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『プロジェクトFのことは憶えているかな?』
「……貴様が基礎理論を組み立て、どこぞの魔導師に提供してやったというあれか」

 使い魔を超える生命体の創造。元媒体からの記憶を抽出し複写させることにより同一個体の永続を目的として進められた研究。
 冥王自身も遥か昔に着手した研究の一つである。……尤も、今の自分ならば兎も角、当時の自分は実現不可能と見切りをつけて打ち切ったプロジェクトに過ぎないが。
 どちらにせよ、スカリエッティの組み立てたその基礎理論自体は興味があったので彼も目を通したことがある。しかしかつて自分が辿り着いた道以上にはなりえていない不完全なものに過ぎなかったはずだ。
 かの研究より生み出せるのは、所詮器の外側だけが似せられるだけの不出来な劣化クローンが限界。個体の有する素質・パーソナルデータは完全に一致させることも出来なかった。
 加えて複写させたはずの個体の記憶……これが完全に定着しないようでは既にクローンとしての価値がないも同然だった。
 神に至る道としてプロジェクトFは何の役にも立たぬ無価値。それは両者とも研究を打ち切る際に結論付けた最終的な共通見解のはずだ。

『私がその理論を提供した人物がね……プレシア・テスタロッサというのだよ』

 スカリエッティのその言葉にだからどうしたと冥王は眉を顰めた。
 不完全な研究を引き継いだどこぞの誰とも知れぬそんな一魔導師の名など知りもしなければ興味もない。
 スカリエッティもそんな関心のない冥王の態度を察したのか、どこか愉快気に含み笑いを見せながら、次に入り口の女魔導師の方へと視線を促して言葉を続ける。

『さて、彼女は名をフェイト・テスタロッサという。君ももしかしたら名前くらいは聞いたことはないかな? 管理局でも指折りの優秀な執務官なんだがね』

 その言葉に冥王もまた瞬時に漸く成程と言った様子で頷いた。
 娘のようなものという言い分。先のカビの生えた研究の話。そして女魔導師の名前。
 むしろ流石にそこまで揃えられれば気づかぬ馬鹿など居はしないだろう。

「成程、ではあれはFの遺産ということか」
『ああ、今なお現存している貴重な個体だ。出来ればサンプルとして手に入れたいと常々思っていたんだが……』

 しかしスカリエッティのその言葉に対し、グランドマスターは嘲るように諦めろと嗤うのみ。
 この男がどれだけ興味を抱き欲していようと、そんなものは冥王自身には関係ないことだ。
 出来損ないの分際で分不相応にこの神の間に入り込んだ痴れ者である。問答無用で排除するのが道理というものだ。

『やはりそうなるか。……いや仕方がないとはいえ、実に残念だ』

 そう苦笑を浮かべながら、どこか哀れみの視線も顕にスカリエッティはそれをフェイトへと向ける。
 対するフェイトの方も、予想外の相手の登場に半ば驚愕と共に呆然としている始末であった。
 だが時間が差し迫った状況である以上、いつまでもこんな茶番に付き合っている暇もない。

「そろそろ終わるぞ。余もこれから予定が詰まっている」
『……分かった。では冥王、あなたの武運を祈っているよ』

 来るべき新世界、そこで再び見えんことを。
 まるで戯言のようにそんな言葉を最後に告げながら、スカリエッティと繋がっていた通信は断ち切られ、モニターが消える。
 その瞬間、正気に戻ったフェイトが呼び止めようと叫びかけるもそれも間に合わない。
 そして冥王もまた茶番は終わりと示すように、即座に侵入者の排除のために行動を開始する。

「光栄に思え。出来損ないの失敗作が、この神たる余の手で地獄へ行けるのだからな」

 言葉の終了とほぼ同時。その身に纏う黒衣の中より飛び出すように無数の獣が生まれ出で、一斉に眼下のフェイトを目掛けて襲い掛かった。

 

 無数の獣が一斉に殺到するかのように襲い掛かってくる。
 フェイトはその予期せぬ事態に一瞬虚を突かれながらも、反射的に後ろへと飛び退ってそれを躱す。
 それでも尚、即座に追撃をかけんと迫り来る獣たち。
 フェイトは展開したフォトンランサーでそれらが辿り着く前に次々と撃ち落し、殲滅させていく。
 しかし――

「――ッ!?」

 思わず苦悶に顔を歪めながら腹部を手で抑える。
 先の飛燕との戦闘でサイファーによって切り裂かれた腹部の傷。簡易治療魔法で表面部分だけ取り繕ったような応急処置しかしていないので、当然のように痛みが治まることなく危険信号を告げるように全身へと激痛を訴えかけてくる。
 思わず膝を着く。荒い息すら整えられず、視界すら既に霞みかけている危うい事態だった。
 意識を取り戻しここまで辿り着けただけでまさに奇蹟と言っていいような重傷の身だ。既に彼女の限界はとうの昔に訪れていたのだ。

「無様よな。この程度の塵の侵入を此処へと許すなど……飛燕め、存外に使えん男だ」

 グランドマスターは上空からフェイトを蔑むように見下しているものの、しかし本当のところはフェイトなどまるで眼中にもいれていない。
 そもそもこの男にとっては、自分以外のものなど全てが役に立つか立たないかの道具のようなものに過ぎないのだろう。
 会話と呼べるものすら未だ交わしておらずとも、相手のその傲慢な態度からそれをありありと察すことが出来た。

「……グランド……マスター……あなたは……ッ!」
「出来損ないが、身の程も弁えずいつ余の名を呼んでいいと許可した」

 汚らわしいものでも見るように不快気に吐き捨てながら腕を一閃。
 突如発生した衝撃波がフェイトの体を打ちのめし、そのまま壁へと叩きつける。
 満身創痍の彼女では呻きながらも、何とか立ち上がろうとするもののそれすら危うい足取りである。
 だがそれでもフェイトは立ち上がらなければならない。問わねばならなくなったこともある。

「……どうして……あなたがジェイル・スカリエッティと……?」

 この場へと突入し、任務のことすら思わず忘れるほどに衝撃を受けた事態だった。
 ジェイル・スカリエッティ――この十年の間にずっと追い続けていた犯罪者。
 自分のルーツを知るはずの男。何故あの男が冥王と通信など取り合っていたのか。
 広域次元犯罪者同士の裏の繋がり?……本当にそれだけなのか?
 或いは、もっと裏に隠された大きな謎が――

「ふん、末端は何も知らされず踊らされているだけということか」

 フェイトの様子にまるで一人だけ合点がいった様子で納得するかのような冥王。
 だがその意味をフェイトが知るはずもない。
 だからこそ問い質そうとしたのだが――

「貴様ら塵が知る必要などない」

 茶番には付き合っていられない。まるでそう示すように、再びその黒衣の内より無数の獣を生み出しながらフェイトを目掛けて差し向けてくる。
 反応しようと動きかけるも、やはり限界寸前のフェイトの体は反応が遅れ。
 間に合わず口腔の奥より生える獣の牙がフェイトに突き立てられんとしたまさにその瞬間だった。

 突如、上空より降り注いできた無数の桜色の魔弾が次々と獣たちへと撃ち込まれ消し飛ばしていく。

 まるで呆然となりながら、思わず反射的にフェイトが上空を見上げたその瞬間だった。

「――大丈夫、フェイトちゃん? 助けに来たよ」

 そこに存在していたのは誰よりも頼もしく、信頼できる愛しい親友の姿。
 管理局のエースオブエース。高町なのはがそこにはいた。

 

ストライダーとは潜入・破壊工作におけるエキスパートである。
 忍者を前身としている隠密工作員ではあるものの、彼らが有する戦闘技術は非常に高いと言われている。
 ストライダーにおいて平均とされるC級。これはよく調練された軍隊一個部隊と同格とされる戦闘能力を誇る。
 ましてこの二人は飛竜と飛燕、彼らは更に上とされる最高峰のランクたる特A級に分類される。
 ならば繰り広げられる両者の真っ向からの激闘。それが超人の領域に達するレベルのものであることは今更語るまでもない。

 繰り交わされる雷光剣サイファー、その剣閃の応酬。
 直接刃同士をぶつけ合わせたものも含めれば、既に何十合の決死を迫る剣戟が繰り出されたかは本人たち以外には分からぬことだろう。
 上段から中段を主眼において前面制圧を目的として繰り出される飛竜の刃の数々。
 対する飛燕は己の獲物を器用に傘のように回転させながら、盾のように用いてそれを凌ぎきる。
 その攻防の直後、間髪入れずと言うように飛竜の姿が飛燕の目の前より突如掻き消える。
 一瞬のロスト。しかし飛燕は冷静に微塵たりとも心を揺るがせない。
 まるで約束組み手の続きを見せるかのように、瞬時に次手を予測した飛燕は咄嗟に地面に倒れ込むように身を屈む。
 直後、先の飛燕の頭部が存在した空間を薙ぐように鋭く通過して行ったのは、そこを目掛けて蹴撃を放った飛竜。
 ――ヴァジュラ。ストライダーの扱う体技の一つ。代表的な奇襲技。
 しかしそれが来るのを飛竜の手口から読み切っていた飛燕は、素早く回避と同時の起き上がり様に上を通過していく飛竜へと渾身の刃の一撃を振り上げた。
 飛竜はそれを難なく自らのサイファーを用いて弾くことで防ぐ。……だが攻撃側の飛燕の膂力に押し負けたのか、そのまま吹き飛び着地の際には両者の距離が開く。
 飛竜にとってそれは間合い外。しかし飛燕にとってそれは違う。
 飛燕のジオメトリカルサイファーは本来この距離こそを最も得意とする投擲に特化した武装だ。
 瞬間、即座に飛燕は飛竜を目掛け己の獲物を投げ放つ。
 弾速すら陵駕せんと迫る必殺の刃。飛竜はそれを一つは弾き、もう一つは横跳びに躱す。
 それを読むように投擲と同時に飛竜を目掛けて駆け出していた飛燕は、弾かれた一方のサイファーを素早くキャッチ。そして飛竜の回避コースを回り込むようにサイファーを構えて待ち伏せる。
 予測されたピンボールの軌道の様に、刃を躱しこちらへと跳んで来る飛竜。
 飛燕は気合の怒号と共にその姿を断ち切らんと刃を一閃。
 だが――

