あの吹きすさぶ爆風の中で起きた出来事はあまりよく覚えていない。
全身全霊の力を込めて防ぎきった絨毯爆撃の後に遠距離から間髪入れずに砲撃されたこと。肝心なのはそこから先だ、強烈無比な砲撃を受けてなお生きている。
どうして?問題はそこだ、だが肝心な場面がモザイクがかかったように不鮮明。
その中でやけに鮮明に記憶されているものが二つある。
なのはとフェイトを今にも飲み込まんとする光の前に突如立ちふさがった男の背中を。
フェイトは知らない、オーバーサイズの赤いジャケットに身を包んだ男の素性を。
なのはも知らない、男が秘めているその人間離れした魔力を。
どこから現れたかすらわからない、突然二人の前に降り立った男。
立ちふさがるや否や、男は逆手に持ったその剣を全体重を預けるように切りかかる、その標的は眼前の砲撃。
なんて、無謀。
あの大規模な砲撃をただの斬撃で何とかしてしまおうだなんて、人間業じゃない。
当たれば消滅してしまいそうな魔力が篭もった砲撃だ、正気の沙汰とは思えない。
では、正気ではないから男は立ちふさがったのだろうか。
いや、違う、人の物差しで計れないから狂ったように見えるのだ。
男にとってそれはなんら普段息をするのと同じくらいになんでもないこと。
そして、大規模砲撃に剣を叩きつけることなど日常茶飯事で別段驚くようなことではない。
「おぉぅぁああ!!」
裂帛の気合と共に繰り出されるその一撃は大地を割りかねないほどの勢いで振り下ろされた。
大地を割りかねないほどの威力が込められた一撃だ、どんなものであろうと叩ききれるだろう。
そう、それが例えナンバーズが渾身の力を込めた砲撃であったとしても。
男の一撃から砲撃は二股に裂け、なのは達と男を避けるように逸れていく。
とは言え、ナンバーズの切り札だ、男に割り裂かれたとは言えその余波だって半端なものではない。
衝撃波が満身創痍の二人の意識を刈り取り、糸の切れた人形のように荒野に倒れ伏した。
そこから覚えているものはただ一つだけ。
ナンバーズが口惜しそうに叫んだ、誰かの名前。
確か………
「ソル…ソル・バッドガイ…」
魔法少女リリカルなのは GG ver.β
02.IT WAS CALLED VICTIM
「………ん…っ」
染み一つ見当たらない真っ白な空間、見上げている場所が天井だと気づいたのは少し遅れてからだった。
再起動したばかりの意識を覚醒させていく、五感が捕らえる情報を統合し現時点の状態を把握する。
体がキシキシと痛む、浅い微熱に口渇感…。
「喉…渇いたなぁ…」
現時点の状態の把握を放棄する、今はとにかく水が飲みたいと脳が訴えている。
微熱と倦怠感のためかその一言はぼんやりのんびりした口調になる。
「…なのは?あ、水だっけ?ちょっと待ってて」
誰かの声が聞こえた、大切な誰かの声。
パタパタと音を立てながら水を取りにいったようだ。
あぁ、ありがたい…気だるさと未だ絡みつくような睡魔によって思考はアクティブとはいかない。
今はただ、誰かの好意に甘えて水が飲みたい。
あんなことがあったのだから…。
「はい、なのは。飲める?」
「んん、多分…」
「な、何なら口移しでも…」
節々が痛む体を起こして水の入ったコップを受け取る。
はて、何か言われたような気がするけど…それよりもとにかく水が飲みたい。
こくこくと喉に水を流し込んでいく、ゴクリゴクリと水を嚥下する音がリアルに響く、他に何も聞こえなくなるほどに。
今までにないくらい爽やかで、心地よい音。
そして水とはこんなにもおいしいものだったか、なのはの十年足らずの人生の中でおいしいものランキングにランクインするほど、いま喉を潤していく水は美味しかった。
体にこもる熱が少し下がった気がする、今まで停滞気味だった意識が急速に思考を開始し始める。
自分の現状、ここまでの経緯…それらを推察するのに1秒もかからず。
そして…
「フェイトちゃ…んって、大丈夫?」
あの戦いにいたのは自分だけではない、今水を持ってきてくれたフェイトだってそうだ。
だからこそなのはは友の身を案じたのだが、その友はあの戦いとは関係のないところで気落ちしているような気がした。
