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 それはまさに一瞬で、故に最初の制止に致命的に出遅れた段階で、八神はやてには止める暇すらも与えられなかった。
 故に、ストライダー飛竜の無慈悲な一閃が、東風の首を躊躇いも無く切断したその光景を、はやてはただ見ている他になかった。
 それはあまりにも淡白で、そして一方的な、殺人だった。
 そしてそんな殺人を、幾ら相手が敵であったとはいえ、管理局員である自分が目の前で止める事も出来なかった。

「……ちょっと………待て……!」

 思わず漏れ出る彼女の声……それに込められていた感情は怒り。
 いくら敵――広域次元犯罪者の一味とはいえ人間は人間。罪を裁かれることになろうともこんな唐突に一方的に、理不尽に命を奪われるべきは今ではない。そんな現実に対しての怒り。
 そしていくら襲われたからとはいえ、問答無用に容赦なく首を刎ねて殺害するなどという非情極まる方法で人を殺めたその当人、その相手に対しての怒り。
 それに何よりもこれが一番重要だ。最も彼女にとって度し難く許すことの出来ない怒り――その光景を目の当たりにしながら止めることすら出来なかった自らの怠慢。
 全てに対する怒りと共に、はやては腹の底からのその怒声で制御室内部へと向かおうとこちらに背を向け歩きかけていた青年を、呼び止めた。

「こら……そこのアンタ……ッ……ふざけんなッ!」

 自分でも言葉を選ぶべきなのは分かっている。正体不明のそれも嫌というほどに察せられる凄腕の戦闘者。迂闊な言葉で刺激し、挑発すべきではない。
 そしてどのような理由で、例え本人にその気など無かったのだとしても、結果的に先ほど命を助けられたのは間違いなく自分だ。それを理解できているならば、今の己の言葉が愚かな暴言以外の何ものでもないことは彼女自身も理解している。
 だがそれでも――

「何で殺した!? 殺す必要なんてなかったやろ!?」

 それが単なるルールの押し付けであるくらいは理解できている。だがそれでも、言葉は止まらない。お門違いと承知の上でも沸きあがってくる怒りという激情を抑えきれない。
 だって仕方が無い。だってそうだろう。どれほど誰かに諌められ、咎められ、嘲笑されたとしても、この一点だけは絶対に譲れない。

 人を殺したのだ。

 目の前のこの青年は人を殺した。正当防衛が成り立つ状況の有無だとかそんな細かいことは取っ払って、ただその事実が、その行いが八神はやてには許せない。
 人一人の命を、未来を、可能性を、罪を償うチャンスすら、問答無用に理不尽に、一方的に奪ったのだ。
 それが何よりも許容できない人種である、この八神はやての目の前で、だ。
 だからこそ噛み付くように怒声を上げて、彼女は痛む体にそれこそ鞭を入れて引きずるように動かしながら、青年の下へと詰め寄った。

「あんたあの姉ちゃんを殺さんでも、そんだけ強かったら無力化出来たやろ!? なのに何で殺したんや!?」

 人の死を見るのが初めてというわけではない。これでも自分は管理局員。ヤクザな商売とは無論言わないが、それでも切った張ったの修羅場を体験してきたのは一度や二度ではない。
 今回の大掛かりな作戦にしろ、危険な任務は確かにある。敵味方問わずに命を失う状況だって確かに何度も見てきたし、受け止めてきた。
 だがそれでも、そんな人死にを出さないと覚悟を決めて、最大限に努力して何とか事を収めようと常に戦い続けてきた。
 命は尊い。死は重い。生きたくても生きられなかった者を自分は知っている。“彼女”は厳密には人間ではなかったが、それでもはやてにとって掛け替えの無い家族だった。
 だからはやては人死にが嫌いだ。偽善と嗤われようが、甘いと罵られようが、犠牲という奴が本当に我慢ならない。それを許容する状況そのものを許せない。
 だからこそ先の彼の凶行は彼女の逆鱗に触れたのだ。どう考えても先のあれは避けられない犠牲などではなかったはずだ。
 どんな犯罪者であろうが、正当な裁きも受けずに問答無用に殺されていいはずが無い。
 そう憤るそんな八神はやてに対して――

「素人めいた言葉を吐くな」

 漸く沈黙を破って口を開いたかと思えば、しかし対する飛竜の口より紡がれた言葉は、そんな冷酷無情に切り捨てるかのような一言だった。
「なっ――!?」
 思わず顔を真っ赤に更に憤ろうとするはやてに対して、しかし飛竜はくだらないと鼻を鳴らすだけ。
 実際、それは彼にとっては愚問愚答以前の、そもそも問答とすべきものですらない。

「管理局、喧しく喚くのは勝手だが俺の任務の邪魔をするな」

 確かにこの要塞攻略の為の陽動の駒とすべく、情報をリークしてこの地に管理局を招いたのは飛竜だ。
 しかしそれもあくまでかく乱としての一要素、混乱する戦場を己が気づかれぬよう都合よく隠密行動を行うために便利だと思った隠れ蓑に過ぎない。
 冥王をこの手で討つのはあくまで己だ。管理局がグランドマスター捕縛を譲れぬ最至上の目的と掲げるのと同じように、否、それ以上の強い思いと拘りをこのミッションへと抱いているのは飛竜だ。
 助太刀も応援も不要。むしろ邪魔。こちらは弾除け代わりには使ってやるという理不尽で傲慢この上ない思考だが、本気で飛竜はこの場に存在する管理局の部隊をその程度にしか捉えていない。
 そんな輩からの思ってもみなかったくだらない口出し。ああ、そんなものに構っている暇があるはずもない。
 ましてや、戦場の何たるかも解していない、人を殺すことをとち狂ったように躊躇う素人同然の妄言ならば尚更だった。
 要するに、聞く耳を持たない。それを態度でありありと示しながら話すことなどないと踵を返しかける飛竜を、しかしはやては強引に逃がさないというように手を伸ばしかけ、

「ちょい待て! まだ話は終わって――」
「――邪魔をするな」

 飛竜は彼女の伸ばす手を強引に掴み取ると共に、そのままひね上げるように背中に回すと壁に叩きつけて押さえ込む。
 はやての口より壁に叩きつけられた衝撃と、背中で締め上げられている腕の痛みで苦鳴が漏れるも、無論のこと飛竜が意に介すはずもない。
 それどころか言葉でこそ告げていないが、その現状と対応、無言のプレッシャーが強制的に理解させるように告げてきていた。

 これ以上、余計な邪魔をするつもりなら容赦はしない。

 実際、飛竜はそのつもりだった。この状況、このまま力を入れて腕をへし折ってやることすら躊躇いはしない。むしろ、これ以上喧しく騒ぐつもりなら本気でそうするつもりでさえあった。
 女子供であろうと、それが進行方向上の些細な石ころ程度であろうが、ストライダーの任務の障害となるのなら、それは問答無用で排除対象だ。
 管理局と揉めるのは得策ではない、だが飛竜とて目の前で邪魔が入る以上は見逃してやるほどに優しくもない。
 故に、これが最後通告。
 しかしそんな飛竜の対応に対して、はやては――

「……女はなぁ……もっと労わらなアカン。……兄ちゃん、プロか何か知らんけど、男の度量が知れるで」

 この状況、か弱き散らされる華と甘んじるほどに八神はやてはしおらしくない。戦う乙女はこの程度の無頼な脅しに決して屈したりはしない。
 内心ではそれこそひね上げられる腕の激痛で叫びたいし、本気で腕を折られそうで泣き出したい気分だったが、意地でもそれを抑え込む。
 暴力のプロ気取りの無頼漢程度に、管理局員の誇りは、否、八神はやて自身の信念は決して挫けはしないのだ。

「……クールに黙って、面倒な奴は暴力で排除。成程なぁ、痺れるくらいにカッコええヤクザさんや。兄ちゃんの考えてること当てたろか? さっきから何ワケの分からんことばっかほざいとるんやこの小娘は……そう思ってるやろ?」
「…………」
「黙んまりかい。まぁええよ、こっちはこっちで勝手に続けさせてもらうさかいに」