「――何ッ!?」
「予測の範囲だ」

 憎憎しいまでの涼しげな声が、その攻防の結果を意味づけていた。
 飛竜を両断せんと走るサイファー。彼はその飛燕の斬撃を敢えて己のサイファーで受け止めるのではなく、あろうことかその振るう飛燕の手首を素早く掴み捻ることで斬撃を逸らしてみせたのだ。
 タイミングを間違えれば、掴み損ねれば即死に繋がる蛮行。しかしそれを飛竜は平然と眉一つすら変化させずに行ってみせたのだ。
 それは相手の規格外の度胸を……否、両者の彼我の技量差を見せ付けるも同然の行いだ。
 驚愕する飛燕。だが飛竜からすればそれは知ったことではない。むしろ予測外の事態であれ敵を目前に致命の隙を晒すものは彼の価値観で言えば総じて二流だ。
 相手の斬撃を防ぐのにサイファーを用いなかった理由……それは当然ここでカウンターで相手にその刃を叩き込むため。
 故に飛竜には微塵も躊躇いはない。飛燕の隙を晒すその胴、それを両断せんと横薙ぎに一閃するサイファー。
 咄嗟に……それこそ正に生命維持のために本能が無理矢理に動かした反射だったのだろう。飛燕はそのギリギリで床を踏み砕く勢いで跳びながら後ろへと反ってそれを躱す。
 だが――飛竜は更にそこまで読んでいたのだろう。
 その後ろへと跳び退ろうとする飛燕の顔面。そこに問答無用に本気の蹴りを叩き込む。
 横薙ぎに一閃する勢いを利用し、独楽の回転のように相手への接近の距離を稼ぎながらその流れの勢いを利用して蹴りを放ったのだ。
 当然、無防備な顔面への一撃に飛燕は蹈鞴を踏むようによろめく。
 その一瞬の隙を突くように、既に飛竜は相手の背後へと回り、逃がさぬように相手を掴み跳躍。

「黄昏に消え去るがいい……」

 最後に、相手のそんな言葉が耳元へと走ったのと同時だった。
 空中でまるで分身するかのような超速度で飛竜が飛燕のその身へと次々に繰り出していったのは無数の攻撃。

「ラグナロク!」

 その彼自身の結びの言葉と同時、飛燕の全身へと叩き込まれるように走った衝撃は、ストライダーの体技が誇る必殺の奥義。
 全身から生まれる激痛。各所より生まれる無数の傷。血塊を吐きながらそのまま飛燕は固い地面の上へと叩き落とされた。

 

「がぁ……ッ……ァッ……!?」
「茶番は終わりだ」
 戦闘続行不能のダメージに苦悶にのたうつ飛燕を、無感情に冷酷に見下ろしながら当然のように飛竜はそう告げる。
 彼にとってはこの勝利自体にも意味はない。裏切り者への粛清、その義務を果たしたのみなのだから。
 故に結果が全てだ。飛竜の勝利も飛燕の敗北も、当然の帰結としてなるべくしてなったものに過ぎない。
 後は言葉通りに飛燕にトドメを刺し、この茶番を終わらせ本来の任務遂行へと戻る。それだけの寄り道に過ぎなかったはずだ。
 だが――

「飛…ッ……竜ぅぅ……ッ!!」

 それでも尚、まだ抵抗するように立ち上がって見せたのは重傷の身である飛燕。
 全身をラグナロクによって打ち込まれた傷で、既にそれは致命の身であることは明白だった。
 それでも息を荒げ、血走った目でこちらを睨みつけながら立ち上がったその姿は地獄の獄卒すら凌駕せんとする鬼気迫る迫力があった。
 ……尤も、そんなものに怯むような可愛げも殊勝さも対峙する飛竜にあるはずがなかったのは当然のことであり。

「見苦しい」

 故に容赦なく一瞬で間合いを詰めると共に蹴り上げる。そのまま宙に浮いた相手の身へと再び拳を叩き込み、最後は直接掴んでもう一度地面へと容赦なく叩き落す。
 問答無用。容赦なしの追撃。……否、サイファーを用いて即座に首を刎ねなかったところを見れば、この男にしてはらしくもない有情だったのやもしれない。
 どちらにせよそれが飛竜の気紛れか手抜きなのか、或いは飛燕の執念深さか生き汚さかは分からないが、それでも勝負はつこうとも敵が未だ生きていると言うことに変わりはない。
 しかし両者どちらにとっても時間が差し迫っていたのも事実。どうであろうとこれ以上の無駄な時間は割けないのは明らかだ。
 故に終わらせる。まず先にそう判断した飛竜は、サイファーを構え直しながら漸くにトドメを刺すべく悶絶して倒れ伏している飛燕へと近づく。
 しかし……

「……飛竜……ッ……お前は……何を、考えている……?」

 辛うじて首だけを持ち上げながら、見下ろす飛竜を睨みつけるように見上げながら飛燕は問う。
 否、それは問いと言うよりも既に彼にとっては身を裂かんばかりの怒りの叫びだ。

「……ここで、“あのお方”が死んでしまえば……俺たちの、世界は……どうなる……?」

 自分たちの世界を救えるのは冥王グランドマスターただ一人。
 その持論を未だ飛燕は曲げていない。否、曲げられるはずがない。
 その信仰だけを拠り所に全てを……ストライダーズすら捨てたのだ。
 冥王による救済、彼の新世界の創造だけが今の飛燕の全てだ。
 この手を数多の血と罪で染めることから逃げずに向かい合えるための理由だ。
 多くのものを切り捨てた。多くのものを犠牲にしてしまった。
 許されることでないことは分かっていても、今を苦しむより多くの人々を、死に逝こうとしているあの世界を救うためだと割り切っていた。
 だから今日まで戦ってこられたのだ。
 だというのに……ここまで来て、後もう少しというところまで来ているというのに。

「任務が……そんなに大事か?……そんな、何の大儀もない……クソッタレの理屈で……いったい、お前には何が救える……ッ!?」

 許せなかった。我慢ならなかった。納得できなかった。
 認められるはずがない。認めていいはずがない。

「……ストライダーでは何も救えない。……俺もお前も……結局は何も救えなかったじゃないか……ッ!?」

 あの日抱いた無念、やるせなさ、失望と絶望。
 その全てを刻んで憶えている。あの後悔があったからこそ今の飛燕が存在するのだ。
 そしてだからこそ、同じ穴の狢でありながら、何も出来ないくせに人々の救済そのものを邪魔しようとする飛竜に、飛燕は我慢ならなかったのだ。

「答えろよ、飛竜……ッ!……お前に、何が救えるって言うんだッ!?」

 任務遂行だけが全ての機械か人形のような男に、何一つ救えるはずもないだろうと怒りを叩きつける様に飛燕は問い質した。
 しかし真っ向からその怒りをぶつけられる飛竜は微塵もその冷徹な態度を崩すことなく、

「神に人など救えはしない。どのような結果になろうが人の滅びも再生も、選べるのは人自身の選択だけだ」

 神に救済を求める、それこそが甘えた茶番の思考だと飛竜は切って捨てた。
 徹底的に現実だけを見つめて、そこから未来の趨勢をどちらに傾こうが自分たちだけで決める。
 神の被造物、下僕ではなく、独立した存在として最後まで残る意地を貫く。
 人がすべきことがあるとすればそれだけだと飛竜は示す。
 どれほど辛かろうとも、認め難かろうとも、それでも人は今己の生きている現実という世界の上で懸命に生きていかなければならない。

「貴様らの甘えた上から目線の救済など、ぬるま湯の箱庭への逃避と同じだ」

 そこへ弱さから逃げ込むのは当人の自由だ。
 だが手前勝手の価値観を押し付けて、全て同じように変えてしまおうとすることこそ、愚行以外の何ものでもない。
 飛竜にかの冥王を認められず、許せぬものがあるとすればその一点。

「箱庭で死にたいなら、まずは貴様らが先にそこで死ね」

 自分はそこに同類どもを積み重ねて、最後にその箱庭を徹底的に破壊するだけだ。
 最初からそう決めていた。否、最初からそうせねばならなかった。
 あの時……かつてそれが果たせなかった責務としても、飛竜には妄人どもの箱庭に終止符を打たねばならぬ責任がある。
 故に――

「――ぬるま湯の夢の続きは地獄で見ろ」

 それだけを無情に告げ、飛竜は容赦なくサイファーを振り下ろした。

 

 あまりの突き放すような無情とも言える飛竜の言い分。
 飛燕は半ば愕然として打ちのめされたのは言うまでもない。
 甘えた箱庭への逃避。そう言い切られた自分たちが目指した救済。
 無論、納得できるわけがないのは当たり前だ。飛竜の言い分は確かに尤もなものかもしれないが、しかしそれは逆に全て自分一人で選ぶ力を持っている強者だからこそ言える言い分だろう。
 ならば弱者は? 明日をも知れぬ今日も生き残れるかも知れぬ弱き者たちは?
 奪われ、踏み躙られるだけに甘んじる他ないものたちはどうするというのか?
 ただ泣けと言うのか? 諦めて全てを受け入れろと言うのか?

