『帰宅途中の皆さま、今日もお仕事お疲れ様です。こちらはFMクラナガン♪ 』


 クラナガン......次元世界ミッドチルダの首都である大都市。

 今は巨大なビル群が立ち並び、大凡でも約2~5,000万人もの人口を誇る次元世界で最大の都市であるこの
街も、かつては過去の戦災に加え世間で言う「JS事件」を始めとする度重なる大規模なテロに見舞われ街
は、いやこの次元世界そのものが幾度となく崩壊の危機に晒された。
 だが新暦78年に起きた通称「マリアージュ事件」以降、街は管理局の組織立て直しとも相まって街に住む
市民達の手により再建と復興が急ピッチで進められ、そうして街は再び平穏を取り戻しつつあった。
 しかし以前よりかは幾分か解消されているとはいえ貧富の格差は未だ根強く残り、加えて先の大戦での傷
跡とも云える地域......通称”廃棄都市”と呼ばれる区域は未だ開発の目処は立たず、また区画整理された
地域の中にも先に述べたテロ事件の爪痕が残されたままの場所も残っている。
 それらは開発計画の遅れが生じる度に他世界からの難民などが住み着き、それは同時に社会の裏側に巣く
う様々な犯罪者たちにとっての恰好の隠れ家ともなっていた。
 また体制の見直す上で新たな知識、技術などを導入していく為、時空管理局......通称『ミッド海上』の
新評議会が他の次元との交流を深める政策を打ち立てた事が切欠となって、街には様々な世界の人々が出入
りするようになり、それは同時に今までミッドの住人たちが経験した事の無かった新たな犯罪をも呼び込む
結果となっていた。
 そんな数々の犯罪から市民を守り街の治安を維持しながら日夜、いわゆる”社会の闇”と闘い続けている
のがミッドチルダ地上本部......即ち『ミッド地上』と呼ばれる治安機関である。
 だが現在は以前にも増して本局つまり『ミッド海上』への、魔導師として優れた資質を持つ人材の流出は
続いており、それを補う為の新たなる人材の育成と規制の一部緩和により、JS事件以前には全面的に禁止
されていた質量兵器の導入によって現場で職務に中る陸士部隊の隊員達、特に魔法に関する資質を持たぬ隊
員に限り拳銃など云った銃火器の携帯が認められるようなった。
 それでも現場における人員の不足等といった問題は後を絶たず、一昨年からは本来ならば人命救助が目的
である私達『N2R隊』を始めとする予備役の者たちまでもが市街のパトロールや、犯罪発生時の対応とい
った治安維持の活動へと参加する事となった。
 
『ではまず最初は現在の道路状況からお伝えしましょう♪担当の~』 

 この街の大動脈とも云えるハイウェイを流れる様にして走る車の数々、そんな中の一台......陸士隊所属
のパトロールカーの車内で、カーラジオから流れるアナウンサーの声を聞きながら陸士隊の制服姿で助手席
に座る隻眼の少女......それが私である。

 私の名前はチンク・ナカジマ......ミッド地上本部N2R隊のリーダーだ。

 現在は同じミッド地上に所属する父と姉そして、私と同じN2R隊の妹三人と特別救助隊に所属するもう
一人の妹とともに、ここクラナガンそしてミッドチルダ強いては次元世界の平和維持に努めている。

 キザな言い方になってしまうが、今の私達は正に”街の番人”である。


     
                       *リリカルxクロス~N2R捜査ファイル 
          
                        【 A Study In Terror ・・・第一章 】



 事の起こりは新暦82年5月9日の夕刻近く......

 宅配ピザの配達員シュモーリングは注文のあったLサイズのピザを届ける為、配達先であるクラナガン西
部地区の一角に建つ築50年近い古風な大型マンションへと到着した。
 その時の彼はまさか自分が後々に次元世界のフォークロア、つまり都市伝説としてミッドの住人達の間で
密かに語り継がれていく凄惨な事件の「目撃者」になろうとは知る由もなかった。

「うわっ!っととと、スイマセンどうも」

「……」

 配達先のメモを確認しながらマンションの玄関ホールを歩いていた彼は前から来た人物に気付かず、その
ままうっかり相手に肩をブツけてしまい大慌てで詫びの言葉を口にする。
 だが相手の男性は無言のまま肩越しに後ろを振返り、その目深に被った帽子の鍔に、ステッキを持ったま
まの左手を軽く添えて会釈をし、そのまま歩みを止める事無くマンションの玄関口へと去って行く。
 
