……夢を、夢を見ることが出来ません。
 光が全てを覆いつくしてから、大地が上がってから。
 カズくんと、そしてなのはさんがいなくなってしまったあの時から。
 八ヶ月前の、あの日から。
 “あの人”の夢を、わたしは見ることが出来ないのです。

 

魔法少女リリカルなのはs.CRY.ed
第9話 無常矜持

 

「懐かしいですねぇ」

 間もなく空港へと降り立つ機内にて、特別に用意されたファーストクラスの席に座る男が何処か愉快気な呟きを漏らす。
 漆黒のスーツ、白髪のオールバック、サングラスの奥に隠された視線はその得体の知れぬ本人自身の雰囲気とも合わさり、さながら絡みつく蛇のよう。
 その男がこの大地へと……そう、帰郷するのは凡そ何年ぶりとなることだろうか。
 あれから随分とこの荒れくれた大地の様相も様変わりし、面白い外来からの客人までもが居座っている始末だ。
 再びこの大地に降り立つ己の目的と、そして飢(かつ)えた願望を満たすために、これらは丁度良い刺激となってくれるのだろうか。
 期待は高まるばかり。そして幕開けも近い。

「楽しみですねぇ。いや本当に」

 間もなく、一匹の毒蛇がこの失われた大地の上へと舞い戻ろうとしていた。
 はたして、この蛇の毒牙に定められた対象とは―――

 

 あの日……再隆起が発生した震源地よりほど近い山脈がそそり立つその大地の一角。
 一帯を俯瞰するように飛び回っていた一羽の隼が大地に向かって降下を始める。
 隼が降り立ったその場所……一人の少年が掲げる腕の上へと降り立ったその隼は無言のまま、しかしその額に張り付いた緑玉の視線を持って何事かを告げる。

「分かった。ありがとう」

 その隼を腕に停まらせた人物もまた、しかしその隼の告げたいことを理解したように頷きを返しながら礼の言葉を呟く。
 瞬間、隼の額に張り付いていた緑玉が外れる。同時、隼は再び大空へと飛び立っていく。
 それを静かに見送りながら少年―――橘あすかは背後にいたその人物へと収穫となったその事実を告げた。

「この辺りにも、人の気配はありません」
「……そうですか」

 橘が告げてきたその報告にその人物……桐生水守は受け入れるようにその言葉を返していた。

「ごめんなさい。付き合せてしまって」
「構いませんよ。僕もあの人たちの行方は気になっていましたし」

 無駄足を踏ませたことを詫びるように告げてくる水守の言葉に、橘の方は気にするなと言った様子で人の良い笑みと言葉を返すのみ。
 この八ヶ月、折を見ればこうして事件現場にまで足を運びながら当時の事態の渦中にいた者たちの行方を追う日々。
 収穫は一向に望めてはいなかったが、それでももう既にそれすらも慣れてしまった。
 周囲を飛んでいる鳥たちに橘のアルター“エタニティ・エイト”を仲介として用い、その俯瞰視界と情報を拝借する。
 無論、そう効率の良い方法とはいえない。事実、この八ヶ月という経過の現状がそれを物語っていた。
 それでも橘は彼女たちにこうして付き合うと決めていた以上、殊更に不満を述べる心算も無い。むしろ自分の能力があまり役に立っていない事実こそを悔やむほどだった。

「まぁ兎に角、希望を持って諦めずに探し続けましょう」

 きっと彼らを見つけることは出来る、水守へと励ますようにそう告げながら橘はここに来るのに付き合ってくれたクーガーと話をする為に席を外した。


 一人残された桐生水守は、己の宝物たるこの八年肌身離さず持ち続けていたペンダントを握り締めながら、ただ一心に想い人の行方を案じ、そしてその身の無事を祈り続けていた。
 そして同時に、高町なのはに顔向けできるだけの事を未だ成し遂げていない己の無力を悔やみながら……。

 

「駄目だな。市街には俺たちが別れた女の子らしき記録が無い」
「そうですか……残念です」

 己の愛車に凭れかかりながら、近付いてきた橘にストレイト・クーガーは若干の苦笑を込めた想いと同時にその事実を正直に報告する。
 あの日、事件現場に居合わせて行方不明となった一人の少女の探索。
 ホーリー隊員という立場を活用しながら、混乱に乗じて市街に流れる……或いは保護されたのではないかと片っ端から当たってみたのだが、それも空振りに終わった。
 あの日、あの時、高町なのはから最後に任された頼み事である以上、クーガーとしてもそれを途中で放棄することは出来ず、諦めることも出来ないので色々と手を尽くしてきたのだが……世界は無情とも言えるほどに、早々都合よくはないらしい。
 クーガーにしても自身の立場が危うくなるような無茶をしているのではないかと、橘なりに密かに心配したりもしているのだが、彼はそんなものをおくびにも出さない。
 それだけに、高町なのはとの約束をストレイト・クーガーが重んじているということなのだろう。

「……でも、何だったんでしょう。あの光は」

 成果のない重苦しい雰囲気を払拭するように、橘は努めてさり気なさを装いながら話題を変えてみることにした。
 と言っても、その疑問もまた橘としては解は出ずとも気になっていたことでもあったのだが。

「多分、『向こう側』に繋がったんだろう」
「……『向こう側』?」

 だが思いもしていなかったクーガーからのあっさりともした返答とも合わさり、思わず橘は新たに出てきたその単語の意味を訊き返していた。
 クーガーはそんな橘に今まで知らなかったのかと言った様子で説明を返す。
 まぁ尤も、これは一般のアルター使いには確かに伏せられている情報でもある。己とてとある事情がなければこうして知りもしなかったこと。そして知っていることすら浅く、まだまだ分かっていないことは多い。

 アルター能力者のアルターとは、持ち主が持つ願望……エゴともいえるそれを別の力が加わることによって形を成し、顕現させられるのだ。
 アルター能力者の能力が個々において異なる千差万別である理由は、その加わる力へのアクセス方法がそれぞれ異なるからなのだという。

