「 そこで止まれ!! 」
    
 霧の夜に力強く響く男性の声、その一言に己が魂の全てを注ぎ込むかの如く......

 声の主が構える大型リボルバー、その銃口の先に佇むのは黒いフェルト帽を目深に被り、同じく黒く大きな二重外套を
ゆったりと優雅に着込んだ、まるで大鴉(Raven)の如き大きく不気味な人影。

「これは警部殿、こうして直にお会いするのは初めて、ですかな?」

 落ち着いた深みのある声で喋りながら、それまで背を向けていた“大鴉”は、ゆっくりと警部の方へと振り向く。
 そこはスラム(貧民街)の、ほぼ中心に聳える様にして建つ赤煉瓦でできた古い精肉工場。
 その二つの人影は屋上の一角に、まるで霧に覆われた街並みを見下ろす様にして佇んでいた。

「あぁ確かに……やっと会えたな、この化け物!」

 追いつめられて尚も、その場の状況を楽しむかの如く不敵な笑みを浮かべる黒尽くめの大男。
 そんな相手を前に若い警部は、その幾分か仕立ての良い年季の入った紳士服を着崩し、それまで全力で走って来たのか
肩で大きく息をしながら、明るいブルーの瞳で目前に立つ大鴉を睨んでいた。

「して第一印象は、いかが?」

「……キザだ」

「それはどうも」

「褒めてんじゃ無い!」

「ご謙遜を」

「黙れ人殺しが!」

 自身に銃口を向けられているにも関わらず、未だ気取った様子で挑発の言葉を口にする相手に対し警部は、それまで抑
えてきた気の昂りを吐き出す様にして怒鳴った。
 彼の汗ばんだ手に握られた6連発、その照準は震えながらも確実に相手の左胸へと向けられていた。

「だが貴様の、その自信たっぷりな余裕も……」

 言葉の一つ一つを警部は、しっかりと噛みしめる様にして決め台詞を言い放ち、未だ震えのくる指先で重い撃鉄を起こ
すと、辺りが静まり返る中で金属部品が擦れ合う“ガチャリ!”っという音が不気味に響いた。

「 これで、終わりだ!! 」 

 だが、それでも黒尽くめの男は怯む事無く、それどころか「さぁどうぞ」と言わんばかりに両手を大きく広げ、さも楽
しげな笑みを浮かべると、狂喜の笑い声と共に己が“宴”のクライマックスを宣言した。

「まだです、まだですぞ警部殿! さて次は、如何なさいますかな?」 

 

               *リリカルxクロス~N2R捜査ファイル

                              【 A Study In Terror ・・・第六章 】
 

 そして今......

 日付が変わった5月12日の深夜25時を約5分は回った頃

 ミッド貿易センター第三ビル前の大通り

「 させるかよォ!!! 」

 かつて同じ”大鴉”と向き合った「警部」と同様、その一言に魂の全てを注ぎ込むかの如く赤毛の少女は、己が右拳を
真っ直ぐに突き出しながら叫んだ。
 その大きく怒らせた両肩を、そして大地を踏みしめるかの様にしっかりと踏ん張った両足を小刻みに震わせ。
 今や起き上がれぬ程に傷付き倒れた姉に向かって、その残忍な刃を振り下ろそうとしていた「怪物」を睨みながら。
 
 その視線の先では、狂気を滲ませたグレイの瞳で相手の姿を、射抜くかの如く真っ直ぐに凝視する黒服の紳士が姿。
 
 少女の叫びがビルの谷間に木霊し、冷え切った夜の空気を揺さ振った瞬間、全ての時が止まった。
 
 惨劇を生き延びた者たち全員が、その場に凍て付いたかのごとく立ち尽くし、身動ぎすらままならぬ状態で刻一刻と変
化していく状況を、固唾を飲んで見守っていた。
 そうして皆が、そう惨劇の張本人たる黒服の紳士さえもが動きを止める中、最初に動いたのは......