 そんな相手の態度に釈然としないものを感じたのか一度はエレベーターの方へと歩きながらも、再び後ろ
を振り返った彼の眼に、先ほど自身に向かって会釈をした相手の後ろ姿がはっきりと映った。
 それは常識的に考えても余りに奇妙で、どこか時代錯誤な印象を受ける姿......まるで巨大な鴉を思わせ
る様な漆黒の外套を優雅に着込んだ上に何処か古めかしい山高帽を被り、そしてグリップの部分に何かしら
の装飾が施された長いステッキを左手に、更には右手に古風な革製の医療カバンを提げていた。

「……何だいありゃ?」

 そう呟くとシュモーリングは手にピザの箱を抱えたまま、外套の煤を揺らしながら去っていく”黒服の怪
人”の後ろ姿を、キョトンとした表情で首を傾げて見つめていた。
 その人物こそがミッドの住人達を、以後数十年に渡り震え上がらせる冷酷残忍な『怪物』だった事に彼が
気付くのは、それから数日後の事だった。


       ******************************
 

 配達員シュモーリングが”黒服の怪人”と擦れ違っていた時と同じぐらいの時刻......

「あ~~~~、やっと終わったぁ~~~」

 クラナガン東部地区のほぼ中心を通る国道では、ドアの横にミッド地上本部のシンボルが描かれたパトカ
ーが1台、帰宅時のラッシュなのか他の車に囲まれる様にして走っていた。
 その夕暮れ時のオレンジ色に染められた車内では陸士と思しき赤毛の少女が一人、かなり疲れた様子で運
転席に座りハンドルを握っていた。

「コラ、だらし無いぞノーヴェ。まだ任務は終わった訳では無い」

「……チンク姉、まだ怒ってる?」

 隣に座る隻眼の少女ことチンクが少し怒気を含んだ口調で話すや、赤毛の少女ことノーヴェは制服のネク
タイを緩め、背を少し丸めた姿で申し訳なさそうに返事をする。

「当然だ、お前は何故いつも勢いだけで突っ走ろうとする?」

「だって仕方ないよぉ~、あの時はイキナリだったし……」

「だからと云って、相手をバーガー店のウィンドウに放り込む奴が居るかッ!」

 その小さな身長と反比例するかのような勢いで、姉のチンクが怒鳴る叱責の言葉に思わずハンドルを握っ
たままノーヴェが縮み上がった。 

 チンクが怒る理由は数時間前の事......不良グループ同士による乱闘騒ぎを何とか抑えた後、コーヒーで
も飲んで一息付こうと二人が、通り掛かったコンビニに立ち寄った時に何と!店を襲撃したばかりの強盗3
人組と鉢合わせしてしまったのだ。
 その内の二人は間一髪で何とか取り押さえたものの残る一人を逃してしまい、それを見たノーヴェが先に
捕まえた二人を姉に任せて逃げた一人を追い掛けて行き、そして逃げた先で体術の動きを巧みに生かした立
ち回りで犯人の行く手を塞いだ。
 追い詰められた犯人が隠し持ったハンティング・ナイフを取り出すのを見るや彼女は、数分間の格闘の末
にあくまで抵抗する彼に対し、その場の勢いに任せハイキックをお見舞いする。
 だが幾らか手加減していたとはいえ、戦闘機人であるノーヴェの超人的な脚撃をモロに喰らったが故に犯
人の身体は、その凄まじい衝撃で吹っ飛ばされ弧を描いて宙を舞いながら、近くに有ったファーストフード
店のウィンドウを突き破って店内へと......