 詳しいことは分かっていないがな、そう注釈をつけて説明を終えるクーガーの言葉に橘も思わず問い返していた。
「じゃあ、僕の“エタニティ・エイト”も?」
「勿論」
「それなら……劉鳳とカズマは……」
「言ったろう、分かっていないって」
 更に言葉を続けようとする橘を、クーガーはサングラスを外しながらその一言を持って打ち切った。これもまた続けたところで答えになど至らぬ話題だ。
 それに………

「……でなけりゃあ、もっと効率の良い探し方をするさ。……専門の、みのりさんがな」

 そう、彼女の想い、その悔しさを察せられるからこそクーガーにとってもこの事実は歯痒くもあるのだ。
 この大地で出来た友達を失い、想い人の行方も知れず。
 そしてこんな時に役立たねばならぬはずの自分が何も出来ていない。
 さぞ悔しいのだろう。自分にもそれが分かるからこそクーガーを見る水守の視線は痛ましい。
 だが同時に、そうであるにも関わらず、

「……あの人は、それでも折れようとはしない」

 自らを律し、弱音を吐かぬよう毅然とした態度を崩そうともしない。
 そう、かつて高町なのはがそうしていたように。
 桐生水守もまた、彼女と同じようにそれを貫こうと気高くあろうとしている。

「……だからこそ、今度はちゃんと護らないとな」

 彼女の友達まで護りきれなかったら、それこそあの世に行った時に自分が彼女に顔向けすることも出来なくなる。

「……クーガーさん?」
「ん、何だよ社長。そんな景気の悪そうな面はやめとけよ」

 クーガーの今までに無い真剣な様子に驚いている橘に、クーガーはいつものひょうきんな態度へと瞬時に戻りながら直ぐにそんな言葉を返す。
 そうそう、護らなければならないといったら………

「ところでヒバルは何処行った?」
「……え? あ、ああ。彼女ならいつもの場所に」

 橘が己を取り戻しながら慌てて言ってきたその返答に、クーガーは成程と頷いた。
 なら、自分もそろそろ久しぶりに彼女に顔見せにでも行こうかとクーガーは考えた。

 

 此処が一番空に近い場所だったから。
 それがストレイト・クーガーが高町なのはの眠る墓を立てる場所に此処を選んだ理由だった。
 実に彼らしい気遣い……スバル・ナカジマもまた苦笑と共にそう思う。
 再隆起によって発生した丘陵、その一番高所と思われる切り立ったその場に立っている粗末な石造りの墓。
 墓碑銘は無い。そんな上等なものを刻めるようなものではなく目印のように石が置かれている程度の物。
 けれどこの下に、確かに自分の憧れの人が静かに今は眠っていることをスバル・ナカジマは知っていた。
 八ヶ月前のあの日、約束は果たされなかったその事実、彼女がいなくなってしまったという現実は、確かにスバルを打ちのめす寸前にまで陥れた。
 しかし橘あすかやストレイト・クーガー、そして同じく辛いはずの桐生水守が支えてくれたそのことで何とか自分もまた立ち直れるまでの所にこれた。
 もう、高町なのはは何処にもいない。

『だからこそ……私たちがなのはさんの遺志を継がなければならないと思うんです』

 毅然とした表情で、自分よりも立派に、強く最初にそう言って立ち上がった桐生水守。
 スバルもまた彼女のそんな姿を見て、だからこそ立ち上がろうと決めた。
 あの日、君島の『生きた証』を己の力で背負っていこうと決めたように。
 今度は憧れの人であるなのはが生きたその証もまた引き継がねばならないと思ったから。
 無論、なのはの代理などと言う大役、自分如きでは役者不足だという自覚をスバルは抱いていた。
 けれど……

「……水守さんたちと一緒なら、それも出来ると思うんです」

 一人では高町なのはの代わりなど不可能。
 それくらいに重いものを彼女はずっと一人で背負って戦ってきたのだ。
 未熟なスバルではまだその重さを一人で背負いきることは出来ない。
 けれど二人なら、水守が協力してくれるというのならそうすることも出来ると思った。
 いつか、自分にしか背負えないその重みを自分の力で背負う為、今は互いに潰れないよう力を付ける為に支えあう。
 それがこの八ヶ月の間で決めた、水守や橘の元へと身を寄せることにした理由だ。
 ホーリーには戻らない。戻れない。もうあそこに自分が貫く正義は無いから。
 だからこそスバルは、この大地の上でこの大地の者たちを護る為に戦っていく覚悟を固めたのだ。
 最後までそうあった高町なのはのように、自分もまた……

「……だからなのはさん、見ていてください」

 あたしは必ずやり遂げて見せます、そう彼女を空の上から安心させてあげるように。
 もう貴女に護られてばかりだったひよっ子ではいられない、と。
 なのはがいつか己を超えてくれるようにと願ったあの憧れの背に追いつき、いつか追い越していく為に。
 今は覚悟を胸に、この道を駆け抜けよう。

「――そして、不屈の想いはこの胸に」

 いつかなのはから教えてもらったその言葉を誓いの代わりとしてスバルは呟いていた。


「……その様子なら、もう大丈夫か?」
「クーガーさん……?」

 ふと背後から投げかけられた声に振り向けば、そこに立っていたのは花束を一つ抱えたストレイト・クーガーその人であった。
 わざわざなのはの墓に献花する為に市街で買ってきたのだろうソレを、近付いて来ると共にスバルと並びながら墓前にそれを供えて黙祷。
 普段のハイテンションでお調子者の彼とは発する雰囲気も何もかもが随分と違うその姿に少しばかり呆然としていたスバルではあったが、ハッとしたようにクーガーのその姿に習って己もまた再び黙祷を始める。
 暫し沈黙の時間が経過した後、

「……っと終了! いやぁこの花結構高かったんですよぉ。再隆起のゴタゴタで流通だの何だのが打撃受けたみたいで物価が上がって、本当、ホーリーの薄給だけじゃあ生活していけませんよ」

 などと墓に語りかけるように重たい空気を一変するように突如言葉を紡ぎだすクーガー。その様子に思わず可笑しそうに笑みが漏れることをスバルも耐えられそうになかった。
 シリアスに思い詰め過ぎないための息抜き……道化を気取るように気楽な言動を見せるクーガーなりの周囲への気配りでもあった。
 そんなどうでもいいような歓談じみたものを、なのはへと報告でもするように暫し続けたその後だった。

