午前8時30分 時空管理局地上本部 鉄人28号臨時対策作戦室。

鉄人の本局襲撃から1夜明けて、本局を追われた局員が大挙して訪れた時空管理局地上本部。
だが人手不足と言われる地上本部でも本局の職員全員を納める事は敵わず、各管理世界の地上本部へと分散する事となった。
そして辛うじて大破を免れた地上本部に鉄人28号臨時対策作戦室が設けられ、はやて、ヴォルケンリッター、なのは、フェイト、クロノ、エイミィ、マリーの計10人が集められている。
しかし鉄人への対抗策を講じるために召集されたこのメンバーであるが、先程から作戦室を支配しているのは重々しい空気と沈黙のみであった。
そんな中、現場指揮官であるはやてが口火を切る。

「アルカンシェルは全滅。本局も復旧の目処は立っとらんし、ミッドチルダの死傷者の数も今だ不明。
まぁ数千~数万人の死傷者が出たんは間違いないやろうけど。とりあえず当面の問題はあの鉄人にどうやったら勝てるんか、やな」

はやての言葉がその場に居る全員に重く圧し掛かる。そう、管理局は敗北したのだ。
だが敗北を引きずるよりも勝利を得るにはどうするべきなのか。今すべき事は勝つための手段を考える事。
彼女達が暗い表情で対抗策を捻り出そうとする中、マリーだけは余裕のある表情を見せていた。

「ちょっといいですか?」

マリーの声にはやては向き直り、その微笑みを浮かべる様子に困惑の色を露わにしていた。

「ええ、どうぞ」

戸惑い気味にはやては促し、マリーは席から立ち上がると照明を落としてから部屋の前方に設置されたモニターを起動した。
するとそこに表示されたのは、昨日鉄人が破壊していた時のミッドチルダの衛星画像であった。
ミッドチルダ首都部の全景が移された画像をよく見ると何やら電流の様な物が鉄人に向かって真っすぐ伸びているのが確認出来る。
マリーは画像に映っている電流を指さすと自信を湛えた顔で話し始めた。

「これは鉄人28号出現時に観測された非常に強い電波です」
「電波?」

はやてはマリーの言葉に訝しげと言った表情で聞き返す。するとマリーは待ってましたと言わんばかりの笑みを見せて話を続けた。

「そう、これは鉄人28号の操縦電波です」
「操縦電波ってどういう事や?」

今だマリーの解説を理解し切れないはやてであったが、むしろマリーは説明する事が嬉しい様で、笑顔の表情を崩しはしなかった。

「つまり鉄人28号は外部から操縦されるロボットと言う事なんです」
「あのさぁ」

今度はマリーの解説にヴィータが小さい手を振り、疑問を持っている事を主張するとマリーは手を向けてヴィータの回答を促した。

「よく分かんねぇんだけどさ。外部操縦だと、どうだってんだよ」
「簡単に言えば、わざわざ鉄人と闘わないで操縦者を潰せばいいんです。操縦者は外に剥き出しな訳ですから」

マリーの言葉にヴィータの表情は晴れたような笑顔を見せる。そう、鉄人本体を倒す必要など最初からなかったのだ。操縦者を叩けばいい。
そしてヴィータ以外の者も勝利への可能性が提示された事に表情を綻ばせていた。
操縦者さえ確保出来れば鉄人を攻略出来る。それは絶望の淵に立たされたはやて達にはこれ以上ないほどの朗報であった。
マリーは皆の喜ぶ様子を笑顔で見つめていたが、話はここで終わったわけではない。マリーは鉄人への対抗策の説明を始める。

「えっとそれでこの操縦電波の周波数ですが現在解析中です。周波数さえ分かれば逆探知が出来ますからあとは」
「操縦者を捕まえる。勝てるでこれは」

そう言って笑みを浮かべるはやては勝利を確信した。鉄人がいくら強くても操縦者はただの人間だ。仮に敵が高ランク魔道師でもこのメンバーで一斉に攻撃を仕掛ければ逃れられる者など居ない。
だが問題が一つある。次に鉄人がどこに現れるかという事だ。それが分からなければ対処のしようがない。

「せやけど相手がどこに現れるか、問題はこれやな」

会議室の一同ははやての一言に同意していた。何せ目的が管理局の破壊なら既に達成されてしまったのなら次はどう出るのか。
今だ地上本部が残ってはいるが、はやては鉄人が地上本部の破壊を行うとは思えなかったのである。

「昨日鉄人はまず地上本部を襲撃した。せやけど完全に破壊するチャンスがあったのに鉄人はそれをせぇへんかった。
本局を壊滅させながら何故地上本部を残したのか? 私にはそれが理解出来へんのや」

はやての言う事はもっともだ。もしも時空管理局の転覆を狙っているのなら昨日の段階で地上本部も壊滅させるはずだ。
しかし犯人はそれをしなかった。つまり目的は地上本部の破壊ではなくもっと別の何か。
その場の全員が地上本部が生き残った理由について思案に耽っていると、それを払うようにクロノが一言発する。

「その件について何だが」

勿体ぶったような口調のクロノに、はやてはやや急かすような口調で催促した。

「なんか分かっとるんか?」

そう問われてクロノは戸惑った。何せクロノ自身確証のある自論ではないからだ。
もしも予想が外れていたら待望の視線を送る彼女達の期待を裏切る事になる。仲間の落胆する様子を思えば自信も削がれるという物だ。
クロノは期待の眼差しにプレッシャーを感じながらも重々しく口を開いた。

「ああいや、昨日本局で見てた時なんだが、あの鉄人は何かを持って飛び去ったんだ。
そう、地上本部のロストロギア保管庫。あそこにあった何かをだ」
「じゃあ鉄人はロストロギアを?」

何故ロストロギアを? そんなはやての問い掛けに答えたのはクロノではなく彼の隣に座るエイミィであった。

「クロノに言われて調べてみたんだけど、持ち去られたのは昨日の朝発見されたロストロギアらしいの。
なんでも廃棄都市の解体中に現れたらしくて、軽く調査をしてロストロギアの疑いありって事で詳しい調査までの間、保管処置にされたらしいんだけど」

エイミィの説明によれば昨日、廃棄都市で発見されたロストロギアを狙って犯人は鉄人で強奪に来たらしい。
しかし解せない。そんな物が発見された当日に盗まれるとはどう考えてもおかしいと思い、はやては考え得る仮説を口にした。

「そないな物を昨日の今日で盗んだ言う事か。せやけど一体どういう事や」
「だが問題は誰が盗んだかだ。そしてそのロストロギアが一体どう言った物なのか」

クロノの意見も、もっともな物である。確かに誰が何の目的でそのロストロギアを盗んだのか?
もしも強力なロストロギアであれば、それこそ鉄人と合わせてこちらの勝ち目はなくなってしまうかもしれない。
僅かな希望が見え始めた時に、姿を見せた絶望の因子。それを齎す者の名は。

「一連の犯人、スカリエッティかもしれへんな……」

はやてのその言葉に場の空気は完全に凍りついた。そう、誰もがその答えに納得したのだ。この事件はスカリエッティの犯行だと。
スカリエッティが脱獄してから既に1ヶ月が経過している。何かをする準備期間には十分だと言ってだろう。
それに鉄人28号。スカリエッティほどの天才科学者ならば、あれほどのロボットを作る事も不可能ではないかもしれない。

「もしもそうなら確実に捕まえなあかん。あの男の事や、ろくでもない事考えてるんは分かる」

はやての言に皆は頷いた。そう、何としてもあの男を捕まえなければ。こんな事をこれ以上許しておく訳にも黙って見ている訳にはいかない。
改めて一同が決意を新たにしていれば今だモニターの前に立つマリーが言う。

「今度鉄人が現れるなら必ずこの電波が確認出来るはずです。この電波を観測して追尾すればそこに操縦者と」
「鉄人が居る言う事か。よし私達は鉄人の襲撃に備えるで! なんとしても犯人を捕まえるんや!」
『了解!!』

今度はこちらが逆襲する番だ。そう胸に誓ってその場に居る全員がはやての言葉に返答の声を上げていた。
彼女達の視線に強い闘志が宿る中、ただ1人フェイトの表情だけは作戦会議が終わる最後まで曇っていた。

 

 

                                     ―魔法少女リリカルなのは 蘇る闇の書―
                                             第3話「鉄人28号奪還作戦」

 

 

会議が終わり、メンバーが解散した後。なのはは足早に退室したフェイトの様子が気になって彼女を追いかけていた。
少し歩いて廊下に見慣れた金髪を見つけるとなのはは、声を掛ける。

「フェイトちゃん!!」

その一言にフェイトは振り返ってなのはを認めると先程よりも不安の色を強くしているように見えた。
フェイトの様子にやはりおかしい物を感じたなのはは、フェイトの正面に立ち、真っ直ぐに真紅の瞳を見据える。
なのはは目を見ればフェイトの心境程度なら読み解く事が出来たのだ。そしてなのはが出した結論は不安と恐怖の感情。
ありとあらゆる負の感情がフェイトの奥に渦巻いているようになのはには感じられた。何故そんな眼をするのか、まるで初めて会った時の様な悲しい眼を。

「フェイトちゃん……私が傍にいるよ」

不安と恐怖は自分の笑顔で吹き飛ばそう、傍に寄り添う事で、抱き締める事で癒してあげたい。
なのははありったけの笑顔でフェイトに問い掛ける。

「そう……」

だけどフェイトの表情は一向に優れない。それどころか視線を逸らしてしまう。
どうしてそんな顔をするのか、どうしてそんなに辛そうなのか、なのはが考え付いた答えはフェイトが昨日見た悪夢。
それがフェイトを縛る鎖となり彼女を締めつけているのだろう。どれほど、もがいてもその鎖が断ち切れないからこんな表情をしているのだ。
俯いてなのはを見ようとしないフェイトは、彼女の横を通り過ぎて、そのまま歩き出してしまう。
なのはは、去ろうとするフェイトに追い縋るように声を上げた。

「フェイトちゃんの悪夢は私は撃ち砕くから!」

なのはのその一言にフェイトは上半身だけを彼女に向き直した。フェイトから見えるなのはの表情は確固たる決意を湛えているようだった。
その目じりには涙が溜まり、蒼々とした瞳をサファイヤの様に潤み輝かせている。

「フェイトちゃんを泣かせる物なんて私が壊すから! 私もフェイトちゃんを守るから! 私もフェイトちゃんの盾になるから!」
「なのは……」

フェイトが掛けてくれた言葉「この世の全てが敵だって君だけの盾になる」なのはも大切な友を守りたい想いは同じである。
しかしフェイトにとってなのはの言葉は喜ぶべき物とは言えなかった。自分を守るために無茶をされたら本末転倒ではないか。
本人は慰めのために言っているんだろうが、そんな事を聞かされる方は堪った物ではない。
とにかく高町なのはが無事で居る事がフェイト・テスタロッサ・ハラオウンが望む全てなのである。
だから誰よりも守りたい存在ではあれど自分を守ってもらう事などフェイトは望んでいなかった。

「そんな事……しなくていいよ」
「なんで!? ほっとけないよ! そんなに、そんなに辛そうなのに!」

フェイトの拒否をなのはが素直に受け入れるはずもなく、どうして守ってはいけないのか? そんな想いがなのはを満たしていく。
それを知ってか、それとも気が付かないふりをしているのか、フェイトはなのはに向き直ると一言。

「私は平気だよ。気にしないで」

そう微笑みを残すとフェイトは踵を返してから、なのはの元を去ろうとしていた。
なのはは追い掛けようとしたが、何故かフェイトの背中がそれを拒んでいるように見えたのである。
フェイトの様子になのはは、その場で立ち尽くして彼女を見送る事しか出来なかった。

「そう、自分の悪夢は自分の手で壊すから」

この役目を負うべきはフェイト自身。フェイトは自分の見た夢ならそれを打ち砕ける物は自分しかいないだろうとそう考えたのである。
なのはが死んでしまう悪夢を打ち砕くためなら、なのはを守るためなら、なのはの幸せと笑顔を守れるならどんな敵が相手でも戦って見せると。
だが、この選択が後に二人の運命を大きく狂わせていく事。そしてフェイトとなのは、二人の永久の別れがすぐそこまで迫って来ている事をまだ誰も知らない。



午前10時00分 ミッドチルダ山岳地帯

ジュエル・スカリエッティはこれからの活動用にミッドチルダの山奥にアジトを建造していた。
それは以前使っていたアジトと同じように、天然の洞窟を改造して作られた物である。
そのアジトの深部、特に大きなスペースを誇る格納庫にそれは眠っていた。そう、たった一機で管理局を翻弄した人型最高兵器鉄人28号。
格納庫は全体が金属製の壁板で覆われ、整備用の機械設備に満たされており、ここだけ見れば誰も洞窟の中に作られた物だとは思いもしないだろう。
その無機質な空間の中でスカリエッティは、眼前にそびえる巨大な姿に見惚れていたのだった。
立っているだけ、ただ立っているだけなのに、何と威厳に溢れているのだろうか。

「素晴らしい。まさかこれほどの力とは……連中が目を付けるのも頷ける」
「ですがこの力、奴等には相応しくありません。そう、ドクタージェイル・スカリエッティ貴方にこそ相応しい物です」

スカリエッティの後背、そこに立つウーノは嬉々とした様子で語った。敬愛するスカリエッティが望んだ力。
ウーノにとってスカリエッティの幸せこそが己が幸福。スカリエッティの野望こそが己が夢。スカリエッティの傍に居る事が己が快楽。
狂喜を湛えた科学者に奉仕する事がウーノにとって生まれた意味にして生きるための理由その物。この身を捧げる事こそが何よりも幸せなのだ。
例え罵られようとも、この身に鞭を振るわれようとも本望! スカリエッティの行動その全てががウーノにとって愛しく堪らないのである。
スカリエッティはウーノに振り返ると優しい視線を投げ掛けながら言を発した。

「ウーノよ。君にも苦労を掛けたねぇ。私のためによくここまで尽くしてくれた」

スカリエッティが感謝の言葉を述べている。それはウーノにとって何よりも望んでいる言葉。親愛なる男から掛けられた労いに、ウーノはスカリエッティの前に跪いた。

「いえ苦労などと! 私はドクターのお傍に居られる事だけで幸せなのです。ドクターの為なら、例え我が身が地獄の業火に焼かれようとも構いません!」
「君の様な腹心が居て私は幸せだよ。さて、本局も潰した事だしそろそろあれの回収を進めねばなるまい」

スカリエッティは眼前の鉄人を見上げると邪悪な微笑みを浮かべて、昨日の夜を思い出していた。
管理局を壊滅させた楽しい時間。本局が炎に包まれる中、慌てふためく本局魔道師と管理局員達の滑稽な立ち振る舞いは見ていて実に愉快な時間だった。
そして地上本部から持ち出したロストロギア『封印カプセル』これこそが世界に最後を齎す破壊の力。

「ではドクター」

跪いたままウーノは顔だけ上げてスカリエッティを見つめる。その表情に浮かぶのは終末を思わせる狂気の笑み。
だが、誰が見ても禍々しい感情をウーノは恍惚として見惚れていたのだ。まるで愛おしい物を愛でる様な柔らかな笑みで。
そして喜色満面の表情を見せるスカリエッティは、呟くようにしかしウーノの耳には届く大きさで発した。