「アタシ等の、アタシ等の家族に……アタシの姉貴に」

 金属パーツが弾け擦れ合う甲高い響きとともに、魔力カートリッジの空薬莢がデバイスから排出され、それと同時に充
填された魔力が少女の身体から金色のオーラとなって炎の如く立ち上った。

「 手を出すんじゃネェっ!!! 」

 デバイスの稼働音と共に彼女の怒声が雷鳴の如く響き、静まり返っていた場の空気を激しく揺さぶった。

 だが、その叫びに答えたのは......

「はぁ~、まったく」

 ......一つの溜息

「いけませんな、お嬢ちゃん。 これでは何もかも台無しですぞ」

 幾分か腹立たしげな口調で呟くと黒服の紳士は、空になった右手を軽く振りながら自身を睨む少女の姿を、その剃刀の
如く鋭い眼差しで一瞥する。 

「私のGameに参加したいなら、ちゃんと順番を守るのが礼儀と……」

 悪戯な子供を叱り、戒め、そして諭す様な口調で彼が話を続ける。
 っが、そんな相手の言葉を遮り、打ち消す様にして再び少女の怒りに満ちた叫びが轟いた。 

「 だ ま れ !! 」

 そして続けざまに響くデバイスの射撃音。
 彼女の右腕に装着されたガンナックル、そこから放たれた大出力の魔力弾は主の怒りを象徴するかの様に、まるで闇を
切り裂く光の矢が如く黄金の輝きで辺りを煌々と照らしだす。

 だが、それは......

「……なっ!?」

 少女は思わず絶句する。
 それは双方の対決を息を飲んで見守っていた陸士たち、そして魔導師達も同じだった。

 そうそれは、ほんの一瞬の出来事

 彼女が放った強力な魔力弾を黒服の紳士は、身動ぎはおろか眉ひとつ動かす事無く、まるで目障りなハエを払うかの様
な仕草により右掌だけで軽く弾き飛ばしたのだ。
 そうして目標を反れ流れ弾となった魔力弾は弧を描く様にして彼の背後、道路の向かいに建つビジネスビルへと命中し
凄まじい大音響と共にビルの壁面から真っ赤な炎を吹き上げた。

 これは、悪夢?
 
 これは夢? それとも性質の悪いジョークなのか?

 たった今目前で起きた出来事を目の当たりにし、その場に居た皆が凍て付き、竦み上がり、中には恐怖のあまり気を失
って倒れる女性魔導師まで居た程......

 そんな周囲の事など気に掛ける事無く黒服の紳士は、静かに背後を振り返って肩越しに、瓦礫の雨が下の歩道へと降り
注ぐ様子を眺めると、顎に手をあてて何かを考えるかの様な仕草をする。
 そうして前を向き、再び視線を唖然とする少女へと向けると、未だ身動き出来ぬまま倒れている彼女の姉の傍らを離れ
それまで立っていた浅いクレーターの中から外に向かって素早く跳躍する。
 そうして道路の上へ堅い靴音を立てて降り立つと、彼は徐に右腕を突き出したかと思うや少女を真直ぐに指差した。
 そんな相手の行動に彼女が思わず身構えると、その様子を見た黒服の紳士は白い歯を見せて薄ら笑いを浮かべ、そのま
ま少女に向かって軽く手招きをする。

 “誘ってる!?”

 その動作を見た彼女が呆気に取られている前で彼は、ヨレヨレになった外套を大きく翻したかと思うや、まさに風の様
な速さで飛ぶが如く走り出す。
 驚いた皆が身構える前で黒服の紳士は、そのまま黒焦げのスクラップと化し、黒煙を上げて燻ぶる装甲車の残骸の上を
一気に飛び越えて行った。

 向かってくるでも無く、皆に背を向けて去って行く黒服の紳士。
 それは、まるで「戦いたければ、追って来い」とでも言って、相手を挑発しているかの様に見えた。

「……逃げんなよ」

 そう呟きながら少女は、気が付けば前へと踏み出していた。
 
「人にケンカ売っといて、サッサと……」 

 その背後で傷付いた身体を無理に起こし痛みを堪えながら、熱くなった妹を必死に引き留め様と弱々しく腕を伸ばす姉
の声も、口々に「止せ、行くな!」と叫ぶ陸士や魔導師達の声すら彼女の耳には聞こえなかった。
 
 そう、そのとき少女の耳に響いていたのは、摩天楼の谷間に木霊する狂喜の笑い声......

