ティアナ・ランスター
羽生蛇村折部分校/校庭
初日/2時47分32秒
降り続けていた雨が鳴りを潜め始めた頃。ティアナが山の中で茂みを掻き分けていると、目の前に蔦に巻き付かれ、錆びついたフェンスが現れた。
その向こうには木の葉が散らばり、雑草が所々生えてはいるものの整備された地面が広がっている。
(……やっと着いた)
数十分かけてようやく人為的に作られた地面に到達したティアナは、それだけでほっと胸をなで下ろした。
フェンスに手をかけ、一気に飛び越える。
軋むフェンスを背に地面に降り立ち、周りを見渡すと、整備された地面は広場のように広がっていることがわかった。
広場は見たところさして広くなく、外周は黒く塗りつぶされたような夜の森に囲まれている。
広場の端には電柱が立っていて、そこの電灯にはか細い光が灯っている。あとは相変わらず雨音が響く夜闇が広がるばかりだ。
周りを見渡して、一際目を引いたのが、暗がりに佇む二階ほどはありそうな横長の建物の影。
案の定、建物の一階にあたるであろうところの一番端、窓らしき箇所から光が漏れていた。
(さっきの放送はあそこから流れてたのかしら)
広場には他に朝礼台のような金属製の台や、水飲み場らしきものがあり、奥に佇んでいる建物は、近付いて見てみると古びた二階建ての木造建築物だった。
雨除けの屋根が建物の壁面から飛び出ており、その下に出入り口であろう扉がある。
「……なにこれ」
しかし建物の扉はベニヤ板や角材などで頑丈に封鎖されていた。
それどころか、建物一階の窓はその全てが外側から廃材などを打ち付けられており、暗くて見にくいが二階の窓も同じように塞がれている。
「気味悪いわね……」
もともとこういう建物なのだろうか。まるで外部からの接触を拒んでいるかのような様相は、先程の放送と相まってより更に異様なものに思えた。
建物は静まり返っており、中からは何の物音もしない。
(誰もいないのかしら?いたらいたで不気味だけど)
ティアナは、板や廃材を打ち付けられた窓の中で、唯一光が漏れている扉横の窓に近づいた。
廃材が剥がれており、光はそこから漏れている。ただ窓の位置が高く、中の様子までは分からない。
どうやらここから入れるようだ。
(……入ってみるか)
さっきの放送に関する手掛かりがあるかもしれない。そうでなくても、この不可解極まりない現状に対して、多少なりとも調査が必要であると感じた。
なによりこの異様な状況で、一人の少女が大変な状況に置かれていたとしたら、レリックや仲間との再会よりそちらを優先するべきではないのか。
(私の思い違いだったらいいけど、そうでもなさそうだし)
そう思いながら、ティアナは少し高い位置にある窓のへりに手をかけて、跳び上がった。
その勢いで壁に足をかけて、廃材の間の穴に身体を滑り込ませる。視界に飛び込む光が、夜闇に慣れた目を微かに眩ませた。
中に降り立つとそこは、そう大きくない部屋だった。
本棚や、アルミ製の机が並んでおり、机上には本や筆記用具、辞典やファイルなどが置いてある。
壁には貼り紙が整理されて貼られていて、ここがなんらかの職場であるだろうことは想像がついた。
ティアナが進入した窓側の壁にはロッカーが並んでいる。目についたのは、その奥にあった使い古されている放送器具だ。
「やっぱりここから……」
『春海』という少女はここからSOSを送ったということになるのだろう。
では、あの幻覚の視界の持ち主である女性は一体、何者なのだろうか?その女性が少女を追い回していたという可能性も否めない。
(でもその人が犯人だとして、一人でこんな風に建物を封鎖することなんてできないだろうし……)
部屋の中の様子は、廃材を打ち付けられた建物の外観とは異なって、古びてはいるものの整理されており、
ついさっきまで使われていたような形跡さえある。
その様子からして、依然から封鎖されていたような建物ではないと言うことが分かった。
つまり、何者かがつい最近にこの建物を封鎖したのだ。
考えてにわかに背筋が寒くなった。
意図が分からない分、この状況が余計不気味に感じられる。
(……とりあえず、この施設が一体なんなのか分からないと)
しかし不気味な状況であるからこそ、機動六課、スターズ分隊の隊員である自分が動揺してはならない。今までもそうして来たのだから。
頭を切り替えて、情報を得るためにとりあえず壁にある掲示板の貼り紙に近付いた。
がさり
その時、何かの紙を踏みつけたような乾いた音が足元から聞こえてきた。
視線を下ろすと、何かが印刷された薄黄色い紙が落ちている。
拾い上げて見てみると、翻訳魔法がまだ効いているようで書いてある文字が読み取れた。
「……星を見る、会?」
拾ったのは『星を見る会』というイベントのプリントだった。
『「星を見る会」のお知らせ』という見出しの下にある詳細を読み上げる。
(羽生蛇村小学校発行。333年に一度すい星がやってくる!星空のすばらしさ、宇宙の不思議に触れてみよう!
