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 此処は地面と天井が逆さなのだ。
 つまり重力が逆に働いており、床が上で天井が下となっているのだ。
 突入により踏み入った当初、飛行した状態であったが故に、高町なのははそれに気づくのが遅れてしまった。
 それでも尚、彼女が次に来た危険を咄嗟に回避することが出来たのは、それは幸運以外の何ものでもなかった。
 ……否、それはもしかしたならば戦士として鍛え上げられていた危機感知の本能が咄嗟に働いたが故だったのかもしれない。
 兎に角、その空間に踏み入った直後、具体的には分からない妙な違和感を抱きながらも、それでもそれが何なのか掴めぬまま、何気なく上を見上げたのが命を拾った。
 見上げた天井――後に逆さまになっている床と知る其処に、二の足をつけて立っている兵士の姿がそこにはあった。
 しかもそれだけではない。その兵士は手に持つ銃器をこちらへと構え、その銃口を正確に向けてきていた。
 迂闊、そう自身を呪うのも二の次。認識と同時、けたたましい銃声と共にこちらへ向かって発射されてくる銃弾の嵐。
 咄嗟にオートでレイジングハートがプロテクションを反射的に展開してくれていなければ、バリアジャケットがあったとはいえ、手傷を負うことは避けられなかったことだろう。
 重火器から発射されてくる銃弾の嵐。その威力は並みの魔導師のプロテクション程度ならば、物ともせずに蜂の巣に変えるだけの威力はあっただろう。
 しかしここでもまたなのはを救ったのは、その自身の自慢とも言える重層型魔導師の中でも突出するほどの頑強さだ。
 事実、なのはを守護する防壁はものの見事に襲い掛かる銃弾の嵐を防ぎきって見せた。
 当然、それに驚愕したのは確実に仕留めたとそう予感していたのだろう、発砲してきた相手側の兵士の方だった。
 しかし、その彼の驚愕によって出来た致命的な隙を見逃すほどに発砲された側の高町なのははお人好しではない。
 即座に反撃のシューターを展開、間髪入れずにその全弾を相手に向かって叩き込む。
 警告はない。既にこれは突入による殲滅戦だ。手当たり次第に見つけた当施設の者は速やかに捕縛をするように下知は出ている。
 それに、長年に渡って潜り抜けてきた修羅場の経験から一目でなのはには判断できていた。
 この兵士達は投降を促したところで、大人しくそれに従うような聞き分けの良い部類の相手ではないことを。
 故にここに至って彼女には容赦の二文字は存在しない。操るシューターは逃げようと動きかけた相手を逃すことなく直撃。加減無用の非殺傷弾は当然のように相手を昏倒させた。
 なのはは素早く同行している部下達へと指示を飛ばす。昏倒した兵士をバインドによって拘束させ、周囲に警戒を呼びかけながら各班に事前に打ち合わせておいたフォーメーションによる行動を徹底させる。

「油断しちゃ駄目だよ。各自、気を引き締めて周囲を警戒しながら、私に続いて!」

 そう指示を飛ばしながら、なのはは素早くサーチャーを作り出すと共に、哨戒と探索を兼ねて各ルートに向かってそれを飛ばす。
 相当に広大なこの施設。突入した部隊はかなりの数になるが、それでもなのはの率いる部隊が担当するエリアだけでもかなり広い。
 自分たちの主任務は露払い。これから続々に出てくるだろう迎撃の兵士や兵器たちを撃破しながら、本隊の中枢部への突入のために突破口を開かねばならない。
 重要な役割であり、言うまでもなく大仕事だ。これが事前に説明されていた通りに総力戦の戦争染みたものになるというのなら、まさにその通りだろう。

「……それだけの相手だからこそ、私たちの出番ってことは分かるんだけど」

 戦技教導隊の大多数までもが引っ張り出され、そして昔馴染みの親友たちまでこの戦いに加わっているのだ。
 恐らく、管理局史上でも類を見ない大規模な作戦である。間違いなく、後の記録にまで作戦の成否はどうあれ、語り継がれることだろう。
 自分たちは英雄か、それとも惨めな敗北者か。果たして後の記録はどちらで記されるのだろうか。

「少なくとも、皆をそうさせないために私たちが此処にいる」

 そう、この部下達を、同僚達を敗残兵になどさせない。
 必ず全員無事に、生きてミッドチルダへと帰してみせる。
 だからこそ――

「正念場だよ、レイジングハート。気合入れていこう」
『All right. my master.』

 十年間、共に戦ってきた何よりも信頼する相棒にそう告げながら、高町なのはは続く部下達を率いて、この魔窟に等しい施設内部へと侵攻を開始した。
 魔窟……そう、確かに堅牢とも呼べそうなこの要塞はそう呼ぶに相応しい。

 此処は『第三の月の都(ザ・サード・ムーン)』
 そして彼女たちが目指すその最奥にいる者の名をグランドマスターと言う。

 冥王の名を冠し、生命すらも自在に生み出し操り、圧倒的な軍事・経済・科学技術を有し掌握する絶対的な支配者。
 とある次元世界では、文字通りに神として君臨し、他の次元世界までをも手中に収めんと活動する広域次元犯罪者。
 時空管理局の創設時より敵対し、マークされ続けていた大物中の大物。
 次元世界に侵攻する魔人。管理局にとっての長年の宿敵である。


 後に、“『第三の月の都』攻略戦”と呼ばれる、管理局史上類を見ない大規模作戦はこうして幕を開けた。

 

 


 もし、世界にも生き物と同じように寿命というものが存在するとすれば、まさにこの世界は末期そのものであろうと、彼――飛燕は思っていた。
 実際、この世界は見るからに酷いものだった。
 増えすぎた人口は更なる飢餓と紛争を引き起こし、慢性病と化した環境破壊は病気と遺伝子障害を生み出し続ける。
 犯罪の増加は止まることもなく、人民の自殺率の割合も年を追うごとに上昇し続けている。
 依存性と副作用の極めて高い悪性のドラッグは市場に蔓延し、倫理無き人体改造の横行は本来の人類の生態系すらも歪めてしまった。
 ならばと救いを求める弱者に手を伸ばす者はおらず、本来そうあるべき政の為政者たちまでもが利己的な益へと走る企業と結託し、平然と企業犯罪を生み出し続ける温床そのものと化していた。

「もうこの世界に、正義や平和を謳う者はどこにもいない」

 仮にそんなことを声高に叫ぶ者がいたとしても、それは形だけの偽善者。力なき者たちを騙し、食い物にする良心無き悪魔でしかない。
 故に、この世界はもう助からない。人類は熟れ過ぎた果実のように、ゆっくりと腐っていくほかにない。

「俺たちストライダーズが何をしたところで、結局は何も変わらないんだ」

 見下ろす眼下の摩天楼。偽りの輝きと歪な繁栄の中で、今もどこかできっと名前も知らない誰かが死んでいることだろう。
 そしてそれは十中八九、弱者。そう、飛燕が本来守りたかったはずの人々だ。
 力なき者たちが、罪無き人々が、脅かされることなく安心して笑って暮らしていける世界。
 そんな夢物語の楽園のような世界を、それでも理想と求めて今日まで彼はこの傍らの戦友と共に戦い続けてきた。
 けれど……

「……なぁ、教えてくれ。俺たちは……俺たちに救えるものなんてあるんだろうか」

 少なくとも、飛燕は今の自分にも、そしてこの世界にも、それを見出すことは出来ない。
 個人が有するならば凡そ最高峰と言っていい戦闘技術を有する彼だが、だからと言って、それで何かが救えるとは思えない。
 何故なら、自分の持つこれらの力は全て人殺しのための技だ。誰かを殺し、何かを壊すためだけにしか使えないもので、何かを救うなどということが出来るとは思えなかった。
 仮に目の前に悪漢に食い物にされんとする弱者がいたとする。成程、確かに飛燕は武力を持ってそいつらの排除はしてやることが出来る。
 しかし結局はそんなものはその場しのぎに過ぎない。その明日をも知れない弱者を、それ以上にどうすることも彼には出来ないのだ。

「それでも、そうした奴等を一人でも多く排除することで、罪無き人たちが一人でも多く明日を生きられればと信じていたさ」

 けれど、それを信じて戦っても、この手を腐った人間どもの血で汚し続けたとしても。

「けれど減らないんだ。俺が悪を一人殺したところで、明日には新しい悪が二人も三人も増えている。どれだけ排除したって、次から次へとキリがない」

 そう、根本的に病んだ、救いようのないような歪んだ人間が多すぎるのだ。
 そして改善の余地の無い劣悪な環境が、昨日の善人を、やがて明日の悪人へと変えてしまう。
 世界そのものが歪んでいるのだ。救いようの無い程に。滑稽と言っていいほどに。
 堂々巡りのイタチごっこ。底に穴の開いた桶で井戸の水を掬い続けようとしているようなものだ。
 飛燕には誰も救えない。この世界だって変えられない。
 それは恐らく、ストライダーズも、そしてこの傍らの戦友も同じことだろう。

