第6話「闘鷹の鉤爪」


 高層ビルが林立する首都圏から外れた南部地域では、文明とは無縁とも言える
ほどの森林地帯を形成している。未開の世界と言われれば信じてしまいそうな緑海
の上空一万五千フィートから、ブレイズは眼下に広がる雄大な自然を見渡していた。
祖国オーシアの首都、オーレッド近辺にも片田舎のようなのどかな風景はあるが、
緑一色の広大な森林はさすがに見たことが無い。上から見ると、人間と自然との棲
み分けができているような印象を受ける。いつかスバルが言っていた、他の世界へ
の関心というものも解る気がしてきた。キャノピーの外は元の世界となんら変わらな
い澄んだ青空と、太陽光を吸い込んで眩しいくらいに白い雲、なつかしささえ抱かせ
る見慣れた光景だ。
 今日の任務は退屈なCAP(戦闘空中哨戒)だ。小型機に比べれば広いとはいえ、
トムキャットのコクピットでは足を組むことができないので若干狭苦しい。だが、任務
は任務だ。定期的にHUDその他計器類と周辺空域を視線で往復することも、単調な
作業ながら重要な任務だと自らに言い聞かせていた。加えて、HUD直下の空戦機動
パネル左横に追加された新しい『玩具』も飛行を補助してくれる。高価そうな宝飾品を
思わせるエメラルドグリーンに輝く輝石のようなものが特徴的な、ライターよりも大き
めの物体がコクピット内で異彩を放っていた。説明されなければまさに用途不明なこ
の物体、れっきとしたデバイスらしい。
 グリムとシャーリーが話し合った結果、機体に改造を施すことなく魔導士やロングア
ーチとの通信手段を確保するには、通信に特化した小型のデバイスをコクピットに追
加することが最良となった。これにはリンカーコアを持たないブレイズ達にも使えるよ
う、デバイス単体でバッテリーのように魔力が蓄えられているので問題なく作動した。
攻撃、防御といった通常の魔法を使役するにはあまりにも貧弱な蓄積量であるが、通
信手段として用いる分には申し分ないとのこと。指で軽く触れるだけで空間ディスプレ
イを使用者の視界内に展開し、更に画面を操作していけばムービングマップや各種戦
術情報をデータリンクによって提供してもらえる。
 要するに航法に関してはかなり楽になったのである。従来なら紙の地図片手に地形
を見ながら目標地点を目指すところを、小さく纏められたデバイスのおかげで位置情
報まで知ることができる。カーナビ以上の機能を詰め込むことができるあたり、ミッドチ
ルダの技術力は驚異的と言うほかない。今回から使用される燃料もJP-8に非常に性
質が近く、いかなる状況に陥ろうと安全性はオリジナルを凌駕しているという。さしずめ
マジック・フューエル、JP-Xとでも言ったところだろうか。臨海第8空港基地からこの近
辺の空港に立ち寄った時も即座に給油を行えたことから、補給の面でも支障は無い。
 当初は文明の違いから悪戦苦闘を強いられると思われていた各要素も、ミッドチルダ
側が予想以上に適応能力の高さを発揮したことで難なくクリアできた。機動六課の整
備員達による機体の整備に関しても、その覚えの良さにケストレルの整備クルーが舌
を巻くほどだった。これらを目の当たりにして、ブレイズは後方支援の重要さを改めて
実感した。彼らに支えられて、自分達は安心して飛べるのだと。が、これは少々快適過
ぎる。ムービングマップ上に設定された飛行経路を辿ることで迷うことも無く、何かあれ
ばサンダーヘッドやロングアーチから詳細な情報が送られてくるので、はっきり言って
しまえば暇だ。それ故に、何か刺激を求めて自然と顔を地表に向けていた。
「何か考え事ですか?」
 不意に、コクピット内に空間ディスプレイが開かれ、管理局の制服の上から白衣を身
に纏っている女性が話しかけてきた。フェイトよりも短めの金髪が目を引くが、医療従事
者と疑わせない優しい表情が魅力的だ。待ちに待った新しい刺激、されど招かれざる客
とはこのことか。ヘルメットと酸素マスクで完全に顔が隠れているにもかかわらず、何か
思索に耽っていると悟られてしまったことに若干の気恥ずかしさを抱く。その人物から誤
魔化すように視線を逸らそすも、バイザーのおかげでそこまでは感付かれなかったようだ。
「何てことはないさ。ただ、今更ながら世界の違いってやつを、ね。…美しいな」
 そんなことを言いながら、再度地上を横目で見やる。元の世界ならそろそろ嫌気が
さしてきそうなほどに森林しかないが、思いのほか飽きが来ない。
 思わず零した台詞に柄じゃないと思ないながら、しかし悪い気はしないという妙な心
境になる。これが終われば、エリオあたりを連れて森林浴にでも行こうか。あるかも分
からない休暇の過ごし方について思いを馳せていると、バイザー越しに女性と目が合
った。呆気にとられているといった表情を崩した彼女は、今度はからかうように口を開
いた。
「まぁ、ブレイズさんったら。ナガセさんに睨まれますよ?」
「君じゃなくて地上が、だよシャマル。ただでさえ寿命が縮む職業なんだ、これ以上死
期を早めさせないでくれ」
「ふふ、そういうことにしておきますね。退屈でしたら空撮写真でもお願いできますか?」
「そいつは良い提案だが、生憎カメラを忘れてきたよ」
 楽しそうに微笑むシャマルに答えるように、酸素マスクの内側で乾いた笑みを浮かべ
る。貴重な酸素を溜息などに使いたくはないので、大きく息を吸い込む衝動を制しての
ことだ。しかし、代わりに何か気が紛れるものが欲しい。計器類の操作をそう頻繁に行
う必要もなく、機体の方は『黙って仕事しろ』とでも言いたそうに異常は無しだ。結局自
然観察以外の捌け口を見つけることができず、魅力的な大地に舞い戻ろうと頭と意識
を地上へ傾けかける。
「くっそー、休暇でもないのにこんな風景見せられて、おまけに御預けなんてありかよ。
でもってあれだな、のどか過ぎてロックンロールに合いそうもねぇよう」
 突如耳に流れ込んできた声に集中力を掻き乱され、平手を喰らったようにブレイズは
顔を顰めた。逃げた先にも邪魔者は居たらしい、それが誰であるのかは確認するまで
もない。遊覧飛行に来たわけではないが、せっかくの異国情緒にも似た気分を台無し
にされたことで不快感が込み上げてくる。