「……ざ…ける……なぁっ!」

 ふざけるな! 湧き上がる怒りと共に叫び上げる言葉はそれだった。それだけだった。
 認めない。それこそ認められない。
 尤もらしい言い分のようで、それこそやはり何一つ救うことなど出来ない飛竜の言い分などやはり認めることが出来るはずがない。
 既に身体は死に体。絶え間なく続く激痛に、思うように動けぬ体、永遠の眠りへと誘わんとでもするように尾を引いてくる霞む意識。
 その全てを――飛燕はただ怒りで凌駕した。

 首を断たんと振り下ろされるサイファー。
 飛燕は咄嗟に身体を無理矢理に動かしてそれをギリギリで躱す。
 よもや心身ともに打ちのめし、死に逝く他にはないだろうと思っていた相手のその足掻きには、飛竜も珍しく瞠目するように動きを鈍らす。
 その一世一代のチャンスを掴むように、飛燕は全ての余力を振り絞って相手から飛び離れる。
 向かう先は己が獲物――サイファーの転がっている場所。
 瞬時にそこまで辿り着き、サイファーを掴みながら振り返り身構える。
 既に飛竜はそれ以上の足掻きをさせぬとトドメを刺すべくサイファーを振り構えて迫ってくる。
 ――アメノムラクモ。ダッシュと共にサイファーを用いて突進してくるストライダーの体技の一つ。
 それを飛燕は横跳びに躱す。目標をロストし、空振りの隙が出来たその側面から飛燕は残る全ての力を振り絞ってサイファーを投擲。
 飛竜はそれを咄嗟に上へと跳んで躱す。
 だが空中へとギリギリで逃れたその隙は大きい。
 飛燕もまた空中を駆ける様に跳びながら飛竜へと迫る。
 ――エクスカリバー。本来ならばサイファーを構えて突進する空中走行技なのだが、即興の手であるため飛燕は無手。
 だが飛竜の手には手放すことなく握られているサイファーがある。このままギリギリ身体を反転させながら横薙ぎにでも振り抜かれれば、飛燕はわざわざ両断されるために特攻しに行くのも同然だ。
 しかしながら、それが杞憂であることを確信と共に飛燕は理解していた。
 飛竜が予想通りに飛燕の向きへと振り返ろうと迫り来るその背後。先程投げる際に方向調節したサイファーが、飛竜を後ろから両断せんと迫り来ていたからだ。
 飛竜はその事態に珍しく舌打ちを吐きながら、より脅威と判断したサイファーの方へと対処。自らの雷刃を振るいそれを弾き飛ばす。
 それとほぼ同時のタイミング。抱きつくように飛竜の身へと突進した飛燕は、そのまま抵抗する相手を空中で拘束しながら、突進する先に空いていた穴へと向かってそのまま飛び込む。
 そこは『第三の月』の外部へと繋がる排出口。……当然、その先が全てを飲み込む虚数空間の海であることは今更言うまでもない。
 飛燕の狙いは最初からただ一つ。

「飛竜……俺と一緒に……地獄へ堕ちろォ!」

 捨て身覚悟の身投げ。本来ならば不本意な方法だが、こうでもして刺し違えぬ限りはこの男を止められない以上、仕方がなかった。
 冥王の創る新世界を、その救済をこの目で見られぬのは残念だが……しかし、この最強の敵――誰よりも憧れたかつての戦友と共に死ねるというのなら悔いはない。
 ストライダーという悪夢もここで終わりだと、そんな万感の思いと共に後一歩で虚数の海へと堕ちんとしたまさにその時だった。

「死ぬなら死ぬで、貴様が勝手に先に死ね」

 最後までまるで何の感慨も示さないと言うような切り捨てる一言を飛竜が発した瞬間だった。
 突如拘束している状態であるはずだというのに、至近距離から全身に打ち込まれるように再び生まれた激痛に飛燕が血塊を吐き出す。
 いったい何が……? そんな驚愕と疑問が生まれ、痛みのせいで飛竜を拘束していた手の力が弱まった瞬間だった。
 その隙を見計らったように、今度は力づくで飛竜は飛燕の拘束を振り払い、今度はそのまま相手を掴んで空中で器用に回転しながら勢い良く前方の穴へと向かって投げ飛ばす。

「地獄への道連れ、餞別代りにくれてやる」

 投げ放つ直後、そう最後に彼が呟いたと同時、追撃のように再び飛んで行く飛燕の身へと迫ってきて撃ち込まれる攻撃。
「ガァッ……!?」
 霞む視界と意識の中で、飛燕は漸くにその正体が何であるかに気づいた。

(……オプションA?)

 見覚えのあるキノコ型の小型機械。
 ストライダーズにより生産され、任務従事の際にストライダーが携帯し多用するオプションパーツだ。
 だがあれらは全て飛燕がストライダーズを裏切る際、ストライダーベースに残る全てを破壊したはずだった。単純な構造の機械ではあるが、そう簡単にこんな短期間に修復なり作成なりは出来るはずがないと思っていたのだが……。
 或いは、飛燕が見落としたどこかに残っていた物を、この最終決戦に密かな切り札として持ってきていたということか。

「……ウロ……ボロ、ス………」

 途切れ途切れに呟くのは、飛竜が最もオプションパーツのフォーメーションとして多用した技の運用法。
 飛燕が最も脅威と判じ、これだけは使わせてはならないと念を押して封じたはずの技だったが……対処が甘すぎたということか。
 二体の円を描くように回転しながら撃ち込まれて来る弾。それに次々と被弾しながら、飛燕はそれでもまるで執念のように飛竜を掴まんと手を伸ばす。
 しかし遥か前方、既に万能鎌クライムシクルを用いて壁に張り付いて外への墜落を逃れている飛竜へとその手が届くはずもなく。
 行かせてはならない。あの男に冥王を殺させてはならない。
 新世界を、救済を、それを守るのが自分の義務であったはずだと言うのに……

「飛……ッ……竜ゥ――――――ッ!!」

 最後に慟哭となって響く叫びは、虚しく反響するのみで届くはずもなく。
 飛燕は最後まで追い求めて憧れていたその相手へと手を伸ばしながら、無限の奈落の底へと向かって堕ちていった。

 

 万能鎌クライムシクルを壁へと突き立て、何とか墜落を間逃れた飛竜は眼下の奈落へ落ち逝く飛燕の姿を早々に見切った後、そのまま器用な動作で素早く上へと昇りきった。
 飛燕を相手に余計な時間を取りすぎた。刻々と崩壊の迫り来る『第三の月』の中で、今度こそ飛竜は最後の標的の抹殺のために駆け出そうとしたその時だった。

「……それで? 貴様らはそこでいつまで隠れているつもりだ?」

 ふと思い直したように、駆け出すのを一旦やめながら飛竜が振り返り声を放ったのは無人の空間。
 飛竜が鋭く見据えるその先――当然、人も存在せず無音であるはずのその場所。
 しかし飛竜は躊躇い無くそこへ向かって今度はサイファーを振り抜こうとしたまさにその瞬間だった。

「ちょっとストップ! 分かりました、ごめんなさい! こっちが悪かったから許して!」

 慌てて取り繕うように切羽詰った女の制止の声がその先から突如響いてくる。
 突然の怪事態。本来ならばそうであるはずだというのに、それを見据える飛竜の視線は徹底的に冷めたものであり。

「さっさと姿を現せ」

 飛竜の冷たい命令の言葉に応じるように、その場から突如彼の目の前へと現れて見せたのは二人の少女。
 両者同じ種類のボディスーツにコートを羽織っている。一人は十代半ばから後半になりかけの三つ編みに眼鏡の少女。もう一人は幾分か一回りほど幼く小柄な体型の灰色の長髪に眼帯を巻いた少女だった。
 この突如現れた眼前の少女たちが、自分同様にこの『第三の月』への侵入者であることは飛竜も理解していた。
 しかしそれも当然であろう。何せ――

「何を今も此処をうろついている。貴様らの役目はとうに終わったはずだろう?」

 ――この少女達こそが、飛竜がこの地への侵入の際に手引きの役目を負った相手だったのだから。

 

 勘の良すぎる相手というのは扱い辛くて面倒だ。
 そう改めて彼女――クアットロは眼前の飛竜を相手にしながら内心でそう思っていた。
 主――ドクター・スカリエッティの命を受け、この男が『第三の月』内部へとスムーズに侵入できるように、自身の能力を用いて手引きしてやった。
 最初からの契約通りの役目の遂行。後はドンパチの舞台となるこの場からはさっさと退場して、遠くから高みの見物と決め込むのが吉であると思っていたのだが……

(……まったく、ドクターの遊び心も困ったものね)

 面白そうだから現地から隠れてリポートしてくれ、などと当初の予定を破棄して実行するよう頼まれたのだから堪らない。
 どういうわけかスカリエッティはこの飛竜という男に興味を持っているようで、彼のやろうとしていることを見届けたいと興味に駆られていたのだ。
 それに付き合わされる立場となったのがクアットロである。幸か不幸か、その手の隠密作業は能力的に彼女は適任だった。故に嫌がったのだがドクターに仕方なく拝み倒されたのでこの危険な遊びに付き合ってあげていたのだ。
 侵入当初は相手に気づかれた様子も無く、ストーキングに成功していたのだが、いったいどの辺りからどうやって気づいたのか、遂にはこうしてバレてしまって出てこざるをえなかったのである。