「クーガーさん、色々訊きたい事があるんですが」

 クーガーの気遣いはありがたいし嬉しい。しかしいつまでも彼の優しさに護られてばかりもいられない。
 そう、もう今度は自分が護る側へとならねばならないのだから。
 だからここで止まっているわけにもいかない。過去に踏み止まっているのではなく、現在とそして未来を護る為に進んでいかなければならない。
 そう思ったからこそスバルは、本題へと入るように現在のロストグラウンドの状況……そして置いてきてしまった仲間達の今を知りたかった。
 スバルのその決意の籠もった態度にクーガーもやがて仕方が無いと諦めたように、

「……じゃあ、少しばかりお前には辛い話になるかもしれんが、それでもいいんだな?」

 そう最後通牒のような確認をしてくる。無論、今のスバルの返答は決まっていた。
 だからこそ――

「はい。……よろしく、お願いします」

 頼むように頭を下げて、クーガーの言葉を聞き入れる覚悟を示した。
 それに対しクーガーは、分かったとそう頷くと共に自身が見聞きしたこの八ヶ月間の情報をスバルへと語り始めた。

 


 高町なのはの訃報。
 それに対し、一番の衝撃がホーリー内部で走ったのは当然ながら機動六課だった。
 それも当然だ。自分たちを指揮してきた隊長が死んだ……殺されたのだ。
 嘆き、怒り、憎しみ、悲しみ。
 ティアナもエリオもキャロもそれら抱いた衝撃は当然言葉などで表せるものなどではなかったという。
 そしてそれが一番顕著だったのが――

 

「……ヴィータ、副隊長が……?」
 信じられないと目を見開いて驚くスバルに、しかしクーガーはハッキリとそれが事実だともう一度彼女へとその現実を告げた。

「あいつは――部隊を脱走した」

 と………。

 

 回転を加速させるドリルを先端に宿した鉄槌が、眼前の異形の腹部を容赦なく穿ち、風穴を開ける。
 それがトドメとなったのか、その異形――アルターは構成を保てなくなったように分子へと再変換され霧散。
 それを操っていたアルター使いもまたダメージのフィードバックを受けて絶叫しながら倒れ伏す。
 リーダーであったそのアルター使いがやられた事で混乱の走る取り巻きたちは悲鳴を上げながら我先にと武器を放り捨てて逃げ出していく。
 だがそれすらも許さぬというように真紅の騎士服を纏うその少女は手元に鉄球を取り出すと共に逃げる連中の背中に尽く撃ち込んで追撃をかけていく。
 その姿はまさに、獲物を追い詰めその命を絶たんとする冷酷な狩人そのものであった。


「……で、だ。訊きたいことがあるんだけどよ」

 倒れ伏したチンピラの一人の髪を掴んで力づくで顔を上げさせながら、その幼い姿とはアンバランスな凄みを利かせた言動でヴィータは相手に尋問を始める。
 嘘も虚言も拒否も許さない、言葉にせずともありありと理解できる殺気を言外にて込めながらもう何度繰り返したのかも分からなくなったその問いを再び紡ぐ。

「右腕に鎧を纏ったアルター使い。名前は“シェルブリット”のカズマ。外見の特徴は――」

 淡々と作業のようにその説明を続けていっているヴィータだが、その姿は彼女を知る者が見たとするならば狂気を感じずにもいられぬほどに恐ろし気なものであった。

「――で、そいつの事、何か知らねえか?」

 何でもいい、知っている事があるってんなら欠片でもいいから情報を吐き出せ……そう相手の顔を覗きこむように尋ねるヴィータに、相手は情けなく震えながら何も知らないと命乞いするように涙目で必死に首を振るのみ。

「本当だろうな? まさか嘘ついてやがるって事はねえよな?」
「ほ、本当なんですッ!……し、しら……知らない! そんな奴知らないんです!」

 だから殺さないでと無様に泣き出したチンピラを軽蔑するように力づくで地面に顔面を叩き落して黙らせながら、苛立たしげな舌打ちも顕に立ち上がる。

「……こいつらも外れか」

 これで何度目になるかも分からないネイティブアルター狩りの空振りを終えたヴィータは、しかし自分が生み出した眼前の惨状など一瞥すらも向けぬままに飛翔、新たな獲物を探して飛び立っていく。


 なのはが死んで八ヶ月。あの日、彼女の訃報……否、殺されたその事実を聞いた日からヴィータは待機だの謹慎だのそれらを無視して力づくで部隊を脱走。そのままアウターを飛び回りネイティブアルター狩りを続けていた。
 理由は簡単だ。なのはの仇討ち……そう、彼女を殺した憎き怨敵たる“シェルブリット”のカズマ。あの男を見つけて叩き殺すその為だ。
 その為に奴の同類たるネイティブアルターから奴の情報を聞きだして探し出す……そうして行動しているのだが、生憎と未だに一度も収穫も何もありはしなかった。
 燻ったままの苛立ち、収まりなどつくはずのない憎悪、我慢ならない憤怒。
 ……護ると誓ったはずの者を護れなかった後悔。
 それら全てが合わさって復讐の鬼と化した今のヴィータにとってもはや他の事など何一つ考えられる余地はありなどしなかった。
 カズマを見つけ出して殺す。
 今のヴィータを復讐の炎で燃え上がらせながらも、それでも彼女の心を支えていたのはその激情だけだった。
 だから――

「……何処に隠れやがった……ッ……カズマァァァァアアアアアアアアアアアアアア!!」

 ――復讐鬼と化した咆哮のみが、混沌の大地へと悲しくも虚しく響くのみだった。

 

