”人は私を見て「罪なき血を流す者」と呼ぶだろう。だが、それは如何なものだろうか?

                    なぜなら血とは即ち流れてこそ初めて、深紅なる血と呼べるのだから”


 薄靄が立ち込める中を掻き分ける様にして、低く重苦しいエンジン音の響きと共に地上本部のエンブレムが描かれた一
台のパトカーが速度を落としながら、おぼろげな明かりを灯す古い街灯の下を通過していく。

『23号車23号車。こちら本部、現在の状況を報告して下さい』

「本部、こちら警備課23号車。ただいま通報のあった現場周辺に到着。どうぞ」

『こちら本部。では現場を確認次第、引き続き報告をお願いします』

 ヘッドライトの眩い光とルーフ部分の回転灯が放つ赤と青の輝きが暗闇を照らす中、その薄暗い車内では制服姿の女性
が外の様子を伺いながら、手に持ったマイクに向け今現在の状況を本部へと伝えていた。

 新暦82年5月11日の午後19時23分を約10秒過ぎた頃

 本部を通じ市民から銃声が聞こえたとの通報を受け、北部地区を管轄とする第15分署警備課で新人の指導にあたるベ
テランの女性陸士レベッカ・ヴァイヨンは、その日が初めての任務となる新人のベルナール・フレッソン二等陸士が運転
するパトカーに乗り、メインストリートの外れへと到着する。

 だが、その行く先で二人を待っていたのは......

「本部了解。こちら23号車、これより周辺の捜索に入ります」

     
                           *リリカルxクロス~N2R捜査ファイル 
          
                            【 A Study In Terror ・・・第三章 】


 二人を乗せたパトカーは小気味良いアイドリング音を立て徐行しながら、北部地区のメインストリートでも、ひときわ
人通りの少ない区域へ入ろうとしていた。

「うぇ、な~んか気味悪いトコっすね」
「そうね……もしかしたら、ホントに幽霊が出るかも」
「止して下さい!こんな時に」
「冗談よベル坊や。フフッ♪本気にした?」
 
 幾分か怯えた様子でハンドルを握るベルナールを、軽いジョークを交えながらレベッカが少し楽しげに冷やかしていた
時である。
 その区域でも明かりの付く街灯が極端に少ない場所へと、彼女達の車が差し掛かるや否や助手席に座るレベッカの視線
が前方の、二人から向かって左側へと注がれる。

「ちょっと停めてベル」

「停めてって、見付けたんですか?何か……」

「良いから停めて!」

 彼女の強い口調に押されベルナールは車をゆっくりと停め、そのままレベッカが凝視する方へと目を向けると、そこに
は薄汚れた路地裏へと続く入口が見えた。

「もうちょっと先に、そこまで進めてくれる?」

「そこって、あの路地裏んとこまで?」

 彼の問い掛けにレベッカが黙したまま頷くのを見たベルナールは、そのままアクセルを浅く踏みながらノロノロと車を
進め、そして路地裏のすぐ前まで来たところで静かに停車させる。
 車が完全に停まり相棒がサイドブレーキを引く音を聞くと彼女は、助手席のリアウィンドウ越しに黒々と口を開く路地
裏の、外の明かりすら届かぬ程に真っ暗な闇の奥を凝視したままシートベルトを外し、注意深くドアを開けながら大型の
フラッシュライトを手に外へと足を踏み出す。

「ちょ、ちょっと先輩!待ってください、僕も一緒に……」

「アンタはここに居て」

「でも一人で行っちゃマズいですって!」

「心配してくれるの?ありがとベル♪でも何かあった時この車に、誰かが居なきゃ応援が呼べ無いでしょ」

 そう言ってレベッカは心配顔で見守る相棒に向けて軽くウィンクをすると車を降り、左手に持つフラッシュライトを灯
けて辺りを照らし他に注意すべきものが無いか確認した後、腰のホルスターから抜いた質量デバイス......口径9mmの
自動拳銃を手に路地裏へと踏み込んでいく。
 
 っと暫く間を置いて......