「……俺たちは、どうしてこの道を選んだのだろうか」

 どうして、自分たちには何も救えないのだろうか。
 どうして、自分たちは何かを変えることが出来ないのだろうか。
 この歪んだ世界を。ゆっくりと腐りきっていくほかに未来の無い人類を、どうにかするだけの力も無い。

「なぁ――飛竜」

 先程から沈黙を貫く、傍らで共に眼下の摩天楼を見下ろしている戦友へと問いかける。
 もう信じることも出来なくなった、理想を追い続けるために戦う意義を見出せなくなった、そんな自分たちの存在そのものの意義を彼は尋ねたかった。

「俺たちストライダーズに……本当に存在意義はあるのか?」

 その言葉に対し傍らの戦友は、ずっと摩天楼を見下ろしていたその視線を初めてこちらへと向けると共に――

 


『――ん! 飛燕ッ! 何をしている!? 応えろ!?』

 耳元からがなり立てるように聞こえてくるその声に、まどろみの中でたゆたっていた飛燕の意識は、急速に覚醒を促された。
 飛び跳ねるように身を起こせば、そこは自室のベッドの上。枕元に置いておいた通信機から、先程から引っ切り無しに見知った声が応答を呼びかけてきていた。
 それに負けず劣らずで鳴り響いていたのは、非常事態を知らせる警報の音だった。

「東風か? 何があった?」

 通信機を即座に取り上げると共に、通話越しの相手へと飛燕は現状を尋ねかけた。

『侵入者だ! この非常事態に何をやっている!? お前も早く迎撃に向かえ!』

 居丈高に怒鳴りつけてくる相手の返答。それは予想通りの内容であり、そして指示だ。同じ“あのお方”に仕える者同士、彼女との間に上下関係は存在していないが、いつも彼女は自分に対しては他の者たち以上に言動が攻撃的で棘に満ちている。
 それは彼自身の出自に関係があることなど周知の事実ではあるが、今はそれをとやかく言っている暇はなさそうだ。
 同じ“あのお方”へと捧げる忠誠心と実力は互いに認めている。犬猿の仲であれ、最も重要なその部分にはお互いに異議を挟む余地はない。
 無論、飛燕とてこの『第三の月の都』の守護を任されている者だ。“あのお方”の居城でもある此処に攻め入ってくる無謀な輩が何者であれ、それを迎撃することに否はない。
 ただそれでも今の彼が気になることがあるとするならば……

「侵入者ということは……あの男か?」

 敢えてその名を口に出さず留めてしまったのは、この期に及んでまだ尚捨てきれぬ、その相手に対する持て余した複雑な感情ゆえにか。
 けれど問いかけるまでもなく、それ以外にいまいと思っていた飛燕の予想は、しかし呆気なく裏切られた。

『違う。時空管理局だ! 奴ら、大規模部隊でこの『第三の月の都』に奇襲を仕掛けてきた!』

 現在は防衛システムと部隊が各所で迎撃を行っているというが、かなりの数の高ランク魔導師を相手側も投入しているらしく、各所で激戦が繰り広げられているらしい。

「……管理局が? 何故この時期に、それもそんな大部隊で侵攻を?」

 言ってみればこの現状、こちらにして見れば戦争をふっかけられたに等しい。仮にも身の程知らずな次元世界の守護者を名乗り、“あのお方”に長年に渡って楯突いてきた最有力の敵対組織とはいえ、やり方が強引過ぎる。
 それに何より……

「どうして奴らが、この『第三の月』の位置を特定出来たんだ?」

 現在の『第三の月の都』は、“あのお方”の被造物たる世界の近辺、その次元の海の中に隠れるように停留中であったはずだ。
 当然その正確な位置は厳重に秘匿し、情報とて外部に漏れるような下手は打たないよう管理は徹底としていたはずだ。
 “あのお方”の命を狙うあの男に警戒し、取っていたはずのその措置の中で、どうして場違いな管理局に位置を掴まれ、奇襲を仕掛けられたというのだ。
 解せない事態。この『第三の月の都』の内部情報に精通していればしているほど、怪訝と思わざるに得ない。

『そんなことは後回しだ! とにかく、今は奴等を殲滅するのが先だ。一人たりとも“あのお方”の元へは近づけさせるな!』

 東風の言い分は正しく、この状況下では尤もな意見だ。それは飛燕とて言われるべきまでもないことだ。
 これ以上の議論は時間の無駄。“あのお方”とその居城である此処を守るためにも、飛燕とて即座に出撃しなければならない。

「ソロは?」
『既に侵入者の排除に向かっている。私ももう出る。お前も急げ』
「了解」

 手短に最後の確認の後にそう通信を終えながら、装備を整えた飛燕は部屋を飛び出す。
 まだ中枢部までは敵も侵攻し切れてはいない。“あのお方”の玉座には絶対に近づけさせない以上、自分たちの手で波打ち際で抑える他にない。

「……所詮、こんな事の為にしか使えない力だ」

 ならば磨き上げたこの力と技術、せめて理想の新世界への礎と振るうのが道理と言うもの。
 その為に自分は、かつての居場所を……自らの半生を捧げていたあの古巣を切り捨てたのだから。

「……そうだ。誰にも邪魔はさせない」

 俺の、そして“あのお方”が御創りになられる新世界を、その理想を。
 それを守るためならば……ああ、幾らでも穢れてやろうじゃないか。
 決意を新たに、飛燕は駆け出す。自らの存在意義を果たす為に。
 幸か不幸か、あの男の襲撃を警戒し、今此処は平時でも常に万全の迎撃態勢を怠ってはいなかった。
 あの男を相手に過剰とも思えるほど準備していた、迎撃のための兵装の全てが、管理局の連中に存分に叩き込めるはずだ。

「間が悪いと思いもしたが、どうやら不幸中の幸い――」

 しかしそこで、唐突に何かに思い至ったように、飛燕は呟き漏れていたその言葉と駆け出していたその足を、ピタリと止める。

「……本当に、そうなのか?」

 今、飛燕の脳裏を埋め尽くしているのは、言葉通りのその疑問であった。
 本当に、この時期にこのタイミングで、よりにもよって管理局が攻め込んできたことは、本当に偶然なのだろうか。
 そんな簡単に片付けるには、どうしても無視できない気持ちの悪いしこりが残る。
 当然だろう。やはり幾らなんでも出来過ぎている。
 この状況はまるで、お誂えのように、あの男にとっての好機そのものではないか。
 絶対の支配者であり、常に堅牢の守りによって固められている“あのお方”の命を、それを取ろうとする絶好の好機など、本当にあるとするならば、この今の状況をおいて他にあるだろうか。
 いいや、ありえない。そもそも予想もしていなかったイレギュラー。それ故に起こっている混乱であり、生じた隙なのだ。
 偶然などという不確かなもので、そんなものが起こるとも思えない。
 それに飛燕自身が、なまじあの男の事を知り尽くしているということもある。
 あの男なら、そうどんなに無謀か知っていながらも、それでも今尚その愚行を続けているあの男ならば、これくらいの事は平然と考え、利用するために躊躇いも無く実行するだろう。
 あの男にとって唯一と言っていい、頑として譲らぬ、その任務遂行という意志のためならば。
 そうだとするならば――

「やはりお前も来ているのか――飛竜」

 かつて、常に共にあり、命と背中を預け、戦場を共に駆けた戦友の名を。
 その強さに憧れ、ずっと追い続けていた、誰よりも強いその男の名を。
 複雑な心境で、どこか恐れるように飛燕は呟いていた。

 

 

 ストライダーズと呼ばれる組織がある。
 忍者を前身として生まれた諜報組織であり、そこに所属するエージェントはストライダーと呼ばれる。
 特定の国家には属さないひとつの傭兵集団であり、かつては情報収集・破壊工作・暗殺、およそあらゆる地下工作のエキスパートを世界各地へと派遣していた。
 ……尤も、それすら今は既にかつての栄華に過ぎず、現在は組織そのものが壊滅状態であり、活動中のエージェントもまた一人を置いて他にはいない。
 そしてその生き残りである唯一人のエージェントこそ――