ひにち、2003年8月2日。じかん、20:00~23:30。ばしょ、おりべぶんこう、こうてい。もちもの………)
プリントに書かれたいくつかの気になるワードを拾っていく。
(羽生蛇村って確かこの近くの村の名前よね?)
通信から得た、レリック反応があった現場の情報を思い出した。日本、××県、三隅郡、羽生蛇村周辺。
(羽生蛇村小学校はその村の小学校で、場所、おりべ分校……ここはその小学校の分校ってこと?
ということはこの部屋は職員室かなにかで……って言うか、この日にちって私達がレリック捜査で来たのと同じ……)
会の開催時刻もサイレンが鳴って、フリードから振り落とされたティアナが気を失った時間帯に近い。
(333年に一度の彗星……あのサイレンとなにか関係があるのかしら)
プリントを手に思考をしながら壁の掲示板にティアナは近付き、貼ってある掲示物をしげしげと眺めた。
村の広報紙や、学校の予定表などが貼ってある中、一枚の写真が目に止まる。
見てみると、幼い子供達と大人が三人ほど、にこやかに微笑みながら並んで写っている。
「……ここの生徒と職員ってところ?」
おそらくそうなのだろう。自分の予想が正しければこの中に『はるみ』という子供がいるはずだが、名前など勿論書いてはいないので手掛かりにはならない。
プリントを改めて見やる。放送の少女がここの生徒だとしたら、『星を見る会』のために学校に来ていたという理由ができる。
(ここが職員室なら他に……名簿とかあるはずよね)
そう思ってプリントをポケットの中にねじ込んだ。
並ぶアルミ机に歩み寄って、机の上を漁る。
教科書、図鑑、辞書……。
見る限り教材だらけの中、教員日誌を見つけてめくるも、書かれているのは取り留めのない内容ばかり。
最後に書き込まれた7月初頭のページを眺めてから、ティアナは日誌を閉じた。
(今は夏休み……か。元々人がいない中で『星を見る会』は開催されたのね)
取り敢えず日誌を机の上に置いて、一息つく。
机の上にお目当ての物は無い。
更に引き出しを開いていく。
「あ……」
一番上の引き出しに、紐で綴じられた黒い装丁の名簿がしまってあった。
取り出して開くと、グリッドが印刷されたページに名前が並んでいる。
(……あった)
『四方田春海』
少女はやはりここの生徒だったようだ。
となると、例の『星を見る会』に出席して学校に来ていた春海は、そこでなにかに遭ったに違いない。
サイレン、意識の途絶、放送、封鎖された学校、謎の幻覚……。
考えれば考えるほど頭の中に様々な憶測が浮かんでは消える。
(もうちょっと探索、してみようかしら)
まだ調査の余地があった。
建物の中は静まり返っており、外からしとしとと聞こえてくる雨音以外、なんの音も無い。
ティアナは、名簿を元通りの、机の引き出しにしまって、部屋にある薄緑色に塗装さるた木製の扉に向かった。
扉を少し開けると、そこには深い闇が広がっている。
ティアナは半開きの扉から顔を出して、部屋の外を覗き込んだ。
職員室から漏れた光で、その場がおそらく廊下であることが辛うじて分かった。
光に照らされた反対側の壁には窓があるが、そこにも外から板切れ等が貼り付けてあり、窓ガラスは全て割られて床に散らばっていた。
底のないように見える闇はそれによって光が一切入ってこないからだろう。
ティアナは意を決して、闇に向かって声を張り上げた。
「誰かいませんかーーー!?」
しかし声は闇に呑み込まれ、あとには外から微かに聞こえる雨音だけが残った。
ティアナは溜め息を吐いて、廊下に出た。
扉の真上には廊下に突き出た形で、『職員室』と書かれたプレートが設置してある。