「止まりなさい!!」

 彼女の持つフラッシュライトの眩い光が路地裏の奥を照らし、それと同時に車中で見守るベルナールの耳に、怒気を孕
んだレベッカの鋭い叫びが響いた。

「管理局の者です!今すぐ持ってる物を下に置き、両手を上げてゆっくり此方を向きなさい!」

 暗闇の奥で遭遇した何者かに向かって彼女は、決して怖じる事無く強い口調で相手に対し投降を命じる。
 だがその様子はライトを握って立つレベッカの黒々とした後ろ姿が妨げになり、彼女が誰と向き合っているのかは今ベ
ルナールが居る位置からでは、はっきりとは確認できなかった。

「ここで何をしてるんですか?」

「……」

「身分証があるなら今すぐ……っ!?」

 不審者の他に何かを見付けたのか、それまで職務質問をしていたレベッカの声が不意に途切れ暗がりの中で、彼女が照
らすライトの明かりが一瞬だが大きく揺れた。

 っと次の瞬間!

 リアウィンドウが砕け車体が軋む音とともに突如として、ベルナールが乗るパトカーを凄まじい......それこそ車その
ものがバラバラになって吹っ飛ぶかと思えるほどの衝撃が襲う。
 
 突然の事に驚き狼狽しながらも彼は震える手でドアを開け、飛び出す様にして車から降りるとフラつく足取りで歩きな
がら、いったい何起きたのか事態を確かめようとする。
 外へと出たベルナールの眼に映ったのは、ドアからルーフに掛けて左後部座席の部分が大きく凹んだ惨たらしいパトカ
ーの車体と、そこに深くめり込んだ大きく黒々とした物体だった。
 だが辺りに立ち込める薄靄と近くに有った街灯が消えていたせいか、その時の彼には今目の前に横たわる物体が何なの
かはすぐには確認できず、そこでベルナールはベルトから自分のフラッシュライトを取り出すと、その物体に向け点灯ス
イッチを押した。

 急な明かりに彼の瞳孔は委縮し、そこに照らし出された物が何なのか脳の思考が判断するまでに数秒の誤差が生じる。

 だが、その数秒後ベルナールの、それも張り裂けんばかりの絶叫が夜の空気を震わせた。
 
 フラッシュライトが放つ光の中に浮かび上がったのは、その引き締まった身体を髑髏の紋章が彫られたマシェット(山
刀)で串刺しにされ、人外ともいえる凄まじい力でパトカーに叩きつけられたレベッカの無残な骸だった。
 変わり果てた姿で絶命したパートナーの傍でベルナールは、フラッシュライトを握りしめたまま言葉にならぬ声で神に
ひたすら救いを請うばかりだった......っが
          ......
「夜分に恐れ入ります巡査殿」

 その声にライトを構えたまま彼が振り向いた時、そこには真っ暗な路地裏の前に立って自身の事を見詰める、背の高い
黒服の紳士の姿があった。

「御忙しい中まことに恐縮なのですが、ひとつお尋ねしたい事が」

 コツコツと云う靴音と共に優雅に着込んだ外套の裾を揺らしながら近付き、その良く通る深みを持った声とメリハリの
利いた口調で話しながら黒服の紳士は、いきなり現れた正体不明の相手に怯え竦み上がる若い陸士の前へと立った。

「……ふ、ふぁ!ふ、は…ひ……や」

 なんとか声を絞り出し目前に立つ相手に、何かを喋ろうとするベルナールだったが、それは全く言葉の体をなさず彼は
まるで陸に揚げられた魚の如く口をパクパクさせるばかりだった。
 そうして数秒間、いや実際にはもっと短かったかもしれない......だが彼にとっては永遠とも思える時間、自身を見下
ろす様にして立つ相手を前に、身動ぎすら出来ないベルナールに向かって紳士が徐に口を開いた。

 
「ここから五番街へ行くには、どの道を通れば宜しいですか?」

 
 そこまでだった......