 ちゃんと聞いているかなど分からない。否、この聞く耳持たない態度から察しても、こちらの言葉など素人の小娘の戯言と、そう聞き流されているのが関の山かもしれない。
 だが知るか、知ったことかと彼女自身も半ば自棄になりながらも、紡ぐ言葉は決してやめようとはしなかった。

「アンタからすれば、私らみたいなんは素人の妄言を実行しとる大馬鹿な甘ちゃん程度と見下されとるんかもしれん。
 戦場で敵を相手に、何を温くて甘いトチ狂ったことやっとるんやと呆れとるんかもしれん」

 実際、多くの次元世界における守護者として機能している管理局とはいえ、争い絶えない紛争中の次元世界などからはそう見られることもある。犯罪組織を相手ならば言わずもがなだ。
 戦場で相手も殺せない甘ちゃん……そう、この目の前の男のような生粋の人殺しのプロのような者から見れば、そう思われるのだろう。
 別にどう捉えようと構わない……が、それがそちらの勝手であるように、こちらにもこちらの勝手というものがある。

「――管理局の戦いを、舐めんな」

 こちらの掲げている鼻で嗤われるような正義でも、譲歩できない部分くらいはあるのだ。
 そう、例えば――

「殺して終わり、はいそれまで……生憎となぁ、ウチらの戦いってのは、そう単純なもんやない。そんな無責任で終われるほどに、軽いもんやないんや」

 例えどんな人間であろうが、その行いには起因となるべき理由がある。
 それを明らかにして、正当で公平な上で、罪は贖われねばならない。
 あるいは、やり直しだって出来るはずだ。
 命さえあれば、どのような形であろうとも『未来』という『次』がある。
 それは恐らく、決して何者であろうとも奪っていいものではない。

「人殺しは最低や。一方的に傲慢に、理不尽にその人間が持っとった『未来の可能性』ってやつを、勝手に奪って台無しにする。
 兄ちゃん、あんたにはあの姉ちゃんの未来を奪えるだけの権利ってものがあるんか? お偉いプロフェッショナル様は他人の命を好き勝手に奪えるほどに偉いんか?」

 だとするならば、自分たち管理局はそうでない以上はプロではないのだろう。
 ならば先の彼の言葉通り、自分たちは素人……アマチュアだ。
 だが――

「アマチュア舐めんなよ、プロフェッショナル。ウチらの戦場は人殺しのそれやない。少なくとも私らはこの戦場でそんなものは絶対認めん。アンタが任務で人殺そうが、ああそれはあんたの勝手かもしれん。
 ……けどな、ここは私らの戦場や。私の目の前で、勝手にそんなことさせることも、見過ごすこともせん。邪魔をするな言うんはなぁ……こっちかって同じや!」

 啖呵を切ると言うのなら、確かにこれはそれに値した。
 無茶苦茶な言いがかりも同然の暴論だが、少なくとも触れてはならぬ琴線へと触れた相手に対する、これが彼女の答えとなる宣戦布告。
 限りなく無謀、匹夫の勇にも等しき蛮勇。この後、どんな恐ろしい目に遭わされるかくらいは、彼女としても理解できていた。
 それでも許せなかった。譲れなかった。人殺しのプロ気取りに、人を殺さない自分たちアマチュアの意地が負けてたまるかという想いが勝った。
 故にこそ後悔はない。例えこのままここでこの男に殺されようが、曲げられないものを曲げなかった自分が、こんな男に負けたなどとは彼女は微塵も思っていなかった。
 だからこそ――

「貴様の辞世の句なら、その程度だろうよ」

 まったく意に介した様子もなく、無情なその一言と共にミシリと鈍く響き渡った嫌な音。

「づぅ~~~~~~~!!!??」

 悲鳴も上げられなかった。
 本当に容赦なく、あっさりと躊躇いもせずに自らの腕が折られたということを遅れて届いた激痛と共に理解した。
 か弱い乙女の腕を折りやがった……嘆き以上にデリカシーもフェミニズム精神の欠片もない相手にキズモノにされたと怒りが勝った。
 尤も、相手が相手である。残念ながらはやてがこの男を相手にデリカシーやフェミニズムを求めること自体が、見当違いとも言うものだろう。
 これは本当に殺されるかもしれない……先ほどからずっと散々予期しながらも漸くにそれがリアルに己の内で明確化されたのは、痛みで蹲り動けぬ自分を相手にサイファーを振り上げようとしている男の姿を確認すればこそ。

(……ああ、ほんまに人の話を聞かん男は最悪や!)

 なまじ顔がマフラーで隠されていても分かるイケメンなだけに、それは更に性質が悪いとも言えた。
 決めた。自分の副官につけるのが男ならば、ちゃんと自分の話を聞いてくれる素直な男にしよう。
 そんなどうでもいいことを考えながら、はやては何とか逃げようと必死に体を動かし始める。
 こんな所では死ねない。新しく立ち上げるはずの部隊。待ってくれている家族や親友たち。
 皆を置いてけぼりにして、無責任に自分があの世に旅立つわけにもいかない。
 そう思って抗おうとするも、それは所詮圧倒的な実力を誇る死神を相手には、儚い以前の無為な行いに過ぎず。
 振るわれるサイファー。躱すことの出来ぬ自分。

 最後にはやてが思ったのは、この結末をリインフォースが許してくれるだろうかという、そんなどうしようもない心配だけだった。

 


 光刃が振るわれる。一閃、二閃……瞬く間すら許さぬ高速の斬撃は、眼前の対象をまるで豆腐のように苦も無く切り裂いた。
 目標の破壊が完了したこと、それを確認した後に飛竜は重力制御室より飛び出ると同時に、駆け出した。
 ここから先は時間との勝負だ。これまでのようにイレギュラーの対処にもたついて時間を無駄に浪費していれば、目標どころか自分までもがお陀仏となってしまうだろう。
 故にここからは正真正銘の、迷いの許されぬスピード攻略だ。

 先程、飛竜は重力制御室の内部に存在したこの『第三の月の都』を維持していた重力制御装置を破壊した。
 これにより、そう時間もかからずに制御を失ったこの『第三の月』は虚数空間の海へと沈むだろう。
 それは飛竜の取った保険……否、任務を確実に完遂するための詰めの一手。
 冥王抹殺が目的ではあるが、飛竜はこの場から冥王はおろか、彼の一派を誰一人逃がすつもりなど毛頭なかった。
 冥王の有する人には過ぎた忌まわしき力と、その研究成果と共に、後の禍根となる可能性のある残党の存在すら許さずに根こそぎ殲滅する。
 その為には、この『第三の月の都』そのものを堕とすことが最も手っ取り早いと考えた。
 それ故のこの行動。正に問答無用の皆殺しの一手だが、無論のこと飛竜に躊躇いがあるはずもない。
 むしろこのような暴挙、管理局の部隊すらも諸共巻き込まれかねないというのに、それすらもどうでもよかった。
 ……どちらにしろ、あのような訳の分からぬ妄言を吐く小娘がいるような部隊だ。素人が分を弁えずに全滅となろうが、そんなものは意に介する必要すらもない。
 それどころか、既に彼らの役目は終わっている。ならばこの自分の戦場においては、彼らは既に邪魔者だ。事態の危機を察し、舞台の上から潔く退場してもらった方がまだマシとすら思えた。
 そう、ここから先にある舞台の上に上れる役者は既に決まっている。
 それは即ち――

「俺と奴……そして――」

 組織の裏切り者。ストライダーズを抜けた未来無き愚か者。
 ああ、逃がしはしない。目こぼしするつもりすら毛頭ない。
 冥王が譲れぬ獲物であるのと同じくらいに、既にあれもまた絶対の抹殺対象だ。
 奴を討ち取るその前に、どうせあの男の方からこちらに向かってくることだろう。
 一番の戦友だ。それくらいは察しているし、その愚かな甘さと意地くらいは認めてやる。
 故に――

「――待っていろ、飛燕」

 今日ここで、俺がお前に引導を渡してやる。
 冥王に屈し、ストライダーズを裏切った者に未来などない。
 断罪の時を間近に予感しながら、ストライダー飛竜はただ殺意を鋭利に研ぎ澄ませながら、崩壊の近づく魔城の中を、抹殺対象を求めて駆け抜ける。

 