「ああ今夜だ。今夜決着を。そう、世界が燃え尽きる日がもう、すぐそこに!」

無機質な天井を仰ぐスカリエッティとウーノ。思い描くのは間もなく訪れる最後の時。
破壊に支配された世界の様子は、スカリエッティにとって何よりも愉快な未来であるのだろう。
ただただ滅びの時を思い描いてスカリエッティは微笑んでいた。



午後19時10分 ミッドチルダ首都中央部。

ミッドチルダの夜は静寂に包まれていた。普段なら活気付いている時間帯であるが、昨日の鉄人襲撃事件の影響で街には人の姿は見られなかった。
昨夜の襲撃でほとんどの市民が外に出る事が危険だと思い家に閉じ籠っている状態なのである。
しかしはやて達にとってこの状況はむしろ好都合とも言えた。万が一鉄人との交戦になれば街への被害を気にしている余裕はない。
そうなれば自ずと犠牲者も出てしまうかもしれないが、これだけ閑散とした街であれば市民への被害を考えずに心置きなく戦えるという物だ。

「さぁどこに居るんや」

そう呟いた八神はやては、高層ビルの屋上から双眼鏡で街を見下ろしていた。
今から約10分ほど前に、鉄人の操縦電波と思しき電波がミッドチルダの首都中央部で確認され、はやて率いる捜査チームが偵察に来たのである。
今回のメンバーは隊長のはやて。それからヴォルケンリッターシグナム、なのはにフェイトである。
ヴィータも作戦に参加すると言い張っていたのだが、昨夜の戦いでグラーフアイゼンが大破したため、はやての説得でクロノ達とバックアップに回る事となったのだ。
そしてほんの数分前に4人が現場に着いたのだが、こうして監視を続けていても一向に鉄人が現れる気配はない。
はやてが操縦電波の観測が間違いなのかと思い掛けたその時、僅かにはやての足元が揺れる感覚がしたのだ。一瞬何事かと思ってはやてが視線を落とすが足元には何もない。
やがてもう一度はやての立つビルが振動する感覚。今度は微かに地響きのような音も聞こえる。その音は確かに聞き覚えのある物で、さらに地響きは一定の間隔を保って徐々に大きくなっていった。
はやてが双眼鏡で眼下に広がす街に見やる。すると距離にしておよそ2キロほどの地点に激しい土埃が舞い上がっていた。
もしや思って、はやてが双眼鏡のズームを最大にして土埃の上がる地点を凝視してみると巻き起こる粉塵の中に見えたのは、巨大な体躯を持ったロボットの姿。
その姿にはやてが警戒心を強めた。あの姿を見間違えるはずがない。それは昨日自分達に辛酸を舐めさせた因縁の相手。

「あれは鉄人……鉄人28号」

そう、その巨大な鉄で出来た姿は、紛れもなく鉄人28号の物だった。リンディによればこの世に終わりを齎す者。世界を破滅へと導く大いなる力。
昨日自分達に敗北を与えたロボット兵器。このミッドチルダにおいてロボット兵器は実用化不可能のオーバーテクノロジーである。
しかしジェイル・スカリエッティは、実用化不可能と呼ばれた技術を振るって管理局に戦いを挑み、見事に勝利を得たのだ。
たった1機、たった1機のロボットに時空管理局本局は壊滅させられた。それは、はやて達にとって寝耳に水の出来事であり到底信じられる物ではなかった。
だが、それが真実だ。はやても本局壊滅の知らせを聞き、リンディの世界が滅ぶという言葉を実感せざるを得なかったのである。

「マリーさん、操縦電波は!」

とにかくあの化け物を今夜こそ仕留める。そう誓ったはやては通信装置を起動して地上本部から後方支援を担当しているマリーを呼び出した。
マリーの話によれば操縦電波を逆探知すればそこに操縦者が居るとの事である。つまりはそいつを叩けばいいのだ。
今回の作戦ではやて達は、地上本部の作戦司令室を借りており、そこでバックアップのメンバー達はエイミィとマリーを中心として操縦電波の逆探知を行っていた。
地上本部の作戦室は本局の物よりも狭かったが、形状は似ていてセクションごとに階層が分かれている。
司令室の前面には巨大なモニターが設置されており、電波の逆探知の結果が表示されているが、その結果は彼女達の予想とは全く異なった物であった。

「こ、これは一体……」

マリーが見た物、それはモニター状に無数に走る電波線。数え切れないほどの操縦電波が飛び交うこの状況は全くの想定外である。

「まさかダミーの操縦電波を」
「その通り!」

マリーの予想は操縦電波の逆探知を恐れた相手が、ダミーの操縦電波を大量に流して特定を困難にしているという物。
そしてモニターの光だけを灯にした部屋で声を紡いだスカリエッティは、青白く照らされた笑みを浮かべて、鉄人が街を闊歩する様子を見つめていた。

「鉄人が外部操縦式のロボットである事がばれるのは最初から想定内。だからこそ、こうしてダミーを流したという訳さ」

スカリエッティが流しているダミー操縦電波の数は数百を超える。その全てを解析して本物の位置を割り出すには、かなりの時間を有する事は明白であった。

「それに周波数も鉄人と全く同じにしてあるからね。よほど精密に検査しないと偽物かどうかも分かるまい」

そう、スカリエッティにとってこの計画は完全。あとは確実に仕事を片づければいい。早くもスカリエッティは確定的な勝利の余韻に浸っていた。

「そんな……また先手を取られるなんて」

呟くマリーの頭を過るのは昨日の本局壊滅の光景。結局スカリエッティに先手を打たれて何も出来ずに本局は壊滅させられてしまった。
どう足掻いても何をしてもスカリエッティはその先を行ってしまう。まるで手に取るようにはやて達の行動が予測され、突破口を巧妙に塞いでいく。
だが、そんな物に屈してなる物か! そう胸に秘めたエイミィはまだ希望を捨ててはいなかった。

「はやてちゃん。鉄人は操縦者が鉄人の見える場所で操縦するしかない。そうなれば」
「おのずと本物の場所は限定される」

エイミィのしたり顔の発言に、はやても微笑みを漏らしていた。エイミィはこの状況においても鉄人28号の弱点を冷静に分析していたのだ。
鉄人28号が外部操縦式のロボットなら安定して運用するためには操縦者が見通しのいい場所から操縦しなければならない。
このミッドチルダ首都部は高層ビルのジャングルだ。そうなればビルが遮蔽物になって鉄人の姿が隠れやすい訳だから操縦に適した場所は限定されてくる。

「せやったらおそらくは高層ビルからの操縦。鉄人がいる位置をよく見通せる位置のビルに犯人は居るはずや」

はやての推測に地上本部に居るエイミィも同意していた。エイミィは手元のキーボードを叩き、はやての予想したデータを入力する。
対象は首都部でも特に高く、尚且つ遮蔽物に邪魔されずに鉄人が居る場所をよく見通せる角度にあって操縦電波が発信されているビル。
エイミィが打ち込んだ条件に合ったビルが司令室の前面に設置された巨大モニターに表示されていく。

「はやてちゃん。条件に合うビルは10棟! 急いで捜索して!」

エイミィの知らせを聞いてはやては思案した。本当ならば今回のメンバーで一斉に奇襲して敵を確保したい所。
そもそも今回のメンバーが少数精鋭なのは奇襲作戦を仕掛ける前提があったからである。操縦者の場所が分かっているなら大隊を放り込んでもしょうがない。
敵が高ランク魔道師であれば、大隊を送り込んだら逆に動きを察知され、転移魔法で逃げられる可能性があるのだ。
だからこその少数精鋭なのだが、この状況では逆に人数が少なく、敵を探し出すのは困難であった。
それに4人しかいない戦力を分散させるのも非常に危険な行為である。相手が単独でも高い戦闘力を持っていれば確保どころの騒ぎではない。
だが、ここで鉄人を操っている犯人を取り逃がすわけにはいかないのだ。はやては意を決してなのは達に指示を出す。

「よし各自散開してビルを捜索するんや! 絶対に犯人を逃がしたらあかんで!」

その指示に後方に控えていたなのは、フェイト、シグナムがそれぞれ魔力光を纏って飛び出した。飛翔した3人は眼前に通信機を起動して、条件に該当するビルをモニター上に映している。
やや遅れて、はやても純白の魔力光を身に纏い空へと舞い上がって行った。彼女も通信機を起動してビルを画面上に表示する。
それぞれ捜索対象のビルには1~10までの番号が振られており、はやてはそれを見ながらどのビルに誰を送るかを検討していた。

「みんなよく聞いてな。私は1番ビルを捜索する。なのはちゃんは2番。フェイトちゃんは3番。シグナムは4番や。
各自探索終了後、状況を報告。もしもそこに操縦者が居なかったら私がまた指示するからそのビルへ向かってな。ええか?」
『了解!!』

10番までのどのビルに犯人が潜伏していてもおかしくはない状況。はやては結局番号順にビルを捜索する事にしたのだ。
犯人潜伏の可能性が10か所とも同程度ならこの判断も妥当と言えよう。なのは達はそれぞれが持ち得る最高速度で捜索対象のビルへと向かった。
しかし犯人にこちらが見つかってしまっては奇襲の意味がなくなる。そのためなのは達は首都部の全貌を捉えられるほどの高高度を飛行していた。
そんな中はやては、いち速く捜索対象であるビルの頭上1000メートルほどの位置に到達。はやては通信を地上本部の回線に繋いだ。

「こちら八神はやて。捜索対象のビルに到着。エイミィさん犯人の潜伏している階は分かりますか」

エイミィははやてからの通信が入るや否や甲高いタイプ音を鳴らしながらキーボードを高速で叩いていた。
その指は餌を懸命に啄ばむ鳥の様で、モニター上に滑るような速度で次々に電波逆探知の結果が表示されていく。
やがて電波の逆探知が完了し、ビルの66階付近から操縦電波が発生しているという事が判明した。

「そこの66階! そこから電波を観測!」
「了解! 突入します!」

エイミィからの通信に、はやては単独での突入を覚悟した。はやては、単独戦闘を得意としてはいないが、なのは達もそれぞれ別のビルを捜索している。
仮にこのビルから発信される操縦電波がダミーであった場合、貴重な時間を無駄にしてしまうのだ。
もしここに犯人が居ても、なのは達の足ならこのビルまで数分と掛かるまい。はやてもその程度の時間稼ぎなら高ランク魔道師相手にも出来る自信があった。
はやては、突入の覚悟を決めると上空から一気に急降下した。先程までいた場所には漆黒の羽が滞留し、空気を切り裂く音が高速で飛行するはやての耳を劈く。
だが、はやては速度を緩める事なく目標の階まで近付いて行き、そこに辿り着くと進行方向をビル側へ急転換。
そのままのスピードで、はやては両腕で顔を庇うとガラスを突き破って目標である66階へと突入した。
猛スピードでビル内に突入したはやては、でんぐり返しの要領で何回転かして突入時の勢いを殺し、片膝をついた状態で静止するとすぐに愛杖であるハーケンクロイツを構える。
しかしそこは会社のオフィスらしい様子で、机が規則的に配置されているだけで誰も居なかった。どうやら犯人はこの部屋にはいないようである。
はやては立ち上がって走り出すと突入した部屋の扉を十数cmほど開けた。扉の隙間から外の様子を窺うも誰も居ない。
そのまま扉を開けて廊下に出たはやては足音を殺しながら走り始める。少し走ると、はやての目の前に扉が見え、そこに犯人が居るかもしれないと考えたはやては勢いよく扉を開けた。

「なんや?」

しかしはやてが扉の中で見たのは、からっぽの部屋に置かれた2メートルほどの金属製の装置。
形状は円柱状で床にしっかりと杭の様な物で固定されており、本体にはミッドチルダ語で「ドカーン!!」という文字が白いペンキで書かれている。
状況を飲み込めないはやてが部屋の中を見渡すと他にも小型のアンテナ装置が設置されており、はやてが通信機を起動して操縦電波の送信位置を確認するが、間違いなくこの装置から送信されていた。
その状況にはやては愕然とする。額には脂汗が滲み出て、頬には冷や汗が伝っていた。動揺からその濃い蒼の瞳孔は収縮と拡大を繰り返している。

「やられた」

全てを悟ったはやてがそう呟いた時、円柱状の装置から眩い閃光が走り、その刹那ビルの66階部分を猛炎が支配した。
爆発の衝撃でその階のガラスは粉々に砕け散り、ビル内に収まり切らなかった炎流がガラスの割れた窓から激しく噴き出している。
そして突如響いた爆音に離れた位置に居るなのは達が目をやる。数瞬の時間状況を理解出来ずにいたが、すぐに気が付いた。そう、爆発したビルがはやての突入したビルであった事に。
その様子は地上本部でバックアップを務めるエイミィ達の元へも届けられていた。巨大なモニターに映るのは変わり果て炎に包まれるビルの姿。

「はやてちゃん……そんなぁ……」

目に涙を浮かべながら、俯いて拳を握り締めるエイミィ。その場の誰もが同じような反応を見せており、クロノも沈痛な表情を浮かべて肩を震わせていた。
ヴィータに至っては、呆けた顔でその場にへたり込むのが精一杯で、何かしらのアクションを起こす事も出来ないでいる。

「ハハハハハハ! やはり短絡的だな八神はやてぇ!」

燃え盛るビルをモニター越しに見つめて薄暗い部屋にスカリエッティの高笑いが響き渡っていた。

「わざわざその場に行って操縦するわけがないだろう! そんなことにも気が付かんとは愚かを通り越して道化と言った所かぁ!? ハハハハハハハハハハハ!」

燃え盛るビルの付近、そのすぐ傍を飛ぶ数台のガジェットドローンの姿。スカリエッティは本拠地からこのガジェット達から送られて来る映像を頼りにして操縦を行っていたのだ。
敵が操縦電波の存在に気が付く事は予想が付いていたし、操縦者が見通しのいい場所から操縦している事がばれるのも想定済みである。
だから現場の近場にダミーの電波発信機。はやて達が探しそうな操縦に適したビルには爆弾を設置しておいたのであった。
この映像送信用のガジェットにもクアットロの固有技能『シルバーカーテン』が施されており発見は非常に困難であり、スカリエッティの作戦が気取られる心配もない。

「あ……あ……主はやてぇぇぇ!!」

そして現場でその光景を見たシグナムの激しい感情が叫びとなって喉から発せられると、彼女は犯人の捜索など忘れて爆風が今だ渦巻くビルへと飛翔した。
亜音速にも迫ろうというスピードでビルに辿り着いたシグナムは、最も炎が激しく損傷の酷い部屋を選ぶとそこへ飛び込んだ。
爆心地と思しき部屋は完全に焼かれており、炎と黒煙と瓦礫以外の物は何もないように見える。しかしシグナムはその中にはやての姿を見つけようと懸命だった。