「 逃げんじゃネェ!!! 」 

 そして黒服の紳士の後を追い、空中に展開したエアライナーの上を疾走しながら、破壊されて転がった装甲車の上を飛
び越えた彼女の目に映ったのは......

 道路を塞いでいたパトカー数台の上を軽々と飛び越えながら、待機していた陸士達による一斉射撃すら物ともせずに掻
い潜り、真夜中のメインストリートを颯爽と走り抜ける“怪物”の黒い後ろ姿だった。


          ****************************************


「姉上ぇぇ! ノーヴェ--! どうか返事をぉ!! 無事でしたら二人とも……どうか」

 大声で姉妹二人の名を呼びながら、隻眼の少女が一人......

 正に悪魔の屠殺場が如き有様となった玄関前広場を、その小柄で華奢な容姿とは不釣り合いな灰色のロングコートを羽
織った姿で、輝く様な長い銀髪を揺らす様にして歩いていた。
 
 辺りを見渡せば、そこかしこに先の騒動で瞬時に命を奪われた陸士達の屍が転がり、また生きてはいても重傷を負わさ
れたり、あるいは無残にも四肢を失って呻く者達の呻き声が絶えず響いていた。
 足元へと目を向ければ、広場の石畳は惨殺された者達が流した血溜りで真っ赤に染まり、あちらこちらに千切れ跳んだ
手足や肉片が散ばっているのが見える。

「救護班は! 救護班は何処だぁぁ!?」

「……あ、し……脚が、オレのあ、脚が……誰、か」

「嫌だぁ! 死にたくない、死にたく……」

 必死で助けを呼び求める怒鳴り声や苦悶の叫び、腹を切り裂かれ飛び出した自身の臓物を押さえる若い陸士が、その想
像を絶する苦痛に上げる悲鳴......
 どんなに耳を塞ごうとも聞こえてくる様々な叫びと、辺りを覆い尽くす血臭に吐き気を催し、気を失って倒れそうにな
る自分を気力だけで支えながら、それでも彼女は姉妹の姿を必死に探し求めた。

「どうか二人、とも……ぐっ」

 目を覆わんばかりの惨状を前にして、既に失った筈の少女の右眼......その黒い眼帯の奥で、焼け付くように痛み続け
ていた右眼が更に激しく疼き始め、その苦痛に彼女は思わず歩みを止めた。

 その鼻を突く様な臭い、溢れ出した血や飛び散った汚物が混ざり合った悪臭......

 そして深紅なる朱、その視界を覆い尽くすほどに広場の石畳を染め上げる鮮血の色......

 それら全てが目には見えぬ巨大な壁となって少女の、その小さく華奢な身体の上へと重く圧し掛かる。
 吐き気を催す異臭とともに、ジットリと湿り気を帯びた濃密な空気が身に纏わり始める中で忘れていた、いや出来る事
なら忘れたかった忌まわしい記憶が、悪夢となって彼女の脳裏を過った。

 “これは、これはあの時と、あの時と同じ……”
 
 いま少女の目前に広がる地獄の様な光景。
 遠い過去に一度それに近い、いや殆ど同じ光景を彼女は目の当たりにしていた。
 
 あの時の地下施設で、数え切れぬ程のガジェットが群れによって、無残に殺されていったゼスト隊のメンバーたち。

 その中には......

 右眼の奥からジクジクと響く痛みと共に、その小さな胸の奥で遠い過去の亡霊たちが目覚め、それらが苦悶の呻きと共
に彼女の名を......

「おい君ぃ! しっかりしろ、どうした!?」

 突如その小さな肩を激しく揺すられ、必死で呼び掛ける声に少女はハッ! と我に帰る。
 顔を上げれば彼女の目前には呼び掛けた声の主、辛うじて惨劇を生き延びた陸士の一人が滝の様な汗で顔をグッショリ
にしながら、不安げな表情で自身の眼を覗きこんでいた。