「でも、そんな毎回ってワケじゃ……ないし……」

「ほぉ、ならば先週の引っ手繰り犯の時はどうだった?その犯人と取っ組み合ったまま、ファミレスのウィ
 ンドウに突っ込んだのは何処の誰だったかな?」

「うっ、そうだった……」

「頼むから、その度に頭を下げて回る姉の身にもなって欲しい」

「……ゴメン、反省してる」

「詫びるなら姉だけでなく、本部に戻って警備部長にもしっかりとお詫びしろ。近頃の苦労もあって部長も
 そろそろ胃が危い様に見えるし」

 姉からのキビしい説教の言葉を聞かされたせいか、幾分か落ち込んだ表情でノーヴェは、その目を少し潤
ませながら本部に向けて車をトボトボと走らせた。

       
         ******************************


「交差点での乗用車同士による接触事故と、そのドライバー二人による大ゲンカが一件に御近所同士のト
 ラブルが一件、不良グループによる乱闘が一件と、そしてコンビニ強盗が一件……」

 地上本部に戻ったチンクたち二人を前に現在の上司である警備部長ヴィンセンツォは、また少し白髪が増
えた頭をポリポリと掻きながら受け取った巡回報告に目を通していた。

「んで?このコンビニ強盗を逮捕する際に、また例によって何時もの”悪いクセ”が出ちまった訳か」

 書類から顔を上げると彼は少し呆れた様な雰囲気で、姉とともにデスクの前で、バツの悪そうな表情をし
ながら立つ赤毛の少女へと顔を向けた。

「悪いクセって……痛っ!」

「……」

 部長の言葉にノーヴェが口を挟みそうになるが、彼女の足を左横に立つチンクが軽く蹴りながらジロリ!
と睨みつけ、それを見たノーヴェは思わず口を閉じて部長の言葉に耳を傾けた。

「まぁ~本来なら、先週の様にカミナリの一つも落としてやりたいところ・だ・が、お前さん達にとって
 幸いな事に今の俺は、医者から”あんまり興奮しない様に”ってな感じで釘を刺されてる」

 そんな二人の様子を見ながら部長はデスクに肘を着いて話を続け、そして不肖の妹に釘を刺そうとするチ
ンクに向かって”まぁ落ち着け”と言いたげな様子で右掌を小さく振った。

「だからと言って、今日の事に関して黙ってる訳じゃ無いぞ、良いなァ?”赤毛1号”。あんまり自分の
 身内に世話焼かせる様なら、次は無いと思えよ……分かったか?」

「……あ~いぃ」

「何だその返事はッ!?」

「はいッ!」

「分かったら、とっとと自分のデスクに戻って始末書でも書いてこいッ!」

「 は い ィ っ!!」

「云っとくが提出は今日中だっ!忘れんなよ、ったくぅ~……」

 部長が椅子から立ち上がって怒鳴るや否や、その怒声に押される様にノーヴェは背筋をピン!と伸ばし、
警備課の広いオフィスを自分のデスク目指して駆け足で走っていく。

「すいません……色々と、ご迷惑をおかけします」

 後に残ったチンクが、その銀色の長髪を揺らして頭を下げ、詫びの言葉を述べるのを聞きながら警備部長
は席を離れて彼女の前まで来ると、そのデスクの端にもたれかかる様にして腰を下ろして両腕を組み、そし
て小さく溜息をついて顔をチンクの方へと向ける。

「これも何かの因果というやつかねぇ~」
「因果、と云いますと?」
「いやなに赤毛1号が立ってたのと同じところにな、新人だった頃の俺も居たもんでな」
「部長も、ですか・・・・・・」
「そうちょうど、お前さんが立ってる所に相棒だったゲンヤさんが居て、上司の説教に俺がウンざりしてダ
 レてくる度に横から足を小突いてきたもんさ。今さっきお前さんがしてたのと同じようにな」

 そう言うと彼は苦笑いを浮かべながらオフィスの方へと目線を移すと、自分のデスクで始末書の作成に取
り掛かるノーヴェの姿を、かつての自分と重ねる様にして懐かしげに眺めていた。           


      *********************************


 デスク上に展開したディスプレイを恨めしげに睨みながらノーヴェが始末書を作成していると、部長と話
を終えて戻ったのか彼女の隣の席に、湯気の立ち上るコーヒーを両手に持ったチンクが腰を下ろした。

「どうだ、飲むか?」
「ありがとぉチンク姉ぇ。はぁ~、生き返るぅ♪」

 姉から差し出されたコーヒーを受け取りながら、ため息交じりに笑顔を見せるノーヴェ。
 そんな彼女の様子を眺めるチンクは、どこかホッとした表情で自分のデスクに肘をつきながら、ゆっくり
と自分のコーヒーに口を着ける。