 そこから先の記憶は完全なる空白に覆われてしまった。

 そう任務初日だった新人二等陸士は、その夜に生まれて初めて恐るべき”モンスター”と遭遇した恐怖の為、立ってい
た路上へと倒れ込んで失神してしまったのだ。

「仕方がありません。では、自分で探す事にしましょう」

 やれやれと言わんばかりに溜息をつきながら黒服の紳士は軽く周囲を見回すと、そのまま気を失って倒れたベルナール
を残して惨劇の場から薄靄の中へと悠然と去って行き、後にはスクラップ同然となったパトカーの中で無線の音が空しく
響くのみだった。

『こちら本部!こちら本部!23号車、至急応答して下さい!こちら本部!こちら本部!・・・・・・』


             ******************************
 
  
 北部地区の外れで15分署の陸士二人が”黒衣の怪物”と遭遇していた時より少し前......


   *ワザリングハイツ惨殺事件に関する検視報告

    被害者 = ジョルジュ・ベナデッド(男性)

    年 齢 = 52歳 

    職 業 = クラナガン市役所 文化美術振興課 取締役       

    直接の死因は咽頭部をナイフまたは、剃刀の様な鋭利な刃物で切り裂かれ、その際に喉の気管を切断され
    た事によって、呼吸困難に陥ったのが最大の原因であると推測される。
    また身体の各所に細かな裂傷が多数確認できるが、これは被害者が死亡する以前に付けられた傷であり事
    件の犯人が相手を殺害する直前まで、何らかの情報を引き出すため拘束した被害者に対し、時間を掛けて
    拷問を加えた可能性が考えられる。  
  
 
 その書類に記載された文章は事件現場での記憶ともども、今や捜査官として百戦錬磨の猛者と呼ばれる一人となった彼
女ですら、戦慄させる程に凄まじい内容だった。


    被害者は殺害された後、犯人によって手首の動脈ならびに静脈より筒状の物(これはゴム管または点滴用
    のビニールチューブ等が考えられる)を使って体内の血液を全て抜き取られ、そのうえで胴体中央を胸部
    より下腹部に掛け手早く切開され、ほぼ短時間の内に心臓と肺その他の臓器全てを摘出されている。
    これらの一連の行為は医療に関する分野、どの臓器が身体のどの場所に収まっているか、あるいは動脈や
    静脈と云った血管の位置がどこか等といった情報を正確に把握しておく必要があり、この事実から見ても
    犯人は医学に関する知識、特に解剖学において極めて高度な技術と、豊富な経験を持った人物であると推
    測できる。
    なお摘出された臓器のうち被害者ジョルジュの心臓は、先に殺害された被害者の妻ミシェル・ベルナデッ
    ドの頭部より摘出された脳髄ともども、キッチンに置かれた大容量の圧力鍋の中より・・・・・・


 そこまでが限界だった。

 気が付けば彼女......ギンガ・ナカジマは地上本部内の広い休憩室で、目の前のテーブル上に置かれた報告書のファイ
ルを閉じ、自身の額や襟元が冷たい汗で、じっとりと湿るの感じながら堅く眼を閉ざしていた。
 そこに書かれた言葉の一つ一つ、そして各ページに添付された事件に関する写真やイラストの数々を目の当りにする度
彼女の脳裏には二日前に事件の現場となったマンションで見た悪夢の様な光景が過るのだった。

”ダメ!こんな、こんな事じゃ......”
 
 夜勤担当へ任務を引き継いだ警備課の陸士や、徹夜に備えて夜食を摂りに来た内勤の者達が世間話などをする中、窓際
の席に一人で座っていたギンガは、弱気に陥りそうな自分に心の中で喝を入れると、幾分か上がり気味になった呼吸が落
ち着くのを待ち、温くなったコーヒーを一口飲んでカップを置くと、心なしか震えの来ていた手でポケットからハンカチを
取り出して、額や首筋に掻いた汗を拭いながら何とか気を落ち着かせる。
 先の事件に関する報告書を見たいと彼女が申し入れた際、108部隊の指揮官であり自身の父親でもあるゲンヤ・ナカ
ジマ二佐から「あんまり無理をするな」と心配顔で釘を刺された時の言葉を思い出しつつ、一度は閉じたファイルを開き
検視結果の報告書をギンガが再び読み始めた時、その中に記載された奇妙な一文が彼女の目に留まった。

「・・・・・・竜涎香(りゅうぜんこう)?」 

 それは当日の昼過ぎに彼女が、分析班の研究室で担当者に勧められて嗅いだ例の”香り”の正体......
 

