渾身と呼ぶに相応しい最後の一撃。
それを放った直後のことであった。高町なのはがバランスを崩し、そのまま墜落しかけたのは。
フェイトもまた限界に近い疲労の蘇りにより、そう余裕のある状態でもなかった。しかしそれでも親友が目の前で墜落しかけたのだ。慌ててソニックムーブを発動させ、空中にて何とか彼女の身体を抱きとめる。
「なのは!? しっかりして!」
重傷の身である彼女へとそのような呼びかけを行うのは酷であることは承知の上であった。
だが状況が状況、最後の一撃に手応えがあったとはいえまだ全てが終わったわけではない。
既に崩壊まで幾ばくの時もないこの『第三の月の都』の現状もあった。
ここで力尽きて気を失っては、それこそ冥王諸共の心中と同じである。
それがなのはも分かっていたのだろう。荒い息、霞む意識、重傷の身であれど、それでも彼女もまた何とか自らの意識を手放さぬように奮闘していた。
否、むしろそれどころか……
「……フェイト、ちゃん……私のことは、いいから……」
冥王の捕縛を、とそれが最優先の使命であるようになのはの方から促してくる。
ここに自分を一旦放置し、先に冥王の捕縛へと向かえ。なのはのその意思にフェイトが一瞬躊躇いを覚えたのは事実だ。
しかし一瞬の逡巡の後、フェイトが決断したのは――
「……分かった。直ぐに戻ってくるから、ここで待ってて」
何の為にここまでやって来て、そして何の為にここまで傷ついてすら戦い続けたのか。
ここで親友の為と思って彼女の言葉に背けば、それはそのまま彼女の選んだこの結果に対する否定や侮辱になる。
そしてそれは、責任放棄の逃げとも同じだ。
それが分かっていた。理解していた。
だからこそフェイトはなのはの言葉に頷き返したのだ。
傷ついたなのはの身体を優しく瓦礫の壁へと預けさせた後、フェイトは振り返ることなく余力を絞った最速で、外縁部まで一気に飛び立つ。
最速で冥王を見つけ、そして捕縛するために。
その目的を持って外へと飛び出したその直後だった。
ストライダーの放つ一閃が、冥王の身体を横薙ぎに両断したのは。
それこそ一瞬、飛び出した直後に目に飛び込んできたその光景には目を見開き、思考すらも停止した。
明確な殺害現場、その目撃だ。
正当防衛云々だとか、そんな細かいこと以上にただフェイトが思考を取り戻した後に感じたのは、間に合わなかったのかというそんな思いだ。
いつの間にあの状況から先回りしていたのか、冥王暗殺をまんまと出し抜かれ成功されてしまった現実には彼女とて言葉を失う他にない。
彼女が捉える視界の先、両断された冥王が虚数空間の海へと堕ちていくその姿と、それを静かに見届ける暗殺者の姿だけが、スローモーションのようにゆっくりと進んでいく。
時間そのものが停滞してしまったかのような感覚、全力で向かっているはずなのに、自分の進む動きも、眼前に目指す目的地も、奇妙なほどに遅く遠く感じた。
漸くに辿り着いて着地した外縁部、既に冥王は落下し終え、暗殺者もまた悠然とした態度でこちらへと振り向く。
「……殺したんですか」
「ああ、殺した」
間の抜けたやり取り。自他共に認められるその光景に笑い出したくすらなってくる。だが当然それが彼女に出来るはずもなく、理性を総動員した使命感を奮起させ、対峙する自らの表面でそれを何とか保とうとした。
この光景をもしもう一人の親友たる八神はやてが見ていればどう思っただろか。
弾劾するように、激しくこの眼前の青年へと詰め寄ったのではなかろうか。
醒めているとも思えるほど妙に冷静になっていく思考の中で、そんな意味もない仮定の連想をフェイトはしていた。
だがやがてそれすらも現実逃避であると認め、フェイトは静かに振り切る。
そして管理局員として、ここで自分が成さねばならない務めをしっかりと思い返す。
「現場の重要参考人として、ご同行願いますか?」
口上は任意。しかしそう告げながらバルディッシュを構えるこちらの態度で相手もまた拒否権を認めていないことを理解したことだろう。
事実、青年はその彼女の言葉に答えるまでもないと言った態度で、ただ無言でその手に持つ雷光剣を構え直すのみ。
全てに対する決着は、もはや次で決まるのみ。
お互いに言葉はなかった。勝負は一瞬。それで全てが決まるであろうことは両者共に理解できていた。
取り決めの合図もない。ただ崩壊の兆しが激しくなるその中で、両者が対峙するその間合いの中間地点の爆発が互いの合図と化した。
奇しくも、まるで当然のように両者ともそれを同時に床を踏み砕くように前方へと飛び出す。
爆煙の向こう側、そこを突っ切って飛び出してくる相手の姿を想定しながら、両者はその互いの得物を持って勝負を決すべき振りぬき――
各所より爆発を上げながら、ゆっくりと主の末路を追うように虚数の海へと沈んでいく『第三の月の都』。
冥王の己が二千年の神の権威の象徴とも呼ばれた魔城。生み出した数多の戦争の犠牲を内部へと残しながら、塵へと還る様にバラバラに崩れながら沈んでいく。
管理局の次元航行艦の窓よりその光景を見届けながら、八神はやてはこの短くも激しかった戦争の終わりを実感した。
