人間は死んだ時、その事実を惜しみどれ程の人が悼み涙を流してくれるかで、その人物の価値が分かるという言葉がある。
その言葉の定義に当て嵌めるならば……高町なのはという人間は多くの人から愛されていたのだろう。
彼女の葬儀……出身世界での彼女の立場と事情を考えて行われた地球とミッドチルダでの二度の葬儀。
多くの者が弔問に訪れ、参列し、嘆き涙を流した。
かつて共に彼女と戦った同僚である教導隊の面々も。
彼女が次代を担う存在として鍛え上げた成長した教え子たちも。
彼女の上司、部下、知人、友人に至るまでの多くの者たちが。
彼女の喪失という事実を悼んだ。
だがその葬儀の参列者の中に、終ぞ姿を現さなかった彼女にとって他人とも言えない近しい人物が数名いた。
無限書庫の若き司書長――ユーノ・スクライア。
彼こそが、その例外の内の一人でもあった。
魔法少女リリカルなのはs.CRY.ed
幕間1 ユーノ・スクライア
「司書長、ではお先に」
「うん、お疲れ様。早く帰ってゆっくり休みなさい」
「あ、はい。……司書長も、体にはお気をつけて」
「あはは、大丈夫。このくらい平気だよ」
残務を終えた司書が一日の務めを終え退室していくその姿を、ユーノ・スクライアは優しげな表情と口調にて見送る。
彼女で残務に残っていた司書も最後。自分ひとりが残された広大な無限書庫の中で、ほんの数秒だけ休憩がてらに背筋を伸ばす行為を行った後、再び仕事へと集中するように戻っていく。
今日中に済ませねばならぬ仕事が残っているわけでもなければ、期日にはまだ余裕のある案件が少々残っている程度に過ぎない。
夜も遅くなりかけ、疲労を溜め込むくらいならば本来は彼もまた仕事を切り上げ帰って休むというのが賢い選択というものである。
だが――
「……どうせ、明日は休みだしな」
そんなものなどまるで必要とはしていない、そう言わんばかりの口振りで漏らすように最も手間取りそうな作業から手を出していくことにする。
ああ、どうせならこの仕事、家に持ち帰って出来ないものだろうか……等と本気で考えながら只管に作業のみにユーノは埋没していった。
こうして仕事をしていることが一番落ち着く、そして何よりも己にとっては救いなのだとユーノ・スクライアは本気で思ってもいた。
広大な無限書庫で、舞い込んでくる大量の仕事を我武者羅になって片付け、それだけでなく過去の資料を改めて整理し直したり、部下の手間取っている案件を手伝う(事実上は自らの手で片付けたり)等……
明らかなオーバーワーク。ワーカーホリックという言葉そのものを体現したかのようなその姿。
この半年で、すっかり定着してしまったユーノ・スクライアの姿がそれだった。
寝て、起きて、食べて、仕事をして、また寝て。
凡そ、この半年間のユーノ・スクライアの生活を表すとしたら正にそれだった。それだけだった。
体が覚えている生活習慣をリズムのように繰り返す。
淡々と、延々と、黙々と……一種の惰性のように。
体が痛めつけるように、悲鳴を上げて拒絶されても構わずに、そんな風に延々とただ仕事という作業に埋没し、何も考えず、何も思わず、何も抱くことなく。
ただそうやって生き続けた。
仕事に没頭していれば、省みる事も無く、何もかもを捨て去って、一心にそれのみに己の全てを傾けることが出来たから。
只管に視野を狭め、只管に耳を塞ぎ、只管に思考を放棄し続けて。
逃げることの出来ない逃避先に執着するかのようにしがみ付き、それのみを行い続ける。
部下や友人たちからの忠告や心配の全てを遮って、省みることも無く。
この半年の間、彼はそうやって生き続けていた。
幽鬼にように頼りない足つきで何とか自宅にまで辿り着く。
そのまま何をするわけでもなく寝室に直行、ベッドにうつ伏せに倒れこむように寝転がる。
働きすぎて蓄積した疲労の限界か、急激に襲ってくる睡魔は抗うことも出来ないほどに強烈なものだ。……尤も、抗おうなどと思ったこともないわけだが。
どうせなら、このまま永眠させてくれよ。
いつもそんなことばかりを思う。いや願っているのか。
……そうすれば、“彼女”にまた逢えるかもしれない。そう思ってもいたから。
しかし……
「……でも……合わせる……顔もない……か……」
こんな無様な情けない姿、彼女に見せてしまえばそれこそ説教もの。否、愛想を尽かされて呆れて逢ってもくれないかもしれない。
何だ、じゃあ結局逢えないじゃないか。そんな失望と悲しみだけが霞んでいく意識の中で胸中に重く広がり淀んでいく。
生きていても彼女に逢えない。死んでしまっても多分逢ってもらえない。
……じゃあ、僕はどうすればいいんだろう?
