法王は、騎士たち一緒になって技師・職員の避難活動を行っているカリムたちに声をかけた。
「カリム、シャッハ、君達はハルベルティルダ姉妹を連れて急ぎ本局ビルへ行きなさい」
「聖下!?」
二人は“信じられない”という表情で法王を見詰めると、法王は笑顔で答える。
「恐らく、本局も通信機能が麻痺して混乱状態にあるはず、君らの力が必要になろう」
「では、聖下もご一緒に!」
カリムがそう言うと、法王はかぶりを振って答える。
「いや、私は魔神を止めねばならん、法王の務めはそれなのでな」
「そんな…! 」
カリムが絶句すると、法王は宥めるよう微笑みながら言葉をかける。
「カリムや、お前さんが小さい頃よく遊び相手になってあげた事も、家庭教師となって色々教えてあげた事は、今も一番の思い出じゃよ」
「聖下…」
カリムの手を取ると、優しく諭すように言葉を締めくくる。
「何、大丈夫。この老いぼれ、まだまだ死にはせんて。さあ、今は自分の為すべき事に集中するのじゃ」
法王はエージェントとシャッハに振り向く。
「カリムの事、くれぐれも頼んだぞ」
法王はそう言い終えると、杖を突きつつ倉庫の方へをゆっくり歩き出す。その後姿を、カリムは呆然と見送る。
「騎士カリム…」
心配したシャッハが声とかけると、カリムは決然とした表情で二人に振り返る。
「至急、本局ビルへ向かいます。急ぎオットーとディードに連絡を」
「分かりました!」
落ち着きを取り戻した様子に、シャッハとエージェントが力強く頷いた。
「すまんの…」
法王は立ち止まって振り向くと、去り行く三人の後姿に向けて小さく呟いた。
管理局以外でクラナガンの治安維持の任務に当たっているのは、市当局直属のクラナガン市警察である。
空間モニターによる通信が不可能となってからは、各地区署及びパトカーに予備のアナログ無線機が装備されているこの警察機関が、
市内各地区の状況を管理局に連絡する役割を担っていた。
そのパトカーのうちの一台がサイレンを派手に鳴らしながら、信号を無視し、
前方の車を蹴散らしながら市内を猛スピードで暴走するスポーツカーを追っていた。
「暴走車に告ぐ! こちらはクラナガン市警察である! 速やかに暴走行為を中止せよ!繰り返す―――」
パトカーから警告が繰り返されるが、暴走車は速度を落とす気配を見せない。
「畜生! こっちの言うことをまるで聞きやがらねえ!」
三十代前半のアラブ系と見られる浅黒い肌の警官が、ハンドルを爪が食い込むほど強く握って前方を睨み付けながら毒づく。
「こちらミルダ246号車、暴走車は現在37区アルテンダ通りを北に向けて逃走中。付近のパトカーで動ければ至急応援を要請する!」
助手席に座る、潰れた鼻に頭頂部を中心に六つの小さなとさかを持つ、緑色のうろこ肌の警官は、苛立ちの感情も露わに無線のマイクに怒鳴りつける。
「こちらはミルダ778号車、応援要請了解した。通りの終わりの交差点で挟み撃ちにする」
冷静な口調の返答に、トカサ頭の警官は幾分ホッとした様子で言った。
「頼む、こちらは追いつくだけで精一杯だ!」
交差点に差し掛かると、ミルダ778号車が暴走車の真正面から走ってくるが、暴走車の方もスピードを落とさない。
むしろ更に加速し、パトカーとの距離を急速に縮めていく。
「チキンレースでもやる気か!?」
アラブ人警官が驚愕の表情で呟き、トサカ頭の警官は仲間に警告する。
「ミルダ778、気をつけろ! 奴は止まるつもりがまったく無い!」
「了解」
暴走車と激突すると思われた次の瞬間、ミルダ778号車は人型の巨大ロボットに変形し、
暴走車の頭上をジャンプすると、そのままミルダ246号車のフロントを脚で踏み潰す。
暴走車を追ってハイスピードで走っていたパトカーは、いきなり前を潰された反動で車体が跳ね上がり、
仰向けにひっくり返って五十メートルほど火花を上げながら路上を滑り、暴走車に弾かれて街灯に激突した別の車にぶつかって停まった。
「お見事“バリケード”」
暴走車の方も人間型ロボットに変形すると、バリケードという名のパトカーロボットに賛辞を送る。
