ルーテシア・アルピーノ
田堀/切通
初日/4時56分28秒
明け方の空。
真っ黒に塗りつぶされたような空は、やがて昇るであろう太陽の影響で、今は真っ青に染まっている。
昨晩降っていた雨の名残で空気は湿っており、雨上がりの土の匂いが辺りに立ちこめている。
そして森の中は靄がかかっていた。
気絶から目覚めたルーテシア・アルピーノは森の中に切り開かれた道を、一人で淡々と歩き続けていた。
いつも傍らにいる召還獣達は、いない。
当たり前だ、召還魔法がまるで使えないのだから。
他にもドクター……ジェイル・スカリエッティやナンバーズ、ゼストやアギトとの通信が出来ないことも、召還はもちろん他の魔法の一切が使えなくなっていることも、既に知っている。
だがルーテシアは、それに対して多少は心細く思おうとも、決して不安とは思わなかった。
心を閉ざした少女は無表情を携えて、仲間の元にたどり着けるよう木々の間に開かれた道を、ただ黙々とさまよい続けるだけ。
「……っ」
不意に頭に鋭い痛みが走った。
眉間に少し皺を入れながらゆっくり目を閉じると、瞼の裏にビジョンが浮かぶ。
―――げ らげ ら げらげ らげ ら
誰かが森の中で、鎌を持ってけたたましく笑っている。ルーテシアはそれが誰なのか、どういう者なのかも既に知っていた。
目から血を流し、生気を失った人の形をしている化け物達。ここ周辺は、あの化け物達しかいない。
彼等に出会う度に隠れてやり過ごしてきた。そうしないと、襲われて殺されてしまうだろうから。
現在、一切の魔法を封じ込まれた自分はただの少女であり、あの化け物達には到底太刀打ちできない。
目が覚めてから何故か授けられていた他人の視界を盗み見る能力を使って、やり過ごすしかないのだ。
彼等は、おそらくこの辺りに住んでいる現地人だろう。
なぜああなってしまったのか、そして何故、自分に特殊な能力が授けられたのかルーテシアには検討も付かないが、同時に大した興味も無かった。
ついて出るのは、彼等のようにはなりたくない、という単純な感想。
ルーテシアにとって興味があるのは目的のレリックを集めること。
それと、強いて言えばアギトとゼストの安否が気になっていた。
(アギト、ゼスト……無事かな)
作戦のため、ナンバーズと共にこの村に出向いていた三人は各々で散らばり、それぞれの場所で待機していた。
そこを、突如として大爆音のサイレンが襲った。
ルーテシアが気付いたのは今からおよそ一時間程前で、それまでにどれほどの時間が経過したのかは知る由も無い。
「………………」
ビジョンで見た化け物の視界を見る限り、化け物がいる位置はまだ遠いらしく、念のため警戒心を強めながら歩みを進める。
その時、ルーテシアの横、森の中から、がさがさと葉が擦れる音が聞こえた。
「!?」
驚き、咄嗟に後ずさって距離を取った直後、誰かが道に飛び出してきた。
それと同時に若い女性の声がルーテシアの耳に届く。
「あっ!!びっくりした……」
そう言って現れたのは質素な服装の、現地人らしき若い女性。驚いた表情で息を荒げながらルーテシアを見ている。
二つ結びにしてある茶色がかった髪の毛と、衣服のあちこちには木の葉がくっついていた。
顔の血色はいいし、血の涙も流していない。見る限りはどうやら普通の、正常な人間のようだ。
「外国の、子供?なんでこんなところに……?」
ルーテシアを見た女性はいたく驚いたようだ。
それもそうだ、外国の子供が黒色を基調とした奇妙な衣装を着て、こんな辺境の地にいるだなんて誰も予想できない。
ルーテシアはどこか頼りなさげな女性の顔を見据えた。
「……ここはどこ?」
見据えて、女性にルーテシアは間髪入れず質問をすると、女性は更に驚いた表情をして「日本語、しゃべれるんだ」と呟く。ルーテシアの質問は無視された。
「……それで、ここはどこなの?」
出掛かった溜め息を呑み込んで、質問を再度、繰り返す。気付いた女性は申し訳無さそうに、だが少し急いでいる様子で口早に答えた。
「あ、ごめんね。ここは××県の羽生蛇村っていうところだよ。
……それよりここ、なんていうか危ない人がたくさんいるみたいだから逃げよう?ね?」
「え?あ……」
すると女性はルーテシアに有無を言わさず、手を掴むと引っ張って走り出した。
木々に囲まれた平たい道を、女性は多少は慣れている様子でぐんぐんと進んでいく。どこへ進んでいるのかは、ルーテシアは知らない。
しかし大声でやめろと言う理由も無かったので、ルーテシアはこの頼りなさげな雰囲気の現地人の女性に、そのまま引っ張られて行った。
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しばらく走り続け、女性はようやく足を止め、「こ、ここまで来れば、多分、大丈夫」と息も絶え絶えに言った。