「うん…大丈夫……何にもないよ、何もなかったよ…」
先に話しかけてくれたときよりも張りがない声、いったい何があったのだろうか気になった。
「何もなかった?どういうこと、本当に大丈夫?」
「何もなかったんだよ、うん、だから何の問題もないんだよ…」
いまいち要領を得ない答えだったが、これ以上聞いても何も答えてはくれなさそうな空気を感じ取ったなのははこの件をひとまず置いておくことにする。
状況を把握した今だからこそ、次々と疑問が浮かんでくる。
「フェイトちゃん、私たち、生きてるんだ」
「…うん、でもどうやって助かったかあんまり覚えていないんだ」
「私も。確かナンバーズに追い詰められて…遠距離から砲撃の直撃が迫ってきたところまでは覚えているんだけど」
そこからは酷くあいまいだ、自分がどのように助かったかすら覚えていないのに今ここでフェイトと話をしている。
“生き残った”という過程が抜けた、“死んでしまう”とあの時頭で認識してしまったからこそ今ここにいることが不思議でならない。
もちろんそれがうれしくないわけなんてない、生きているのに越したことはないのだが、どうにも腑に落ちない。
あの絶体絶命の状況を切り抜けられたことが。
「二人とも覚えていないってことは…ほかの誰かに助けられた?」
「アースラのみんなかな?あ、はやてちゃん達とか?」
「そうできれば良かったんだけどな」
なのはとフェイト以外の誰かの声が会話に入ってきた。
振り向いて部屋の入り口を見れば、件の八神はやての騎士、ヴォルケンリッターの一人であるヴィータがそこに立っていた。
八神はやてとヴォルケンリッターたちは先の闇の書事件での重要参考人として現在、アースラに留置されている。
とはいえ留置されているものの、彼ら自身に逃走の意思はなく協力的なためある程度の自由は保障されている。
おそらく暇を見繕ってなのはたちの見舞いに訪れたのであろう。
「あの世界では連絡手段がないから定期的に二人の状態を確認してたんだよ。で、交戦状態になったからバックアップにクロノ、だっけか?が向かったんだけど…」
「もう倒されてた、ってこと?」
「という事は私たちを救ったのはアースラの人ではないんだ」
「…実はな、シャマルがクラールヴィントで二人の様子を探ってたんだよ」
保護観察中の身でありながらデバイスを使用した、それが問題になりえることを知ってかヴィータは声のトーンを落として話す。
ちなみにシャマルのデバイス使用許可を出したのはリンディだという。
「あの世界の座標軸やら次元間通信の周波数、だったかを特定するのに時間がかかったからお前らが追い詰められたあたりからしかわからないんだけどな、あの時集中爆撃を受けた後、詰めの大出力砲撃にお前らは成す術もなかった」
「うん、目の前に迫ってくる砲撃に何も出来なかった」
「頭の中が空になった感じ、なのはのスターライトブレイカーの直撃を受けた以来の感覚だったよ」
「うわ、あれくらったのか?よく今生きてんな」
「あ、あれは真剣勝負だったから全力全快で…」
「全快の感じはもちろん“壊す”ほうだよな?」
会話の合間にはさまれる冗談がひどく懐かしい感じがする。
確かに敗北はした、でもこうして生きていられるのならまた戦える。
ここでなのはは真の意味で状況を把握したことになる、ただ一つの事実を除いて。
なのはをからかっていたヴィータの顔から笑みが消える。
話の線を元に戻すようだ。
「で、あの直撃確定の砲撃は結果的にお前らに当たってないんだ、突然現れた男が砲撃をぶった切ったんだ」
「切った!?あれを?」
「そんな!あれは防ぐのだって難しいのに!」
「驚くのもわかるけどホントなんだよ、後でその時の画像を見せてもらえよ、びっくりするぞ?」
信じられない、だがヴィータがこんなときに冗談を言うとは到底思えない。
ヴィータの真剣な瞳が嘘ではないと語っている。
「そいつを見たらナンバーズはクモの子が散る様に逃げてったぞ、捨て台詞まで残してな。多分、そいつの名前だったと思う、たしか…」
「ソル・バッドガイ…」
「そうそう、そんな名前だった、って何で知ってんだ?」