 どうあっても振り切れる相手ではない。
 不本意ながらも現状の結論としてフェイトが導き出さねばならない答えはそれだった。
 冥王が座する玉座を目前にまでしながら、最後の最後でこうして打ち破るために戦わねばならぬ壁に対して、彼女もまた静かに覚悟を決めた。
 正直に言えば、同行していた仲間達を眼前の相手に殺されたという怒りもある。そうでなくても冥王に近しい立場であろう相手である以上は見逃せないは当然。
 しかしここで激突すれば相応の厳しい消耗戦は避けられない。それを確信していたからこそ、なんとかこの相手を撒けないものかと苦心していたのだが……

「逃げるのはお終いか?」
「……ええ、もう止める事にします」

 こうして対峙し合うまでの過程で、何度も振り切ろうと試みた。
 けれど相手の超人的な身体能力と地の利を把握されているという結果が、その追随を振り切れぬ失敗へと終わらせた。
 故にこそ、フェイトはこうしてバルディッシュを構えながら眼前の強敵と対峙し合っている今へと至るのだ。

「ならば大人しく――」
「――はい、突破させてもらいます」

 相手の諦めろとでも告げてくるつもりであったのだろう口上を、一方的にこちらで断ち切りながらフェイトはハッキリとそう宣言した。
 つまりそれは実力にてこの相手を乗り越えて先に進ませてもらうという意思表示。
 ある意味では大した傲慢さとも捉えられかねぬ宣戦布告に対し、しかし相手は激昂することや不快感を示す様子すらなく、ただ僅かに笑みのような表情を垣間見せるのみ。

「……面白い。ならばそれが可能かどうか――示して見せろ」

 相手のその上等と言わんばかりの迎え撃つ態度に、フェイトは言葉ではなく行動で答えた。
 時間が惜しい、未だその事実自体が揺るがぬ以上は短期決戦を望むのは至極当然。
 振るわれるバルディッシュの魔力刃。相手は実刃にプラズマを纏わせたその刃にて受け止める。
 切り結ぶ剣戟は、およそ常人の目で捉えるのが困難と言っていいほどの高速の世界の出来事である。
 非殺傷とはいえ当たれば昏倒必至の魔力刃と、文字通りの必殺に相応しい威力を有するセラミック装甲すら容易に切り裂く雷光剣。
 一合、二合、三合……激突し切り結ばれる閃光の剣戟はまったくの互角のままにどちらも相手へとその刃を届かすまでには未だ至らず。
 故に埒の明かぬ現状と見切るように、剣戟の間を縫って距離を取るべく離脱するために先に動いたのは…………フェイト。
 離脱の最中にロードされるカートリッジ。次いで彼女が組み上げた術式はトライデントスマッシャーである。
 最も信を置く愛用魔法プラズマスマッシャーの発展系。中近距離の高速戦闘において真価を発揮する直射型砲撃魔法。
トライデント(三つ又)の名を冠するそのままに魔法陣中央の一線から左右に枝分かれするプラス二線が、着弾点で再び結合することにより雷撃を伴う爆発を発生させる。
 無論、その速度は単なる銃弾の比ではない。

 フェイトにしても勝負を決めるつもりで放ったに等しい砲撃。対する相手――飛燕とてその正体が何であれその攻撃の意図がそうであったことくらいは瞬時に読み取っていた。
 故にこそ、そこから飛燕がその回避のために取った動きは、まさに常人を逸した超人の技法だった。
 目視からでは凡そ間に合わぬプラズマの三つ又。その弾道と到達予測ポイントを発射寸前で予測した飛燕は、そこから臆するどころか自ら進んで前進という選択肢を取った。
 無論、銃弾を遥かに凌駕する速度と威力。当たれば例え飛燕と言えども戦闘不能は免れないはずだった。

「あくまで当たれば、だ」

 どのような砲撃であろうが到達ポイントとその弾道を読み切っていれば、ストライダーに躱せぬ道理はない。
 それを証明するように飛燕はプラズマの嵐を見事に掻い潜りながら速度を落とすこともなくフェイトを目掛けて真っ直ぐに前進してくる。
 当然そんな光景はフェイトにしてみれば冗談染みた悪夢に等しい出来事だ。親友ほどでないにしろ砲撃の精密性には自信を持っていた分、ショックもまた大きかった。
 だがそんなものに打ちのめされている暇を厳しい現実は許さない。
 砲撃魔法を回避しながら疾走する飛燕は、そのまま自身の得物たるサイファーをこれまで見せたのと同じように投擲武器として彼女を目掛けて投げ放つ。
 雷光剣サイファー。ストライダーズの中でも最高峰、特A級のその中でも一部のみが扱えるとされている最強の白兵用兵装。
 その中でもオーソドックな飛竜が使っている物とも異なり、飛燕のサイファーは殊更に異質な武器である。
 ジオメトリカルサイファー。投擲に特化し、様々な状況で活用することを目的とされたその武器は、長いストライダーズの歴史の中でも、ここまで見事に扱えたのは後にも先にも飛燕のみだ。
 故にこそ、放たれるその一撃が告死を示す死神の鎌にも等しいものであろうことは明らか。
 フェイトの脳裏に蘇ったのは、防御など意にも介さずに切り裂かれた他ならぬ眼前の相手に殺された仲間達の姿だ。
 防御は不可。恐らくはそれごと切り裂かれると咄嗟に判断したフェイトは、故にこそソニックムーブを発動し、眼前に迫ったその刃を上空へ飛んで躱す。

「逃がさん!」
「――ッ!?」

 しかしその回避を許さぬというように、飛燕もまた上空へと逃げたフェイトを追って跳躍する。
 本来ならば超人であるストライダーと言えども生身。何一つの専用装備も無しに魔導師のように空中を飛ぶことなど不可能である。
 しかし此処は上下逆さの空間すらザラである魔窟に等しき『第三の月の都』。
 ましてや今二人が戦っているエリアは重力と無重力が相反して支配する半重力空間。通常に比べても明らかに重力の乹から半ば解放されかけてもいる環境だ。
 加え、飛燕は文字通りの常人を遥かに凌駕する身体能力を有する超人である。卓越したバランス感覚と獲物を追う狩人の本能は相手に追随し、決して逃さない。
 左右の壁を蹴り砕くように勢いをつけながら、宙に逃げるフェイトへと瞬く間に迫る飛燕。
 そのまま驚愕するフェイトに委細構わず、構えたサイファーを彼女目掛けて振り下ろす。
 対するフェイトもまた、気圧されたままこんな空中で切り裂かれて終わるなどという末期を受け入れられるはずもない。
 数多の修羅場を潜り抜けてきたのはSランク魔導師である彼女とて同じ。故にこそ反撃を狙うようにバルディッシュの刃を飛燕を目掛けて振り上げる。

 交差し、激突する二つの刃。
 衝撃と火花を散りまかせながら、空中の至近距離で両者の目が合った。

 

 ……強い、そう正直に認めるようにフェイトは思う。
 やはり眼前のこの青年は強い。凡そ予想通りではあったが、やはり容易に突破などとは一筋縄ではいかぬ強者だ。
 フェイトの十年以上の戦歴の中でも、非魔導師にかつてこれ程までに苦戦を強いられた経験など無い。
 ……否、違う。非魔導師などという区切りを問わず、かつて戦った相手の中でこれ程卓抜した技量を有した武人がいただろうか。
 唯一近しいと思えるのは……やはりベルカの騎士たるシグナムだが、正統派剣士の彼女と比べてもやはり眼前のこの相手は異質だった。
 だがそう思うと同時に、不思議に敬意に似たものを相手に対してフェイトが抱いていたのも事実だった。
 生身の超人……そう、自分たち魔法技術とはその境地を異とする全くの別種の理に到達しているであろう相手。
 魔法という要素はあれ、フェイトもまた戦闘を生業とする者である以上は、武として己が体を鍛えることとは無縁ではない。
 眼前の相手は自分たちのような魔法という補助を無くして、自分たちに迫り、或いは凌駕するだけの力を示している。
 いったいどれ程の鍛錬を年月として費やせば彼ほどの超人は生まれるのだろうか。
 それこそ本当に並大抵のものではない。自分たちの鍛錬すらも或いは凌駕するであろう血肉を削った苦行であるはずだ。