こればっかりは無限書庫のどんな資料を漁ったところで出てこない。本当の難問だ。
答えなどまるでない奈落の底の絶望の深さを実感しながら、ユーノ・スクライアの意識は闇の中へと沈んでいった。
……出来るなら、夢はみたくない。そう強く願いながら。
結局、誰が一番悪くて間違っていたのだろうか?
究極に答えも出ない下らない問いではあるが、いつも考えながら結論として抱く答えは一つだ。
――即ち、ユーノ・スクライア。
己こそが全ての元凶なのではなかろうかと、そう考えられずにもいられなかった。
十年前、ジュエルシードなど発見しなければ。
事故とはいえ97管理外世界などにアレを落とさなければ。
責任感だなんだと見栄を張らずに管理局に事情を報告して任せていれば。
彼女に手助けしてくれるように頼みさえしなければ。
……いいや、そもそも自分と彼女が出逢ってさえいなければ。
彼女――高町なのはは死ななくてもよかったのではないのか?
こんな世界に彼女を巻き込み、その道を進ませてしまった。
取り返しの出来ないことをしてしまった。
なのはが死んだ責任、それは元を糺せば自分のせいではないか。
そう、ユーノは自分自身を責めずにいられなかった。
ユーノ・スクライアは責任感の強い人間でもある。
ジュエルシードの発見、その事故による紛失とそれ故の単独での回収。
余程に責任感が強くなければ、そんなことはまず出来ない。そもそもそう動くことも出来ないだろう。
勇猛果敢な人物の陰に隠れ、忘れ去られがちでもあるが、彼もまた己のやってきた事にはしっかりと責任をもまた抱く人間なのである。
故にこそ、高町なのはがあの日、死んだと知らされたあの時、ユーノは耐え切れなかった。
生来の争いを好まぬ温厚な性格も故にか、基本人を憎むということが出来ない彼にとって初めて生まれた得体の知れないその感情。
持て余すように、否、それに構うだけの精神的余裕が無かったユーノにとって、それは自虐の方向へと向かざるを得なかった。
なのはが死んだことを認められなかった。受け入れがたかった。認めたくなかった。
その事実だけは、我慢ならなかった。
感情の捌け口が、苛立ち憎む対象を定められなかったユーノはだからこそ根本の原因こそを憎むようになっていた。
それが自分自身。あの日、あの時、高町なのはという少女の人生の転換期を起こさせてしまった自分自身。
自分さえいなければ彼女は死なずにすんだのではないのか……だからこそ、そんな風に自分を責めなければユーノ・スクライアは自分自身を保つことさえ出来なくなった。
それこそ自殺も何度も考えた、実行しようと寸前までいったことだってある。
けれど出来なかった。……それが彼女への赦しを得る為の“逃避”でしかないように思えてならなかった為である。
だからユーノ・スクライアがせめてもの贖罪……犯した罪の贖いとして自らに科したのが自分を殺すこと。
ただ只管に仕事に埋没し、誰かの為に働いて、その中で無様に、苦しみながら死ぬ。
彼女が辿った人生……その痛みや苦しみを万分の一でも自分もまた味合わねば赦される筈もないのだ、そう自分に言いきかせた。
誰かの為の仕事の中で、働き、戦い続けて……そして死ぬ。
それがユーノ・スクライアが無意識の内に贖罪と称して仕事の中へと逃げようとした理由だった。
ピンポーン。
それが自身の住まうマンションの部屋の呼び鈴が鳴らされた音だということにユーノが気付いたのは二度、三度と再び同じ音が鳴らされてからだった。
死んだようにベッドへとうつ伏せ眠り続けていた彼の意識は、その無粋な音によってあっさりと現実へと引き戻されてしまった。
「……誰だよ、いったい」
