが高町なのはが持つ最大の欠点である。なのはの身体は1年前行使したブラスターモードの副作用が抜け切っていない状態なのだ。
本来なら戦闘などもってのほかで絶対安静の療養が数年必要とはやての守護騎士であるシャマルから念を押されていた。しかしそれでもなのははこうして最前線に出て戦っている。
こんな無茶を続ければいずれ身体が壊れてしまう。それは9年前に身を持って経験した事なのに。
フェイトと言う人間は、なのはに対して否定的な意見を言う事はないし、直してほしいと思う部分も皆無に等しい。そのフェイトが唯一なのはの性格において直してくれと切に願う部分なのである。
「にゃはは、気を付けます」
その言葉となのはの幼い頃から変わらぬ笑顔で誤魔化されたような気もする。でも隣で見守り、彼女が無茶をしないように気を付ければいい。
「よろしい」
だからフェイトも微笑みを交えて答えるのだ。少しでも彼女と笑みを交わし合いたいから、笑顔で居たいから。
「まぁせやけど問題は山積みやな」
フェイト達から少し離れた位置で、廃墟となった都心部を見つめる八神はやての憂鬱は膨らみに膨らんでいた。結局リンディから頼まれた事を何も出来ずに終わってしまった。
それは八神はやてにとって完全な敗北。世界を滅ぼせる力とは聞いていたがこれほどの物と誰が想像出来ただろうか。
自分に認識の甘さを恨みつつもそれで敵を倒す事など出来ないという事は十二分に理解している。だから今するべきは後悔ではなく、敵を屈するための方法を考える事だ。
「やっぱりあれを使うしかないんかな」
「はやて、あれとはもしや」
はやてから一歩引いた後背に立つシグナムが声を掛ける。以前にも似たような状況に陥った事はあった。それは自分たちが当事者となった闇の書事件。
あの時も通常攻撃では倒し切れぬ『闇の書の防衛プログラム』を消滅させる威力を持った魔力砲。たった一撃で都市を消滅させる威力を持った時空管理局が誇る最強の魔法兵器。
「アルカンシェル。あれなら鉄人でも」
そう、時空管理局保有兵器の中でも最大の破壊力を持った『アルカンシェル』物体を対消滅させるあの破壊力なら鉄人を倒すには十分だろう。
「ですがアルカンシェルを地上に向けて撃てば甚大な被害が。それはあなたも分かっているはずです」
「そうやね。でも11年前みたいに衛星軌道上で狙撃すれば被害は抑えられる。問題は転送時間をどう稼ぐかやな」
シグナムの言う問題は11年前『闇の書の防衛プログラム』を倒した時に解消されているから特に気にする必要はない。だがどうやって衛星軌道上まで連れ出すか、それが問題であった。
あの質量を転送する事は転送魔法に長けた魔道師が数名居れば不可能ではない。しかし高速処理に優れた魔道師でも転送には、それなりの時間を要する。
最大の問題は、転送時にあの巨体の動きを長時間止めなければならないという点であった。それが不可能に近い事は誰の目に見ても明らかである。
「まぁでもなんとかするしかないか」
そう、ここまで来ればアルカンシェル以外に鉄人を撃退する手段は残されていない。もしもそれさえ通じないとなれば。
「そう、もしもダメならリンディさんの言う通りになるかもしれんな」
はやては火の子の舞い散る空を仰ぐ。今日味わった敗北の苦さと明日に得るべき勝利への待望を胸に秘めて。
午後23時50分。
瓦礫の山となったミッドチルダ中心部。そこでは救助活動のために地上部隊の魔導師が派遣されていた。
以前機動六課に所属していたスバル・ナカジマもその救助隊の一人だ。
デバイス、マッハキャリバーを使って廃墟を駆ける彼女の目に映るのは、瓦礫の下敷きになった人々の姿。
最も人が居る時間帯に起きた惨事。その被害者数は想像を絶するもので、スバルがどこに目をやろうとも見えるのは死体と瓦礫の山々。
だがこの地獄の中でも助けを待っている人が居るかもしれない。スバルは涙を堪えて走り続ける。
やがて見えてくるのは一人の幼い、歳は7~8才ぐらいか? その少女は瓦礫の山の上でしゃがみ込んで何かをしているようだった。
「そこの君! 大丈夫!?」
猛烈なスピードで近付いてくるスバルの問い掛けに、少女はちらっと目を向けるもすぐに俯いてしまう。
すぐ近くまで来たスバルは、少女が何をしているのか気になり見ると、彼女は小さな手を血塗れにしながら瓦礫を退かしていた。
少女の手はあちこちが切れており、彼女が退かした瓦礫には、少女の物と思しき鮮血がべったりと付いている。
その痛々しい様子にスバルは眉をひそめた。恐らく恐怖でパニックを起こしてこんな事をしているのだと。
とりあえず安全な場所まで連れて行こう。そう考えたスバルは少女を安心させようと優しく微笑みながらそっと手を差し出した。
「私の名前はスバル、助けに来たよ。さぁ安全な所まで行こう」
「ダメなの」
無表情のままでスバルの言葉を遮る少女に、スバルは困惑していた。
どうしてこんな場所に残ろうとするのか? とにかく理由を知らねばとスバルは微笑みを浮かべたまま少女の目線までしゃがみ込み、話し掛けた。
「君はここで何をしているの? ここはすっごく危ないんだよ」
「私ね、ママに妹をお願いねって言われたの」
スバルは少女の一言で彼女の行動の意味を察したのだった。そう彼女は妹を助けようとしている。そして少女がしゃがみ込むこの瓦礫の下に妹が埋まっているのだという事も。