知らず知らずのうちに名前をつぶやいていたなのは、あの轟音の中でやけに鮮明に聞こえた誰かの名前。
意識を手放す間際に拾っていたそれはなのはの中にしっかりと刻み込まれていた。
また入り口のドアが開いた、今度は入ってきたのは見知らぬ男だった。
「高町なのは、フェイト・テスタロッサ、こちらへ。此度の経緯の報告をしてもらいます」
見知らぬ男は管理局本局から今回の事件を担当している男だと言っていた。
そんな男になのは達が連れて行かれて一時間強が経過した。
なし崩し的になのは達と別れざるをえなくなったヴィータははやて達と合流し、二人の帰りを待つことにした。
「事情徴収、ね。私も管理局に入ったらこういうことせなあかんのかな?」
車椅子に座り、何もない空間を見つめながらはやてはぼんやりとつぶやいた。
事情徴収、この言葉から引き出されるイメージはあまりいいものではない。
闇の書事件の贖罪のためにはやては管理局に従事することを決めている。
簡単に言えば警察のような組織だ、そこに入ってしまえば事情聴取と言うものもやらざるを得ないだろう。
現段階の自分ではそれをしている自分を想像できない、イメージすら湧き出てこなかった。
「どうでしょう、どのようなところに配属されるかにもよると思いますが」
「まぁ今はそんなこと考えてもしょうがねぇーじゃん」
「そうね、今はなのはちゃん達が心配ね」
ここでの心配とは何を指すのだろうか?
管理局がなのは達に何か危害を加えるとでも?
否、そうではない。
「確かにどこか不穏な動きが見える所々見える」
「叩けば叩くほどボロが出そうだな」
「でも叩いたらあかんよ?」
「歯がゆいですね」
この件に対してはやて達は全くの無力であった。
悪く言えば軟禁状態にあるため、なのは達を助けることができない。
「重要広域指名手配犯への対応、情報の規制…まだまだ出てきそうだな」
スカリエッティの尻尾をつかんだ割に動く人員が少ないこと、スカリエッティの情報が少ないと言っておきながらナンバーズの情報は掴んでいる、通信手段を確立していない地域への派遣。
慢性的な人員不足では片付けられないこれらは何を意味するのか?
闇の書事件で管理局と言えど一枚岩でないことを身をもって知っているヴォルケンリッター達は、この事件にも同様の陰謀が企てられていると感じていた。
「人員が少ないというのはこの際考えても仕方がねぇーけど、しかし情報を小出しにするのはなんでだ?例えばスカリエッティの事とか…」
「ナンバーズの情報は過去に事例が存在しているからな、だが現時点では本当にそれしか持っていないのだろう。スカリエッティ、その下にナンバーズ、そして雑兵役のガジェット」
「小出しにしたのはあの世界の情報、でしょうね」
「あの世界の情報?」
ザフィーラが指摘したあの世界の情報、そのとおりだ、通信手段すらも確立されていない世界へと二人は派遣されたのだ。
アースラのバックアップがなければどうなっていたかわからない。
いくらシャマルのデバイス、クラールヴィントが広域探査に特化しているとしても、別段管理局とて広域探査ができない訳ではない。
通信手段とて何らかの方法があったはずだ、それらが未確立なまま前線に送るという事は送られたものたちに死を強制するに等しい。
「今回シャマルがとったデータで通信手段が確立されるはずだ、今後は任務も遂行しやすくはなるだろう」
「でも、今回の一件でスカリエッティが拠点を移す可能性だってあるんよね?」
「まぁな、でもスカリエッティがいた痕跡を調べられれば御の字さ」
「問題は、今後も続投させるかどうかだ」
失敗は失敗、敗北は覆らない。
本人たちにやる気があっても上層部がどのように判断するかはわからない。
おそらくなのは達は任務の続行を望むだろう、得になのはは一度決めたことを途中で降りる様な真似はしない。
だが、第三者から―――――はやて達の意見としてはこのまま任務から外されてほしいと願っている。
相手が悪いのもそうだ、そして何より管理局の真意が見えないところ。
管理局にどんな考えがあってなのは達にこの任務を押し付けたのか?