「はやて! はやてぇ! 返事をしてください!! はやてぇ!」

声帯が張り裂けんばかりにシグナムは声を上げて主の名を呼ぶ、しかしその声に答える者はそこに居なかった。
瓦礫の下に埋まっているのではないかと思い、肉体強化を最大にして瓦礫を退かしていくがはやてを姿を見つける事は出来ない。
まさか爆発で身体がバラバラになってしまったのか。シグナムの脳裏を主の死と言う最悪の可能性が過ぎる。そしてそれは普段冷静沈着なヴォルケンリッターの騎士を狂気させるのは十分な物だった。

「鉄人……鉄人28号ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

怒りのぶつけ所の分からなくなったシグナムは咆哮と共にレヴァンティンを構えて鉄人へと突撃していく。その様子を見たなのはとフェイトもシグナムに追従した。
冷静さを欠いた状態で勝てるほど鉄人は弱い相手ではない。闇雲に攻撃を仕掛ければ返り討ちに合う事ぐらい簡単に予測が付いた。

「シグナムさん落ち着いて!」
「シグナム!」

なのはとフェイトが制止の声を掛けるがシグナムの意識にその言葉が入り込む事はない。目の前の憎い敵を斬り裂く! もはやシグナムにはそれ以外の事を考える事は出来なかった。
仕方なしになのはがバインドでシグナムを止めようとするが、既に鉄人が突進してくるシグナムに対して戦闘態勢を取っていた。
もしもバインドでシグナムを縛ればその隙に鉄人がシグナムを殺してしまうだろう事は想像に難しくない。
鉄人とシグナムの距離はもう100メートルもなく、なのはとフェイトはこのまま自分達も突撃して鉄人と戦う事を決意していた。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

雄たけびを上げながらシグナムはカードリッジを2発ロード、レヴァンティンの刀身に炎を纏わせ振り上げると鉄人との距離を詰め、斬り付ける。
だが鉄人は仁王立ちの体制から動こうとしない。シグナムはガードの体制さえ取らない鉄人に努色を強めると頭部に渾身の力で燃え盛る刀身を叩き付けた。
瞬間、甲高い金属音が響くが、鉄人の装甲が傷付く事はない。シグナムがどれほど腕に力を込めようと刃は微動だにしなかった。

「シグナムさん退いて!」

なのはの声にシグナムが振りかえると鉄人の30メートルほど上空で、なのはがレイジングハートを砲撃モードに切り替えてチャージを始めている。
いくらシグナムが頭に血が上っている状態と言っても、なのはの砲撃に巻き込まれれば確実に墜落するだろう事は理解出来た。
射線を開けるべくシグナムは急上昇、なのはは歯を食い縛りながらチャージを続行する。この砲撃はなのはにとっても賭けであった。
鉄人が飛行されれば一瞬で詰められる距離でのチャージ。しかし少しでも鉄人を撃破出来る、足止め出来る可能性があるならこれに掛けるしかない。
そう、操縦者を見つけるまでの時間が稼げればいいのだから。

「フェイトちゃんは操縦者を探して!!」

声を荒げるなのはに、その隣を滞空するフェイトは戸惑いを隠せないでいた。たった2人で鉄人と戦える訳がない。もしも自分が行けば確実に待つのは死。
フェイトの中で夢の光景が蘇っていく。それはなのはを失ってしまう恐怖。親友がこの世から居なくなってしまうのは、フェイトにとって絶対あってはならない事態だった。

「で、でもなのはとシグナムだけじゃ」
「行って!」

今にも泣き出しそうな顔をしているフェイトに、なのはが激を飛ばす。この中で一番速いのはフェイトだ。彼女なら9個のビルの探索に10分と掛かるまい。
なのはは、フェイトと言う魔道師をそして友を誰よりも信じている。もしもフェイトが操縦者を見つけられなければ殺されてしまうだろう。
だからこそ、なのははフェイトに命を預けたのだった。フェイトなら手遅れにある前に必ず操縦者を見つけてくれる。
今なのはに出来る事は時間を稼ぐ事。フェイトを信じて、この化け物相手に10分戦い、生き延びる事。

「行って! フェイトちゃん!!」

フェイトにしか鉄人を止める事は出来ない。なのはの執念にも似た感情をぶつけられたフェイトはようやく自分の役目を理解して飛び立とうとした。
意を決して全速力で飛び出したフェイトは雷光の様な魔力を纏い、満月が煌めく夜空へと飛翔する。まずは2番ビル、そこに向かって操縦者を探索する。
その様子をなのはが振り返りながら見送って、鉄人を捉えるべく正面に向き直ったその時だった。

「高町!!」

シグナムの悲鳴にも似た声が夜闇の首都に響き渡り、既に安全圏まで離脱していたフェイトが何事かと振り返ると。

「なのはぁ!!」
「て……鉄……人?」

なのはの正面、そこにそびえる鋼鉄の巨躯。呆然と呟いたなのはがその姿を認識すると同時に、シグナムが飛び出し、フェイトも方向を急転換する。
鉄人の姿に、なのはは死の恐怖を感じていたが、それ以上に戦う事を考えていた。今この距離で砲撃を撃てば鉄人に多少でもダメージを与えられるかもしれない。
それは限りなく0に近い可能性だったが、なのはにとってはフェイトが操縦者を探す時間さえ稼げるならそれでよかったのである。
シグナムも愛剣を振り上げ、鉄人に猛然と突き進んでいた。主の敵を討てるなら、少しでも時間を稼げるならそれでいい。
フェイトもバルディッシュを構えて鉄人に向かうがなのはとシグナムとの距離が離れすぎている。最高速で飛んでも2人が鉄人に攻撃を仕掛けるタイミングには間に合わない。

「ディバイン!」
「おおおおおおおおおおお!」

決して退かない、絶対逃げない! なのはとシグナムが鉄人に敢然と戦いを挑もうとした時、鉄人は両手を上げて構えていた。

「ガオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」

そして鉄人が耳を引き裂くような咆哮を上げた時、その鋼の身体から激しい電流が迸った。
青く光るそれは溢れんばかりに広がって、周りにあるビルに直撃するとその窓ガラスを次々に叩き割って行く。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

鉄人の周囲を電流が満たすと突如街に響き渡った若く可憐な声による悲鳴。その声の主を見たフェイトは泣き叫ばんばかりに声を上げていた。

「なのはぁぁぁ!!」

今なお続く鉄人の電撃、彼の数メートル圏内の距離に居たなのはとシグナムはその直撃を受けていたのだ。激しい電流の焼けつく感覚がなのはの白い素肌を冒していく。
ガラスを叩き割る電流の電圧は雷を上回ると言われているのだから、バリアジャケット越しとは言えその破壊力はとても人間の耐えられる物ではない。
やがて鉄人の電流は空中に青い粒子を残して止むとなのはとシグナムは力なく地上へと落下していった。
如何になのはのような高ランク魔道師と言えど、数十メートルの高さから受け身も取れずに落ちたら大怪我をしてしまう。
フェイトは、まずシグナムの落下地点にクッション代わりの魔法陣を展開、フェイト自身はソニックムーブを使ってなのはに向かって急速飛行する。
フェイトの雷光とも見間違えるほどの音速に迫る機動は、地面から1メートルほどの距離でなのはを横抱きにキャッチして着地。少し遅れてシグナムも魔法陣のクッションで落下の衝撃を和らげていた。
着地して、しゃがみ込んだ状態のフェイトに抱かれているなのはの身体からは白煙が上がり、フェイトの手に焼けるほどに熱せられたなのはの体温が伝わってくる。
なのはの身体は痙攣を起こし、瞳孔も完全に開き切っている。痙攣に交じって時々喘ぎ声にも似た声を上げて身体を大きくビクつかせたりもしていて、傍目に見ても危険な状態であった。
フェイトは懸命になのはの体を揺すり、彼女の意識を取り戻そうとしていた。

「なのはぁ! しっかりして! 目を開けてよ! なのは!!」

抱き締める身体に力はなく、なのはの痛々しい姿にフェイトは嗚咽を止める事が出来なかった。
涙をぼろぼろと流してフェイトは、なのはの燃えるように熱くなった身体をより強く抱き締めると、その豊満な胸に顔を埋めた。
フェイトの行動は、もはや現実など見たくないという心理の表れ。なのはの胸に隠れて、ただ状況をやり過ごそうと必死なのである。
最愛の友が自分の目の前で墜落したショック。夢の中の出来事が現実を侵食していく感覚。それはフェイトの戦意を奪うには十分過ぎる物であった。

「なのはぁ……なのは……起きてよぉ……」

心が砕けかけたフェイトにとどめを刺そうと上空から鉄人がゆっくりとフェイトの前に降り立った。ガジェットの送る映像で様子を窺うスカリエッティは実に満足げな表情を浮かべている。

「1年前のあの日、君は随分私を痛めつけてくれたねぇ? だが、君は私にとって可愛い子供の様な物。せめてもの情けだ。大好きななのはと一緒に葬ってやろう」

鉄人は右の拳を振り上げてフェイトとなのはに狙いを定める。何かを感じたフェイトが顔を上げると目の前には巨大な拳で狙い澄ましている巨人の姿。
この時フェイトは全てを悟っていた。自分は死んでしまうのだと。鉄の化け物に殺されてしまうのだと。なのはを守る事が出来なかったのだと。
こんな近くまで距離を詰められた状態で、なのはを抱いて退避するのは現実に考えても不可能に近い。
フェイトは諦めたように顔を上げると視線の定まらないなのはを顔を見つめた。そして優しく、けれどしっかりとなのはの身体を抱き締める。
これが最後の抱擁になるのだから、痛みに震えるなのはを少しでも楽にしたいから、最後の瞬間も触れ合っていたいから。

「ごめんね。私弱くて……」

そっとフェイトが呟いた瞬間、鉄人はその鋼鉄の拳をフェイト達目掛けて突き出した。
フェイトは瞳を閉じて、間もなく訪れる死を受け入れるしかない事に絶望していた。大切な親友を守れない自分。弱くて、情けなくて、無力。
死後の世界はどんな風になっているのか。こんな暗闇が支配する世界なのだろうか。そんな世界になのはを連れて行きたくない。
だけど抗う力なんて持ってない。この悪夢を討つ砕く力なんてない。力が欲しい、どんな敵をも砕く力が。
フェイトは暗闇で願い続けたのだ。力が欲しいと、なのはを守れる力が欲しいと、大切な友達を守れる力を手に入れたかった。
願い続けるフェイトの肌に押し付けられるような空圧と巨大な轟音が近付いてくる。この空圧がもっとも強くなる時、この轟音が耳にもっと深く入り込む時、その時自分は死ぬ。
もうフェイトは生き残る事を諦めていた。暗闇の中で死が近付いて来るのを待つだけの時間、永遠の様で一瞬の様な時間。
死はすぐそこまで近付いている。この場に守ってくれる人は居ない、居ないはずなのに何故だろうか。フェイトは背中に温かい物を感じていた。
腕に抱くなのはではない。ならこの温もりは何だろう。それは自分にとって大事な人の物によく似ていた。

「母さん……助けて」

フェイトが温もりの正体に気が付いて呟いた時、凄まじい金属音と衝撃を纏った暴風がフェイトの身体を打ち付けた。
自分は死んだのだろうか、そう思うフェイトだが身体に一切の痛みはない。不思議に思ってふと眼を見開くとそこにあったのは。

「な、こ、これは!?」

フェイトの目の前にあったのは自分に向けられた鉄人の拳、そしてフェイト達を守る様に鉄人の拳を阻む巨大な黒い手。
何事かとフェイトが振り返ると巨大な体を持った黒い巨人が立っていた。

「ギュイィィィィィィィィ!」

独特の咆哮を放つ黒い巨人は、鉄人に匹敵する体躯と黄色く光る眼、頭頂部に赤い逆三角のカラーリングの施された頭部に2本の角の様な物を持ち、そのシルエットはまるで無敵の兵士を阻むあらぶる黒牛の様である。
その姿にフェイトは驚愕以外のリアクションを取る事が出来ず、ただ呆然と2体の巨人が向かい立つ姿を見つめるしかなかった。
この突然現れた黒い巨人の存在は、クロノ達の居る地上本部のモニターとガジェットが送る映像を見て操縦しているスカリエッティにも届けられ、彼らも驚きを隠せないでいたのである。
クロノはあまりの出来事に唖然とし、エイミィは泣き腫らした顔を上げ、マリーは新たなる興味の対象が現れた事に歓喜し、スカリエッティは額から冷や汗を流していた。
特にスカリエッティにとってこの突然の襲撃者は完全に想定外の物で、さすがの天才科学者もごく僅かではあるが焦燥を覚えていたのであった。
しかし計画に変更はない。スカリエッティは操縦機で鉄人の出力を上げる。すると黒い巨人は足元のアスファルトを削りながら鉄人の怪力に徐々に後退していった。
だが突如黒い巨人の眼が光り、黒い剛脚が力強く一歩を踏み出す。すると今度は鉄人がその力に押されて後退していく。
作戦司令室のモニターに映るその様子をクロノは信じられないと言った様子で見つめていた。

「な、なんて力だ。鉄人と互角に渡り合っている」

それは鉄人に対抗する力の出現と言う考えられない状況であった。たったの1機で時空管理局本局を壊滅させた鉄人と互角の力。
今ミッドチルダには世界を変える程の力が、時空管理局本局を相手に互角に戦える程の力が2つ存在しているという事になる。
そんな事があり得るのか、地上本部司令室に居る全員がただ呆然として鉄人と闘う黒い巨人の姿を見つめていた。

「そんな、鉄人に匹敵するロボットはもう残っていないはず!? それなのにどうしてあんな物が!? 」

それはスカリエッティも同じであった。突然現れた鉄人と匹敵するロボットの姿。普段は冷静さと冷酷さを併せ持つスカリエッティだが今回ばかりは意表を突かれたと言っていい。
黒いロボットは、鉄人の拳を掴む手を思いっきり突き出した。その勢いに鉄人は後方へ吹き飛ばされ、転倒を防ぐために両足を肩幅よりも広げ、衝撃に耐える。
鉄人の身体が制止すると同時に黒いロボットは両手を開いて前へ出すと指先に銃口の様な穴が開き、そこから黒い霧を噴出し始めた。
霧は残留性が高いらしく地面から空中へと滞留しながら広がって行く。そして霧は瞬く間に鉄人と黒いロボットの周囲を完全に覆ってしまった。
濃い黒の霧は目くらましなのか、霧の中に取り残されたフェイトは数メートル先も見る事が出来なかった。
遠く離れた自分のアジトで鉄人を操縦するスカリエッティも霧で機体を隠され、思うように操縦が出来ない状況である。
そして鉄人の姿を写すはずのモニターにも突然ノイズが走り始め、スカリエッティは戦いの状況を知る手段を完全に失っていたのだ。
焦ったスカリエッティはモニターを調整して状態を回復させようとするがまるで効果がない。原因不明の不調にスカリエッティは困惑した。