「キミ所属は? どっか怪我でも?」

「いえ、だ、大丈夫です。 ただ少し気分が……」

「……無理もない。 こんな状況じゃあな」

 なんとか気を取り直した少女の言葉を聞き安心した彼は、未だ凄惨な傷跡の残る広場を見回しながら溜息を吐いた。 
 
【チンク姉、聞こえる? 今どこに?】

 そんな中で不意に隻眼の少女ことチンクの元に、リンクを通じて連絡が入った。
 すぐに返事をしようとするも彼女は、冷たい手で自身の心臓をガッシリと掴まれたかの感覚に囚われて為か、すぐには
返答する事ができず、少し間を置いて呼吸を整えながら何とか言葉を紡ぎ出した。

【でぃ、ディエチか、すまん】
【気分が悪いの? まさか怪我でも……】
【いや、姉は大丈夫だ。それよりどうした?】
【じゃあ落ち着いて聞いてねチンク姉。 いまギンガさんを見付けたんだけど】
【姉上を!?】

 心配そうな様子で気遣う妹ディエチに、少し無理をしながらチンクは自身の無事を伝える。
 だがその後に妹から伝えられた言葉を聞いた彼女は、その場から自ずと駆けだしていた。 

【うん。 でもギンガさん、酷い大怪我を……】
 

              ****************************************


「……」

 言葉は出なかった。
 いや言葉より以前に声を出すこと自体が出来なかった、とでもいうべきだろうか。

 妹より連絡を聞いてから十数分後......

 今は全身血塗れとなった姿で横たえられ、救急車の到着を待ちながら救命士の応急処置を受ける姉ギンガの傍らにガッ
クリと膝を突くとチンクは、その傷付いた手を取ってポロポロと大粒の涙を流した。

「大丈夫だ、病院で手当を受ければ何とか……」

 彼女を落ち着かせようと声を掛けるカルタス陸尉の言葉すら、その耳に届かないのか今のチンクは傷付いた姉の手を握
ぎり締めたまま、押し殺した声で咽び泣くばかりだった。
 
 悔しかった。

 彼女が深手を負わされた姉ギンガの姿を目の当たりにするのは、これで二度目だったからだ。
 その前は利用されていたとはいえ自身の手で、その更に前には間接的であったとはいえ彼女の母親を......

 だからこそチンクは、その小さな胸の内で堅く決意していた。
 もしまた姉が、そして家族の皆が命の危険にさらされる時が訪れたならば、その時こそは自分が盾となろうと。
 それで全てが許されようとは思わない。だがそれでも自身が身代わりとなる事で、少しでも自分が背負ってしまった過
去を償おうと、なにより妹たちにまで重荷を背負わせまいと。

 だが今は......

 ようやく到着した救急車へ収容する為に、救命士達が重傷を負ったギンガを移動式のストレッチャーへ乗せようとする
時ですら、チンクは姉の手を決して放そうとはしなかった。

 悔しかったから

 それ以上に許せなかったから

 姉妹が危機に瀕した時、その傍に居なかった自分の事を
 
 救命士やカルタスが掛ける言葉に対し、泣きながら首を横に振る彼女の姿を見てディエチが、そして周囲の皆が沈痛な
面持ちで見守る中......

「チ……ンク、おね、が、い……」

 そのか細い声を聞いた彼女が泣くのを止め、ゆっくりと握っていた手を緩めながら顔を上げると、そこには薄らと目を
開けて自身を見つめるギンガの顔が見えた。

「 二人を…私、は大、丈夫だ、から、二人を……」

 未だ朦朧とする意識の中、それでも彼女は泣き腫らした眼で自身を見つめる妹に、今出せる精一杯の声で何かを伝えよ
うとしていた。 
 
「……」

 何も言えなかった。

 必死で何かを伝えようとする姉に、何か言葉を掛けたかった。
 なのにチンクは言葉はおろか、小さく呻く様な声しか出せぬまま、救命士達によって運ばれていく姉ギンガを見送る事
しか出来なかった。
  