ポツリと小さく愚痴を漏らしながら不快気に眉を顰ませたユーノではあったが、これ以上続けて呼び鈴を鳴らされては堪らないと思い仕方が無いので応対する為に玄関へと向かう。
ただ寝に帰るだけになってしまっている我が家には、この半年で驚くほどに生活臭すら消えてしまった雰囲気であるが、それを今更にだからといって気にするユーノでもない。
むしろ彼にとって現状で最も関心があったのは、わざわざこの休日に自分を訪ねてきた人物が一体何者なのかというその一点のみだ。
なのはが亡くなって半年、まるで文字通りに仕事に逃げたユーノにとっては親しい友人たちはもはや寄り付いても欲しくない邪魔な存在でしかなかった。
誰もがお門違いな鬱陶しい気遣いを見せて自分に接してくること、それにウンザリしていたユーノはそれ故に自らで強く彼らを拒絶した。
連絡を絶ち、訪問にも応えず、徹底的に無視して仕事が忙しいという建前を盾に逃げた。
一人、また一人とそれでも諦めずにユーノを説得しようとしていた友人たちもまた、頑なな彼の態度にとうとう諦めたように離れていった。
それでいいと思った。後悔など欠片も浮かばなかったし、罪悪感で痛む心そのものが壊死していたユーノにとってそれはむしろ解放されたといっていい事実でしかなった。
自ら進んで皆との和を絶ち、孤独の闇へと落ちてしまったこと。
……きっと、彼女が知れば本気で怒った事だろう。
……いや、そんな事はどうでもいい。関係の無いことだ、考えるな。
自らの思考の致命的な脱線を無理矢理に修正しながら、兎に角、そういうわけでもう訪れるはずも無い此処へと今更訪ねて来たのは一体何者なのだろうかという考えへと戻る。
これでただの宅配便の類だったのなら笑えるし、むしろユーノも強く望んでいたのだが……
「……どちら様ですか?」
「僕だ。クロノ・ハラオウンだ」
……生憎と、運命の神様は早々そんな都合の良い展開は許してくれないらしい。
内心で神への罵倒と呪いを百通りほど並べながらも、しかしユーノはインターフォン越しの来訪者たる久方ぶりの友人のその姿に戸惑いを見せていたのも事実だった。
「久しぶりだな。かれこれ三ヶ月ぶりといったところか?」
「……そうだっけ。よく覚えてない。……それで何か用?」
クロノの言葉にぶっきら棒にそう応じている自分の姿は、或いは傍から見れば拗ねているだけの子供にしか見えないのだろうなという自覚がユーノにもあった。
近所のカフェテラスにて向かい合って席へと着いているこの現状……ハッキリ言ってユーノにとっても面白くもなんとも無いのは当たり前の事実だ。
本当なら自室で篭城を決め込んで追い払いたかったというのに、仕事関連で話すこともあるからなどと言う口車にホイホイ乗せられて外へと連れ出されていた己の迂闊さをユーノは呪いもしていた。
「……前にも言ったが、そういう態度は無理をし過ぎていて君には似合っていないぞ」
「放っといてくれ。僕の勝手だろ?……で、本当にさっさと用件を言ってくれ、折角の休日を君と過ごして潰す心算なんてこっちにはないんだ」
そうは言っているものの、実質今のユーノにとって休日というのはただの苦痛でしかない。逃避先であり考える事を放棄して作業へと打ち込める仕事を奪われる事は、彼にとって考えたくも無いことをどうしても思い出さされてしまうだけに苦痛の時間でしかない。
だからこそ出来るだけ纏まった休みを取ろうともせずに、単発の休日もただ自室で只管眠ることだけに費やして潰すことにしていた。
……いっそのことギャンブルか酒にでものめり込めていればまだ救いがあったのだろうが、悲しいことにそれらはユーノ・スクライアにとっては致命的に噛み合わなかった。