別に感動を覚えて涙を流すわけではない。犠牲は悲しいし、傷も痛む。けれどだからと泣くわけにもいかない。
自分は最後までこの結果をしっかりと見届ける義務がある。故に涙などで視界を滲ませれば、それは邪魔以外の何ものでもない。
だから涙を流すなど論外だ。
だというのに……
「……はやてちゃん?」
「ん? どうかしたか、リイン?」
「い、いえ……」
自分の方から呼びかけてきておいて、実に歯切れの悪いリインフォースⅡの珍妙な態度。いったいどうしたのかと思わず可笑しくなって笑みを浮かべてしまう。
だがそんなはやてに対し、リインは些か躊躇っていたようだが、やがて意を決すと共に思い切ったようにこちらの肩の上にまで飛び乗ってくる。
そしてただ優しくこちらの目元へとその小さな手を伸ばし、
「泣かないでください。はやてちゃん。リインがちゃんと付いてますから」
まるで安心させるように、あやすかのようなその言い分。母親じみたその言動にどういうことかと首を傾げようとしながら、そこで漸くに自分が涙を流していたのだということに気づいた。
ああ、情けない。自分は家長なのに。こんな無様な醜態を晒して末っ子にまで心配かけさせていたのか。
「……あれ? ほんまや。……何で私、涙なんか流しとるんやろな?」
きっとあのデリカシーの欠片もない忍者モドキに腕を折られたからだろう。
一応、痛み止めと治療はもう受けているのだが……しかしきっとそうに決まっている。
そう思い自分へと言い聞かしながら、これ以上の醜態は晒せないと必死に鼻をすすりながら無理矢理に泣き止もうと奮闘する。
自分が泣いていてどうする。むしろ自分は泣いている人間がいればそれを優しく慰めてやる立場だろう。
自分らしくない。そう思うからこそ、これ以上意地でも泣いてたまるかと本当に力技で泣き止んだ。
そんな意地っ張りなはやての態度に、リインは何を思ったのか。今度は可笑しそうに笑い始める。
最初こそ笑うなと彼女に対して頬を膨らませていたはやてではあったが、やがてはやてもまたどうでもいいと言ったように釣られて笑い出す。
戦争直後に不謹慎この上ない。気でも触れたような行為に、誰かに見られれば咎められるなと分かっていたので、何とか笑いを堪えようとしていたのだが……
しかしそれでも凡そ数分。リインと一緒にはやては結局疲れるまで笑い続けていた。
やがて、笑いを収めた後にリインより視線を外しながらポツリと、
「早う皆で一緒に帰らんとな」
「はい! 皆で一緒に帰るですよ、はやてちゃん」
末っ子の粋の良い返答にその通りだと頷き返しながら、漸くにはやてはそこで自分たちが生き残ったということ、そしてこの戦争が終わったのだということを受け入れられた。
きっとこの多くの掛け替えのない犠牲に対し、自分は傷跡を残すだろうし、或いは苦悩として振り返ることも出てくるだろう。
だがそれでも……
「これからいろんな意味で忙しくなりそうや」
「そうです。だから一生懸命頑張らないといけないですよ」
残っている問題は山積みであり、立ち向かうべき問題もまだまだ強大なものばかりだ。
しかしそれでも、生きてさえいればいつかはきっと何とかなるはずだと八神はやては信じていた。
それがどうしようもない楽観主義である。それくらいは自覚していたが、それでも。
「リインや皆が無事に生きててくれて良かった。……今はそれだけで、充分や」
願わくば、今日この日に抱いた後悔の多くを。いつか目指すべき未来の先で二度とは起こさぬ過ちの結果とするために。
八神はやては今のこの想いを決して忘れえぬよう、深く心へと刻みつけた。
こうして、後に“『第三の月の都』攻略戦”と呼ばれた戦争は、ここに幕を閉じた。
そして、それから――
例え世界を治める神が死んだとしても、それで世界そのものが終わるわけでもなければ、変わるわけでもない。
眠らない不夜城めいた眼下の摩天楼。その頂上より灯火の消えることなき歪な繁栄の象徴たる街を、ストライダー飛竜は静かに見下ろしていた。
傍らにはもはや共に背中を預けて戦場を駆ける戦友もいない。
まるで何も変わらぬ世界のようで、しかし実質は僅かづつではあるものの変化の兆しをこの世界が見せ始めていることを、飛竜は理解してもいた。
世界を裏より支配する冥王が潰え、彼の支配下にあった政財界の大物、犯罪シンジケートなどが軒並みに大打撃を受け、支配における影響をおおいに揺らがせた。
しかし無論のこと、古き支配者が倒れればその後釜を狙わんとするハイエナが現れるのは自明の理とも言えるものであり。
実際、この世界はかつてないほどの神の遺産を争いあう骨肉の争いめいた紛争を各所で起こしている。
当然のように政治が混迷し、秩序は乱れ、災禍が広がり、数多の犠牲が今も生まれ続けている。
世界を支配する悪者を倒せば、世界は救われハッピーエンドを迎える。そんなものは子供染みた物語の中以外にはありはしない。
今必然のように起こっている、このかつてない混迷の時代こそ、それこそ飛燕が忌避し続けていた姿そのものなのだろう。
結果はどうあれ、飛竜自身が自らの手を持ってその引き金を引いたのは事実である。
ならばその責任に対し、この男……飛竜はいったい何を思うのか?