「映像が映らん!? あのロボット一体、一体何を!」

完全に翻弄されているスカリエッティと同じく現場でその様子も見るフェイトも現在の状況を掴み切れずに恐怖を覚えていた。
霧の中からは激しい金属同士の衝突音が何度も聞こえており、その音が周囲に轟く度にフェイトの不安を煽るのであった。
一体この霧に中で何が起きているのか、あの黒いロボットの正体は? 先の見えない暗黒でフェイトはただ不安に身を委ねるしかない。
やがて一際強烈な衝突音が響くと黒霧を吹き払うように鉄人の巨体が宙を飛んでいた。黒いロボットの右拳は伸び切っており、おそらくその拳が直撃した結果なのだろう。
力なく滞空する鉄人は、黒いロボットの位置から30メートルほど先の地面に墜落。その衝撃にアスファルトは悲鳴のような激突音を上げて大きな陥没を作った。
それはまるで隕石が地面に衝突したかのような光景で、フェイトが座り込む地面にも地震と取り違えてもおかしくない程の巨大な振動が伝わってくる。

「な、なんという。これほどの物とは……」

ノイズが走るモニターでも鉄人が殴り飛ばされた事はスカリエッティにも十分に理解出来た。
普通に考えれば鉄人を相手に、その身を遠方に殴って飛ばすなど通常のロボットに出来る物ではない。
出来るとしてもそれはロボットの中でもほんの一握りのロボットに限られるだろう。そして恐らく鉄人と対峙するこのロボットはその一握りの中の一体。

「それにあの霧……電波撹乱か」

モニターの不調の原因。それはあの黒い霧が空気中に多量に散布された事による電波障害であるとスカリエッティは睨んでいた。
もしもそうだとしたら霧がある以上、モニターの映像が回復する事はないのだから、戦闘は鉄人と黒いロボットの動きが把握出来ない最悪の状態で行わなければならない。
鉄人と互角の力に電波撹乱機能。スカリエッティは敵の予想外の性能に驚嘆を覚える以外になかった。
このまま戦い続けても鉄人に勝ち目はないかもしれない。ここに来てスカリエッティは決断を迫られていた。

「仕方がない。鉄人退却だ!」

スカイエッティの一声に、地面に倒れたままの鉄人は起き上がると、ロケットエンジンを点火して空へと飛び去って行った。
その突然の出来事に、地上本部の面々は唖然呆然と言った様子。あの鉄人が敗走をしている。それは、その場の誰しもが想像しなかったが、誰もが望んだ光景であった。
現場で一部始終を見ていたフェイトも突然過ぎる出来事に開いた口が塞がらない状態で、逃げる鉄人と鉄人を倒した黒いロボットの姿を見つめる事しか出来ずにいる。

「あ、あれは……あれは一体」
「フェイト」

呆然と呟いたフェイトの後方から聞こえた聞き覚えのある声。その声にフェイトは思わず振り向いた。

「その声は、まさか母さん!?」

フェイトが振り向いた時、そこに居たのは彼女の義母リンディ・ハラオウンの姿。そのリンディの右肩に頼る様にしてやっとの思いで立っている八神はやての姿もある。

「それにはやて!」
「無事か、フェイトちゃん」

驚きを隠せないと言った様子で声を上げるフェイトに、はやてはおどけた笑顔を見せながら左手を振っていた。
先程このビルの爆発に巻き込まれたはやての騎士甲冑は所々破れ、そこから本来見えるはずの美しい白い素肌も今は傷だらけで真っ赤に染まっている。
騎士甲冑とセットの帽子も頭からの流血で赤く染まり、完全に閉じられた左眼からは涙の様に血を流していた。右目は開かれているがやはり出血が見られ、内臓を傷つけたのか口からは鮮血が滴っている。
まるで絵に書いたような満身創痍のはやてをリンディは申し訳ないと言った様子で見つめていた。

「本当に大丈夫はやてさん? ごめんなさいね、来るのが遅れて」
「大丈夫です、ゴフッ! はぁはぁ……もう少し、早いとよかったかも……しれませんが、ガッ!ゲホゴホッ!あふ……はぁはぁ……あかんさっすがに全身痛いわ」

咽る度に血を吐き出し、喘息の様な息遣いのはやての背中をリンディはそっと撫で始めた。よくこんな状態になるまで戦ってくれたと敬意を込めながら触れるように優しく。

「あの本当に大丈夫なんですか? 早く病院に行った方が」

今にも死んでしまってもおかしくなさそうなはやてを心配するのは少年の声。フェイトが聞き覚えない声に目をやるとリンディの隣に一人の少年の姿があった。
年齢は10歳程度、整った顔立ちに黒い髪。グレーのジャケットに赤いネクタイ、濃いグリーンの半ズボンと服装からしても如何にも育ちの良さそうな少年である。
この場に似つかわしくない少年の登場にフェイトは動揺を隠せないでいた。それに黒いロボットの正体も気になってしょうがない。

「母さんこれは一体どういう! その子は? それにあのロボットも」

フェイトの問いにリンディは戸惑いを覚えていた。そう、全てを話せばフェイトの人生に暗雲が立ち込める事となるだろう。
だがそれでも言わねばならない。この事件の真相にまつわる事を。それが我が子を苦しめる事になろうとも言わねばならないのである。
だがリンディは、それを表情に出そうとはせず、あくまで淡々とした口調でフェイトの問いに答え始めた。

「紹介するわね彼は金田正太郎君。あの鉄人と黒いロボットの操縦者よ」
「えっ! て、鉄人の! こんな小さい子が!?」

リンディから語られた真実。それはこの幼い少年があのロボット鉄人28号の操縦者であるという事実。
しかしどうしてリンディと面識のありげな少年のロボットが自分達を襲うのか。そして何故自分のロボットと戦っているのか。フェイトにとって疑問の尽きない答えであった。
だがそんなフェイトの様子を見ながらもリンディは変わらぬ口調で語り始めた。

「そしてあの黒いロボット。あれが鉄人28号に対抗し得る唯一のロボット。その名を黒い牛『ブラックオックス』」
「ブ、ブラック……オックス?」

リンデブラックオックスの名。それは鉄人に唯一対抗し得る力。これ以上の敗北は許されない。
これからリンディ達が手に入れるのは勝利。何としてもあの鉄人をスカリエッティの魔手から解放出ねば。
そのためのオックス、そのための正太郎。次に戦う時、それがスカリエッティの命運尽きる時だ。

「私達は今からブラックオックスと正太郎君に協力してもらって鉄人28号を奪還します!」

リンディが決意の声を上げるとフェイトは、ある確信を強くしていた。それはもしからしたら鉄人に勝てるかもしれないという淡い希望。

「鉄人28号奪還作戦」

フェイトが呟いたその言葉にリンディは頷く。そう、やられるばかりではない、今度はこっちの番だ。



午前8時30分 時空管理局地上本部医務室。

鉄人襲撃から1夜明け、その医務室ではフェイトを除く出動メンバーが治療を受けていた。
ビルの爆発に巻き込まれたはやては、左目眼底骨折に瞼の裂傷、肋骨が5本粉砕骨折、全身打撲と身体中に火傷と擦過傷を負っており、治癒魔道師でもある守護騎士シャマルから絶対安静を言い渡されていた。
はやて自身現場に出て戦いたくはあったが、この怪我では他のメンバーに迷惑がかかるだろうと治療に専念する事を決断。今はシャマルの看護を受けて地上本部に設置された治療室に入院している。
一方なのはとシグナムは、鉄人の電流の直撃を浴びていたが目立った外傷はなく、検査でも異常は見付からなかったが、一応療養のため数日の入院が決まっていた。
しかしなのはもシグナムも入院の命令に黙って従うような人間ではない。シグナムは無理を言って既に退院。なのはも退院の準備を進めていた。

「なのは本当に身体大丈夫? もう少し休んでも」

医務室のベッドに座るフェイトは、部屋に備え付けられたロッカーの前で教導隊の制服に着替えるなのはに声を掛ける。
本当なら数日は安静にしているべきなのだが、なのははいつ鉄人が現れるかもしれないとシャマルの反対を押し切って独断で退院手続きを取っていたのだ。
そんな状況に不安げな表情を見せるフェイトに、なのはは赤いタイを締めながら振り返ると笑顔を向けた。

「大丈夫だよ。ほら元気、元気!……いったっ!」

そう言ってなのはは両手で小さいガッツポーズを取って見せる。しかし直後、なのはの顔は苦痛に歪み、床に座り込んでしまった。

「なのは!!」

驚いたフェイトはなのはに駆け寄り、しゃがみ込んでその華奢な身体を抱き締める。フェイトより一回り小さい身体は痛みに震え、蒼い瞳は涙で潤んでいた。

「無理だよ。もう少し休まないと」
「でも戦わないと……」

何故戦おうとするのか。何故これほどまでになのはが戦おうとするのかフェイトには分からなかった。
これまでの戦いでなのはの身体はダメージが蓄積してきている。ゆりかご戦の後遺症も今だ治っておらず、その上昨日あれだけの攻撃を受けたのだ。
なのはの身体はゆりかごの後遺症だけでも数年の療養を必要とするほどにボロボロになっている。そこに昨日受けたダメージが抜け切らない状態で戦闘に出ればどうなるか。
恐らくその答えは戦闘経験のない素人でも分かる事だろう。満身創痍の状態で戦い続ければまた9年前の様な事になりかねない。
だが、それでもなのはは笑顔なのだ。痛みに耐え切れないだろうに、意識も朦朧としているだろうに。しかしなのはは、フェイトの不安を溶かすように笑みで彼女を見つめている。

「約束したでしょ? フェイトちゃんの悪夢は私が壊すって」

確かに昨日なのははそんな事を言っていた。だがフェイトはそれを断っている。無茶をしてほしくないし、自分の悪夢は自分で壊すとそう思ったからだ。
それなのに、なのはは笑顔で約束したと言う。でもそれはなのはが勝手に決めた事で約束なんかではない。頑なな、なのはの様子にフェイトは怒りと苛立ちを感じていた。

「だからそれはいいってば!」
「よくない! 守ってもらってばっかりは嫌だよ! 私だってフェイトちゃんが苦しい時には助けたい! 守ってあげたい!」

声を荒げるフェイトに負けじとなのはも声を張り上げる。譲れない意思のぶつかり合い、互いに頑固な面があるフェイトとなのはがこうなってはどちらかが引くという事はない。
普段冷静な時ならこんな言い合いには発展しないのだろうが、精神的にも肉体的にも追い詰められた2人に自分の意見を曲げたり、譲歩する余裕はなかった。

「私は別になのはに守ってもらいたくなんかない! 私はなのはが幸せで居てくれればそれで」
「嫌だよ! こんな辛そうなフェイトちゃん見たくない。フェイトちゃんが苦しんでるのに私だけ幸せになんかなれないよ!」

フェイトが腕に抱き締めるなのはの表情は苦しみに歪んでいる。だがそれは痛みにより物ではない。大切な親友が辛そうな顔をしているから、だから苦しかった。
昨日からフェイトは悪夢に苦しんでいる。彼女の話を聞けばあの鉄人が暴れる光景を夢に見たのだろう事は想像に容易い。
フェイトは、なのはにとって大切な人だから助けたい。もしも辛いならその重荷を自分にも分けてほしい。泣いてる顔なんか見たくない。
そう、昨日からずっとフェイトは泣きそうな顔を見せ続けている。なのはにとって身体を蝕む激痛よりもフェイトの悲しそうな姿の方が胸を締めつけるのだった。

「フェイトちゃんはヴィヴィオがさらわれた時、泣いてる私を抱き締めてくれて、励ましてくれて、だから私頑張れた。 
フェイトちゃんが傍に居てくれたから、フェイトちゃんが抱き締めてくれたから、2人で一緒にって言ってくれたから、私はフェイトちゃんが居てくれたから戦えたんだよ」

1年前のあの夜、ヴィヴィオがさらわれ、泣き崩れる事しか出来なかったなのはをフェイトは抱き締めていた。辛い物なら2人で背負おう、苦しみも2人で一緒に乗り越えよう。
なのはは、フェイトの前でだけ泣く事が出来たのだ。フェイトを誰よりも信頼してるから、この人なら自分を受け止めてくれると思ったから。
どんなに辛くても傍に居てくれる。何があっても助けに来てくれる。初めて二人で一緒に戦った時、初めてヴィータと戦った時、そしてヴィヴィオがさらわれた時。
なのはが辛い時、苦しい時、フェイトは必ず助けてくれた。傍に居て、命を掛けて守ってくれた。だからお返しがしたい。自分も守りたい。
フェイトにとってのなのはが誰よりも大切な存在なら、なのはにとってもそれは同じ事。大切な親友が苦しんでいるなら今度は自分がフェイトを助ける番なのだ。

「だから、フェイトちゃんを守りたい。ずっと私の事守ってくれたから。どんな時でも必ず守ってくれたから。
一昨日の夜誓ってくれたよね。私の盾になってくれるって。どんな時でも傍に居てくれるって。
私もフェイトちゃんに誓うよ。私もフェイトちゃんだけの盾になる。そして、フェイトちゃんを守るために全てを撃ち抜いて見せるから」

そう言ってなのはは、フェイトの胸に顔を埋めて身体を抱き締め返した。胸に伝わる優しい吐息と身体を包むその温もりにフェイトは涙が溢れそうになる。
そう、どうしてこんなになのはは、健気なんだろうと。初めて出会った時もなのははフェイトに声を掛け続けていた。名前を呼び続けて、助けようとしていた。
その理由はフェイトが寂しそうな眼をしていたから、たったそれだけの理由で高町なのはは、自分に刃を向ける相手を助けようと懸命になっていた。
なのはは、あの時から何も変わらない。大人になっても自分ではなく他人の心配ばかりする。自分の意志を曲げる事なく、相手のために戦い続けてきた。
たくさん傷付いて、こんなになるまで戦って、他人が助かればそれでいいという顔を見せる。そんななのはの無茶な所に、フェイトが今までどれだけ泣かされた事か。
自分なんかのために戦って傷付く姿なんて見たくない。だからフェイトはなのはの言葉を拒絶する事を決意した。

「私なんかのために戦わないでよ」
「なんかなんて言わないで!」

フェイトの呟いた言葉に、なのはは顔を上げると怒声をぶつけてきた。その表情は抑え切れる怒りが漏れ出しているように見える。
だがすぐに柔らかい笑みを浮かべると突然の怒りに唖然とした表情をしているフェイトを見つめながらなのはは、呟いた。

「自分の事をなんかなんて言わないで。私にとってフェイトちゃんは大事な人だから」

何故なんだろう。どうして自分の事をここまで心配してくれるんだろう。もうフェイトは何も言えなくなっていた。
そして笑みを浮かべたままなのはは、フェイトの腕からすり抜けて立ち上がる。今だ床にしゃがみ込んだフェイトに優しい視線を送るなのはだが、フェイトは目を逸らしていた。

「約束だよ。私もフェイトちゃんを守るから」

なのはの言葉にフェイトは無言で答えるしかなかった。それを見たなのはは医務室の扉を開け、フェイトを残して出て行った。



午前10時30分 時空管理局地上本部 鉄人28号臨時対策作戦室。

先日、はやて達が鉄人への対抗策を話し合った臨時対策作戦室。ここで鉄人へ対抗すべく召集されたメンバーが集まり会議を行っていた。
しかし重傷を負ったはやては欠席。代役としてリンディが作戦の指揮を執る事となった。
会議室に居るメンバーは、はやて、シャマルを除いて、昨日と同じメンバー。それから新たにリンディとそしてリンディが連れてきた正太郎、その隣に中年に差し掛かった男性が座っている。
正太郎と同様に男性も高級そうな四角い枠縁の眼鏡に仕立ての良い茶色のスーツを着ており、やはりそれなりの家柄の出身であろう事は、誰の目に見ても明らかであった。
突然作戦会議に現れたこの2人をその場に居る全員が好奇の眼差しで見つめているが、正太郎と男性はどうも居心地が悪そうにしている。
そんな様子に見兼ねたリンディは、言葉を紡ぎ始めた。