「新しい研究論文の作成中か? 最近、学会にも顔を出していないようだし、そろそろ復帰するのか?」
……研究? ああ、そう言えばそんなものにも没頭していたかと今更のようにユーノは初めてソレを思い出していた。
副職……というよりも趣味の領分でやっていたソレは、あの日を境にスッパリと切り捨てた。
下らないと思ったから。熱が冷めた、そんなものに意識を傾ける余裕が無かった。
そして何より―――
「……今更さ、あんなこと続けて何になるのさ?」
クロノの言葉を馬鹿にしたように鼻を鳴らしながらそれをユーノは切り捨てた。
そんな事して何になる? そもそもあんな娯楽と大差ないものを続けることにどんな意味がある?
……否、今更自分に楽しみを持つなどということがどうして許される?
そもそも自分はどうしてのうのうと今も生きている? どうしてもっと苦しんでいない?
彼女をこんな世界へと巻き込んで、挙句の果てに死なせてしまったような罪深い罪人がどうして今も生きていて、人生に楽しみなどというモノを見出すことを許せる?
そんなわけがないだろう。そんな茶番が許されていいはずが無い。
自分は罪人だ、贖罪をしなければならない。強すぎる生来からの責任感故にかそれは今のユーノにとって義務とも言っていいものになっていた。
償うことしかしてはならない。そう思っていて、それだけが今己が生きていてもいい理由だと思っているユーノにとって自身の幸せなどと言うものはもっての外だ。
だからこそ、少しでも自分に出来る社会貢献の在り方を償いの形へとする為に、ユーノは仕事にのみ没頭し続けた。……否、それを没頭し続けている理由にしようとしていた。
仕事に生きて、仕事に死ぬ。
彼女がそうしたというのなら、自分もまたそうしなければならない。
彼女よりも多く傷つき、多く苦しみ、そしてみっともない無様な形で最期を遂げなければならないのだ。
そうでなければ、彼女への償いには決してならない。
だからこそ―――
「ユーノ、君はそれが彼女が望んでいることだと思っているのか?」
そんなやり方が、結局は自分本位でしかない贖罪と言う名を借りただけの自己満足を、それこそ彼女が許すのかとクロノはユーノへと問い質す。
「……関係ない。僕は僕が決めたやり方で彼女に償う。……そうしなきゃならない責任が僕にはあるんだ」
全ての始まりは自分が原因だったのだ。ならば尻持ちや幕引きを行うのもまた自らであるというのは道理だ。
それがせめてもの高町なのはという少女を愛したユーノ・スクライアの矜持でもあり誠実さだとも信じていたからだ。
強固なまでの信念、しかしクロノがユーノの中に垣間見たのは十年前のプレシア・テスタロッサを彷彿とさせる妄執でしかなかった。
「……世界は、こんなはずじゃなかったことばっかりだ」
ユーノを真っ直ぐに見据え、目を逸らさないようにしながらクロノはハッキリとそう告げる。
「ずっと昔から、いつだって誰だってそうなんだ」
「………るさい」
「そんな辛い現実から逃げるか、それとも立ち向かうかは個人の自由だ」
「……うるさい」
「だがな、ユーノ。……君自身がどう思おうと、どういう償いとやらを選んだとしてもこれだけはハッキリと言えるぞ」
「―――うるさい!」
耳障りな綺麗事、正論ばかりを並べ立てて告げてくるクロノが我慢ならないと言った様子でユーノは怒鳴りながら彼の胸倉を掴み上げる。
「そんな綺麗事はうんざりだ! 僕が決めた僕の償いだ! 誰にも邪魔なんてさせないし、口だって挟ませない! もうこれくらいしか……こんなやり方じゃないと僕は彼女に顔向けだって出来ないんだ! だから僕から最後の生き甲斐を奪うな!」