「……ノーヴェと、それとウェンディの事だよ。 彼女が伝えたかったのは」

 その声にチンクが泣き腫らした顔を上げると、自身の傍らに立って共にギンガを乗せた救急車を見送っていたカルタス
が静かに口を開いた。

「彼女が倒れた時、それを庇ってノーヴェが犯人に立ち向かったんだが……」

 そこまで話すとカルタスは溜息を吐き、少し俯きながら幾分か疲れた様子で、右手で自身の額を軽く押さえた。

「立ち向かって、どうしたんです?」

 泣き続けたせいか、すっかり掠れてしまった声で話すチンクに向かって彼は、これまでの経緯を少し震えるの来る声で
静かに語り始めた。
 
 魔導師達によって追詰められたはずの殺人犯が、凄まじい凶暴さを露わに破壊と殺戮の限りを尽くしたこと。

 そんな恐ろしい相手に憶する事無く、たった一人で正面から立ち向かったギンガのこと。

 そして彼女が深手を負わされ倒れた時、その場に駆け付け殺人鬼を食い止めたノーヴェのこと。

「その後で彼女が、犯人の挑発に乗って……」

「じゃあ、あいつも、ウェンディも一緒に?」


             ****************************************


【ノーヴェ! ノーヴェ! 聞こえてたら返事をしてくれっス!】

 自身の固有武装“ライディングボード”を駆ってウェンディは、摩天楼の谷間を擦り抜ける様にして低空を飛びながら
リンクを通じ姉ノーヴェを呼び続けていた。
 
 それは何時間か前の事......

 あの時、犯人の挑発に乗せられたノーヴェが、皆の制止を振り払うようにして飛び出して行ったすぐ後で、カルタスや
他の陸士達と共に先の闘い深手を負わされたギンガの元へと駆け寄った時である。

「あいつを、ノーヴェを探して来るッス。 あたしが連れ戻して来るッス!」

 そう言って皆の前から飛び出したウェンディだったが、実際のところ姉を連れ戻すという理由は彼女にとって、あの場
を離れる為の口実でしか無かったのかも知れない。

 とにかくあの場には居られなかったのだ。 悔しくて、心の底から悔しくて......

 止められたとはいえ姉が、たった一人で残忍な“怪物”を相手に戦っている時、それをただ見ている事しか出来なかっ
た自分が心底悔しかった。
 例えギンガに後で怒鳴られる事になったとしても、あの時に自身も加勢するべきだったはず。 
 
 だが援護に向かおうとする度、あの殺人狂が己の存在を鼓舞するかのごとく振った凶行が脳裏を掠め......

 何も出来なかった。 

 そんな自分が許せなかった。

 そして大殺戮から約1時間半後の深夜26時32分

 ウェンディ・ナカジマ二等陸士は今、“ライディングボード”を駆って、先に殺人鬼を追って飛び出して行った姉ノー
ヴェの姿を探し求めていた。

 この後まさか彼女自身にとって、最悪のトラブルが待っていようとは知る由もなかった。 

【ノーヴェ! 何でも良いから答えてくれっス!】

 ウェンディは呼び続けた。
 この眼下に広がるオフィス街の何処かで、現場から立ち去った殺人狂を追い掛けているであろう姉の名を。

  ......っと

【 逃げられたぁ!! 】

 そんな彼女の呼び掛けに応えるかのごとく、リンクを通じノーヴェの怒鳴り声が聞こえた。

【え、え? の、ノーヴェ!?】

【 バケモノ野郎を見失った! クソォっ!! 】

【見失った、って今どこに……】 

 突然の事に驚いたウェンディは危うくバランスを崩し、その眼下に見えるビルの谷間へと落ちそうになりながらも、辛
うじて体制を立て直しボードを停止させた。

【どっかのオフィスん中。 けど分かんねぇーよ今どこだか!】

【オフィスの中って、なんでそんなトコに?】

【アイツ(犯人)追っかけてて飛び込んじまった。 つか誰だよ、こんな所にビルなんか建てたのは!?】

 冷や汗をかきつつ返事をするウェンディに、相手を取り逃がしてしまった事をノーヴェが悔しげに話している時、そこ
に同じリンクを通じて別の声が加わった。

【ノーヴェ! それにウェンディ、二人とも無事か?】

【【チンク姉ぇ?】】

 自身の呼び掛けに対し先に飛び出して行った妹たちが、ほぼ二人同時に返事をするのを聞いて安心したのか、リンクの
向こうからチンクが安堵のため息を吐くのが聞こえた。

【こっちは大丈夫っス。 でもチンク姉いまどこに?】

【お前たちを探してたところだ。  全く何を考えてるんだ二人とも!】

【……ごめん、申し訳ないっス】

 姉からの厳しい言葉を聞きウェンディは、言葉に出来ぬ思いを抱えたままボードの上で意気消沈し、それはノーヴェも
同じだったようでリンクの向こうより彼女の詫びの言葉が聞こえた。