「……それ程に費やした力を持っていながら……ッ!」

 故にこそ敬意、そして同時にそれ以上の義憤へとフェイトは駆られるのだ。
 だってそうだろう。この青年はそれ程の血で滲む努力を命懸けで積み重ねてきているはずなのに――

「――どうして、それ程の力をこんなことに使うんですか!?」
「……何?」

 フェイトの訴えるようなその言葉に、意味を測りかねると言った様子で問い返してくる飛燕。
 彼女は構わずに彼へと告げる。

「どうしてそれだけの力を人殺しに使うんですか!? あなた程のその力なら、誰かを助けるためにだってその力は振るえるはずでしょう!?」
「――ッ!?」

 フェイトの弾劾染みたその言葉に、何か思うところがある部分を抉られたような表情を咄嗟に垣間見せる飛燕。
 それを見逃さなかったからこそ、フェイトは思った。
 この男は確かに自分の目の前で人を殺し、犯罪組織に加担している犯罪者だ。
 ……だがそれでも、人の心そのものを捨てたような悪鬼羅刹ではない。
 そうでなければどうして……この青年はそんな悲しい顔を浮かべられるというのか。

「冥王グランドマスターがどんな存在かは……あなただって知っているはずです」
「……当然だ」

 ならば何故――そうフェイトは問い返さずにいられない。
 冥王は犯罪者だ。自ら神を僭称し、人道に外れた呪われた研究を繰り返し、暴力と言う恐怖政治で徹底的に人民を圧政で支配し続けている暴君だ。
 何人もの罪無き人々が、彼の圧政で死んでいったかなど分からないほどに、長きに渡って多くの犠牲者を生み出し続けてきた。
 そして何より極めつけは、その野心を留めることなく、他の次元世界にまで侵攻を続けているというその侵略行為だ。
 多くの世界が、数え切れぬ人々が、放っておけば彼の理不尽な支配によって犠牲になることだろう。
 時空管理局として、何より人としても、フェイトはそんな人心無き暴君による理不尽な被害の拡大を許すわけにはいかなかった。
 そしてそれはフェイトだけではない。グランドマスターの野望を認めぬのは他の次元世界の人間ならば当たり前のことだ。
 故にこそ、皆の思いを背負い、そんな皆を守るためにも冥王はここで斃さなければならないのだ。

「あなただってそれは分かって――」
「――だからどうした」

 尚もそう言葉を続けようとするフェイトに対し、苦み走った口調ながらもハッキリと飛燕はその口上を斬り捨てる。
 そんな妄言、そんな価値観、聞くに値しないと示すように。
 実際、飛燕はフェイトに対して激しい苛立ちを感じてもいたのだ。

「確かに……貴様らから見れば“あのお方”はそういった存在かもしれない。
 だが――俺たちにとっては必要な存在なんだ」
「――ッ!? どうして!?」

 飛燕のその言葉に信じられぬと目を見開くフェイト。彼にしてみれば語るにも値しない相手ではあったが……一方的な視点で言われっぱなしは癪に障ったのか、苛立ったその言葉は止まらない。

「管理局、貴様らのような世界にとっては理解できぬかも知れないが……俺たちの住む世界がどれだけ酷く、救われぬものかなど分からないだろう」

 まるで世界の終わりを見てきたといった表情で飛燕はそう告げてくる。
 実際、飛燕が生きて見続け、戦い続けてきたあの世界は既に末期だ。
 時空管理局のような世界が管理するような、人心に満ちた世界などほど遠い死にゆく世界。
 正義も救いも何も無い、善という弱者が悪という強者に蹂躙されるだけのそんな世界。

「けれど、そもそもそんな世界を生み出したのは――」
「――ああ、他ならぬ“あのお方”だ」

 そんなことは承知の上だと飛燕ははっきりとフェイトへとそう告げた。
 実際、それを理解しているからこそ飛燕はグランドマスターの下についたのだから。

「そして他ならぬ“あのお方”が生み出した世界だからこそ、あの世界を再生させることが出来るのも“あのお方”だけだ」
「そんなこと……っ」

 信じられないといったように首を振るフェイトだが、飛燕にしてみれば彼女の意見などどうでもよかった。
 彼にとって大事だったのはその一点だけだったのだから。

 グランドマスターは言ったのだ。この世界は所詮古き神が生み出したものの延長であり、故にどうあろうとこのままでは救われない。
 真に救済を望むというなら、一度全てを零に戻して消し去るしかない。古き神の遺産たる旧世界の全てを焼き払い、新世界に降臨する神が一から作り直す。
 不完全な神の成果の限界ならば、新しき神がそれを取り払い新生する。
 それなくしてあの死に瀕した世界はもはや救われない。

「……そう、救われない。救えないんだよ。……“あのお方”以外の誰にも、もはやあの世界は救えない」

 その現実を絶望と共に飛燕は理解している。
 自分も戦友も、そしてストライダーズであろうとも救えなかったのだ。どれだけそれを信じて戦い抜いてきても不可能だった。
 人間の手では世界を救えない。ならばそれを超える存在――神の慈悲に縋るより他に術などもはや残されていない。
 そして飛燕が見出し、信じた神こそが……かの冥王グランドマスターだ。
 飛燕が知りうる限り、彼以外の誰にも自分たちの世界を救う神となれる存在はいなかった。
 だから賭けたのだ。信じたのだ。捧げたのだ。
 冥王に忠誠を誓い、彼による救済がかつて自分の諦めた理想に繋がるはずだと夢を見た。
 飛燕にとってはそれが全てであり、それを捨てて他のものを選ぶことなど出来るはずがない。
 仮にもし、他の可能性があるとするならば――

「――ならば管理局、貴様らが今すぐに俺たちの世界を救えるのか?」
「――ッ!? それは……」

 飛燕の問いにフェイトは咄嗟に答えられなかった。
 当然だ、時空管理局は次元世界の平静を保つ天秤の守護者ではあるが、個々の世界そのものを救済することを目的とした組織ではない。
 フェイト個人の思いや考えがどうであれ、特定の世界に対して領分を越えた干渉は許されない。
 ……そしてそもそも、仮に管理局における保護が飛燕たちの世界に齎されたところで、その執政が現状を改善させるには何年もの時間を有するのは明白。
 一朝一夕のご都合主義の奇跡で世界が救えるのは物語の中だけの話だ。
 フェイトとてその道理を知らぬ暗愚ではない。むしろ聡明の部類に入る彼女だからこそ、それが不可能であることくらいは痛いほど理解できる。
 故に返答できぬフェイト自身の態度こそが結論だと飛燕は切り捨てる。

「俺たちにとっての救済は“あのお方”が創り上げる新世界のみだ。……貴様らがそれを奪おうと言うのなら、俺は貴様らを斬り捨ててでもそれを守るだけだ」

 それが飛燕自身が望み、選んだ生き方。
 だからこそ――

「邪魔を……するなぁぁぁぁぁぁ!!」

 障害を振り払う意志そのものを体現するかのような咆哮と共に、フェイトへと振り下ろしているサイファーへと更に力を込める。
 単純な筋力差……そして何より形振りも構わぬことを示すような相手の必死のプレッシャーに、動揺していたフェイトもまた気圧された。

 拮抗が、崩れる。

 受け止めていたバルディッシュごと弾き飛ばされたフェイトはそのまま叩き落され地面へと落ちていく。
 咄嗟に受身を取るものの、そのままこちら目掛けて追撃に降りてくる飛燕のサイファーが振るわれる。
 フェイトは必死にソニックムーブを発動しながらそれをギリギリで回避。だが尚もしつこく食い下がってくる飛燕の次から次への追撃に、その顔は苦悶へと歪んでくる。
 我武者羅とも言えるここで勝負を決めんとする相手の猛攻。技量そのものが凄まじく捌くのが困難だというのもあったが、それ以上にフェイトを苦しめていたのはメンタル面だ。
 先の飛燕の言葉。血を吐くような苦悶も顕に投げつけられた言葉と現実。咄嗟に、いや未だに有効的な言い返しが思いつかない。
 それは妄執とも言える飛燕の気迫を制すことが出来ず、そして彼を説得は出来ないとも言うこと。