「…………」
変わらず無言・無表情。薙いだ湖面めいた変化を窺わせぬその様子からは、余人がこの世界に対して彼が何を思っているのかは、到底理解することも出来ないだろう。
しかしそれは飛竜の側も同じだった。冥王を討ったのは“かつて”の己自身の責務を完遂するため。そこに他者の理解や同情は何一つ必要ない。
神のいなくなったこの世界で、その神を殺した男は、これから先のこの世界で如何様に生きていくというのか。
――不意に、携帯している通信機より呼び出し音が鳴り響く。
飛竜は静かに通信機を取り出すと共に耳へと傾ける。
本部よりの新たな任務の通達。例え世界が変わろうとしていても飛竜の成すべき事は何も変わらないと証明するかのようなその光景。
「――了解」
新たな任務の請負、それを承諾する旨の返答を短く返し、飛竜は通信機を切って仕舞う。
そして変わらぬように幾秒の間、摩天楼を見下ろした後。
これまでの全てを断ち切るように飛竜はその場より飛び立ちかけ――
『俺たちストライダーズに……本当に存在意義はあるのか?』
唐突に耳へと聞こえたその幻聴に、飛竜は珍しく行動を中断すると共に、ゆっくりと傍らへと振り向く。
そこで飛竜がその視線の先で捉えたのは――本当にらしくもない光景。
自分がこの手で殺した男――戦友たる飛燕の幻覚。
デジャヴを不意に憶えた理由を、彼は即座に理解した。
あれはいつの頃だったか。この摩天楼の上でいつか交わしたそのやり取りのことを飛竜は思い出した。
あの時に、相変わらずに素人めいていたあの戦友が、自分へと問い質してきたのと同じ問い。
あの自分は彼に向かって何と返したのだったか……?
ストライダーズの存在意義。そんなものは決まっていた。
「ありはしない」
あの時と同じ答え、同じ言葉を、同じように飛竜は返した。
幻はその言葉に対して、目を見開いた動揺を顕にする。
あれほど頑なに任務遂行に拘っておきながら、その言葉はあまりにも矛盾に満ちているだろうと、まるでそれを責めたてるように。
幻の飛燕の言い分は飛竜とて凡そ理解は出来ていた。確かに己の言葉と行動はあまりにも矛盾している。
ストライダーであることに拘りながら、ストライダーという存在を否定する。
度し難い矛盾であろう。しかしそれでも――
「俺たちストライダーズは、いつか世界にとって不要となる」
否、いつかは世界にとって不要とならなければならない。
ストライダーズという存在が不要になる世界を創らなければならないのだ。
存在価値を否定するために、その存在価値を全うする。
それは神の創る箱庭ではなく、人自身が自らの意志で勝ち取った結果としてだ。
しかしそこに至るまでには、これからも多くの問題が世界には生まれることだろう。
だからこそ、生まれてくる問題を自分たちが取り除く。
世界に続く混迷が、災禍が、人の世に蔓延り続ける限り、戦い続けるのが自分たちだ。
それがストライダーだ。
『……だが、それならそれはいつ終わる?』
飛燕の当然とも言えるその問い。
ストライダーズが必要となくなる世界。確かにそれは理想だが、しかし同時にそれは限り無く現実に遠い未来であることも間違いない。
確かに冥王は倒れた。彼の者の支配から脱却し、混迷を始めている世界だが、しかし一方で管理局を代表とする多くの次元世界より新たな支援が生まれているのも事実だ。
或いは、これから長く続くであろう混迷の世界の果ては、確かに新しいより良き世界へと変わるかもしれない希望もある。
だがそれは現実に見通しも未だ不鮮明な、何年・何十年・何百年先かなど誰にも分からない状態でもあるのだ。
それこそ、飛竜がこれからの生涯を戦い続けたとしても、或いは存命の内には見届けられぬものかも知れないのだ。
『それでもお前は戦い続けるのか?』
生涯の果てで振り返った時、それは本当に後悔をしない意義のある生涯となるのか。
到底そうは思えない。思えないからこそ、飛燕はそれを途中で止めてしまったのだろう。
冥王に従属する道を選び、より可能性の高いと信じた道へと賭けた。
飛竜と飛燕の違いがあるとすれば、そこなのだろう。
最後まで、己をストライダーとして貫けるかどうか。
飛燕にはそれが出来なかった。ならば飛竜は――?