「ま、こんなもんよ“ダブルフェイス”」
バリケードはダブルフェイスに自慢するように手を上げると、後ろを振り向いて集団で走ってくるスポーツカーやピックアップトラックの集団に指示を出す。
「ドロップキックにスィンドルども、このあたりは制圧した! 次は管理局本局ビルへ向かうぞ!!」
それを受けて、車の集団は周囲の混乱を尻目に、交差点を次々と左折していく。
「俺はこれからドローンどもを率いるが、お前はどうする?」
バリケードが尋ねると、ダブルフェイスは再び車に戻って言う。
「俺の方は好き勝手に走り回るだけさ」
バリケードは肩をすくめながら返答する。
「やれやれ、相変わらずお前は単独行動を好むな」
「俺の言う“大暴れ”は、この街の街路を縦横無尽に走り回って管理局の連中を撹乱するって事だよ」
そう言いながら、ダブルフェイスはドローンたちと反対の方向へ甲高いスキール音を発して走り去る。
バリケードも、首を横に振りながらドローンたちに追いつくべく、パトカーに変形して走り出した。
交差点は破壊され、炎上する車と死人や怪我人の呻きで目も当てられない惨状となっていた。
その混乱の中、横転して煙を上げるパトカーから、トサカ頭の警官が這い出した。
彼の左腕と足首はあらぬ方向に曲がり、顔は血まみれになっている。
「お、おい…アリー…大丈夫か?」
警官はアラブ人の同僚の名前を呼びながら、運転席の方へ這いずりながら向かう。
ドア越しに中を覗き込むと、シートベルトで座席に固定されて逆さまのアラブ人警官は胸を押さえ、必死に息を吸おうとしている。
「ど、どうした!?」
警官は、ドアを開けようとするが、フレームが歪んでいるようでまったく開かない。
そうこうしているうちにアラブ人警官は意識を失ったらしく、胸を押さえていた腕が力なく垂れ下がる。
警官は、左足でフロントガラスを割ろうとするが力が入らず、空しく蜘蛛の巣状にヒビの入った飛散防止ガラスが揺れるのみ。
パニック状態に陥った警官は周囲を見回しながら絶叫する。
「誰か助けてくれ! 同僚が危ないんだ!!」
すると、両側に跳ね上がった髪をリボンでロングのポニーテールに束ねている、ハイティーンの少女が、警官に声をかける。
「こちらは管理局機動一課“黒龍隊”所属のディエチ・ナカジマ二等陸士です」
それを聞いた同僚はすがるような表情でディエチに訴える。
「管理局か…! 助かった、アリーが死にそうなんだ! 頼む、助けてくれ!!」
「分かりました、下がってください」
ディエチは同僚にそう言うと、フロントガラスの一部分を拳で突き破り、そこから手を突っ込むと一気に引き剥がす。
ディエチはアラブ人警官のベルトを外して座席から降ろし、路上に横たえると診察を始める。
「外傷性血気胸ですね」
「それは…何ですか?」
警官が尋ねると、ディエチは背中のバックパックを下ろしながら返答する。
「胸の中に出血した血液が溜まり、心臓や肺が圧迫される事です」
説明を続けながら、ディエチはバックパックから器具を取り出す。
「応急処置で胸腔内の血を吸引して呼吸をしやすくし、止血剤を投与します」
ディエチはそう言うと、チューブで袋とつながった注射針を、アラブ人警官の両胸の脇に刺す。
すると、胸の中に溜まっていた血液が排出され始めた。
次いでディエチは注射筒を左腕に押し当てる、注射針は自動的に腕の血管内に刺さり、薬液が注入される。
血液の排出を始めて少し立つと、薬との相乗効果でアラブ人警官の浅かった呼吸が回復する。
「落ち着いたようです」
ディエチの言葉に警官は安堵の表情を浮かべる。
「ですが、病院で本格的な治療を始めないと危険です」
ディエチはそう言うと、念話でシャマルに連絡を取る。
“シャマル医務官、こちらはディエチです。37区アルテンダ通りの終末の交差点で重傷者が多数、至急衛生士の派遣と医療施設への移送を要請します”
“わかったわ。今そちらに向かうから”
ディエチは連絡を終えると、トサカ頭の警官に振り向いた。
「次はあなたの番です、折れている手と足に当て木をしますね」