睨みつけが鳴りたてて並べる怒声、その願望。
目を血走らせ、苦悩に顔を歪ませながらも必死になってそれにしがみ付かずにはいられない、それだけしか残されていない者の執着。
無様で醜く、身勝手でみっともなくて滑稽だ。ああ、そうだろうとも。
けれど、もうこれしか自分が歩んでいい道は残されていないのだ。
だったら邪魔をせずに最後までその道を歩かせてくれればいいではないか。
誰に迷惑をかけているわけでも無い。だったら―――
「―――なのはが悲しむ」
ポツリと静かに、けれどハッキリと聞き逃す事を許さぬ強制力を伴って。
クロノは一歩も臆することも逃げることも無くハッキリと、ユーノを真っ直ぐに見据え返しながらそう告げる。
「彼女が悲しむ。そして僕らも悲しむ……それでも君は、良いのか?」
所詮は詭弁だ。死とは終わりであり、終わってしまった死者には何もありはしない。
悲しむのはいつも生者だけの特権であり、死んでしまって無に帰ってしまった者がだからと生者のその後の行いに左右されることなど決してありはしない。
悲しくともそれが現実。だからこそ自分が言っている事が詭弁でしかないことくらいはクロノ自身だって痛いほどに分かっていた。
けれど、これは理屈ではないだろう。情理を以って時に割り切ることこそが正しいと言うのなら、そんな正しさはクソ喰らえだ。
少なくとも、そこに笑顔のない正しさの何処に人の幸せがあるというのか。
「彼女が守りたかったものは何だ、ユーノ? 誰よりも傍で、一緒に始めた君がそれを分からないとは言わせないぞ」
いつだって何処かの誰かが笑っていられるように、その笑顔を守るという事を目的に、誰も理不尽に悲しみ、泣かない様にと願って戦っていたのが彼女のはずだろう。
そんな彼女に惹かれたからこそ、彼女に協力して管理局の判断を覆してまで彼女を行かせた事もあったのがユーノ・スクライアではなかったのか。
死者は悲しまない、ああ死人は何も語らない、微笑まない、怒る事も泣く事だって決して無い。
それは生きている人間の側の権利でもあり、義務なのだから。
そしてだからこそ、生者は死者の分までそれを引き継いで守っていかなければならないはずだ。
「彼女は笑いたかったはずだ。皆にも笑っていて欲しかったはずだ。……ならば、僕らが彼女の為にしてやれる事は彼女が愛し守ろうとした、その笑顔を今度は僕らが守っていくことじゃないのか?」
少なくともクロノ・ハラオウンはそう思っていた。
だからこそ、彼女たちを守るべき兄貴分としてそう判断し、そう受け入れて行動しようと思った。
それがクロノからなのはへと唯一示すことの出来る誠実な思いだと、そう思ったからだ。
「……ユーノ、君は―――」
「―――うるさい!」
尚も続けて説得に口を開こうとするクロノの言葉を遮るように怒鳴りながら、掴んでいた胸倉を投げつけるように離してクロノを突き飛ばしながら、ユーノはそのままその場を走り去っていく。
先程から往来の近くで何事かという言った様子で騒いでいるこちらを覗きこんでいた野次馬たちの中を問答無用で突っ切りながら、ユーノは何処とも定められていない逃避場所へとただ只管にソレを目指して逃げ続けた。
「……すまない。騒がせてしまったようで」
「……い、いえ」
何事かと騒ぎを聞きつけて恐る恐るやってきた店員へと謝罪し、ユーノの分も含めた支払いを終えながら、クロノは重く深い溜め息を吐いていた。
……情けない。なんという様だろうか。口でどれだけご立派な言葉を並び立てようが結果的には親友一人の心も結局は救ってやれてもいない。