「ここで何をしている?」
「何って……まぁ、こんな戦争滅多に見られませんので、物見遊山と観戦でもと思いまして」

 相手はどんな理由からこちらに斬りかかってくるかも分からない、冷酷無情の殺人マシーンのような男である。いつもは人を小馬鹿にした態度を好む慇懃無礼なクアットロとはいえ、相手が相手なので緊張して言い訳の言葉と表情も思わず引き攣ってしまう。
 クアットロのその返答にくだらないと言った態度で鼻を鳴らす飛竜。それはハイエナかハゲタカでも見るような視線だった。

「良ければ我々も手を貸しますが?」

 助力が必要かと思い控えていた、まるでそう言った態度で今度は妹のチンクの方が飛竜へと向かってそう問いかけてみたのだが……
 不要だ、そんなにべもない鋭い視線と返答が返されてくるだけだった。
 最初期の取り決めから変わらず、やはりこの男は自らと冥王との間の介入を強く拒んでいた。
 断られること自体は予測済みだったのだろう、失礼したと返す一連のチンクの態度は姉のクアットロ以上に揺るぎもなく平然としたものであった。
 ……脳筋どもはどこかで通じ合うものでもあるのか、単純で羨ましいものだと、どこか内心で蔑むと同時に呆れてもいたクアットロ。
 しかし飛竜の方もこちらとのお喋りに時間を割くつもりもないのだろう。

「貴様らの目的は何だ?」

 誤魔化しも言い逃れも許さない、そんな態度も顕に尋問じみた問いをしてくる飛竜。恐らくさっさと終わらせて目的を果たすために急ぎたいのだろう。
 嫌がらせは趣味だが、怒らせる相手次第でそれがやぶ蛇になりかねないことはクアットロとてちゃんと理解している。
 だからこそ言葉を選び、嘘を吐かずに正直に答えてやった。

「最初に貴方にコンタクトを取らせてもらった時、言った通りですよ。
 ドクターもいい加減、目の上のタンコブのあの老害を排除したい。だから貴方にその抹殺を頼みたい、と」

 無論、全てではないが嘘でもない。
 そもそもこの一連の戦争。こうなるように最初に絵図を描いたのは、他ならぬ彼女たちの主であるスカリエッティだ。
 スポンサーである最高評議会たちに冥王への危機感とその醜い嫉妬を煽ってやり、管理局と冥王軍の間で衝突が起きるように動かし。
 同じ目的を持って行動していた飛竜に接触し、『第三の月』にスムーズに侵入させてやるように手引きし、彼に冥王を暗殺させる。
 最初からそのために、全ての駒を盤上に揃えてこの遊戯を開始したのだ。

(……今頃ドクターもキングの退場を防ぐために、時間を稼いでいるだろうし)

 さっさとこの鉄砲玉を向かわせて、あの男の首を取ってもらおうとクアットロは考えていた。

「ああ、それと……これを渡しておこうと思ったんですよ」

 そうして揉み手でもするようにヘコヘコした態度で近づきながら、クアットロが飛竜へと渡したのは掌に収まるサイズのPDA。
 こんなものが何だと訝る飛竜に、クアットロは笑みを浮かべながら操作方法と使用目的を教える。

「ここを押すとですねぇ……ほら、現在のこの施設内部のマップと脱出ルートが出るでしょ?」

 あら便利、とまるで胡散臭い通販番組の司会者のような説明。
 要するに、脱出の際に必要となる地図ということである。
 こんなものをわざわざ用意せざるを得なかったのは、まさかクアットロやスカリエッティも飛竜が『第三の月』を含めて全てを丸ごと葬り去ろうとするような破壊魔だとは思っていなかったからだ。
 クアットロとしてはこんな危険人物はここで冥王もろともくたばってもらいたいと思っていたのだが、生憎とドクターが死なせるには惜しい人材だと言ってくるので仕方がない。
 冥王を抹殺した後、その場で死なれては困る。故に余計な仕事としてもう一度飛竜に接触してこれを渡す必要があったのも事実だった。
 丁度良い機会だったし、これにて雑務を終えて、この男にもさっさと目的を果たしてもらいたいと送り出す。

「ではでは飛竜さん、ドクター共々、私たちはあなたの任務成功を祈っておりますので」

 背を向け駆け出していく飛竜へと、手を振りながらクアットロはそんな心にもない言葉を告げる。
 それに当然、飛竜が答えるはずも無く。
 PDAだけ早々に受け取ると共に、彼は自分たちの前より瞬く間に消え去るように去っていった。
 その姿を見送った後、クアットロが漏らしたのは猫を被っていた態度を振り下ろす盛大な溜め息。

「……まったく偉そうな脳筋のくせして、こっちがどれだけサポートしてやってると思ってるのかしらね、あの男は」

 そう呟きながら傍らへと視線を戻すと、チンクが誰かと通信している様子だ。

「あらチンクちゃん、誰と楽しくお喋りしてるのかしら?」
「トーレ姉とだ。例のサンプルを回収したらしい。ドクターから撤退の指示も出たらしいし、今から合流するとのことだ」

 そのチンクの返答に、やれやれ漸くかとまるで肩の荷が下りたかのような盛大な溜め息を再び吐くクアットロ。
 彼女としてもその指示には是非もないのだ。こんな地獄に片足を突っ込んでいる巨大な棺桶とはさっさとオサラバしたい以上、トーレとさっさと合流してしまいたかった。

「それにしてもサンプルは回収したって……姉さまったらよく間に合ったわね」
「トーレ姉は優秀だ。そして何より我々の中で最速だ」

 彼女が間に合うと判断して行動に出た以上、この結果も当然だろうと返してくるチンク。
 それを見ながらクアットロはこれも脳筋同士の奇妙な信頼感とでもいうやつなのだろうかと呆れながら首を傾げる。
 まぁどうでもいい。どちらにしろ、このゲームも既にクライマックスを残すのみの終盤戦。
 精々、自分とドクターを愉しませる為に駒どもには滑稽に踊って欲しいものだ。
 それがクアットロが既に興味の大半を失いかけていたこの舞台に、せめてもと思った考えだった。

 

 縦横無尽の数で次々と繰り出されていくのは桜色の魔弾。
 管理局のエースオブエース、高町なのはが繰り出すシューター。
 対するは次元世界屈指の大犯罪者、冥王グランドマスター。

「……痴れ者が」

 忌々しく吐き捨てるかのように呟くと同時、前方に生み出した障壁が飛んでくる魔弾を次々に防いでいく。
 しかしそれは正面から向かってくるもの限定である。なのはの操る魔弾の軌道は変幻自在。背後や上下左右、回り込むように障壁を迂回したコースの魔弾が次々に冥王へと迫る。
 グランドマスターはその黒衣の身より再び生み出した獣たちを放出。まるで肉の盾のように魔弾を身を挺して防ぐそれらの存在によって、被弾は零。
 なのはは瞬時にその思考を砲撃へと切り替える。カートリッジロード。同時、その照準を冥王グランドマスターへと向けて発射。
 桜色の砲撃が身に迫る光景に、流石のグランドマスターも目を見開く。
 そしてその身が有する強大な念動の力を搾り出すように前方へと集中。
 その掌へと集束されたのは巨大な紫電の渦。それを解き放つように迫り来る砲撃へと向けて叩き込む。
 両者の砲撃がぶつかり合い、視界を焼く激しい閃光が生まれる。
 結果は相殺――その直後である。

「冥王グランドマスターッ!」
「――ッ!?」

 冥王の背後、その隙に回り込むように瞬時に現れたのはフェイト・T・ハラオウン。
 バルディッシュを3rdモードへと変形させた彼女は、その雷刃の一撃を相手の背後から叩きつける様に振り下ろす。
 冥王は咄嗟に振り返り、それを受け止めようとするも……数秒の拮抗の後に弾き飛ばされる結果となる。
 不定形じみた黒衣の塊のような冥王の身体が地面に叩きつけられ、バウンドする。
 咄嗟に追撃を試みようとしたフェイトだったが、やはり傷口の痛みが酷いのだろう、思わず蹲って膝をつく。

「フェイトちゃん!? 無理しちゃ駄目だよ!」

 慌てて傍らに駆け寄ってくるなのは。涙でも浮かべかねない心配気な表情に、フェイトは申し訳なさ気に良心が痛むのを感じた。
 しかし……

「……ごめん、なのは。でもこれは……私の戦いでもあるから」

 侘びを告げながら、しかし痛みを堪えて毅然と立ち上がりながら、冥王の方へと向き直りバルディッシュを構え直すフェイト。
 そう、なのはに怒られるのは分かっていて申し訳ないとは思っている。でもそれでも、どうやらこれは自分に関わる戦いでもあるようなのだ。
 故に退けない。退くわけにはいかなかった。

「おのれぇ……出来損ない風情が……ッ!」

 再び宙へと浮かび睨みつけてくる冥王のその身は、しかし屈辱と憤怒に震えたものであった。
 当然だ、神を自認する傲慢なこの男が人間風情……否、それにすら劣ると見下していたはずの出来損ないに地面へと叩き落されたのだ。
 ただでは殺さない。塵も残さず消し去ってくれる、と冥王はその身より強大な魔力をあふれ出させてくる。
 ミッドチルダ式ともベルカ式とも異なる運用体系の技術。擬似的にも生物まで見事に構成してみせるその技は、確かに次元世界に名高き未知と言っていいものなのだろう。
 だが魔力資質や実力ならば、なのはたちとて負けていない。否、二人合わされば互角以上……このまま一気に畳み掛ければ確実に勝てるはずだ。
 故に最後の踏ん張りどころだと、なのははフェイトに勝負を決すべく一気に仕掛けようとして促しかけたその瞬間だった。
 今までの比ではない勢いで、激しい揺れを引き起こす『第三の月』。
 とうとう崩壊が始まってしまったのか、そう二人が息を呑んだその時だった。

