『本部!本部!こちら警備課ヘリ223!たった今、北部地区の上空へ到着』

 夜空で青白い輝きを放っていた二つの月が、雲のベールで覆われ辺りが再び闇に包まれた時、上空を飛んでいた数機の
ヘリが急速に高度を下げながら、その機首に搭載したサーチライトを下界へと向ける。
 その光の輪が街の上を落ち着きなく動き回る中、その一角に建つビルの一つで小規模ではあったが地響きの如き凄まじ
い轟音と共に幾つもの真っ赤な火柱が、まるで天を焦がさんばかりに連続して立ち上り街並みを紅く照らし出した。
  
『現在15分署の陸戦魔導師が、ビルの屋上にて犯人と交戦中!繰り返します!現在……』

 その瞬間を目視で確認したヘリのパイロットが、無線のマイクに向かって刻々と変化していく状況を大声で報告し、そ
の言葉が本部そして現場へと向けて車を走らせるミッド地上本部の陸士全員へと伝えられていく。

 気が付けば風に乗って響いていた幾つものサイレン音が、その上空を飛ぶヘリの羽音さえも掻き消すほどにまで、更に
いっそう数を増していた。
 下界を見渡せばオフィス街の通りと云う通り全てが、通報を聞いて駆け付けたパトカーや、魔導師の増援を乗せた装甲
車の、回転灯から放たれる赤と青の輝きで埋めつくされ様としていた。
 
 そこはクラナガン北部地区の47丁目にあるオフィス街。

 ほんの数時間前までは明かりも消え、静まり返っていた夜のビジネス街が、今や戦場の如き異様な空間へと変貌を遂げ
ていた。
 そんな中で後に悪夢の様な記憶と伝承と共に、ミッドチルダの住民たちを何世代にも渡り震え上がらせる『黒衣の怪物』
が今、この街の守護者たる管理局地上本部、そして怪物自身にとっての”宿敵”となるナカジマ姉妹の少女達の前に、その
恐るべき姿を見せようとしていた。

 鮮血に彩られた死と殺戮そして、不条理極まる暴威を振り撒きながら......

 
                                *リリカルxクロス~N2R捜査ファイル

                                【 A Study In Terror ・・・第四章 】


「逃げんなこのバケモン!戻って俺と闘えェェェ!!」

 オフィス街の整然と建ち並ぶビルの屋上を伝って一つの黒い影が、まるで狩りをする黒豹の如き俊敏さでビルの谷間を
軽々と飛び越えながら走り抜ける。
 その後を黒っぽいロングコート型のバリアジャケットを着込んだ、屈強で大柄な魔導師が追跡していった。

 事の起こりは約1時間前の事......

 新暦82年5月11日の午後20時25分を約30秒過ぎた頃 

 本部からの連絡を受け時空管理局地上本部、通称『ミッド地上』第15分署に配置されていた、重犯罪を専門とする陸
戦魔導師の部隊15名がフル装備で出動する事となった。
 だが現場へと到着した彼等が目にしたのは、猛スピードで横転した挙句に大破し、二人の陸士を乗せたまま黒焦げにさ
れた一台のパトカーと、その向こうで更に二人の陸士達の遺体が転がっている状況だった。
 一人は喉笛を切り裂かれて血だまりの中に横たわり、もう一人は乗っていた車から引きずり出され、そのまま路面へと
叩き付けられ、被っていたヘルメットごと頭蓋を砕かれた状態で路上へと放置された姿だった。

 だが駆け付けた魔導師達にとって本当の悪夢は、その直後に訪れた。

 何の前触れもなく暗がりの片隅から黒服の紳士が現れ、現場の惨状に呆然となる魔導師達に向かって、涼しげな笑みを
浮かべ軽く会釈をする。
 だがその直後、突如として隠し持った刃渡り30cm以上はあろうかという銃剣で、文字通りほんの一瞬......それも
瞬きする間にリーダーの首を撥ねて殺害。
 更には声を上げる間さえ与えず、返す刃でサブリーダーと傍らに居た部下一人の喉元を、続けて一気に斬り裂く。
 そしてパニックに陥った部隊メンバー達の上を、驚異的な跳躍力で飛び越え、まさに風の様な速さで五番街の方角へと
逃走したのだった。

 そして今、その五番街では......
  