「もう、任務中くらいロックのことは忘れたらどうです?」
 シャマルはそのままチョッパーへと回線を繋ぎ、相変わらずな態度に呆れたように一
言物申す。
「あの三人はドレス着て社交界に繰り出してんだろ?俺もそっちのが良かったぜ。要人
警護、イベントの飛び入り、婦人のエスコート、何でもごされさ」
「え?あれって、私服警官とかそんなんじゃないんですか?麻薬捜査官みたいな」
「と言うより、社交界ってなんですか…」
 想像に任せて隊長陣の仕事内容を並べ立てていくチョッパーに続き、グリムも若干の
事実誤認が見受けられる認識を口にする。何故ドレスなのかという疑問はブレイズも一
度は気になったが、聞いてみれば至極単純かつ関心すべきか、呆れるべきか判断に迷
うものだった。はやて曰く『もちろん他の一般客に不安与えへんようにするのもあるんや
けど、一種のサービス精神?』………一体何のことだ?
 ともあれ、三人が有能で有名な人物であるので社交界も麻薬捜査官もあながち間違い
ではない。しかし、純粋に間違いかどうかを聞いてきたグリムはともかく、明らかに軽い口
調で喋っていくチョッパーの方はジョークの色合いが強すぎた。これについてシャマルは
訂正する気も起らなくなったなったらしく、愛想を尽かしたように肩を竦めた。その様子に
影響され、ブレイズは僅かに溜息をこぼしてしまった。
 隊長陣を始めとする機動六課が警備に就いている今回の防衛対象、ホテル・アグスタ
は近隣に湖と山々を有する所謂リゾートホテルだ。二車線の幹線道路以外には周囲に
何も無い立地条件であるため、その美しい景観を目当てに訪れる観光客も少なくない。
このホテルで開催されるオークションにロストロギアが出品されることから、前日から副隊
長が警備に就くほどの厳戒態勢を敷いていた。屋上から通信、情報の中継を行うシャマル
に、各所に配置されたフォワードメンバー、極めつけはオークション会場で直接目を光らせ
る隊長陣だ。これだけの防衛線を突破するには、最低でも海兵隊二個中隊が必要になる
だろう。
更に、ホテルから半径八マイルはウォードッグ隊がCAPを行っている区域になる。反
時計回りにアグスタ周辺をエレメント(二機編隊)で飛行しているので、何か脅威が接
近すれば即座に対応できる。平和そのものな雰囲気に加えて、この鉄壁とも言える
防衛体制がブレイズの気の緩みに拍車をかけていた。幾重にも渡る強固な防衛線、
よほどの物好きを除いてこのような場所に踏み込むことはまず無い。そこまで思案し
て、ブレイズは何か思い至ったように空間ディスプレイ上に指を踊らせ、とある情報を
呼び出す。表示された文章と画像、その一つ一つに目を通して、先ほどまで浮かん
でいた『絶対の信頼』との重量を比較した。
「なんとも、いかにもマッドサイエンティストですって表情してるな」
 映し出された一つの画像について、彼は率直な感想を述べる。この任務に先だって、
ガジェットに関わる重要人物の情報が公開された。科学者然とした白衣に鮮やかな紫
色の頭髪、そしてその瞳は底知れぬ狂気を内包したような金色で彩られていた。この
男がガジェットを差し向けてレリックの回収を行っているとすれば、ウォードッグ隊がミ
ッドチルダ転移後にガジェットとの遭遇戦を行った元凶であることは間違いない。ブレ
イズ達の世界の定義に当て嵌めれば、文句無しのテロリストだ。何を画策しているか
予想がつかないだけに、フェイトが言うにはテロリストよりも悪質で厄介というのが管
理局での認識らしい。
 だが、顔が割れていて、尚且つ名前や素性まで掴んでいる危険人物であるにも拘ら
ず、前科無し、逮捕歴無しというのは奇妙な話だ。もっとも、機動六課の担当はあくま
でレリック対策にあるので、男の件についての捜査を別件としてフェイトが扱っている以
上、ブレイズとしては追及する利点も権限も無い。もとよりMPでもない軍人が警察の
真似ごとなどできるはずもなく、粛々と自分の役割を果たすだけだ。
「チョッパーさん!皆頑張ってるのに、お喋りばっかりしてたら駄目ですよ!」
「へーいへい、ちゃんと真面目にお仕事してますよーい。っと、もうすぐオークションが始
まるぜ。ちょっくらおいらも参加してみっかな」
「あぁっ、無視しないで下さい!」
 シャマルの横から割り込むように現れたリインが優等生よろしく問題児に対して注意す
るが、そんなことはどこ吹く風。慣れた手付きで空間ディスプレイのチャンネルを操作し
て、中継されるオークションの様子を見物しようとしていた。この動きにまたリインが可愛
らしい声で叱りつけ、そしてチョッパーが華麗に受け流す、なんと不毛な争いか。無線に
おける風紀の乱れが著しいこの状況にあって、ブレイズはやむなく自然観察を諦めた。
無視して好きに自然を満喫しても良かったが、何故かそのような気分は失せてしまった。
機動六課が頼りにならないことはないし、また自分達もそう簡単に敵を通すつもりもない。
何が来ても追い返して見せる、そんな自信は確かにあった。
 しかし、画面の奥の男を再び目にした時から、その自信が揺らいだように思えた。仲間
を信頼していないからではない。慢心こそが敵、備えておくに越したことは無い。納得でき
そうな答えは、そんなものしか見つけられなかった。確たる安心の根拠を探そうと搭載兵
装や燃料の確認を行おうとした刹那、安息の時間は唐突に終わりを告げた。
「こちら空中管制機サンダーヘッド、方位二-〇-一から防衛対象へ向け敵編隊接近中。高
度九千フィート、距離二十八マイル。レーダー反応、及び飛行速度からガジェットⅡ型と
思われる。各員、警戒態勢に入れ」
 AWACSからの抑揚のない事務的な声がヘッドセットを介して発せられ、否応なしに事実
を頭に刻み込む。雑念を払い落して表情を引き締め、現在の状況を整理する。この時間帯
に付近を飛行する民間機、若しくは魔導士の予定はない。必然的に、残った可能性はガジ
ェットのみになる。余裕を持って構えていたが、いざ実戦となると自然と操縦桿を握る力が
強まった。
「来たわね、できる限り私達で侵攻を阻止しましょう。相手がガジェットとはいえ、油断は禁
物よ」
「ああ、門前払いにしてやるさ。マスターアームは解除しておこう」

