キャロ・ル・ルシエ
蛇ノ首谷/折臥ノ森
初日/5時27分11秒
―――出て行け―――
―――消えろ―――
―――恐ろしい―――
―――忌まわしい―――
―――お前の居場所など……―――
「いやぁっ!!」
悲鳴をあげて、キャロは跳ね起きた。
汗で顔はびしょ濡れ、動悸は激しく打ち、呼吸は浅くて早い。
深呼吸をしようにも、やり方を忘れたように上手くできない。
それでも呼吸を整えようと、キャロは自分の胸元を両手で握り締めた。
「はぁっ、はっ……ゆ、夢?」
ようやく呼吸がまともになってきたと同時に、現実を確かめるように呟く。
それ程までに、今まで見ていた悪夢はキャロにとって強烈な内容だった。
(そんなことない、大丈夫……夢、夢だから、うん)
そう思うことで、悪夢を悪夢として頭から振り払った。
そうして自分を落ち着けると、キャロは辺りを見回した。
(それにしてもここ、どこなんだろ)
周りを取り囲む木々。少なくとも、森の中であることは確かだ。
空は薄い青に染まり、暗がりと靄の中、辺りの光景を見ることができた。気絶したあの夜からどれくらい経っているのかは解りかねるが、
今が明け方であることは理解できた。
「なんだか、すごく嫌な感じ……」
湿っぽい、陰湿な雰囲気が辺りを包み込んでいる。深い靄のおかげで先がまるで見えず、それが不安感を更に煽った。
「バリアジャケット……解けてる」
更に身体を見ると私服のワンピースに戻っていた。
キャロ専用のブーストデバイス、ケリュケイオンも待機モードになり、ネックレスとして首から掛かっている。
「そうだ、ティアさんは?それにフリードも……」
レリックの反応を追って共にこの地に来たティアナ、それに長年自分と一緒にいてくれた白竜のフリードもいない。
「フリード!?フリード!!」
周りに呼び掛けても、あの元気な鳴き声が帰ってくることは無い。キャロの声は森を包む朝靄に飲み込まれて霧散した。
(フリードがいない……?なにが、あったんだっけ)
記憶を手繰り寄せる。雨の中、交戦していたガジェット達が突然機能停止を始め、直後にサイレンが鳴り響いた。
それに呼応して錯乱したフリードにティアナがなすすべもなく振り落とされ、その後、狂ったように飛び回ったフリードに乗っている内に、キャロもいつの間にか気を失っていた。
そこでフリードから振り落とされてしまったティアナは、無事なのだろうか?
思い出した途端、キャロの胸を締め付けるような不安が襲った。
あの時……謎のサイレンが鳴り響き、暴れ出したフリードにティアナが振り落とされた瞬間。
キャロはフリードに振り落とされまいと必死で、なすすべもなくティアナが墜落していく様子を見ているしかなかった。
下は見渡す限りの森だったし、日頃から鍛えているティアナがあれで死んでいるということは無いだろう。
だがもしかしたら大きな怪我をしているかもしれない。動けないかもしれない。
(ティアさん……)
そう思うと、ティアナの安否に対する不安で胸が一杯になる。
それと共に、落ちていく仲間を助けるどころか、手を差し伸ばすことすらできなかった自分に、キャロはどうしようもなく、やるせない気持ちになった。
(……でも、フリードは?)