「飛竜より本部へ。予定通り『第三の月の都』へと潜入した。これより任務を遂行する」

 恐らくは、これが最後となるであろう事前報告。
 既にそれを聞き届ける者は存在しない。当然だ、既にストライダーズは彼を除き壊滅してしまっているのだから。
 故にこそ彼は一人、否、例え組織や仲間達が無事であろうが、常に任務を遂行する戦場においては彼は一人だ。
 故に変わらない。変わることなどなければ、変わる必要もない。
 今も昔も、きっとそしてこれからも、彼はただ一人で戦い続けることだろう。
 それを孤独と取るか、或いは孤高と取るか。どちらでもいいし、彼自身そこに何一つの興味もない。
 重要なのは、未だ自分の任務は続いており、そしてそれは必ず果たさなければならないということだけ。
 鉄の任務遂行心。そこに揺らぎは欠片もありはしない。
 彼はストライダーとして、これからも、そしていつかの最後までもそう在り続けることなのだろう。
 故に、この境遇も、この状態もまた必然。
 そしてこの任務を、自分が請け負うということもまた。
 今にして思えば、ストライダーズで最後に残ったのが自分だというのもまた、必然なのだろうと彼は思う。
 確信があった。己の生涯とは、その存在意義とは、今日これからのこの瞬間のためだけにあったということを。
 どれ程周りがこの行いを、無謀・愚行と嘲ろうとも、そんなものは歯牙にもかけぬ、果たさなければならぬものが今の彼にはあったのだから。
 そう、この任務は……この任務だけは、他の誰にも譲れない。否、そもそも果たすことは出来ない。
 当然だろう、何故ならこの任務は既に、ずっとかつての“あの時”から、彼の任務だったのだから。
 そう、他の誰でもない。この任務だけは――


 ――この任務だけは、ストライダー飛竜のものだ。


 彼にとっての最大の、そして恐らくは最後となる任務。
 その必然を、その運命を、もう一度、今度こそは果たしに行く。
 ならば、今よりこの戦場を疾風と化して駆ける事に躊躇いがあるはずも無く。
 奴の玉座に辿り着き、奴を狩ることに恐れを抱くはずも無い。
 故に――

「ストライダー飛竜――グランドマスターの抹殺を開始する」

 最後に聞く者も無いその意味なき宣言をしたのは、彼にしては珍しい単なる儀式。
 後戻りも過ちも無い、完遂を当然のものとすることを示すための宣誓も同じ。
 故にそれも終われば、後はない。
 即座に戦場を駆け抜ける死の風と化した飛竜は、唯一人の標的だけを目指して遂に任務を開始した。


 彼の名を飛竜。
 本名・国籍共に不明。そのコードネーム以外の詳しい経歴を知る者は、本人を除けば、かつての戦友くらいだろう。
 それでも未だ裏の世界に君臨するその雷名、畏怖と共に語り継がれる彼の伝説は、その意味を知る者からすれば、あまりにも重い。
 野を駆ける孤高の青き獣。その爪牙が冥王の喉下に突き立てられたか否か、その真実が後の歴史に記されるかどうかは、まだ誰も知らない。

 

 

 惑星包括制御センター。
 ここが事実上の冥王の玉座であること、それは既に周知の事実である。
 故に管理局の連中も、そしてあの男も。その目的地として目指す場所が間違いなくここであろうことはどんな馬鹿でも分かるというもの。
 なればこそ、ならばそこに当然のように座する冥王自身は、それについて何を思うか。

「問題ない」

 そう、問題ない。一切は些事に等しきと、そう切り捨てる。
 何故なら彼は冥王グランドマスター。
 古き神の遺物のことごとくを焼き払い、自らの生み出す被造物によって理想の新世界を創造する新しき神。
 神は揺らがず、恐れず、侵せない。絶対の存在であるが故に、人間ごときが如何様に出来るような容易き存在であるはずがない。

「故に問題ない。例え何者であろうと、余を打ち倒すことなど出来はせん」

 管理局だろうが、飛竜だろうが関係ない。
 そのような卑賤の俗物が手に届かぬ遥か高み、天に神とは居ますものなのだから。

「ですが――」
「くどいぞ、飛燕。貴様ごとき斯様な存在が、余に諫言を口にすることを許されると思うな」

 尚もと跪き食い下がる飛燕を、グランドマスターはその圧倒的なまでの傲岸なる言動とプレッシャーで黙らせる。
 流石に主の逆鱗に触れかねないと悟ったのだろう。飛燕は押し黙り、続き紡ぎかけていた言葉を押し留める。
 それは諦観と確信の表れ。自分が何を進言したところで、冥王はそれを聞き入れはしないのだというこの現状への。

「恐れることはない。貴様も余の創造する新世界を望むというのならば、余の指示に従っておればそれでいい」

 全てを裁定し、進めていくのは神たる自分の役割だとグランドマスターは言い放つ。それはつまり、下僕に自由意志など認めてはいないという、その返答の表れですらあった。
 だがそう言われ、決定付けられた以上、飛燕が口の挟める余地などもはや何処にもない。彼を主に、此処を居場所に、彼の創る新世界を理想としている飛燕にとって、今更にそれ以外は何一つ残されてはいない。
 それを承知の上で、覚悟の上で、自分は全てを捨ててまで、彼の傘下へと下ったのだから。

「余を守る剣となると誓ったのならば、余が下す指示の通りにその刃を振るえばよい」

 道具風情が主の意図に割り込もうなどおこがましい。
 道具ならば道具らしく、その指示の通りに振るわれろ。
 そしてその為に――

「行け、飛燕。奴等を討て。管理局も飛竜も、古き神の子どもはことごとく、余の『至福千年紀(ミレニアム)』には全て不要」

 いずれは全ての星々を、宇宙を、次元世界の果てまで、遍く全てを自らの被造物で創りかえる為に焼き払う。
 まずはその門出。愚かしくも冥王の慈悲も愛も解すこともなく、歯向かう愚物どもを粛清する。
 それが目指すべき理想への道行きならば――

「――了解しました。全てはあなたの御心のままに」

 そう答え、立ち上がると共に一礼を済ますと、飛燕はその冥王の玉座より退室すると共に、その主の下す下知の通りに任務を遂行すべく行動を開始した。
 理想の新世界、それ以外にもはや信じられる道が無いというのなら――

「飛竜――俺はお前を斬り捨てでも、そこに辿り着いてみせる」

 もう、絶望に戻るのは沢山だ。
 自身が強くあれないというのなら、せめて強き者の傍らで、その者が見ている世界を共有する。
 そこにならきっと、何がしかの希望があるはずだと、それを信じて……

 

 


 『第三の月の都』。
 冥王グランドマスターの誇る居城にして、次元間を航行可能な巨大要塞。
 超技術の粋を結集した強大な軍事力を有する魔窟。
 例え管理局の精鋭を集結させたとて、そう簡単に落とせる規模の難所ではない。
 それは組織創立時より連綿と続くこの公然とした敵対関係に終止符が打たれていないことからも明らか。

「……要するに、文字通りの難攻不落、か」

 これはまた厄介なものを相手にせねばならなくなったものだと、半ばウンザリとした態度も顕に八神はやては溜息を吐いていた。
 この『第三の月』の攻略戦を上層部の要請に従い参加することになって数日。幾時間もかけて綿密に練りこんで備えに備えて実行に移ったはずの奇襲作戦が、当初の目論見通りほど上手く事態が進行していないことに、流石に不安と苛立ちも抱きかけていた。
 ……否、むしろ――

「……状況はこっちの方が拙くなっとるってか。たまらんなぁ」

 各所より先程から引っ切り無しに報告が続いている部隊状況は、劣勢という言葉で済ますことすらむしろお世辞が必要となるだろう。
 施設内の随所に配置されている防衛システム。加え冥王側の兵士が持つ重火器類の威力。
 ……加え、トドメのように施設全域を覆っているAMF。

「……流石あらゆる技術を掌握しとる魔人……有象無象の犯罪組織とは桁違いか」

 実際、それはこれまでの歴史が証明していたものの、自分たちがまさか実体験としてそれを得られるなど……ハッキリ言ってありがた迷惑もいいところだった。
 しかしそれでも愚痴ってはいられない。精鋭を結集させた大規模奇襲を行っておいて間違っても返り討ちの敗走などとなれば、自分の首が飛ぶ程度では済まされない。管理局史上の沽券にも関わる汚点になるのは間違いない。
 はやてとしてもそんなものはゴメンだし、何より次元世界の守護者の看板を背負う自分たちが負けるわけにはいかないのは当然なので、ここで退くわけにもいかない。
 二度とない冥王打倒の好機。自分たちは是が非でも勝たなければならないのだ。

「……せやけど、どうしたもんかなぁ」
「呑気に溜息吐いてる暇なんてないですよ、はやてちゃん!」

 耳元でこちらを怒鳴りつけるかのように叫んでくるリインフォースⅡのその幼さを多分に含んだ声。
 任務中はマイスターはやてと呼ぶと取り決めていたはずのそれが出来ていないのは、彼女もまた切羽詰っていることの証明か。
 実際、リインは好きで必死に怒鳴っているわけではない。そうやって怒鳴るくらいの大声でなければ聴こえないからだ。
 何せ現状、障害物を盾にしながらその物陰で敵からの迎撃の銃火を凌いでいた最中だったのだから。
 いくら騎士甲冑を纏っていようと迂闊に今飛び出そうものなら穴開きチーズと化すのは確定だ。故にこそ、引っ込むように今は物陰から銃弾の嵐が止むのを待っている最中だったのだ。
 八神はやて十九歳。生と死が隣り合わせの戦場の最前線にて一部隊の指揮を任されたうら若き乙女。
 正直、この現状はやってられなかった。本気で泣いて頼んで帰っていいか交渉したくなるくらいにはウンザリしていた。