「このクソッたれたバケモンがぁ!テメェは俺の手でブッ殺す!!さぁコソコソ逃げてねぇで掛って来ぉいっ!!!」

 追い掛ける相手を口汚く罵りながら彼、15分署内でも極め付きの”荒くれ者”として知られる魔導師のニコラス・ケ
ルゲリアン三曹は、その肩まで伸ばした長髪を振り乱し、汗だくになって走り続けらがら時折立ち止まり、持っていた杖
型のストレージデバイスを相手に向けて構えては、すぐ目前で己の仲間を惨たらしく殺された怒りのままにオレンジ色の
魔力弾を乱射し、その度ビルの屋上には幾つもの炎の華が、黒煙と共に真っ赤に燃え上がった。
 
「クソ死ね死ね死ね!とっととクタばりやがれ、この人殺しのバケモンがァァァァ!!」

 猛り狂った野獣の如く怒声を放ち、その手に握りしめたデバイスから聞こえる自制を求める呼び掛けすら耳に入らぬ状
態でニコラスは己が討つべき敵を求めてビルの屋上を走り抜け、その先に黒い人影が見え隠れする度に躊躇することなく
魔力弾を、それも非殺傷設定をオフにした状態で乱射する。
 そうして彼が装填されたカートリッジを使い果たし、最後の薬莢がデバイスから弾き出された時、興奮と怒りに身を震
わせながらデバイスの弾倉を交換するニコラスの元に、その身体にピッタリとしたバリアジャケットを着込んだ赤毛の少
女が駆け寄る。

「ちょ、待つッス!止めるっス!!」

 頭の後ろで纏めた赤毛を揺らしながら彼女は、未だ怒りの治まらぬニコラスのデバイスを両手で掴み、自身の顔を血走
った眼で睨む相手に怯む事無く、彼に向かって強い口調で自制を呼び掛けた。

「仲間やられて頭にキテんのは分かるっス!だからって、だからってそんなムチャクチャに暴れ回ったら・・・・・・」

「うっせぇ!こっちゃ隊長と副隊長二人ともあのバケモンに殺(や)られてんだぞっ!このままじゃヤラれっ放しじゃ
 ねぇか!!」

 だが既に自制心を失い掛けているのか、ニコラスは少女の言葉に耳を貸すことは無く、むしろ更に逆上して彼を必死で
止めようする彼女を力尽くで振り払い、自分から無理矢理に引き離そうとするが、それでも赤毛の少女は引く事無く荒れ
狂うニコラスのデバイスを掴んだまま決して放そうとはせず、遅れて駆け付けた別の魔導師とともに二人して、暴走気味
になった彼を必死に説得する。

 ......っが 
 
「頼むから抑えろニック!このままだと、こっちの隙に付入られる。そうなったら奴(犯人)の思う壺だ」
「だから落っ着いて冷静になるっス!ヘタすれば逆にアタシら皆が返り討ちにされるっス!」

「放・せ!放せクソ!殺ってやらぁぁぁぁ!!」

 それでも聞く耳を持たぬのかニコラスは、自身を何とか引き留めようとする二人を強引に振り払うや、犯人を追って隣
のビルへと飛び移る為に走り出そうとする。
 だが彼がビルへと目を向けた時である。その視線の先に見えたのは屋上に設置された避雷針の傍に立ち、目深に被った
山高帽の下から覗かせた灰色の瞳で、猛るニコラスの顔をジッと見詰める黒服の紳士の姿が!