それが一向に見えてこない、そんな不安要素の多い危険な任務に齢十にも満たない少女達を送り込みたくない。
せめて自分達が彼女の助けになれるなら、と思えどそうもいかない。
「ん、リンディ提督からだ」
「あ、デバイス返還してませんでした…」
「そらあかんな」
規定違反の割りに随分とのんびりしたやり取りを行うシャマルとはやて。
中空にアースラの艦長、リンディの姿が映し出されると、さすがに態度が変わる。
「すみません、デバイスですよね?すぐに返還します」
「あぁ、それもそうなんだけど…それに関わる別のことでお話があるの」
「と言いますと?」
「さっきの画像データを提出していただきますか?」
「…もしやバレました?」
「別に悪いことをしていたわけではありませんですから…ただ、あの時の画像で確認したいことがあるんですって」
その言い振る舞いからして必要としているのはリンディではないらしい。
とすると、おそらくなのは達から事情聴取している男だろう。
しかし、あのノイズ交じりの画像から何を知りたいのか?
確か今は少しでも情報がほしいのは理解できるが、あの短い時間しか記録されていないデータから一体何を?
「わかりました、では今からそちらに赴きます」
「すみませんね、シャマルさん」
「いえ、かまいません。私達にとって大事な人が関わっているわけですし」
「そう言って頂けるとありがたいです…そうそう、なのはちゃん達ついさっき事情聴取が終わったみたいですよ」
それを聞いて浮き足立つはやて達一同。
「本当ですか?なのはちゃん達に会えますか?」
「それなんだけど…」
「まさか、任務失敗で何かあるとか…」
「そういう訳ではなくて…え~と…」
「何かあったんではないのですか?なるべく早く会いたいんですけど…」
「あ~、今すぐは無理かな」
はて、すでに開放されたはずのなのは達に会えないと。
握りつぶした淡い不安がまた蘇り始める、リンディは終わったとは言うものの任務失敗の責を問われ、謹慎処分でも受けたのではないか?
だがしかし現実ははやて達の斜め上を行っており、
「事情聴取が終わったなり、二人してどこかに行っちゃったのよ」
予想外の展開、任務の失敗もなんのその。
止まることを知らない二人はいずこかへ消えたのだと言う。
詳しく聞き出せば行き先は無限書庫だそうだ。
何でも二人は今後も任務を継続して遂行するらしい。
それではやて達は合点がいった、どうして無限書庫に向かったか。
「自分で情報収集か」
「あいつらタフだな…」
あきれ気味に苦笑いを浮かべる各々、それに乾いた笑いで返すはやて。
だが、はやては同時に言いようのない不安を感じていた。
それは自分でも言葉になりきらない、具体性を持たない勘の様なもの。
ただ二人が心配だ、それだけならいいのだがそれよりももっと深い何か。
言葉に出来ないが為に回りには言わず、自分の胸の中にしまっておいているがその不安は確かにはやての胸の中に息を潜めている。
(何もなければいいんやけど…)
はやてに出来ることは変わらず二人の無事を祈るだけ、それは彼女自身が不安に押し負けないようにする儀式でもあった。
遠くから見守ることしか出来ない自分に出来る精一杯、ただただはやては二人の事を想うだけだった。
無限書庫、ここにはその名の通り限り無い情報が渦巻いている。
そのジャンルは多種多様であり、その全てを管理することは不可能である。
人は人の身で知覚しきれないものを無限と呼ぶ。
なるほど、ならば無限書庫はやはり無限と呼ぶにふさわしい。
人の身に余る程の情報を内包しているのだから。
そんな場所の管理を任される人間がいる、矛盾している。
それこそ無限にある仕事を延々とこなさなければならない、まるで拷問だ。
しかしその人間は拷問のような仕事を喜んでやっているのだと言う。
しかもそれが見た目10に届くかどうかといった所の少年がやっていると言うのだ、まったく持って無茶苦茶な話である。
「なのは~、検索条件が漠然的過ぎるよ、せめてもっと条件を絞らなきゃ…」
「そんな事言ったってユーノ君、元々情報が全く無い世界なんだからこれ以上条件なんて出てこないよ~」
「ユーノ、ここの司書なんでしょ、クライアントの無理難題に答えるのが君の仕事でしょ?」
「無理難題なんてレベルじゃないよ、これ…」
ユーノは今現在、非常に困っている。
それは拷問のような日常業務ではなく、検索条件の曖昧な資料を探し出せと言う少女達に、だ。
世界といってもピンからキリまであるわけで、その中から捜し求めるものを見つけ出せと言うのだ。