「白旗振ったら向こうさん、許してくれると思う?」
「はやてちゃん! 冗談言ってる場合じゃないですよ!」

 場を和ませようと言ってみた言葉に不謹慎だというように怒鳴り返すリイン。見れば他の部下達もまたその様子は同様だった。
 どうやら滑ったらしい……冗談が通じない堅い連中はどうにも付き合いづらいので苦手だ。少しはリラックスした方が生存率も上がるのではないかと思ったのだが。
 しかしこの現状では仕方が無い。空気を読めてなかったのは自分の方かと自らの否を認めることにして頭を下げた。

(……けど次に作る新部隊は、もうちょっと親しみやすいものにしたいかなぁ)

 この作戦の後、ミッドチルダで新たに自分が部隊長として設立される予定となっている新部隊。既に構成員の八割方の見積もりは終わっていたが、部隊運営における個人的な課題くらいには胸に留めておこうかと考えていた。

(……にしても、あとちょっとで始められるって矢先でこれとはなぁ)

 運命というものは実にままならないもの……相変わらずにそれを実感せざるを得なかった。
 設立予定日も間もなくとスケジュールや後ろ盾への根回しへと奔走していた最中でのこの奇襲作戦参加の要請だった。
 デスクワークと交渉で鈍った体の復帰戦には流石にハード過ぎる。新部隊を前に実戦の中で指揮を任されることになったというのは良い経験とはなったが、しかし現状の危険度そのものがバカにならない。
 リイン以外の他の皆とも部隊を分けられてしまった。戦力の均等な分布の足りぬ急造構成であるために仕方が無いとはいえ、ヴォルケンリッターも取り上げられて戦場のど真ん中に放り込まれるとは、自分は上層部から相当疎まれているのかもしれない。
 我が身のことを棚に上げて親友と家族一同の身を心配しているあたり、やはり彼女が八神はやてたる所以ではあったことだろう。

(……皆、無事やろか)

 ハッキリ言ってしまえばランクは下だが自分などよりも余程戦場慣れはしているであろう仲間達を心配したところで仕方が無かったかもしれないが、それでも気になるのは事実だった。
 この刻々と劣勢が続く現状に、目の当たりにしている敵の強固な防衛網。歴戦の勇士たる仲間達であろうとやはり心配になる。

「……皆、死んだらあかんよ」

 こんな予定外の作戦以上に、彼らにはこれからの新部隊で働いてもらわなければならないのだ。尚のことこんな所で死なれるのは困る。
 そしてそれは彼らに限った話ではない。
 八神はやては改めて自分が命を預かっている部下達の顔を見回した。この彼らもまた死なせるわけにはいかない。当然だ、他の誰でもなく自分が預かっている以上は。
 だからこそ先の言葉は仲間達だけでなく、この場の部下達にも告げた言葉でもあったのだ。
 ……尤も、この先程から続いている喧しい銃撃の嵐で聴こえていないことであろうが。
 まぁ聴かれたら聴かれたで照れ臭いのでそれも別にいいのだが……。
 閑話休題。そろそろ現実逃避は終わりにして状況打開のための努力へと移ろう。
 まずさし当たっては、そう、この追い詰められている現状の打破からになるが……

「――リイン、ユニゾンの準備や。私らでここを一気に突破して道を開くよ」

 口に出し示したのは単純明快な力押し。芸が無い以上に無策で恐縮なのだが、部下達を前へ出しても死なせるだけなので仕方が無い。
 甘いと言われようとも、敵味方問わずに犠牲は最小の方向で。常に心がける八神はやての戦場におけるルールでもあった。

「ええか、みんな? 今から私らで一発でかいのぶち込んで道を開く。その隙を突いてみんなはさっきの指示通りの班分けで各所制圧開始や。……出来るな?」

 最後の確認のその問いに対し、後ろに控えていた部下達は、皆示し合わせたかのように律儀に揃って了解の頷きを返してくる。
 はやてはそれに満足そうに微笑みながら、内心で改めて彼らを死なせてはならないと決意する。
 そう、死なせない。絶対に命を預かる彼らは死なせはしない。
 だから――

「ほな行くで、リイン!」
「了解ですっ! マイスターはやて!」

 末っ子の精一杯の呼応にどこか微笑ましさすら感じながら、しかしはやては瞬時に思考を戦闘時のそれへと変えながら物陰を飛び出し、通路の中央へと到達。
 同時、待ち構えるように放射される速射砲の嵐。その弾雨の全てを展開したシールドで防ぎながらユニゾンの完了した状態からの一撃を解き放つ。

「来よ、白銀の風、天よりそそぐ矢羽となれ!」

 解き放つは古代ベルカ式砲撃魔法――フレースヴェルグ。
 本来の用途では超長距離砲撃用の魔法ではあるが、はやてはそれを眼前の通路前方を目掛けて発射する。
 瞬間、数十メートル先に群がる自動防御兵器たちが次々に巻き込まれ、破壊されていく。
 それは文字通りの前面制圧を成し遂げる、殲滅の光景だった。
 本来の使用用途の距離と比べれば、あまりにも近距離。故に爆風が肌を叩くように彼女が立っている地点にまで届きかねない状況だった。
 しかし彼女の後方より機を伺い待機している魔導師たちにとっては、それは息を呑む圧巻の光景であったことに変わりない。

「ほら、もたもたしとったらあかん! 皆、今がチャンスやろ!」

 しかしただ一人、この光景を生み出した本人である彼女だけが呆然としている部下達を叱咤するように、そう檄を飛ばす。
 それを聞き、漸くに部下達も正気を取り戻したのか次々と心得た了解の声を上げながら、指示通りに隊を成し、行動に移るために飛び出していく。
 とりあえず第一の露払いを完了したことを確認しながら、しかし部下達の指揮とフォローに動き始める八神はやての顔は重たいものだった。

(やっぱりAMFの縛りが思った以上に重い。……私らでこれって事は、やっぱり相当状況は不利やな)

 リミッター等の縛りを受けているかのごとき魔力結合の不調。その直接の原因たるこの要塞内全域を覆っているアンチマギリングフィールドの存在に思わず舌打ちが漏れる。
 そう、管理局中の高ランク魔導師を掻き集めて行われているはずの今回の総力戦。にも関わらず奇襲を仕掛けながらも逆にこちらの方が劣勢を展開させられている最大の理由。
 それがこの要塞内部に展開されている強力なAMFだった。ただでさえこれが用いられた戦場においての戦闘経験が豊富な魔導師は少ない。そうであるにも関わらず、状況は否応なくそれを強いられる。
 未知の状況下の戦いほど厳しく恐怖に感じるものはない。恐らく本作戦の参加魔導師の半数以上がそうであろうことを考えれば、これが如何に不味い状況かは明白だった。

「とりあえずは三班と四班でこの一帯を制圧。
 二班は隣接ブロックの偵察と可能なら制圧を実行。
 一斑はこのまま私と一緒に先へ進む。
 ええな、皆! 無駄に命を投げ捨てるようなことは禁止! 全員でミッドへ帰るからな!」

 各班への指示と共に告げる言葉に応えるように返ってくる鬨の声。
 現状、唯一の救いとも言える志気の高さだけには内心で安堵しながら、はやては部下たちを率いて自ら侵攻を再開する。
 出来うるならば早急にこのAMFを発生させている装置だけでも見つけ出して破壊したいと思いながら。
 王手を決めるその肝心な役割を、親友達へと託した。

 


 目指すは冥王の玉座、惑星包括制御センター。
 突破口を開いてくれた仲間達の期待へと応えるために、自分たちは最短距離でそこに辿り着き、一刻も早く敵の首魁であるグランドマスターを捕らえなければならない。
 遅延も失敗も許されない。必ず果たさなければならないその重大な使命を、己が覚悟へと変えて、フェイト・T・ハラオウンは目的地たる冥王の玉座へと向かっていた。
 なのはやはやてや守護騎士たち、この作戦に自分と同じく参加し、今もこの施設の何処かで戦っている十年来の仲間達を心配していないかといえば嘘になる。
 楽観視は出来ない。予想以上に戦況がこちらの不利に傾いているその現状が存在している以上、それは当たり前だ。
 けれどだからこそ、自分は急がなければならない。最速で、目的を果たして、一秒でも早く仲間達を勝利へと導かなければならない。
 なのはたちだけの為ではない。それはここに至るまで、突破口を開くために命懸けで奮闘してくれている多くの仲間達のためにも、それは尚更だった。
 故に――