 フェイト・テスタロッサは誰よりも優しい少女である。
 己自身、それが時に致命的な甘さであることは理解していた。けれど、持って生まれそして育った環境の性ゆえか、それをどうしても捨てることが出来ない。
 それは彼女の最大の長所ではあったが、同時にこのような状況においては致命的とも言える枷となってしまうことも事実だった。

 フェイトは躊躇いを覚えていたのだ。
 目の前のこの青年。やり方そのものは間違っていると認めることも出来ない敵だが、しかしどうしてもそれを問答無用で倒していい相手だと割り切れない。
 更生の可能性は充分にある。だがしかし自分はその道を提示してやれない。
 彼へと抱いた一種の優しさゆえの同情が、この戦いの中でフェイトの動きを鈍らせていたのだ。
 そんな暇はない。仲間とこの男と今優先すべきなのはどちらなのか、局員としてもフェイト自身としても考えるまでもないことのはずである。
 頭では理解していた。けれど感情が割り切れない。
 鬼にも修羅にもなれない彼女は、故にこそそれに成り果てでも己の道を通そうとするこの眼前の相手には勝てない。
 故に、その結果は必然であったのかもしれない。

 何十合と続いた剣戟。しかしそれに遂に終止符を打つ結果を示すように、フェイトの手からバルディッシュが弾き飛ばされる。
 迷いが生んだ拮抗を崩す彼女の技量の鈍きが、そうさせてしまった。
 それはシグナムに見られでもしたら一喝ものの失態だろうな、とフェイト自身がありありと自覚できたもの。

「終わりだぁぁ!」

 当然、決定的勝機であるこれを逃す飛燕ではない。
 そして近接戦で得物を失ったフェイトは、咄嗟に魔法を使おうにも間に合うはずもない。
 振り切りるように横薙ぎ一閃に振るわれる飛燕のサイファー。
 反射的に後ろへ飛んで躱そうとするフェイト。
 だが――間に合わない。
 腹部へと唐突に発生する灼熱感。それが横一文字に腹を割かれた故のものであることをフェイトは理解する。
 得物の特性上、出血はない。だがそれは同時に言えば故にこそ切り裂かれた腹から内臓が顔を出すともいうこと。
 幾らこんな戦いの中に身を置く人生とはいえ、流石にフェイトとて年頃の娘。自分の腹から顔を覗かせる内臓に嫌悪に近いグロテスクな思いを抱くのは事実だし、何より自分の身体に傷が残りそうな負傷を負えば悲しくもなる。
 力が抜ける。踏ん張れず立っていることもままならず、フェイトはそのまま前のめりに倒れかける。
 最後に何を自分でも思ったのか、己に打ち勝った相手へと掴もうと手を伸ばしかけ――

「――触るな」

 拒絶を示しそれを振り払うように弾かれ、何も掴むことが出来ないまま、フェイトは地面へと倒れこみ、その意識を闇の底へと沈めた。

 

「……これで一部隊、か」
 主の玉座に襲撃をかけんとした手勢……その最後の一人が目の前で倒れ伏すのを確認した飛燕はその倒れた相手を静かに見下ろしながらそう呟く。
 恐らくは精鋭中の精鋭であったのだとは思われるが、それでも一つの部隊にこうも手間取らされるなど言い訳もしようもない己の不手際だ。
 今も尚、戦闘は続いている。先の少女が率いた部隊だけが主を狙っていたなどということはありえない以上、早急にその他の部隊も見つけ出し殲滅していかなければならない。
 主の創る新世界……己の理想の邪魔は決して誰にもさせはしない。
 故に負けない。絶対にこの身は負けるわけにもいかない。
 そして主もまた絶対に討たせはしない。

「――東風、現状はどうなっている?」

 先の少女との追いかけっこ、そして果ての戦闘にかまけ過ぎて主戦場から切り離されてしまっている。
 早急に現状の把握をした後、自分は遊撃として行動に移らねばならない。
 その為にもまずは現状のこの戦場の指揮官と言っていい東風から詳しい情報を回してもらいたかったのだが……

「……どうした? 応答しろ、東風」

 先程から連絡を取ろうとかけている通信機。その先に繋がっているはずの相手からは一向に言葉の一つすら返ってこない。
 それが暗に示すこと……戦況の推移はこちらが不利と傾きかけているのだろうかとも不安すら生じかける。

「東風、どうした? 応答してくれ」

 現状はソロもそうだが彼女自らも最前線へと駆り出されている身。重要施設……確か彼女の担当は重力制御室付近であったはず。
 連絡も取れぬほどにその付近は今激戦区へとなっているのかもしれない。
 救援に向かうべきか、現状における行動指針としようとしていた彼女からの情報提供がない以上、咄嗟の判断に飛燕は戸惑ってもいた。
 自分がこれ以上この近辺より離れれば主の守護もまた手薄になってしまうというのも間違いない。管理局も無論のことだが、あの男の暗躍を確実視していた飛燕からすれば迂闊に持ち場を離れるのは危険だという予感もまたあった。
 だがしかしながら東風は防衛の柱である以上は見捨てるというわけにもいかない。並の窮地程度自力で脱するであろうという信頼はあるが、しかし過信が過ぎて重要施設まで敵に制圧されればそれこそ戦場の天秤は一気に傾いてしまう。
 迂闊な行動は許されないが、決断を無駄に引き延ばす愚を犯すことも今の飛燕には許されない。
 どちらにせよ動かねばならない、そう選択の決断へと入ろうとしていたその時だった。

 突如、『第三の月の都』はその制御を乱されたかのように激しく揺らぐ。

「――ッ!? これは……!?」

 動揺が飛燕の胸中へと広がったのは言うまでもない。
 どう考えても先の揺れは要塞の正常な航行の最中に起こる振動などではない。
 異常事態を示す先触れ。東風との連絡の取れぬ事とも相まって飛燕の不安は最悪の形にて帰結する。
 咄嗟に飛燕はそのままこの場から飛び離れるように駆け出し始める。目の前の少女が本当に死んでいるかどうか、その確認すら怠ったそれは本来の彼らしくもない迂闊な行動だった。
 しかし既に飛燕の頭の中では彼女の存在など放置することすら思考を避けないほど、それどころではなかったのだ。

「飛竜……ッ!?」

 予感は既に確信の領域へと昇華しつつあった。
 即ち、かつての戦友との血塗られた再会。
 避けては通れぬ悲劇にもなりきれぬ喜劇……その幕が近いであろう事は明らかでもあった。

 

 ソロが率いる部隊に目標への総射を中止させたのは、急に『第三の月の都』そのものが激しく揺れ、傾きだしたからだった。
 間髪入れずの一斉射撃。これだけの火力に晒されれば、いくら堅牢な強度を誇る対象でも確実に抹消できたはずだ。
 そう思ったからこそ、ソロは射撃を中止し、状況の確認と部隊の態勢を整えさせることを優先したのだ。
 客観的に見るならば、それは決して間違った判断と言えるわけではない。
 このような状況下ですら冷静さを失わずに的確に動こうとしたソロ。そして彼に従う部隊はむしろ優秀とも言えただろう。

 ただ単に、致命的にある一つの事柄を大きく見誤っていたというだけだ。


 それを唐突に証明するように、銃火にて発生した煙の向こう側から突き抜けてくる桜色の閃光。
 極太の帯とも言えるそれは、横一列に並んでいたソロの部隊の一角を容赦なく吹き飛ばし、薙ぎ払う。

「――何ッ!?」

 流石にいきなりの思ってもみなかった襲撃に、ソロは咄嗟に部隊へと散開を指示しようともするも……
 だが――遅い。

 極太の桜色の閃光。それが終わるか否かの同時に今度は大量の同色の魔弾が一斉に煙の向こうから飛び出していく。
 しかもかなりの操作性があるのか、次々と的確に逃げようとするソロの部下達を追うように直撃、彼らを撃ち落していく。
 信じ難い事態。統制を失い隊列を乱し、瓦解の兆しを見せ始める部隊。
 咄嗟に不味いと判断したソロは、一喝を放ち冷静さを取り戻そうと呼びかけようとするも――

「……流石に、これはちょっと我慢の限界かな」

 身を翻し後方へと身体を向けていたその背後。即ち先程までの前方側、それも直ぐ近くから聞こえてくる、背筋がゾッとするほどの低く抑えられた女の声。
 馬鹿な!? ありえん!?
 そんな思いにソロが憤ったのは無理からぬこと。
 だがそれは限らずこの声の側とて当然のことなのだろう。