注意を促すナガセに、あくまで難敵ではないことを強調するようにブレイズは答え
た。AWACSが監視しているにも拘らず僅か二十八マイルの距離で探知したところを
見ると、周囲を取り囲む山々の間を縫って接近してきたのだろう。右斜め前方の彼
方に広がる山岳地帯を見据えて、彼はそのような見立てを立てた。幸い接敵までは
まだそれなりに時間がある。この間に眼前のスイッチ類の一つ、マスターアームスイ
ッチを摘み上げ解除。全兵装を使用可能にし、次の連絡に備えてしばし身構える。
「ブレイズ、敵編隊がそちらの飛行経路に接近しつつある。至急ウェイポイント4へ急
行し、迎撃に当たれ。バスター」
「バスター、了解。エッジ、行くぞ」
「エッジ、了解」
 バスターの指示を受け、スロットルレバーをミリタリーパワーまで押し込んだ。一層
高まったエンジンの鼓動を微かに耳にしながら、操縦桿を捻って機首をウェイポイン
ト4までの針路に合わせる。地表に向けて傾いた主翼を太陽光がさっと撫で上げ、広
大な空で存在感を誇示するように銀翼が瞬いた。旋回に伴ってHUDの方位情報が左
から右へとゆっくり流れていき、それに呼応してVDI直下のHSI(方位情報指示器)に
表示されている方位情報も羅針盤のように回転する。
 二機のF-14は主翼先端から糸のような白い軌跡を曳いて、指定されたポイントを目
指して驀進していく。九千フィートを飛行するガジェットを捕捉すべく、若干下げ気味に
なっていた機首を戻し始めた時、ブレイズはデバイスに左手を伸ばす。ムービングマ
ップを起動して自機を示すシンボルがウェイポイント4に近づいていることを確認。その
時点で機首を大きく右へ振ってみると、HUD上に複数の四角い枠、目標指示ボックス
が浮かび上がった。何かが飛んでいる様子さえ確認できないが、方位から見るに侵入
してきたガジェットⅡ型に違いない。
 レーダーをSTT(単一目標追跡)モードに切り替え、操縦桿の兵装選択スイッチを親
指で最上段まで弾き上げる。兵装がAIM-7スパローに設定されたことで、HUDの中心
にASEサークルが投影された。
「よし、目標をロックした。いつでも撃てるぞ」
「スターズ02、並びにライトニング02の両名が配置に着くまでそのまま待機。完了次
第、交戦を許可する」
 サンダーヘッドに短く返事を返して、目標指示ボックス右下に表示されたガジェットと
との相対距離を睨む。現在は十四マイルを切ったところだが、スパローならば既に攻
撃が可能な距離だ。目標をこのままASEサークル内に捉え続け、しかるべき時にトリガ
ーを引く。これだけだ、たったこれだけで全てが決まる。レーダーによる被探知を察知
する術を持たないガジェットは、自らが狙われていることを悟ることなく撃墜されるしか
ない。察知できたとしても、標準戦闘距離が二マイルを下回るガジェットでは結局狙い
撃ちされる。
「こちらライトニング02、所定の位置に付いた」
「スターズ02、ヴィータだ。お前らのお手並み、見せてもらうぞ」
 凛とした声に、少し性格が激しそうな声。二十代前半の容姿と騎士としての凛々しさを
併せ持つシグナムに、十歳程度の華奢な少女にしか見えないヴィータの二人が、それ
ぞれ配置完了を報せてきた。空間ディスプレイに映った彼女達はいつもの管理局の制
服ではなく、騎士甲冑と呼ばれる戦闘衣装を身に纏っていた。普通の人間がトリックも
無しに空を飛んでいる様も驚嘆ものだが、戦闘服を纏う時間は一瞬とのことから、やは
り現実味よりも幻想的なイメージが先行するとブレイズは思った。
 ただし、実力については紛れもなく現実だ。以前、戦闘機パイロットの実力に興味を示
したシグナムに絡まれた時は酷い目に遭わされたものだ。ブレイズはその時の状況を
身震いを伴って回想する。そして次に相手をしたナガセが対等に張り合っていたことは、
記憶から消去しておく必要がある。そのシグナムはウェイポイント4付近で待機し、ヴィー
タはウェイポイント7が持ち場となっていた。