無茶が過ぎる、小足見てから昇竜拳で反応しろとか、テイガーでν-13に勝てとか言うレベルじゃない。
まさに外道、畜生のごとき仕打ち。
しかしそんなユーノに味方するものは誰もいない、むしろこんな事もこなせない無力なお前が悪いみたいな空気が漂っている。
まったく、世の中は理不尽なものである。
「まぁなのは達もまた無理難題を押し付けられたみたいだね」
「うん、そうなんだぁ」
「責任を問われなかっただけマシと捉えるべきなのかも微妙だよ」
なのは達が無限書庫で何を探しているか、それは先のスカリエッティ逮捕の任務に関係してくる。
結果から言うと何度も言っている通り継続して任務に当たるべし、との事。
だが、今回は前回よりもちょっとだけ違う。
「そる・ばっどがいの逮捕?」
ユーノのイントネーションの無茶苦茶な発音で呼ばれた名前は酷く滑稽に聞こえる。
それも仕方が無いか、ユーノはソルの存在の事など知らないのだから。
「私達を助けてくれた人を逮捕しろ、って事でしょ?何だか複雑なの」
無限書庫内にある情報に検索用の魔法をかける。
膨大な量の中から曖昧な条件で検索をかけた為、ヒット数が見たことも無いような桁をはじき出す。
「なのは、どういう検索条件にしてる?」
「“なのは”でかけてみたの」
「遊んでるの?」
「いや、だって無限書庫って初めてだから」
インターネットを始めて扱った子供かのように、自分の名前で検索していたなのはに深くため息。
とは言え、すでに“ソル・バッドガイ”等、現段階でわかっている単語で検索をかけてみたが目ぼしい情報見つからなかった。
なのはでなくても遊びたくもなる。
「でもホント不可解だよね、今回のは」
「初めてのお仕事だもん、きっと慣れてないだけだよ」
「そうかもしれないけど…さ」
ユーノはそこから先を言葉にしなかった。
きっと自分よりも聡明ななのはとフェイトだって気付いている、いや当事者であるからこそ気付いていなければならない。
今回の事件の不透明さとそれに伴う危険性を。
「ユーノ×クロノ、っと。ありゃりゃ、さすがに無限書庫でもヒットしないね」
「ブロントさん…あ!引っかかった!」
あぁ、気づいていると信じたい、この悪ふざけが張り詰めた緊張をほぐすためのものだと信じたい。
関係ないものを調べ始めた二人そっちのけで仕事にかかるユーノ。
とはいえ…なのはたちが放り出してしまう気持ちもわからなくはない。
大海の中で一粒のしずくを探し出すようなそんな作業、気の遠くなる。
小さくため息をつく、一息つく、そんなニュアンスの空気を肺から追いやる。
「ところでなのは?」
「にゃはは、“私の怒りが有頂天に達した!!”」
「あ、はは!!なのは、はまりすぎだよ“このままでは私の寿命がストレスでマッハなんだが・・”」
「フェイトちゃんだって…ってユーノ君呼んだ?」
目頭を押さえる、涙をこらえてる訳ではないのに。
一体何をこらえると言うのだ、彼女達は並みならないプレッシャーからつかの間の安息を得ているに過ぎない。
そうだ、そんなことは確定的に明らかだ。
ほんの少しなのはたちの独特な言葉遊びに毒され錯乱気味のユーノは頭がおかしくなって死ぬ前に一旦その場から退避することにした。
「ふぅ…」
無限書庫の足場のない不思議な感覚から開放されて、本能的に落ち着きを取り戻していく。
やはり人間は地に足をつけて生きていくのが摂理なのかもしれない、なんてことを思いながら廊下を歩く。
一息つき、錯乱気味の頭が整理整頓されていくのを感じる。
正常な思考が戻ってきてまずはじめに心に浮かんでくるもの、自然とあの二人のこと。
これまで大きな戦いを経て、確かに強くなった。
しかし、それでも上には上がいる。
いろんな人間がいて、いろんな考えを持っていて、いろんな戦い方をする。
そのすべてを超越したわけではない、そんなおこがましいことは少なくとも彼女達は思っていないだろう。
それはなのはと共に過ごした日々が証明している。
あの歳にして妥協することを知らない。
風は空に、星は天に、輝く光はこの腕に、不屈の心はこの胸に。
胸に宿る不屈の心は輝く光を宿したその腕を、天の星、空の風にかざす。
高みへ、ただただ高みへ。
油断はない、彼女に慢心はない。
だからこそ彼女は立ち上がるのだろう、戦っていくのだろう。
だからこそそんな彼女に協力したくなるのだ。
気づけば無意識のうちに微笑んでいる自分に気づく、でも悪くない。
心に思えば、自然と笑みがあふれる人はそう多くはない。
…不安要素は少なくない、むしろ有利な条件など探しても見つかるかもわからない。
「でも、やれることはやるべきだよ、ね」
不屈の心の持ち主が高みを望めるように。
