ユーノ・スクライア
山中/ワゴン車内
初日/3時51分24秒
完全な闇の中、遠くから微かな風の音が近付いてきた。
その音が大きくなるにつれ、ユーノ・スクライアの意識も徐々に現実へと引き上げられていく。
「うぅ……っ」
強打したのか、酷く痛む頭を動かして、ユーノは意識を取り戻した。
重いまぶたを開けると、辺りは真っ暗闇に包まれており、何も見えない。
「ここは……?」
そこで自分が、レンタルしたワゴン車の運転席に座っていたことを思い出した。
それすらも一瞬忘れてしまうぐらいに、頭を強く打ったのだろうか。少し不安になりながら、気絶する前の記憶を手繰り寄せる。
(えっと……山道で車を止めていたら、確か地震があって、サイレンが鳴って………)
そこで気絶したのだろう、そこから先の記憶は無い。
車の中にいたにも関わらず凄まじい音圧を感じさせたサイレン。あの音響が今も耳の中に残っているかのようだ。
(あのサイレンは、一体)
地震を見計らったかのように鳴り響いたサイレンは、機械音というよりまるで獣の咆哮だった。
なにか自分の想像を超えた事が知らぬうちに起きているような気がする。嫌な予感がした。
(とにかく、暗くて何も見えないな……明かりを点けないと)
そう思い、その場しのぎに魔力光で辺りを照らそうと魔力を手のひらに集中する。
しかし、いつもはすぐに輝くはずのエメラルドグリーンの光は、一向に光らない。
「あ、あれ?」
それどころか魔力が集中する感覚すら無い。体内の魔力回路が機能していないかのような感覚だ。
焦りながら、他の様々な魔法も試しに行使してみた。
治癒魔法、シールド、思念通話……どれもこれも無駄に終わった。
「嘘だろ……?」
ユーノは愕然とした。どうしてこんなにも突然に、魔法が使えなくなったのだろうか。
AMF?いや、AMFならもっと違う、魔力を妨害されている気分の悪さが全身で感じられるはずだ。
これは魔法というもの自体を取り上げられたかのようだ。
魔法が使えないと分かった途端、ユーノは自分がただの人間にされたような気分になり、心細さと不安が胸中へと一挙に押し寄せてきた。
しかし魔法が使えない以上、どうにもならないことに変わりは無い。
(……なにかライトがあれば)
こういう時こそ文明の利器が活躍しなければならないが、エンジンは掛かってないから車内の電灯は点いていない。
キーを回してエンジンを掛けようとも思ったが、この暗闇の中で仮に車からガソリンが漏れていたとしたら、キーを回したところで車が爆発する可能性がある。
下手を打ってここで爆死など笑える話ではない。
(車内ライトは駄目か……そういえば懐中電灯があったな)
そう思い当たり、身体をシートから持ち上げようとして、何かに引っ掛かった。
シートベルトだ。
勢い余った身体に食い込み、空気が無理やりに肺から押し出された。
ユーノは何回か咳き込むと、溜め息を吐きながら暗闇の中、身体に食い込むシートベルトを手探りで辿り、シート脇にあるベルトの接続部を外す。
シートベルトから解放され、ユーノは手探りのまま運転席をまさぐった。
(えーと、どこだっけ)
ハンドル、ラジオ、レバーと探り、ダッシュボードに行き着いた。
取り敢えず開けて中に手を入れると、金属質で円筒形の物体に触れた。
(あったあった)
引っ張り出して、側面に付いているスイッチを入れる。明かりが点き、ユーノの身辺の状況が明らかになった。
「うわっ」
まずユーノは、フロントガラスから外の風景を遮っている前方に倒れた巨大な倒木に驚いた。
背後を照らすと、上から何か力が掛かったようで車内も僅かにひしゃげている。ユーノのいる運転席側の窓は土砂で埋まっていた。
外が見える助手席に身体をずらし、窓ガラス越しに懐中電灯を外へ照らした。
「これは……ひどいな」
周りには大量の倒木と土砂。車体はどうやら山肌にあるらしく、よく見れば車は若干傾いている。
「土砂崩れかな?」
思い出せば気絶する前は吹き付けるような雨が降り続けていた。土砂崩れはその雨によって地盤が緩んだ上に地震があったから起きたのかもしれない。
なんにせよ気絶しただけで車にも閉じ込められずに済んだのだから幸運だと思う。土砂に呑み込まれでもしていたら確実に死んでいただろう。
(……六課の子達はどうしたのかな)
レリックを巡り、ガジェットと戦闘機人相手に戦いを繰り広げていた機動六課の隊員達に思いを馳せた。
雨が止んでいる今、こんなにも静かだということは戦闘は既に終わっているか、あるいは途中で強制的に終わらせられたのだろう。
魔法が封じられている今、彼女達もまだこの村の中に残されている可能性は十分にあり得る。
(無事ならいいんだけど……。僕も早くここから出ないと)
魔法が使えないことに伴って通信も使えないので助けも呼べない。とりあえずは無傷だし、移動等には全く問題が無いので、外に出よう。
そう思い立ち、助手席側のドアに手を掛けた。しかし歪んでいるのか、なかなかドアは開こうとしない。
「仕方ないなぁ……」
そう言うと、ユーノは一息入れて、思い切りドアを蹴り上げた。鍵が壊れたような大きな音をたてて歪んだドアは開いた。
ライトを片手に、後部座席から手荷物のリュックサックを持ち出し、外に出る。
車から出た途端に若干の湿気を含んだ、夜に冷やされた空気がユーノを包み込んだ。
気絶する前に降っていた雨によって、辺りの土や樹木、木の葉は湿っている。
辺りはイヤに静かだ。木々が微かに揺らぐ程度に穏やかな風が吹いている。そして夏場の山奥であるにも関わらず、動物や昆虫の鳴き声が一切しなかった。
こういった場所は夜は夜で昆虫達がうるさいぐらい鳴き続けているものなのだが、まるでユーノ以外の生命が死滅したかのように、森の中は不気味に静まり返っている。
不思議に思いながら、ユーノは辺りを見渡すと、ふと、静寂の中で何かが聞こえてきた。
どこか遠くから微かに聞こえる。
(……ん?なんの音だ?)