「それが――ストライダーだ」
知れたこと、答えの見えた愚問であると、飛竜は幻のその問いを一蹴した。
幻はそれにも動揺をみせたが、飛竜はそれもまたくだらないと振り払う。
姿形を器用に似せ、思わせぶりに口走ろうが、これは己の作った単なる幻影。
既に己の答えは決まっているし、そしてそれは生涯変わらない。
だからこそ、今更飛燕の形を取ってそれを止める迷いが現れようとも、それすら否定して消し去るのみ。
これは己自身の答えを示す決着でもある。
それを証明するように、飛竜はサイファーを引き抜くと共に飛燕の幻へと向かって一閃。
切り裂かれ、消えていくその幻に、もはや飛竜は振り返ることすらもなかった。
そう、彼の生き方は既に決まっていた。
それは何者にも変えられないし、揺らがすことも出来ないだろう。
だがそれは同時に、彼自身の頑な生き方は変わらないが、同じように頑なな他者の生き方そのものを否定するというわけではない。
だからこそあの時――
一閃するように振りぬかれたサイファー。
それは八神はやての頭上ギリギリの壁を深々と切り裂いた。
それこそ首を刎ねられると思っていたはやては、現実としてそうならなかったことの方にむしろ驚いていた。
しかしそんなはやての様子も、飛竜は何ら意に介することもなく。
そのまま素早く相手の首に手刀を叩き込み、即座に意識を断ち切らせる。
「なっ――!?」
意外な幕引きに対し、意識を今にも失う最中で驚いている彼女へと対し、
「ならば精々、その生き方を貫いてみせろ」
彼女がそれをどうやって貫こうが知ったことではない。
素人の戦場に興味はない。ご大層な思想や信念は、その相応しい時と舞台で勝手に与り知らぬところで披露すればいい。
もしこの少女がそれを成し遂げる器だというのなら、必然としていつかそれは訪れることだろう。
ここから生き延びられればの話だが……
その程度が出来ずして、大言壮語は謳えなかろう。
だから出来るものならやってみろと一瞥だけを残して、気を失った八神はやての元を後に飛竜は重力制御室内部へと踏み込んだ。
勝負は一瞬だった。
チャンスは一度きり、切れるカードも一枚だけ。
だからこそ、ここでそれをモノにするために彼もまたその一撃に全霊を賭けた。
だが結果を言えば、そこにイレギュラーの要素が入り込んでしまったのも事実だ。
爆煙を切り抜け、視界の先に僅かに捉えた金色の影。
それを両断すべく飛竜はサイファーを横薙ぎに一閃する。
対するフェイト、彼女もまたその得物たるバルディッシュを迎え撃つようにこちらへと向かって振り抜く。
間合いは互角。振り抜く速度は僅かに……フェイトの方が上。
これまでの戦闘の連続で、流石に見えない部分で酷使し続けた身体の付加が顕著に現れたのか。
ベストのコンディションならばいざ知らず、この時の飛竜は流石に抜刀の速度でフェイトを相手に1テンポの遅れを喫した。
刹那の見切りの戦いにおいては、それは致命的とも言える結果だ。
(……ぬかったか)
だからこそ飛竜は、咄嗟に脳裏でこの現実が示す己が敗北を察し、静かに受け入れようとすらしていた。
だが――
振りぬかれる両者の一閃。
それは刹那の間を置いて、どちらを勝者へと選んだかをありありと証明させる。
刃を振りぬいた姿勢のままやがて力尽きるように倒れたのは――
「――くぅッ!?」
喀血と共に倒れ伏したのは――フェイト・T・ハラオウン。
先に刃を振りぬいたはずの彼女が、何故敗北したのか……
勝った側であるはずの飛竜の方が、解せぬその事態に思わず眉を顰めた。
直後、そんな飛竜の背後より轟く爆発音。
流石に近距離のことに、爆風が肌を叩く影響もあり飛竜もまたそちらの方へと振り向いた。
静かに見据えた彼の視線の先、そこで捉えたのは煙を上げて大破しているこの『第三の月』の各所に配置されている防衛機械の一体だった。
その鋼の筐体に爆発を起こさせた致命の傷として突き立っていたのは……金色の魔力刃である。
それを見て漸くに飛竜はこの結果の謎を察した。
「……俺を助けたつもりか?」
ハッキリ言えばそれは情けをかけられたに等しい行為だ。
背後の接近に気づかなかった己の失態そのものが間抜けの極みであったとはいえ、しかし事実眼前の相手に気を取られすぎて注意を割けずに見落とした。
背後からの機銃がこちらを狙っているのを、向かってくるフェイトの方は見えたのだろう。
だからこそ彼女は飛竜を切り伏せるはずだったハーケンセイバーを咄嗟に背後の機械を破壊するために飛ばしたのだ。
結果としてそれは、確かに飛竜の方が命を救われるという形となっていた。
だが解せない。命のやり取りを直前に行おうとしていた相手を彼女はどうして助けようとしたのか。
「……死なせたく……ない……って……言った、はず……です」
血を吐いて苦しげに倒れ伏しながら、それでも懸命に視線をこちらに向けようとしながら、搾り出した言葉でフェイトはそう告げる。
それは飛竜がそれこそ素人と断じたその甘いやり方の極致とすら言えたものだった。
無論、それが飛竜にとって到底理解できるような考えでないことも事実だ。
しかし……
「……借りは借りだ」
命を助けられたという結果がある。
流石にその借りを無視できるほど飛竜は道理というものを軽んじていたわけでもなかった。