時間にして3分少々、十分にリフレッシュできた。
「さて、仕事に戻ろうかな。」
その前にどうやってあの二人を正気に戻すか、そんな難題を考えながらユーノの足は無限書庫へと向く。
足取りは驚くほどに軽いのは気のせいじゃないだろう。
「さて、なのは、フェイト!そろそろ本題に…ってあれ?」
まずはなのは達を落ち着かせようと意気揚々と踏み込んだユーノだったがその意思は空回りする。
無限書庫に戻ってみればあの腹を抱えて笑いあっていたふたりの姿はなく、真剣な眼差しで資料を漁っている。
どうやら取り越し苦労だったらしい、そんな二人を見てユーノも気持ちを入れなおす。
それから三日、昼夜を問わず作業は進められた。
検索条件が非常に少ないためにしらみ潰しに資料を漁っていく。
元より最近発見されたばかりの世界だ、資料などほとんどないに等しいだろう。
だが、一縷の望みはここにしか残されていない。
だからこそ探す、妥協はしない。
さらに作業の合間…というよりは作業の傍らで何度もシュミレーションを行っていた。
相手は先に敗北を喫したナンバーズ。
二人のデバイスに残されていたログから戦闘データを洗い出し、忠実に彼女達を再現した。
もちろん完全にとはいかないものの、あの一回のデータからここまで再現できたのなら上出来だろう。
何十回、何百回と仮想ナンバーズを相手にしながらの情報収集。
その作業は過酷の一言に尽きた。
そして四日目。
「あ!」
思わず声を上げてしまった、そんなに大きな声ではなかったが元が静かな場所であったためその声は大きく響いた。
その声に反応したなのはとフェイトは声の主であるユーノの下に近づいていく。
「どうしたの、ユーノ君?」
「もしかしたら…これ…」
中空に画像が映し出される、見覚えのある、しかしなるべくなら記憶から抹消してしまいたい場所。
それくらいに趣味の悪い赤に染められた地獄の一角。
一面に広がる赤い海と空、空から逆さに生える建物の群れ、わずかに残された大地にあるのは薄気味悪い意匠の墓石の群れ。
「当たりだね、ここだよ、ユーノ」
目的としていた情報が見つかったのにも関わらずフェイトの表情は明るくならない。
その景色は見ていて気持ちのいいものではない、手痛い敗北を喫した場所でもあるが、それ以上に生理的嫌悪感がその場所について思考するのを拒否しているようだ。
そんなフェイトの傍らでユーノは一心不乱でそのデータを解析していく。
「破損が激しいな…情報の欠落ばかりでまともに読めない」
「修復できる?」
「わからない、でもやるだけやってみるよ」
即座に破損したデータを修復する。
壊れたものは元には戻らないが、それを継ぎ足して直すことはできる。
その場でできる限りの処置を行う、発掘を生業にしているスクライア一族の名を冠すユーノだ、この手の作業で右に出るものはいない。
「AD…2010年、魔法科学理論が確立?あの世界の歴史?」
「それにADって、西暦の略称じゃなかったっけ?」
「…ユーノ、続けて」
本題はそこではない、フェイトは作業を続けるように促す。
修復しながらユーノは断片化された情報を整理していく。
「2014年、GEAR細胞の研究…2016年、初のギア人体実験…」
「GEAR?人体実験?」
「生態兵器の…一種みたいだね、生物なら何でも兵器に転用可能…」
言葉が出なかった、命を兵器に作り変える、その非情な技術が横行している世界だとは想像だにしなかった。
ユーノは感情を押し殺して情報の修復を続ける。
「2074年、自らの意思を持ったギア、ジャスティスが人類に反旗を翻す、聖戦勃発…2175年ジャスティス封印…」
「…随分と時間がかかったんだね…」
「それ以降は何も書かれていないみたいだ…」
ようやく言葉が出たフェイトだが、そのあまりの凄惨さに半ば放心状態になっている。
100年にわたる戦争、種の存続をかけた戦い、人と人の利権をかけた戦争とは違う。
本能が、生きようとする本能がその存在をかけて戦う。
想像などできない、フェイトもそうだがなのはにだって、もちろんユーノにだって想像できない。
何故なら、人類に敵対する種になど出会ったことがないからだ。
「どうやら想像以上に危険な世界みたいだね」
「……駄目だ、これ以上は修復できない、これだけじゃまだ足りないのに」
「いいよ、ユーノ君。十分だよ」
焦るユーノを宥めるなのは。
結局、その場は解散となる。
誰もが無言のままその場を後にした。
その話を聞いた誰もが言葉を失った。
地球へ進行してきた宇宙人と戦っている、そんな荒唐無稽な話にも似た…いや、実際問題何が違うと言うのか?