    竜涎香とは第97管理外世界に生息する大型の海洋生物「マッコウクジラ」の分泌物より抽出された、極
    めて希少価値の高い香料であり、現在でも原産地に於いては原料一個が此方の通貨に換算し、おおよそで
    も数百万から、場合によっては数千万ミッドにも相当する高額で取引されている。
    犯人のものとされる遺留品に付着していた香水は、この竜涎香を主成分に豊富な技術と経験を持つ腕の良
    い職人の手で、厳選された様々な香料とともに念入りに調合された特注品であると思われる。


 その聴き慣れぬ言葉こそは、事件の舞台となったマンション近くで発生した事故の現場で彼女が、妹のディエチととも
に見付けた黒い布地に付着していた奇妙な香りの正体だった。 
 分析班が出した調査結果を目にしたギンガは、あまりにも謎の多かった犯人像を解き明かす為の、ささやかだが確実な
突破口が開けた様に思え、その得体の知れぬ不安でいっぱいだった胸中に明るい光が差し始めるのを感じる。

  ......っと

「お疲れ様です姉上♪」

 その呼び声に報告書から顔を上げたギンガの前に、警備課の制服を少し着崩した姿で、自身に向かってニッコリと笑い
かける隻眼の少女が立っていた。

「お疲れ様チンク・・・・・・もう今日の仕事は終り?」
「えぇ、夜勤への引き継ぎは済みましたので。それより姉上は・・・・・・」

 幾分か根を詰めていたせいか顔に疲れが出ていた姉を気遣いながら妹のチンクは、持っていたバッグを足元に置くと軽
い溜息と共に同じテーブルの向かい側へと腰を下ろした。

「姉上は、また今日も遅くなるのですか?」
「見ての通り、まだ帰れそうにないの」

 妹からの気遣いに苦笑いで答えながら、持っていた報告書のファイルを静かに閉じるギンガ。
 部隊の指揮官である父ゲンヤは別として妹たち、特に厚生施設を出てからは周囲に溶け込もうと健気に頑張るN2Rの
4人には自分が今、立ち向かおうとしている悪夢の様な現実は出来るだけ見せまいという彼女なりの気遣いだった。
 
「それより貴女はどうなの?今日の任務が終わったのなら・・・・・・」
「例によって、パトロールの相棒が今日の報告を書き終わるまで、ここで時間でも潰そうかと」
「あぁ~なるほど。じゃあ可愛い暴れん坊は、今日も元気だったわけね♪」
「相変わらずですよ。最近は不良グループ相手に張り合う様になったというか、もう顔見知りにまでなったというか」
「なんか、それはそれで大変そうね」

 それまで胸の内で張詰めていた緊張が解れたのか、少しやつれ気味だったギンガの口元がほころび自然と笑顔になる。
 ”最近はチンクも笑顔を見せる事が多くなった”そんな事を思いながら彼女が妹との会話を楽しんでいると、ややゲン
ナリとした表情でショルダーバッグを左肩から下げた赤毛の少女が、だらしなくポケットに手を突っ込んだ姿で二人の元
へとやってくる。

「終わったよぉ~チンク姉ぇ、ってギンガも一緒かよ」

「こらノーヴェ!はしたないぞ全く。それに、そろそろ姉上の事をちゃんと……」

「もう分かってるよ!分かってるけど、なんかこう」

 姉チンクの言葉を聞き、ポリポリと人差指で頭を掻きながら照れくさそうな表情で俯くノーヴェの仕草を、ギンガはゆ
っくりと頬杖を突いて楽しげに眺める。
 そうして顔を上げたノーヴェが二人と同じテーブルへと着いた時、そこに置かれていた報告書のファイルが彼女の眼に
留まった。