接近してくるガジェットにまずはウォードッグ隊が攻撃を加え、生き残りを副隊長が
掃討する、というものが今回の作戦の骨子だ。図らずもF-14本来の運用方法に近い
形となっており、まさしく本領発揮といったところだ。じわじわと近付くガジェットを視界
の中心に捉え、ブレイズは交戦開始の言葉を口にした。
「了解だ、ブレイズ交戦」
 視線をHUDにだけ合わせ、余計な情報が一切入ってこないように注視する。既に全
てが整った状態であることを、目標指示ボックス上部に『SHOOT』と表示されているこ
とから読み取り、ブレイズはトリガーに人差し指をかけた。
「フォックス・ワン」
 トリガーを一度だけ引き、未だ目標指示ボックスしか見えない虚空目掛けてスパロー
を撃ちこむ。機体下部から解放されたスパローは瞬く間にロケットモーターに点火、
戦闘機を凌駕する加速を見せつけ白煙の軌跡を残して消えていった。同じくナガセ機
からも放たれたスパローが後を追い、ブレイズはただその姿を見送る。これが勝手に
飛んで行ってくれるアクティブ・ホーミングなら次の態勢に移れるが、スパローは命中
まで母機からの誘導を必要とするのでその間F‐14は無防備な姿を晒すことになる。
もっとも、ガジェットにとっては途方もないアウトレンジ攻撃に違いは無いので、さして
気にする必要は無かった。
 推進剤を燃焼させて、天空を切り裂くように突き進むスパローの最高飛翔速度はマッ
ハ四に達する。レーダーという見えない鎖に捕らえられた獲物を仕留めるには、十マイ
ルの距離があっても僅かな時間だ。未だ白い軌跡を引き続けるスパローの弾頭が、何
も知らずに侵入してくるガジェットⅡ型の群れを捉える。目を付けられたのはそのうちの
一機、ここでその一機が超音速で迫るミサイルを回避しようと大きく機首を持ち上げる。
ミサイルの接近を以って感知し、即座に回避行動に移る。そして無人機特有の常軌を
逸した高い機動性を武器に攻撃を回避する。確かに、魔法を使えるとはいえ生身の人
間を相手にするには十分すぎる性能だ。
 しかし、魔導士の魔力弾ならまだしも対空ミサイル相手にその判断は正しいとは言え
なかった。目標とするガジェットⅡ型が命中コースから逸れ始めた途端、前触れなくス
パローは自爆し指向性を持った爆風が覆いかぶさるように広がった。対象のガジェット
Ⅱ型は下部からの爆圧に突き上げられて粉砕され、巻き添えを受けた他のガジェット
も真正面から爆風に突っ込み、或いはスパローが撒き散らした破片をまともに浴びて
無惨に破壊された。
「ビンゴ!ガジェットⅡ型の編隊に命中を確認、残った数はそれぞれ二機ずつです。ホ
ント凄いです!近接信管って奴ですか、命中前にどかーんってなってまとめて巻き込
んじゃいましたよね!」
「ロングアーチ03、必要以上の発言は慎みたまえ。ウォードッグは後の処理をライトニン
グ02に任せ、次のウェイポイントへ移動せよ」
 スパローのアクティブ・レーダー近接信管の洗礼が余程衝撃的であったのか、興奮醒
め止まぬといった調子のアルトにサンダーヘッドが釘を刺す。慌てて取り繕うアルトと、
その様子を気にも留めずに次の指示を出してくるサンダーヘッドの温度差に内心苦笑し
ながら、ブレイズは新たな針路へ向けて操縦桿を倒す。
 実際の所、ミサイル一発が被害を及ばすことができる対象は一つだけだ。それがここ
までの戦果を上げることができる理由には、ガジェットが小さいことと密集していることに
あるだろう。一昔前のスパローなら不発の可能性もあったが、今回使用された物はAIM-7
Pという新しい部類に入るタイプだ。信頼性が向上し、三十九キロの指向性炸薬でもって
敵機を葬り去る。想定された敵機とは当然戦闘機や爆撃機であり、そんな物を遥かに小
さいガジェットが受ければひとたまりも無かった。
 一方、事の一部始終を聞いていたチョッパーは一度天を仰ぐと大げさな動作を交えな
がら、開きっ放しのデバイス用通信回線を通して誰ともなく言葉を漏らす。
「さっすがサンダー・石頭・ヘッド。相手が未成年のお譲ちゃんでも容赦なしか、いつも通
りで何よりなこった」
「お前らも大変だな。いくら任務中でもあんな調子じゃ気が滅入っちまいそうだ」
「だろ?あーあ、うちの管制担当がロングアーチで、上官がはやてなら言うこと無しなん
だがなぁ。階級同じなんだから基地司令の糞親父ととっ換えてほしいもんだ。今言って
んのは上官への侮辱じゃねーからな!」

話に乗ってきたヴィータに相槌を打ち、チョッパーは自分の願望を上乗せしてこれ
でもかと愚痴をぶちまける。その最中に不満を投げ捨てるように振るった右手を、危
うくキャノピーの枠にぶつけそうになった。寸での所でなんとか堪えて操縦桿を握り
直したものの、自分で口にした基地司令のふてぶてしい顔が脳裏をよぎって更に不
愉快になる。最後に申し訳程度に付け加えた言葉も、アリバイ作り以外には何の意
味も持たない。
「ダヴェンポート少尉、私語を慎め。その前に敵を墜とせ、方位〇‐八‐〇から敵編隊
が接近中だ。高度九千二百、距離十六マイル」
 上官を話のネタにしていることよりも私語自体が気に入らないとばかりに口を挟ん
できたことに、『すました美声で言いやがってこの石頭』と更に悪態をつく。もっと気
に入らないのは、来なくてもいいのに侵入してきたガジェットだ。HUDの右端から現
れた目標指示ボックスに目をやり、あまり喋っている時間が無いことを知らされた。
「おっと、こっちにも来やがった。入場チケットは完売だってのによ、厚かましい奴ら
だぜ」
「ならさっさと行って整理券でも配ってこいよ。機械だけに話し合いなんて聞かねぇか
らな」
 既に配置に付いて待機状態のヴィータは、他人事のように迎撃を促す。森林地帯
の上空九千五百フィートにあっては、優秀な騎士たる彼女の耳にさえ届くものは数
えるほどだが、それらを押しのけるような肌に伝わるほどの爆音が徐々に大きくなっ
てくる。姿は見えないが、直に視界に入ってくるだろう。あの石頭にどやされるのは
結局チョッパーだけなので、彼女はその様子を見ているだけだ。ウォードッグ隊の三
番機は少々お喋りが過ぎるが、暇つぶしにはなるので話し相手になるのも悪くない。
そして適当なところで管制官が介入し、先ほどのようなもはやお決まりのやりとりが
なされる。
 画面の向こうのチョッパーには見せなかったが、ヴィータはどこか滑稽な管制官と
の交信に内心ニヤついていた。自分に野次馬根性があるなどとは思わないが、他人
事だけに聞いていて愉快だ。最近はチョッパーから伝染ったのか、自然と軽口が飛
ぶようにもなった。もっとも、それは機動六課においてヴィータに鋭い指摘を投げか
ける存在が限られていることに起因する、油断のようなものからだ。
「こちらサンダーヘッド。スターズ02、私語は禁止している。以後気をつけるように」
 その為、完全に不意打ちとなったこの発言により一瞬思考が停止し、硬直してしまう。
「なんであたしがお前の指示に従わなきゃいけないんだ!?」
「前線における指揮権は八神二佐からこちらに一任されている。作戦中の規則も同様
だ、ウォードッグ隊と同じく機動六課各員にも無線での私語は慎んでもらう。何か質問
は?」
 反論は認めないとばかりに一呼吸も置く間もなく言葉を連ねる堅物管制官の声を聞
いて、紅い少女は唖然としたまま空中で立ち尽くす。指揮権がAWACSに委ねられてい
ることは事前に聞いていたが、そんな細かいことまで管理されるなんて聞いていない。
すぐさま抗議の声を上げようと口を開きかけるが、何を思ったのかヴィータはそのまま
黙りこんでしまった。不機嫌という様子でもなく、むしろ勝ち誇ったような態度に近い。
「ほう、異論は無いようだな。それでいい、無線での私語はくれぐれも注意するように。
ウォードッグ隊にも彼女達を見習って欲しいものだ」
 珍しく小言を残したサンダーヘッドは、指示通りに私語を止めたことに満足して次の
作業に移って行った。ぱたりと止んだヴィータとの交信、しかしそれが承服を意味する
とは到底思えない。何故かしてやったりな表情をしている鉄槌の騎士を見るに、サンダ
ーヘッド側に何か見落としがあるのだろうか。腑に落ちないと思いながらも、手元のスイ
ッチを弾いて無線周波数を変えようとしたところ、チョッパーはある事実を思い出した。
そして、心の底から羨ましいとばかりに声を漏らす。 
「いいよなぁ、念話ってのが使える魔導士は。心の声だから無線じゃねーもんな」
「きっと、そのうち念話も禁止って言い出しますよ」
 だったらざまぁみやがれってんだ。それとなく管制官の行動を予測したグリムの想
像が実現することに期待を寄せ、チョッパーはスパローの発射態勢を整える。自分
だけあれこれどやされるのはどうも面白くない。やはり仲間たるもの、そういった面も
共有してこそだろう。
「少尉?ガジェットの編隊との距離が十マイルを切りましたよ。僕の方はいつでも撃
てます」
 ヘッドセットを通して聞こえてきたグリムの声によって、少し揺らぎ始めていた集中
力が再びHUDの中心へと戻される。眼前に投影されているASEサークル内に四つの
目標指示ボックスが浮かび上がり、そのうち最も中心に近いものにロックがかけられ
ていることが見て取れた。相対距離は緩やかに九.五マイルを切ろうとしている。
「おうおう、頼もしいじゃねぇか。そんじゃま、プレミア物の追加入場チケットを売りつけ
るとすっかな」
 普段通りに冗談を交えた軽い口調で、しかし鋭い眼光を侵入者に向けながら、チョッ
パーはトリガーにかけていた人差し指を一息に引き絞った。