己に対しての無力感に悔しさにも似た思いを抱きながら、これでは本当に彼女に顔向けすることも出来ないとクロノは思っていた。
管理外世界出身者であり、元の世界では公にこちらでの身分を公表できない高町なのはは、表向き事故死という形で片付けられた。
これは地球に限らずミッドチルダ側においても正式な形として公表された。
管理外世界での任務を遂行中に起こってしまった不慮の事故。
エースオブエースとまで呼ばれ若手筆頭とされていた管理局の看板魔導師が本当に事故死だったのか、何らかの隠蔽工作が裏であったのではないのか……そう疑う者たちも出てきたのは事実だったが、管理局側もまた頑としてこの公表を覆すことは無かった。
まさかその件の看板魔導師がその管理外世界の異能者と単独戦闘を行った上に殺された、などという事実だけは局側としても絶対に漏らすわけにはいかない事実だった。
いつだって社会も組織も建前と面子によって保たれるのは世の常でもある。無用な混乱や不名誉な風聞を発生させないために、次元世界の守護を自負する組織としても常にそれらの維持だけは最優先で保っていかねばならぬ都合がある。
故にこその事故死。……そう、彼女は不慮の事故で亡くなったのであり、その直前まであったとされる命令違反による行動や戦闘なども無かったこととされてしまった。
当然、それに対して彼女の行いを否定するような事だとしてクロノをはじめ反発の声を上げた者もまたいた。
しかし大局において優先すべきもの……そして彼女自身の名誉の為にもこの公表が一番誰も傷つかない事なのだという上からの決定は覆すことも出来なかった。
彼女は最後まで管理局の任務に従事し、戦い続けた。決して背信の意を唱えた反逆者ではない。
管理局側としての世間へのイメージとしてもその認識だけは是が非でも死守したかった。故に生前の直前までの命令違反に抵触する問題行動等も特別に不問とされる扱いとなった。
彼女の生のその意味を偽りで汚されたような気がして、どのような理由であれクロノとしてもそれは我慢のならない事だった。
……それでも、それを知らない者。ヴィヴィオをはじめとした彼女の家族や仲間達が抱いていた彼女への想い。
それを考えれば強硬なやり方でそれらすらも傷つけかねないことをクロノ自身もまた躊躇われたのは事実だった。
「……君は、僕を恨んでいるか?」
ベルカ自治領にある教会が管理する墓地の一角、其処に新しく建てられた一つの墓標。
他ならぬ高町なのはの墓前にてクロノはそう尋ねていた。
此処に彼女は眠っていない。この墓の下にあるのは建前上作られただけの空っぽの棺桶。
故郷の海鳴にある彼女の家族……高町家にある墓もまたそれは同じだった。
「……君は今でも、あの大地で夢を見続けているのか?」
彼女の亡骸……それは彼女を最初に発見してくれたホーリー隊員が丁重に葬ってくれたのだという。
遺族や自分たちの感情を優先するならば、作ってもらった墓を掘り返してでもこちらに彼女を連れて帰りたかった。
少なくとも、その義務が自分にはあると思っていたし、彼女の家族の元へ彼女を還すのは自分がやらねばならない最低限の責務だとも思っていた。
しかし諸々の事情……上層部の不興を買った彼女の行いは、例え不問に付すと建前の上においては結論付けられようとも消えることはなかった。
実質的には反逆者であり、遺体の損傷も酷く、土葬されてから時間が経過しすぎていたという諸々の理由、事の真相をマスコミへと勘付かれる事を危惧した上層部の意見・決定によって彼女の亡骸は連れて還られもせずにあの大地へと置き去りにされた。