「なぁ……今日も遅くなるのか?」
「えぇ、そうなりそう。今ちょっと厄介な事件が起きてて」

 その返事を聞いたノーヴェは視線をテーブルから自身を見るギンガへと移し、しばらく何も言わずに一番上の姉をジィ
ーっと見詰めたかと思うと、少しムクれた表情で口を開いた。

「あのさぁギンガ、一昨日からずっと帰り遅いじゃん」
「だから、それは……」
「それに何かさぁ、やつれてるよ凄く。もう思いっきり無理してんのが見え見えなんだよ」
「……」

 妹から思わぬ言葉を投掛けられたギンガは、思わず頬杖を突くのを止め返事をしようとするも、返すべき言葉が見付け
られぬまま戸惑うばかりだった。
 あの二日前の凄惨な事件現場を目の当たりにして以来、そんな悪夢を自分達が育った街にもたらした凶悪犯を追い、事
件解決に繋がる手掛かりを躍起になって追求あまり、気付けば自身の家族と過ごす時間を疎かにしがちになっていた。

「あのなぁ、言っとくが大変なのは姉上だけじゃなく……」

「そんな事ぐらい知ってるよ!」

 横から釘を刺そうとするチンクの言葉を遮りながら、なおもノーヴェは真摯な表情をギンガに向けて話を続けた。

「でもさぁ、ここ最近は特に遅いだろ?おまけに顔見せても何かこう暗い顔ばっかだし、それにげっそりしてるし」
「やっぱり……分かるんだ……」
「そりゃ分かるよ!誰が見たって分かるよ、そんなの」

 ノーヴェから自身の様子について指摘を受けたギンガは少し切な気に溜息を吐き、小さく肩を落としながら今の自分の
気持ちを素直に話そうとする......っが、そんな彼女を制するようにしてチンクが静かに口を開いた。
 
「それで、お前は何を言いたいんだ?ノーヴェ……」
「だからさぁ、昨日の晩スバルから電話があったんだよ。確かチンク姉も話したろ?」
「あぁ……確か近々、休暇が取れるとか言ってたな」
「その時に話したんだよ、一昨日からのギンガのこと。聞かれたもんでさぁ」

 そこまで話すとノーヴェは二番目の姉へと向けていた視線を再びギンガの方へと戻すと、今度は彼女の眼を真っ直ぐに
見詰めた。

「そしたらアイツ…まぁ口ではさぁ、大丈夫だ見たいなこと言ってたけどさぁ。分かるんだよ」
「分かる、って?」
「見えるんだよ。目ぇ瞑ったら瞼の奥の方でさぁ、アイツが……」

 本人は特に意識はしていなかったのかも知れない......
 だが気付けば自身へと向けられたノーヴェの、その黄金色の瞳が心なしか潤み始めた様に見え、そんな妹の眼を見なが
らギンガは何も言わず静かに黙したまま、不器用な......だが飾り気の無い素直な妹の言葉に、じっと耳を傾けた。

「アイツが…スバルの奴がさぁ、電話の向こうでシュンってなってる顔が見えてくるんだよ。だから……」

 そこまで話した時、また俯き加減になっていたノーヴェが顔を上げると、そこには少し驚きつつも自身の事を優しく愛
おしげに見つめる姉たちの眼差しが......

「か、か勘違いすんなよ二人とも!あ、アタシは別にその、アイツの暗い顔見てたらこっちまで……じゃなくてぇ!」

「じゃなくて、なに♪」

「そうじゃなくて、アイツの泣き言ばっか聞かされてるとアタシまで一緒に泣きたく……じゃねぇ!」

 その場を何とか取り繕おうとしたいのか大慌てで喋り続けるノーヴェ。だか彼女がしどろもどろになって話すほど、自
身の手で墓穴を掘ってしまう結果となり、それを二人の姉達は何とか笑いを堪えつつ嬉しそうに眺めていた。