《Sir!Sir!お止め下さい!!》

「これでも喰らえバケモノ野郎ォォォォ!!!!」

 デバイスの呼びかけを聞き流し、有らん限りの声を張り上げながらニコラスは装填したばかりの魔力弾を、その怨敵た
る”黒衣の怪物”に向けて最大出力で撃ち放つ。
 
 ビル全体が震る程に響き渡る轟音...  

               立ち上る真紅の火柱...  

                      もうもうと立ち込める黒煙...

 皆が顔を上げれば隣ビルは、崩壊こそしてはいないものの屋上は一面炎の海と化し、その熱を伴った明かりが皆の顔を
いやそれどころかビル周辺の街並みを煌々と照らしていた。

 ”やった!遂に仕留めた!!”そんな興奮に身体を震るわせるニコラス......っが!しかし
 
 彼の口元に勝ち誇ったかの様な笑みが浮かんだ瞬間、目前で燃え盛る炎を突き破る様にして放たれた”何か”が、ニコ
ラスの顔面を直撃し、悲鳴すら上げる間も無く彼の頭は、まるで水風船が割れる様にして血飛沫を派手に撒き散らしなが
ら破裂する。

 何が起きたのか分からぬ状態でパニックに陥った他の魔導師たち、そして紅い瞳を大きく見開きガクガクと両肩を震わ
せる赤毛の少女が、辺りを見回した時そこに見えたのは......避雷針
 頭を失って無残に転がるニコラスの遺体、その遥か後方でドス黒い血を不気味に滴らせた避雷針が一本、まるで悪魔が
放った槍の様に突き刺さっているのが見えた。

「いけませんなぁ……」

 唐突に響く声に驚き、皆が一斉に声が聞こえた方向......隣ビルの屋上へと目を向けると、そこには怪我はおろか服の
綻び一つない状態で炎に囲まれる様にして立つ黒服の紳士が居た。

「悪戯も度が過ぎれば、大怪我をしますぞ」

 まるで近所の子供を諭すかの様な口調で、気取った捨て台詞を残すと黒服の紳士は、呆然と見守る魔導師たちと赤毛の
少女を一瞥すると、目深に被った山高帽の鍔に軽く右手を添えながら会釈し、そして外套の裾を翻して風の様に素早く惨
劇の場を後にする。


        ****************************************


 15分署の魔導師ニコラスが、壮絶な殉職を遂げてから約半時間後の22時35分......

 その現場に居た本部中央警備課のウェンディ・ナカジマ一等陸士を通じ、同じく現場に居た西部地区第13分署の陸戦
魔導師部隊の指揮官ことテオ・ジョルダーニ准尉より、北部地区47丁目に集結していた地上本部の全陸士と捜査官達に
緊急連絡が入った。
 その内容は犯人追跡を再開した第13および15分署、そして途中で合流した本部中央の魔導師部隊により逃走中の犯
人”黒衣の怪物”を、オフィス街の中心へと追詰めた上で各魔導師部隊によって包囲/逮捕するという事だった。 

 そして犯人を包囲する最終ポイントとなるのは......

「ミッド貿易センター、ですか?」

 陸士第108部隊の装甲車内でモニター画面に映し出されたオフィス街の地図、その一点を見詰めながらギンガ・ナカ
ジマ准尉は静かに呟き、その横に居たラッド・カルタス陸尉が地図の一点を指差した。

「そこの第3ビルの屋上だ。北側から追い込めば第1と第2ビルが犯人の行く手を塞ぐ形になる」

「じゃあ後は三方から各部隊で包囲すれば犯人は……」

「そうこれで、あの殺人狂も袋の鼠だ!」

 言葉の一つ一つを噛みしめる様にして話しながらラッドは、自身が示した地点に見入るギンガに作戦の内容を説明した
後、すぐさま無線を取って部隊メンバー全員へと指示を飛ばす。
 そして約20台近い数の108部隊の装甲車が、まるで街のシンボルの如くオフィス街中央にそびえ立つミッド貿易セ
ンターを目指して移動を開始する。

 刻一刻と、ほぼ分刻みで事態が劇的な変化を見せる中、北部地区で待機していたミッド地上の全部隊が事件解決に向け
その”決戦の場”を目指して集結していく。

 そして108部隊の現場リーダーならびに各分署の指揮官を通じ、警備課の陸士達そして陸戦魔導師の全員に、オフィ
ス街の中心部に於ける、犯人確保の指示が伝えられてから約20分後の22時55分......