「……そんな、副隊長……」
「お前の仲間たちも彼女の行方の事は案じてる……だがこればっかりは理屈じゃないからな」

 青褪めた様子のスバルに対してクーガーもまた何処と無く罰が悪いという表情を浮かべながらもそんな言葉を言う他に無かった。
 ある意味では、これはクーガーの報告が招いた出来事でもあるだけに責任感を感じてもいるのだろう。
 クーガーが部隊へと報告したなのはの訃報という事実。カズマと交戦し、結果としてそれによって死亡したという事実をクーガーは包み隠さずに報告した。
 或いは戦友の仲間達の憎悪の矛先が己の弟分へと向く可能性は充分にあったが、それでもクーガーは自分が見届けたその結果を彼女の仲間達には報告した。
 それがせめてもの義務、誠意でもあるとクーガーなりに考えた故にでもある。しかし結果として、今現在の六課に燻る激情の対象が大小関わらずともカズマに向かっているというのも事実ではあった。
 クーガーとてかつての弟分が憎いわけではないし、逝ったなのはもまたこのような現状は望んでいないであろう事は明らか。
 けれど、それでもこれは理屈じゃない。いや、賢しい理屈で無理に誤魔化すなどということの方がしてはならないと思う。

 ……これは、あの二人の業であり責任でもあるのだから。

 カズマを止めるということを代償に残ってしまった遺恨。そして彼女の言葉を聞き入れずに戦うことを自らで選び取ったカズマ。
 二人が選んで結果として残ってしまったものである以上、これは二人が文句を言えるものではない。

「……アイツを赦すも赦さないのも、お前たち次第だ」

 そしてアイツが背負うこととなった彼女の業を背負いきれるか、それともこのまま潰れてしまうのかもアイツ次第。

 確かになのはに残された者たちへのフォローは約束したが、見届け人を受け取ったクーガー自身の矜持としてもこの一線だけは自分が手を出してはならないものだ。
 だからこそ今クーガーに出来る事は、信じることだけ。
 高町なのはが最後まで信じていただろう彼女たちを、自分もまた信じる。ただそれだけだ。

「……ヒバル、お前はカズヤの事が憎いか?」

 だからこそ今一度、クーガーはこの一点だけは眼前の少女から確認しておく必要もあった。
 彼女の後を継ぐと決めた者が、アイツの事を赦せるのか否か。これから先、進んでいく上で避けては通れぬ決断だ。
 だからこそ、その覚悟があるのかと促がすクーガーに対してスバルは……

「…………分かりません」

 そう、彼から視線を逸らし、俯きながらそう言うしかなかった。
 彼女にとっても憧れの人を奪われたのだという事実が消えない以上は、即決で出せるような問題でもないのだからその返答もまた仕方が無い。
 故にクーガーはスバルのその返答に対して失望も無ければ落胆もない。
 けれど――

「――だが、次にアイツと対峙する時にはハッキリさせとけ」

 それが高町なのはの後を継ぐ者になろうとするのならば責務でもあると思っていた。
 そのクーガーからの言葉に、スバルが言葉を返してくることはなかった。

 

「それでだ、とりあえずお前の居た部隊……機動六課について話を戻すわけだが」

 とりあえずカズマの話題は置いておくことにして、仕切り直すように話題を戻すクーガーの言葉にスバルも真剣に頷いて聞き入る。

「増援が来たぞ、二人。ファイトさんとシグナルさんだったか?」
「……クーガーさん。それフェイトさんとシグナム副隊長です」

 相変わらず、名前を間違えているクーガーにスバルも一応と言った様子で呆れたように訂正を入れる。
 しかしライトニング部隊の隊長陣までこのロストグラウンドに来たという事実は、ある種確かに妥当であったのかもしれないがスバルにとって衝撃が走ったのもまた事実だった。
 彼女たちがこの大地にいる。なのはが命を懸けてまで護ろうとしたこの大地を、ホーリーの側に立つ彼女たちがどう思っているのか、それはスバルにも気になっていたことではあった。

 

 隊長が殉職、副隊長が暴走し部隊を脱走、隊員の一人が行方知れず。
 事実上、壊滅的打撃を受けたに等しい機動六課は八ヶ月前のなのは訃報を機に、彼女の弔いの件も含めて一時的に部隊をこの大地より撤退させた。
 なのはの遺体を連れて帰るかどうかで色々と上の方で揉めたらしいが、クーガーは墓を作って弔ったと報告をしたもののその墓を何処に作ったかについては報告しなかった。無論、問い合わせがクーガー自身の所に何度もきたが、それでも彼はその場所を決して漏らさなかった。
 その理由は……

「……今は色々と不味いだろ。お前と向こうの連中が墓参りでかち合うような事態にでもなっちまったら」

 だから、いつか向こうには話す時期が来たなら話すとクーガーは決め、機動六課側に恨まれるのを覚悟でクーガーは沈黙を保ち続けたのだという。
 その件で、ティアナに対してはそれこそ激しく恨まれていて会う度に敵視に近い視線を向けられると苦笑を漏らすクーガーだが、それにはスバルとしても申し訳ないと思う。
 ティアナにしてもなのははスバル同様に尊敬する師なのだ。勝手に埋葬され、遺体も持ち帰れず、あまつさえ墓の場所まで教えてもらえないとなっては反感を抱かれても仕方が無いというもの。
 事実、彼女の怒りは正しいと他ならぬクーガー自身が認めているのだから。

 そうして残った部隊員と気まずい関係のまま彼女たちは一時撤退。それから再び本土へと戻ってきたのは半月近く経過した後だった。
 そして久方ぶりとなる三人を再び引き連れてこの大地へと新しくやって来たのが先の二人。
 フェイト・T・ハラオウンとシグナム。
 機動六課前線部隊ライトニング分隊の隊長・副隊長を務める彼女たちだった。
 連中を空港まで迎えに行ったのはクーガーだった。今回は未だゴタゴタとした問題の残る再隆起問題でジグマール自身が迎えに行く暇も作れなかった故にだ。
 空港まで迎えに行き、見知った顔の三人と、これまた三人を引率している見知らぬ顔の美女二人を発見。
 前から思っていたどうでもいいことだが、この部隊は目の保養には実に良いと密かに思っていたクーガーだった。

「どうも、HOLDのストレイト・クーガーです。新しくやって来られた機動六課の方々ですね。お迎えに上がりました」

 とりあえず一番シャキリとして立派そうな緋色の髪をポニーテールにした鋭い顔立ちのその女性が責任者だと思ったクーガーはそう告げながら握手の為に手を差し出す。

「……ストレイト・クーガー。そうか、貴殿が例の」

 恐らくはなのはの墓云々のことだろうと覚悟は出来ていたのでそれも直ぐに予見できた。事実、その女性はその鋭利な視線を更に若干厳しいものとしながら差し出した握手には目もくれず敬礼で応じてくる始末だった。