目を閉じ、耳を澄ました。
よく聞くとそれは、さーっ、という波のような音だった。不規則な間隔で絶え間なく聞こえてくる。
(波音?まさかね……)
ユーノは笑いたくなった。こんな山々が入り組んだ内陸部で波の音などする筈がない。だが木々による枝葉の擦れる音とも違うようだ。
音がするからにはその発信源があるだろう。ユーノはそれを確かめたくなった。
音はどうやら、山の上の方から出ているようだ。
(ここの山はそう高くないし……ちょっと行ってみようかな)
その上山頂も近いので、とりあえず上を目指して登り始めた。
折り重なっている大量の倒木をまたいではくぐり、その合間をぬって、割となだらかな山肌を登る。
元々ワゴンを止めていた道らしきものも見当たらない。土砂に飲み込まれて消えてしまったようだ。
倒木達を頼りに、暗く先の見えない山肌をライトで照らしながら登っていく。登るに連れ、波音のような音が大きくなっていく。
十分程経ち、不意にぱったりと木が生えていない空間が、山肌を埋める木々の向こうに見えた。その向こうから波音が聞こえてくる。
(……?)
おかしい、ここは林業が盛んな村でも無く、周りの山々も木が切り倒されているようなことはない。
にも関わらず、木々の向こうには妙に開けている空間が広がっているようだ。
不審に思いながらも、そこを目指して再び登り始める。そして開けた空間にまで達して、ユーノは足を止めた。
と言うより、止めざるを得なかった。
「な、なんだよこれ………」
ユーノは、自分の目の前に広がる光景を信じられなかった。
日本の内陸部は山々が連なっており、羽生蛇村は都会から離れ、その中にひっそりと存在する村だ。故に周りには山しか無いはずだ。
しかし今目の前に、日本独特のなだらかな山脈は見る影もなかった。ただただ広大な夜闇が広がっている。
そして眼下に広がっているのは、真紅の海。
暗黒の中、血のような海が不規則に波を立てている様子が辛うじて見えた。そこから波音が、とめどなく聞こえてくる。
更にユーノが立っている場所は、切り立つ崖だ。
昼に通った時はちゃんとした山だったのに、今はまるで、山自体が中途半端なところでごっそりと削り取られたかのようになっている。
(ち、地殻変動?いやこれぐらいのレベルの地殻変動があったとして、あの程度の土砂崩れで済むはずがない。
そもそもこの赤い海は一体………?)
目の前の赤い海は、ユーノがいた『地球』の『日本』とは明らかに別の世界であることを物語っている。
(レリック?いやまさか……あれには破壊する事はあっても物体をどこかに飛ばすような事例は無かったし、
そもそも、山一つレベルの物質量を次元を飛び越えて転移させるだなんて、聞いたことも無い。
となると、やっぱりこの村にあった伝承が関わっているとしか……)
ユーノは日頃、時空管理局本局の無限書庫の秘書長を勤めている。次から次へと来る仕事で多忙な毎日を過ごし、ユーノは長らく休みを取っていなかった。
そのユーノがなぜ羽生蛇村にいるのかと言うと、日々労働に労働を重ねるユーノを心配した同僚や仲間達が半ば強引にユーノに休みを取らせたからだ。
突然与えられた休日に、ユーノはかつて世話になった管理外世界の地球に来ていた。
前から何度か文献で目に入れていた、怪奇現象や都市伝説などの噂が絶えないという羽生蛇村の存在に、スクライア一族としての血が騒いだのか、ユーノは強い興味を持っていた。
そして地球に来て、かつて世話になった高町家に挨拶に行った後、ワゴン車をレンタルして羽生蛇村に向かった。
交通の便もあり、羽生蛇村に入ったのは深夜。暫くして同僚から、レリックの反応を三隅郡近辺で探知したという通信が入った。
念のためと思い、ワゴン車の中で待機していたところ、深夜十二時になると共にサイレンと地震に襲われたのだ。
因みに機動六課の面々はユーノがここにいることは知らない。
しかし少なくともライトニングの面々も現世から消失しているとしたら、ユーノが巻き込まれたことも六課に間もなく知らされるのだろう。
(まさかこんな事がなのはの故郷の世界で本当に起きるなんて……。
それに羽生蛇村に伝わる海帰り、海送りの慣習。もしその海がこの赤い海を差すなら、あのサイレンは……)
「……とにかく山を降りて、村に行ってみるしかないか」
ここで考えていても仕方がない。
ユーノは不自然に削られたような崖を懐中電灯で照らして回り、そして踵を返して再び山を降り始めた。
多くの謎が隠されているであろう、まだ見ぬ羽生蛇村に向かって。
最終更新:2013年03月13日 00:41