スバルが瓦礫を退かすのを手伝おうとした時、少女の座り込む瓦礫の隙間から血が流れ出しているのを見つけた。
それは少量ではなく隙間から幾筋もの血流が流れ出しており、その様子からこの下に居る少女の妹がどんな状態は簡単に想像出来た。
少女の妹が何歳かは分からないが、この出血量では大人でも確実に助からないだろう。
顔色一つ変えずに瓦礫を退かし続ける少女はその事を悟っているのだろうか。スバルは少女の姿に溢れそうになる涙を堪えて、その小さな身体をそっと抱き締めた。
「どうして、どうしてこんなひどい事が……どうして……どうして」
今まで数多くの災害現場を見てきたが今日ほど酷い物はなかった。スバルがこの日を忘れる事はない、いや忘れる事など出来ないだろう。
あのJS事件とは比較にならないほどの大惨事。この日は後に歴史的事件として人々に記憶されていく事になる。
そして今日の事件は人々にこう呼ばれる事になるのだ。決して凝った名前ではなかったがそれでも人々に鮮明に記憶されるその名を『鉄人事件』と。
午後23時50分 時空管理局本局 鉄人28号対策司令室。
鉄人との交戦終了から数十分が経過し、司令室に居る者は半ば放心状態となっていた。
作戦は失敗。鉄人には決定打となるダメージを与える事もなく逃げられ、しかも追跡不能という状態である。
敗北ムードが漂う司令室の最上層のデスクでは、落ち込んだ様子で座るクロノと救急箱から薬品や包帯を取り出すエイミィの姿。
完全な敗北にショックを受けている職人の中でも特にクロノは決定的な敗北感を引きずりながらエイミィから机を叩いた際に右手に負った傷の手当てを受けていた。
「大丈夫?」
優しく問い掛けるエイミィの存在はクロノにとって非常にありがたい物であった。包帯を巻く手が触れ合う度にクロノの心を少しずつではあったが溶かしていく。
普段会う事は少ないが、それでも献身的な妻にクロノは愛しさを抱き、暫くぶりに触れる手をそっと握り締めた。
「包帯、巻けないよ」
「いいんだ。少しこのまま……」
普段クロノがこうして甘えてくる事は滅多にない。海鳴に住む様になってからは会う機会もめっきり少なくなっていたから尚更である。
元々努力家で自分に厳しい性格のクロノは昔からエイミィはおろか母親にも甘えを見せる事は少なく、何かあっても自分の中に仕舞い込む癖のある人間であった。
だからエイミィにとって弱さを見せてくれる夫の姿は、不謹慎とは思いつつも素直に嬉しくもある。エイミィはクロノの両手をそっと包み込むとその指先に口付けを落としてから顔を上げて微笑み掛けた。
「大丈夫、傍に居るから。辛くても私が居るから」
「ありがとうエイミィ」
そう言ってくれる夫の顔は真剣だけど、それがなんだか可笑しくて、エイミィはクロノの頭に手を置くと優しく撫で始めた。
いつもならこんな事を人前でされれば「からかうな」と怒る所だが、今はその感触がとても心地よくてそんな事を言う気分になれなかった。
ただ慰めようとしてくれる心遣いが嬉しくて、微笑みかけてくれる笑顔が暖かくて、子供っぽいかもしれないが頭を撫でられる事がこんなにも心を落ち着けてくれるなんて。
今なら自分の子供たちがエイミィに頭を撫でられると喜んでいる理由が分かる気がする。確かにこの温もりは、大いに心を落ち着けてくれる。
本当ならこのまま抱き締めて縋りたいが、勤務中であるし人目がある事からも憚られた。しかしそんな心情を悟ったのかエイミィはそっとクロノの背中に手を回した。
その瞬間クロノが全身を温もりに包まれるような感触を覚えて、自分の背中をゆっくりと摩る様にして撫でる手に涙が出そうになる。
もう勤務中だろうと人目だろうとなんだっていい。クロノはエイミィを引き寄せると想いをぶつけるように力強く抱き締めた。
けれどエイミィが抗議の声を上げる事はない。ただ口を閉ざして、愛しそうに優しく背中を撫で続けて、その手の温かさは、クロノにとってどんな事よりも嬉しかった。
そうして二人が抱き締めあったまま、数分の時間が過ぎていく。それは短い出来事だったかもしれないがクロノの心を癒すには十分過ぎる物だった。
「すまない、もう大丈夫だ」
「本当に?」
囁き掛ける声は耳に心地よさを与えてくれる。これだけ愛する人と触れ合えたのだからもう大丈夫。クロノはエイミィの両肩に手を置いて身体を離した。
身体を離しても尚見つめ合う二人、だがそんな余韻を吹き飛ばすように突然司令室にけたたましいサイレンが響き始めた。
『緊急事態! 緊急事態! 所属不明の機体が本局内部に侵入! 繰り返す所属不明の機体が本局内部に侵入! 総員戦闘態勢に移れ!』
突然の警報。それは本局の内部に敵が侵入したという通常では考えられない事態を告げていた。司令室に居る局員も突然の敵襲にパニックを起こす寸前になっていた。
『これは訓練ではない! 至急本局所属の魔道師は戦闘態勢を取れ! 繰り返すこれは訓練ではない! 至急戦闘態勢を取れ!』
これで確定だ。本局内部に敵が侵入した。だがこの本局に侵入するとは何を考えているのか、万単位の魔道師と数千単位の戦艦を保有している本局にわざわざ乗り込んでくるとは自殺行為に等しい。
しかし妙と言えば妙だ。本局のレーダー設備で敵が内部に侵入するまで気が付けなかったのか?