明かりが点いているのはティアナのいる職員室だけらしい。
あとは廊下の壁に二つ程点いている非常ベルの赤い光と、廊下の奥には天井に近い場所に、緑色の光を放つ小さなプレートが見えた。
緑色のプレートには何かが書かれているが、ティアナには遠すぎて読めない。しかしそこが廊下の端であることは想像がついた。
外で見た建物の外観からして、この職員室が一番端にある部屋なのだろう。
(建物の大きさから考えると、廊下に沿って2、3は教室がありそうね。……せめて懐中電灯があればいいんだけど)
そう思いながら振り返り、もう一方の闇に目を向けていると、突如として鋭い頭痛が脳内を駆け抜けた。
「うぁっ!!」
突然の痛みに声をあげると同じくして、例の幻覚が視界をよぎる。
ティアナはぎょっとした。
その幻覚も先ほどと同様、誰かの視界のようなのだが、そこに映っていたのはまぎれもなく、頭痛に苦しんでいるティアナの後ろ姿だったのだ。
(う、後ろ!?)
驚いて振り向くと、強い光が目についた。目を細めて見ると、廊下にうなだれている男が立っており、キャップをかぶって、泥などで薄汚れた衣服を着ている。
光は手に持った懐中電灯から放たれており、電灯をティアナに向けたまま微動だにしない。
(な、なにこの人)
その姿を目に入れた途端、ティアナは心臓が飛び上がりそうになったが、あくまで冷静に振る舞おうとした。
「あの、ここの建物の人ですか?」
「………」
黙ったままの男は、キャップを深く被って俯いたままでその表情は見えない。
ティアナは男への警戒心を最大まで引き上げながら、語りかけ続けた。
「あなたは誰ですか?どうしてこんなところにいるんですか?」
呼び掛けに対して、まるで聞こえていないかのようになんの反応も見せない男。
ティアナはそれに苛立ちを覚えた。
「答えて下さ………」
その時、男が懐中電灯を持っていない方の手を、ゆっくりと顔の位置まで上げた。
「っ!」
男が上げた手に持っている物を見て、絶句した。
懐中電灯の明かりを受けて、鈍く光を反射しているのは黒い鉄の塊。
(け、拳銃!?)
ミッドチルダ、及び管理局が管理下に置いている世界では禁止されている質量兵器だ。
小型だが当たれば致命傷は必須。
ティアナが身を強ばらせるのと同時に男が肩を震わせた。
キャップの下から笑い声が漏れる。
「は はっ はは は はは」
声の調子もトーンも変則的な、気持ちの悪い笑い声。
固まるティアナを前に男は、俯いていた頭をゆっくりと持ち上げた。
「ひっ……」
露わになった男の顔を見て、ティアナの口から思わず引きつった声が漏れる。
およそ生きていると思えない青白い肌、生気の無い濁った目はそれぞれあらぬ方向を向いており、
その上、目や鼻や口からはとめどなく血液が流れ出ていた。
血液は頬から首筋まで伝い、懐中電灯の光をぬらぬらと反射している。
男は、血の溜まっている歯茎と唇をゆっくりと動かした。
「死 ねぇ」
途切れ途切れに紡ぎ出された言葉と同時に、男が銃口をティアナに向けた。
条件反射だろうか、気付けばティアナの身体は男が引き金を引く直前に、男の胴体に向けて動き出していた。
拳銃の発砲音と同時に男に体当たりを食らわせる。
腹部に強い衝撃を受けた男はそのまま床に転倒し、ティアナは男の握っていた拳銃と、衝撃で落ちた懐中電灯を奪った。
すぐさま立ち上がり、拳銃を男に向けて構える。
男は身体を持ち上げるように立ち上がり、背後に回ったティアナへと振り返った。
その動作全てが妙にゆったりとしている。
「止まりなさい!!それから両手を後頭部に組んで!!」
しかし男は、身体を不安定そうにゆらゆらと揺らすだけでティアナの言うことを聞いている様子は無い。