「光栄に思えよ、塵芥ども。貴様らは余が真なる神へと至る道……その成果を持って葬り去られるのだからな!」

 グランドマスターがそう高らかに告げたその瞬間だった。
 今までこの部屋を覆っていた天井が突如砕けて降り注いでくる。
 危なくそれを回避しながら、なのはとフェイトが見上げたその先に……それはあった。
 
――異形。

 一言で言ってしまうならば、それは正しくそう呼ぶ他になかっただろう。
 人とは形状を異とする半身半蛇。しかしその山のような両腕は半円型のアーチのように、このセンターそのものを天井から抱え込まんとするほどに巨大。
 加え、その腕の各所に点灯するように光るのは高密度の雷と炎の数々。
 中心部とされる部分。だがそこには頭部はない。その中心部から這い出るように生えているのは、自分たちともサイズの変わらぬ異形の上半身であった。
 巨人の中から人が生え出ている……何とも形容し難き嫌悪染みたその姿は、不気味以外の何者でもなかった。
 更に特筆すべき部分があるとすれば、その巨大な異形の外皮は機械であり、同時に生物のソレでもあるということだ。
 ……そう、この異形は生きている。咆哮を上げるその姿は正しく機械と生物の融合体だった。
 冥王の盛大ともいえる哄笑が、まるでそれの姿に圧倒されているなのはたちを嘲笑うように降り注いでくる。

「これこそがカドゥケウス! 余の力、その全ての結晶! 星へと至る神の道よ!」

 自らの雄大さ、その誇示の象徴と言わんばかりの様子で、異形の名称を名乗り上げるグランドマスター。
 圧倒されていたなのはたちではあったが、それでも今は例え相手が何であれ立ち向かわねばならないと身構え直したその瞬間だった。
 天井全体を覆う異形の両腕。そこに膨大な量と思われるエネルギーが次々と集束されていく。
 不味いと思った時には、しかし時既に遅く。

「塵も残さん! 無へと還れ、痴れ者どもが!」

 冥王の大音声による一喝。
 それを引き金とするように、無数の集束砲の雨がなのはたちへと向かって降り注いできた。

 

 『第三の月』外縁部。その場所から壁に器用にしがみ付きながら彼女――トーレは一連の趨勢を密かに見届けていた。
 普段から常在戦場を心がける彼女だが、それでも先の光景と異形の示して見せたその威力には流石に瞠目していた。

『いやはや素晴らしい。……成程、あれが彼の切り札というわけか』

 どこか楽しげに震えた声――唐突に眼前に現れたモニターに映り興味深げに笑っていたのは彼女の主――ジェイル・スカリエッティだ。
 トーレは突然このような事態にも拘らず呑気に通信を入れてきた彼を咎めるわけでもなくただ一言、問いを返す。

「どうしますか?」
『どうとは? 君には何か思うところがあるのかな?』

 そう問い返してくるスカリエッティに、トーレは彼から視線を外しながら、もう一度、距離を離したあの先で顕在する異形を見つめながら告げる。

「――アレは危険です」

 自分たち、ひいてはドクターの『夢』への大きな障害にもなりかねない。
 グランドマスターそのものがそうであると思ったから、今回こうして排除へと踏み切ったのだが、改めてあの異形を見て確信した。
 アレの放置は危険である。ここで早急に排除すべきだ、と。

『君にそれが出来ると?』

 試すかのようなドクターの問いにトーレはいいえと首を振った。
 正面からの戦いでは、そもそも戦いにもならず粉砕されることだろう。それは抵抗の間もなくあのエースたちが消し飛ばされたのを見て明らかだ。
 故にトーレにはあのカドゥケウスという化物は倒せない。

「しかし今なら不意を突けば、その主くらいは……」

 トーレが鋭くその黄金色の鷹の目で見据えるのは、その異形の傍らで現在勝利に酔いしれている冥王だ。
 もはや敵は打ち倒した、自分を阻むものはいない、まるでそう思い切っているような隙だらけの様子だった。
 相手のあの様子。そしてこの程度の距離ならば――

「――私のISを用いれば、仕留める事に訳はないかと」

 己の性能と現状を判断した上での、シミュレートで弾き出した結論。
 トーレのその言葉にスカリエッティは頼もしいと笑いながらも、

『いいや、その必要はないよ』

 あっさりとトーレの要請を退けた。
 流石にそれはトーレも訝しげに眉を顰める。しかし彼女の態度がどうであれ、スカリエッティの結論は変わらなかった。
 彼は首を振りながら静かに告げるだけ。それは自分たちの役目ではない。その役目には適任がいると。

「ストライダーに奴らが打倒出来ると?」
『ああ、するだろうさ。案ずることはない、彼は自分ですると宣言したんだ。既に結果が決まっている事象に介入するのは無粋だろう?』

 あの男のどこにそれ程の信頼を寄せるのか、トーレにはドクターの意図がさっぱり理解できなかった。
 しかし彼の思考など凡そ自分如きに理解できるものでもない、そう分かりきってもいたため、早々にその追求に対しては打ち切った。
 彼女のそういった態度がスカリエッティも好ましかったのだろう、どこか労わるような優しげな声で、

『ご苦労だったね。もうクアットロたちと合流し、君たちは戻ってきてくれればそれでいい。帰ってゆっくり休んでくれ』

 帰還命令に対し、トーレは承諾の頷きを返した。
 向こうの戦場には、未だ後ろ髪引かれる危惧や思いもありはすれど、ドクターが放置と命じる以上はそれに従う他なかった。
 故にトーレは名残惜しさを断ち切りながら、器用な動作で踵を返しながら外縁部を進み始め、

『ああそうそう、せっかく苦労して手に入れたサンプルだ。途中で落として失くさないようしっかり持って帰ってきておくれよ』

 通信を切りモニターが消える直前、茶目っ気でも出したように言ってくるドクターのその言葉に、トーレは生真面目に頷きながら、回収したそのサンプルを落とさぬようしっかりと背負い直した。

 

 上空より叩き込まれるように降り注いでくるのは集束砲の雨。
 そう、まさに雨。少なくとも自身のディバインバスター以上と予想される威力の砲撃が無数の束となって降り注いでくる。
 高町なのはは咄嗟に傍らのフェイト・T・ハラオウンを顧みる。
 酷い負傷を負っている彼女。今は無茶を通して動いているが、流石にこの雨を全て躱すことなど今の彼女には出来ないだろう。
 ならば防御は?……否、同じだ。負傷と疲労で魔力の減退している彼女がこの攻撃を凌ぎ切れるとは思えない。
 瞬時にそれを判断したなのはは、故にその即座の行動に対してすら躊躇いはなかった。

「フェイトちゃんッ!」
「なの――ッ!?」

 彼女が自分の名前を最後まで呼ぶのすら遮るように、押し倒すようになのははフェイトを抱きしめると、そのまま地面へと伏せさせる。
 そしてカートリッジロードの限界までを駆使し、展開したシールドと自分が彼女の上へと覆い被さる形で、この攻撃を凌ぎ切ろうと試みた。
 押し倒している下のフェイトから、こちらが何をやっているのか悟ったのだろう。やめうように必死に呼びかけてくるが、しかしそれは生憎と聞けぬ相談だ。
 フェイトを守る。絶対に死なせない。今のなのはが優先すべきこと、したいことはそれだけだった。それしか選べないし、それしか選ばない。
 だからこそ――

「大丈夫だよ、フェイトちゃん」

 安心させるようにそう告げて微笑み返す。無論、それが何の説得力もない行為でしかないことは承知の上だった。
 フェイトの叫びと涙を最後に確認したその直後だった。
 叩きつける様に降り注いできた集束砲の雨の数々が、展開した防御すらも貫き、なのはの身にまで降り注いできた。

 

 カドゥケウスによる集束砲の雨が降り注がれた惑星包括制御センターは、既にその姿を原型すら留めぬ様な酷い有様へと変えてしまっていた。
 立ち込める灰塵がまるで霧のように部屋全体を覆いつくしている。
 それが晴れるのに暫くの時を要しながらも、既に冥王は先の無礼者どもは殲滅し尽くしたと判断していた。
 未だ完全起動段階には至っていないとはいえ、これ程の出力だ。矮小な人の身程度で抗えるようなものではない。
 そう、このカドゥケウスがある限り己が負けることも滅びることもあるはずがないと彼は確信していた。
 無限の学習と成長により、進化し続けていく新たなる神の雛形。現段階の試運転によるスペックですら、管理局の戦艦隊と互角に渡り合う……否、蹂躙し、殲滅させることすら可能なはずだ。
 冥王の悲願成就の瞬間とは、このカドゥケウス完成の時をおいて他ならないのだ。

「この『第三の月』を失うのは惜しいが……しかしカドゥケウスさえ健在ならば」

 そう自らを納得させながら、冥王はそろそろこの要塞を離脱し、そのまま自らが創り上げた世界たる地上へと一度帰還しようと思っていたその時だった。
 見下ろす眼下、そこに崩れ落ちた瓦礫を退かしながら出てくる人影を捉える。
 忌々しい、まだ生き残っていたのかと舌打ちを吐きながら、冥王はカドゥケウスへともう一度命令を下そうと振り返り――

 ――そこに問答無用でこちらを頭部から両断せんと振り下ろしてくる、刃を見た。

 