 ――フェイトは止まらない。止まることなく駆け抜ける。

 それは随伴している同じ部隊の仲間たちの目から見てすら、目を見張る程に凄まじい戦いぶりだった。
 誰よりも速く、前へと出て、立ち塞がる障害を次々と切り伏せて突き進むフェイトの速さに、同行者達ですら誰一人追いつけない。
 雷光の如き速度で戦場を駆け抜ける金色の死神。
 それは圧倒的な畏怖するまでの強さと同時に、一種の芸術とも呼べるほどの美しさがあった。
 誰もがその姿に、その戦いに、驚愕と恐れと同時に、魅せられていた。
 言葉すら失う。目ではとても捉えられるような速度ではない動きだが、それでも目を離すことが出来ない。
 端的に言ってしまえば、呼吸すらも忘れるほどに、彼女のその戦う姿は――美しかった。

 それは正直に、対峙すべき敵でありながらも彼――飛燕すらもそう思えるほどに。


「――そこまでだ」

 出来うるならば、その戦いぶりから分かる相手のその実力からしてもそうだが、こんな可憐な少女を相手に命のやり取りを進んでしたいという気持ちになれなかったのは事実だ。
 しかしそれでも主から下されたその命がある以上、飛燕とてこの『第三の月』内部で、これ以上相手の狼藉を許すわけにもいかなかった。
 だからこそ、最初の警告は言うならば彼が最後に相手へと抱いた慈悲も同じ。
 気配すらも悟られることなき完璧な隠行で、高速で動き回る彼女へと追いつき背後を取った飛燕は、相手が振り返るよりもその先に、自身の唯一の得物であるサイファーを彼女目掛けて叩き込む。
 二本一対のブーメラン状のプラズマ剣は、狙い違うこともない高速でフェイトへと向かって勢いよく迫る。
 ベルカ随一の剣士たるシグナムと互角に剣を交し合える実力と、卓越した高機動型魔導師としての身体に叩き込んで鍛え上げてきた反射神経がなければ、フェイトの運命はそれに呆気なく切り裂かれることで終わってしまっていたことだろう。
 咄嗟に無理矢理に振り返り、反射的に盾の様に前に出したバルディッシュで受け止めることで、フェイトはその奇襲に事なきを得た。
 だが相手が超人的な身体能力をもって投げ放ってきた一撃であったというのも事実、膂力負けしたフェイトはそのまま弾き飛ばされるように地面へと叩きつけられる。
 衝撃と痛みを無視しながら、素早く起き上がったフェイトは、しかし驚愕を禁じえなかったのも事実だ。
 当然だろう、先の奇襲、もし相手があんな警告を告げてくることもなく攻撃してきていたならば、今頃自分はああして気づいて反応する前に、胴から切り裂かれていたかもしれないのだ。

(……この人、強い)

 隙なく身構え対峙しながら、フェイトはそれを確信した。
 相手がこれまでに類を見ない掛け値なしの強敵であり、そしてその実力が自分と勝るとも劣らぬほどに優れているであろうということも。
 流石に冥王の居城。実力からしても恐らくは腹心クラスの部下なのだろうが、予想と覚悟があったとはいえ、よりにもよってこのタイミングで、しかも自分と巡り合うとは。
 極めて好ましくない……言ってみれば悪い状況だ。
 当たり前だ。雑兵を相手に無双をするのとは訳が違う。マトモにぶつかれば、無論負けるつもりは無かろうとも、強敵である以上、消耗は避けられない。
 あくまでもフェイトの目的は敵の首魁であるグランドマスターだ。かの冥王は生命を自在に生み出し、それだけでなく自身もまた莫大な力を有すると聞き及んでいる。
 おいそれと雑兵が討てるような容易い相手ではないはずなのだ。
 だからこそ、そのキングを討ち取るエースとして、最速の機動力を誇るフェイトが選ばれたのである。
 そうだというのに、ここでエース同士で無駄にぶつかり、キングに辿り着く前に消耗してしまっては、この突破口を開くために尽力してくれた仲間達の働きの意味がなくなる。
 更に言えば不味いのはそれだけではない。相手と拮抗した実力である以上、戦いを始めればそう易々とは決着を着かせてくれそうにないのは明らかだ。
 こうまで各所で劣勢が続き、長期戦を避けるべき状態である以上、ここでフェイトが戦いを長引かせて足止めを食うわけにはいかないのだ。
 故に歯噛みする。沸き立つ焦燥は即座にベストと思える回避案を閃いてはくれない。

 そして何より、相手である飛燕がそもそもそんな暇を許さない。


 こうなる状況を忌避しながらも、結果的に対峙によって膠着が生まれかける。
 それが分かっているのだろう、何とか打つ手を探すべくフェイトは焦った。
 それはこの状況においては、致命的ともいえる眼前に対峙する相手へと向ける集中力を欠いてしまった隙となる。
 僅かほんの一瞬、されど飛燕はその隙を決して見逃しはしなかった。
 故に先手を取ったのは飛燕。反応が遅れたフェイトの始動よりも速く、彼は躊躇いもせずに一跳びで彼女の頭上を越えると同時に、サイファーをその背後の彼女の仲間達へと向かって投擲する。
 高速で飛来するプラズマ剣の速度は、或いは銃弾すらも凌駕する速度だった。
 警戒はしていたとはいえ、まさかフェイトを飛び越えて自分たちを狙ってくるとは予想していなかったのだろう。彼らは咄嗟の回避が間に合わない。
 高出力を有するプラズマの刃は、彼らの防御すらも物ともせぬままにその身を引き裂く。
 まずは二刀で二人、上半身と下半身で泣き別れとされ絶命。
 プラズマによって切り裂かれた切り口が傷口を即座に焼いたのか、結果的に派手な血の雨が降らなかったのは、或いは幸か不幸か。
 どちらにしろ、そんなことは今牙を剥かれている彼らにとっては意味の無いことだ。
 そのまま飛燕は止まらない。初手の奇襲の成功すら彼にとっては当たり前のことに過ぎず、そのまま着地と同時に立ち止まることなく、疾走し、固まっている彼らの中へと飛び込むように詰め寄った。
 フェイトが散開を呼びかけるよりも速く、彼らが自主的にそれを試みようとするよりも速く、駆け抜ける飛燕の動きの方が遥かに速い。
 手元に戻ってきたサイファーをキャッチすると同時に、それを振るい次々と飛燕はフェイトの仲間達を切り伏せていく。
 超人的な身体能力と技能、的確な動きと立ち位置は彼らに逃走も反撃も、どちらの選択すらも選ばせない。
 首が、胴が、手が、足が、次々と斬り飛ばされて宙へと待っていく。
 なまじ不幸だったのは、強力なAMFの縛り、そしてこの部隊にもう一人くらい、例えばシグナムのような、フェイトに匹敵するだけの実力者がいなかったということだろう。
 それは本当に瞬く間、例えるならば閃光。
 文字通りにそんな速度で仲間を助けるべく駆けつけた彼女の動きがそうならば、その彼女の目の前で無情にも最後の一人の首を切り飛ばした飛燕の動きもそうだったのだろう。

「後は、お前一人だ」

 難なく自分を除く仲間達をあっさりと全滅させた飛燕のその声が、虐殺された仲間の死の現実に未だついていけないフェイトの耳には、遠く聞こえていた。

 


 フェイト・T・ハラオウンがそうして強敵との遭遇を果たしていたのと同時期。
 期せずして先行隊として後続のための露払いを行っていた高町なのはもまた、新たな障害に立ち塞がられていた。
 進行方向上の様子を索敵するサーチャーを飛ばしながら、罠や待ち伏せの類を一つずつ確実に無力化しながら進んでいた彼女の部隊。

「目標を発見。これより抹殺(デリート)を開始する」

 そんな彼女たちの部隊の不意を突くように奇襲を仕掛けてきたのは、この『第三の月の都』においても飛燕や東風に並ぶ実力者。
 暗殺者ソロ。かつて裏の世界で名を馳せた殺し屋が直々に率いるその部隊が、なのはたちに奇襲を仕掛けてきた。
 なのはとて決して油断をしていたわけでもない。周囲にもサーチャーを飛ばし、敵の存在の有無を確認することを怠ってはいなかった。
 しかしながら、どういう技術を用いているのか、こちらの索敵を誤魔化すように接近され、不意打ちを仕掛けられれば即座の対応に後れを取るのは止むを得ない。
 実際、それはまったくの不意打ちだった。突如進行中の通路の壁から飛び出すように迫り来たのは削岩に用いるかのような無数のドリル。
 トラップと判断し、即座に迎撃し破壊しようと行動に移ったその隙を突くように、死角から飛び出してきたのがソロ率いる奇襲部隊である。
 咄嗟にトラップの対応、そして待ち伏せていた部隊への対応、どちらに対処すれば良いのか判断できなかった者たちからまず犠牲となっていった。
 あるいはトラップのドリルを躱すのに遅れて貫かれて、あるいはトラップを防いだ直後の隙を突くように敵に撃たれて倒れていく仲間達。
 なのはのようにトラップと敵、どちらも器用に同時に相手取れるほどの技術や経験を用いていない者が部隊には多かったというのもある。
 だがそれ以上に、なのはが怒りを抱いたのは仲間達を咄嗟に自らの手で守ってやれなかったという不甲斐なさであった。