 一方的だった。撃ち漏らしたガジェットを始末する副隊長達は、リミッター付きでもそう
とは思わせないほどの鮮やかな戦闘を披露した。今では非常に希少な古代ベルカ式の
使い手、それも実力は管理局内でも指折りだ。低空へ逃れようとした一機のガジェット
をシグナムが一刀のもとに斬り伏せ、またある一機は襲いかかってきたヴィータによっ
て叩き潰され、ひしゃげた姿を一瞬さらした後、スクラップに変わり果てた。比べること
すらおこがましいが、絶対的に格が違うことを見せつけられた。
 しかし、それよりも凄まじかったのはブレイズ率いるウォードッグ隊だ。彼らのF-14を
もってすれば、魔導士が苦戦するガジェットのAMFなどものともせず、姿を視認できな
い遥か彼方から撃墜が可能だ。今しがた目にしたミサイルの斉射によって、新たに出
現したガジェットⅡ型の編隊は待ち構える戦闘機を認識することも叶わぬまま、地表に
降り注ぐ火の玉となった。機動六課で最も射程距離が長い攻撃手段を持つはやてでさ
え、あれほどの超長距離から正確無比な攻撃を浴びせることは不可能に近い。もとより
機動六課相手では雑魚同然のガジェットが、まさしく単なる訓練標的に成り下がってし
まっていた。
 静かに空間ディスプレイから目を離し、ティアナは俯いて自らの相棒を視界に収める。
力無く持ち上げた右手に握り締めていた彼女の相棒、クロス・ミラージュは光を反射さ
せて彼女の顔に投げかけた。いつものように寡黙で、必要な時以外はティアナの意思を
尊重して極力話そうとしない姿勢は今日も変わりない。マスターは自分の力を信じたい、
だからデバイスたる自分にはあまり頼らないのだ、そう理解していた。それは、優秀なデ
バイスならではの思慮深い判断とも言える。
 だが、今日に限っては状況が違った。一人ではないのに、たまらなく孤独感に苛まれ
る。いつからこんなに弱くなったのだろう、そんなくだらない考えが出入りする内心に嫌
気すら覚える。しかし、孤独感を感じる要因は少なくとも自分の頭では理解していた。そ
れがどれほど無意味なのかも、分かってはいる。周囲の人間と自分との比較、六課に
来るまでは意識することも少なかった小さな問題が、ここへきて破口を拡げつつあるの
だ。
 スバルは訓練学校時代からの付き合いであるが、最近は急に差を付けられたように感
じて仕方がない。まるで隣に立つティアナのことなどお構いなしであるかのように、その
成長ぶりは目を見張る。よく無茶をやっては連帯責任をとらされ、掃除に励んだ過去も
遥か遠い記憶のように思える。エリオとキャロは執務官フェイトの身内ということもあって
か、掛けれられる期待は相当なものだ。そして、その期待に十分以上に応えて見せる実
力も持ち合わせている。エリオと同じ年齢の頃のティアナに、彼と同じような魔導士ランク
の取得などまず不可能だ。