「改めて紹介するわね。今回私達に協力してくれる金田正太郎君と彼の後見人の敷島博士よ」
「よろしくお願いします」

年相応とは言えぬ落ち着いた物腰で正太郎は椅子に座った状態で軽く頭を下げる。その隣に座っている敷島も正太郎と同様の対応をした。

「彼、正太郎君は本来の鉄人の操縦者よ。そして博士は鉄人を作り上げた科学者の一人なの」
「あの~」

リンディの言葉に割って入る様になのはが小さく手を上げて言を発した。リンディは首を少し傾げながらなのはの方へと向き直る。

「どうしたのなのはさん?」
「正太郎君だよね? 君の操っていたあのロボットは一体」

なのはが漏らした疑問。それは昨日自分達を助けてくれたロボットの正体について。
リンディもよくよく考えればフェイト以外にその事を伝えていない事を思い出し、しまったという表情をしている。
あの戦いでフェイト以外のメンバーは鉄人にやられてしまったのだから、ブラックオックスの事を一切聞かされていない。
よくよく思えば当然とも言えるなのは達の疑問に、敷島が説明を始めた。

「ああ、あのロボットはね、ブラックオックスと言って、戦時中鉄人に対抗して設計されたロボットなんだよ」
「あの、戦時中ってどういう事ですか?」

戦時中、その言葉が気にかかってマリーは聞き返していた。そもそも鉄人やオックスの様なロボット開発技術は次元世界に存在しないと思われていた。
その技術が存在し、ましてや実用化されていたとなるとこれは次元世界の兵器の歴史が根底から覆る大事件と言う事になる。
マリーが科学者としての好奇心を纏わり付かせた目で敷島を見つめると、敷島はやや重々しく口を開いた。

「いやそれは……」

戸惑いを隠せない敷島にマリー達は訝しげな表情浮かべている。敷島は鉄人が作られた真実をどこまで話していいのか迷っていたのだ。
全員が好奇心を露わにして敷島を見つめているが、リンディは戸惑う敷島に本日2度目の助け船を出した。

「まぁその詳しい説明は後ほど。とにかく今は鉄人を取り戻す事が先決よ」
「でもどうやって取り返すのですか? 相手は遥か遠方から鉄人を操縦しています。操縦者が現場に居ない限り確保は困難ではないかと」

クロノの意見はもっともである。操縦者が現場に居ないのであれば確保は困難極まるだろう。
逆探知をすれば敵の本拠地を探り当てる事も不可能ではないだろうが、ダミー電波がある限り、結局昨日と同じ轍を踏まされる可能性もある。

「それについては問題はないわ。犯人は必ず現場に現れるはずよ」
「それは一体どういう」

自身に満ちたリンディにクロノは釈然としない物を覚えた。これほどまで勝利を確信する表情、一体どんな隠し玉を持っているだろうか。

「スカリエッティは必ず来る。私達はそれを抑えればいい」

やはりそうなのか。リンディの発言に作戦会議室のメンバーが心の中で頷いたのだ。一連の事件の犯人やはりスカリエッティ。
しかし同時に皆が疑問に思うのは、何故その事をリンディが知っているのか? もしも前もって知っていたならなぜ最初から教えてはくれなかったのか?
当然と言えば当然の疑問である。今のリンディの口ぶりはスカリエッティが今回の事に関与している事を知っている風であった。
リンディ自身も彼女等が疑惑を居抱いている事は肌に感じていたが、あえてそれに気が付かない振りをして言葉を紡ぎ始める。

「今夜必ずスカリエッティは現れるわ。私達は総力を結集してあの男を確保します」

今だ疑問は尽きないし、新たな協力者についても謎が多い状況。彼女達にとって不安要素ばかりが残ってしまった作戦会議であったが、今夜鉄人が来ると言うなら捕まえる。
これ以上被害を増やす訳にはいかないのだ。それに時空管理局のエース、エリートと呼ばれているプライドもある。
今夜全てに決着を。そう決意するメンバーであったが、まさかこれが終わりではなくこれから起こる戦いの始まりであるとはこの時、誰も想像していなかったのである。

午前11時10分 時空管理局地上本部 リンディの臨時オフィス。

「母さんこれは一体どういう事なの!? 私には全然分からないよ!」

本局壊滅の煽りを受け、鉄人への対応に際して指揮権を譲渡されたリンディは地上本部に臨時のオフィスを構えていた。
現在スカリエッティが狙っているのはミッドチルダにあるカプセルと呼ばれるロストロギアである事が判明している事から、地上本部に拠点を置く事が最善だとリンディは判断していた。
そんな真新しく清潔感溢れるオフィスで、リンディの養女であるフェイトは新品のデスクを叩いてリンディに詰め寄っている。
会議が終わってから数時間の後、リンディが何も語ろうとしない事に腹を立てたフェイトがオフィスに押し掛け、現在ではこのような状況になっているのだ。

「ええそうね。確かに。でもねこの世には知らない方がいい。そういう事だってあるのよ」

だがそれでもリンディは、はやてに話した時と同じく真相を語ろうとしなかった。それは彼女達、未来のある者を暗い闇の支配する世界へと招かないため。
もしも一度踏み入れれば二度とそこから出る事は敵わない。未来永劫、罪を背負い生きていかねばならないのだ。
それは到底常人に耐えられる物ではない。まして若く活力に満ちた若者に話すような事ではないのである。

「でも母さん! 私は何も知らないよ、分からないんだ。正太郎って子の事もそうだし、それに鉄人やオックスの事だって……分からない、分からないよ」

リンディが座るデスク、その前で涙ぐんだ様子で俯いているフェイト。リンディは椅子から立ち上がるとフェイトに近付き、身体を抱き寄せた。
血は繋がってはいないが紛れもなく二人は親子である。親は子が自分の目の前で泣いていたら放って置くなど出来ない。
自分の身勝手な想いが娘を傷つけている事をリンディ自身よく理解していた。だが真実を話す事でフェイトの人生は間違いなく狂っていく事になるだろう。
そんな事リンディは耐えられない。娘が苦しんでいる姿なんて見たくはないのである。

「貴方は何も知らないでいいのよ。これはお母さんの問題だから」
「どうして……どうしてなの母さん。どうしてこんな事に」

リンディはフェイトの背中をそっと撫で続けていた。愛する娘が泣いている。だけどそれをどうする事も出来ない歯痒さ。
全てを話せばフェイトは納得するだろうか? いや恐らくは失望するだろう。この最低の母親に。

「ごめんなさい。いつか全てを話すから。その時まで待ってちょうだい」

リンディは恐れていた。最愛の娘が自分を拒絶する事が。恐らく自分はフェイトに拒まれてもおかしくない事をしてきてしまった。
だから真実を話すと言う事はフェイトの拒絶を覚悟すると言う事。まだリンディには、その覚悟が出来ていなかった。
フェイトとリンディは血の繋がっていない親子である。だがリンディはフェイトの本当の娘の様に思い、実子であるクロノと分け隔てなく愛情を注ぎ、大切に育ててきた。
その娘に拒絶される様子は、想像するだけでも耐えられる物ではない。愛する娘からの拒絶を受け入れられるほどリンディは強くないのである。

「母さん……私、分からない」

それはフェイトも同じ事。愛する母が何かを自分に隠している。信頼していた母が秘密を持っている事、それがフェイトには我慢出来なかった。
本当の母親だと思っていた。本当に自分を愛して娘だと思ってくれていると。そう思っていた。

「フェイト、何があったとしても私はあなたの母親よ。今までもこれからも」

普段なら心地の良いリンディの言葉も今のフェイトにとっては信用の出来る物ではない。ひょっとしたらこれも嘘なのでは?
本当の気持ちを隠すために適当にあしらわれているのではないのか? フェイトは疑心暗鬼に陥り、母さえも信頼出来なくなってしまったのだった。

「嘘だ!! 母さんお兄ちゃんには話してたんでしょ!? それにはやても何かを知ってる! 何も知らないのは私だけ!! なんで私にだけ本当の事を話してくれないの?
  私が本当の子じゃないから? そうだ、だから信用出来ないんだよね!? そうなんでしょ!?」
「馬鹿な事言わないで!!」

フェイトの言葉に、頭に血が上ったリンディが反論する。いくら娘とは言え、このようなセリフを吐かれて黙っているほどリンディもお人好しではない。
リンディはフェイトの両肩に手を置いて身体を離すと真紅に染められた眼を見つめた。そこにあるのは、ただ困惑の色を見せるフェイトの瞳。
ただ混乱が支配する真紅の眼。それを見たリンディに湧き上がる怒りは既になかった。ただ娘が哀れで、悲しそうにしている姿が痛々しい。

「ごめんなさい怒鳴って……。でも、悲しい事を言わないで。信用してない訳、愛してない訳ないじゃない?」
「だったら教えてよ母さん・……。私もう分からないよ」

フェイトの震える声にリンディは抱き締める腕に力を込める。我が子を悲しませる親は最低だ。
その最大の要因である自分の立場に、恨めしさを感じつつもリンディにはやらなければならない事がある。
例えそれが我が子を欺く行為だとしても。全てを話す事は出来ないのだ。

「今日全て終わるわ。その時が、その時が来たら全てを話すから」

今日全てに決着を。だがリンディは不安を覚えていた。そう、果たして自分の行いが許されるのかと。
これまで侵してきた数々の罪、その罰を何時かは受けねばければなるまい。ならその時は、何時なのか?
すぐそこに迫る審判の日。リンディ・ハラオウンの罪は彼女の最も望まない形で、最もその心を傷つける形で清算される事となる。
そう、愛する娘の死という最も望まない結末で。



午後20時20分 ミッドチルダ首都中央部 廃墟都市。

先日鉄人28号によって徹底的に破壊されたミッドチルダ首都中央部。そこに突如響いたのは大地が割れんばかりの轟音だった。
一定のリズムで鳴らされる音はしばらくしてから止み、今度は何かを砕くような音が聞こえる。その音の正体は、スカリエッティによって盗み出された無敵の兵士、鉄人28号による物だった。
鉄人はその圧倒的な力によって廃墟と化した首都中央部で、アルファルトの道路を掘り返している。やがて鉄人が地面より掘り出したのは、泥に塗れた数メートル程のカプセル。
その形状は円柱状で全体が泥で汚れてはいるが、埋められてからそれほど時間が立っているようには思えなかった。

「ドクタァ~なんでこんな埃臭い場所に私が来ないといけないんですかぁ~」

鉄人から2キロほど離れた位置、そこに壊れてはいるが、ある程度形状を留めている高層ビルがあった。
瓦礫と土埃が蔓延するビルの内部でクアットロは腰をくねらせながらスカリエッティに抗議している。

「すまないねクアットロ。だがあのオックスが居ては遠隔操作は難しいからねぇ。こうして現場に出向くしかないのさ」

そう言うスカリエッティは特に悪びれた様子はなく、それ見たクアットロは尚も身体をくねらせてふざけながら抗議している。
しかしスカリエッティには、クアットロの冗談に付き合う様な気分ではなかったのだ。操縦機を握る手には汗が滲んでおり、常に周りに視線を配っていた。
これほどまでスカリエッティが恐れている物の正体は、ブラックオックスの電波撹乱剤であった。ブラックオックスの出力は鉄人よりもやや劣り、特に機動性の面では鉄人に大きく後れを取っている。
つまりロボットの基本的なスペックを見ればオックスは鉄人に劣っている面があるのだが、それを補って余りあるのが電波撹乱剤である。
これはあらゆる電波を遮断する特殊な薬品で、さらに濃い黒の薬剤を大量に撒く事で相手への目くらまし効果も持っているのだ。

「それに鉄人を使えば必ずオックスが来るはずだ。その場合は、目視での戦闘をしなければこちらに勝ち目はない」
「あら……結構本気なんですねドクター」

呟くクアットロは、先程とは打って変わって冷酷な彼女の本性を表すかのような冷たく、黒い物を孕んでいる笑みを浮かべている。
クアットロの言葉に、口元を釣り上げながらスカリエッティが振り返りと、そこに突如紫の閃光が飛び込んで、スカリエッティから少し離れた位置に着地した。

「ドクター操縦電波のダミー設置完了しました。次のご指示を」

そう言ってスカリエッティの前に跪いているのは、戦闘機人ナンバーズ3『トーレ』高速機動を得意としたナンバーズ1の武道派戦闘機人である。

「ご苦労だったねトーレ。あとはここで成り行きを見ながら臨機応変に動いてくれればいい」
「しかしドクター。連中の操縦者を潰せばこちらに有利。私が金田正太郎を始末しますが」
「やめなさい。下手に動けばこちらが見つかる。それに向こうも唯一の対抗手段だ、警護もある程度居るだろう」

今回の作戦、スカリエッティはトーレにクアットロと言う必要最低限のメンバーしか連れていなかった。理由は単純で、あまり多人数では相手に発見されやすく、逃走も人数が増えるだけ難しくなるからだ。
だからナンバーズでも戦闘能力に一番優れるトーレと逃走時の偽装能力に長けたクアットロの少数精鋭の構成となっている。
もしも発見されたとしてもトーレの高速機動『ライドインパルス』にクアットロの『シルバーカーテン』による偽装工作をすれば逃げ切れる可能性は高い。
自分の考えた作戦は完璧であるはず。それに目的の物は既に手に入れた。スカリエッティが長居は無用とばかりにアジトに帰ろうとしたその時、夜闇をさらに黒く染め上げる黒霧が立ち込めた。
スカリエッティが突如現れた霧を見つめるとその中に巨大な影を見つけた。黒い霧の中を進む黒く巨大な影、それ見たスカリエッティは焦燥と喜びという相反した感情を抱いていた。
そう、スカリエッティが霧の中に見た影の正体、それはまさしく鉄人最大の宿敵の姿。

「ギュイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!」
「来たなぁ!!ブラァァァァック、オックスゥ!!」

霧の中から姿を現した巨体、ブラックオックス。その輝く瞳が鉄人を見つめれば、それに答えるように鉄人も睨みを利かせる。
鉄人は戦いには邪魔だと言わんばかりに掘り起こしたばかりのカプセルを投げ捨てた。手が塞がっている状態で勝てる相手ではない事はスカリエッティも重々承知していたのである。
廃墟と化した街で対峙する鉄人とオックス。両雄は今まさにぶつかり合わんとする様に立ち尽くしていた。