ルーテシアも、喉に絡みついてくるようなこの土地独特の湿気が合間って、すっかり息を切らしている。
「ご、ごめんね、出会い頭に手引っ張っちゃったりして」
「ううん……別に」
余計に申し訳無さそうな語調で謝る女性に対し、ルーテシアは息を整えながら、周りを見回して答えた。
眉一つ動かさないルーテシアの無表情と素っ気ない返事を、怒っていると思ったらしく気まずそうに押し黙った。
「…………………」
沈黙。
ルーテシアがちらりと女性を見やると、眉を下げて、困った表情をしている。
その正直な反応を見るに、決して悪い人間では無いのだろう。
しばらくすると、女性は意を決したように話を切り出してきた。
「……わ、私は理沙、恩田理沙。あなたは?」
どもりながらも女性……理沙は自己紹介をした。
ここまで直球に名乗られるとルーテシアも答えないわけにはいかず、間を空けてから呟くように答えた。
「……ルーテシア・アルピーノ」
「ルーテシア、ちゃんか。ルーテシアちゃんはどうしてこの村にいるの?」
理由は言えるはずも無いし、言ったところで理解を得るのに時間が掛かりそうだ。
かと言って妥当な言い訳を考えるのも面倒なので、ルーテシアはそのまま黙っていた。
「言いたくないなら、別にいいんだけど……」
理沙は再び居心地悪そうに俯く。
なぜそういう反応をするのか、ルーテシアには理解ができなかった。
相手がそういう人間なのだと納得すれば済む話なのに。
「……でもよかった、まともな人に会えて。
会う人みんな変になっちゃってて襲ってくるし、幻覚みたいなもの見るし……なんなんだろ、これ」
現地人の理沙でも理由知らないということは、やはり管理局側によるものなのか、あるいは別のものが原因なのか……
スカリエッティがルーテシア達には内緒で何かをやったという可能性もある。
相変わらずルーテシアにとって、あまり興味のある話では無かったが。
「……あなたはどうしてこんなところにいるの?」
ルーテシアは軽い気持ちで、理沙に逆に質問を投げかけてみた。
「えっ、私?私はね……この村に双子のお姉ちゃんがいてね、会いに来たらこんなことに巻き込まれちゃった。まだお姉ちゃんとは会えてないんだけどね……」
「そう」
「……そうだ、宮田先生って男の人に会わなかった?お医者さんで、お姉ちゃんの婚約者なんだけど。それと私のお姉ちゃんにも会ってない?」
「ここではあなた以外に誰にも会ってない」
ルーテシアが首を横に振ってそう言うと、理沙はしょんぼりとした顔をした。
続いてルーテシアも、理沙にゼストとアギトについて聞いてみた。
「……貴女は、茶髪で身体が大きい男の人に会わなかった?」
「茶髪で身体の大きい……その人の名前は?」
「……ゼスト。あと赤髪で身体がとっても小さい女の子、名前はアギトって言うんだけど……」
「とっても小さいってどれくらい小さいの?」
ルーテシアが胸と首あたりに手を持ってきて「これくらい」とサイズを表した。
しばし間があって、何故か理沙は少し困惑しながら微笑んだ。
「い、いや、さすがに会ってないけど……ゼストっていう人も分からないなぁ」
「そう……」
「その二人はルーテシアちゃんのお友達?それとも家族なの?」
「………両方」
ゼスト、アギト……
スカリエッティの元でレリックを探していた間、ずっと自分を助けてくれてずっと自分と一緒にいてくれた、友達であり仲間であり、家族だ。
しかしこの魔法が封じられている現状で、複合機のアギトがどうなっているのか分かったものではないし、ゼストは余命幾ばくかの壊れかけた身体を抱えている。
(二人とも無事かな……)
考えると多少なりとも心配になり、ルーテシアは微かに表情を曇らせた。
「ねぇ、ルーテシアちゃん」
ふと理沙が思い切ったようにルーテシアに語りかけた。
「その二人を一緒に探しに行かないかな?私もお姉ちゃんと、宮田先生を探しに行かなきゃいけないし…… 。
それに二人でいた方が寂しくないよ」
「どうかな?」と理沙は重ねて聞き、自分を見上げるルーテシアの瞳を見つめた。
「………」
表情一つ変えず、ルーテシアは首を縦に振ることで肯定の意思表示をした。
理由は、身体能力的に弱者にあたるルーテシアにとって、大人の女性であれど誰かと二人でいた方が何かと便利だろうと思われたから。
そして、断る理由が特に無いことも理由の一つだった。
ルーテシアが同意した途端、理沙の表情は、わかりやすく明るくなった。
安心と喜びの表情。何かと顔に出やすい正直な性分なのだろうか。
「じゃあ行こうか。
ゼストさんとアギトさん、それにお姉ちゃんに宮田先生を探しに」
理沙がそう言って、二人はだいぶ明るくなった依然と白い靄が掛かっている森の中を再び歩き始めた。
空は白んでいる。夜は既に明けていた。
最終更新:2013年03月13日 00:47