 フェイト・T・ハラオウンは何とか瓦礫を退かし外へと這い出ながら、救出した高町なのはを抱えて必死に呼びかけていた。

「なのは!? なのはッ!? 目を覚まして!?」

 涙ながらに懇願するように抱きしめる相手の姿――それは本当に酷いものだった。
 あの集束砲の雨が降り注いできた瞬間、咄嗟になのははフェイトを庇うように、身を挺して砲撃から彼女を守ったのだ。
 お陰でフェイトはあの猛撃を受けたとは思えないほど、信じられないほどの最小限の負傷で済んだ。
 しかし代償に彼女の盾となって迫り来る砲撃のほぼ全てをその身で受けてしまったなのはは、バリアジャケットすらボロボロに成り果て、その身は火傷と傷により目を背けたくなるほどに酷い有様へとなっていた。
 自分のせいでなのはが傷ついてしまった……その最悪の事態にフェイトは自らの痛みや現状すらも忘れて、彼女の名を呼びかけることしか出来ない。
 無力だった。情けなかった。何より彼女を傷つける直接の原因となった自分自身が許せなかった。

「なのは……お願いだから……死なないで」

 簡易な治癒魔法を施そうが、元々不得手である事に加え激しく動揺している今の状態で上手くいくはずもなく。
 ましてやこれ程の重傷ではそんなもの焼け石に水程度の効果すら望めない。
 しかしフェイトには他に何もない。何も出来ない。後は彼女が死なないように天にでも祈るくらいしか出来ない。
 それこそ敵対している冥王が本当に神だというのなら、恥も外聞もなく縋り付いて慈悲を請いたいと思うほど。
 それくらいになのはという存在は彼女にとって大きく、それを目の前で失うかもしれないという現状への動揺と混乱は激しいものだった。
 そんなどうしようもない極地に陥っていたフェイトを、それでも偶然にも強制的に正気へと立ち戻らせたのは――

 ――突如、直ぐ近くに地面にめり込むように激しい落下をしてきた男の登場だった。

 

 千載一遇、まさにそう呼ぶ他にない最大にして最後の好機。
 万感の殺意と渾身の一撃を持って、忌まわしき冥王を両断せんと振り下ろされた飛竜のサイファーは――

「――戯け。身の程を知れ!」

 刃が今にも振れんとしてその直前に、他方から飛んできた雷撃に弾き飛ばされ、逸らされる。
 滅多に無い驚愕という珍しい表情を思わず見せた飛竜に対し、冥王はしてやったりとニヤリとした笑みを向けるのみ。
 どちらにしろ、絶好のチャンスであった奇襲を逃してしまったのは事実。
 舌打ちを吐きながら飛竜は空中で器用に飛び離れながら、傍の壁面へとクライムシクルの刃を立ててしがみ付く。
 宙に浮いている冥王は飛竜を捉えながら、嘲るように告げてくる。

「久しいな、飛竜。再び余の前へと跪きに来たか?」

 それが“いつ”のことを指しているのか。しかし飛竜は表情すら変えずただ冷たく鋭くグランドマスターを睨み据えるのみ。
 決して屈服することなき、そして勝利すら諦めぬふてぶてしいまでのしつこさ。
 懐郷の念を流石に冥王も禁じえない。
 グランドマスターは己が背後に控えさせている最高傑作を、どうせならとまるで披露するかのように飛竜へと示しながら告げる。

「再びよく来たと言ってやりたいところではあるが、既に遅い。このカドゥケウスをもって余は真なる神へと至る。今更貴様一人が足掻こうがもはやどうにもならん」

 カドゥケウスの自慢げな紹介に、飛竜は僅かだけ冥王からそちらへと視線を向け直す。
 巨大な異形。満ち満ちて溢れ出しているエネルギーは、飛竜をもってその肌を粟立たせる程に強大なもの。
 恐らく先の渾身の奇襲の失敗も、この異形に邪魔をされたからということか。

「……成程、大した玩具だ」

 飛竜はカドゥケウスから冥王へと視線を戻しながら、そう返した。
 玩具――己が神へと至るために生み出した最高傑作をそのように評され、グランドマスターの眉が不快気に歪む。
 相変わらずに口の減らない不敬者であるらしい。その辺りがまったく変わっていないことにまたしても少しだけ郷愁を感じる。
 だがどちらにしろその不敬、聞き逃してやるつもりは毛頭ない。

「玩具だと? 戯けが、取るに足らぬそんなものは、むしろこれまでに余が創ったお前たちを含む全てだ」

 そう、全て。全てを生み出したのは自分。
 生み出した全てを気に入らぬ不完全と断じ、再び創り直そうとしているのも自分。
 全て総て、創って壊して創って壊して、その繰り返しだ。
 ……尤も、

「次なる新世界こそ、もはや貴様は不要だがな」

 忌まわしい因果の鎖。やはりここで断ち切るのは自らの手をもってして。
 対する飛竜。新世界の神に反逆せんとする逆徒たる彼は、くだらげに鼻を鳴らして一言、

「夢想遊びの続きは、地獄でやれ」

 その言葉の終わりと同時、勢いよく壁面を蹴りながら飛竜は空中疾走にて一気にグランドマスターとの距離を詰めんと迫る。
 しかし――それを妨げんと現れたのはカドゥケウスより放出されし無数の雷弾の嵐。
 飛竜はそれを切り払いながら進もうとするも……あまりにも弾幕の量が桁違い。
 思わず苦悶を漏らし動きが鈍ったのは、とうとう雷弾の嵐に囚われてしまった飛竜である。
 グランドマスターは終始嘲りの表情を変えることもなく、

「貴様の刃は、所詮余には届かんよ」

 最後に集束砲の一撃が飛竜を直撃し、そのまま彼は遥か眼下の地面へと墜落した。

 

 粉塵を上げる勢いで地面へと落下し、床を砕いた飛竜のダメージ総量は甚大なものだった。
 不覚を取る……もう随分と経験なくし久しい感覚だが、久方ぶりに味わってみてもやはり愉快なものでもない。
 全身至るところに生まれた負傷。内部の骨も何本か折れていることだろう。辛うじて命に別状はないものの、重傷であることには何の変わりもない。
 だが――それでも任務達成の為には許容範囲内だ。
 自らのコンディションから任務の続行は『困難』であれ、それでも『不可能』ではないと判断したからこそ、痛む体を無視して飛竜は立ち上がった。
 ……尤も、この任務だけは例え続行が不可能と判断される負傷を負ったとしても、命を捨てようが諦める気もないものなのだが。
 どちらにしろ、行動に支障なし。そう判断しながら立ち上がった飛竜は直ぐ傍らに自分以外の人間がいることに気づいた。

「……管理局の魔導師、か」

 バリアジャケットを身に纏っていること、あの化物にやられたのだろう負傷しているその姿から、飛竜はそのように判断した。
 共に年の頃は自分と同じくらいか。どちらも酷い傷を負っていて、特に白い服の栗色髪の女の方は一目で分かるほどの重傷だ。
 だからといってどうというわけでもなく、そんな先客がいたということだけ認識すると、飛竜はそれきり興味を失ったように彼女たちから視線を外すと前へと向かって歩き出す。

「――あ、あの!」

 そこでどういうわけか後ろから呼び止められる。
 戦闘中でもある。無視すれば良かったし、普段の自分なら間違いなく無視していたはずだ。
 だからこそ自分でも訳が分からぬと己のことを呆れながらも、しかし飛竜は彼女たちへと振り向いていた。
 声をかけてきたのは白い女を抱きかかえている金髪の女の方だった。

「……あなたは……?」
「…………」

 答える必要性すらないような下らない質問だった。この状況で自己紹介も何もそんな余裕もなければ興味もない飛竜は、女の質問を無視しながら無言で再び歩き出した。

「待って! 待ってください!」

 再び呼び止められる。いい加減、煩わしいのは言うまでもない。
 冷徹に感情の機微を可能な限り抑制するのが飛竜という男だ。非常時を差し引いてもそんな自分を僅かながらも苛立たせられるなら、それは大したものだと珍しい感心すら憶える始末だった。
 当然、立ち止まらないのが正解だ。そうあるべきだと自身に課していたし、今の自分はこの状況ではそれを貫かねばならない。
 だから今度は立ち止まることなく歩を進める。
 それでも女はならばと呼び止めるのではなく、そのまま彼の背へと声を飛ばしてくる。

「逃げてください! このままアレと戦っても勝ち目はありません!」

 呆けたような相手なのかもと思っていたが、意外にも冷静な思考が保てているらしい。
 彼我の戦力差を判断し、勝ち目はないと見抜いて撤退を促す。
 女の警告と判断は、状況的にも常識的にも確かに正しかった。女への評価を上方修正しながら、その警告そのものは飛竜とて認めていた。
 しかし――

「待ってください! 無謀です! 戻って!」

 語気を強めかかってくる警告。
 飛竜がそれでも無視を決め込み、戦いの場へと向かおうとしているから叫んでいるのだ。
 しかし言葉では埒が明かないと判断したのだろう。次に女が取ってきたのは随分と度胸のある強硬手段だった。
 歩を進めていた飛竜の足。そこに唐突に環のような拘束具が現れ、彼の足を拘束してしまったのだ。
 不意打ちにバランスを崩しかけるも踏ん張ってそれを意地。ただ飛竜は鋭い視線を立ち止まって女の方へと振り返り向ける。