 夜も宵の口を過ぎ様とする頃、ミッド貿易センター第三ビルの周辺は108部隊の捜査官と、本部中央の警備課陸士達
そして、更に応援で隣の西部地区より駆けつけた第15分署と、地元北部地区の第15分署の各警備課が貿易センターの
有る区画を中心に、一部の隙もない布陣を引き、犯人が現れる瞬間を今か今かと待ち構えていた。

 そんな中、第三ビルの玄関前広場、そこに設置された本部テントの中で各警備課のリーダーたちと共にカルタスが、い
よいよ大詰めを迎える作戦の最終確認をしていた時、何処からか彼の名を呼ぶ声が......

「ラぁぁ~ッド!ラぁぁぁーーッド!!」

「げっ!(小声で)なんで彼女がここに……」

 その呼び声に振返るや、気まずそうな表情を浮かべる彼の元に少し大柄で、体格がガッシリとしたショートヘアの女性
が一人、それもビル周辺で犯人逮捕に向けて待機していた、捜査官や陸士たちの人ごみを掻き分ける様にして私服姿で二
人の前に現れる。

「ふ、フランケ三佐!?情報部の方が何故ここに……」

「今晩はギンガ。丁度よかったわ、貴女にも確認したい事が有って」

 カルタスの傍らで驚きの声を上げるギンガに微笑みで応えながら、その女性......ミッド地上の情報部に所属するマー
サ・フランケ三佐が皆の元へとやって来た。

「……私に、何を?」

「貴女の妹さん事で、えぇ~と何て名前だっけ?」

「妹たちが、何か……」

「妹”たち”って、あぁそうだった!今は6人姉妹だったのよね、貴女を入れて」

 ギンガの返事を聞いたマーサは、いかにも”忘れてた!”といった様子で自身の額に手を充て、大きく溜息を突きなが
ら少し慌てた様子で、話を取り繕いながら質問を続けた。

「その妹さん達の一人が犯人を追跡してる時、本局の人間を目撃したとか言ってたでしょ?」

「あ、はい。確かウェンディが空戦魔導師を何人か……その事でこちらに?」

「そう非番でゆっくりしてた処をオーリスから、それも直々に呼び出し受けて叩き起こされたのよ!ったくお陰でせ
 っかく準備してた明日の、ダイビングの予定が全ぇ部パァになりそう」

「ゲイズ司令代理から、ですか……ハハッ」

 未だ事態の深刻さを把握しきれていないのか、少し愚痴っぽい言葉を交えて溜息を吐く彼女の話をギンガは口元を微か
にヒクヒクとさせ、少し苦笑いを浮かべながら聞いた。

「あぁそうそう、それでここへ来たのは他でもない。もし妹さんの話が本当だったとしたら、こっち(ミッド地上)
 の管轄に本局が干渉してるって事になるの。そうなったらウチとしても、ただ黙ってる訳にはいかないでしょ」

「干渉してるって、じゃあこう言う事ですか?もしかしたら犯人逮捕の際に、本局の人間が……」

「そう!横から割り込んで来る可能性があるの……聞こえは悪いけどね。どんな事情があるにせよ、私達の捜査に無
 断で介入する様なら、そん時は私の出番!場合によっちゃ向こう(本局)の幹部連中を叩き起こしてでも……」

