フェイト・テスタロッサ・ハラオウン
旧宮田医院/山中
初日/4時41分38秒


 ぽたぽたと顔を叩く水滴の感触。それが仰向けに倒れていたフェイトの意識を覚醒へと促した。
 意識が浮上し、閉じていた目を開くと弱い光が視界に映り込む。
 目覚めたばかりで未だぼやける目を凝らすと、弱い光はすすけた街灯の明かりであることが分かった。丁度フェイトの真上辺りから仄暗く、寂しげな光を投じている。

(………とりあえず起きよう)

 ぼんやりと光を眺めながらそう思い、上体を起こした。

「っ………」

 しかし身体を動かすと同時にあちこちに鈍い痛みが走り、フェイトは顔を歪ませながらも立ち上がった。
 それに伴って気絶する直前の記憶が蘇る。
 魔力を失って落下する身体、途切れ途切れの通信、揺れる大地、轟き響き渡るサイレン……あれらは相手側の手によって起こされたものなのか。あるいはレリックの暴走によるものなのか。
 もしくはこちらも予想だにしない別の何かによるものなのか。
 何が起きたのか詳しく分かっていない現状では、いくら推察しようと答えにはたどり着かないだろう。だがこちらにとってよからぬことが起きたのはまず間違いないようだ。

 気付けばバリアジャケットが解けており、地球に来た時に着ていた私服姿に戻っている。
 Gパンや黒い上着に、落下した時についたのだろう木の葉が幾つかくっついていた。
 そして手の中には、待機モードのバルディッシュがしっかり握られている。墜落時に強制的にモード変更されたのだろうか。

(それにしても手の中に握ったままで落とさずによかった……)

 あの落下の最中に落としていたとしてもおかしくはなかった。長年を共にした愛機が手元にあることに安堵する。
 周りを見渡すと、そこは闇に包まれた森だった。フェイトを照らしている街灯以外の明かりは一切見当たらない。
 高所から落ちたのに、この程度の傷で済んだのは森の木々がクッションになったからだろう。

(とりあえず、通信は………やっぱりダメか)

 通信回線を開こうとしても、回線が途絶されている以前にウィンドウすら開かない。しかし何故だか、フェイトは何となくそういった予想はしていた。
 経験によるものだろうか。これは一筋縄で済む問題では無い、直感でそう感じていた。

 しかし魔法も通信と同様、発動する気配すら無いことには流石に驚いた。
 その上、バルディッシュは起動することも出来なければ音声を発することも出来ない。
 バリアジャケットを構成することすら出来ず、まるで魔法そのものを封じられたかのようだ。

(AMFとは違うな。一体、なんなんだろう?)

 ただ一応、魔法を完全に失ったわけでも、バルディッシュが壊れたわけでもないことは分かった。
 バルディッシュに魔力を流すことで、ある程度の魔力光を発することはできたからだ。
 それにバルディッシュ自身が自発的に魔力光をちかちかと照らすこともでき、どうやらなんらかの理由で発声を含めた機能が大幅に制限されている状態になっているようだ。

(レリック、じゃないよね。あれが暴走したらもっと大変なことになるし、なによりこんな不可思議な影響が出た事例なんて聞いたことが無い)

 だいたい、最後の最後まで探知されたレリックの反応自体が微弱かつあやふやで、そもそも本当にこの地に存在していたのかどうかも分からない。

(まぁ、理由は分からないけど、とにかく魔法が使えないならどうしようもないし……それにしても困ったなぁ)

 こんな山奥深くに放り出され、自分の居場所も分からない。
 いわゆる遭難状態に陥っているのだ。

(とりあえずここは××県、三隅群……そのどこかなのは確かだよね)

 改めて周りを見回しながら、冷静に気絶する前の記憶を思い起こす。
 ロングアーチから受けたレリック探知に関する情報では、この近くに村落があったはずだ。

(確か、羽生蛇村だったけ)

 名前に妙な響きを持っているので覚えている。
 しかし聞いたことの無い名前だが、名が残っている辺り廃村では無いのだろう。

(その村を目指すのもいいけど、無闇に動くのも危ないし……)