「邪魔をするな」

 邪魔をするなら殺す。言葉にこそ出さなかったが明確に発し向けた殺気でそれを察したのだろう。女の表情は更に強張った。
 茶番に付き合う暇はない。この女も動力炉で会ったあの馬鹿げた女の同類だったのかと判断した。
 ならば脅したところで屈することはないだろうと判断。その辺りの理解は先の女を相手に珍しい敬意と共に察していたのだ。
 飛竜はサイファーを一閃。足を縛る拘束具を難なく切り裂く。
 女はそれに驚愕したようで、それなら武器を振るう腕を拘束しようとしてくるが生憎とその思考を飛竜は既に読んでいた。
 一度歩いた距離を駆け戻るなど、それこそ自らを間抜けと証明しているようで馬鹿らしくも思ったが、しかし邪魔をする以上は排除せねばならないのだから仕方がない。
 実を言うと魔導師との戦闘は初めてでもないし、その対処法も訓練と実戦を通して叩き込んでいる。
 相手の常套手段――バインドは既に読みきった対処であり、問題なく駆け抜けながら設置型のトラップすらかかることなく突破する。
 女が驚愕の表情を浮かべながら、こちらが向かってくるのを対処しようと動きかけるものの、間合いを詰めた飛竜の方が遥かに速い。
 そのまま女が動くよりも先にその首筋ギリギリにサイファーの刃をピタリと押し当てた。
 女の表情と身が強張る。こちらの武器がどういうものか理解しているのだろう。話が早くて助かった。

「死にたいか?」

 だからこそ冷酷に、たった一言脅しとしてそう告げた。
 対する女はしかしそれに対して強張った表情こそ変わらないが、それでも毅然とした態度でこちらを見返しながら、

「死なせたくないんです」

 ハッキリと意地でも譲らないというような意志を垣間見せながらそう返してきた。
 その彼女のデジャヴを覚えるような態度に、またかと飛竜は内心で呆れの溜め息を吐いた。

「……貴様も素人か」

 らしくもなく呟いたこちらの言葉。聞き拾い意味が分からないというように問いかけたい相手の態度を無視し、再び実力行使が必要かと判断した。
 問答無用で黙らせる。無駄な体力は使いたくないが、邪魔をされればこちらの任務遂行の可否も関わってくる以上は放置も出来ない。
 故に相手の意識を奪うべく行動に移ろうとしたその時だった。

 上空から再びこちら目掛けて降り注ぐように迫ってくる雷弾の嵐。

 どうやら茶番に時間をかけすぎたらしい。加え、神気取りでありながら度量の狭いあの男が痺れを切らしたのだろう。
 女の相手をしている暇もなく、素早く飛竜は彼女の傍たるその場から飛び離れる。
 雷弾は女よりもむしろこちらを狙ったものだったのだろう。
 まるで追尾するようにこちら目掛けて迫ってくるそれらを切り払いながら、丁度良いと女へと最後に視線を向けて一言だけ告げてやった。

「貴様の方こそ、そちらの女を死なせたくないなら早く逃げるんだな」

 別に彼女たちがどうなろうが知ったことでもなかったし、それこそ自分らしくもないまるで他人に対する気遣いめいた発言だった。
 言った傍から自分自身で不機嫌になりながらも、飛竜は以降、彼女たちの存在など忘れたように振り返ることもなく、雷弾の嵐を凌ぎながら、冥王を目掛けて駆け出した。

 

 結局、眼前の青年を止める事もできず。
 恐慌状態から咄嗟に立ち戻ったものの、それでも管理局員としての責務を果たせず、あの部外者の青年を危険の渦中へと向かわせてしまった。
 加え……肝心のなのはの問題は青年に言われた通り、あまり猶予のない危惧すべき問題だった。
 管理局員として、このまま冥王も青年も放置してはおけない。
 しかしフェイト・テスタロッサ個人としては、なのはを死なせるわけにもいかない。
 非常識なあの化物に向かっても勝機はない以上、なのはを連れて一刻も早く撤退するのが正しい判断であるはずだ。
 しかしここであの青年を止めなければ、確実に殺されるだろう。
 二律背反の苦悩がフェイトを蝕む。公私が対極を指すここで自分は本当に正しい判断が出来るのか。
 それこそ思考放棄を選びたい気分に本気でなってきたその時だった。

「……フェ、イ…ト……ちゃ…ん……」

 抱きかかえているなのは。意識を失っていたはずの彼女がこちらに対して目を開けながら精一杯に微笑んでくる。
 なのは、と名前を呼びながら強く抱きしめたかったが傷の負担になると咄嗟に判断してそれを押さえ込んだ。
 そんなフェイトに対して、なのはは優しい微笑みを崩すことなく言ってくる。

「……迷っちゃ……駄目だよ。……私たちは、私たちに……出来ること、しないと……」

 そう言ってなのはが見上げるのは頭上の巨大な異形。
 そしてそれを操る冥王だ。
 あれを放置するわけにはいかない。あの男の野望は止めなければならない。
 その為に、自分たちは此処に来て戦ったはずだ。

「……大丈夫……私……まだまだ……戦えるよ」

 そう言って支えられていたフェイトから離れ、レイジングハートを杖に自力で立とうとする。
 見ているだけで危うく放っておけない姿だ。だがそれでも意地を通そうとする不屈の意志が彼女の姿から垣間見られた。
 これはどう考えても本来は止めるべき無茶だ。
 だが――ここはそれでもその無茶を通さねばならない場面でもある。
 それを通さなければ……今ここで冥王を倒さなければ、きっと掛け替えのない多くのものが彼の我執によって踏み躙られる。
 そんなことは絶対にさせるわけにはいかない。
 だからこそ――

「戦おう……フェイトちゃん」
「……うん、分かった。なのは」

 最後までここで彼女に付き合おう。
 かつて彼女がそうしてくれたように、今度はそれが自分の番だ。
 それがなのはの願いなら、翻ればそれはフェイト自身の願いでもある。
 一人ではないのだ。自分たちは二人だ。
 二人一緒ならば、こんな状態だろうとも決して負けはしない。
 それを信じるように、フェイトは立ち上がったなのはを傍らから力強く支えた。

 

 痛む身体を酷使しながら、それでもそれを表面に出すこともなく、雷弾の嵐の中をストライダー飛竜は駆け抜ける。
 前へ、前へ、只管に前を目指して。
 狙いは最初からただ一つ。冥王グランドマスターの首、ただそれだけ。
 尤も、それを為すためにはまずこの邪魔な玩具の方から潰さなければならないようだが。
 流石に骨の折れる疲労感を飛竜は感じる。
 しかしストライダーの任務は絶対だ。その遂行を必ず果たすことこそが彼の矜持でもある。
 故にこそ――

 雷弾の嵐を掻い潜り、遂には異形の腕へと到達。飛びつくように捕まると同時。クライムシクルを突き立てて、一気にその上を昇る。
 これだけの質量の相手、弱点を狙わねば倒すことは出来ないだろう。
 この異形が機械と生き物の合いの子のような存在であることを考えれば、中枢部と思わしき頭部を完膚なきまで破壊すれば機能停止に追い込めるはずだ。
 そう判断したからこそ、遥か頭上の異形の頭部を目指して飛竜は駆け上がる。
 しかし――

「戯けが、余がそれを許すと思うか」

 駆け上がるその先、立ち塞がるように瞬間移動で現れたのは他ならぬ冥王。
 この男を切り捨て駆け抜け、一気に諸共殲滅させる。
 その勢いで冥王を目掛け飛竜が駆け上がろうとしたその時だった。
 飛竜が昇っているその腕。そして対にある反対側の腕からも。
 今度は雷と炎の渦が次々に生まれ、飛竜へと迫る。
 加え、頭上のアドバンテージを取るように冥王が次々と生み出す生物までもが大量に降り注いでくる。
 自身がオプションを用いて使う技――レギオンのお株を奪うようなその上からの攻撃に小さく舌打ちを吐きながら対処。
 駆け上がるその速度を僅かなりとも緩めることなく、飛竜は冥王の下僕、カドゥケウスの雷炎をサイファーを乱れ切りに振るいながら、弾き飛ばそうとする。
 ……尤も、それでもやはり勢いに負けるのか。
 堅牢とも言えるはずだったサイファーの剣戟による結界。だがそれを上回る質量で覆い圧壊させるようにレギオンと雷炎の嵐は飛竜に押し勝ち、再び遥か下方の地面へと叩き落そうとしてくる。
 何とか総てを途中で弾き飛ばし、振り払うも、既に目前まで詰めていたはずのカドゥケウスの頭部との距離は、落下によってみるみる離されていく。
 もはやこれは間合い外。飛竜のサイファーの刃はカドゥケウスには届かない。
 後は飛竜の墜落と同時に、再び集束砲による雨で消し去るだけ。
 そうほくそ笑みながら、グランドマスターが勝利を確信したその時だった。

「リミッター解除」

 落下しながら飛竜が呟くその言葉の意味に首を傾げたその瞬間だった。
 飛竜が届くはずもない落下中の際に、サイファーを悪足掻きのように振るう。
 無様とそれに嘲笑い吐き捨てようとしたグランドマスターだったが――

「――ガッ!?」

 思わず生まれた激痛と血塊を吐いたのは、彼にとって想定の範囲外たる異常事態。
 いったい何事かと目を見開き凝視し、そして冥王はそれを漸くに理解した。
 届くはずもないのに振るわれ続けている飛竜のサイファー。
 しかし、そうであるにも関わらず刀身が通常以上に輝きを放っているその剣先から振るわれるたびに何かが生まれ、それが上空たるこちらを目掛けて飛んでくるのだ。
 あれは一体何だと疑問を生じかけながらも、直接に身に受けたそのダメージより冥王は瞬時にその正体を看破した。