 無理矢理に呼び出されたという割には、やたらと饒舌に語るマーサの話を聞きながらカルタスと、その傍らで相手から
の質問に答えるギンガの二人は、今回の事件が自分たちが思っている以上に、複雑な問題を孕んでいる様に感じた。

 っと、その時である

「全員急いで配置に付け!逃亡犯が来るぞ!!」 

 待機していた陸士達に向け警備課リーダーの一人が、大声で発した号令を聞きギンガとカルタスが、二人の前で事情を
説明してたマーサが、各分署の警備課リーダー達が、そして何よりビル周辺で待機中だった捜査官と陸士全員が、その視
線を第三ビルの屋上へと一斉に向けた。

 そこに見えたのは......


                ****************************************


『犯人に告ぐ!君は今完全に包囲された。今すぐ武器を捨てて降伏しなさい!繰り返す、今すぐ武器を……』

 追詰められ逃げ場を失った逃亡犯に向け、大音量のスピーカーを通じて投降を呼び掛ける声が辺りに響く。
 ビル屋上の表通りに面した側、そこの手すりに凭れ掛りながら黒服の紳士は、デバイスや銃火器で武装した陸士達が
ひしめき合う下界を物憂げに、それこそまるで珍しいイベントでも眺めるかの如く、優雅に見降ろしていた。
 通りを挟んだ向かいに建つビルへと目を向ければ、その屋上にはライフル型デバイスを構えた特機隊の魔導師達が20
名近く、彼に向かって照準を合わせているのがハッキリと見てとれた。

「どうした!ハァハァ……流石にもう、観念したか!?」 

 その声に後ろを振り返れば肩越しに見えるのは、汗だくの顔で熱い息を吐きながらデバイスを構え、遠巻きに紳士を睨
みつける魔導師達の姿、その数30、いやもっと......

 辺りを見回せば、既に100人は越えるであろう数の陸戦魔導師たちが第三ビルの屋上、更には周辺ビルの屋上で黒服
の紳士が立つ場所を包囲していた。
 上を見上げれば、機体の横に地上本部のエンブレムが描かれた武装ヘリが、その機体下部に装備されたサーチライトで
眩い光を放ちながら上空を旋回していた。

「もうここで終わりにするっス!いい加減お縄に付くっス!!」

 紳士を包囲する魔導師達に交じって、あの赤毛の少女ことウェンディが自身のボード型デバイスを構え、未だ投降する
気配を一切見せぬ相手に対し、かなり苛立った様子で怒声を浴びせる。

 そうクラナガンの街を、いや強いてはミッド全体を震撼させた黒衣の怪物は今や、文字通り袋のネズミとなっていた。

 だがそれでもなお黒服の紳士は怯む事は無く、それどころか逆に自身が置かれている状況を楽しんでいる素振りさえ見
せ、それが彼女を、そして魔導師達全員の神経を逆撫でする。

「おい貴様ァ!いったい何を考えてる!!もう逃げ道は無い……っ!?」 
 
 遂に痺れを切らしたのか魔導師部隊のリーダーが一人、大声で怒鳴りながら相手に近付こうとした瞬間である。
 何かを思い付たかのような仕草を見せるや黒服の紳士は、それまで凭れかかっていた手摺から徐に離れる。
 驚いて身構える魔導師達に背を向けたまま後ろへと大きく数歩下がったかと思うと、それまで身を預けていた手摺をじ
っと見詰め始める。

 その一挙手一投足に皆が息を飲んで身構える中、徐に彼は左手に持つ長いステッキの、そのドラゴンを象った金の装飾
が施されたグリップへと右手を掛ける。
 上空を飛ぶヘリの羽音だけが、激しい風が吹き抜けるビルの谷間で不気味に木霊する中、堅い金属が何かを擦る音が不
気味に響いたかと思うや、暗がりの中で何かが鋭く光るのが見えた。
 
 それはステッキに仕込まれた剣......