「皆、一度撤退して態勢を立て直――」
「――遅い」

 なのはの部隊全体へと呼びかける指示を遮る様に、銃火をばら撒きながら迫り来る敵たちには容赦も何もない。
 辛うじて即死を逃れ、負傷した仲間を庇うように戦う者たち。それをまるで残党狩りのように今度は徹底として狙ってくる敵部隊。
 させじと奮闘するなのはではあったが、敵部隊の練度とAMFの縛りの重さが合わさり、思うように仲間達を守りきれない。
 眼前の光景は彼女にとって、自身が弾丸を喰らう以上にダメージを受けそうな悲惨な光景であった。
 だからこそ――

「――レイジングハート! エクシード――ドライブ!」
『―――Ignition.』

 形振り構っていられる場合ではない。出し惜しみが許される状況でもない。
 故にこそエクシードモードを解放したなのはは、仲間達を守るために飛び出し、彼らを庇うように前へと出て、敵の攻撃を防ごうとする。

 そこへまるで示し合わすかのように、敵部隊総員の銃火がなのはを目掛けて発射される。

 躱すわけにはいかなかった。後ろにはまだ負傷した仲間達が残っている。
 だからこそ、なのはが選ばざるを得なかった行動は、その場に留まって敵の正射を防ぐこと。
 銃弾乱舞する嵐の直撃。それは屈指の重層型魔導師たる高町なのはの防御を以てしても、決して容易に耐え凌げるものではなかった。
 実際、貫通こそなかろうとも展開したプロテクションすら叩き壊すように迫り来る銃火の嵐はなのはの総身を叩き伏せるように打ちのめす。
 痛いのには慣れている。しかし気合だけで乗り切るにしてもそれは気が遠くなりそうなほどの衝撃と激痛だった。
 しかしそれでも、

「……絶対っ、ここから後ろには……ッ……通さないッ!」

 彼らを守る最後の砦を体現するかのように、なのははその迫り来る猛攻に耐えるように、その場から一歩たりとも動こうとはしなかった。
 不退転の不屈たる意地。それを卑劣な襲撃者たちへと示すように……

 

 一方、その頃。
 八神はやて率いる部隊もまた、要塞内部の重要区画への侵入を果たしていた。
 ……尤も、

「探してたんはAMFの解除装置の方やったんやけどなぁ……」

 しかし彼女が期待を外したかのような溜息をつきながら見つめる先に存在したのは、重力制御室のマークである。
 そう後続への露払いも兼ねた進撃を続けていた彼女たちの部隊は、並み居る防御機構の数々を打ち払いながら、進み続けた先で此処に辿り着いてしまったのだ。
 重力制御室。この『第三の月の都』の間違いなく心臓部へと該当する区画。要塞内部の重力の制御並びに、この要塞が次元空間内を航行する力場を発生している動力炉である。
 当然、最重要区画であるのは間違いなく、ここの制御室を破壊されれば『第三の月』はただでは済まぬ重大な損害を受けることだろう。

「……って言うても、此処を今壊してもたら私らも纏めて終わってしまうわけやから」

 実際は、手出しは出来ない。否、するわけにはいかなかった。
 動力炉も兼ねている此処を破壊してしまえば、制御を失ったこの要塞は確実に虚数空間の海の中へと沈んでしまう。
 そうなれば、何人たりとも生きて帰る事は不可能となってしまう。
 撤退命令を発して、即座に引き上げる準備を整った段階で破壊するならば別ではあるが、しかし現状、激しい乱戦が要塞内全域で続いている最中であり、そのようなことが出来る余裕もない。
 それに自分たちの撤退に関してもそうではあるが、それ以上にはやてが気にかけていたのは敵側のことでもあった。
 大部分は高度な機械任せの防衛網だが、それでも少なからずの冥王傘下の兵士たちがこの『第三の月』に存在しているのは事実だ。
 唐突に此処を破壊してしまえば、自分たちだけでなくそんな彼らも脱出が間に合わずに死なせてしまうことになる。
 それは駄目だ。それでは単なる殺戮である。そんなものは管理局のする戦いではない。
 人道的にも倫理的にも、そして何より八神はやてが八神はやてとして許されぬ方法である。だからこそ、彼女は戦局を左右するこの場を破壊するわけにはいかなかった。
 だがそうかと言ってこのまま此処を放置するという手もない。少なくとも破壊の可不可に関係なく、この場が重要な意味合いを持つ場である事実自体は揺るがないのだ。
 少なくとも、此処の破壊は両陣営共に避けねばならぬことであり、翻ればこの近辺では火力に物を言わせた武力行使が出来ないのは事実だ。
 この場を占拠し立て篭もる……交渉の切り札として使うならば絶好の場所であることに間違いはないのだ。

「……痩せた考えはあんま好きちゃうけど」

 戦法そのものとしては、それは個人的にはやてが好むものではない。だが戦の趨勢そのものを左右しかねない事柄である以上は、個人の好悪など挟む余地がないことくらいは弁えてもいる。
 あくまでも作戦の最優先は冥王の打倒だ。そこは彼女も疑問の余地もないことだが、個人的な追加目標として全員で生きて帰ると定めているだけ。
 その目的を果たすためならば、自分はこの機会を最大限に有効活用する責務もまたあった。
 だからこそ、善は急げと作戦本部へと拠点制圧完了の報告を念話で飛ばそうとした、まさにその瞬間だった。

 突如として、その刺客が強襲をしかけてきたのは――

 

 最初にその襲撃に気づいたのは、副官として控えさせていた部下が唐突に横殴りに吹き飛ばされた時だった。
 つまり、気づいた時点で致命的に八神はやては対応するには手遅れの状態だったのだ。
「――え?」
 自身の口からそんな間の抜けた言葉が出ようとしたその直後。
 突き刺さるように腹部へと発生する激痛。
 それが鳩尾にもろに叩き込まれた相手の蹴撃であることに、弾き飛ばされてから彼女は気づいた。
 受身だとかそんな行為はなす術もなく、そのまま勢い良くはやては思い切り壁に叩きつけられる。
 ……痛い。だがそれ以上に圧倒的に込み上げてくる吐き気。
 そのまま盛大に嘔吐し、床に胃の内容物をぶちまけてしまい衝動を、御年十九歳という乙女の意地が無理矢理に拒絶する。
 本当のことを言えば、無理をせず吐いた方が楽だし賢いのだが、それをやると女として終わってしまうのが分かっていたのではやてには出来なかった。
 まぁそんな彼女の乙女の事情は置いておくとして……ここで漸くにはやては何があったのかを蹴り飛ばされた先へと視線を戻しながら確認する。

「フン、まだ意識があるか」

 しぶとい奴めと言う様に鼻を鳴らしてこちらを居丈高に見下ろしているのは、自分とそう歳も変わらぬくらいであろう若い女性だ。
 コスプレみたいなカンフースタイル……相手の姿に咄嗟にそんなことをはやては思ったが、しかし一目で実感できた相手の実力が伊達や酔狂でそんな姿をしているわけではないことを嫌でも理解させた。

「……ウチんとこの、部下は……?」

 言葉一つ紡ぎだすだけで吐きそうになったが、意地でそれに耐えながら彼女にとって最優先である事柄を相手へと尋ねる。
 はやてが睨むように気概を見せてまだ言葉を発せることに、女は意外だとでも言うような顔つきを一瞬見せるも、直ぐにそれは身の程知らずで生意気なものだと言わんばかりに置き換えられる。
 どうでもいいがストレートに感情を顕にし、よく表情が変化する相手だなとはやては思った。

「さぁな。外に転がっている雑魚どものことを言っているのか?」

 返ってきたのは侮蔑と嘲笑。そしてその言葉から部屋の外に守備と待機につかせていた部下達がやられたことを理解する。

「……殺したんか?」

 だとするならば絶対に許さない。そう示すように自身で可能な精一杯のドスの効いた言葉で再度尋ねる。
 だが女はそんなはやての態度を粋がっているだけと取っているのだろう、まったく恐れるどころかむしろ蔑みの感情をより増してみせるだけだった。

「仮に生きていても直ぐに殺してやるさ。安心しろ、お前を含めて全員、不埒なハイエナどもはここから生きては帰さん」

 悪党としか思えない皆殺し宣言を平然としてくる女。確かに悪党には変わりないので、ここまでやってくれればむしろ感心もするが、しかし生憎とその言葉には大人しく従えない。

「殺されるつもりはないし、あんたなんかに私の部下を殺させるつもりもない」

 そう言いながら、シュベルトクロイツを杖代わりに八神はやては立ち上がる。
 チラリと視線を一瞬向けたのは、自分と同様に女の不意打ちを受けて吹き飛ばされた部下。
 意識を失っているのだろう。ピクリとも動かず立ち上がれる気配もない。最悪、死んでいるかもしれないという予感を抱くも、それはさせないと絶対に誓いながら魔導杖を構え直す。
 今は即行で、この眼前の脅威たる女を無力化しなければ。