「機動六課前線部隊ライトニング分隊副隊長、シグナム二尉です。……着任の出迎え、感謝いたします」

 尤も言葉とは裏腹に全然嬉しそうでもない。それどころか若干不機嫌すらも顕にしているほどだ。
 その事実に肩を竦めたくなってしまうのと同時に、彼女が名乗ったその階級にクーガーは思わず驚いていた。

「……え、副隊長さん? じゃあ……」
「ああ、あちらに居るのが現在の我々の隊長だ」

 唖然としながらどこか言葉が詰まって気まずいクーガーに応じるように、シグナムもまた何処か苦々しげ……否、悲しげとも言えそうな態度でそう説明してくる。

「彼女がフェイト・T・ハラオウン。……我々の隊長だ」

 シグナムがそう紹介しているのすら気にした様子も無く、その紹介された当人、シグナムやなのはとも同年代くらいと思われる金髪の女性は先程からこちらなどに一瞥の注意すら向けぬままに、年少組にベッタリと張り付きながらしきりに何かを言っている始末。

「フェ、フェイトさん……」

 視線がこちらに集まっている事実に、気付いたエリオが気まずさと気恥ずかしさも顕にちゃんとするよう彼女に促がそうとするも、

「駄目だよ、エリオ。それにキャロも。私から離れちゃ駄目。……私が誰にも指一本触れさせたりしないから。だからジッとしてて。何処にも行っちゃ駄目だよ」

 そう言いながら引き寄せるように周囲の目も憚らずにエリオとキャロを抱きしめ始める始末だ。
 流石にそれを見たクーガーもどうコメントしていいのか分からない。……というより、反応に困ってもいた。

「……まぁ見ての通りだ。彼女は先の一件で少々精神的に参っていてな」

 本当なら此処にも連れて来たくはなかったのだと悲しげにフェイトを見つめながらフォローするかのような説明をしてくるシグナム。
 下手な事は流石に言えない……その空気を読んでいるからこそクーガーも「そうですか」などと言った無難な言葉しか返せなかった。

 これが新しく見えた機動六課のメンバーとクーガーのファーストコンタクトだった。

 

「……何でも、彼女となのかさんはそりゃ仲の良い親友だったらしいな」
「……はい。フェイトさんとなのはさんは本当に仲が良かったんです」

 だからこそ、親友の死という事実に精神的に耐えられなかったのだという。
 後でエリオからこっそりと教えてもらった話では(何故か彼はその後のクーガーにも好意的に接して相談などの話もしてくるという)、それこそ訃報を知った直後というのはそれは酷い状態だったらしい。
 所謂、廃人のように無気力になり、自発的に動くというそんな事も無くなった。部屋に籠もりきりになってただ残されたヴィヴィオだけを護ろうとするかのように可愛がる毎日。
 あの姿は見ていて本当に痛々しくて辛かったとエリオは悔いるように語ったという。
 エリオやキャロもまた何度かフェイトを何とか立ち直らせようと努力したのだが結果は失敗。むしろ、前から過保護気味であった彼女の悪癖を更に悪化させてしまっただけだったらしい。
 自分たちまで彼女を追い詰める原因となった、その事実はエリオとキャロにとっても今尚に続く後悔だった。

 そうしてミッドチルダに戻ってきて半月近くが経過。なのはの死後の慌ただしい事後処理に漸く一応の目処が付いたことにより部隊を再建してロストグラウンドへと向かうことになった。
 当初の人員は四人。シグナム、ティアナ、エリオ、キャロだけのはずだった。
 フェイトはその精神状態からとてもではないがこの任務に就かすことは出来ないだろうとはやてなりの配慮でメンバーには加えられてはいなかった。
 しかし――

 ――自分の被保護者である二人をなのはが死んだ大地へ自分を不在で送り出すことなどさせないとフェイトが強く反対を申し出た。

 結果、普段の彼女とは別人とも思えるような剣幕と論調に負けたはやては、シグナムにくれぐれもフォローを怠らぬようにと厳命する形で折れ、彼女のロストグランド行きを認めざるを得なかったのだ。
 そんな事情と経緯によって彼女たちは再びこの大地へとやって来たのである。


「まぁ、そんな訳でファイトさんはエルオたちにベッタリか、もしくは自室に籠もって鬱状態ってのの繰り返し。実質、部隊の指揮はシグナルさんが執ってる状態だ」

 それもティアナが副官代わりにシグナムを懸命にサポートしているからこそ成り立っているのだという。
 クーガーから今の部隊は、それこそ酷く不安定で危ういいつ瓦解しようともおかしくはない状態なのだとか。
 それはその説明を聞き終えたスバル自身もまた正直に思った感想でもあった。

「……やっぱり、お前たちの部隊を支えてたのはあの人だったんだな」

 精神的主柱であった点を見てすら、それ故に高町なのはの部隊からの欠落は大きな影響だった。
 もう戻るに戻れない部隊、そしてかつての日々が、それを聞くスバル自身にとっても堪らなく悲しく、そして眩しくも思えた。

 

 

「再隆起現象で出現した山脈により、市街と反対側の情報が殆ど入手できなくなっている」
「不可解なのはエネルギーの放出が局地的であったということね」
「しかし、そのお蔭で市街が助かったのだから感謝すべきだ」
「そんなことより問題は戸籍の作成だ。ただでさえ住民の数すら把握できていないのに」
「原因は何だ!? 再びこのような事が起こっては困る!」