 その磨き上げられた刀身から、鋼独特の青みを帯びた輝きを放つ、長く鋭い両刃の剣だった。
 
「な、何するつもりっスか!?ま、また暴れるんなら容赦しないッス!!」

 思いも寄らぬ行動に出た相手を見て、更に険しい顔をするウェンディ。
 
 声を震わせながら彼女が発っした警告を聞き流す様にして、紳士は手摺を見詰めたまま、深呼吸を大きく3回したかと
思うと、その右手に握りしめた剣を高く振り上げ、そして手摺に向かって素早く二度振り下ろす。
 すると金属が打ち合う甲高い音と共に激しい火花が二度瞬いたかと思うと、それを見た紳士は何かに納得したかの様に
小さく頷き、そして落ち着いた無駄の無い動作で右手に持つ剣を、仕込みの鞘へと手早く収めた。

「では皆さん、後ろへ少し下がって頂けますか?」

 相手が見せた奇妙な行動に唖然となる魔導師達に向け、穏やかな口調で注意を促すと紳士は、その視線を皆に向けたま
ま右手をゆっくりと手摺に掛ける。

「そのままでも結構なのですが、もし大怪我をされても……」

 話を続けながら彼が手前に向かって手摺を、片手でグイっと引っ張るや鉄の弾けるパキンっ!という音と共に、ちょう
ど大人が横に三人並んで通れる位の幅で、切り取られた部分の手摺が外れた。

「私としては……」

 信じられない様な光景を唐突に見せられ、魔導師達とウェンディが腰を抜かさんばかりに驚く中、紳士は切り取った手
摺を軽々と右腕に提げたまま、皆の方へゆっくりと歩を進める。

「……責任は持てませんので」

 自身を包囲していた相手が、まるで潮が引く様に大きく一斉に後摺さるのを見ると彼は、それこそスポーツの円盤投げ
さながらに持っていた手摺へと重心を掛けながら、身体を大きく三回スウィングさせたかと思うと、それを右腕一本で上
空に向け凄まじい勢いで投げ放った。

 ブゥンッ!という風を切る音を立てながら手摺は、まるで円盤の様にクルクルと高速で回転しながら、ビルの上で旋回
していた武装ヘリの横を掠め、その更に上空に向かって消えて行く。
 っと手摺が飛んで行った先で派手に火花が瞬いたかと思うと、何か黒く大きな物体が幾つか悲鳴の様な音を発しながら
暗がりの中を街に向かって落下していくのが遠目に見える。
 皆が呆気にとられて見上げる中、自身の眼に内蔵された望遠センサーで物体を捉えたウェンディは、その正体が何なの
か確認するや否や、ただでさえ青くなっていた顔を更に蒼白にしながらガクガクと震えだした。

「オイどうした、しっかりしろウェンディ!いったい何を見たんだ!?」

 自分の見た光景に思わず気を失いそうになったウェンディを、横に居た魔導師のジョルダーニ准尉が慌てて抱え起こす
と、大声で話し掛けながら彼女の意識を何とか取り戻そうとする......っが

「じ、准尉あれ!いま落ちてったアレ……さ、さっき見た空戦魔導師ッス!」

 彼女の口から出た言葉を聞いたジョルダーニは、その背中に何か冷たい物が奔るような感触にウェンディだけではなく
自分までもが思わず身震いする羽目になった。

【おいウェンディ!聞こえるかよオイ!!今そっちで何が起きてんだ!?】

 未だ震えの止まらぬ彼女の元に姉妹(=戦闘機人)同士のリンクを通じ、切迫した声で姉のノーヴェから連絡が入る。

【の、のの、のノーヴェ!い、いい今、いま今どこに居るっスか!?】 

【今(第三)ビルの裏通りで待機してる!チンク姉も一緒だ】

【あ、ああアイツが、アイツが今・・・・・・】

【ったく、なに言ってんだよお前!アイツっていったい誰なんだよ!】

 なんとか姉に返事をしようとするウェンディだったが、今しがた自分が目の当たりにした光景の凄まじさに、パニック
に陥った為か思う様に返事ができず、その様子に連絡してきたノーヴェまでもが混乱するばかりだった。

 っと次の瞬間!