「悪いけど、ここからは一気に逆転させてもらうよ」

 それはソロからしてみれば死刑宣告にも聞こえる言葉。
 だがあまりにもデタラメで理不尽としか思えない対象に、いいようにやられてそんなものを認められるはずがない。
 故にこそ、

「高町……なのはぁぁぁあああああああ!!」

 そんなご都合主義のようなことが認められるかと、怒りと共にソロは振り返りながらその手に握った得物たるサラマンダーを躊躇いなく発射する。
 だが振り返ったその先……迎え撃つように迫ってきていたのは先程の比ではない桜色の極光、その奔流である。
 それは最後のソロの足掻きを、まるで小賢しいとでも言うように飲み込みながら、そしてそれすらものともせずにソロどころか背後の部下たちまでをも巻き込みながら、吹き飛ばした。


 致命的な見誤り。
 それはこの眼前のデタラメな女のふざけた耐久力を甘く見ていたことだったのだと、ソロは漸くに理解した。

「これで最後、大人しく投降してもらいます」

 あれからものの数分もかからず、指揮官たるソロを失い瓦解した彼の部隊は、眼前の女たった一人の反撃に対応できぬままに全滅させられた。
 全滅とはいえ非殺傷。こうしてソロも部下たちも生きてはいる。しかし既にあのふざけたダメージから戦闘続行も出来なければ、立ち上がることすら不可能だ。

「……我々の、負けだな……」

 潔く事実としてソロはそれを受け入れた。
 つまりは任務失敗。よもやあのストライダー以外に自分を倒す者がいようとは思ってはいなかっただけに驚きはある。
 だが悔しさ等の感情は湧いてはこない。ソロはプロだ。戦場の掟として、ただあるがままの現実をこれが全てと受け取るのみ。
 そして同時にそれは、負けた以上は仕事を請け負ったプロとしても責任を負わねばならないということ。
 そしてケジメのつけ方は、彼にとっては至極単純に一つだけだ。

「貴様の勝ちだ、白い悪魔。
 ――だが、俺は貴様らの捕虜に落ちるつもりはない」

 仕事人としてのプライドが、最後の意地がソロにそれを拒絶させて許すはずがないのだ。

「抵抗は無駄です。大人しく――」

 まだ何かをするつもりなのか、それをさせじとなのはは身構えながら身柄を拘束させるためにバインドを発動させようとするも――

 ――しかし、ソロの動作の方が僅かに一歩速かった。

 ソロはなのはの動きを先んじて、手の中に隠し持っていたスイッチを押す。

「――任務失敗。これより自らの抹消(デリート)を開始する」

 それがなのはが最後に聞いたソロの言葉だった。
 驚愕するよりも先、目の前が激しく光ったと思った直後に、ソロの身体は粉微塵に爆発した。


 爆発そのものは小規模なものだった。
 故に至近距離だったとはいえ、巻き込まれた高町なのはにそれによる負傷らしきものもありはしなかった。
 ……あくまで身体面においては、であるが。

『マスター、ご無事ですか?』

 レイジングハートから安否を気遣うかのような声。
 だがそれは今の彼女にとっては、あまりにも耳に遠いものであった。
 今のなのはにとっては、この結果があまりにも認められ難いものだったからだ。

『マスター!?』
「……え、あ……うん、私は大丈夫……大丈夫だよ、レイジングハート」

 レイジングハートからの何度目の呼びかけだったのだろうか、呆然としていたなのはは漸くにハッと気づくと共に何とか相棒へとそう答え返す。
 ……否、そう答え返すことしか出来なかったのだ。

「レイジングハート……彼は……?」
『恐らくは自らに仕込んでいた爆薬を用いて、自爆したと思われます』
「……そう………そう、なんだよね………」

 未だ呆然とするなのはに比べてレイジングハートは冷静だった。
 なのは自身もレイジングハートの説明に、その通りだと思いながら、しっかりするように自らへと叱咤するべく言い聞かせようとする。
 だが……

「あ………」

 間の抜けた呟きは、ふらふらとしたまま振り返った先で目に留めた光景を見て零れたものだった。
 自分が率いていた部隊。守るはずだった部下たち。
 その多くが傷つき、そして少なくない数が既に亡骸と化していた。

「みんな………」

 戦場は初めてではない。仲間を失ったことだって一度や二度ではない。
 犠牲者が出るのは避けられない。これは本当に戦争のようなものだと作戦開始前から理解していたし、覚悟だって固めていたはずだ。

「ごめん……みんな……」

 けれど、だからと言って慣れるものではない。冷静に割り切れるものであるはずもない。
 全て自分の手で守れると思っているほど傲慢ではない。しかしながら、それでも自分の目の前で犠牲者など出したくはないと思って戦っている。
 敵にしろ味方にしろ、こんな所で死んでいい命などあるはずがないのだ。
 だからこそ――これ以上の人死には到底認められるはずがなかった。

「レイジングハート、本部からの冥王捕縛の報告はまだ来てないよね?」
『はい、未だそのような報告は上がってきてはいないかと』

 作戦開始より構成されていた冥王捕縛の予想時刻。それは既に大きく過ぎ去っている。
 捕縛部隊にはあのフェイトが組み込まれていた。報告も上がらず部隊の沈黙が続いているということは、彼女たちの部隊に何かがあったということなのだろう。
 フェイトの安否には身も引き裂かれそうな不安を感じる。だが憂慮すべき事態はもはやそれだけに留まってはいなかった。

「……『第三の月の都』が沈みかけている?」
『はい。恐らくは先にあった振動と関係してのことと思われます』

 レイジングハートが演算してくれた予測によれば、そう遠くない時間の内に重力制御を失い、姿勢を崩しているこの要塞は、虚数空間の海へと沈んでしまうらしい。
 本部に問い合わせてみれば、上がってきた報告によると何者かに重力制御室内部の動力炉を破壊されたらしい。
 それが導き出す結論は、たった一つだけだ。
 既に本部は作戦を中断、全部隊に艦隊まで撤退するように指示を出してきていた。
 なのはもその命に従い、生き残った部下達に退却するように指示する。
 ……その指揮を、生き残った副官へと任せて。

『マスター、冷静になってください!?』

 部隊を離れ、よりにもよって冥王の玉座まで向かわんとしている主を、レイジングハートは説得するように呼びかける。

「……私は冷静だよ、レイジングハート。だからこそ行かなきゃいけないの」

 別にレイジングハートが危惧しているような、頭に血が昇ってトチ狂っているわけでも断じてない。
 自身で答える言葉通り、むしろ己で不思議と思えるほどに今のなのはの心中は凪いだ静かなものであった。
 ならばどうして、沈没に巻き込まれるかもしれぬ危険を覚悟で、彼女は危険度の増す奥へと進もうとしているのか。
 フェイトの安否が気になっている。理由の半分は多分それで正解だ。
 だがもう半分の思いもまた、ここで譲るわけにはいかなかったのだ。

「……もう、ここで全部終わらせなきゃ」

 これ以上の犠牲や悲劇を生み出してはならない。
 安っぽい正義感や愚かな英雄願望に駆り立てられているわけではない。
 ただ単純に、これ以上はそれを許容したくないという我が侭と意地があっただけだった。
 管理局の撤退と同様に、グランドマスターとて恐らくは居城とはいえ此処を破棄し、脱出するだろう。
 たとえ冥王といえど今回の損害、決して容易な再起を行えるほどに浅い傷などではないはずだ。
 だが二千年以上その存在を確認されているかの存在にとっては、どれだけの時間の流れがかかろうともいつかはかつてのように、否、それ以上の勢力として復活するだろう。
 その時に、管理局は、自分たちは冥王を倒せるのか? 否、戦えるのか?
 決して断言は出来ないし、そして何よりそのような未来を生み出してしまえば、今この時の戦いが、起こってしまった犠牲が無駄になるのも同然だ。
 だからこそ『次』はない。冥王に『次』を与えてはならない。
 『今』だ。『今』此処で全てを終わらせなければならないのだ。
 故になのはは進む。片道切符の地獄行きを承知の上で、それでも未来に禍根を残さぬよう、その為に――