人類に敵対してきたのには変わりない、それがどこから来たかなど大した問題ではない。
争いとは長らく同じ種同士で争うものだと錯覚してきた、人間の歴史がそう思わせる。
それまで人類に仇名す存在なんて皆無だった、だからこそ想像がつかない。
長らく忘れていた、人類とて一つの生命体の集まりだ、淘汰される対象の一つであることなのだということを。
「……………」
部屋の窓の次元の流れを眺める。
何とはなしにそうやってしばらく経つ。
フェイトが思考を放棄して、その景色を飽きることなく、ただ眺める。
その瞳はずっと変わりなく流れ続ける次元の波を見つめている。
(生体兵器…GEAR…)
人間が作り出した生命体、かつ兵器。
従順に主である人間の命令を遂行し、何の感情もなく何の迷いもなく命を搾取していく。
兵器とは何かを傷つけるための道具だ。
いつだってその兵器を扱ってきたのは人間の意志だ。
しかし人間には意思がある、それ故に迷いが生じて仕損じる事だって少なくはない。
だからこそあの世界の人間はGEARなんてものを作ったのかもしれない。
仕損じのない、誰の心も痛めない、そんな究極の兵器。
(でも…そんなの…)
あらかじめ用意されていた、すでにこの世に生を受けていた何かにGEAR細胞を植え付ければどんなものだって兵器に転用できる。
そう、どんなものだって。
それが人間でも例外ではない。
(初めてGEARになった人はどんな人だったんだろう…)
そしてどんな気分だったんだろう?
自分が人間ではなくなって、兵器になってしまった気分は。
どうしてそうなろうと思ったのか?
何がその人をそうさせたのか?
…考えてもそれらの答えは出てこなかった。
(私も…GEARと同じだったのかな…)
ほんの少し昔のことを思い出す。
大切な友達との出会い、そして大切な母親との別れ。
あの時の自分はどちらかと言うと兵器に近かったのかもしれない。
感情は持っていた、でも意思は…傀儡同然だった。
母親への慕情ゆえに、盲目的に母親の意思に従って戦った。
今でも、正直間違っているかどうかと言われるとわからない。
母親が好きだった、だからフェイトは戦った。
(あぁ…そうだ…)
意思だって、あったんだ。
自分がそうしたいと思った、どんなに辛くても痛くても自分でそう決めたんだった。
自分の意思で傀儡になろうと決めたんだ。
少し次元が涙でにじんだ、次元の海に飲み込まれた家族のことを思ったからだ。
その涙が今はとても誇らしい。
(私は…兵器じゃない…)
今は頬を伝う涙が何だか愛おしい。
かすかに伝わる温もりをそのままに、母と姉が眠る次元の海をいつまでも眺めていた。
それからまもなくしてなのは達は任務でもう一度あの世界に行く日を迎えることになった。
前回の出撃では確立されていなかった長距離通信も可能となり、さらに次元転送の制度も格段に向上している。
確かに、任務自体はやりやすくなったのかもしれない。
だが、それだけだった。
転送ポートを目の前にして二人の表情はいまだ硬い。
「…………」
二人とも無言のまま、まるで喧嘩でもしたかのような雰囲気。
やれることはやった、未練はないはずなのに。
「フェイト、無茶するんじゃないよ…」
今回、アルフは帯同しない。
アルフにはフェイトをフォローする技術はあってもなのはをカバーするほどの余裕はない。
フェイトの魔力を消費して存在しているアルフが魔力を使えば使うほどに、フェイトの負担になる。
サポートが本業のアルフだが、なのはまでカバーしてフェイトの魔力の消費を早めては何の意味もない。
もちろんアルフとしては二人についていきたい、しかし二人の足を引っ張りかねない現状ではこうして後ろから励ましてやることしかできない。
それが何とも歯がゆくて仕方がない。
「大丈夫だよ、無理はできない、帰らなきゃいけないんだから」