「聞こえないの!?両手を後頭部に乗せるのよ!!」
ティアナは、心中では顔から血を流した死人のような者に自分の言葉が通るとは到底思っていなかった。
だが焦燥感と恐怖故に、それ以外にやれることが思い浮かばなかったのだ。
男は相変わらずあらぬ方向を見ながら、魂が抜けたような呆けた顔を上げた。
そして息を思い切り吸い込む仕草を見せ
「お゛ぉお おおお ぉ ぉおお おぉお」
突如、獣のような叫び声をあげた。
神経を張っていたティアナは男の叫びに驚いて、肩を跳ね上げる。
その直後、がらり、と背後から木製の扉が開く音が聞こえた。
ティアナは拳銃を男に向けたまま、後ろを振り向き懐中電灯で照らした。
「は ぁあ あはぁ は あ はぁ あ」
そこには男と同じように肌は青白く、目と鼻から血を流している頭巾を被った初老の男が、荒く不規則な呼吸をしながら立っていた。
左手には懐中電灯、右手には錆び付いた包丁を持っている。
「ど、どうなってるのよ……」
片方では拳銃を向けられているにも関わらず、男が口角を上げて、歯茎を剥いてニヤニヤと笑いながらティアナににじり寄る。
もう一方からも、包丁を握った男がなにやら呟きながらじりじりと近付いて来ていた。
非常事態とは言え、管理局員が局の管理外世界で質量兵器を現地人に向けて使うとなると、まずただ事では済まないだろう。
男達の、光の無い濁った目を見やる。
(話を聞いてくれるような相手じゃないし……)
無闇に発砲はできない、しかし相手との対話も難しい。
職員室の扉は拳銃を持っていた男の向こう側にあるので、今すぐ学校から脱出するということは出来ない。
横目で壁を見ると、丁度、ティアナの横に教室の扉があった。
となるとティアナに出来ることは一つ。
男達に目を向けながらも、少しずつ扉に近付く。
懐中電灯を持った手で、扉の取っ手を掴み、一気に開いて身体を中に滑り込ませた。
すぐさま扉を閉め、目に付いた鍵を急いで掛ける。
振り返って周りを見渡すと、教室には小さな机と椅子がいくつか並び、奥の壁には黒板が、その前には教卓があった。
教室にはティアナの入ってきた扉とは別にもう一つ、廊下に面した扉があり、ティアナは扉に走り寄るとそこの鍵も掛けた。
扉の磨り硝子の覗き窓からは、ぼんやりと懐中電灯の光が見える。
だんだんだんだんっ
直後に扉が激しく叩かれ、打撃音がやかましく教室内に響き渡る。
男達にどれだけの力があるのか分からないが、木製の扉では破られるのも時間の問題だ。逃げなければ……捕まれば殺される。ティアナはそう直感した。
(ホラー映画じゃあるまいし……なんなのよ!!)
心中で悪態をつきながら、なにか状況を打開する手だては無いか、と教室内を改めて見回す。
窓は例によって廃材等で隙間なく閉じられてあり脱出はできない。破壊しようにも、室内は閑散としていて、教室の後ろにある棚には使えるような道具は何も無い。
そんな中で、目についたのは教卓の横にあったアルミ製のドアだった。
ティアナはドアに駆け寄るとドアノブを回してゆっくりと開けて、向こう側を覗いた。
そこにはティアナのいる教室と同じような教室があった。
教室同士が、このドアで繋がっているようだ。
扉の向こうで男達が群がっている教室をそそくさと出て行き、ドアを閉めた。そしてなるべく音をたてないように教室の奥の扉に近付いて、静かに扉を開ける。
恐る恐る廊下に顔を出すと、先程ティアナの入った教室の扉に、男達が殺到していた。
どこから現れたのか人数が二人ほど増えており、その二人も生気の無い顔に目から血を流して、各々が鎌や金槌を手に扉を叩いている。
(一体何が起こってるの……?)