 ――エースオブエースは冥王の玉座を目指して駆け抜ける。

 

「……『第三の月』が……落ちるというのか?」
 報告の上がってきたその事実に、歯噛みするように呟く飛燕。その身はあらん限りの憤りへと震えていた。
 今彼が向かっているのは出戻りのようにスタート地点たる惑星包括制御センターだ。
 即ち、彼の主が座す玉座。
 飛燕の目的は玉体たる冥王を連れて脱出すること。切り替えられたその優先順位に従って主の下に馳せ参じ、説得すべく急いでいた。

「終わってたまるか。……こんな所で終わってたまるか」

 そう、こんな所では終われない。でないとストライダーズを切り捨てた意味すら失ってしまう。
 冥王が創造する新世界。誰もが清らかな天使のように幸福に暮らせる社会。
 それを見届けるまで主を死なせるわけにもいかないし、自分も死ぬわけにはいかない。
 だからこそ急ぐのだ、全てが手遅れに間に合わなくなるその前に。
 ――しかし、

「何処に急ぐ。貴様の終着点は此処だ」

 悠然と、駆け抜けようとする飛燕の前方上の道に立ちはだかるように現れる影。
 影……否、それは影ではない。

「――飛竜ッ!」

 その名を叫びながら、しかし速度も緩めず止まることなくそのままサイファーを握り直し、駆け寄ると共に振り下ろす。
 激しい金属音同士のぶつかり合い。そして明滅するプラズマの光。
 互いに一歩も譲ることなく、その場でサイファーの刃を交差し合う二人。
 飛竜と飛燕。

「そこを退け、今はお前の相手をしている時間がない」
「時間がないのはこちらも同じだ。お前の後にまだ奴の始末が残っている」

 どこまでも許容できぬ忌々しい暴言。飛竜のその態度に当然のように飛燕が怒りを覚えたのは言うまでもない。

「“あのお方”を始末だと……そんなこと俺が許さん!」
「貴様の許可など最初から求めていない」

 万言の言葉を費やそうが、もはや互いの溝は埋められない。
 決定的に違えた道。選び取り目指すべき異なる未来。
 ならばこの対決もまた避けられぬ必然だろう。
 飛燕がまだそれでも飛竜に対して友情を抱くというのなら、取れる選択肢はもはや一つだけだった。

「飛竜……お前の悪夢、今日ここで俺が終わらせてやろう」

 憧れの全てを過去に捨て、輝かしき未来を掴み取るために。
 飛燕の覚悟にしかし飛竜はくだらないと言いたげに、鼻を鳴らして吐き捨てるようにただ一言。

「勘違いをするな。狩るのは俺で、狩られるのは貴様だ」

 

「……古き神の遺物どもが、小癪な真似を」
 憤怒と屈辱にこの身が震わされるなど、この二千年近く殆ど経験していない絶えて久しいはずの感慨であった。
 しかしこうして再びムシケラと見下していた連中に足元を掬われる結果がある
 王にして神たるグランドマスターにとって、それは耐え難い仕打ちであった。

「だがまだだ。この程度のことで余は終わらぬ」

 旧世界の遺物……滅びる定めたるムシケラどもに自分が敗れることなどありえない。
 確かに損害は大きく、ここまで進行してきた計画すら何十年という単位で大幅な遅れとなることだろう。
 だがそれでも……尚それでも、彼は不滅だった。
 絶対的巨魁。新たなる神を自負するこの男は、此度の戦いで自分が負けたなどとは露ほども思っていない。
 むしろ――

「ムシケラどもが、神の怒りを見せてくれよう」

 “あれ”の試運転には丁度良い機会だ。どちらにしろこの『第三の月』を脱出する際は、“あれ”を持っていかねばならぬし、そのためにはどの道“あれ”を起動させねばならぬのだ。
 それならば、脱出のついでに“あれ”の性能を外に蠢くあの五月蝿い小蝿どもに見せ付けてやれば良い。
 そう結論付けたからこそ、グランドマスターは未だ玉座にて居座り、切り札の起動準備を進めていた。
 ふとそんな時だった。

『――やあ、何やら大変な事態になっているようだね?』

 唐突に外部からの秘匿回線を通しての通信。モニターに現れた人物はグランドマスターもよく知る人物であった。

「……貴様か、何用だ?」

 今は貴様などに構っている暇などない。直ぐにも通信を切らんばかりの苛立った口調で冥王はモニターに映る人物へと問う。

『いやなに、旧友の危機と耳にしてね。助けは必要か訊きにきたんだよ』

 モニターに映る人物――紫の髪に黄金の瞳を持つ白衣の男は、気安いとでも言えそうな態度にて笑みすら浮かべながら冥王へと言葉を投げ掛けている。
 次元世界屈指の犯罪者。一世界の神同然の男に対して、それはあまりにも不遜。身の程を弁えぬ態度である。
 事実、グランドマスターの不快さは通信を開くよりも前から比べても、見る間にその苛立ちは増してきていた。

「白々しいことを言いおって。……そもそもこの事態、貴様らの差し金ではないのか?」

 『第三の月』の崩壊は近い。本来ならばこのような無礼者に割いている時間など殆どない。事実、冥王自身が態度にてそれを露骨に証明している。
 それでも会話や通信を打ち切らないのはむしろ冥王の側である。それは先のその言葉の真実を確認しておくためであった。

『それは誤解だよ。……まぁ確かに、私のスポンサーはこれを好機に目の上の瘤たる君を取り除こうという腹積もりなのだろうが、私に限っては君に向ける牙などありはしないよ』

 冥王の返答を促すその態度に、しかしモニター越しの男もまた一向に臆した様子もない。それどころか今の状況や会話すら楽しんでいるといった様子にそんな言葉を返答にと示してくるのみ。
 あくまで自分は従順である、いけしゃあしゃあにそれこそ白々しい返答にグランドマスターは不快気に鼻を鳴らす。
 しかし元よりこの男が食えぬ相手であることくらいは承知の上だ。仮に罵倒を浴びせかけようともその憎らしい笑いすら治めぬことだろう。時間の無駄である。
 ならばこの男の真意自体は今は置いておく。問題は先の男の返答の内容だ。

「――“無限の欲望”」

 冥王は男の核たるその名を呼ぶ。
 自らが生み出した被造物。かの失われたアルハザードの遺産。そして何より、あの愚かしい小物どもにわざわざくれてやった男のその名前を。
 その男が自らのスポンサーと口にした存在。それは即ち――

「ならばこれは奴ら――最高評議会の独断であり、貴様はあずかり知らぬことだと?」

 時空管理局最高評議会。表向きは彼にとっての最大の敵側派閥。
 三百年間、冷戦に近い対立を続けてきた敵対者。
 しかし本当のその実態は……

「……奴ら、まさか“盟約”を忘れたわけではあるまい」

 遡ること三百年前。丁度、互いを滅ぼし合う最終戦争へと発展しかけていた衝突寸前の時期。
 次元世界の裏側にて交わされていた一つの“盟約”があった。

『来たるべく審判の日、次元世界の全てを掌握するために君が動く。
 その時に彼ら管理局は君に協力し、共に次元世界の全てを征服する』

 それをスムーズに行うための裏側からの地盤作りを行っておく。
 本格的な最終衝突を回避し、今日この日まで維持され続けてきたはずの裏側の真の目的。
 ジェイル・スカリエッティが今口にしているその内容こそが“盟約”だ。

「然り。それが“盟約”だ。その為に我らは互いを不可侵と定めてきたはずだ」

 だと言うのに、ならばこれは何だと苛立ちも顕にグランドマスターは問う。
 表向きは敵対関係だが、決して干渉は禁止と決めてきたはず。
 それを唐突に裏切る形のこの奇襲。
 裏切られた側の冥王からしてみれば、到底納得出来るものではなかった。
 当然だろう。これは恩を仇で返されたのも同じなのだ。

「この三百年の延命! そして貴様! 全てだ! 全て奴らへと与えてやったのは誰だ!?
 ――余だ! 冥王たる余がわざわざくれてやったのだぞ!? それを――ッ!!」

 屈辱……そんな生温い言葉で済まされるわけがない。
 ミッドチルダのクラナガンで今も生き恥を晒しているあの醜い脳ミソ共、この手で八つ裂きにしてやってもまだ飽き足らぬ。
 激しい憤怒と憎悪。復讐の念。冥王を激情に駆り立てるそれらが治まることは決してないだろう。