「では御集りの皆さま……」

 その声を聞きウェンディとジョルダーニの二人が、そして今やパニックに陥りかけていた魔導師達が、一斉に声が聞こ
えた方角へと目を向けると、そこには吹き抜ける風に外套の裾を揺らしながらビルの端に立ち、緊張した面持ちで自身を
囲む皆に向かって、楽しげに笑い掛ける黒服の紳士の姿が在った。

「……御縁がありましたら、いずれまた」

 そう言うと黒服の紳士は魔導師達に向かって、被っていた帽子を脱いで頭を浅く下げながら会釈をし、そして帽子を被
り直すと、その優雅に着込んだ外套を大きく翻すや......

「お、おおい早まるなっ!!」

「ちょ、ちょちょちょ待つッスよ!!!」

 ウェンディ達を始めとする皆の、引き留めようとする叫びを聞き流しながら紳士は、大きく切り取られた手摺の間を擦
り抜け、地上40階建ての第三ビル屋上から眼下に向かって素早く飛び出すや、それを見て大慌てで皆がビルの端から見
下ろす中、待機中の捜査官や陸士達がひしめく表通るとビルの間に広がる、玄関前広場へと真っ逆様に落ちていった。

 
               ****************************************


【おいウェンディ、返事しろって!って、何だよもう……】

 不意に途切れた妹との通信に焦燥感を募らせながら、リンクを通してウェンディへの呼び掛けを続ける姉ノーヴェ。
 
 その時、第三ビルの裏通りでは、表通りと同様に逃亡中の凶悪犯を逮捕する為、108部隊ならびに本部中央警備課の
捜査官や陸士達が、それもフル装備で配置に着いていた。
 そんな中でノーヴェは、つい今しがたビル周辺で発生した奇妙な出来事に関し、ビルの屋上で魔導師達と共に犯人を包
囲してる妹のウェンディに状況を確認していたのだ......のだが

「だぁー!ったくもう何やってんだアイツ」
 
「どうした、何か分かったのか?」

「ダメ全然。アイツ完全パニくってて、もう何言いたいのかさっぱり……」

 彼女がリンクによる通信でウェンディに連絡を取っている事に気付いたのか、自身の相棒でもある姉チンクが、裏通り
をガードする班のリーダーであるマルケス二等陸曹とともにノーヴェの元へとやって来る。

「じゃあ、さっき屋上から飛んでったのは一体……っ!?」

 妹からの要領を得ない返事にノーヴェが苛立つ様を見て、不安げな面持ちでマルケスが口を開きかけた時、それは唐突
に始まった。

       まるで地響きの如く小刻みに、皆の足元を震わせる爆発音......

               表通りの方角から響く、数え切れぬ程の銃声とデバイスの射撃音......
 
 それらが渾然一体となり、それこそ地獄の釜の蓋が開いたかの様な、混沌とした騒乱の響きが、辺りの空気を揺さ振り
始めたのだ

「うぇ!?な、何が起こってんだよォ!!」

「クソ何てこった!皆とにかく落ち着けェ!!とにかく今は冷静に……」

 突如として激変する状況にノーヴェが驚きの声を上げ、自身も不安に駆られつつもマルケス二曹は、パニックに陥りか
けた陸士達の動揺を抑えつつ、状況を確認するため近くに停車していたパトカーへと飛び込み無線マイクを掴む。
 時間が経つにつれ銃声に混じって男女を問わず痛々しい悲鳴や、狂ったかの様な怒声が聞こえてくる状況に、いつしか
耐え切れなくなったのか今度はチンクが、騒乱の真っ只中に居るやも知れぬ姉ギンガにリンクを通じて呼び掛けた。
 
【姉上!姉上!聞こえますか!?聞こえているなら返事を……】

 だが幾度となく呼び掛けるも姉からの返事はおろか、リンクすら中々繋がらぬ状況に彼女は焦燥感を募らせて行き、そ
の様子を見たノーヴェまでもが言い知れぬ不安に顔を曇らせる。

 そうしてチンクが何度目かに呼び掛けた時......
 