 隊長陣は言わずもがな、協力関係になったオーシア空軍の人間達も所謂エリート
揃いだ。漫画や小説でさえ、これほど将来有望な人材、エリート級の人材が集まる
部隊など存在しないだろう。規模以上の戦力を有する機動六課は、異常な部隊と言
っても過言ではない。これで解決できない事件があるようなら、存在意義が否定され
ることにも繋がるだろう。
 そんな異常な部隊でただ一人、ティアナだけは何も無かった。オールスターとでも
言うべき機動六課で唯一の『名無しの一般陸士』だったのだ。
 「うわぁ、もうあんなに減ってるよティア。この分じゃあたし達のとこまで来そうにない
ね。そうすると、今日は何もせずに終われるかもしれないね」
 画面を通して伝えられる戦況を見て、スバルはスポーツの観戦でもしているかのよ
うにティアナに話しかける。以前ブレイズにF-14に乗せてもらった時はその乗り心地
に満足したものだが、実際の戦闘能力は更に驚異的だ。想像以上、そして期待以上
の華々しい活躍に心躍る。管理局の空隊によるデモフライトも一糸乱れぬ動きで美し
いが、この戦闘機という物はそれを凌駕するような不思議な魅力を感じさせる。
 純真な笑顔を湛えて隣の相棒の反応をしばし待つ。ガジェットが編隊ごと葬られる
様子に小さく歓声を交え、スバルは観客の追加を期待していた。だが、湖側から吹き
ぬけてくる風に興奮の熱も吹き消されてしまったように、徐々に自分の周りに意識が
戻る。当のティアナは画面などまるで見ておらず、屋外に出た時からずっとそうであっ
たように俯いていた。
「…ティア?」
「……え?あ、ごめん。聞いてなかった」
 しっかり者が上の空とは珍しい。後が怖いので絶対に言えないが、ひとまず用件だ
けは言っておくことにした。
「だから~、今日は楽して終われるかもしれないねって。どうしたの?」
 ふわっと微笑んで見せるスバルの表情を見て、何かが刺さったような感覚が胸中を
走る。空に近いホテルの屋上が、更に寒くなったと錯覚してしまった。
 楽ができる、確かにそうだ。ウォードッグ隊の手にかかればガジェットなど単なる雑魚、
それでなくとも副隊長が掃討に当たっている。撃ち漏らす可能性はこの場でフォワード
メンバーが会敵するそれより低い。仮に低い可能性をガジェットが覆しても、今度は前
衛のスバルとエリオが迎え撃つ。前衛が迎撃するまでもなく、戦闘機と副隊長が追撃
するケースもありうるだろう。こうなると、最後尾のティアナとキャロが交戦する機会はま
すます少なくなる。むしろ、この戦力なら事実上消滅しているに等しい。そう、『無い』のだ。
 ティアナには戦闘機ほどの冗談じみた射程も火力も無ければ、副隊長やスバル達の
ような接近戦の強みも無い。同じく出番が無いキャロのような回復魔法も得意ではない。
まさに何も『無い』。必要とされる局面が全く存在しないのだ。

       なら、自分の存在意義は、機動六課に居る意味は一体なんだ?

 目的があるから呼ばれたのは確かだ。しかし、その目的がティアナには推し量れなくな
っていた。或いは、自分はスバルと関係が深いから、モチベーション維持のためのおまけ
程度なのではないか?馬鹿げた考えを否定する余裕はまだあるが、完全否定するだけ
の自信はもはやどこにも無い。返す返事も、どことなく生気が無いと自分でも感じるほどだ。

「…楽。…そう、ね。楽になるかもしれないわね」
 『でしょー』と無邪気にじゃれついてきそうなスバルを軽くあしらい、配置に着くよう
促して追い払う。面倒臭そうな態度を見せながらも、精一杯の苦笑を作って虚勢を
張る。
「あーあー、なんであんたはいっつも過剰にじゃれてくんのよ。さっきの聞こえたで
しょ?早く配置に付きなさい」
「あれ?ぼーっとしてると思ったけどやっぱり聞いてたんだ」
「あんたとは違うのよ。最初のコンタクトはあんたなんだから、しっかりしなさいよ」
 クロス・ミラージュの先端でスバルの持ち場を指しながら、確認の意味を込めて役
割を伝える。ちょうど森林地帯を抜けたホテルの敷地が担当区画なので、市街戦と
の違いも簡単に説明しておいた。ティアナのアドバイスに数回頷くと、軽く手を振って
スバルは屋上から飛び出していった。彼女の先天固有技能『ウイングロード』を使え
ば二分とかからない筈だ。文字通り空を滑るように駆けていく後ろ姿を、ティアナは小
さくなるまで見送った。
 ホテルの前面、オークション会場への正面玄関となるフロント受付への入り口を背
中に、ティアナは遠い森林地帯を見つめた。ガジェットの襲来にも拘らず、その静け
さは保たれているようだ。もう少し歩いて、幹線道路沿いのホテルの敷地との境目を
目指す。ホテル・アグスタは高台に位置しているので、崖を無理やり登る以外は道路
が最適な侵入経路となる。
 立ち止まって、道路沿いの木に寄りかかる。密集した木々が太陽光を遮ってくれる
ので、小休止にはちょうどいい。戦闘前に余計な考えは片づけなければならない、だ
んだんと飽和状態に近づきつつある心の整理をしようと、一つ深呼吸する。顔を上げ
ると葉の隙間から見える太陽光と青い空が、いつもより眩しく見えた。整理のため、無
心に近づくべく心を落ち着けようとしたが、それが余計な試みだったようだ。
 一気に水かさを増した感情から逃れるように、背中を向けていた木に正面から向き
直った。誰に見られるわけでもないが、今の自分は誰にも見られたくなかった。顔を
隠すように腕に額を押し付け、視界には木の太い幹が入る。腕を通して伝わる木の感
触は、光が当たらない以上に冷たく感じた。
「あたしだけが皆と違うっ!どうしようもなく、凡人すぎるんだ…!」
 傍に居るからこそ、周囲のレベルの高さを思い知らされ、越え難い壁が目の前に立
ちはだかる。自身が魔導士を志したのも、果たしたい目標と目的があったからだ。自
分の魔法が、ランスターの魔法がどんな難敵も撃ち抜くものだと証明することに意味
がある。目指す道の険しさは、士官学校の落第や訓練学校における毎日の厳しい訓
練で覚悟はできていた。当然、諦める気は今に至っても微塵もない。
 しかし、この機動六課で実現できるかは極めて怪しくなった。証明するも何も、周り
は自分より優れているのだ。自分には無い物を数え切れないほど持っている人が、
たくさん居る。そのことに対して嫉妬も羨望も感じない、ただただ無力感だけが拡大し
ていく。やっていけるのか?という疑問が確信に変わるのは一体いつだろう。おそらく
そう遠くない筈だ。
  スバルが何気なく口にした言葉には、ティアナも同意する所はある。今回の目的は
オークション会場を守り切ることなので、脅威となるガジェットが片っ端から排除されれ
ばそれでいい。全員が割り当てられらた任務をこなすことで、無事達成できれば管理
局員としても喜ばしく思う。ティアナが作戦立案に携わったとしても、確実に成功率の高
い方法を選択する。何のことは無い、どんな人間でも考えうるごく自然な発想にすぎない。