「……んで部長は何か云ってた?」
「今日は次のシフトへの引き継ぎは無いそうだ。何でも西部地区で、かなり大きな玉突き事故が発生して夜
 間のメンバー全員に緊急招集が出たんだそうだ」
「緊急?じゃあウェンディたちも……」
「私達が戻る1時間も前に出動したらしい。だから今頃は現場に到着してるかもな」

 姉からの話を聞きながらノーヴェは手に持つコーヒーを一口すすりると、ゆっくりと頬杖をついた。

「じゃあ引き継ぎが無いなら、アタシらは何を?」
「それなんだが……」

 そういうとチンクは持っていたコーヒーをデスクに置き、背もたれにゆっくりと背を預けて話を続けた。

「その事故現場の近くで何か別の事件が起きたとかで、私たちを含めた昼間のメンバーは非常時に備えて
 署内で待機せよとの指示が、上の方から出たんだそうだ」

「エェェェェ、このまま待機ィっ!?もぉ~今日はホントに厄日だよ~」

「コラ気をつけろ、声が大きいぞ」

「だぁ~~ってぇ!これ(始末書)仕上げたら帰れると思ったのにぃ~」

 姉から聞かされた”待機”の言葉に思わず、心底うんざりした様子でノーヴェが嘆きの声を上げる。

 っと、そこに......

「よぉ”ウィンドウ・クラッシャー”、今週もお手柄だったってぇ?」

「うっせぇ!ブッ飛ばすぞテメェっ!!」

「おぉ~ヤバっ!お願いだから、俺ん家の窓には突っ込まないでぇ~♪」

 二人の近くを近くを通りかかった同じ警備課の陸士アップダイクが冷やかしの言葉を投げかけ、それに憤
慨したノーヴェが大声で怒鳴り返すや、彼は自分のデスクへと足早に戻って行った。

「あのヤロォォーー」

「ノ~~ヴェ!まったく、たかが冷やかしぐらいで……」

「だぁってチンク姉ぇ~」

「いい加減に慣れたらどうだ?」

 怒り収まらぬ妹の様子に呆れつつ、さり気無くチンクがため息交じりに苦言を呈した。

「あいつさぁ、何かあるたんびにアタシの事ヘンな名前で呼ぶんだよぉ?」 

「・・・・・・仕方が無いだろ、その原因の大半は他ならぬお前自身なんだから」 

 彼女が”ヘンな名前”と云って嫌がっているのは現在、クラナガンで出版されミッド全域で発売されてい
るコミック誌にて連載中の人気シリーズの事である。

 それはチンク達N2Rのメンバーが警備課に配属されて間もない頃の事......

 当時ネタに困っていた一コミック作家が、たまたま見ていたTVのニュースで都心の銀行に籠城した強盗
グループを、完全武装の陸士隊とともにウィンドウを突き破って銀行内へと突入し、立て篭もっていた犯人
全員を見事に制圧し、人質達を無事に救出したN2R隊の映像に新作のヒントを見出した。
 その時の彼女達をモデルに荒くれ者の女捜査官達が、凶悪な犯罪組織を相手に大暴れするアクション物を
創作し、それが大手のコミック誌に掲載されるや思わぬ大ヒットとなったのだ。

 そのコミックのタイトルこそが、今や警備課の一員となったノーヴェにとって不本意な呼び名の元となっ
た『ウィンドウ・クラッシャーズ』なのである。

「だぁってさぁ・・・・・・あの(コミックの)主人公って、アタシに全然似てないじゃん」

「ほぉ~、そう思うか?ならお前に一つ聞くが・・・・・・」

 新たな二つ名になりつつあるニックネームに辟易する妹の言葉を聞くや、チンクは足元に置いたバッグの
中から一冊の雑誌を取り出し、そのページを開いてノーヴェに見せる。

「この主人公達のリーダーと云うのが、姉と同じ方の眼にアイパッチをしてるのは・・・・・・」

「ぐ、偶然偶然!偶然だよホント、うん偶然。は、ハハッ」

 姉が開いて見せた雑誌のページを目にするやノーヴェは、その引き攣った笑顔に冷や汗をタップリと流し
ながら必死になって話を取り繕うとする......のだが

「なるほど偶然か。ならば、このリーダーの特技がナイフの投擲というのも偶然・・・・・・」

「ゴメンっ!分かりました。この通り謝ります!だからゴメン、もう許してチンク姉ぇ~」

 チンクの執拗(?)なツッコミに観念したか、はたまた根負けしたのか遂に不肖の妹ノーヴェは両手を合
わせ、したり顔でニヤニヤする姉に向かって目をウルウルさせながら頭を下げた。
 こうまで彼女が取り乱すのも無理は無く、姉チンクが開いて見せたのは例の人気コミックが掲載されたペ
ージで表紙には、こんなコメントがでかでかと載せられていたからだ。

       ”『ウィンドウ・クラッシャーズ』遂にアニメ化決定!”