本来、未確認機が飛来すれば、かなり離れた距離でも補足する事が出来る。そして通常ならば所属を聞き、もし返答がないならその時点で警戒レベルを上げるという処置をとるはずだ。
だが今回はいきなり懐に飛び込まれており、なぜそんな事になってしまっているのかクロノには理解出来なかったのである。
「エイミィ、侵入機をモニターに」
「了解」
エイミィはクロノの傍から先程まで使っていたデスクに戻ると敵機が居る区画の監視カメラの映像を司令室に設置されている大画面モニターに映し出した。
するとそこに映るのは燃え上がる次元航行隊所属艦の格納庫。赤々とした炎に支配された格納庫は、そこら中に魔道師の遺体が存在し、生き残った一般の局員や整備員は炎から逃れようと逃げ惑っている。
クロノは何が起きているのかと目を凝らして見ればやがて炎中に浮かぶ影を認めた。背景に映る格納庫の規模や逃げ惑う人々と比較して影の主は10~20メートルほどある様に見える。
その姿は、誰の目に見ても巨大な影が犯人である事を悟らせていた。ここでクロノは考えたくもない、ある最悪の可能性に気が付いていた。
まずはレーダー網に引っ掛からず本局に侵入したという事は、敵が高度なステルス機能を持っているという事。そして人間を遥かに上回るこの巨大な姿は間違いなく。
とても信じたくはない、信じたくはないが恐らく自分の予想は当たっているだろう。目の前で破壊の限りを尽くす影の正体。
それは……。
『ガオォォォォ!!』
「て……鉄人28号!!」
咆哮で猛炎を吹き払い現れたのは、間違いなくつい先程まで対峙していた鉄人28号の姿。その行いたるや大胆不敵、まさか時空管理局本局に正面から勝負を挑むとは。
如何に本局魔道師中隊を壊滅させた鉄人28号と言えど、地上本部以上に戦力が充実したこの時空管理局本局を相手に戦うなど愚の骨頂とも言える行為である。
しかしその風貌たるや、正に勝利するために作られた不死身の兵士。何に恐れるでもなく地上本部を目指していた時と同じような歩調で歩き続けていた。
その様子に数十分前に抱いていた苛立ちと怒りを募らせるクロノだったが、その状態でも鉄人の背中にロケットエンジンとは別の巨大な装置が背負わされている事には気が付いた。
クロノが何かと思い見てみれば、背中の装置は巨大な円柱状の本体に、金属製の杭に似た装置が下部に数個取り付けられている。
また数字の書かれたパネルやデジタル表示の時計画面の様な物も確認出来る。それらのパーツから判断するに、鉄人28号が背負っている物の正体は。
「まさか爆弾か!」
「ハハハハハハ! そう、その通り!」
時空管理局本局が存在する宙域に浮かぶスカリエッティの次元航行船。その船室でスカリエッティは高笑いを抑える事が出来なかった。
スカリエッティの乗る航行船は、鉄人28号を運搬して来たため、船体サイズは大型であったがクアットロのシルバーカーテンによって実質ステルス船となっていたのだ。
「しかしクアットロ。君の能力は実に使い勝手に優れる。素晴らしいよ」
「ドクター、そんなに褒められると照れてしまいます」
時空管理局が鉄人28号の接近に気が付けなかったのも彼女の能力があるからこそ。肉眼にもレーダーにも捉える事が出来ない完全ステルス機能を実現したクアットロの能力。
事、強襲任務においては、鉄人のような強力な機体をカモフラージュ出来る故にその性能は折り紙付き。強力だが同時に巨大で目立つ鉄人とそれを隠蔽出来るクアットロの組み合わせは、まさに相性抜群と言っていいだろう。
「さて八神はやての事だ。やりそうな事は想像がつく」
「と言いますと?」
ウーノから疑問の声が上がるとスカリエッティは椅子に深く腰掛け、ひじ掛けを撫でながら口を開いた。
「ああ、彼女は案外と短絡的だからねぇ。せいぜいあの頭で思い付くのはアルカンシェルを使う程度だろうさ」
「ではアルカンシェルを?」
確かに鉄人28号と言えど、アルカンシェルの直撃を受ければ、どうなるか分からない。通常攻撃が効果を成さないのであれば都市部から離れた海上か宇宙空間に誘い出してアルカンシェルを使うだろう事は予想出来る。
アルカンシェルの効果範囲を考えれば鉄人の飛行速度を持ってしても回避は難しい。ならば撃たれる前に撃てないようにするのが最善策だ。
しかしスカリエッティがわざわざ危険を冒してまで本局に攻め込んだのには他の理由もある。
「それもそうだが、今本局に動かれては些か厄介な事も事実。こちらの思惑を実現にするには、しばらく動きを止めねばなるまいて」