「一応訊いとくけど、投降の意思は?」
「身の程知らずが」

 聞いているのかいないのか、こちらの問いに返答とも思えぬような暴言を吐き出しながら、舌打ちと共に女は構えを取る。
 拳法の種類や流派などはやてには分からなければ興味もない。ただ相手が馬鹿みたいに強いのだろうということだけはウンザリと内心で溜め息を吐きながらも理解する。

(チャンスは一度きり。この間合いやと一発外せば次のターンはこっちに回ってこんやろな)

 それが理解できていたからこそ、はやては自身の手持ちの魔法から何を相手に使えばいいか、その選択を高速で思案する。

(バリアジャケットの類は無さそうとはいえ、軽装やからこそ素早いのは確実やろし)

 事実、先程の不意打ちでそれは証明されている。
 ならば小手先の技では、それこそあっさりと躱されかねない。

(理想は空間ごと巻き込むような面制圧。これなら相手は回避できへん)

 使用可能な魔法の中にはその類の魔法は確かにある。
 しかしとはやてはチラリとその視線を一瞬だけ相手から外し、倒れている部下。そして奥の動力炉へと向ける。

(……幾ら非殺傷とはいえ、重傷やろう彼を巻き込むんは不味い。それに加えて動力炉に下手に干渉してもて事故でも起こったらそれこそ論外や)

 最悪の場合、自分のこれから放つ魔法が、大惨事への引き金となりかねない。
 はやてはこの時ほど、火力に対して小手先が追いついてない自身の腕を呪った。良くも悪くも大味な彼女に、細かい狙い撃ちだとかそんな精密性は畑違いなのだ。
 流石にはやても自身の命惜しさに大虐殺者の称号を得るかもしれない選択を選ぶ度胸もない。そもそも人死にを起こすこと自体が許容できない。
 かといってここで下手を打ってもし負ければ、自分だけでなく部下達も確実に殺される。部隊員の命を預かる者としてそれは本末転倒もいいところだ。

(……ああ、やばい。ギャンブルは嫌いちゃうけど、流石にこんな重すぎる命懸けのはしたないわ)

 他者の命を自分が否応なく左右する状況。初めてではないが、だからと言って初めてでないからといって慣れているわけでも、躊躇わないわけでもない。
 むしろ迷っていた。この場合、自分は何を選べばいい。この状況でどうやったら最善を導き出される。
 味方どころか敵さえもその命を危ぶむ致命的に甘く、そして優しい葛藤。
 しかしそうこうしている内にもそもそも相手側がそれを待ってくれなどしない。
 動かぬこちらをどう見積もったのか、相手は遂にこちらを先んじて凄まじい速度で間合いを詰めるべく向かってくる。
 はやては焦る。そして迷う。
 命の選択に正確な判断が追いつかない。
 そして――

「くぅ――――ッ!」

 咄嗟に舌打ちでも吐くように眉を顰めながら選んだのは、ブラッディダガー。
 散々通じないと予想していたはずの小手先の技。
 それでもはやては、大技を選べなかった。確実に勝てたとしても、その結果として高い確率で誰かが死んでしまうかもしれない。
 その結果を、未来を厭い、そして恐れた。
 それはある種の優しさではあったが、同時に致命的なまでに甘い――逃げの選択。

 そして分水嶺の勝負において、腰の引けた逃げの姿勢で勝利を掴むことが出来ないのは必然。
 ならばこの結果もまた、当然のものなのだろう。

 腹部へと叩き込まれる激痛。
 相手の拳がめり込んできたということにはやては呼吸すら出来ず、九の字へと折れ曲がる。
 激痛と共に感じるのは熱さと痺れ。
 成程こういうカラクリだったのかと、騎士甲冑を纏っているはずの自分にどうして無手の打撃が効いているのかを嬉しくもなく理解する。
 彼女――グランドマスターの腹心たる東風が振るう拳法は、強力なプラズマを纏っているのだ。
 それがバリアジャケットの防護を焼き、拳をこの身へと貫通させているのだ。
 迎撃のブラッディダガーのことごとくを躱し、その間合いにはやてを遂には捉えた東風。
 無論、こうなってしまえばここから先にはやての反撃の機会など回ってはこない。
 それを証明するように、次々と繰り出されてくる打撃をはやては全身にて受けることになる。

(……こっちは喧嘩弱いってのに、少しは手加減とかせえっての!)

 内心で吐き出す罵倒は事実であれ、しかし相手がそれを知る由もなければ知ったところでその意図を汲み取るつもりとて勿論ないだろう。
 為す術もなくフルボッコにされて弾き飛ばされる。しかし逃がす気もないというように瞬時に間合いを詰められ、また攻撃が再開される。
 そもそも最初からこの状況に陥っていた時点で、はやてには勝機など残されていなかった。
 いくら単体火力において最強を誇る夜天の王といえど、オプションたる守護騎士もなしに戦場でその真価を発揮できるはずがない。
 ましてや本人が告げる通り、彼女は下手をすればちゃんと訓練した新人陸士にだって負けかねないほど、単体での近接戦は致命的に不得手だ。
 ならばどう足掻こうが、もはやご都合主義の救援も為しに、ここから自力で逆転など出来るはずもない。

 ……そう、できるはずもないのだ。
 だがそれでも――


 不意に眼前に横薙ぎに走った一閃。
 しかし東風はそれをあらかじめ見切っていたのか、余裕の動作で難なく跳び躱してみせる。
 しかし数歩の間が空きながら、相手を見据えて先のソレが何であったのかを理解する。

「この後に及んで、まだ見苦しい悪足掻きか?」
「……うっさい……黙れ……」

 語気も出来るだけ強く言い返すも、しかしそれが張子の虎も同然の強がりであることは八神はやて自身が理解していた。
 しかしそれでも、はやては振り切ったシュベルトクロイツをしっかりと手元に引き戻して身構えながら相手を睨みつける。

「そんな粗末な杖一本で、稚拙な技量で私と殴り合う気か」
「……世の中にはな……剣道三倍段……って言葉もあるんや」

 ぜいぜいと荒い息で、致命的に苦しい強がりは承知の上で、それでもはやては自ら示すその気概を衰えさせはしない。
 それは確かに血迷っていると相手に笑われても仕方のない暴挙ではあっただろう。
 これ程の達人と言っていい技量の相手に、ド素人の自分が杖一本で接近戦を挑もうなどということは。
 無論、言われるまでもなく勝てるわけがない。剣道三倍段?……ああ、確かにそんな言葉はあるが、そもそも自分と相手のこの開きは三倍程度では済まないだろう。
 恐らく、否、確実に一発当てるどころか掠らせることも出来ず、先に殴殺されるのがオチだろう。
 ……だが、それがどうした?

「……何や、ビビッとんか?……どうした、ほれ、かかって来いや……!」

 寿命を縮めるだけの下手な挑発。それが分かっていても敢えてはやてはそれを相手に対して口にした。
 まだ負けていないと、絶対に屈してはやらないとその意地を示すように。
 見苦しい? 悪足掻き? ああ、上等だ。

「……こっちは、さっさと可愛い部下たちをミッドに帰してやらなあかんのや。いつまでも姉ちゃん相手に手間取っとるわけにはいかん」

 死なせない。生きて帰すと決めたのだ。
 部下を、仲間達を、絶対に自分が守ると決めたのだ。
 ならばこんな所で簡単に諦めて、趣味でもない御免極まる殺され方を受け入れることなど出来るはずがない。
 要するに、八神はやてはまだ何一つ諦めてなどいなかったのだ。

「……雑魚が。調子に乗るな」

 その態度が心底気に入らないとでも言うように、東風は不快気にその眉を顰める。
 そしてこれ以上調子付かせないとでも示すように、先程以上に明らかな殺気の篭った構えへと移行する。
 どうやら本気でこっちを殺すつもりになったらしい。

(……理想は頭に血が昇った相手に、綺麗に見事なカウンターを入れて逆転K.O.やけど)

 無論、世の中そんなに甘くはないことは分かっている。自分の技量でそれが出来るというのなら、明日から間違いなく道場だって開いてもいいくらいだ。
 故に万が一にもそんな可能性はありなどしない。
 ならばどうする……?