   *********************************** 

 そうして姉からの強烈なツッコミに直撃され、すっかりノーヴェが凹んでいるのと時を同じくして......

「はい皆さん下がってぇ!ここから先は立ち入り禁止です!!」

 現場の警備を受け持つ陸士が注意を促す声が響く中、クラナガン西部地区に建つ古風なマンション「ワザ
リング・ハイツ」の周辺は近くに住む住民や通行人、そして情報を聞きつけたマスコミ関係者といった野次
馬で溢れかえり、既に日も落ちて辺りが薄闇に包まれる中、通りは騒然とした空気に包まれていた。
 そんな中、玄関前に停められパトカーの車内に制服姿の少女が一人、ドアを開けたままの運転席に俯き加
減で座っていた。

「・・・・・・」

 流れる様な青い長髪にパープル色のリボンが印象的な彼女は、気分がすぐれないのか少し青ざめた顔で周
囲の喧騒をよそに時折ため息を漏らしつつ、手に持ったハンカチを静かに握りしめた。
 
 いま彼女の脳裏に有るのは、唯一つの問い掛け......

”何故、何故あんな事が出来るの?”

 それは一時間ほど前の事......

 彼女が陸士108部隊所属の捜査官としてマンションの5Fにある犯行現場へと足を踏み入れた時、その
明るいグリーンの瞳に映ったのは、あまりにも凄惨で筆舌にし難い程に異様な光景だった。

 剃刀の様な鋭い刃物で喉元を深く切り裂かれ、そこから下腹部に掛けて鮮やかな手並みで真っ直ぐに切開
され内臓を摘出された上で、その切り口を丹念に縫合わされた犠牲者の亡骸。
 彼が横たえられたベッドの脇には血と汚物で満たされたポリ容器やペットボトル、そしてバケツと云った
大小様々な器が一部の隙もなく整然と並べられ、近くの壁には犠牲者から取り出された臓器が額縁に飾られ
ていたのだ。

 それは正に鮮血と臓腑によって彩られた悪夢のオブジェ......人の命など眼中にはなく、それどころか魂
の器たる肉体を単なる”物(素材)”として扱い弄んだ残忍極まる犯行の手口。

 どんな異常者が、いやどんな”怪物”が、ここにやって来たというのだろうか?

「無理しなくて良いんだぞギンガ。正直な話、こんなの俺だって……」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 捜査主任であるラッド・カルタス二等陸尉からの気遣いに感謝しつつ、彼女ギンガ・ナカジマ准陸尉は先
に現場入りしていた同僚や、鑑識課のメンバー達とともに犯行の検分へと入る。
 こみ上げてくる嘔吐感と言い知れぬ恐怖を何とか堪え、乾き始めた血とバケツの中で腐敗し始めた汚物か
ら立ち上る臭気が入り混じり、言葉にし難い悪臭が部屋中に立ち込める中でギンガは、その淀みきった空気
に咽せながらも何とか犯人に繋がる手掛かりを探していたのだが......

「・・・・・・被害者の家族は?」

「ガイ者(被害者)のカミさんなら、あそこに・・・・・・」

 鑑識課の主任が指し示すままカルタスとともにキッチンを覗き、そこのテーブル上に置かれた物を目にし
た瞬間、遂に堪え切れなくなったのか彼女は部屋のトイレへと駆け込むや、当日の食事を全て便器の中へと
盛大に吐き戻してしまい、止む無く上司の指示と説得(?)を受けざるを得なくなったのだ。

そうして今マンションの玄関前では......