「では、やはりあれを蘇らせるのですか?」
そう、何も鉄人を守る事も重要ではあるが、ミッドチルダに埋められた『カプセル』の回収もスカリエッティに課せられた急務であった。
その中に封印された鉄人にも匹敵する力は、これから管理局を相手に戦い続けるには必要不可欠な物。
「そのための封印カプセルだ。1年前は使えなかったが今は頃合いになっているだろうからね。しかし惜しいなぁ。
そう、もしもあの時カプセルと鉄人を使えていたら確実に勝てたのにねぇ。すべては私が無知故の過ち」
無知、敬愛するスカリエッティが自らを無知と罵る。それはウーノにとってあってはならない事なのだ。
彼女とってジュエル・スカリエッティは神。自らの神が我を蔑み、無知を謳うなど言語道断。それは絶対的と信じて止まない愛と信仰心を否する事ではないか。
「いえ! ドクターは無知などではありません! あの時の失態は全て我々ナンバーズの力不足による物。攻めるのならばどうか! どうかこの私めを!」
ウーノが椅子に腰かけたスカリエッティよりもさらに低く跪く。そう、1年前の失態は全てこの身による物。魔道師風情に頭脳を覗かれ、スカリエッティに信頼されればこそ知り得る情報を引き出されるという痴態。
この身を鞭で打たれようとも本望! いやむしろ敬愛するお方に敗北を与えたこの身に罰を!
だが微笑みを浮かべるスカリエッティはウーノの頭を、その髪の感触を楽しむ様に撫で始めた。
「気に病む事はないよ。あの時は私にも落ち度があった。だが今回は違う! これから我々が手にするのは勝利あるのみ!」
「おおドクタースカリエッティ! なんと慈悲に溢れるお言葉。ならばこのナンバーズが長女ウーノ、貴方がお与え下さったこの身体と力は勝利のために!」
恍惚と瞳を潤ませるウーノの髪をスカリエッティは嫌味な薄ら笑いを浮かべて撫で続ける。
そして管理局の監視カメラをハッキングした映像が送られて来るモニターに映される光景は、スカリエッティの邪悪な欲望を満足させるには十分な物であった。
「さぁ進もうか鉄人よ! 目指すはアルカンシェル保管庫! ハハハハハハ!!」
スカリエッティの指示を受け、鉄人は炎の海と化した格納庫を行く。この奥の扉、そこが管理局の最強兵器アルカンシェルの格納庫。
アルカンシェルは百数十キロ四方の物体を対消滅させる危険な兵器で普段は格納庫に仕舞い込まれている。その格納庫も万全を期して分厚い特殊合金性の扉によって堅く守られていた。
その前に辿り着いた鉄人は、両手を扉の隙間に差し込み、こじ開けようとする。鉄人の怪力に格納庫の扉は軋む音を立てながらひしゃげていった。
「あいつアルカンシェルを!」
抵抗も出来ずに開かれていく扉にクロノが見たのは抗う事の出来ない力の差。やがて完全に開かれた扉から見えるのは、戦艦が何個も入るような巨大な空間、そしてそこに大量に設置されたアルカンシェル砲台の数々。
現在目立った犯罪もない事から管理局が保有する全てのアルカンシェルがこの格納庫に保管されていると言ってもよい。鉄人は格納庫の中程まで歩くと背中に背負っていた装置を床に置く。
すると下部に設置された杭の様な物がバンカーの要領で床に深々と突き刺さり本体を固定した。鉄人が数字の書かれたパネル部分を押していくと表示盤にデジタル表記の数字が表示されていく。
鉄人が入力しているのはスカリエッティ特製の巨大爆弾の起爆コード。タイマーを30秒にセット、さすがに無敵の兵士と言えど数百メートル規模の爆発に巻き込まれれば無傷といくまいから退避の時間が必要だった。
鉄人は爆弾から少し距離を取ってから床板に拳を振るい、機体が通れるほどの大穴を開けた。これでは爆発のエネルギーが逃げてしまうように思えるが、これだけの規模の爆弾ではそのような心配はない。
仮に多少逃げた所でビルをも吹き飛ばす衝撃波と数千度の熱流は、この規模の格納庫を吹き飛ばすには十分過ぎるほどの威力があるのだ。
巻き込まれては敵わないと言わんばかりに、鉄人は床に空いた大穴から下の階に飛び降りる。その様子を見ていたクロノは今更気が付いたのだ。そう、鉄人に対抗し得る唯一の手段が。
「アルカンシェルが」
「ドカーン!」
スカリエッティの嬉々とした声が船内に響くと同時に、アルカンシェルは猛炎に飲み込まれていた。灼熱の支配する格納庫の中は、宛ら溶鉱炉と言った風情で、溶けた壁やアルカンシェルが床一面に広がっていく。