【返事をして下さい姉上!もし援護が必要なら私達もそちらへ……】

【駄目よ二人とも!こっちに来ちゃ駄目っ!!】
 
「あ、姉上……そんな」

 リンクを通じ悲鳴にも似たギンガの叫びが聞こえた時、驚きのあまりチンクは自分の身体から、力が一気に抜けて行く
様な感覚に囚われ、同時に再び眼帯の奥で疼く右眼の痛みに思わず、その場に蹲る様にしてガックリと膝を突く。
 危うく倒れそうになった処を、傍に居たノーヴェに抱え起こされながらも、彼女の脳裏には最悪の状況が過り、それは
マルケスも同じだった様で......

『だ、誰でも良い早く、た、助けてくれェ!アイツは本物のバケも…や、ヤメろぉぉぉぉっ!!!!』”ブツン!”

 車内無線のスピーカーから響く断末魔の叫びを耳にし、ドアを開け放したパトカーの車内で彼は冷や汗を掻き、その顔
を真っ青にしていた。

「悪りぃ、ちょっとチンク姉のこと頼む」

「た、頼むって、オイ!どこへ・・・・・・」

 そう言いながらノーヴェは、近くに居た陸士に抱えていた姉の身を預けると、懐から自身のデバイスを取り出しながら
その場を後に何処かへ向かおうとする。

「ま、まてノーヴェ……お前いったい何処へ」

「そこに居てチンク姉。あたし、向こうの様子見てくる!」

 苦しげな表情で右眼を押さえながら、彼女を引きとめようとする姉の声を振り払う様にして、ノーヴェは自分のデバイ
ス『ジェットエッジ』を起動、その引き締まった身にピッタリとしたN2Rのバリアジャケットを展開し、両足のローラ
ーブーツを音を立てて稼働させながら表通りを目指す。
 
どよめく空気を切り裂く様にして、紅い輝きを放つテンプレート=エアライナーの上を高速で移動しながら、建物を周
囲を回り込んだ彼女が、第三ビル前の表通りへと差し掛かった時である。

《10時の方角から障害物!気を付けてSir!!》

「……へっ!?」  

 デバイスからの警告に、思わず間の抜けた返事をするノーヴェに向かって突如!かなりの大きさの燃え盛る炎の塊が猛
然と飛来し......

「……ッ!?ジェットエッジィ!!」

《All right!》

 ノーヴェが叫ぶ必死の掛け声と共に、踵部分のブースターが火を吹き、全身のバネを振り絞る様にして繰り出す高速の
脚撃が、彼女のすぐ目前にまで迫っていた炎の塊を瞬時に粉砕する。
 そのまま地上へと降り立ったノーヴェが辺りを見回すと、つい今しがた彼女が粉砕した物の破片が散らばり、それを目
にした瞬間ノーヴェは、自分に向かって飛来した物の正体に気付く。

 それはバイク......そうデバイスの力を借りてノーヴェが叩き落とした物は、破壊され大破した上に凄まじい怪力によ
り、何者かの手で放り投げられた民間の大型バイクだった。

「ど、どうなっ、てんだよ、コレ……」

 あまりにも突然の事に肝を潰しながらノーヴェが、その眼をビルの玄関前広場へと向けた時、彼女の前で......混沌と
騒乱に満ちた「殺戮のオデッセイ」の幕が上がっていた。


 それも、たった一人の”怪物”によって......

 

                                     ・・・・・・Until Next Time
 
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  • A Study In Terror ・・・第四章
最終更新:2010年03月21日 07:06