 眼前で続くこの大地における市政を司っている政府高官たちの会議。立場上、召喚された形にて出席を余儀なくされているマーティン・ジグマールではあったが、一言で言ってしまってもこの現状は不毛という言葉に尽きた。
 事実、己の利権を死守せんと集るハイエナのような連中がざわめき、何を喚こうが起こってしまったこの現状も、失った代償も戻ってくるわけではないのだ。
 方向性を定められず、責任の擦り付け合いにも発展しかねないこの会議につくづく愛想を尽かした沈黙を保ちながらジグマールがその視線を向けたのはとある一席。
 そこに座っているのは自分と同じように立場上、召喚され同席しているに過ぎない客分……異世界からやって来た魔法使いたちを新たに率いる、その代理。
 名をシグナムといった彼女は、その発する雰囲気から合わさっても前任者の高町なのは以上に武官然とした様子だ。
 事実、これまで仕事を通じて何度か言葉を交わしジグマールも相手が見かけ相応の人物であることは既に把握している。
 彼女……あの高町なのはとは大違いと言ったところか。

(……高町君、か)

 あの日、彼もまたストレイト・クーガーよりその報告を受け、多少なりとも衝撃を受けた人物の一人だ。
 未だ青臭くはあるものの、それ故に気高くも真っ直ぐであった彼女。
 若き好敵手がその己の信条を折れないままに潰えたという事実はジグマールにとっても心の何処かに物寂しい空虚さを生まれさせたのは事実だった。

(その目指す方向性はどうであれ、有望であった惜しい人材だ)

 己が進む修羅道。その血路の果てに辿り着くロストグラウンド。
 出来うるならば、彼女のような人間に穢れた過去を払拭するような美しい未来を描き、率いていって欲しいとすら思っていた。
 だがそれももはや叶わぬ願い。……彼女は死んだのだからそれも当然か。
 死は全ての終わりだ。死んだら何も残らず、その全てがそこで止まってしまうだけ。
 彼女ほどの強き人間すら所詮は理想の高さの前に、現実に押し潰されてしまったのだ。故にこそこの現実には、少なくともこの最悪の大地の上に救いなどありはしない。
 彼女はそれが分からずに死んだ。だが自分をそれを弁えて今生きている。

(私は君のようにはならん。精々、天国とやらがあるのなら、そこから私の外道の所業を軽蔑しながら見ていればいい)

 それでも自分は進むだけだ。ただ前に、己が望むものを手に入れる為に。
 どうせ彼女と違い自分は死ねば堕ちるのは地獄だ。ならばもはや口煩くも文句も言われないのだから憚る必要も無い。

 故に、揺らがない。
 マーティン・ジグマールはホーリー部隊の隊長として揺らがず、迷わず、今まで通りに己が決めたその道を進むのみ。
 その為に――

「――何か知っているのではないのかね、マーティン・ジグマール!?」

 まるで尋問とでも言わんばかりの口調で問い詰めてくる長官のその物言いにジグマールはただ静かに、毅然とした態度のままに予め決めておいた返答の言葉を返すのみ。

「報告書に書かれている事が私の知る全てです」

 極めて素っ気無い事務的な返答。当然高官たちの集中する視線の数々が険しい輝きを発するようになったのは言うまでも無い。
 事実、ふざけるなと言わんばかりに問いを返された長官がそのジグマールの言った報告書を力任せに叩きながら叫ぶ。

「この程度の物で何を分かれと言うんだ!?」
「八ヶ月もかけておいて!」

 長官の言葉に追随するように言葉を荒げる高官たち。
 アルター使いの成り上がりが自分たちを軽んじているかのようなその態度が彼らには我慢ならないと言うことだろう。

「……事件現場にHOLY部隊も出撃していたという噂もありますが?」
「まさか証拠を抹消したのではあるまいな!?」

 どうやらどう考えてもこの事態、連中はホーリーとその長たる自分へと責任を擦り付けたいらしい。
 ままならないものだ、そして保身に走る連中の何と情けないことか。

「滅相もございません」

 しかしそれらをおくびに出すこともなく淡々とした態度を崩さずに、ジグマールはただ高官たちへとそんな言葉を返すのみ。
 焦りを見せるのは愚行。そもそも彼らと自分は潜ってきた修羅場の数が違う。
 こちらが隠しているカード、そしてその情報をこんな連中に奪われて好き勝手にされて堪るか。
 あくまでもこの大地を護るのはこの自分、マーティン・ジグマールだ。

「だったら、もっと明確な調査を――」
「――そんなに目くじらを立てることじゃないでしょう」

 役者違いの不毛な論争が続く中、突如それを遮るように言葉を投げかけてきたのは許可も無くこの会議室に堂々と踏み込んできた一人の男。

「結果を議論するより、これからの事を考えた方が賢明だと思いますが?」

 まるでこの議論を茶番だと小馬鹿にしたような態度も顕に、乱入者でありながらさも己こそがこの場の主役だと言わんばかりの態度を見せるその男に、当然その場の全員の視線が集中したのは言うまでもない。


 ……何者だ、あの男は?
 それが正直にまず初めにシグナムが思った小さな疑問。
 シグナムとしてみても立場上の義務でなければ出席など御免被りたい不毛な会議が延々と続いていた中で突如現れたその変化の原因。
 この場に列する高官などシグナムの目から見ても保身に走った小物ばかり。こんな連中が市政を握るこの大地に若干の失望と同情も抱く中で、それでも中でも別格だったのはホーリーの長であるジグマールだけだった。
 夜天の書の守護騎士として数多の年月を多くの人間の手に渡りながらそれらの人物を見てきたシグナムの眼が見ても、ジグマールは別格。
 武人としての力量……こちらに関しては不明瞭だが、組織を率いる人としての格で見れば稀に見る傑物だった。
 成程、なのはが報告で残していたはやて以上の食わせ者だというのもこれならば理解できると判断していた。
 故にこそ、注目するならばこの場においてはジグマールただ一人。後の者たちはその己が就く立場とは名ばかりの有象無象。
 故にジグマールの独壇場。連中の手腕程度ではジグマールを致命的には追い詰められないだろうことは分かりきっていた。
 ……そして、そう判断した矢先のこの得体の知れない男の登場だ。
 正体不明、滲み出るその慇懃無礼。ジグマール以上のこの場に置いては若造であるにも関わらず、彼にまったく見劣りしていないその悠然とした風格。
 何より……

(……強いな、この男)

 正確な力量は流石に一見しただけでは未把握。であるにも関わらず、ふてぶてしいその態度とは裏腹に、仮にここで問答無用の不意打ちで自分が斬りかかったとしても仕留めきれる確証も無い。
 ……恐らくはアルター能力者。それもかなりの実力者。
 シグナムはその男を瞬時にそう看破した。