アルカンシェル砲台の中には、爆風の熱で魔力炉が融点を越えて引火爆発してしまう物もあり、それらが隣の砲台に爆風を浴びせ、ついには連鎖的な誘爆をも生み出していたのだ。
格納庫内の監視カメラは全て爆発で壊れてしまったらしく、司令室のモニターには離れた位置の監視カメラからの映像が送られている。
内部の状況は分からないが、炎が渦巻き、今尚爆発が止まないその様を見れば、アルカンシェルの全滅を疑う者はなかった。
それは航行船の中で様子を見ているスカリエッティも同じであったが、もっとも彼の場合抱く感情は落胆ではなく狂わんばかりの狂喜である。
スカリエッティは、モニターをあらゆる位置のカメラ映像に切り替えて、青ざめていく局員の顔を見るのが楽しくてしょうがないと言った様子を見せた。
「ハハハハハハ! 滑稽だな諸君。そんなに怖いかね、この鉄人が」
しかしこれはまだ序の口。本当の闘いはこれから始まるのだ。アルカンシェルさえ破壊すれば鉄人への対抗手段はなくなったに等しい。
だがこのまま終えてしまっては面白くない。折角の余興、どうせならとことん時空管理局を破壊してやろうじゃないか。
この日は歴史に残る日となるだろう。次元世界の守護神たる時空管理局本局がたった一人の犯罪者の手によって落ちた日、その機能を完全に停止してしまう日。
自分をコケにしてくれた者達への復讐にこれほどの物はない。今後語り伝えられる瞬間は目の前にある!
「そう、今日こそが我が宿願成就の時! 後に語られるその名を『時空管理局制止する日』とは今日この日の事よ! ハハハハハハハハ!!」
「そしてその瞬間、我等ナンバーズこの眼に焼き付け、永久の時を過ごしたとしても忘れる事はないでしょう!」
跪き、待望の眼差しで見つめるウーノに、スカリエッティは椅子から立ち上がり、左手を肩に置くと右の手でウーノの顎を持ち上げた。
交わる視線は同じ金色の瞳。自分が作り上げた美しき戦闘機人ウーノ。もっとも愛着を持っている彼女の励ましは、実に気分を高揚させる物だった。
「ウーノ嬉しいよ。そうなればこちらも張り合いが出てくるという物」
「でもドクター、鉄人単騎で管理局を相手にするのはちょーっと厳しいのでは?」
水を差すようなクアットロの言葉にスカリエッティはまだ自分の温もりが残る椅子に座り直した。確かにもっともな意見かもしれない。
さすがの鉄人28号と言えど時空管理局本局の全戦力を相手にすれば、敗北の可能性がないとは言い切れなかった。
しかし強大な力であるからと言って正面からぶつけるのは知恵のない人間がする事である。有り余る力はおとりにもなるのだ。
それは伏兵を忍び込ませるには絶好の隠れ蓑になる。おそらく管理局は伏兵の存在に気がついてはいない。
仮に気が付いていたとしても、鉄人との対決に戦力を集中せざるを得ないから、どうする事も出来ないだろう。
そもそも見つける事など不可能と言っていい。何故ならそれはスカリエッティが作り上げたナンバーズの中でも最も異質な能力の持ち主。
「そうかもしれないねぇ。だが鉄人だけではないよ。なぁセイン」
『はいドクター』
通信をしてきたのは戦闘機人ナンバー6『セイン』その能力は無機物に潜航出来るディープダイバー。直接戦闘力は低いセインだが特殊工作員や偵察員として非常に優秀で、今日も本局の内部破壊の任務を負っていた。
既に本局への潜入を果たして、その内壁を泳ぐセインの背中にはスカリエッティ手製の爆弾が大量に入ったリュックサックが背負われている。小型ではあるが破壊力は抜群でセインの目標を爆破するには十分だった。
セインの目的はあくまで鉄人のサポート。本局の壊滅をより完全な物にして、復旧までの時間を引き延ばす事。本局の動きを止める事は、これからの行動に大きな意味を持つ事になる。
「ふふふ、機人に鉄人。これこそ完璧な陣形。さて、そろそろメインディッシュと行こうか」
スカリエッティが不敵に笑う頃、クロノとエイミィは今だ内部に留まる鉄人の動きを追っていた。モニターに表示される監視カメラの映像が次々に切り替わり鉄人を追跡していく。
進行を留めようと隔壁が展開されるが鉄人の腕力の前にはとても敵わず、引き裂かれ、こじ開けられてしまう。本局の魔道師部隊も鉄人を撃退すべく立ち向かうがいくら攻撃しても装甲に傷一つ付ける事すら出来ない。
色取り取りの魔力弾や砲撃が鉄人に着弾する度、弾け飛んでは光の粒子となって一帯を染め上げていく。その様子は幻想的であったが同時に、本局一面に広がる炎が現実を突き付けていた。