【ごめんよチンク姉。 でも……】

【言いたい事は分からんでもない。 姉上や他の皆が受けた仕打ちを見れば、私とて我慢など出来ぬ】

 ディエチが運転する大型バイクの後ろに乗り、そこからリンク先で自身の言葉に聞き入る妹達に対し、自らの感情を抑
える様にしてしてチンクは、切々とした口調で二人に語りかけていた。

【だが相手の正体や目的が不明なままで、無闇に深追いするのはどうかと思う。 それに今は姉上の事も心配だしな】

【【……】】

【とにかく一度合流しよう。 いま姉はディエチと一緒に中央通りを西に向かっている】

 姉からの指示を聞きながらウェンディは、すぐさまライディングボードを中央通りの有る方へと向ける。 

【細かい話は皆で集まってからだ。 いいな?】

【了解ッス!】
 
 そうしてチンクの言葉に返事をすると彼女は、ビルの谷間を縫う様にして飛んで行く。
 
 しかし......

 ウェンディが中央通りの位置を確認する為に、ライディングボードの高度を上げた瞬間である!
 その眼下に聳えるビルの一つ、その屋上を見下ろした彼女は驚きと恐怖のあまり紅い瞳を大きく見開き、身体の血が全
て瞬時に凍て付くかのような戦慄を覚えた。

    “アイツだ!!”

 そう彼女の目に映ったのは数時間前に、あのミッド貿易センター第三ビルの屋上へと追詰めた時と同じく、手摺に凭れ
かかる様な姿勢で、こちらに背を向けて立つ......

 

        ****************************************


【 居たァーー!! 】

 突然リンクの向こうから響く悲鳴にも似た叫びに驚き、危うくバランスを崩しそうになったノーヴェは、何とか姿勢を
立て直しながら黄金色のテンプレート“エアライナー”の上を疾走していく。

【どうしたウェンディ! 何が……】

【 見付けたッス! 】

【落ち着けウェンディ! 見付けた、って何を!?】

 パニックに陥った状態で喚く妹を宥めつつ、状況を何とか確認しようとするノーヴェ。
 だがそこで彼女は、ショックのあまり未だ混乱するウェンディの口から、思わぬ言葉を聞かされる事となった。

【 あ、あいつッス、あのバケモノ野郎ッス!! 】

【アイツが? 何処に、今どこに居るんだ!?】

【 いま、今アタシが居る1ブロック先の、び、ビルの屋上に!! 】

「違ァうって! お前は今どこに居るんだ、って聞いてんだよ!」

 なかなかパニックが治まらない妹に向かってノーヴェが、かなり強い口調で喝を入れる様にして呼び掛けるや、少し間
を置きウェンディからの返事が聞こえた。

【今は、今は三番街の、たぶん三番街の、交差点の上あたりッス。 それ以上は分からないッス!】

「分かった、分かったからそこで待ってろよ! 良いな!?」

【……り、了解ッス】 

 恐怖と興奮が無い混ざりになった声で、なんとか言葉を返す妹からの応答を聞くとノーヴェは、すぐさまデバイスで連
絡のあったポイントを探し始める。

「三番街の、三番街の・・・どこだ?」

《 Sir! (ウェンディからの)連絡が有った場所は、三番街の中心に有る立体交差点の付近かと…… 》 

「じゃあアイツも、あの黒服オヤジも近くに居るって事だな!」

 デバイスが示すポイントを確認するや否や、すぐさまウェンディが居ると思しき方角に向け移動を始めるノーヴェ。
 だがその横からリンクを通じ、少し慌てた様子で二人に向けチンクからの通信が入る。