「誰かね君は? 部外者は立ち入り禁止のはずだが?」

 だがそれはあくまでも歴戦の騎士たるシグナムの眼力を持ってして察せられる事実。一般人である高官連中からすれば、得体の知れないふてぶてしい無礼な闖入者に過ぎないのだろう。
 故にこその誰何の声。それに対して男は……

「ああ、ご挨拶が遅れましたね。私は無常矜持、本土から派遣された特別顧問であり――」

 チラリとサングラスに覆われたその視線が絡みつく蛇のようにシグナムに向けられる。その不快な視線に対して表面上こそおくびにも出さぬ平然とした態度を保つシグナムであったが、しかし若干の警戒も同時に抱いたのも事実。
 そして男――無常はそれすらも見通したような視線を向けながら、楽しそうな笑みを浮かべたかと思うと、

「――本土から派遣された“本物”のアルター使いです」

 そうまるで本物という部分を強調するように、そんな不敵な名乗りを挙げてきた。


 特別顧問、そしてアルター使いだというその名乗りに議場に激しい動揺が走ったのは言うまでもない。
 しかしそう名乗り上げた本人はそれにすら気にした様子もないままに、

「委任状です。どうぞ」

 まるで嘲笑うかのように取り出したそれをジグマールに食って掛かっていた長官へと突きつける。

「そ、そんな……お前のような若造にロストグラウンドを――」
「個人の資質に歳は関係ないと思いますが?」

 長官の言葉を遮るようにそう言って、同意をジグマールやシグナムに対して露骨に求めてくる。
 正論と言えば正論だ。その慇懃無礼さはどうであれ、この長官と無常では役者が違う。既に彼自身が支配した議場の雰囲気がそれを証明してもいた。
 徐に無常は懐から禁煙パイポを取り出すと共に、それを指で玩びながらこの場の高官たちにハッキリと分からせるように告げた。

「要するにです、本土側はいつまでも愚図愚図している貴方方に業を煮やした、ということです」

 無能な連中を見下すかのような傲慢な物言い。しかし反論を許さぬだけの雰囲気が彼にはあった。

「で、では君は……いえ、貴方はここで何をするつもりなのですか?」

 実質上の罷免も同じ長官はそれでもこれでは納得できないのか、無常の態度に気圧されながらも喰らいつくようにそんな問いを投げかけていた。
 しかし――

「――教えてあげません」

 パイポを口許へと運びながら、平然とした態度であっさりと切り捨てるように無常はそう告げた。
 言葉を失う長官へと畳み掛けるように無常は冷酷に、そして小馬鹿に仕切ったように続けて言葉を叩きつける。

「貴方方はそこで不毛な会議でも続けていてください」

 故にもはや用無し、そう切り捨て視界どころか興味すら失った高官連中を他所に、無常が好奇心も顕に次なる対象と定めたのは二人。

「ジグマール隊長……それとシグナム二尉でしたか? 少し宜しいですか?」

 無常の言葉に実質的に拒否権が無いことを理解しきっていた二人は、仕方がないといった様子でほぼ同時に席を立ち、相手へとその視線を向ける。

「そう怖い顔をしないでください。そんなに構えなくても良いですよ」

 二対の警戒も顕にした鋭い視線に晒されても尚、無常矜持のその余裕は決して崩れることはなかった。

 


 場所を移すという無常の言葉に従い三人が移動したのはホーリー部隊長ジグマールの執務室。

「……それで、私は本土に戻るのでしょうか? それともアメリカに送還?」

 本土からの本物のアルター使い、しかも自分よりも遙かに高い権限を有している男の登場が意味する事実が分からぬほどにジグマールは愚かではない。
 つまり自分はお払い箱か、と若干に皮肉すらもこもった物言いで問うジグマールに対し、しかし無常矜持の方はと言えばその態度を崩さぬままに、

「日本国籍を取得するアルター使いをですか? 貴方には引き続きホーリー部隊を率いていただきますよ」

 ご安心を、などといけしゃあしゃあと言ってくる無常だが、ジグマールとてならば現状の図式が分からないほどに耄碌してもいない。

「……成程。だが最高指揮権は貴方にあるということですね?」

 つまりは傀儡。自分はこの無常矜持という男の下に就き、その指示に従えと本土側は言ってきているのだ。
 ……これはいよいよ忠犬を装ってきた強かな老獪を切り捨てようという意思表示らしい。

「はい、理解が早くて助かります。……ああ早々、貴方の待機中の部下48名、本土に送っておきました」
「――――なっ!?」

 指揮権だけでなく、よもや手駒たる部下たちまでをも唐突に奪われたその事実、流石のジグマールと言えどもその鉄面皮を保つことは出来ずに動揺も顕にする。
 そのジグマールの様子にまるでしてやったりという愉快気な態度も顕に勝ち誇るかのような無常矜持。

「貴方の今の直属は6人かな? 7人かな? でも安心してください。追加のダースと頼りになる助っ人も連れてきましたので」

 それは実質、ジグマールの手駒を奪い、己の手駒を招き入れて基盤を磐石のものとしているのと同じ。
 それはもはやジグマールのホーリーではない。
 そう――

 ――マーティン・ジグマールは思ってもいなかったほどに唐突に己の部隊を取り上げられたのだ。

 ……それは無念であり、そして屈辱。
 牙を奪われ屈服を強いられざるを得なくなった老獪に初めて歯噛みらしいものが抑えきれずに現れる。
 やられた……。

(……笑うがいい高町君。どうやら私は本当に道化だったようだ)

 拳を堅く握り締め、無念気に肩を震わせながら、青二才と称したはずのかの少女にまるで今この瞬間、憐れまれているように思えて仕方が無かった。

 