「やはりスカリエッティはあのカプセルを」

やや離れた位置から鉄人を見るリンディはその腕に抱えられているカプセルを見つめて呟いていた。
そのすぐ傍に控えているのは、なのは、フェイト、シグナム。前回と同じく今回も少数精鋭による奇襲作戦を取る事となった。
今回リンディ達にはスカリエッティの居場所を確実に掴む秘策があったのである。故に前回同様奇襲を掛けて、操縦機を奪還するこの作戦が一番効果的であると判断されたのだ。
人海戦術による一斉包囲もリンディは視野に入れていたのだが、相手がステルス迷彩持ちである以上、こちらの動きを読まれて逃走される可能性を減らしたいという考えもあった。
もちろんブラックオックスが登場した時点で、こちらの介入は向こうにもバレているのだが、逆に言えばそちらに釘付けに出来る。
スカリエッティがカプセルを回収しようとしている以上、そのカプセルを持つ鉄人をオックスで捕らえれば、簡単に逃げはしないだろう事は予想出来た。
オックスをおとりとして伏兵を送り込む、正にスカリエッティが本局に対して行った戦術のオウム返しをリンディはしようとしているのである。
リンディは薄い微笑みを浮かべながら1つの高層ビルを見つめている。それは数キロ離れた位置にある壊れかけた高層ビル。
そのビルを指さしながら、リンディは隊員達に指示を出した。

「スカリエッティが居るビルはあそこよ! 全員スカリエッティを確保してください!」
『了解!』

リンディの指示にフェイト達は頷き、それぞれが魔力光を纏って飛び出した。動きを悟られない様、高高度へと飛翔していくフェイト達をリンディは見送る。

「なのはさん、シグナムさん、フェイトを頼むわね」
『リンディ統括官、こちらも配置完了だ』

そんなリンディの呟きを掻き消すように、突如割り込んできた通信。その主は、はやての守護獣ザフィーラの物。
獣ではなく人間の形態を取るザフィーラは、リンディの右舷に存在する高層ビルに居り、そこにはシャマルとそしてオックスの操縦機を持った正太郎も立っている。
ヴォルケンズの中でも防御や後方支援に特化した2人はリンディの指示で正太郎の護衛となっていたのだ。
リンディは遠目に彼らの姿を確認すると通信装置を起動して正太郎に声を掛けた。

『分かりしました。正太郎君、鉄人は任せたわ。なんとか操縦者発見まで持ちこたえて』
「はい!」

魔力を一切持たない正太郎だが、魔力がなくても使える専用の通信装置が渡されており、そのデザインはリンディ等が使用する物と寸分の違いもない。
初めは空中に突如として現れる通信装置に驚いていた正太郎だが、子供特有の学習能力の高さからなのか、すぐに通信装置の扱いにも慣れていった。
正太郎は通信装置の電源を落とすと手に持つオックスの操縦機を構え、数キロ先に立つオックスを見やりながら叫んだ。

「行くぞオックス! 鉄人を抑えるんだ!」

そう言って正太郎は、操縦機の電源を起動する。それと同時にオックスは天高く両手を掲げ、瞳に仕込まれたサーチライトで満月の輝く夜空を照らしながら咆哮した。

「ギュイィィィィィィィィィ!!」
「ガオォォォォォォォォォォ!!」

オックスの咆哮に答える様に、鉄人も眩いばかりの電流を纏い、両手を上げて咆哮する。2つの咆哮が廃墟と化した街に呼応すると2体のロボットは両手を突き出して構えた。
そうして向かい合った鉄人とオックスは一歩一歩を踏みしめるように距離を詰めていく。彼等が一歩踏み出すだけでビルに振動が伝達して、道路は砕けていった。
やがて2体の距離がゼロになってビル街に響くのは、大地を揺らす金属音。それは鉄人がオックスが互いの手をぶつかり合い、握り合わせた事により発生した音。
互いに全力で力比べをする鉄人とオックス。計り知れぬ力と力のぶつかり合い、頑丈に作られたアスファルトの道路もその質量と圧倒的な力の伝達で、2体の巨人の脚を中心にヒビ割れが広がり始めている。

「ギュイィィィィィ!!」
「ガオォォォォォォ!!」

咆哮を交わし合い牽制する鉄人とオックス。金属が擦れ、軋む音、アスファルトが上げる悲鳴がこの空間の音階を支配している。
そしてその膨大なパワーが最高潮に達した時、2体の巨人が立つ大地は、崩落の旋律を奏でながら直径数十メートルに及ぶクレーターを作り出した。
尚も地面に沈み込んでいく2つの巨体だが、それでもどちらかが力を緩める事はない。自身が持ち得る最大限の馬力をぶつけ合い、有利な態勢を得ようとする。
この力比べで勝った者が戦いの主導権を得る事になるのだ。既に圧倒的なパワーの所為で完全に砕け散ったアスファルト、そこには既に地盤が見ている。
そして巨人達の最大出力は、その地盤がまるで底なし沼でもあるかのように、鉄人とオックスの脚がどんどんと大地に沈み込ませていくのだ。

「ギュイィィィィィィィィィィィ!!」
「グルル!!」

だが性能差は覆す事は出来ないのか。徐々にオックスが鉄人を押される格好となっている。オックスは鉄人に比べてもやや出力が低い。
正太郎もオックスとは数度に渡り戦った経験があるからその事は分かっていた。このまま力任せにやっても勝てる相手ではない。
正太郎はトランシーバー型の操縦機に取り付けられたレーダーを起動。そこには簡易的な光点で鉄人とオックスの位置が表示される。

「オックス! 鉄人と距離を取るんだ!」
「ギュイィィィィィィ!!」

オックスは正太郎の操縦に咆哮で返答すると腕部と脚部に渾身の力を込めて鉄人を突き飛ばした。出力で上とは言っても瞬発的にオックスの最大出力を浴びた鉄人は体勢を崩してしまう。
数歩後ろに後退した鉄人だが、すぐにオックスとの距離を詰めようと大きく踏み込んだ。しかしオックスはその瞬間を狙い澄ましたかのように両手を前に出して構えている。

「やれオックス!!」

正太郎が叫ぶとオックスの指先から黒い霧、電波撹乱剤が大量に噴射された。撹乱剤の濃い黒は、すぐさま鉄人とオックスの居る空間を満たしていく。
ものの数秒で黒い霧に支配された一帯は、完全に視界が閉ざされ、正太郎自身も霧の内部状況を把握するには、操縦機のレーダーに頼るしかない状態である。
対するスカリエッティは、鉄人とオックスの位置と行動を把握する事は不可能。霧の中では、あらゆる無線機器を使用する事は出来ないのだから映像を遠く離れた操縦者に届ける手段は存在しない。
完全に鉄人とオックスが見えない状況で正太郎はレーダーを頼りに鉄人の位置を示す光点へと近付いて行く。光点は殆ど交わる距離にまで近付き、正太郎がオックスに鉄人への攻撃を指示しようとしたその瞬間。
突如にして爆発音にも似た音が辺りを支配すると、鉄人とオックスを覆っていた霧が晴れたのである。突然の事に正太郎は声を上げて驚いていた。

「き、霧が!」

一体何事なのかと混乱を見せる正太郎。よく見れば鉄人がロケットで3メートル程の高度を飛行しながら、その噴射炎で霧を払うように1回転していたのだ。
如何に空気中への残留性が高い撹乱剤でも鉄人のロケット噴射の前までは吹き払われざるを得ない。ロケットの勢いで完全に周囲の霧は払われ、実に良好な視界となっていた。

「2度も同じ手は食わんよ! やはり所詮は子供、考える事は浅知恵か!」

鉄人の勝利の確信を覚えたスカリエッティは、その顔に笑みを貼り付かせていた。これでオックス最大の武器は無効化した言っていい。
鉄人がオックスに遅れを取る要素は、全て排除されこのまま戦えば鉄人の勝利は、ほぼ間違いないだろう。
正太郎も撹乱剤による目くらましが使えなければ、鉄人との戦いは楽な物とは言えなかった。だが正太郎の役目は、鉄人に勝利する事ではなく、あくまでスカリエッティ確保までの時間稼ぎである。
だから相手の方がスペックが上回っていようと真っ直ぐに向かっていくしかない。それに鉄人とオックスの性能差は操縦者の技量と戦法次第でいくらでも覆す事が出来る程度の物だ。
少なくとも互いの操縦者の技術が同等であった場合、鉄人とオックスそのどちらが勝っても不思議ではない。とにかく立ち向かうしかないと正太郎はオックスを大きく踏み込ませて右拳を構える。
真っ直ぐに放たれた拳は鉄人を捉えんと猛進する。鉄人がこれを右手で受け止めると激突の瞬間、重いのだが、しかし甲高い金属音が響いた。
そんな光景をスカリエッティは双眼鏡を使って実に楽しげ表情を浮かべながら鑑賞している。その表情はおもちゃで遊ぶ無垢な子供のようである。

「なかなかやるじゃないか。さすがに本来の操縦者だけはある。だが」

パンチを受け止められたオックスは2撃目を放つべく拳を掴む鉄人の手を振り払う。オックスは解放された右腕をすぐに構え直し、2撃目を放った。
鉄人はこれを左腕で受け流すとその勢いを生かして右腕を突き出す。巨拳から繰り出された拳打はオックスの顔面を捉え、18メートルの巨体は面白いように宙を舞った。
正太郎は突然のカウンターに受け身を取る事が出来ず、オックスは30メートルほど吹き飛ばされると無防備な体勢で背中から地面に叩き付けられた。
オックスが墜落したアスファルトは、その質量と衝撃に耐え切れず大きな亀裂を走らせながら砕け散り、再び首都部に巨大な陥没を生み出す。

「オックスしっかりするんだ!」
「ギュイィィィ!!」

正太郎の言葉にオックスは両腕に力を込めて、その巨体を起こそうとしている。だが間髪を入れずに鉄人が右の拳を構えて追撃すべくオックスに走り寄る。
鉄人がオックスに迫る事を理解出来ても正太郎は、オックスの態勢を立て直せずにいた。防御姿勢を取れずに鉄人のパンチを受ければ、如何にオックスと言えど装甲を破壊される可能性もある。
せめて受け流すか、踏ん張りを利かせて防御したい所であるが、その時間さえも正太郎には与えられていない。遠方の高層ビルから様子を窺うスカリエッティは勝利の確信に微笑みを浮かべていた。

「惜しいよ! これほどの力、壊すには実に惜しい! だがね私を阻むと言うならそれも仕方があるまい!」

そう言ってスカリエッティは操縦機のレバーを倒す。この一撃で全てが決まる、彼はそう思っていたのだ。
しかしその刹那、突如ビル内部に爆発音が響くと巻き起こる噴煙が室内を支配した。何事かとスカリエッティが後方を見るとそこにあったのは大量の瓦礫と人影が3つ。
煙が晴れて姿を現した3人の少女にスカリエッティは完全に虚を突かれたと言った様子で声を上げた。

「た、高町なのは!?」
「おとなしく捕まりなさい! ジェイル・スカリエッティ!」

スカリエッティの目の前に現れたのは、なのは、フェイト、シグナムの3人。3人の頭上にある天井には大きな穴が空いており、そこから満月の月明かりが差し込んでいる。
それを見て彼は何が起こったのかを悟ったのだ。そう、恐らくはなのはが砲撃で天井を破壊、そのままこのビルに突入して来たのだと。
だがスカリエッティには、分からない事があった。それは、何故なのは達がここに居るのかである。

「どうやってここを?」

スカリエッティの疑問の声になのはは、得意げに笑みを浮かべて口を開いた。

「確かに電波は大量に飛び交っている。だけどその全てが鉄人に指示を出している訳じゃない。だから鉄人本体に向かって送信されている電波を辿ったら」
「ここに来たと言う訳か。迂闊だったよ」

なのは達が思い出すのは作戦直前に開かれたブリーフィングでの事。その時、鉄人の開発者である敷島はダミー電波の対抗策について説明をしていた。

「いいかね。確かに鉄人の周りには大量の電波が飛び交っているが、その全てを受信すれば鉄人は暴走してしまう。
だから鉄人が受信している電波は恐らく1本だけだ。そしてその1本を辿れば操縦者の元へ行けるはず」

鉄人の操縦電波の受信装置は非常に精度の高い物である。だが同じ周波数の電波を複数受信した場合、特に電波の強い物を優先するか最悪、暴走する危険もあった。
恐らくスカリエッティならば、そう言った事は既に調べているはずと敷島とリンディは推理していた。昨日の戦いで鉄人がちゃんと動いていた事を考えると鉄人が受信している操縦電波は一つだけと考えていい。
数分前の作戦開始直前、エイミィとマリーがその条件で操縦電波を逆探知。そして辿り着いたのがこのビルだったのである。
今度ばかりは完全に先手を取られたスカリエッティだったが、その表情は笑顔で、なのは達にはこの男が追い詰められている現状を楽しんでいるようにも見えた。
スカリエッティは不気味な空気を持った笑みを纏わり付かせたまま、なのは達を見つめ、ハッとしたように言葉を紡ぎ始めた。

「なるほど、そういう事か。まさかとは思っていたが、どうやら君達には優秀なサポートが付いているようだね。恐らくは敷島博士か?」
「な、ど、どうして博士の名を!?」

スカリエッティの口から出た名前にフェイトは驚愕として叫んでいた。何故スカリエッティが敷島博士を知っているのか? その疑問がフェイトを含めた3人の頭を過ぎったのである。
そんなフェイトの様子にスカリエッティは肩を震わせ、笑いを堪えている。しかし堪え切れなくなったのか、ついにスカリエッティは噴き出し、嘲笑を禁じえなかった。

「アハハハハハハハハハ! これは傑作だ! 実に傑作だ! ハハハハハハハ!」
「何が可笑しいんだ!!」

子供の様に楽しげなスカリエッティにシグナムは剣を向け、殺気をぶつけていた。大切な主を傷つけた罪人が笑っている姿はシグナムにとって不快その物。
だがスカリエッティの笑い声が止む事はなく、その釣り上った目尻には笑い続けた所為で涙が溜まっていた。

「ハハハハハハハハ! フフフフフフ!。君達は何も知らないのか!? ならリンディに聞く事だな! 彼女は私よりも多くを知っているぞ!」
「母さんが!? そんな、じゃあやっぱり……」

やはりリンディは何かを知っている。フェイトはその事実に落胆を覚えていたのだ。母は自分に隠し事をしている。
実の子であるクロノはまだしも、赤の他人であるはずのはやてにまで話したのに、娘である自分は何も聞かされていない。
そんなフェイトに追い打ちを掛けるようにスカリエッティは言った。

「そうか、その様子だとリンディは何も話していないようだな。彼女が一体何をしていたのか!フェイト、君の母親は偽善者の罪人だよ。私以上にね!!」
「お前と母さんを一緒にするな!! 母さんはお前みたいな犯罪者じゃない!! お前みたいに人の命を弄んで笑顔で居られるような人じゃない!」

フェイトはスカリエッティの言葉に憤慨し、それを否定した。フェイトにとってリンディはヒーローのような存在なのだ。
幼い自分を引き取り、仕事と子育てを両立して、ここまで育ててくれた恩人であり、最愛の母親でもある。プレシアに向ける愛情と同じようにフェイトはリンディを母として愛していた。
その母が目の前の下劣な犯罪者と同じであるはずがない。あんなに意思が強く、心の優しいリンディが間違っても犯罪を犯す事などないのである。
母を侮辱されたから激情からかフェイトは明らかな敵意を持ってバルディッシュをスカリエッティに向けた。それに合わせてなのはとシグナムも身構える。