身体を支えきれていないかのように不安定な動きをする男達は、まるで映画に出てくるゾンビのようだ。
違いと言えば唯一、物を扱う知能は残っているということだ。
(……こんな小さな学校じゃ、どこかに籠もってても見つかるのは時間の問題だし、ここにいてもどうにもならないわね)
教室の窓はどこも頑丈に塞がれている。破壊しようものならその音を聞きつけられ、あっという間に捕まるだろう。
なにか打開策は無いかと、ティアナは廊下を見渡した。
教室とは反対側の壁、ティアナの目の前にはちょうど男子トイレと女子トイレが並んでいる。
更に近くには、さっき職員室から見た天井辺りで光っている緑色のプレートがあった。
そこには『非常口』という文字と扉から出て行く棒人間が描かれている。どうやらティアナのいる教室が、校舎の端に位置しているらしい。
そのプレートのすぐ近くにアルミ製のドアがあった。
(『非常口』、か。一か八か行ってみるしかないわね)
改めて振り返ると、男達は相変わらずティアナがいた教室の扉に群がっている。
(……行くなら今しか無い)
機を見て、しゃがみながら廊下へと出て行った。
男達は自分達が叩いている扉の音がうるさくて、ティアナの足音には気付かないだろう。
『非常口』のドアはティアナのいた教室から見て、二階へ上がる階段を挟んだ位置にある。しゃがみながら急いで階段を素通りして『非常口』に向かい、ドアノブに手をかけた。
(………ウソ)
しかしドアノブが回そうとしても、ビクともしない。鍵が掛かっているようだ。
(信じらんない、どうしろって言うのよ……)
ドアの前で、ティアナは深くうなだれた。横からは扉を殴る音が絶え間なく聞こえてくる。
強行突破、は難しいだろう。もしあの四人に囲まれたら持っている農具で袋叩きに遭うに違いない。
ふと、こういう時相方のスバルがいたら……とも思った。
フロントアタッカーで格闘が主体の彼女ならこういう状態を打開できるのだが。
(……駄目ね。今いない人間にすがっちゃうぐらいじゃ、スターズ隊員としてもセンターガードとしても笑われちゃうわ)
そう思うことで、弱気になり掛けた自分を奮い立たせた。
『非常口』の横には、木造の階段が闇に向かって伸びている。
(……少なくとも一階に留まるのは危険だし、こうなったらこの校舎から出られそうなところを隈無く探すしか無いわね)
決心したティアナは後ろで男達が扉に群がっていることを確認して、階段を静かに駆け上った。
踊場に出てから折り返すように上に伸びる階段を上がって、警戒しながら二階の廊下を覗き込む。
少し遠くに、懐中電灯の明かりが見えた。金属バットを手にこちらを伺っているように立っている。
懐中電灯の逆光で顔は分からないが、およそ下にいた男達と同じにまともな人間ではないのだろう。
現状ではそうとしか思えないし、警戒するに越したことはない。
二階も一階とほぼ同じような構造らしく、階段横に教室の扉があった。
(下みたいに教室を伝って向こうへ行けるかも……)
バットを持った人間に注意を払いながら、近くにあった教室の中に入っていく。扉を閉め、息を潜めて誰もいないことを確認してから懐中電灯を点けた。
やはり一階と同じく教室の後ろ、荷物棚や掃除ロッカーの設置してある壁の端にドアがあった。
ドアを抜けて隣の教室に入るが、相変わらず窓は廃材でびっしりと埋め尽くされていて、逃げ場は無い。
(やっぱりここも駄目か)
使われていないのか、他の教室と違い、椅子や机が綺麗に後ろの壁に並べてある。
こうなると、後は一番奥の教室に行くしかないのだが……
がらり
その時、誰かが教室に入って来た。咄嗟に教卓の影に身体を滑り込ませ、息を殺す。恐らく廊下にいたバットを持った人物だろう。
足音と共に床が軋み、懐中電灯の明かりが教室内を撫で回すように照らしていく。
(頼むからこっちに来ないでよ……)
教卓の中で縮こまり、神経を尖らせながらティアナは願った。
「はる み ちゃ ぁん、い るのか なぁ?」
不意に声が聞こえてきた。声の太さからして男性のものだろう。やはり下にいた男達と同じくしゃべり方が覚束ないようだ。
ティアナの頭の中で男の言った言葉が引っ掛かった。
(は、る、み、ちゃん……はるみ?)