だからこそ飛竜は倒れているフェイトへと近づくと共に、その身体を担ぎ上げる。
朦朧とする意識の中、それでも何をされているのか理解しているのかフェイトが驚きを顕にするものの、しかし飛竜は、
「借りは返す。脱出の手伝いまではしてやる」
ジタバタ動くなと釘を刺すようにそう告げる。
幸い……と言って良いのかどうかは不明だが、飛竜がフェイトへと放ったサイファーは、既にリミッター解除により出力の減退した状態だった。代名詞ともいえる無双の切れ味も既に失われ、プラズマもほぼ纏っていない状態の刃は、バリアジャケットによる防護とも合わさり、斬撃というよりは打撃で済んだ。
早期に治療を施せば、命には問題ない傷である。
治療云々は兎も角と置くとしても、ここで死なれては飛竜自身の矜持にも些か反する以上、さっさと彼女を連れて脱出へ動こうとしたその時だった。
「…ま…だ……なの、は……が……」
虚ろな意識の中、それでもこちらを呼び止めるようにポツリと呟く彼女の言葉に、飛竜は足を止めた。
そして即座に思い出す。この女ともう一人、そう言えばあの場により重傷な女魔導師がいた。
「仲間か?」
当然そうでろう問い返すまでもない愚問だった。
だが飛竜の問いに対し、フェイトは崩れかかって一刻も猶予もない惑星包括制御センター内部の方を必死に指差しながら……
「……とも……だち……」
必死に搾り出すように告げるその言葉は、見捨てては行けないと飛竜に言っているも同然であり……
あくまで借りはこの女個人に対してである。仮にも命を救われた対価に、同じように命を救ってやる。
本来ならばそれでチャラであり、それ以上は借りの範囲には含まれない余分なものに過ぎないはずだ。
だからこそ飛竜がフェイトの要請を命の危険を顧みてまで考慮してやる必要は、ありはしない。
そう、ありはしないはずだ。
だが……
――友達。
その言葉、単語は飛竜にとっても決して欠片ほども無縁であるというわけでもない。
むしろ自分はこの地で先程その因縁の清算を行ったはずだ。
だからこそ、フェイトのその言葉に飛竜が咄嗟にらしくもなく飛燕を連想したのなど、単なるくだらない感傷以外の何ものでもなかった。
ストライダーにとって、それはまったく不要なものでしかない。
だが、このフェイトたちは飛竜たちとは違う。
ストライダーでもなければ、彼が定義するプロでもない。
素人と切って捨てた……単なる甘いアマチュアたちだ。
「…………」
飛竜は無言のまま、クアットロより貰い受けたPDAを取り出し、起動させる。
この『第三の月の都』を脱出するための、現在使用できる最短ルートがそれには記されている。
女とは言え成人を二人。加えて彼自身の状態も負傷と疲労の激しい重傷だ。
これで果たして脱出には間に合うか……?
こんな思考や選択を選ぶこと自体が、本来はストライダー飛竜にあるまじき愚行とも言える行いだ。
しかしそれでも……
「死んだら所詮そこまでということだ」
死なない人間などいない。それは自分自身が良く知っている。
超人とはいえ飛竜とて生身。いつかは死ぬし、いつ死んでもおかしくはない。
既に生涯最大の任務は果たしている。ここで自分が仮に死んでも……それが自分の末路に過ぎなかったというだけだ。
それにこの程度のレベルの窮地は、今まで幾度も潜りぬけている。可能か不可能かと問われても、決して不可能というわけでもない。
ならば珍しくも……否、本来ありえぬこの気紛れ、最後に挑戦してみるというのもまた悪くはない。
それはストライダー飛竜の生き方ではない。
それはこの少女達のような、素人めいた甘い生き方だ。
しかし……
「あんた達みたいな生き方もある、か」
それくらいは、認めてやってもいい。
そして生涯に一度くらい、自分の手でそれを行ってみるというのも……
故にこそ、そうと心に決めた後の飛竜の行動は迅速だった。
フェイトを落とさぬようしっかりと担ぎ直しながら、PDAの図面を瞬時に頭に叩き込むのと同時に、
「貴様らに出来て、俺に出来ぬ道理もない」
高町なのはが残されている惑星包括制御センター内部へと、飛び込んだ。
『第三の月』とは異なる、本物の月を見上げながら、一瞬の追憶とはいえどうしてあんなくだらないことを思い出したのか。
それこそ飛竜自身にも分からぬことであれば、どうでもいいことですらあった。
あの記憶に新しい自身とそう歳も変わらぬであろう三人の少女たち。彼女たちがその後どうなったのかなど、飛竜は知らなければ殊更に興味を抱くわけでもなかった。
『第三の月』での戦争を生き残ったとはいえ、あの重傷だ。管理局の医療技術がどれ程のものか飛竜は正確には知らないが、それでも当分はベッドの上での生活を余儀なくされているだろう。
命あっての物種。あの程度の負傷で未来が拾えるなら、むしろ安いと言って良いくらいだ。
……どちらにしろ、彼女たちの以後がどうであれ、もはや自分とは二度と会うこともないであろうことを考えれば、記憶に留めて置く必要とてない。
借りは返し終えた。戯れも終了した。ならば刃を交えたこの記憶も、いつかはいずれ忘れ去ることなのだろう。
惜しむほどのものとは思っていない。だからそれ自体はどうでもいいのだ。
それでも尚、敢えてあの少女たちについてまだ思うことがあるとすれば……
自分とは異なるその生き方。あの少女たちもまた、それを最後まで貫けるのかどうかというくらいのこと。