『まぁ確かに君からすればその怒りは尤もなことだ。……しかしね、冥王。君の言うように彼らは俗物だ。誰よりも君を恐れ、誰よりも君を妬んでいる。死期が近いと悟っているのもあるんだろうね。もはやその縋りつく妄執を抑えることなど出来ないんだろうさ』

 三百年。この冥王ほどでないにしろ、脳だけという不完全な形とはいえ彼らもまた人としては長すぎる歳月を生き永らえた。
 それでも彼らには縋りつくべき妄執があったから。敵対者に頭を下げて技術を賜ると言う屈辱同然の行いをしてでも、それでも果たそうとしている悲願がある。
 自らの終わりが近いこととも合わされば、今更にどのような行いに手を染めようが彼らにしてみても何の躊躇いも恥もないのだろう。

『そもそも彼らは三百年前から“盟約”を守るつもりなんてなかったんじゃないのかな』

 彼らが欲していたのは自身の延命法と冥王が保有していた技術。
 そして失われたアルハザードや古代ベルカの遺産である。
 最初から貰うものだけで貰って、後は時を見て裏切るつもりだったのではないのかなとスカリエッティは可笑しそうに自らの予想を告げる。

「くれるだけくれてやって裏切られる……余を間抜けな道化と嗤うか?」
『まさか。彼らもしたたかだが、君のそれと比べれば大人と子供さ。君の方こそ気前が良さそうな素振りも裏腹に、彼らを欠片ほども信用していなかったんじゃないのかい?』

 大規模破壊兵器。群を抜いた質量兵器の数々。そして広範囲規模のAMF発生装置。
 これらの開発に精力的に力を注いできたのは、全て来るべき日に反旗を翻すであろうと予測していた管理局を滅ぼすためではないのか。
 そう問うてくるスカリエッティの言葉に、しかし冥王は答えない。だがその沈黙はありありとその答えを示してもいた。

『彼らにしてみても焦っていたんだよ。着々と勢力を広げ地盤を固めていく君。時を置いてはいずれ負けてしまう。だからこそ、仕掛ける時をずっと窺ってきた』

 スカリエッティの言葉通り、しかし冥王とてそれくらいは予想していた。だからこそ決して一部の隙も見せず、こちらの内情とて一片たりとも洩らしはしてこなかったはずだ。
 冥王の情報操作は完璧だった。彼は自らを神と気取る傲慢さを持ち合わせているが、しかし決して大局を見据えて迂闊な隙を見せるほど愚かでもない。
 事実、かつて二千年以上前、その慢心で一度は危うく自らを潰えさせかねぬ窮地にすら立ったこともあったのだから。
 故にこそ、自分に過ちなど無かったはずだ。

『君自身に隙は無かったのかもしれないね。けれどある一人のエージェントの存在が、君の気づかぬ隙を晒す原因になってしまったのではないのかな?』

 ここが核心だと楽しげに笑いながら告げてくるスカリエッティのその言葉に、グランドマスターもまたあることに気づいたようにその身を電流が走ったかのごとく震わす。
 彼自身に隙はない。だがそんな隙が無いはずの彼を破滅へと誘ってくる例外的存在が確かに一人だけいたことを冥王もまた認めていた。
 そう、忘れるわけがない。何故ならあの男はこの世でただ一人、偉大なる自分に対して初めてその死を予感させた存在だった。

「……飛竜っ……!?」

 冥王の奥歯を噛み締めんばかりの忌々しげなその呟きに、スカリエッティは正解だと笑った。

『そう、彼だ。君にとってのただ一人の敵対者。君の創ったその世界で、たった一人で君に従おうともせずに抗い続ける宿敵』

 因果の鎖と言うものが仮に存在するとすれば、彼と冥王の間に繋がれたそれは例え幾星霜もの時が過ぎ去ろうとも、決して断ち切れるものではないのだろう。
 今でも鮮明に思い出せる。否、忘れることの出来ぬ恐怖として記憶の中に刻み込まれているのだ。
 そう、あの男だ。あの男だけなのだ。

 ――もし本当に、神たるこの身を滅ぼせる者が存在すると言うのならば……

 

 “――貴様らに、そんな玩具は必要ない”

 

 二千年前のあの時、刃こそ届かなかったとはいえ、自分の前に辿り着いたあの男。

「……やはり、奴こそが余を滅ぼさんとする最大の敵ということか」

 甘く見ていたわけでも、軽んじていたつもりも断じてない。
 だがスカリエッティが告げるその思わせぶりな口ぶりから冥王もまたその全てを悟った。
 反旗を翻した最高評議会。奴らへと情報をリークし、その行動の後押しとなった原因であろう男の存在。
 隙なきはずのこの自分に、こうまで致命的な隙を晒させて外部からの厄すらも招きこんできた破滅の死神。
 飛竜という男の存在が、いま神たる自分をこうまで明確に脅かさんとしている。

『さてどうするのかな、グランドマスター?
 当然逃げるのだろうけど、管理局も彼も君を逃がすつもりなんてないんじゃないのかな? どこまで追ってでもきっと君を破滅させようとしてくるだろうさ』

 言われるまでもない。そんなことは言われずとも分かっている。
 そもそも下等なムシケラどもに尻尾を巻いて逃げるなど、そんな屈辱に等しいことが出来るはずもない。
 だからこそ、すべき事は決まっていた。

「逃げるだと? 愚か者が、余がどうして奴ら如きを相手に逃げねばならん。
 この場で小五月蝿く飛び回っておる管理局も、死に損ないの飛竜も、全て纏めてここで葬り去ってくれるわ」

 そもそもその為に“あれ”の起動準備を続けていたのだ。
 これ以上、この男に構っているような暇もない。

『そうかね、なら手が借りたいなら言ってくれ。君ならば格安で助けを提供させてもらうよ』
「不要だ。貴様、余を誰だと思っている。貴様如き被造物の助けを借りるほど余は落ちぶれておらん」

 きっぱりと拒絶を示す冥王の態度。“無限の欲望”と呼ばれる男はそれに残念と苦笑を浮かべる。

『そうかい。折角、私の自慢の娘達をもうそちらに救援へと向かわせているのだが……これは要らぬ気遣いになってしまったか』

 ここで貸しでも作っておこうという腹積もりであったのだろう。スカリエッティのその余計な申し出に用意がいいと呆れながら、やはりこの男は食えぬ男だと改めて思った。

「……例のナンバーズとやらか?」
『ああ、その通りさ。君からの技術提供で予定していた時間よりも遥かに早く皆仕上がりそうでね。そのせめてもの恩返しを思っての派遣だったのだが……分かった、ではこちらから手出し不要と彼女たちには伝えておくよ』
「そうしておけ。ここから先、巻き込まれようとも責任は取れんぞ。早々に撤退させることだな」
『そうさせてもらうとしよう』

 そう言いながら、これで会話も終了と通信を切ろうとしていたまさにその時だった。


「――冥王グランドマスター……ッ!」

 唐突に玉座たるこの惑星包括制御センター内部に響き渡る声。
 不遜にもこの冥王の名を憚りもせずに叫ぶ無礼者に、何者かと冥王もまたそちらへと振り向いた。
 センター入り口。入ってきたばかりなのだろう。負傷しているのか入り口脇の壁へと荒い息を吐きながら凭れ掛かって立っている一人の娘。
 まだ若い。凡そ二十歳前後くらいか。鮮やかな色合いの金髪に、ルビーのような赤い瞳を持つ女。

『……ほう、そう言えばこの作戦には彼女も参加しているとは資料で確認していたが』

 それでも意外だと言うように呟くスカリエッティに、グランドマスターは知り合いかと尋ねる。
 スカリエッティは苦笑の色を強め、どこか皮肉気に肩を竦めて頷きながら、

『まぁ、彼女も私の娘のようなものさ』

 そう告げながらモニターの向こうから、スカリエッティは彼女――フェイト・T・ハラオウンへと改めて視線を向けた。

 

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最終更新:2011年05月16日 20:40