【 待て二人とも! 無闇に動くんじゃない! 】

【で、でもチンク姉……】

【 ダメだ! とにかく姉たちもすぐ三番街へ向かう。 それまで迂闊な行動はするな、良いな二人とも! 】

【……わ、分かったよ】

 いちだんと厳しい口調で逸る妹たち二人を制するチンクの言葉に、どこか煮え切らぬ様子でノーヴェは返事をした。

 ......っが

【 返事はどうしたウェンディ! おいウェンディ!! 】

 もう一人の妹からの応答が無い事に焦り、その名を何度も呼ぶチンク。
 その様子にノーヴェが戸惑い、そして言い知れぬ不安の抱き始めた時である。
 
 突如として響く重い射撃音。

 それに驚き辺りを見回すノーヴェの目に、まるで花火の様に鮮やかな光を放ちながら高エネルギー弾の閃光が、そう遠
くは無い所で幾つも飛び交う様子が見えた。

「……まさか!?」

《 間違いありません Sir! 先ほど連絡の有った立体交差点付近のビル屋上です! 》

「 あのバカっ! なに勝手な事してんだ全く……ジェットエッジ!! 」

《 Alright Sir! 》

 主の呼び掛けに応えるや、それまで待機状態だったデバイスが唸りを上げて起動する。

 黄金の輝きを放つテンプレートの上を、三番街の方角に向けて疾走していくノーヴェ。

 彼女の燃える様に真っ赤な髪を激しい風が揺らす中、今その胸中に有ったもの......

      ”頼む! 頼むから、早まった事すんじゃねぇぞ!”

 ノーヴェは走る、夜の闇を切り裂く様にしてビルの谷間を走り抜ける。

 今この時にも妹はたった一人で戦いの場に立っているのだから。 血の匂いを求め身も凍る様な冷酷さを剥き出しに
する、凶暴で残忍極まる“怪物”を相手に......

「あんな、あんなバケモノ野郎を相手に、一人じゃムリだろバカっ!」

 いま自身が向かっている先で、必死になって恐るべき相手と闘っているであろうウェンディ。
 そんな妹の様子が脳裏に浮かぶや、ノーヴェの抑えようのない不安と焦りが、言葉となって口から零れ出し、その彼女
の心情に呼応しているのか、エアライナーの上を疾走するデバイスが見る見る内に加速していく。
 
《 Sir! Sir! 間もなく三番街です。 注意して下さい! 》

「わ、分かってるよそれ位!」

 目指すポイントが近付いた事を告げるデバイス“ジェットエッジ”からの音声に、危うく我を忘れそうになっていたの
かノーヴェは、幾分か緊張した様子で言葉を返す。

 っが気が付けばそれまで響いていた、妹のデバイスの物と思しき射撃音が何時の間にか止んでいたのだ。
 そして夜の静寂が再び辺りを支配しつつある中で、先を急ぐノーヴェの心中に最悪の状況が過った正にその時である。 
 彼女の目の前が急に開けたかと思うと、その眼下に幾つもの道路が混じり合う大きな立体交差点が見えた。

《 連絡のあったポイントに到着しました。 Sir! 》

 その言葉を聞くやノーヴェは、すぐさまデバイスを中空で停止させると、妹の姿を求め周囲へと視線を走らせる。

「どこだウェンディ、どこに居るんだよいったい……」

 ビルの屋上は勿論その下の交差点や道路にまで、くまなく目を向けて妹の姿を探し続けながらノーヴェは、次に立体交
差点の上で大きく旋回するようにしてデバイスを徐行させる。
 
 そうして辺りを見回す彼女の目が建ち並ぶビルの一つ、通りに面して建つ約30階建てのビルの屋上へと向けられた時
そこに思わぬ光景が見えた。

 それは......

 まるでオーケストラを前に指揮者が振う指揮棒の如く、右手に握り締めた両刃の剣先を不気味に揺らしながら、ゆっく
りとした足取りで“獲物”の周囲を円を描く様にして歩く黒服の紳士が姿。

 そして、その円の中心で右脚の太股の辺りをザックリと深く斬りつけられ、その場に腰を落とし身動きのとれぬ状態と
なって、震える手で自身の固有武装を構える......

 

  「 そんな…… ウ ェ ン デ ィ !!! 」

 


                                     ・・・・・・Until Next Time

 

+ タグ編集
  • タグ:
  • A Study In Terror ・・・第六章
最終更新:2011年01月13日 06:34