鉄人が通り過ぎた後に残るのは、燃え盛る炎と勇敢な戦士達の血肉。燃える赤と生臭い赤によって管理局は染められていった。
視覚を支配するのは、凄惨なまでの破壊の痕跡。嗅覚を突くのは、炎と亡骸が焼ける匂い。心を支配するのは、威風堂々たる姿で立ちはだかる者への恐怖。
尚も突き進む力に拮抗出来る手段があり得るのか、いいやそんな物は存在しない。ほんの数分前にはあったとしてもそれは既に灰へと姿を変えていた。
司令室で見つめるクロノが悔し紛れに拳を握り締める。するとエイミィに巻かれた白い包帯に徐々に赤い血が滲んでいく。
「あいつはどこへ向かって。エイミィ!」
「分かってる! このまま行くと」
先程地上本部襲撃の差にも使われた進路計算シミュレーター。場所を時空管理局本局に設定してエイミィは再び鉄人の進路を予想する。
「このまま行くと……まさか!?」
「どうした! 奴はどこへ!」
エイミィの様子から今日何度目か分からない悪い知らせである事を悟ったクロノは声を荒げた。エイミィは苦虫を噛み潰す様に言葉を発した。
「この本局の中心……メインシステム制御室」
「そんな、まさか鉄人はメインシステムを落とす気なのか?」
時空管理局を機能させるには全ステータスをカバーできる膨大なエネルギーが必要であり、まして宇宙空間に浮かぶ本局は酸素供給等のライフラインを確保するシステムが必要不可欠である。
地上と同じ酸素と重力を生み出し、さらには次元航行艦の発着に、管理局全体の通信機能、レーダー等の軍事的設備。全ての機能を使うには大量の電力とエネルギーを安定供給させるシステムを両立しなければならない。
そしてそれらの管理局が持ち得る全ての機能を統括するのがメインシステムである。生命維持機能、軍事設備、電力供給ユニット、それら設備毎に配された管理ユニットを管理統括するためのシステム。
それが万が一破壊されれば、一時的にではあるが管理局のシステム系統が完全停止する事を意味していた。もちろん制御用のサブユニットは用意されているのだが。
「そう、サブユニットの破壊はセインの出番と言う訳だ」
スカリエッティの戦略は、まず鉄人がおとりも兼任してメインシステムを破壊。その後も各設備の管理システムや重要施設等を攻撃する。その間にセインがディープダイバーを生かして発見されずにサブシステムを爆破。
たった2人で行う作戦だが、それには理由があった。まず第1に鉄人が内部に侵入したとなれば、当然これを撃破しようと全戦力が集中するからセインの存在が気取られる可能性はかなり低い。
第2に如何に戦力を集中しようと魔道師の攻撃で鉄人が破壊される可能性は極めて低く、全戦力を長時間鉄人に釘付け出来て、且つ攻撃に居も解さず破壊行動の継続が出来る事。
第3にセインの能力ディープダイバーは無機物の中を潜航する事が出来る。つまり目視による発見は非常に困難で、鉄人への戦力集中と合わせて手薄となった本局の至る所に移動出来る事。
如何にセキュリティーが厳しくとも壁の中を進まれては対応出来ないし、さらに鉄人に戦力を割かねばないから警備は当然手薄になり、セインに入れない場所はないと言っていいだろう。
万が一セインが局員に発見されてもディープダイバーで壁の中に逃げ込めばいいし、鉄人を救助に回す事も出来る。
これが下手にナンバーズ全員を投入してしまうと複数人が同時に捕らえられた時、救助が間に合わない可能性が高い。つまりこの作戦はセインと鉄人二人で行うのが一番効果的なのである。
そしてスカリエッティの思惑通り、本局は鉄人の対応に追われセインの存在に気付く事はなかった。
「最強の切り札だからと言って、単独で使うほど愚かな行為はない。それのサポート、さらに見合った戦術と運用と言う物があるのだよ」
逃げ惑う魔道師たちに問いかけるようにスカリエッティは実に愉快そうな笑みを浮かべていた。たった二人に落とされるというのはどんな気分か。
きっと煮え返るほど悔しいに違いない。反面それを見る襲撃者の表情はまるで子供の様に喜んでいるのだ。
「こんな事が……本局がたった1機に翻弄されるなんて」
しかし襲撃を受けている当人にとってはたまった物ではない。エイミィ・ハラオウンはただ呆然と鉄人が本局を破壊していく様子を見つめる事しか出来なかった。
壁を壊し、床を抜きながら鉄人が目指すのはメインシステム制御室。巨大なマザーコンピューターが置かれた空間は、システム警護のために配置された魔道師数十人が滞空して尚余裕のあるほど巨大な物であった。