なのはの訃報を彼女の遺族へと伝えるのと同時に、その彼女を彼女の家族の下へと連れて還ることが出来なかったのは、クロノ・ハラオウンにとっては残りの人生をもってしても背負っていかねばならない業であり、責任でもあった。
「……だからこそ、殴られるくらいは覚悟していたっていうのに……」
君の家族は優しすぎる、そうクロノは悲しげな笑みと呟きを漏らす他になかった。
そう、なのはの葬儀……ミッドチルダで行われたものの方には自分とリンディが喪主を務めたそれだが、故郷である海鳴で行った際、それを務めたのは彼女の父親である高町士郎だった。
この十年で彼と同じように家庭を持ち、子供までいるクロノからしてみれば士郎の心中はそれこそ察して余るもの。高町一家の家族間の仲の良さすら知っていればそれも尚更だ。
だからこそクロノは海鳴での葬儀の際、参列したその時に彼らから罵倒はおろか殴られ追い返されることすら甘んじる覚悟を持っていた。
彼女が選んだ道であり選択であれ、彼女にその道を示し、預かったのは自分たちだ。その責任が当然あるのは理解しきっていたことでもある。
少なくとも、士郎たちには自分たちを恨むだけの資格と権利がある。これは理屈や正しさを云々としたものではない、人としての感情としてだ。
許されるなどとクロノもリンディも思っていなかった。そう思うことも間違いだと思っていた。
むしろ、恨み言を言ってくれることを……明確な責任をこちらへと自覚させてくれることを或いはクロノ自身も望んでいたのかもしれない。
けれど、その高町家……喪主を務めた彼女の父でもある士郎は決して恨み言の一つすらクロノたちには零そうともしなかった。
ただ彼は悲しそうに笑いながらその事実を告げただけ。
『……あぁ、やっぱり血は争えなかったということですかね。あいつもやはり俺の娘……最後まで頑固に、自分のやるべき事、やりたい事を貫いたんでしょうね』
その行動の成否や善悪はその真実を伏せられている士郎には分からなかっただろう。
だがそれでも父親として、娘が最期まで己を貫き通そうとした生き様を彼は察せていたのかもしれない。
『……最期まで、娘がお世話になり本当にありがとうございました』
そう告げて深々と頭を下げてきた士郎の姿を見たからこそ、クロノの罪悪感は益々深まるばかりでしかなかった。
居た堪れないその光景、むしろ土下座で詫びねばならなかったのはこちらだったというのに。
高町士郎は、そして彼の妻でありなのはの母でもある桃子は、クロノたちを決して恨もうとはしてこなかった。
……その事実が、ただただクロノには辛かった。
「君に自覚があったかどうかは分からない。だが君が皆を愛していたように、皆もまた君を愛していたのは間違いない事実だ」
これだけは、この事実だけは彼女に伝えておきたいと、だからこそ一つの決意を持ってクロノ・ハラオウンは高町なのはが眠らぬその墓へと告げる。
この形だけとはいえ墓を通じてでも、あの大地に眠っている彼女へと己の想いを届かせる為に。
「君はよく頑張った。……上層部の評価やその事実はどうであれ、僕は最期まで君が君自身を貫き通したことに関しては、立派だったと思う」
元々、こちらの指示を違反するなど最初に会った時から何度もあって、その度に頭を痛ませられてきているのだ。今更それにどうこう言うつもりだってクロノにはない。
だからこそ、どんな形であれ、やり遂げたその生き様を彼は素直に讃えたかった。
そしてだからこそ―――
「……後は任せろ、などと言えた立場じゃないが……それでも、君が確かに愛し護ろうとしたものは、僕の方でも出来るだけ護ってみせる」
例えば、彼女の……いや、彼女や義妹たちの夢の集大成でもあった機動六課。