それは飛竜の与り知る領分ではない。だからこそ、彼女たちがそれを貫こうが貫くまいが、それを飛竜が知る術というものはない。
ああいった表の舞台で輝く英雄となれる者たちと、闇の世に生きる暗殺者に過ぎぬ自分とでは、所詮生きる世界も違えば、見据えている未来も異なる。
本来ならば、交わることすらもなかったはずの道だ。偶然が生んだ運命の悪戯で、たまたまに道の途中が交差しただけに過ぎない。
彼女たちの生き方を否定をするつもりはないが、だからと言って別に羨むつもりもない。
これが自分の生き方であり、ストライダーを貫くことには矜持もある。
他の誰でもなく、飛竜自身が決めた道こそが、この生き方だ。
いつか自分という存在が、ストライダーズという存在が、その存在意義を終了するその時まで、刃折れようとも己はただこの道を進むだけ。
見上げていた月の浮かぶ夜空、飛竜はそれより視線を外し眼下の摩天楼へと再び向け直す。
己の舞台はこちらである。空は自らの領分にあらず。
遍く変わらぬ次元世界の空は、彼女たちのような翼持ち飛ぶことの出来る魔導師が戦場とすればそれでいい。
こちらはこちらで自らの戦場を駆け抜けるのみ。
――故に彼は“野を馳せる者(ストライダー)”
そろそろ行こう。次の任務が待っている。
それを理解すると共に、飛竜は躊躇うことなく輝き消えぬ眼下の摩天楼を目掛けて飛び降りる。
迷うことも、躊躇うことも、恐れることも一切なく。
いつかその駆け抜ける足が止まるその時まで、飛竜の戦いは終わらない。
――では、最後に語られざる舞台の裏の話をもって幕を閉じよう。
ミッドチルダ。首都クラナガン。
時空管理局地上本部――その最奥に位置する余人の立ち入りを禁じられた間。
そこに響く三者の老人の声があった。
「……冥王が堕ちた、か」
「左様。最後の古き神は潰え、旧暦の時代より長らく続いた旧き神話も終わりを迎えた」
「我ら人の手によって、か……」
異様。その空間を何も事情を知らぬ者が初めてこの場に足を踏み入れ目撃したのだとすれば、まさにそのように称するだろう。
殺風景とも呼べるほどの必要最低限の器具のみを配置され、開け放たれた広大な空間。
その最奥たる中心部。まるでそこに三席の玉座の如く君臨するのは三つのカプセル。
何がしかの液体に満たされたそのカプセルの中、そこに浮かぶようにそれぞれ存在していたのは……人間の脳。
ここは時空管理局最高評議会。最高位の特別執政権を有する次元世界最大派閥組織の幹部たちが席を有する場。
彼らカプセルに入り言語を用い会話を交わしている三つの脳。
彼らこそがその最高評議会のメンバーであった。
「思えば三百年。屈辱と欺瞞の日々であれ……長き時であった」
「ああ。これでかの冥王とも本当に終わりともなれば……感慨深いものがある」
「されど振り返ってはいられない。もはやこの次元世界に神は不要。先が見えた我らの終わりもまた近い。冥王の後を追う前に成し遂げねばならぬことがある」
即ち、それは人の手により創り出す悠久万世の楽土。
傲慢な神が生み出す先の知れた至福千年紀(ミレニアム)などとは訳が違う。真なる後世の万人のための救済だ。
システムは既に作り上げている。最大の問題でもあった対立派閥たる古き神も既に潰えた。
自らの終わりも差し迫っている以上、そろそろ計画は本格的な段階へと移る必要がある。
「惜しむらくは、我らが直接その眼を以て完成を見届けられぬことか」
「無理からぬことだ。我らは神ではない。神にもなれぬ。……そもそもこの三百年の無様な延命さえも本来ならば過ぎたるもの」
「人として総てを成し遂げ、人として人の世の礎となりて潰える。我らが最初から決めていたことだ」
三百年前。本来ならば終わりを迎えるはずであった旧暦の時代。
暗黒期と呼ぶに相応しかった無秩序と闘争によって血に濡れた終末の世界。
かの次元世界屈指の巨魁。後の禍根となるに分かりきっていた傲慢な神。その存在に頭を下げてまで、延命のお零れに縋りついたあの時の決断。
次元世界も時空管理局という生まれたばかりのシステムも、まだあまりにも円熟となるには程遠いほどに幼すぎた。
人はあまりにも知恵を知らず、滅びに走る愚者であった。
導くものが必要だったのだ、愚かな終わりを回避するため。そして神によって世界を好きにさせぬための対向せし牙が、砦となる存在が必要だった。
彼ら最高評議会と今呼ばれる者たちは、それを憂いて自ら人の身さえも捨てて礎と成ることに身を捧げたものたちだ。
「全ては終わり、そして始まる」
「旧き神話は終わり、旧秩序は一掃される」
「後は我らが提唱する新世界構造。これを以て人々を導く我らの後を継ぎし者を見定めるのみ」
その言葉と同時、総意を示すように脳たちの眼前に現れたモニタに映るのは一人の男。
管理局において表に出ることすらない、極秘扱いとされるかの人物の詳細なプロフィール。
「“無限の欲望”……ジェイルは本当にこれに値するか?」
「あれの我の強さは承知の上。その潜在的危険度も或いはかの冥王に比肩する可能性とて察している」
「……それでも尚?」
「多少の毒は目を瞑らねば仕方あるまい。所詮レジアスは傀儡。三提督も器ではない」
「……本当に、最後のやむを得ぬ代替案としてだな」
「然り。聖王が我らの望む形で機能しさえすれば、それで総てが上手くいく」