                  だけど…だけど… 


「サンダーヘッドよりウォードッグへ、新たに接近してくる五つの機影を発見した。方
位二‐〇‐一、高度一万二千、速度は四百六十ノットだ。レーダー反応がガジェットよ
りも大きい、こちらから呼びかけを行うが十分に警戒せよ」
 変化の無い声色と対照的な事実との整合性を取ろうと、ブレイズはバイザーの奥
で眉をひそめる。突発的な事態以外でサンダーヘッドが冷静であるのはいつものこ
とだが、直接レーダー情報を目にしていないブレイズには疑問符のみが頭上を漂う。
確かめるように振り返って様子を見てみるものの、F‐14の右主翼と地平線まで連な
る山々以外に目につく物は無かった。
「時速八百二十八キロ、か。平均的な空戦魔導士の最高速度を遥かに上回るな。ガ
ジェットに優る体躯となれば竜ぐらいなものだ。ブレイズ、お前はどう見る?」
 最後のガジェットⅡ型を撃墜し、レバンティンを鞘に収めながらシグナムが意見を求
めてくる。少なくとも六機以上のガジェットを撃墜しているにも拘らず、息切れ一つ見
せないそぶりから相応の実力を窺わせる。そんな彼女に畏敬の念を抱くと共に、ブレ
イズは自らも遭遇した奇問に再び向き合うも、大した成果は得られなかった。ミッドチ
ルダや魔法についての知識が浅いこともあるが、いまいち納得のいかない解答ばか
りが浮かんでくる。
「何だろうな。ガジェットにしては大きい、かと言って旅客機でもないだろうし。ケストレル
の連中が飛んできたのか?」
 無論、そんな話は聞いていない。増援として飛来することもなければ、艦載機をこん
な内陸にまで飛ばす必要も無いはずだ。しかし、五つの機影を考えれば数は合う。フェ
イトなら短時間であれば亜音速に達するらしいが、流石に人間サイズは論外だろう。
「もしかすっと、未確認飛行物体ってやつかもな!だとしたら、宇宙人とのツーショット
を頼むぜブービー。里帰りなロックの神様なら、サイン貰うのも忘れんなよ」
「ロックの神様って、プ○スリーですか!?宇宙に帰ったってヴィータちゃんが言って
ましたけど、本当なんですね!リインも欲しいです~!」
「リイン、チョッパーの世界にプレ○リーは存在しないと思うが。そもそもヴィータの話
を始め、訂正したくなる箇所が幾つかあるが…」
「ダヴェンポート少尉、リイン曹長。作戦中の私語は固く禁ずる。ライトニング02、貴官
は制止する立場を取ってもらわなければ困る」
 空間ディスプレイ左下に現れた妖精のような少女は、何故か宇宙人がお気に召した
らしい。リインの表情があまりにも期待に満ちた物であることから、さぞ興味深い内容
なのだろう。シグナムの話しぶりだとガセの可能性が極めて高いが、暇なときにヴィー
タに聞いてみよう。しゅんとしてしまったリインから目を離して残弾の確認を行うと、ブレ
イズは操縦桿を右へ倒して旋回に入った。
「宇宙人なら、自分の惑星にお帰り願うまでだ。なんにせよ、確認しないと始まらないな」
 未確認飛行物体、この状況でどこか笑いを誘うその響きに内心くすりとする。未確認
飛行物体と言えばオーシア国内でも幾度となく取り上げられ、そのたびに世間の話題を
さらっていった。ブレイズ自身はオカルトの類をまるで信じていないものの、その裏話や
真相には興味をそそるものがある。人を呼び込むためのヤラセだとか、単に注目を浴び
たい捏造だとか、マジックの種明かしのように魅力的な話題を続々と提供してくれたものだ。
 通常コースを外れる旨をサンダーヘッドに告げ、方位二‐〇‐一へと機首を向ける。ほぼ
Uターンに近い針路変更になるので、ブレイズは渋るサンダーヘッドを説得する手間を考
えたが、意外にもあっさり認められた。機体を水平に戻す際の軽いマイナスGによる心地
よい浮遊感に後押しされて、そのことに対する疑問は特に感じなかった。
「未確認飛行物体ね、俺はベルカのハウニブーあたりだと見てるんだが」
「そんなマニアックなイロモノ兵器、当のベルカ人ですら忘却の彼方ですよ」
「どうかな、世界のUFO騒ぎの三割はベルカの仕業って話だ」
「隊長はオカルトの類は信じないのでは?」
「確かにそうだが、世間様ではよく言われてるらしいじゃないか。大して興味も無いけどな」
 主翼が雲を押しのけ、高度一万二千フィートに到達した。地平線がぼんやり蒼く見えるほ
ど見晴らしがいい。真正面はHUDの色と重なって少々見えづらいが、機首を少し上げると
容易に視認できた。HUDの姿勢表示を〇に合わせ、ベロシティベクターが地平線と空の境
界に重なるよう丁寧に姿勢を戻す。 
「サンダーヘッド、どうだ?向こうさんこっちの呼びかけに気付いて針路を変えたか?」 
 天気の良さに気を良くして、軽い口調で状況を尋ねる。どこの誰かは知らないが、仕
事を増やしてくれたことには大いに抗議したい。一応、オーシア空軍で定められた不
明機への対処法をある程度なぞっているが、連絡がつけばロングアーチからの指示
が対象に入る。ブレイズはHUDがNAV(航法)モードになっていることを認めると、操縦
桿をいつでも倒せるように備えた。直ぐに引き返すことになるであろうと、未通過のウェ
イポイントを目で追い始める。これといった問題が発生することなど、考えてはいなか
った。
「――不明機より応答なし、尚も針路を維持しつつ接近している。高度変わらず、距離
三十二マイル」
「何…?」 
 管制官から返ってきた不気味な回答を反芻し、声のトーンを落として聞き返す。すか
さずロングアーチとのデータリンクを通じてマップ上のシンボルを確認すると、五つの
光点が一直線に進んでいた。
「この世界の飛行物体にしては様子がおかしい…。ブレイズ、嫌な予感がするわ」
「俺もそう思う。一旦間隔を空けて様子を見よう、シューターを頼む」
「了解、気をつけて」
 交信を終え、背後に振り向くとそれまでブレイズの左後方にぴったり付き添っていた
ナガセ機が急速に遠ざかっていく様子が見えた。オーシア軍が良く使うエレメントの間
隔を空ける隊形、ルースデュースに移行したブレイズとナガセは互いに一マイル程度
の距離を空けて、不測の事態に備えるように警戒を強める。
 TWS(走査中追跡)モードを立ち上げ、複数目標の捕捉を試みる。相対距離などの細
かい情報はこの際気にしない、発見次第STTモードに変更するつもりだった。遥か前方
に巨大な雲と山脈が目に入り、不明機の発見が遅れることへの焦りが生じる。トリガー
上部に人差し指を掛け、臨戦態勢で不明機の侵入コースを辿り続けた。
「目標群は未だ目視できないが…。あー待った待った、今HUDに映った。かなり整った
飛び方してるみたいだな、きっちり五つだ」
「サンダーヘッド、不明機の編隊をこちらでも捉えた。現在ブレイズ機が先行中、指示を
求む」
 HUD上に五つの目標指示ボックスが現れたことで、不明機とのコンタクトに成功した。
雲よりも高い一万二千フィートを同じように飛んでいるようだが、雲自体の眩い白さで目
視は難しいと感じた。ナガセが管制機に指示を求める最中、ブレイズはSTTモードに移
行して目標に関する情報収集を進める。中央の目標にロックを掛けると、相対距離は二
十三マイルに入ろうとしていた。それ以上はHUDだけでは判らないが、今は十分だ。
 ミリタリーパワーに再び押し込んでいたスロットルレバーを、心持強く握る。五百五十
ノットまで加速した機体は不明編隊との距離を削るように縮めていく。トムキャットの主翼
は緩やかに後退を続け、その姿は眼前の侵入者を疑って威嚇しているかのようだ。ナガ
セの交信から五秒と経たず、新たな指示が舞い込んできた。
「不明機に接近し、その機種を確認せよ。ただし、ヘッドオンは避け右翼側から回り込め」
「了解、これから確認に向かう」
無難な指示だろう。ブレイズは素早く機体を接敵針路から外し、右翼側から潜り込める位
置を取った。忍び寄るように右後方から接近し、相手からは見えない位置に張り付くつも
りだ。
「用心して、未だに何の連絡も受け付けない相手よ。威嚇射撃も頭に入れておいて」
「ああ、言うと思ったよ。どうもこいつはハウニブーでは済まなくなってきたな」
 ブレイズよりも高く、大回りに弧を描くナガセを背後に彼は不明編隊の予想進路に接近し
た。援護にナガセが居るからこそ、ある程度余裕を持って囮役をこなすことができる。そし
て、こちらの切り札は向こうさんに見せてやるつもりはない。できれば単独で片付けてしま
いたい。そう思いながら、ブレイズは不明機が視界に入る瞬間を待ち構えた。マップを見る
と、そろそろ視界に現れる距離に入っている。
 旋回中に、目標指示ボックスが右側から流れてきた。緩やかに視界中央へ移動していく
と、行き過ぎる途中で中央に固定された。旋回が鋭かったか?予想より早い接敵に彼はそ
う考えた。だが、針路の修正をした覚えは無いし、自分の意識では旋回の途中だった筈だ。 
「なんだ?また真正面に連中が入ってきたぞ。こっちのことが分かっているのか…?」
 奴らが勝手に動いてきた、早すぎる接敵に対しそう結論付ける。四角い枠の中に小さ
な点のような物が見えたが、どんな姿勢かまでは判別できない。しかし、ムービングマッ
プ上の軌跡と接敵時間からヘッドオンになっていることは想像がつく。どうやってこちら
の位置を掴んだのか、いやそれ以上に針路をこちらに向ける理由は何だ?前者であれ
ば、向こうもこっちの正体が知りたいといったところだろうか。ますます不審な行動に出
る侵入者を目の前に、ブレイズは眉を顰めて行動と目的を推測してみる。困惑に近いの
かもしれない、彼は自身の心情をそう理解し問題解決に頭を使った。
 それ故か、新たに発生した問題を脳が処理するまでに時間がかかってしまった。