時空管理局の全設備、全データを統括し管理するためにはこの規模の制御ユニットでなければ対応する事が出来ないのである。
もちろん万が一のために、これよりも小型のサブユニットがいくつか存在しているが、切り替え時には一瞬とは言え管理局全体のシステムがダウンしてしまう。
その一瞬が巨大な設備を兼ね備えた時空管理局という場所であるからこそ脅威となり得るのだ。再起動した各システムの動作チェックなどには何日も掛かる。
その間に敵に攻められれば、万全の態勢で迎え撃つ事は出来ない。だからこそメインシステムだけは死守しなければならないのだ。
『敵機接近! 頭上から来るぞ全隊射撃用意!』
メインシステム防衛を任された魔道師部隊の隊長が通信で、その場に居る全員に指示を飛ばした。
隊員達が迎え撃つべく神経を集中すると頭上から小さく聞こえてくるのは衝撃音。その音が少しずつ近付いて来るのを誰もが感じていた。
そして耳を塞ぎたくなるほどに音が大きく響いたその瞬間、突如天井が崩れ、瓦礫と共に落下してくる巨体が一つ。その光景に思わず声を上げる一人の魔道師。
「まさかこれが!?」
「ガオォォォォォォォ!!」
咆哮を上げた鉄人が目指すのは直下、そこにあるマザーコンピューター。そうはさせまいと魔道師部隊が一斉に射撃を浴びせるが装甲に弾かれてしまって効果はない。
そのまま鉄人は拳を構え自由落下に身を任せた。鉄人が持つ質量、そこに自由落下のスピードと敵を叩き砕くパンチ力が上乗せされているのだからその破壊力は想像を絶する。
マザーコンピューターと接触する瞬間、鉄人は自由落下のエネルギーを生かしながら風切り音を伴って拳を突き出した。
防御用に本体自体が堅牢に作られ、魔力障壁で守られているマザーコンピューターであったがこのパンチ力に抗う事は不可能である。
激しい衝撃音が辺りに響くと鉄人の拳が自身よりもやや小さい程度の巨大なコンピュータを貫通していた。鉄人の腕が突き刺さって開いた穴からは電流と炎が迸っている。
やがて電流と炎はわずかな時間で巨大な物となり、一際眩しく輝くとマザーコンピューターは内から爆炎を撒き散らして破裂した。
その瞬間、時空管理局をメインシステム停止を知らせるサイレンが鳴り響く。クロノが居る司令室でも電灯は落ちて部屋を照らすのは非常事態を告げる赤い光。
先程まで鉄人を映していたモニターも機能を停止して画面は黒く塗り潰されていた。
「やられたか!?」
「でもサブシステムがあるからすぐに復旧するはず」
焦るクロノを宥める様にエイミィは言った。事実その通りで、メインシステムが機能停止すれば自動的にサブシステムに切り替わるように作られている。
このサブシステムは複数個存在しており、さらにその内のいくつかが機能停止しても管理局の機能をある程度は維持出来た。
エイミィの言う通り、メインシステムの機能停止から10秒程度でサブシステムへの切り替えは円滑に行われ、部屋を照らす電灯と鉄人を映すモニターも復旧した。
しかし画面に現れたのは燃え盛るマザーコンピューターだけで、肝心の鉄人の姿はどこにも存在しない。
「鉄人が消えた……ん? こ、これは!?」
エイミィは鉄人の所在を確かめようとサーチを起動し掛けたが何かに驚いたように手を止める。それを見つめるクロノは訝しげに問い掛けた。
「どうしたんだ?」
「サブシステムが……次々に停止していく」
自分で放った言葉にエイミィは凍りつく。彼女の使うモニター画面に表示されるのは、1番と2番サブシステム停止を告げる警告文。
次々に目まぐるしい速度でサブシステムが停止していき、その事実をただ淡々と表示する画面。
もしもサブシステムまで停止したら本局は完全に制御系統を失う事になる。そうなれば内部に入った鉄人への対抗手段を完璧に無くす所か、生命維持のライフラインまで断たれる事になる。
ライフラインが切断されると言う事は当然重力発生や酸素生成等、人間がこの本局で過ごす上で必要不可欠な環境を失う事に直結しているのだ。
「鉄人の仕業か!?」
「いや違う。これは、これは鉄人じゃないよ!」
エイミィの言葉にクロノは動揺を露わにする。鉄人ではないのなら一体誰が。そしてクロノの中で1つの可能性が浮かんで来た。
「まさか伏兵が居たのか……」
クロノは今更伏兵の存在に気が付いた自分を恥じていた。鉄人は武装を装備していないから広範囲を瞬時に破壊する事を不得手としている。