所詮、かのアルハザードの遺児とて、新世界に復活する正当なるベルカの後継者のために用意したオプションに過ぎない。
それに万が一、今度はアレが見果てぬ愚かな神の夢を見ようというのなら……
「その時は廃棄すれば良い」
その言葉と同時、次にモニターへと映ったのは、先のジェイル・スカリエッティとは容貌の異なる別の男だった。
「ゼストという牙もある。アレも道理と我らの見据える未来の尊さを分からぬほどに愚かというわけではあるまい」
鎖に繋いだ番犬の名を呼びながら、それが対抗手段であると示す。
だが――
「……しかしルーテシアを取引にでも使われれば?」
「あれも武人とは言え人の子。幼子を盾にされれば大義を見失う可能性もある……か」
「……確かに、危惧すべき面ではあるな。ならば尚のこと、やはりジェイルからもゼストからも目を離すべきではないな」
またしてもモニターが映り変わる。そこに映っていたのは先程の男たちとは一回り以上も歳が異なる、まだ十そこそこと言った年齢の幼い少女だった。
それが番犬を縛る鎖であるのと同時に、番犬の戒めそのものを解き明かしかねない存在にもなり得ることを彼らは理解していたのだ。
「“無限の欲望”……冥王すらも手にかけた親殺し。次に我らへ牙を向けぬ道理も無し、か」
むしろ充分にその可能性はあった。
否、冥王よりアレを貰い受けたその時より、彼らは誰よりもその危惧に対して敏感であったのだ。
「急がねばならぬ。悲願は目の前なのだ。ここでジェイル如きに躓くわけにはいかぬ」
「新たな牙を用意せねばなるまい」
「アテはあるのか?」
「一人、この上もない適任がいる」
その言葉と同時、次にそのモニターへと映った人物は……
「野を馳せる青き獣、か?」
「行方は? それにアレこそ金でも大義でも動かぬ男なのではないか」
「……交渉の必要があるな」
闇の奥。新世界創生のための会議を続ける最高評議会。
人として、人の世を憂い、人の世の礎となることを選んだ者たち。
だが、肉体すらも捨て去って、ただ脳だけとなってこの世にしがみ付くその姿こそ――
「――まさに人の成れの果て。……いやはや、浅ましき姿じゃないか」
こちらに情報を伏せ、秘密裏に始末を図ろうとしている最高評議会。
ドゥーエというお目付け役を通して、既に筒抜けだと言うのに……間が抜けているものの、涙ぐましい努力ではあると認めよう。
「いかがなさいますか、ドクター?」
傍らで別の作業を続けながら、しかしこのまま放置を許すのかと問うてくるウーノの言葉に、しかしジェイル・スカリエッティは可笑しそうに笑いながら、振り返って首を振るだけ。
「どうもしないさ。老い先短い老人たちの戯れ事だよ。今くらいは好きに夢を見させておいてあげようじゃないか」
取るに足らぬ些事である。まるでそう言い切る様に告げるスカリエッティ。多少の楽観視が過ぎるのではないのかというその態度には、流石に彼の補佐としてウーノは口を挟まざるを得なかった。
「しかし油断は出来ません。最高評議会が本当に“彼”と接触してしまえば――」
「――ああ、分かっているよ。今度は“彼”が私を殺しに来るかもしれないね」
それが分かっていてどうして、と自ら危険を招き寄せんばかりのスカリエッティの態度は、ウーノには到底理解できるものではなかった。
だがそれも仕方がない。ジェイル・スカリエッティは狂人なのだ。彼の細分化された狂気の一端を受け継ぐ雛形として生み出されたウーノとはいえ、スカリエッティ自身の総ての狂気が理解できるわけではないのだ。
そしてそれはスカリエッティとて望んではいない。我が子に確かに狂気を分け与えたのは彼自身だが、さりとてだからと言ってこの自分だけの狂気を例え娘とはいえ彼女たちに総て理解して欲しいわけではないのだ。
己は狂っている。その狂っている中で望んでいるほんの遊び心なのだ。彼が娘たちへと理解して欲しい己の狂気とはその程度である。
「ドクターはすっかりあの忍者モドキがお気に入りになられたんですね」
どこか呆れたように、ウーノの心中察すると言うようにそんな言葉を続けてきたのは、唐突に現れたクアットロである。
十二姉妹の四女。ナンバーズという個体の中で或いは最もオリジナルたるスカリエッティに近しい性質を持った彼女。
クアットロの言葉に、しかしスカリエッティは何ら恥じることもないと言った様子に頷き返すのみ。
「ああ、彼のことはとても気に入っている。それは間違いないね。……どんな形であれ、或いはまた逢いたいと思っている、それも認めよう」
そして或いは、次に逢える可能性のあるその関係こそが、自分が望んでいる理想的なものではなかろうかとスカリエッティは言ってくる。
当然、それが正気で言えることではない以上、確かにこれで彼が狂っていることが証明されたのは間違いない。
暗殺者に殺されていいから逢いたいなど……当然、ナンバーズたちに理解できるものではなく。
「認めるわけにはいきません。ドクターにかかる火の粉を払う……それもまた我々の役目です」
そう生真面目に言い放ちながら、次にこの場へと足を踏み込んできたのはトーレ。そして彼女の後に続くようにチンクである。
図らずも長期稼働中の長年の付き合いたる初期メンバーがここに集うこととなっていた。
クアットロは戯れのように言う。これでドゥーエお姉さまもいてくれれば勢ぞろいだったのに、と。