肩越しに笑みを浮かべてアルフに返す言葉は優しい。
その優しさがアルフにとって痛くもあり、心地よくもある。
「さて、そろそろ時間だね、フェイトちゃん」
今まで口を開かなかったなのはが話しかける。
いつもどおりの口調、いつもどおりの声。
何一つ変わった様子などない、いつものなのはだ。
「うん、行こうか、なのは」
目配せを一つ、そして一歩前へ踏み出す。
なんの迷いもない一歩、穢れなき意思の踏み出す一歩、いつもと変わらない一歩。
何一つなのはは変わらないはずなのに。
フェイトだってそうだ、何も変わらない。
任務の困難さゆえ?いや、GEARの真相はあの世界の背景であって今回の任務に関係してくることではない。
「……………」
二人はそのまま転送ポートに入る。
転送の準備は完了した、あとは送り出すだけ。
「なのは」
転送の直前、無言の空間を破ったのはユーノの声だった。
はじき出されたかのように口から出たなのはを呼ぶ声。
責任を感じていた、結局のところ今回ユーノはなのはの役に立てていないからだ。
悪戯に此度の件を重くしたかもしれない、そんなことをずっと考えていた。
そのどこ申し訳なさそうな表情を見たなのはは笑う。
「別にGEARと戦うわけじゃないんだから、心配しないで?」
「そうだけど、全部が全部休眠しているとは限らないかもしれない」
「そうかもしれない、でもそうじゃないかもしれない」
もちろん上層部にもGEARの情報は行き届いている。
が、任務内容に変更はなかった。
ジェイル・スカリエッティの逮捕、そしてソル・バッドガイの逮捕。
後に追加されたソルの逮捕すらも変更はなかった。
あの世界の住人を逮捕する、管理外世界なのにも関わらず、だ。
何故?と聞いてみた、だが帰ってきた答えは“need to know”
…つまり末端が知る必要はないということ。
その事実を知りますますユーノの罪悪感は強くなった。
結局のところ、状況をこじれさせただけなのかもしれない、と。
「やるだけだよ、何が出てきても全力でいくんだ」
「無茶だよ、無謀すぎる」
「でも、全力以外の戦いなんて認められないの」
恐怖感はないのだろうか?ユーノは時折、なのはを疑問に思うことがあった。
全力でやるのはいい、でもその後のことを考えているのか、不安になる。
「それでも…命は一つなんだよ?」
問いかける、自分の罪悪感を少しでも緩和するための質問ではない。
純粋に、彼女の無事を祈る気持ちから。
「一つだけだからだよ、大切にしたいから全力でいくんだよ」
その時、ようやくこの違和感に気づいた。
おそらくいつもと変わらないから不安なんだろう、事の重大性に関わらずなのはの姿勢が変わらないことが。
なのはには油断のひとかけらもない、それは悪いことじゃない。
でも、自分の命を大切にしてくれるだろうか?
駆け引き…引き際を感じ取ってくれるだろうか?
これまで以上に命のやり取りに敏感にならなければならない。
だからだ、この硬くて重い空気はその反故から生まれる。
なのはの身を案じる一同、それに答えようと力むなのは。
「大切にする方法は全力出し切ることだけじゃない、休む事だって大事なんだよ」
「…わかってるよ、ユーノ君」
案じるだけでなく、言葉にして伝えた。
それになのはは頷いた、ほんの少しの間をおいて。
誰もが、その場にいる誰もが二人の無事を祈っていた。
あらゆる手を尽くした、万全を期した、やれることはやった。
されども不安は尽きない。
なのはだってわかっているはず、フェイトだってそうだ。
誰もが二人の無事を祈っていて、それが最優先であることぐらい。
二人に何かあれば悲しむ人が数多くいることくらいわかっているはず。
(なのは…フェイト…)
二人がいなくなった転送ポートを見つめる。
ユーノは二人がそこに無事に戻ってくること祈っていた。
ただ、祈ることしか出来なかった。