「君達3人を相手にするのはいささか分が悪いか。なら」

スカリエッティはそう言って突然走り出し、窓ガラスを突き破って外に飛び出してしまった。スカリエッティを追うように紫色の軌跡が走り、さらにクアットロもそれに続いた。
スカリエッティが見せた行動に一瞬呆気に取られてしまうフェイトだったが、すぐに我を取り戻して窓枠から外を見る。
するとおよそ十数メートルほど離れた空中を飛ぶ影が3つ。フェイトは、すぐにそれがスカリエッティ達である事を悟った。

「さて厄介な事になって来たね。しかし退く訳にも行くまい」

トーレに抱えられた状態で飛ぶスカリエッティが眼下を見下ろすとオックスによって鉄人が取り押さえられているのが見えた。
鉄人の右腕はオックスに掴まれて地面に押し付けられており、頭部もオックスの左手で抑え付けられている。
さすがに鉄人と言えどオックス相手にこうも綺麗に押さえ込まれると抜け出すのは至難の業である。苦しい状況にさしものスカリエッティも舌打ちをした。

「ドクター!」

不意を突くように耳をに入って来たトーレの声にスカリエッティが後ろに振り返る。
見えるのは、フェイトとジグナムの姿。そして自分達が先程まで居たビル、そこに煌めく桃色の光。

「まさか!?」
「全力全開!」

スカリエッティが驚愕の声を上げる中、彼の居た廃ビルで、なのははレイジングハートを砲撃モードに切り替えて、狙いを澄ましていた。
目標はおよそ500メートル先。十分になのはの射程圏内である。なのはがカードリッジを2発ロードして瞬発的に魔力を高めると桜のような色合いの魔力光は一際強く輝き出したのだ。
これまでスカリエッティの手に掛かり数多くの仲間が殺された。はやてもヴィータも傷つけられて、そしてフェイトを泣かせた。
そんな憎い敵に送る高町なのはの全身全霊、全力全開、最大威力のお返し。

「ディバイィィィィィィィィンバスタァァァァァァァァァァ!!」

なのはの咆哮と共に放たれた桜色の砲撃。夜の廃墟を光で満たしながら一直線に進む魔力は、スカリエッティを撃ち落とさんと猛烈な勢いで空を駆け抜ける。
狙いは完璧、直撃コース。この威力の砲撃を防ぐ手立てをスカリエッティは持っていないはず。エースオブエース高町なのはがそう思った瞬間、ディバインバスター直撃を示す爆風が中空に広がった。

「やった!」

小さく喜びの声を漏らしたフェイトは、今だ空に残留し続ける爆風へと飛んで行く。だがフェイトに追従して飛ぶシグナムは、妙な胸騒ぎに囚われていた。
何故だろうかシグナムには今の現状を喜ぶ事が出来ないのである。これで終わったとは思えない、何かまだあるのではないか。
やがて爆風が少しずつ晴れていくとそこに浮かぶのは巨大な影。予想外の出来事に驚きを見せるフェイト。予感が的中したと思ったシグナムは顔をしかめていた。

「鉄人か!?」

シグナムは寸での所で鉄人が砲撃を防いだのかと思い、急停止して剣を構える。シグナムのその声にフェイトも静止してビル街の方を見てみるが、そこには確かにオックスに取り押さえられた鉄人の姿があった。

「ううん鉄人じゃない! あれは」

そのフェイトの言葉を遮る様に突如着弾点に広がる爆風が切り裂かれた。見ればそこには鉄人やオックスと比肩するほどの巨大な姿。
全身はまるで西洋の甲冑をそのまま大きくしたようであり、手には身の丈に迫る両刃の斧を持っている。
突然現れた巨大な敵に、シグナムは動揺を露わにしていたが、フェイトはその巨大な姿に見覚えがあり、11年ぶりに見たそれに呆然と呟いた。

「く、傀儡兵」

目の前にそびえる巨大な甲冑、それは紛れもなくフェイトの母プレシア・テスタロッサが外敵からの防衛用に使役していた傀儡兵の物であった。
久しく見なかった姿にフェイトはただ驚きを隠せずにいる。それに傀儡兵は大型の物もあるがせいぜい3メートル程度の物が一般的だ。
これほど巨大な傀儡兵はフェイトもほとんど目にした事はなかったのである。それにどうして魔力を持たないスカリエッティが傀儡兵を使役出来るのかもフェイトには分からなかった。
戸惑いを見せるフェイトを傀儡兵は見ると両手に持った斧を振り上げ、それをフェイト目掛けて打ち下ろした。
突然の攻撃にフェイトは、身を捩ながら回避するとまるで台風のような風圧を纏った斧がフェイトの数十センチ近くを通り、巻き起こる強風がバリアジャケットを擦り付ける。
直撃を受ければただでは済むまいと判断して、フェイトは一旦安全距離まで後退する事を決め、音速にも迫る速度で敵の射程内から離脱をした。

「フェイトちゃん!!」
「テスタロッサ!」

その様子になのははビルから飛び出し、フェイトの元へと飛んで行く。それはシグナムも同じで傀儡兵から間合いを取ったフェイトの隣に向かって飛んでいた。
数キロ離れた地点でそれを見ていたリンディも肝を冷やしており、なんとかこの傀儡兵を倒す手段をと、思考を巡らせていた。

「このままじゃ……正太郎君!」
「はい!」

リンディから突然の通信。恐らく新たに表れたロボットの様な物に対しての事だと正太郎は予想していた。
実際その予想は的中しており、リンディは戸惑うような色を見せながら、苦い物を噛み潰すような声を上げた。

「鉄人を……鉄人をこのまま破壊して!」
「えっ!?」

鉄人を破壊せよ。正太郎に取って思いもよらない言葉であった。この作戦は鉄人を取り戻すための物ではないのか?
そのために自分はここに居て戦っているのではないのか! 正太郎にとって最愛の鉄人を破壊する。
たった一人の家族を破壊する事は、如何に正太郎が少年探偵として名を馳せているとは言え、まだ幼い少年に出来る事ではなかった。

「そんな鉄人を壊すなんて……僕には出来ません!」
「一時的に動けなくしてくれればそれでいいの! とにかく今はあの傀儡兵を」

涙ながらに懇願する正太郎だったが、それでもリンディも引き下がる訳にはいかなかった。
確かに正太郎の言い分はもっともである。正太郎に鉄人を破壊しろと言うのは酷かもしれない。
しかしこのままではリンディの大切な娘であるフェイトの命が危ないのである。
こんな事に巻き込んだ責任は感じて居ても、たった1人の娘と修理の効くロボットであればリンディは前者を取るしかないのだ。

「お願い正太郎君! 鉄人を破壊して、あの傀儡兵をオックスで! オックスで何とかして!」

リンディの願いを正太郎も出来る事なら聞き届けたい。だが無理なのだ。正太郎には肉親を破壊する事は出来なかったのだ。

「ごめんなさい……僕には、僕には、僕には鉄人を壊すだなんて出来ません」

涙の交じった声で呟いた正太郎。その瞬間、オックスの動きは一瞬止まり、それを見たスカリエッティは鉄人の出力を最大にしてオックスを振り払った。
力なく、まるで糸の切れた人形のように仰向けに倒れ込んだオックスに、鉄人が跨ると黒い頭部を巨大な右手で包み込む。
握り潰そうとする鉄人の出力が上昇するにつれてオックスの頭部はギシギシと軋みを上げながら、鉄人の指が当たる部分から装甲がひしゃげて陥没していく。

「ギュイィィィ……ギュイィィィ」
「オ、オックスが……」

まるで痛みに耐えかねるような咆哮を聞いて、正太郎はオックスを見る。
既にオックスの頭部は大きく歪んでおり、鉄人の最高出力に耐えられなくなったのか、突如右の瞳はガラスが割れるような音を立てて砕け散った。

「いけないオックスが!」

鉄人に押されているオックスの様子を見たフェイトはソニックムーブを発動。傀儡兵を避けて操縦機を持つスカリエッティへと突進する。
これを見たトーレは回避行動を取ろうとするが、何せスカリエッティを担いだ状態だ。最高速度に達したフェイトを避けられるほどの機動性を生み出す事は出来ない。
バルディッシュを振りかざして射程まで近付いたフェイトはスカリエッティが持つ操縦機目掛けて薙ぎ払った。
すると小さな金属音を立ててスカリエッティの手から操縦機が離れたのである。フェイトは地面へと落ちていく操縦機に手を伸ばした。
だがそうはさせまいと傀儡兵はフェイト目掛けて斧を振り上げて、それを見たなのはは自身が持ち得る最高速でフェイトへ飛翔する。
振り下ろされた傀儡兵の斧は正確にフェイトを捉えており、このままでは確実にフェイトは直撃を受けてしまう。
なのはは、レイジングハートを傀儡兵に向けて手に持つ斧に狙いを付けていた。なのはと斧の距離はせいぜい10~20メートル前後。
チャージをしていては確実に間に合わないし、この距離であれば威力減衰もないからチャージの必要はないと判断したなのはは、ディバインバスターを速射する。
真っ直ぐに飛ぶ魔力砲撃は、傀儡兵が振り下ろす斧に直撃して爆発、その激しい衝撃で斧は、フェイトから数十センチ横に外れて振り抜かれた。
なのはの援護で間一髪、傀儡兵の攻撃を回避したフェイトは、左手を伸ばし、ついに鉄人の操縦機を掴んだのであった。

「やった!」

そう声を漏らしたフェイトがなのはに目をやるとどうも様子が変であった。笑顔では居るのだが、フラフラとおぼつかない様子で空に浮かんでいる。

「あれ……なんで?……」

額に汗を滲ませてながらなのはも自分の異変に戸惑っていた。呼吸も荒く、視界も歪んだり、ぼやけたりを繰り返している。
瞼は鉛で出来ている様に重く、姿勢の制御も普段は簡単なのに、それがとても難しい事のように感じられていた。
やがてなのはが気が付いたのは身体中を駆け巡る激痛。普段左腕を蝕む痛みの何倍もの激痛が全身に広がっていたのだ。
1年前ヴィヴィオを助けた時の後遺症。大威力砲撃魔法を連射した負担。鉄人に放電を浴びた時のダメージ。それらの負荷がこの瞬間、一斉に訪れたのである。
全身を支配する痛みと襲い続ける睡魔にも似た感覚。なのははそれらと戦う事に限界を感じて、フェイトを助けた安堵感も手伝ってなのか、その意識を手放す事を決断した。
そうすればきっと楽になれる。1年間苦しみ続けた痛みからも解放される。身体はもう限界を超えているし、大切な人を守る事は出来た。任務も完了した。自分が頑張る必要はもうない。
空から落ちていく感覚。普段なら恐怖でしかないそれが今は自分に安らぎを与えてくれるようで。もう楽になってもいいのかもしれない。

(私死んじゃうんだ。もうすぐ死ぬとは思ってたけど……今日死ぬんだ)

なのはの中でフェイトやヴィヴィオと過ごした日々が蘇ってくる。ちょっと厳しい自分と大甘のフェイト。3人で過ごす日々は短いけど楽しい物だった。
もしも自分がここで死んだとしてもヴィヴィオは、きっとフェイトが面倒を見てくれるはず。
最初ヴィヴィオは自分の死を悲しむだろうけど、でも悲しみは何時か癒える物だから。きっとフェイトが傍に居て癒してくれるだろうから。

「フェイトちゃん……ヴィヴィオの事お願いね」

なのははそっと呟いた。フェイトは優しいからきっと「うん」と言ってくれるはず。
ちゃんとヴィヴィオを立派に育ててくれるはずだから、自分はそれを見守って行こう。

「そんなの嫌だ!!」

だが聞こえてきた声は、なのはと想像は全く違った物だった。まるで自分を叱咤するような怒りの声。
そして身体を包み込む温もりを感じる。気が付けば身体を打ち付ける強風も穏やかな微風となっていた。

「約束したでしょ。2人で一緒に育てていこうって」

次に聞こえた声は先ほどとは打って変わって優しく穏やかな口調だった。それはとても心地よくて、ずっと聞いていたい声。

「それに私は言ったはずだよ。この世の全てが敵だって」
「私だけの盾になってくれる」

なのはが笑顔で瞳をそっと開けるとそこに居たのは、ちょっと怒ってるけど、でも優しくて暖かい笑顔を浮かべている人。

――私の大切な親友。

「フェイトちゃん」
「なのは」

地面に正座の姿勢で座るフェイトに、なのはは抱き抱えられる形で、既に地上に降り立っていた。
微笑みを浮かべているフェイトに、なのはは痛みを堪えながら両腕をフェイトの背中に回して抱き付く。
するとフェイトもすぐになのはを抱き締め返す。フェイトの腕に込められる力は弱ったがそれでもなのはの身体に痛みを与えるには十分な力であった。
だがなのはは痛みを感じていながらもフェイトから離れようとはしない。抱き締める腕に力を込めれば比例して痛みも強くなるが、それでもなのはは、力強くフェイトを抱き締めていた。

「操縦機は?」

しばらく抱き合ってからなのはは、一旦身体を離して気になっている事をフェイトに聞いた。思えば自分を抱き締めるフェイトは操縦機を持っている様子はない。

「心配しないでシグナムに渡してあるから」

フェイトはなのはを助けるために降下する寸前、操縦機をシグナムに渡していたのだ。
4対1では分が悪くもあるがトーレはスカリエッティを抱えて実質戦闘不能。スカリエッティとクアットロも戦闘員としてはさほどの強さではない。
警戒すべきは傀儡兵のみでシグナムクラスの実力者であれば、逃げに徹すれば十分敵の追跡を振り切れると判断したのである。
フェイトの説明になのはは安堵の表情を浮かべ、痛みに堪えながらゆっくりと身を起こした。

「じゃあスカリエッティを捕まれば任務完了だね」

なのはに言われてフェイトは気が付いた。夢中になってなのはを追いかけていたから気が付かなかったが、先程まで居た空にスカリエッティや傀儡兵の姿はない。
恐らくはシグナムを追跡して行ったのだろうか。もしそうだとしたら、ここでのんびりとしている時間はないのだ。
急いでシグナムと合流して鉄人の操縦機を正太郎に返さねば。

「うん。とりあえず皆の所に帰ろうなのは」
「そうはいかないよフェイト!!」

スカリエッティの声が突如中空から響いた事に驚いて、フェイトとなのはが見上げてみるとそこ居たのは傀儡兵の姿。
フェイトとなのははスカリエッティがシグナムを追っているものと思っていたため、完全に虚を突かれる形になってしまった。

「スカリエッティ!」

フェイトはそう叫んで辺りを見回してみるが、どこにもスカリエッティの姿はない。
スカリエッティが居るならそこへ飛んで叩く事も出来るが、位置が分からない以上どうする事も出来ない。
それになのはの身体は触れるだけで激痛が走る状態である。いくらバリアジャケットを着ていても急速加速には恐らく耐えられないだろう。