(……最後の神頼み、ご都合主義のラッキーパンチに賭けるしかないか)

 それこそ物語なら莫大な主人公補正を必要とする最終手段も同然の荒業。
 ましてやこれは現実である。それこそ万が一、否、億が一にも勝負の世界でそんなものが発生する確率は零に等しい。

(……けど、完全な零やない)

 万が一だろうが億が一だろうが、上等だ。
 どの道このままでは何もしなければ確実に殺される。自分だけではない。この場にいる部下全員が、だ。
 生憎と生きている内に命を捨てるような真似だけは絶対にしないと、はやては“彼女”に誓っているのだ。
 ならばこの選択には是非などない。

(上等や。こうなったらとことんギャンブルでいったろうやないか)

 指揮官としては致命的に失格な思考だったが、そんなものを今は気にしてなどいられない。
 故にこそ――

「――死ね」
「阿呆、こんな所で誰も死なせるか」

 まさに疾風と化して迫る最中の相手の殺人宣告に、はやては吐き捨てるようにそう言い返しながらシュベルトクロイツを振るう。
 心中にているかどうかも分からぬ神に祈る。海鳴に帰った時には神社の賽銭に給料一ヶ月分を入れていいとさえ思う。
 見苦しいのも意地汚いのも承知の上。それでもいいから――

(お願いや! 私にチャンスを――)

 そう願いながら相手にこの杖が有効打として決まって欲しいと、そう願うも……


 しかし、現実は非情である。


 一瞬後にはやてに知覚できた感覚は、振るった杖が何も捉えられずに空を切ったということ。
 そして同時、あらん限りの威力を持って胸元にぶち込まれた相手の蹴撃の感触。
 これまで意地になって堪えてきたはやてだが、流石に今回ばかりは口元より喀血を押さえきれずに吐き出す。
 それだけではない。相手の攻撃にその場で踏ん張ることも出来るはずがなくそのまま壁まで蹴り飛ばされる。
 しかも凄まじい威力と勢いはなお衰えず、直撃した壁からも今度は反動で前方へと弾かれる始末。
 そして待ち構えていたのは、トドメと振り下ろすための踵を上げて身構える東風の姿。
 ……流石に死んだか、と一瞬後にあれを喰らって絶命する未来を八神はやてもまた否応なく思い知らされかけ――

 ――正に、その時だった。


 風が疾った。
 それは何ものよりも鋭利で強靭な、そして無慈悲なまでに確固としたもの。
 死神になり代わり、死を運ぶ風だった。

 一閃。その光刃がそれこそ一瞬、空間に線でも引くような残影を描いたと思った瞬間だった。
 はやての目の前で、間の抜けたようにそれが飛ばされて宙を舞った。
 呆然とはやては反射的にそれを目で追っていた。
 それは足。今まで散々に、何度も何度も乙女の自分を蹴飛ばし続けてくれていた憎らしい足。
 眼前の敵――東風が、丁度トドメと自分にぶちかまそうと振り上げていたその足だった。
 それが切断されて宙を舞う。一瞬、自身の足が斬り飛ばされたことにも気づかなかったのだろう、東風もまた、はやてと共にまるで信じられぬように宙を舞うそれを、一緒になって目で追っていた。
 しかしそれも僅か一瞬のこと。当然だろう。足を切断されたその痛みが、漸くに遅れて彼女の脳へと届いたのだ、そんなことをしている暇はない。
 絶叫が室内に響き渡る。切断された足の部分を抱えるように転げ回り、苦痛にのた打ち回る東風のその姿。
 当然、足を斬り飛ばされるなどという経験の無いはやてには、それがどれ程の激痛かは分からないが……むしろ、それはきっと想像したくもないものなのだろう。
 それこそ常人ならショック死はほぼ確定。激痛にのた打ち回りながら、それでも生きている彼女は大したものだと正直に思う。
 そして本来ならば足を飛ばされれば発生するはずの大出血。普通ならそれによる失血死で命を失っていたのもおかしくはないのだが、生憎と彼女にはそれすら許されなかった。
 何故なら彼女のその足の切断面は、既に焼き焦げて出血そのものを強制的に止めていたからだ。それは振るわれた得物の特性ゆえに他ならない。

 光剣サイファー。
 ストライダーズの中でも最高峰のランクたる特A級。その中ですらごく一部の者しか扱えないほどに高い技量を必要とされる、最強の白兵用兵装。

 それによって切り裂かれた以上は、マトモに済む筈もない。プラズマは何ものも例外なく切り裂き、その傷口そのものを焼いてしまうのだ。
 後から振り返っても、それはえげつのない武器だったと、八神はやては正直に述懐する。
 言いようにこちらをボコボコに蹴り飛ばしてくれたとはいえ、それでもこれは気の毒以前にやり過ぎだ。
 殺す気でやったのか、とその下手人に思わず怒鳴りつけたかったはずだ。
 ……尤も、当人からすればそれこそが愚問だと、歯牙にもかけずに切り捨てたのだろうが。

「喧しい。喚くな」

 自分でそれだけのことをなしておきながら、のた打ち回る東風へとその相手が吐き捨てるように告げたのは、冷酷そのものとすら思えるそんな短い一言だった。

「ス……ッ……スト……ッ……ライダァァァ………ッ!」

 足を斬り飛ばされ、地面にのた打ち回る東風が、それでも最後の意地のように涙と汗とその他もろもろの、激痛と屈辱と怒りに満ちた表情で、その相手を見上げながら言葉を発する。
 そこにいる相手――それこそ見たままの忍者そのままのような格好をした、はやてとそう年齢も大差ない青年は、しかしそんな東風の怨嗟に満ちた態度すら何ら歯牙にもかけはしなかった。
 度胸が据わっているのか、それこそ本当にこれくらいのこと何とも思っていないのか、はやてには正直その判別がつかない。
 鉄のような無反応の無表情。その青年は既に東風など見てはいなかった。
 恐らくは、不意打ちで彼女の足を飛ばしたのも、決して殺されようとしていた八神はやてを助けようとしてしたわけではあるまい。
 事実、それがありありと分かるくらいに、結果的に助けたことになったであろうはやてにすら一瞥さえくれずに、そのまま真っ直ぐに奥へ――重力制御室へと向かっていく。
 はやてはハッと正気に戻ると共に、とにかく青年を呼び止めようと口を開こうとしたその瞬間だった。

「阿呆……がっ! あのお方に……ッ……まだ逆らい続ける……ッ……つもりかッ!?
 貴様などに……ッ……あのお方は……決して、斃せんッ!」

 先んじて、東風がそんな嘲笑も顕にその背中へと向かって叫びかける。
 そんな気力がまだ残っているのかと、それこそはやてが驚いたほどだった。

「世界は……あのお方の……ッ……ものだッ!
 あのお方に逆らった……ッ、貴様……などに……ッ……未来はない!」

 まるで断言するとでも言うように。後悔しろと言わんばかりに。
 青年の背に向かい、嘲笑と罵倒をまるで妄執するかのように続ける東風。
 怨嗟の篭るその挑発の数々は、正直まるで関係ないはやてですら聞いていて思わずにゾッとしたほど。
 この女がそれほどまでにグランドマスターに畏怖し、そして忠誠を誓っているのだということが、薄っすらとだがはやてにも察せられた。
 しかし、そんな東風の罵詈雑言に対しても、それを言いたい放題に言われていた青年の方はといえば。
 ただ静かに振り返ってきて、まるで蟲でも見るような目で、倒れ伏している東風へとたった一言。


「だから貴様は飼い犬なのさ」


 たった一言。されど痛烈とも言える、皮肉の篭った斬り返し。
 傍らのはやてですら、これは効くと思ったのだ。恐らくは忠誠心の塊とも思われる東風が、その侮辱同然の物言いを許せるとは思えなかった。
 事実――

「飼い…犬……ッ……だとッ!?」

 私の忠を。私のあのお方への献身を。
 これまで誇りを持って続けてきた私のその全てを。
 度し難くも、薄汚い、愚かな死に損ないに過ぎぬストライダー風情が。

 ――飼い犬、だと?

「ふざ……ッ……けるなぁぁぁぁぁぁ!」

 殺す! 絶対に殺す! 必ず殺す!
 許さん! 許してなるものか!
 新世界に居場所を許されぬ、古き神の遺物ごときが。
 あのお方の第一の臣たるこの私を飼い犬呼ばわり。
 万死すらも生温い。絶死を下し、来世すらも許さん。
 否! 今この瞬間、もはや一秒たりともその存在が永らえ続けること自体が冒涜だ。
 故に殺す! 疾く殺す! この眼前の身の程知らずの不届き者を、私のあのお方への忠が完殺する!

「ストライダァァァァァァァァァァ!!」

 故に躊躇も何もありはしなかった。
 右足が無いなど関係ない。勝ち目云々そのものなど視野にも入れていない。
 狂的なまでの忠誠と、そして怒りに支えられた東風は、地面についた両手をばねの様に叩きつけ、その反動で片足のみで宙へと跳んだ。
 そしてそのまま、その残った足にプラズマを纏わせながら、眼前の絶死を誓った怨敵目掛けて容赦なく迫る。

 そんな鬼気迫る突撃を敢行してくる相手に、飛竜は――


 ただ無言でサイファーを構え、迫り来る相手を見据えながら、その蹴りを直撃寸前で、難なく見切り、躱す。
 そして相手が驚愕や次手を打つことすらも許さずに――

「犬の茶番に付き合っている暇はない」

 そんな一言を無情に告げると同時に、一閃。
 最後まで屈辱と憤怒にその表情を歪めながら、東風のその切断された首が宙を舞った。

 


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最終更新:2011年05月16日 20:42