名簿で見た、放送の少女と思われる『はるみ』という名が男の口から飛び出た。
ティアナは驚き、機を見て教卓から顔を少し覗かせると、向こうで頭の禿げ上がった初老の男性が、金属バットを片手に懐中電灯で教室内を探し回っていた。
(あれは、確か写真にいた……)
職員室の掲示板に張られていた写真。男はその写真の中心で児童に囲まれながら暖かな微笑みを浮かべていた。
(ってことは、あれって感染とかするの……?)
新種の病原体による症状かなにかなのか、この学校にいる人間は一様に血の気が無く、目や鼻から血を流しており、更には凶暴化している。
(道具を持ってたり、微かに喋る辺り知能は残ってるみたいだけど……どちらにしろ話は通じなさそうね)
さしずめ『春海』は、『ほしを見る会』で学校にいた時に襲われたのだろう。
(これはレリックどころの話じゃ無くなってきたわね)
いつもガジェットや戦闘機人を送り込んでくる相手側によるものなのか、それは分からないが、
とりあえずティアナは、自分がとんでもない状況の中に置かれているということを理解した。
(行ったかしら……)
いつの間にか獲物を探して揺らめく懐中電灯の光が消えていた。耳を澄ませると、教室からは何の音も聞こえない。あの男の激しい息遣いも、歩行により床が軋む音も無い。
静寂の中、ただ雨が降る音が微かに聞こえてくるだけだ。
ティアナは恐る恐る教卓から顔を出した。ただでさえ暗い夜なのに窓が閉鎖されている教室内には深い暗黒が広がり、一寸先も見えない。
懐中電灯のスイッチに指をかける。かちり、とスイッチが入り、明かりが点いた。
「見 つけ た ぁ」
目が合った。
見開かれ血走り、濁りきった瞳。ティアナの眼前には男の顔があった。目から血は流れ、死体のような肌をした禿げ上がった男はティアナを見て、歯を剥いて笑ってみせた。
「―――――――!!!」
声にならない悲鳴をあげて、ティアナは飛び退いた。勢い余って壁に背中を打ち付けたが、それどころではない。
男はニタニタと嫌らしい笑顔を携え、金属バットを握り締めながら立ち上がった。
ティアナも壁に寄りかかりながら、なんとか立ち上がり、男から離れようと後退りをする。
男は怯えているティアナを楽しげな表情で見据えながら、金属バットを頭上に振り上げた。
「ふ ぅん゛!!」
男はティアナ目掛けて思い切りバットを振り下ろした。ティアナは咄嗟に左に飛んで避け、バットは黒板に当たって激しい音を教室に響かせた。
そこから男は間髪入れずバットを勢いよく横に振り、それは避けきれなかったティアナの二の腕に直撃した。
「ぁぐっ!!」
予想以上に重い衝撃に押され、ティアナは床に倒れ込んだ。右腕に熱と共に鈍い痛みが広がる。
男は、倒れ込み苦悶の表情を浮かべるティアナに跨り、けたたましく笑い出した。
(ヤバい……!!)