「あの准尉・・・・・・ナカジマ准尉?」
 
 その声に彼女が運転席に座ったまま、ゆっくりと顔を上げ声の主へと目を向けると、そこには鑑識課の制
服を着た若い女性が一人、俯いていたギンガの顔を覗き込む様にして立っていた。

「ん、っえ?何か・・・・・・」

「・・・・・・あの、大丈夫ですか?」

 心配げな様子で声を掛けてきたのは、上司の指示で気分を害した彼女に付き添って来た鑑識課の若手モニ
ークだった。

「え、えぇ大丈夫です。すみません、ご心配をかけて・・・・・・」
「いぃえ、私も人の事は云えませんし。よろしければ、どうぞ」
「あ、どうも色々と・・・・・・ありがとうございます」

 彼女が差出したミネラルウォーターを受け取りながらギンガは、これ以上は相手に心配をかけまいと今で
きる精一杯の笑顔でお礼の言葉を贈り、それにモニークが返事をしようとした時......

『おい、ヒヨっ子。そっちは落ち着いたか?』

 彼女の持つ無線機から自身を呼ぶ上司......鑑識課のブロック主任の声が響き、それにモニークが少し驚
きながら一旦は無線機の方へと向けていた目線を再びギンガの方へ向けると、彼女は「心配しないで」っと
言いたげな雰囲気で微笑みながらモニークに向かって小さく頷いた。

「あ、はい大丈夫です。もうナカジマ准尉も落ち着きましたし」

『そうか、じゃあ今すぐEXスキャナを持って、こっちへ戻ってくれ』

「い、EXスキャナを、ですか?どうして・・・」

『そ~だ!また厄介なモンが出てきたんだ、うだうだ云ってないでサッサッと戻れ』

「あ、はい!すぐに戻ります」

 やや荒っぽい口調で伝えられた上司からの指示を聞き彼女は、傍で見ていたギンガに小さく頭を下げながら
一言「ちょっと失礼します」と声をかけると少し慌てた様子で鑑識課のワゴン車の方へと向かい、そして指示
のあった機材を車内から取り出すと小走りにマンションへと戻って行った。
 その様子を少し可笑しそうに眺めていたギンガであったが、再び一人となった彼女の耳に周囲の喧騒に交じ
って遠くの方から忙しなく響く車のクラクションの音が聞こえる......それも、かなりの数の

”・・・・・・あれは”

 座っていた運転席から立ち車を降りた彼女は、その目線を音の聞こえる方へと向けつつ車を離れ、近くで野
次馬の整理をしていた陸士へと声をかけた。

「あの、仕事中ごめんなさい」

「悪いが今は取り込み中・・・・・・し、失礼しました准尉!ご苦労さまであります」

 声を掛けられた若い陸士は相手が捜査官であると見てとるや、慌てて姿勢を正しながらギンガに向かって敬
礼をする。

「あぁ驚かしてごめんなさい。一つ聞いても良いかしら?」
「はい?何でしょうか准尉」
「あの音、あのクラクションの音って・・・・・・」
「あぁアレですか?あれは本部からの連絡だと、この近くの国道で玉突き事故が有ったそうです」
 
 陸士の口から告げられる言葉に少し眉をひそめると彼女は、その状況を更に詳しく聞こうと話を続けた。

「・・・・・・事故?」
「えぇ、そうです。何でも結構デカい事故が起きたみたいで、交通課だけじゃなくて警備課の連中にまでお
 呼びが掛ってるそうです」 

 事情を確認した後その陸士に礼を言い、彼が再び野次馬の整理の為に仕事へと戻っていく姿を見届けなが
ギンガは、その視線を再び幾つものクラクションが響く国道の方へと向ける。

”・・・・・・まさか”

 彼女の脳裏に何かが閃き、その直感に突き動かされる様にして視線をマンションの玄関の方へと向ける。
 
 事故が起きたという国道はマンションの玄関を出て右側、そこを徒歩で約数百m進んだ先にあり、しかも目
撃者であるピザ宅配人の証言を参考にすれば、その容疑者と思しき人物は黒服の人物は建物を出て右側へと去
って行ったという。

 気が付けばギンガは集まった群衆の中をかき分ける様にして通り抜け、その足を未だ渋滞の続く国道へと向
けて歩み出していた。

 そう何時間か前には”黒衣の怪物”が通ったのと同じ道筋を......


 
                         
                                     ・・・・・・Until Next Time
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  • A Study In Terror ・・・第一章
最終更新:2009年09月05日 01:31