「貴様ッ! プラズマを――ッ!?」

 そう、飛竜は定められている以上の限界ギリギリまでサイファーの出力を上げ、余剰火力で発生しているプラズマを刃として飛ばして、飛び道具に活用していたのだ。
 それはサイファーの性能を一時的に上げる代わりに、以降にその威力をダウンさせる一時的なブーストであり、余剰火力のプラズマが逆流するように飛竜の身まで蝕む諸刃の剣なのである。
 だがそれでも、委細躊躇なく飛竜はそれをエネルギーが続く限り全力で幾度も雷刃を飛ばし続ける。
 発生するプラズマの雷刃が狙っているのは、冥王自身の身。
 そして――

 ――その冥王が背後で守るカドゥケウスの弱点たる頭部だ。

 身を挺し、そして力を発動させながらその飛んで来る雷刃を防ごうとするも、内幾発かはやはり防ぎ切ることが出来ずに、カドゥケウスの頭部に殺到するように突き立っていく。
 巨大な異形も痛みを感じるのか、雷刃が頭部を切り裂く度に身を震わす絶叫を上げ続ける。
 最強の白兵用兵装――雷光剣の限界を超えた出力による攻撃だ。
 このまま喰らい続ければ、それこそ未だ不完全であるカドゥケウスの頭部は破壊されてしまう。
 そうなればカドゥケウス自体の機能停止であり、それは総じて彼の神へと至る道の終焉でもある。

「やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 断じてそのようなこと許せるはずもない。
 だからこそ冥王は飛竜の暴挙を無理矢理にでもやめさせるべく、極大の紫電を彼に向かって撃ち出す。
 ここで一気にカドゥケウスを切り崩すことだけに専念していた飛竜は、その紫電が直撃寸前まで雷刃を飛ばすことをやめず――

「――ぐぅッ!?」

 結果として、その紫電を回避も防御も出来ずに直撃を受け、そのまま勢いよく地面まで叩き落された。
 それで漸く雷刃の猛威がやんだことを確認し、即座に冥王は被造物の安否を確かめにかかる。
 無残にも頭部のあちこちを根深く切り裂かれたカドゥケウス。辛うじて駆動に問題がないものの、あのまま後数度でも雷刃を喰らっていれば危ないところであった。
 内心でホッとしながら、グランドマスターはやはり早急にあの男は始末せねばならないと判じ、集束砲によるトドメをまさに実行に移そうとしたその瞬間だった。

『Thunder Rage』

 瞬間、今度は上空からカドゥケウスへと目掛けて叩き込まれたのは黄金の雷。
 何事かと振り仰いだ時にはしかし既に遅く。
 カドゥケウスの頭部――そこを目掛けて己がデバイスの矛先を向けていたのは二人の魔導師。
 既に排除したも同然。そう高をくくり捨て置いたはずの死に損ないの小娘ども。

「やめろ……やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 これ以上のダメージを与えられれば、それこそ本当にカドゥケウスは停止してしまう。
 それが分かっていたから冥王は絶叫と共に二人の射線上へと何とか立ち塞がろうとするも――

 

「大型だ。防御も固い」
「うん……でも私とフェイトちゃんの二人なら」

 かつて交わした憶えのある言葉を奇しくも今再び交わしあい、なのはとフェイトはそれぞれ構えるレインジングハートとバルディッシュの矛先を標的へと向ける。
 チャンスは一度きり。これで押し切れなければ後はない。本当に負けだ。
 だが彼女たちの表情には、不思議と焦りや不安の類はない。
 当然だ。だって一緒に戦ってくれるのは他の誰よりも信頼できる――

「――いくよ、なのは!」
「――うん、フェイトちゃん!」

 先に仕掛けたのはフェイト。三発のカートリッジロードと同時、先端に集束した雷撃を全力で解き放つ。

「サンダァァァ……スマッシャァァァァアアアアアアアアア!!」

 黄金の雷撃。それは狙い違わずカドゥケウスへの頭部に迫り――

「やめろ……やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 割り込むように現れた冥王が展開する障壁が、それをさせじと全力で受け止める。
 驚くフェイト。そして防御ごと撃ち抜くべく更なる魔力を込めるも、流石に相手も次元世界屈指の巨魁。猛然と展開する障壁はそれを撃ち砕かれんと必死に踏ん張る。
 ベストコンディションのフェイトならいざ知らず、今の彼女は消耗激しい重傷の身。余力の総てを振り絞ろうと足掻くも、それでも貫けない。
 ――そう、彼女一人だけならば。
 だが――

「ディバィィィン……バスタァァァァァアアアアアアアアア!!」

 彼女は一人ではない。
 肩を並べ、一緒に戦ってくれる仲間が、友がいる。
 全力を振り絞る高町なのはの加勢。桜色の砲撃がフェイトの黄金の雷撃と並行するように合わさって、冥王の障壁へと迫る。

「おのれぇぇ……ッ……おのれぇぇぇぇッ!!」

 亀裂が走る冥王の障壁。
 それでも尚、諦めることなく弾き返そうと迫る執念は、並々ならぬものである。
 だがそれでも――

 想いの強さならば、決して彼女たちも負けてはいない。

 否、むしろ……

「なぁ……にぃ……ッ!?」

 ありえぬと押されるように段々と亀裂が致命的になっていく冥王の障壁。
 Sランクレベルの砲撃を二つ同時に相手取る驚異的なその力も……だがやはり、それはたった一人のものに過ぎない。
 己を唯一絶対の神、そう信じて疑わぬ、他者を見下し道具のように利用するだけのただ一人の王。
 けれど相手取る彼女たちは違う。そう、二人。互いを信じ合える強い絆で繋がった仲間であり友である二人だ。
 それは例え個々の力において冥王に劣ろうと、

「なのは……ッ……行くよッ!」
「うんッ……せぇぇぇの――――ッ!!」

 二人束ねたその力なら、決して冥王を相手にすら劣るものではない。
 その事実を証明するように、黄金と桜色は合わさりあい、遂には巨大な極光となって冥王の障壁を穿つ。
 最後に信じられぬと冥王が目を見開いたのは、いったい如何なる理由でか。
 己が絶対と謳ったはずの力が破れたことか?
 取るにも足らぬと捨て置いた相手にこうして破れたことか?
 或いは――

「認めん……認めんぞぉぉぉおおおおおおおおおおお!!」

 このような結末、敗北など断じて認めん。
 そう叫びながらも、そのまま極光の渦へと貫かれ、背後の最高傑作たる被造物諸共に、冥王は吹き飛ばされた。

 

 飛竜のブーストを用いたサイファーでの猛攻。
 そしてなのはとフェイトの二人によるSランクレベルの集束砲撃。
 弱点たる頭部にあらんかぎりのダメージを与えられたカドゥケウスは――

「―――――――――――――!!!」

 生物として叫びにもならない……しかし明確な絶叫を上げながら、遂にその頭部が砕け散る。

「……余のカドゥケウスが……星への道が………」

 中枢を司っていた頭部を破壊され、機能停止へと陥ったカドゥケウスはそのままその異形の巨体を制御を失ったように虚数空間への海へと沈めていく。
 同じように砲撃で吹き飛ばされながら、外縁部に辛うじて引っかかりその場にしがみ付いていたグランドマスターは、そんな絶望の呟きを漏らしながら最高傑作の沈没を呆然と見ている他になかった。
 神へ至る……そのために必要だったはずの最後の鍵。次元世界を制覇するために創り上げた無敵の生物兵器。
 それが無残にも敗れ、撃ち砕かれていく。
 その光景は冥王自身の二千年にも及んだ見果てぬ夢の終わりでもあり。

「貴様らにそんな玩具は必要ない」

 その明確な幕引きを実行すべく、今死神がここまでやって来ていた。

 

 振り返るグランドマスター。
 絶望と恐怖と憤怒と憎悪……混沌とした感情の渦と彩られた老獪の視線が捉えたのは一人の男。
 ゆっくりと歩くような速度で絶死を告げる死神の鎌を構えながら近づいてくる暗殺者。

「飛竜……ッ!?」

 男の名を呼ぶ冥王のその声には、余人には凡そ測り知れぬ混沌とした感情が込められていた。
 グランドマスターの脳裏に瞬間的に過ぎったのはある一つの光景。
 “今”ではない“かつて”。
 同じようにこの場所で。
 一つの終止符を打ったはずの戦いがあった。
 その時、冥王は確かにそれに勝利した。その結果を持って今を創り上げ、不完全ではあるが神の座へと至ったのだ。
 憶えている……ああ、憶えている。
 忘れない。忘れるものか。
 あの光景を。あの勝利を。あの男を――――!
 今でも勝利の愉悦と、そして相反する消し去れぬ恐怖と共にハッキリと憶えていた。
 故に――

「貴様は本当に……“あの”飛竜なのか?」

 問い質さなければならない。ハッキリさせなければならない。
 あの日の勝利は、あの日の栄光は。
 本当に己を永遠の神として祝福するものであったのか……

「二千年の昔。余の前へ立ち塞がった……」

 飛竜の歩みは止まらない。
 歩みながら鋭利に絞り、研ぎ澄まされていく殺気も。
 何一つ窺え知れないその感情を消し去った眼は、何も告げることはなく――

「あの時果たせなかった任務を果たすため、今ここで余を殺そうというのか――!?」

 

 ――ただ……一閃!

 

 己が身体を両断する刃の感覚。
 二千年前に跳ね除けたはずのそれが、今回遂に逃れられなかったことを冥王は悟った。
 言葉にならぬ呻きを搾り出しながら、それでもグランドマスターは残る執念で己を滅ぼした怨敵へと手を伸ばそうとするも……

 しかし、それは届くことなく。


「飛竜より本部へ、任務――――完了」


 神の頂に上り損ねた魔人がその生涯最期に聞いた言葉は、二千年越しの達成を告げる宿敵の総てを終わらせる呟きだった。

 

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最終更新:2011年05月16日 20:37