「というわけです。そちらの管理局さんの方にも話が通っているはずなので、以降はよしなに」

 悄然とするジグマールを愉快気に観察しながら、シグナムの方にもそう同意を求めるように言葉を投げかけてくる無常。

「……我々と本土の交わした条件はあくまで対等。貴方の下に就くという話は腑に落ちないと思うのだが?」

 確かに郷に入れば郷に従え。外様の機動六課といえどホールドに協力する以上はその長であったジグマールに従うのも道理と考えてそこに異は挟まなかった。
 しかしあくまでもその協力、活動はこちら側の同意を得た上での了承において成り立つもの。
 事後承諾で問答無用に是非も無しに従え、などと言われてはいそうですかと一部隊を預かる代理の責任としてもシグナムは簡単に退くわけにはいかない。

「不服ですか?」
「端的に言ってしまえば。そしてやり方も露骨過ぎる」
「我が儘ですねぇ」

 やれやれだとごねられてもこちらが困るのだと言わんばかりにシグナムを嘲笑うように見据えながら無常は唐突にその名前を切り出す。

「――高町なのは」

 無常が予想だにしなかったその名前をいきなり切り出したことにそれこそ驚くシグナム。しかしそれすら一向に構わずに無常は自身にとっての正当な理由とやらであるそれを告げてくる。

「貴女方のこの無能な前任者さんのお蔭で、こちらも色々と馬鹿にならない被害を被ったんですよ。ホーリー隊員への暴行、当施設への破壊活動、規律違反者の本土への脱走幇助……挙句の果てにはこの再隆起騒ぎ。どうです、何か反論でも?」

 そちらが好き勝手にかき乱してくれた行いが、これらの出来事に一枚咬んでもいる。その部分的責任を追及されれば、流石にシグナムも即座に反論は出来ない。

「……それとヴィータにスバル・ナカジマでしたか? 部隊から脱走者まで出しておいて八ヶ月も経っているのに未だ放置……これが何の問題にもならないと?」

 ネチネチと重箱の隅を突く要素ならまだまだあると言わんばかりに追求を続ける無常にシグナムも返す言葉は無い。
 瓦解寸前にまで追い詰められている今の部隊で、堂々とそれらの意見に反論を出来るほどに厚顔無恥にもなれない。

「……この件、我らが主は納得しているのか?」
「はぁ、貴女何を言ってるんです。納得云々なんていうそちらの感情なんて知りません」

 ――ただつべこべ言わずに大人しく従いなさい。

 そう、無常は……そして本土側は言ってきているということなのだろう。
 ギリッとそれこそ奥歯を噛み砕かんばかりの屈辱の怒りを燃え上がらせるシグナムだが、しかし最大限の自制をもってそれを抑え込む。
 ここで己が個人の感情で我を忘れて暴れれば、それこそ不利な立場に追い込まれるのは最愛の主たる八神はやてだ。
 ただでさえなのはとヴィータ、そしてスバルという仲間を失って、しかし公然と悲しむ暇すら与えられていない彼女をこれ以上、傷つけさせるわけにはいかない。
 故に――

「……主の確認を取り次第、以降はそれに従おう」

 ここで屈辱を受けることを自らに甘んじることをシグナムは選んだ。
 大切なものの為ならば、どのような屈辱だろうが自分は耐えることが出来る。
 本当に護るべきものの為ならば、己のプライドなど捨てろ。
 それが騎士としてのシグナムの誇り……否、彼女という存在の在り方だ。

「賢明な判断です。いやぁ、貴女は前任者の無能さんとは違うようだ。実に助かり――」
「――無常特別顧問」

 愉快気に……こちらからすれば不愉快この上ない口上を垂れようとするソレをキッパリと断ち切るようにシグナムは鋭い視線で相手を睨みながら告げる。

「貴方方が彼女をどのように捉え様がどうでもいい。そこに口を挟む権利など我々には無い。しかし――」

 そう言葉を続けながら待機状態だったレヴァンティンを展開させると共に、その剣先を真っ直ぐに無常に突きつけながら告げる。

「――高町なのはは我ら機動六課にとっては誇り高き戦友だ。その彼女の名誉を我らの前で今後軽々しくも侮辱しようと言うのなら」

 一度目は敢えて聞き逃した。二度目はギリギリで押さえ込んだ。
 しかし三度目を許容できるほど――――烈火の将は我慢強い性質ではない。

「私は貴殿に命を擲ってでも決闘を申し込まざるを得なくなる。……その事、努々忘れられるな」

 そう、護るべきは主の心。
 部隊の仲間達の安全と命。
 そして命を預け合い共に戦場を駆け抜けた友の名誉だ。
 これらが不当に軽んじられ、不当に汚され、踏み躙られようというのなら。
 それはシグナムの騎士の誓い、彼女の存在という在り方への挑戦だ。
 即ちは敵……容赦はしない。
 例え、それが主たちの最後の夢の欠片たるこの部隊にトドメを刺すようなことになったとしても。

 それでも、その責任で自らの腹を切る覚悟を持ってシグナムはそれを行うことを厭わない。
 故にこそ……

「……返答は?」

 シグナムの剣先を突きつけた問題行為を覚悟の上でのその示威行為に無常もまたしょうがないと、何処か楽しむような素振りも顕にしながら、

「ええ、分かりましたとも。失礼しました。以後は固く心に留めておきましょう」

 私も殺されるのは堪らないですからねぇ、と何処まで本気で言っているのかも疑わしいものではあったが、その返答を返してくる。
 一応はそれに納得したように失礼したと形だけの謝罪と頭を垂れた後に、しかし直ぐに毅然とした態度のままにシグナムは堂々と執務室を去っていった。


「……やれやれ、おっかない方ですねぇ」
 しかし中々に楽しみ甲斐のありそうな素材だとも無常矜持は思ってもいた。
 彼の中の満たされることのない飢えた渇望が囁き続けるのだ。

 ――彼女たちは、きっと良い玩具になる。

 と。
 それが堪らなく無常には愉しみに、そして心すらも昂ぶらせる。
 美しい花を自らの手によって容赦なく手折る。そんな踏み躙られ散華する様の何と美しきことだろうか。
 きっと彼女たちはそんな自分の望むものを見せてくれるはず。
 だからこそ無常矜持は悦に入ったその感情のままにほくそ笑む。
 その毒牙を以って愛でるべき対象となる花を、蛇はこの瞬間、確かに定めたのだ。

 

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最終更新:2009年10月28日 00:31