「い っはっは はは はっは は」
歪な笑い声を上げながら、男は再びバットを振り上げる。その目線は、ティアナの脳天をしっかりと狙っていた。
しかし次の瞬間。
ぱぁん
乾いた音が響き渡った。ティアナの左手には拳銃が握られており。そしてその銃口は男の頭部へ真っ直ぐに向いていた。
発射された弾丸は男の眉間を見事に射抜き、空いた風穴からは血がたらたらと流れ出している。
男は笑顔を浮かべ、バットを振り上げたままゆっくりと後ろに倒れ込んだ。
(し、質量兵器で、民間人を殺した………)
自己防衛に加え、相手が正常な状態では無かったと言えど、質量兵器を使って現地人を撃ち殺してしまった。
ティアナはよろよろと立ち上がると、自分の持っている拳銃を呆然とした面持ちで見つめた。
男はバットと懐中電灯を持ったまま仰け反った状態で死んでいる。
「……ッ!?」
ティアナはぎょっとした。
仰向けに倒れて死んだはずの男が、突然動き出したのだ。
素早くうつ伏せになり、手足を丸めて胎児のような格好でうずくまった。
ティアナはとっさに銃を向け、警戒しながら様子を見たが、男はそれきり動く様子が無い。
「……な、なに?なんなの?」
確かに額を撃ち抜かれたはずの男が、なぜいきなり動き出して身体を丸めたのか。
ティアナが動揺していると、下の男達が銃声を聞きつけたらしく、階段をぎしぎしと登る音が微かに聞こえてきた。
(とにかく今は逃げないと!)
ティアナは廊下に飛び出すと、位置としては一番奥にある隣の教室に向かった。
扉の上には『図書室』と書かれたプレートがある。ティアナは図書室に入ると急いで扉を閉め、鍵を掛けた。
室内には沢山の本棚と、閲覧者用の机や椅子が置いてある。念のためティアナは懐中電灯を消し、一番奥の本棚の影に隠れて様子を見た。
やがて複数の足音が扉の向こうから近付いて来た。どうやら隣の教室に入ったらしく、扉を開ける音が聞こえてきた。
(こっちには気付かないでよね、頼むから)
そう願いながら扉を睨み付けている矢先。
「……ぐっ!?」
鋭い痛みが頭の中に走った。これで三度目だ。再び幻覚が視界と聴覚を支配する。
―――いへぇ へえ ぇへ へへ―――
見えたのは汚れた軍手をはめて金槌を持っている誰かの視界。
視線の先には、先程ティアナが撃ち殺した男がうずくまっていた。
(……これってやっぱり他人の視界、よね?)
そう思った直後、頭の中がざわめくような感覚と共に、視界が切り替わった。
―――はぁっはは は はっはひぃ は―――
今度は懐中電灯と錆びた包丁を持った男の視界。恐らく一階でティアナを挟み撃ちにしようとした男だろう。
金槌を持った男が視界の端に映っており、視線はやはり丸まっている禿げた男に向いていた。
「……………………」
段々と勝手がわかってきた。どうやらこれは他人の視界を盗み見る能力のようなものらしい。
魔法とは違う、超能力。それがなぜ突然自分に備わったのかは理解に苦しむが。
頭痛を堪えながら、ティアナは試しに意識を集中してみた。すると視界は更に変わり、今度は鎌を持った男。一階の廊下を徘徊しているようだ。
(なんでこんな能力が……サイレンといい、アイツらといい、やっぱり全部関連してるのかしら?)