「私とした事があのシグナムとかいう騎士を見失ってしまったよ。だが操縦機を君達に渡す訳にはいかないのだよ!
そうだ、私にはまだやらなければならない事が残ってるんだ。なぁリンディ! 大切な娘がひき肉になって棺桶に入るのは嫌だろう!?」

この状況、フェイトとなのはは、スカリエッティの人質となってしまったのだ。空を飛んで逃げる事も出来るだろうがなのはを抱き抱えた状態でどこまで出来るか。
それに高速で飛行すればなのはの身体を痛めつける事になる。触れるだけであれだけ痛がるのだから、最高速で飛行すればどうなるか分からない。
しかも敵の実力は嫌と言うほど味わっていた。傀儡兵の斧は高機動魔道でさえ容易く捉える精度を持っている。なのはを抱いた状態で逃げるのは難しいだろう。

「こうなったら私がおとりになって……」
「そんなのだめ!」

フェイトがポツリと漏らした言葉をなのはは声を張り上げて否定した。そう、そんなことしても恐らくなのはは、言う事を聞かないだろう。
当たれば一撃で落とされる。確実に回避出来るか? そう考えているフェイトだが確実に回避する自信はなかった。

「でも……避ける自信ないかな」
「フェイトちゃんだけでも逃げて」

なのはは泣きそうな顔でフェイトを見つめてくる。その口調はもはや懇願と言ってもよかったが、フェイトはなのはを抱き締める力を強くするだけだった。

「なのは私は君の盾だよ。逃げるなんて出来ないよ」
「フェイトちゃん1人なら逃げられる! だから……」

尚もなのははフェイトに逃げるよう食い下がる。だがフェイトは傀儡兵の持つ斧に視線を注いでいた。
敵が仕掛ける一撃。これを交わせば一気に逃げるチャンスが生まれる。失敗は絶対出来ない。障壁でも防御出来る代物ではないから、とにかく回避しかない。

「私は逃げない。それに」

傀儡兵は両手に持った斧を頭上に高く掲げ、フェイトとなのはに狙いを定めていた。チャンスは一度きり。この攻撃を避けて全力で逃げる。
タイミングを誤れば敵にやられる。勝負は敵の斧が振り下ろされて自分に直撃するほんの僅かなタイミング。軌道修正が効かない程、斧の軌道が安定した瞬間。
その瞬間フェイトは最高速で一気に戦線を離脱。リンディと合流出来ればこの傀儡兵に対抗する策があるかもしれない。

「来る!」

フェイトがそう言うのと同時に傀儡兵は掲げた斧を振り下ろした。フェイトは飛び立とうと身構えるが予想以上になのはが重く戸惑っていた。
なのはは華奢な体型なのだが高機動魔道師にとって、体重40キロ以上の荷物をぶら下げて飛ぶのは機動力を著しく低下させる要因に他ならない。

「上がって!!」

願うように声をを吐き出しながら懸命に飛行しようとするフェイトだが速度は思うように上がらない。
斧は、既に風を切り裂きながらフェイト達に振り下ろされており、数秒もしないうちに直撃を受ける事になるだろう。
加速の度合いから言っても回避が間に合わない可能性の方が高い。諦めまいとフェイトが懸命に飛ぼうとするが直撃まで時間がなかったのだ。
傀儡兵の斧は、既に目の前まで迫って来ており、フェイトの身体も宙に浮いてはいるが今だ斧の射線から逃れる事は出来ずにいる。
このままではやられると、死を間近にしてフェイトとなのはが覚悟を決めようとしたその時だった。突然金属音が響いたかと思えば襲い来る斧の動きが止まったのである。

「え!?」

何事かとフェイトが見ると斧は傀儡兵に匹敵する巨人によって受け止められていた。フェイトは一瞬ブラックオックスであるかと思ったが、そのシルエットは全く異なる物である。
フェイトとなのはは眼前の光景が信じられなかった。何故なら自分達を助けてくれたのは先程まで対峙していた敵。
ミッドチルダを破壊し、時空管理局本局を破壊し、仲間を命を奪った敵。悪魔の手先と最強の兵器と無敵の兵士と呼ばれたそれが、今はフェイトとなのはを守る様にして立っているのである。

「て、鉄人28号?」

傀儡兵の攻撃を防いだのは、紛れもなくあの鉄人28号であった。見れば左腕を盾の様にして傀儡兵の斧を受け止めている。
だがフェイトには、何故鉄人が自分達を庇うようにして立っているのか分からなかった。フェイトが思考を巡らせて答えを探しているとある一つの可能性に行き当たる。
それはシグナムが鉄人の操縦機を既に正太郎に手渡したのではないかと言う事。それならばこうして自分達を守る様にしているのにも納得がいく。

「くっ! 既に向こうの物となってしまったか! ええい、こうなっては! 傀儡兵、鉄人を破壊しろ!!」

一方で傀儡兵から数キロ離れた高層ビルの屋上に隠れるスカリエッティは、苦々しい表情を浮かべていた。鉄人の力は壊してしまうには惜しい。
だが敵に奪われ、ましてこの戦力で奪い返すのは不可能と言ってよかった。敵の作戦を配慮しての少数精鋭であったが完全に裏目に出てしまったのである。
ならば鉄人はもはや最大の障害にしか、なり得ないのだ。と来ればここで破壊してしまう以外に道はない。
スカリエッティは歯痒い想いに駆られていたが、これから成さねばならない事を考えればそれも仕方がなかった。
スカリエッティの目的は鉄人を使って管理局と戦う事ではない。そう、なんとしても果たさなくてはならない目的があり、障害は排除するのみ。
傀儡兵は身の丈ほどもある斧を振り上げ、鉄人に打ち下した。鉄人は左腕を差し出して、これを受け止めると摩擦による火花と劈くような金属音が廃墟の空間に撒き散られる。
一撃でダメならばと傀儡兵は、再び斧を掲げて鉄人を斬り付けるが先程同様、左腕に阻まれてしまう。しかし傀儡兵は諦める事なく斧を振り続けた。
しかし鉄人の腕は壊れるどころか傷一つ付かない綺麗な物で、何度斧で打つ付けようとも結果は変わらなかった。

「すごい」

もはや頑丈と言った次元のレベルではない。正に文字通りの鉄壁を持つ鉄人を見て、フェイトは驚嘆と恐怖を覚え、リンディは微笑みを浮かべている。

「そう、どんな攻撃にも耐え得る鉄の鎧に身を固め」

リンディがそう呟く中、傀儡兵が何度も斧で鉄人を叩いているがまるで効果がない。むしろ攻撃を加える度に斧の刃が潰れてしまう始末だ。
このままではダメージを与えられないと傀儡兵は高く斧を振り上げ、勢い良く打ち下ろした。渾身の力を込めた一撃、しかし鉄人は涼しげな顔でこれを右手で受け止める。
驚くように見る傀儡兵だったのだが、そんな事はお構いなしと言った様子で鉄人は、受け止めた刃をまるで薄いアルミ板でも相手にしている様に握り潰した。
鉄人は既に武器としての機能を失った斧を掴んだまま、傀儡兵の身体を引き寄せようとする。傀儡兵は斧を手放して踏み込み、鉄人に右の拳を放った。

「計り知れぬ力で居並ぶ敵を叩いて!」

リンディの言葉と共に鉄人も右の拳を構えて、敵の攻撃を迎撃すべく、拳を突き出した。2つの拳、鋼鉄の拳がぶつかり合って。

「砕く!!」

激しい衝突音と共に砕け散ったのは傀儡兵の拳。正確に言えば肘から下、腕その物が粉砕されており、痛みに堪える様に傀儡兵は左手で傷口を覆った。
押さえる腕からは流血の様に夥しい量のオイルが流れ出ており、アルファルトの道路は文字通り血の海と言った様子である。
傀儡兵は鉄人に恐怖している様に右腕を押さえながら後退した。しかし痛々しい敵の姿に鉄人が何かを感じる事もなく、ただ一歩一歩踏みしめる様に歩を進める。
そう、鉄人は強い。リンディは自信に満ちた口調で語り続ける。

「決して倒れる事もなく、死ぬ事もない。ただひたすら操縦者の意のままに戦い続ける不死身の兵士!!」

次第に傀儡兵と鉄人の距離が詰まっていく。一歩近づく毎に鉄人は右拳を構え、狙いを澄ましているようだった。
そして鉄人が傀儡兵を追い詰め、射程圏内に捕らえた時、鋼鉄の巨腕が打ち出され、傀儡兵の胴体部分へと迫って行く。
鋭い衝撃音を纏って傀儡兵を打ち据えた鉄人の右拳は、その装甲がまるで段ボールか何かで出来ている様に、簡単に貫いてしまったのだった。

「海であろうが!」

貫かれた傀儡兵の腹からはオイルが噴き出し、まるで返り血の様に鉄人の身体を赤く染め上げていく。
返り血を浴びた鉄人の眼光は、普段の黄色から血の様な赤に変わり、もはや機能停止寸前の傀儡兵を見つめていた。

「空であろうが!」

リンディの言を遮る様に空気を切り裂くエンジン音が響き渡り、鉄人の背中に取り付けられたロケットエンジンが火を噴くと2つの巨体を遥か上空へと運んで行った。

「戦う場所を選ばない!!」

リンディが空を仰ぐと鉄人は空中で傀儡兵の胸の装甲板を引き剥がして、内部を弄り始めた。
鉄人が傀儡兵の内部機関に掻き回す度に流血が飛び散り、傀儡兵はその都度痙攣を起こして苦しんでいるような様子を見せていた。
恐らく傀儡兵が言葉を発せるなら「速く一思いに殺してくれ」と懇願する所だろう。そして鉄人は傀儡兵の内部から何かの機関を引っ張り出した。
それは傀儡兵の魔力動力炉で、傀儡兵が動力炉に手を伸ばすと鉄人はこれを容赦なく見せつける様に握り潰す。その刹那、夜闇を閃光が走り、傀儡兵は爆発を起こした。
炎の奔流が鉄人の身体を飲み込むと四散した傀儡兵の燃え盛る破片がフェイトの前に落ちてくる。その様子をフェイトは恐れを持って見るが、むしろリンディは笑みを浮かべながら言葉を紡いでいた。

「それが、それが、勝利することのみを目的とした完全なる兵器……鉄人……」

やがて炎の渦と爆風が収まり、鋼鉄の巨体が姿を現す。鉄人は徐々に高度を下げて地上に居るフェイト達の前に降り立った。
フェイトの前は傀儡兵の破片で既に炎の海となっており鉄人はその中に立ち尽くしている。リンディはそんな鉄人を見て、実に嬉しそうに声を上げるのであった。

「鉄人28号!!」

リンディの声が首都部に響くと同時に、鉄人は天高く両手を上げて咆哮を轟かせる。身体からは電流が溢れ出し、雄々しく立つ姿はまるで勝利を誇示するようにも見えたのだ。
しかしフェイトは怖かった。例え自分を守るために動いているのだとしても鉄人が怖かったのである。フェイトにとって返り血で染まったその姿は、まるで悪魔のように見えた。
そう、これはやはり自分が夢に見る正義の味方などではない。破壊を殺戮しか齎す事の出来ない化け物だ。
こんな物を認める事は出来ない。例えどれほど強い力を持っていようとフェイトにとって鉄人の存在は許容出来る物ではないのである。

「母さんどうして」

だからフェイトは信じられなかったのだ。遠く離れたビルの上に立ち、こちらを見つめているリンディが浮かべている感情が信じられなかったのである。
その表情は自分にいつも向けてくれる表情だから。燃え盛る街を見て、リンディはフェイトに向けるのと同じ表情を浮かべているのだ。

「どうして」

フェイトにはそれが分からなかった。どうして母がそんな表情をしているのか。どうしてそんなに。

「笑ってるの?」

嬉しそうなのか。

数時間後。既にミッドチルダの夜は明けていた。再び鉄人によって廃墟と化したミッドチルダ首都部。朝日に照らされるそれは、もはや廃棄都市と呼ばれる区画と差異はない。
元々はビルであったコンクリートや窓ガラスの破片がひび割れた道路全体に散乱している。アスファルトも鉄人がある居た場所は完全に陥没しており、高層ビルも原形を留めたまま傾斜している物もある。
そんな廃墟に立つフェイトとなのはは、目の前にそびえるこの破壊をたった1機で行った鉄人28号をただ呆然と見つめていた。
ついに、ついに、鉄人28号を取り戻す事が出来たのである。だがフェイトとなのはの表情は晴れない。そう、払った犠牲は大きすぎたのだ。

「フェイト、なのはさん」

聞き慣れた呼び声に2人が振り向くとそこには腕を組みながらゆっくりと近づいてくるリンディの姿があった。最愛の母の登場に喜ぶべきなのだろうが今のフェイトにそんな余裕はなかった。
フェイトにとって結局この事件は何も分からない事だらけである。何故こんな事になったのか、どうして鉄人が街に来たのか、何故スカリエッティは鉄人を手にしたのか。
それに、どうしてリンディが鉄人の事を知っているのか。フェイトはスカリエッティに言われた言葉を思い出していた。

『君の母親は偽善者の罪人だよ。私以上にね!!』

もしかしたら今笑顔で近付いてくるリンディはスカリエッティの言うような人間なのかもしれない。偽善者の罪人、フェイトはその言葉を頭から払う事が出来なかった。
あのリンディの表情、誇らしげに鉄人を見て微笑んでいたリンディがフェイトの脳裏に焼き付いている。自分が執務官試験に合格した日、その時と同じような笑顔。

『よくやったわねフェイト』

そう、まるで褒め称えるようなリンディの笑み。あんな化け物に自分に向けるのと同じ笑顔で誇らしげにしているなんて、それはフェイトにとって許せる事ではない。

「よくやってくれたわフェイト、なのはさん」

そう、この笑顔だ。確かにリンディはこの笑顔を鉄人に向けていた、フェイトにとってそれはあの化け物と同じような扱いを受けている様で。

「やめて母さん。ちっとも嬉しくないよ」

だからフェイトは拒絶した。俯いて眼を合わせようとしないフェイトにリンディも困惑の色を見せる。
リンディは純粋に、頑張った娘を褒めただけだったのに、どうして、どうしてこんな悲しそうなのだろうと。

「フェイト」

だからリンディはそっと名前を囁きかけてみる。愛しい娘を優しく、包み込むような声で。だがフェイトはその声に顔を上げると後ろに振り返った。
そこに居るのはリンディではない。鋼鉄で出来た兵士、鉄人28号。その表情は絶望と怒りが混在して、感情が狂わんばかりだった。

「こんな、こんな化け物。私は、認めないから」

瞳を涙で潤ませて鉄人を見つめるフェイト。真紅の眼が孕んでいるのは敵意。それには命のない機械、全て壊す化け物、こんな物は認めないという強い意志が宿っていた。
これが後に唯一無二のパートナーとなる鉄人とフェイトの出会い。この日を境に2人は押し迫る戦争と言う名の荒波に立ち向かっていく事となる。
そう、これから後に鉄人28号奪還作戦と呼ばれる今日この日。まだこの時のフェイトは知らなかった。自分が鉄人と運命と共にする、その事を。

続く。

 

 

前へ 目次へ 次へ

 

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年06月23日 20:34