「あぁー、もう良い!チンク姉ぇ、あ、あアタシ先に行って着替えてっから。それと」
「分かってる、今の話は誰にも言うな。っだろ?」
「先・に・言うなぁ~!」

 顔を耳まで真っ赤にしながらノーヴェは、ガタガタと音を立てて椅子から立ち上がると大急ぎで、その場を後にしよう
......っとするのだが、慌てていた為か彼女は危うく席を立とうとする他の陸士とぶつかりそうになったり、あるいは途
中で何かに躓きそうなったりと何処か危なっかしい足取りで、だだっ広い休憩室の中をヨタヨタと歩いていく。
 その様子を見て堪え切れなくなったのかギンガとチンクが、思わず二人してクスクスと笑い声を漏らしたときである。

 チンクが首から下げていたデバイスより緊急を告げるアラーム音が響く。それは相棒の持つデバイスも同じなのか、や
っと辿りついたドアの前でノーヴェが今にも泣き出しそうな、なんとも情けない表情で二人の方を振返った。
 そそくさとシャツの下からデバイスを取り出し耳障りなアラームを止めながらチンクは、その呼出し内容を確認すると
申し訳なさそうな表情で、目の前に座る姉ギンガへと顔を向ける。

「すいません姉上。どうやら……」
「行って、私はもう大丈夫だから♪」

 何とか元気を取り戻した姉に見送られて席を立とうとするチンクだったが、そこで彼女は既に止めた筈の呼出しアラー
ムが未だ聞こえている事に気付く。
 やれやれと言いたげに苦笑いを浮かべながら、またシャツの中からデバイスを取り出すチンク。っが彼女のは既に自身
の手でアラームが解除されていた。
 腑に落ちぬままチンクは持っていたデバイスを仕舞い、それとなく辺りを見回すと隣のテーブルに座っていた警備課陸
士の持つ携帯無線機からも、彼女のと同じ呼出しアラームが聞こえた。
 
 そうこうする内に、また別のテーブルに着く陸戦魔導士が持つデバイスからも、更にはまた別の...... 
 
 遂にはギンガのデバイス”ブリッツキャリバー”からも呼出しアラームが聞こえ始め、気が付けば休憩室に居る全員い
や本部内に居る、関係者全員の携帯無線や待機状態のデバイスからアラーム音が聞こえていた。

 それが意味するのは......

「姉上、これは……」

「まさか総員に、緊急招集!?」


             ******************************


『本部より全車に通達!犯人は五番街を南に向けて逃走中との報告が入りました。繰り返します!犯人は……』

 車内の無線から緊急通信が響き、隊列を組むようにして北部地区へと入った本部警備課のパトカー十数台が、サイレン
音も高らかに華やかなネオンが輝く繁華街の中を、まるで夜の空気を突き抜けるかの如く猛スピードで疾走する。

同日の午後20時15分を約20秒は過ぎた頃......

 15分署からの応援要請を受け本部中央ならびに各分署の警備課、そして本部第108部隊と更には特別機動ユニット
(通称”特機隊”)までもがフル装備で、本部より報告のあった北部地区五番街に向け出動した。
 
 その際に「盛大なハンティングだ」などと皮肉を言った陸士が居た様だが、あながち間違いでは無かったと云える。

            ただし”狩る側”だったのは管理局ではなく......


『犯人の服装は黒い背広の上下に同じく黒い、マントと思われる上着を着込み鍔の狭い帽子を被っているとのこと』

「まさか、この犯人って……」
「服装からして多分、例の殺人狂かもな」

 警備課とは別のルートから北部地区へと入った第108部隊の装甲車内で、その無線の内容を聞いていたギンガは、思
わず隣に座るカルタス陸尉と顔を見合わせた。

『なお犯人は発見時に15分署の陸士4名を殺害しパトカー1台を破壊、また追跡時には陸戦魔導師3名を殺害した模
 様。五番街周辺を巡回中のパトカーは充分に警戒されたし!』

「何なんだよコイツ、まさかアタシらと同じ……」
「いや分からんぞ!だが常人じゃ無い事だけは確かだ」

 同じ無線を聞き、現場を目指して疾走する警備課パトカー隊の一台、その運転席に座るノーヴェは不安げな言葉を呟き
それを戒めるチンク自身も己の胸中に湧き上がる得体の知れぬ不安に表情を曇らせていた。