現状では何とも言えないが、とりあえず男達が図書室に入ってくる様子は無さそうだ。
ティアナは本棚に寄りかかると、大きな溜め息を吐いた。混乱して、頭の中の収拾がつかなくなっている。
「あぁ、なんでこんな目に遭うかな……」
勿論返事をしてくれる者は誰もいない。嘆きは暗闇に霧散した。
おもむろにティアナは拳銃を持ち上げてみた。改めて持ってみると、鉄の塊は意外と重かった。
(……質量兵器の使用、しかも普通じゃないとは言え民間人に向けての発砲……バレたら確実にマズいことになるわね。でも)
「今はそんなことも言ってられないわね。非常事態なんだし」
弾には限りがある。シリンダーに入っている弾はあと五発。
「全部使う前にこの事態を切り抜けなきゃダメ……か」
(……早くここを出て、なんとか六課と通信を取る方法を見つけなきゃ。クロスミラージュは、少なくとも今は諦めるしかないか。それにキャロも探さないといけないし……)
サイレンが鳴り響く時、錯乱して暴れるフリードに必死にしがみついていたキャロ。それが最後に見た彼女の姿だ。
(キャロ……無事ならいいんだけど)
もしかしたらあのまま無事に撤退して、助けを求めているかもしれない。
あるいは自分と同じように、どこかに落ちてあの化け物達に襲われているかもしれない。
後者の状態に陥っているキャロのことを考えると、ティアナはいてもたってもいられなくなった。
(早くここを出ないとね)
「っ……く……」
目を閉じて意識を集中する。再び『彼ら』の視界が映りだした。
―――はぁ っ は っはぁはぁ は っはぁ はっは―――
視界を切り替える。
―――あ゛ ぁぁあ゛あ゛ あ゛ぁああ―――
視界を切り替える。
―――くひっ ひひひは はっは っ―――
―――は ぁ はぁ、はぁ は あはぁ ―――
―――どこ ぉ に行っ た ん だぁ?―――
盗み見れる視界は全て校内にいる者ばかり。この能力にはどうやら、盗み見ることができる範囲にある程度の限界があるようだ。
視界の主達は皆校舎の中にいて、各々徘徊している。校舎内をまんべんなく懐中電灯で照らして回る化け物達はまるで見回りをしているようだった。
更に視界を切り替えると、今度は二階の廊下が映り込んだ。
――― は ぁ るみちゃ ぁ ん、 どぉこ で すかぁ ?―――
「……!?」
その声を聞いたティアナは驚きを隠せなかった。視界の主は手に懐中電灯と金属バットを持っている。間違いない、あの禿げた男だ。
(さっき死んだはずでしょっ!?)
確かに男の眉間を撃ち抜いた。それでかろうじて生きていたとして、動けるはずがない。ましてや立ち上がって歩き回るだなんて考えられないことだ。
まさか、治癒能力か?
(ありえないわ、そんなの……)
―――せ んせぇ と ぉ あそ びぃま しょ ぉ―――
しかし何事も無かったかのように、男は校舎内を徘徊している。
(本当に……夢でも見てるんじゃないかしら)
ティアナは疲れた顔をして、頭を抱えた。
(取り敢えず……今はここを出ることに専念するべき、ね)
手持ちは懐中電灯と慣れてない拳銃、しかも残弾が五発のもの。戦力としてはかなり頼りない。
窓に貼り付けられている廃材を再び調べる。やはりどこも頑丈に留めてある、と思ったが
「ん?」
懐中電灯で照らして見ると、角材で補強してあるベニヤ板とベニヤ板の間に、少し隙間が空いている箇所があった。
よく見れば周りに打ち付けてある釘も若干浮いている。衝撃を与えれば剥がせるかもしれない。
(……一気にやるしかない)
ティアナは深呼吸し、一度バリケードと距離を置いた。そして息を入れ、ベニヤ板に渾身の蹴りを放った。
べきゃっ、という音と共にベニヤ板が大きく歪み、釘が浮いて隙間が広がる。
(いける!!)
ようやく突破口が見えた。
しかしそれと同時に微かな頭痛が走り、幾つもの思念がこちらに注意を向けたのを感じた。校舎内に徘徊している男達が、音に反応したのだろう。
これも能力によるものなのか、だが気付かれたからには急がなければならない。
「ふッ」
もう一発。軋む音と共に再び隙間が広がる。
(これくらいまでいけば……)
そう思うと、ティアナは隙間に手を入れベニヤ板を思い切り引っ張った。べりべりべり、と剥がれていく感触が腕に伝わる。
ばきっ
そして遂にベニヤ板は大きな音を立てて剥がれ落ち、そこにはティアナが通るには十分な脱出口が現れた。
その直後、後ろで誰かが扉を開けようとしたのだろう。扉から、がたっと音が鳴った。しかし鍵が掛けられているため開かない。
完全に気付かれたようで、男達が中に入ろうと激しく扉を叩いている。
早くここを出よう、そしてキャロを探して管理局に戻り、この異変をいち早く解決しなければ。
……外もあの化け物達だらけだったら?そうだとしたら尚更早く問題を解決しなければならない。
ティアナは決意して、開けた穴から夜の闇へ、再び飛び込んでいった。
その先には深い絶望が待っているとは知らずに。
最終更新:2013年03月13日 00:35