しかし彼女にも彼女のお勤めがある。そして、それはいずれ行動へと移り、実を結んでもらう必要となる大切なものだ。
故に彼女はまだここには帰って来れず、そしてそれも仕方のないことだ。
「もう直ぐ目覚める妹たちに、ドゥーエも逢いたがっています」
「なに、もうすぐ家族は一同に揃う。新世界へさえ旅立てれば、離れ離れになる必要も二度とない」
故にもう少しの辛抱に過ぎないと、ウーノの言葉にスカリエッティは答える。
そしてそれは同時に、当然ながらこれから彼が主催として行おうという『祭』を取りやめるつもりもないという意志表示でもあり。
その言葉にこの場に集う者たちの表情は一様に変化を見せる。
或いはその時の戦いに備えての決意の表情であり。或いはその時の惨劇を予想してみる愉悦の表情であり。
そして或いは――
「……ドクター?」
「……いや、何でもないよ。それより、君たちもその時に備えて、準備の方は抜かることのないように」
スカリエッティの指示に、心得たと言うように一斉に了承の言葉を返す娘達。
それに満足気に頷きながら、スカリエッティはゆっくりと再び後ろへと振り返った。
彼が振り返ったその先――そこに存在しているのは一つのポッド。
生命維持の為の調整液が波立っている中、確かにそこには一人の人間が眠っている姿があった。
「折角拾った命だ。せいぜい君も楽しんで付き合ってはくれないだろうか?」
意識もなく眠る相手からの返事は、当然の如くありはしない。
だがそんな返事など既にどうでもいいと言うように、スカリエッティの脳内ではその人物の『祭』の内での割り振りすら検討済みであったのだ。
「それにしても……折角、拾ってきてくれたトーレ姉さまの前で言うのも何ですけど、その人、本当に使えるんですかねぇ?」
「使えようと使えなかろうと、我々のすべきことは何も変わりはしないさ」
クアットロの疑うような水を差すその言葉に、しかし拾ってきた当人であるトーレの方がまるで何の問題もないといった態度で、そう答え返すのみ。
あの『第三の月の都』で、この人物を助けた理由とて、トーレにすればそれがドクターの命令だったからだ。
根本的な部分で、相手の生死自体は自分の管轄外に過ぎず、どうなろうがどうでもいいことなのである。
あの場では『サンプル回収』という命令だったから助けた。この人物がこれから先、目覚めた後にどう生きようが、或いはどう死のうが、それはトーレにとっては与り知らぬこと。
「ドクターに協力するのなら、我々の味方だ」
「敵対すれば?」
「当然、我々の敵だ」
「もし敵だったら?」
意地の悪い質問を続けてくるクアットロに、トーレはまるで愚問だというように一度小さく鼻を鳴らした後、
「その時は――私がこの手で排除する」
平然と何事でもないと言い切った。
一度は命を助けた誼だ。
死ぬべき時に死なせてやれずに生き恥を晒させた責任もある。
敗者の矜持を受け持つ者として、その責任くらいは自分が果たしてやるさと迷うことなく、同じように彼女もそのポッド中で眠る人物へと視線を向ける。
「まぁ、それは目覚めた後の彼の決断次第だろうさ」
どちらに転ぼうが別にいいのだ。
駒として有用に扱えるなら、喜んで自分たちは彼を迎え入れてやるというだけ。
仲間になってくれるなら、それはそれで楽しかろうとスカリエッティは笑うのみ。
「どちらにせよ、後には退けない」
沈黙を続けていたチンクが何を思ったか呟いたその言葉に、スカリエッティもその通りだと頷いた。
そう、既に賽は投げられた。これから指し手たちそれぞれの野心を胸に加速度的に進んでいくこの盤上は、もはや半端な妥協では終わることなどないだろう。
そうでなければ、少し邪魔だから先に退場願いたかったという理由だけで、先に排除した冥王に対しても、申し訳が立たぬというものである。
そう、冥王は潰えた。自らの限り無い欲望が喰い尽し、糧となってもらった。
グランドマスター。自分を生み出してくれた生みの親。
感謝も愛情もある。その喪失すらも子として悲しもう。
故に――
「神に成り損ねたあなたの夢。ならば代わりに私がそれを引き継ごう」
尤も、やり方と創り出す新世界の形と中身は同じものだと保証は出来ないが。
どちらにしろ、今よりこの時、この“無限の欲望”は勝手ながら冥王の後継者を名乗らせていただこう。
なべて親殺しこそを真なる自立と称すなら、この結果こそをその証明の形として。
「――だからこそ、君も一緒に私の『夢』へと付き合ってくれないか?」
その為に、わざわざあの死に逝くはずの場で助けてあげたのだから。
狂気は感染する。感染して膨れ上がり、より更なる悪性のものへと進化していく。
唯一絶対の神となることを望んだ冥王グランドマスター。
その狂気を限り無い欲望を以て喰い尽し、取って代わろうとしているジェイル・スカリエッティ。
この先、この狂気は更なる進化を遂げて引き継ぐ者が現れるのか。
或いは、その狂気そのものの連鎖を断ち切る者が現れるのか。
それはまだ、誰にも分からない。
“無限の欲望”がその狂気の瞳を持って見据える、カプセルの中で眠る人物――飛燕にも。
『第三の月の都』攻略戦――了
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