ぽたっ

 と、ふと額に液体が当たる感触がした。反射的にフェイトは手の甲でそれを拭った。
 そう言えば辺りにはささやかな雨が降り続けていた。きっと枝葉に溜まった雨水が大きな水滴になって落ちてきたのだろう。

 なんとなしに拭ったそれを見る。

「……え」

 フェイトはぎょっとした。
 手の甲に伸びた水滴は、街灯に照らされてぬらぬらと光を反射している。
 それは、赤色だった。

「血……?」

 頭を切ったのかと思い、もう一度拭ってみるが、痛みもなければ血も付いていない。
 そこで見つめた手のひらに、再び赤い水滴が落ちた。

「えっ!?」

 驚くと同時に、急いで手についた赤い水滴を拭う。

(降ってきた、んだよね)

 フェイトは恐る恐る、バルディッシュの放つ強い光を空に向けてみた。
 頭上を生い茂る木々の枝葉が照らされ、その合間合間から穏やかな雨が降り続けている。
 フェイトは、光に照らされた降り注ぐ雨を見て、息を呑んだ。
 血のように赤く染まった、おぞましい雨。
 雨がバルディッシュの放つ光を受けて、闇の中に鮮やかな赤色を浮かび上がらせていた。

「ど、どうなってるの?」

 第97管理外世界『地球』。
 かつてフェイトが暮らしていたこともある馴染みのある世界だが、こんな現象は遭遇したことも無ければ聞いたこともない。
 血の雨だなんて、まるで怪談話の世界だ。
 寒気がして、腕をさすりながら呆然と呟いた直後。

「っ!!」

 頭の中を電気が駆け抜けるような痛みが襲った。
 激痛を堪えるために、フェイトは反射的に頭を抱え、目を堅くつぶる。
 その瞬間、何かの思念が頭の中を流れていった。

――――  ――  ―    ――

(な、なに!?)

 しかし内容が全く読み取れない。
 ただフェイトは、自分が何者かと瞬間的に感覚を共有したという事実だけを、直感的に、しかし確かに理解した。

(思念通話とかじゃない……これは、一体……)

 フェイトが目を開けると頭痛は治まり、『感覚』も途切れた。
 気付けば嫌な汗が額からにじみ出ている。
 思念通話とは違う、今のはそれよりもっと感覚的で原始的なものだった。
 その上原因も分からなければ、感覚を共有した何者かの意図も読み取れない。ただただ、不気味だった。

(もう、なにがなんだか……)

 自分の意志とは無関係に次から次へと舞い込んでくる超常現象に脳の処理が追いつかない。

(本当にどうなってるんだろ……それに、ティアナやキャロは大丈夫かな)

 頭を抱えていると、ふと隊員達の顔が脳裏によぎった。
 サイレンが鳴る直前まで、自分の目の前で大量のガジェットと空中戦を繰り広げていたキャロとティアナ。
 あの様子だと二人も自分と同じく、この地域のどこかに墜落しているだろう。

(とにかく二人も探さなきゃ)

 魔法が使えず、通信もできない。ならば、今同じ事態に直面しているだろう仲間と早々に合流して、事態の原因究明を目指すのが一番だ。
 ただ問題はこの静寂に包まれた森の中をどう進むか。
 深夜ということもあり、周りは不気味なくらい静まり返っている。更に凹凸が激しい山岳地帯では歩いていても一定方向には進むことはできない。

 かといってこの赤い雨に晒されながら一人じっとして、森の中で助けを待つ気も更々なかった。

 無闇に動くことも危険だが、六課や本局からすぐに助けが来るとも限らない。
 ならそれまで現地で原因を探るのも悪いことではない。
 それに自分の身に降りかかっている一連の出来事に、言い知れぬ不安もあり、気味の悪い赤い雨に打たれながらいつ来るか分からない救助を待てる自信も無い。

「……とりあえず、動いてみようかな」

 赤い雨が降り注ぐ中、言い知れぬ不安を胸にしながらも、フェイトはあくまで冷静に、行動を開始した。

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最終更新:2013年03月13日 00:53