「だいいち戦闘機人にしては、やり方が派手で乱暴過ぎる」

「なんで乱暴過ぎるって分かる?」

「昨日ディエチから聞いた事故の話でだ。何でも一昨日(犯人と)同じ服装をした人物が、幹線道路を無理に横断しよ
 うとした揚句に、突進して来た車を素手で破壊したんだそうだ」

「ちょ、す、素手っ!?そんなのアタシ等でもムリじゃん!」

 姉の口から語られる言葉に驚きの声を上げるノーヴェ。
 確かに犯人が自分たちと同じ戦闘機人ならば、何らかのISを起動して事故を回避するだろうし、何より人目につきや
すい幹線道路で、大騒ぎを起こす等と云う目立った行動はしないからだ。

「じゃ、じゃあきっとマリアージュみたいな・・・・・・」
        
「だとしても、無線で聞いた限りだが行動に感情的な部分が目立つ」

「感情的!?」 

「あくまで私の推測だが、奴は……」
 
 幾分か震える声で改めて尋ねる妹に対し、それに返事をしながら姉のチンクが一瞬だが、含みを持たせる様な間を置い
て険しい表情で彼女が発した次の言葉を聞いた時、ノーヴェは思わず絶句し、ゴクリ!っという唾を飲み込む音が車内で
不気味に響いた。


       「……楽しんでる」


 その一言が姉の口から零れ落ちた時、妹のノーヴェが運転席のシートに身を預けたまま、その背筋に奔る冷たい悪寒に
思わず身を震わせた。
 もしそれが本当だとすれば、これから自分たちが立ち向かう相手は人の姿をした、想像すら出来ぬ程に凶暴で冷酷残忍
な”モンスター”と云う事になるからだ。
 
 ピーンっと張り詰めた緊張感が二人の乗る車内を支配する中で、本部警備課パトカーの車列は繁華街を抜け、いよいよ
北部地区五番街......そこの洗練されたビルが立ち並ぶオフィス街へと差し掛かろうとしていた。
 静まり返ったビルの谷間に数え切れぬほどのサイレン音が木霊し、青みを帯びた闇と共に街並みを支配していた夜の空
気を、慌しく揺さぶり掻き分けるかの如く、十数台にも及ぶパトカーが疾風の様に走り抜けようとした時である。
 
「……ディエチからだ。」

「今っ?アイツなんて言ってる?」

 その険しい視線を前方へと向けていたチンクの元へ姉妹(戦闘機人)同士のリンクを通じ、その時一番に現場近くへと
到着していた、妹のディエチから連絡が飛び込んできたのだ。

「犯人を追跡してる上空で、ウェンディが空戦魔導師を何人か見たと言ってる」

「空戦魔導師……って、それウチ等じゃなくて本局じゃん!出動の時そんな話聞いて無かったよ」

「ちょっと待て、隊長に確認してみる」

 妹の一人が現場で目撃した事実に関して報告する為、すぐさまチンクが無線のマイクへと手を伸ばした時、まるで地響
きの様な、それも多数のサイレン音すら掻き消す程に凄まじい轟音が辺りの空気を揺さ振る

「チンク姉、あれ見て!」

 妹の声に前方へと目を向けた彼女の眼に遥か前方......ちょうどオフィス街の中央と思しき辺りに規模は小さいものの
それこそ夜空を焼き尽くさんばかりの勢いで、真っ赤な火柱が幾つも立ち上る様子がハッキリと見えた。

「あれは、まさか……っ!」

 まだ現場まではかなりの距離が有るとはいえ車中から、肉眼で確認できる程に凄まじい爆発を目の当たりにしたチンク
は、その黒い眼帯の奥で既に無くした筈の右目が、ジクリ!っと疼くのを感じた。
その疼きは現場が近付くにつれて小さな痛みとなり、やがて彼女の胸の奥へじわりと響き始める。

 それは、まるで”何か”が彼女を招く呼び声の如く...... 

  
                
                                     ・・・・・・Until Next Time
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  • A Study In Terror ・・・第三章
最終更新:2010年03月20日 03:11