           何故レーダー警報装置が作動しているんだ?

「レーダーロック!?」
  耳元でけたたましく鳴り響く警告音のパターンが瞬時に変わり、更にロックオンされた
ことを訴えてきた。もはや元の世界に帰還するまで絶対に聞くことが無いと信じていた、
幾度となく聞かされてきた正気を削り取る死への警告。深層心理にまで刻み込まれた恐
怖の呼び声から逃れる術を、頭より先に身体が実行する。
 それらは理屈ではなく、生存に対する本能からだった。レーダー警報のパターンが変わ
ったこと、その次に襲いかかる脅威、考える必要も時間もなかった。反射的にスロットルレ
バーのボタンを数度に分けて押し込み、機体最後尾に搭載されているAN/ALE‐47チャフ・
フレアディスペンサーを手動で作動。直後に数発のカートリッジが射出され、毛髪状のグ
ラスファイバーにアルミを塗布した物体、チャフを空中にばら撒く。
 これだけではまだ足りない。チャフを射出した頃から旋回に入っていた機体を横転させ
て、一気にダイブ。垂直に急降下していく中で今度は思い切り操縦桿を引き上げ、強烈な
スプリットSに突入する。
「ぐ、くっ…、うぅ…、ぐぅぅ……!!」
 真正面に見えていた地上の景色が早送り再生のように消え去り、HUDの姿勢表示が読
み取れないほどの速度で流される。遠心力によって強力なGが働く中、HUD左端の加重
表示に視線を集中させると六.五Gに達しようとしていた。身体は射出座席の一部になった
ように一切身動きもできず、それどころか肺まで圧迫されてたまらなく苦しい。訓練で叩き
込まれた呼吸法がまるで役に立たないと感じるほどに息苦しく、逃げ切るまでに締め殺さ
れてしまいそうだ。
 これだけの激しい機動に入ると、もはや脱出も間に合わない。一向に消える気配が無い
オレンジ色の警告灯と、鳴り止むことのない警報に秒刻みに精神力を奪われていく。ガタガ
タと暴れる操縦桿を右手一本で押さえ付け、バックミラーを覗いて後方の状況を必死に探
す。頭上を突き抜ける細長い物体と、白い軌跡を認めたのはまさにその時だった。荒々しく
操縦桿を左へ倒し、更に低空へ逃げようとした瞬間、背後からコクピット内に狂気の閃光が
なだれ込んだ。

 

 

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最終更新:2011年01月01日 23:58