例えば、彼女もまた好きだったのであろう、ユーノ・スクライア。
例えば、彼女にとって最愛の娘であっただろうヴィヴィオ。
償いの対象たる高町家を含めても、これらは必ずに己の力で何としてでも護っていくことをクロノ・ハラオウンは確かに誓う。
だから、こっちは大丈夫だから……
「君は、もう休んでいい。ゆっくりと安心して眠ってくれ」
これまで働きすぎだったのだから、と自分が言えた義理でもないかと苦笑を浮かべながらクロノは告げる。
だが間違いなく、これは真剣に違えられない確かな誓いでもあったのだ。
「それじゃあ、また来るよ。今度は他の皆も一緒に連れて」
最後に、彼女の墓前へと穏やかに告げながらクロノは踵を返して墓地を去る。
此処まで足を運んだ以上、騎士カリムに挨拶はしていっておくかと考えながら、真っ直ぐに振り返らずに黙々と進む。
『クロノ君―――頑張って』
不意に、そんなもう二度と聞けないはずの声が聞こえた気がして、クロノは弾かれたように反射的に振り向いていた。
だが当然、振り返ったところでそこに誰かがいるはずもない。あるのは最前からの変わらぬ自分が持ってきた花が添えられた高町なのはの墓のみ。
ならば幻聴、行き着く結論として、そしてリアリストを自負するクロノ自身にとってもまたそれは当たり前のことであるはずだった。
だがそうであるはずなのに……今回だけは、そんな自分がらしくもない解釈に行き着いたのは或いは感傷に流された故にか。
きっとあれは、彼女―――高町なのはからの応援……などと考えてしまったのは。
どちらにしろ、それでも良いとも思った。己のキャラでもないが、それでも今はそんな考え方もまた悪くは無い、と。
エイミィからも時折呆れたように言われてもいる。偶にくらい、ロマンチストになるのだって悪いことではないと。
今が丁度そんな時か、そう思わず微笑を零しながら、クロノは振り返った彼女の墓へと毅然としたいつもの……彼女たちが信頼を寄せてくれた兄貴分の態度でしっかりと告げた。
「―――ああ、任せてくれ」
それに応えてくれる様に、風が吹いた。
目を覆うような突風というわけでもない、どこか心地気で優しげすら感じる季節違いの春風を連想させる風だった。
これは彼女が応援してくれているのかもしれないな、そんな勝手な自己解釈をしながらクロノは再び歩き始めた。
やるべき事は多い。幾らでもある。そしてそれら全てが難しい。
だが例えそうだとしても、諦めない。
最期まで彼女がそう貫いたように、自分もまたそうして行こうとクロノは決意していた。
彼女のもういないこの世界で、せめて彼女の為に残された何かを成し遂げよう。
クロノ・ハラオウンもユーノ・スクライアもまた同じ。
生き方も、歩むべき道も、進み方も違う彼らではあるが、共通点は一つだけある。
それは―――
彼女のいないこの世界で、それでも自分たちは生き続けなければならないということ。
その結末の果てに、彼らに何が待っているのか彼ら自身にも分からない。
そして、それは彼らを見守っているであろう彼女もまた同じ。
生きている限り、生き続けている限り、それは終わらない戦いも同じ。
それでもまだ、彼らの新しい償いという戦いは続いていく。
これはただ、舞台が大きく動くこととなる前兆を前にあった、そんな彼らの物語、その幕間の一部に過ぎない。
次回予告
第九話 無常矜持
無法の中のルールは、混乱によって駆逐された。
それでも希望を持ち続ける者は……
踏みにじられる事を望む草花なのか?
カズマよ、劉鳳よ。
花は……君らを待っている。
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