アルカンシェルの破壊にわざわざ爆弾を持ち込んだ事からもそれは明らかだった。つまり目立つ鉄人をメインシステムに向かわせる事で伏兵の存在を気取られないようにする。
手薄になった警備網を伏兵が掻い潜り、重要施設を爆破する作戦。非常に単純だが鉄人と言う手札を使ったこの戦略は非常に効率的で、効果的な作戦だ。
「司令官! 鉄人28号発見! 発電施設へ向かっています!」
クロノが思案の最中、司令室のオペレーターの一人が声を上げる。今度はエネルギー供給を断つつもりなのか、クロノの頬を冷たい汗が伝い落ちた。
発電施設も非常事態に備えて複数設置されているが、鉄人であれば全て壊すのにも大した時間は掛からないだろう。
もし電力施設を全て破壊された場合、管理局は完全に機能を停止する事になる。備蓄された予備電源もあるがサブシステムが完全に破壊されれば切り替えるためのシステムが存在しない事になる。
「サブシステム損耗数6機! あっ5、4、3、どんどん破壊されていきます!」
「鉄人28号第1発電ユニット破壊! 今度は第2ユニットが爆破! 被害甚大です!」
「鉄人が第3電力ユニットに接近中! 第4ユニットは何者かによって爆破!」
「酸素生成設備が爆破されました! このままでは局内の酸素が」
「内部に火災が広がっています! 火の手が強くて消火活動が間に合いません!!」
「発電ユニット次々に破壊されています! このまま行くと本局が機能出来なくなってしまいます!」
次々に知らされる施設破壊の知らせ。もはや本局は機能停止寸前まで追い込まれていた。クロノは悟った、本局は完全に破壊されるのだろうと。
仮に重要施設の爆破を繰り返す伏兵を見つけ拘束したとしても鉄人による破壊を止める事は出来ない。全ての施設が破壊される時間が少し伸びるだけだろう。
既に敗北は、鉄人の本局への侵入を許してしまった時点で決まっていたのだ。例えアルカンシェルが使えたとしても本局に撃ち込むわけにはいかない。
始めから勝ち目などなかった。たった1機のロボット相手に次元世界を統括する管理局が敗北する。それは全世界が鉄人に屈したという証明でもあった。
たった1機に敗北。その事実を提示された局員達はついに戦意を喪失してしまったのである。そして突然クロノ達の居る司令室の機能は停止した。
「クロノ、サブシステム大破……システム完全停止」
暗闇が支配する司令室。そこに聞こえるのはエイミィからの報告の声だけ。サブシステムの大破、それは完全な敗北を意味していた。
酸素供給等のライフラインが断たれたも同然の状態。中に留まり続ければいずれ酸素がなくなり、死んでしまう事になるだろう。
そうなってはここに残る事が危険だ。敗北を噛み締める様にクロノが天井を仰ぐと通信装置にコールが入って来た。
この状況に置いて通信とはおそらく可能性は1つしかない。クロノは通信装置を開くと通話のボタンを押した。
「こちらクロノ・ハラオウン……はい、はい、はい了解しました」
3度相槌を打って何かを了承したクロノ。エイミィはクロノに向き直ると誰からの通信で何を言われたのか聞く事にした。
「クロノ今のは? なんて?」
「上層部からだ。本局を……本局を破棄する……。総員撤退準備」
本局の惨状を目の当たりにした上層部は全局員の撤退命令を出した。もはや留まって戦っても勝ち目がないと考えたのだ。
クロノは悔しさに歯を食いしばりながらもこの命令に従わざるを得なかったのである。仮に残ったとしてもそれこそ命を棒を振るような行為だ。
今は逃げて体制を整え、時が来たら反撃をする。それが上層部のそして管理局にとっても一番の最善策だった。
「ここに居る者は全員クラウディアに乗って脱出。さぁ退避準備だ」
クロノは意を決して自分の部下達に伝えた。これが最善策なのだと、今は全員の命を守る事が大事なのだと。
鉄人相手に、一矢報いるか、敵わなくともせめて一太刀浴びせてやりたかったが、指揮官として仲間の安全を蔑ろには出来ない。
「どうかね諸君、敗北の味は! ハハハハハハ!」
一方のスカリエッティは、そんなクロノ達を嘲笑うかのように満面の笑みで時空管理局を見つめていた。
1年もの間復讐を望んだ相手についに報いる事が出来た喜び、その美酒は今まで味わったどんな快楽よりも素晴らしい物だった。
後に『時空管理局が制止した日』と呼ばれる日。長きに渡り次元世界に君臨した組織が壊滅した日。それはJS事件から1年が過ぎた夏の日。
そしてこの日を境に、フェイトとなのはの運命が戦争という名の坂道へと転げ落ちていく事を二人はまだ知らない。
続く。