しかし直前まで乗っていたフリードが、近くにいないだなんてことはあり得るのだろうか?物心ついた時から今まで、自分から片時も離れなかったフリードがいないだなんて。
(それにあのサイレン……いや、サイレンじゃない。生き物の鳴き声みたいだった)
身体の芯まで震わせるような大音量のサイレンは、今も克明に覚えている。キャロにとって、あのサイレンはただの機械音ではなく何か得体の知れない生き物の咆哮に聞こえた。
今の今まで、聞いたこともないような不気味な鳴き声。それに対して尋常ではない抵抗を見せ、錯乱したフリード。
あそこまで暴れて抵抗感を示したフリードは、長年心身を共にしたキャロですら見たことが無い。
フリードはあのサイレンから何を感じとったのだろうか。
(とりあえず、ティアナさんやロングアーチと通信できないかな……)
そう思い付き、待機モードのまま首から下がっているケリュケイオンを握った。
「ケリュケイオン」
起動しようと、その名を呼ぶ。
「……ケリュケイオン?」
しかし一向に通常モードに入らない。反応も、ネックレスの宝石部位がちかちかと淡い光を放つだけ。
キャロは血の気が引いたような感覚を覚えた。
「ケリュケイオン?ケリュケイオン、お願い反応して!」
何度名前を呼んでもケリュケイオンは光を散らすだけで、音声すら発しない。
「そ、そんな……」
故障だろうか?もしかしてあのサイレンが原因で?憶測が脳内で飛び交い、不安で思考が空回りを続ける。
通信はできない、助けも呼べない、召喚もできない、仲間はいない。
見知らぬ世界、誰もいない見知らぬ土地の真ん中で一人。
(ど、どうしよう……)
途方に暮れ、周囲の鬱蒼とした森を見回した。
――――ぐ―お―ぉお―ぉ――――
「っ!?」
その時、どこからともなく不気味な呻き声が聞こえてきた。キャロは小さな肩を跳ね上げて驚き、思わず辺りを見回す。
周りに生物らしき影は見当たらない。しかし呻き声、キャロとそんなに離れていない位置から聞こえてきた。
「な、なに?なんの声……うぐぅっ!!」
突然、キャロをつんざくような頭痛が襲った。余りの痛みに眉間に皺を寄せ、思わず目をつぶってしまった。
するとその瞬間、頭痛と呼応するように脳裏に映像が流れてきた。
―――げはっ は は はは は は―――
不気味な笑い声と共に、草木を掻き分けて山の中を動き回っている、『誰か』の視界。激しい息遣いと共に慌ただしく移動しているその様子は、異常だった。
痛みに耐えかねてキャロが目を開けると、映像と頭痛は嘘のように脳裏から消え去っていった。
「い、今のは……?」
呆然としながら呟く。幻覚のようではあったが、違う。頭に痛みが走っていた間、確かに誰かと感覚を共有していた。
恐る恐る、再び目をつぶって意識を集中してみた。
「いっ……」
すると再び頭が痛み出し、脳裏に映像が蘇る。
―――ふひ ひ ひぃひ ひひ―――
また別の『誰か』の視界。随分遠くにいるようで流れ込む映像は、印象が薄く、声も聞き取りにくい。
だが先程の『誰か』と同じく、この人間もまともとは思えないような笑い声をあげている。整備された林道を歩いているようだ。
「これは………」
キャロは目を開けて、そして感覚的に理解した。
今の自分には、どういうわけか魔法の代わりに、他人の視界を盗み見る能力が与えられているということに。
どうしてそんな物が身に付いたのかは分からない。
そして能力で見た視界からわかったこと。
山の中ではあるが、どうやら人はいるようだ。……しかしその人間達は、キャロから見て、とてもまともとは思えない様子だった。
勝手の分からない山の中、自分以外にもどこかに異常者達が徘徊している。自分の置かれている現状を確認すると、背筋が寒くなった。
「と、とにかくティアさんを探さないと……」
サイレンや、この能力、魔法が使えなくなったことやフリードの失踪。
気になることは山のようにあるが、今はどこかにいるだろうティアナと合流して、二人で問題解決を図った方がいい。
それに、この能力があれば仲間を見つけることもそれほど難しいことにはならないだろう。そう思ってキャロはその場から立ち上がり、歩き出した。
ぱぁん
「!?」
しかし数歩歩いてから突然、乾いた音が森に響き渡り、ぱすん、という音と共にすぐ近くの木に弾丸がめり込んだ。
心臓が跳ね上がるような驚きと共に、キャロはとっさにその場に屈んだ。
(そ、狙撃されてる!?一体誰に……それにこれは、質量兵器!!)
飛んできたのは魔力などを使用したエネルギー弾ではなく、質量のある鉛の弾。当たれば致命傷は確実だ。
(そうだ……なのは隊長やフェイト隊長がいたこの世界って、管理外世界だった)
管理世界では禁止されている馴染みの無い質量兵器にキャロは驚き、それから改めてここが管理外世界であることを思い出した。
それでもこの地、高町なのはや八神はやての出身のこの国は、山の中で佇んでいると突然狙撃されるほど治安の悪い場所だっただろうか?
先程の能力で見た異常者達もそうだ。そんな危険な人間ばかりいるような場所ではなかったはずだ。
ぱぁん
再び響いた銃声にキャロは思考を中断させられた。顔を上げると、間近の木が被弾した。
相手に完全に位置を知られてしまっている。このままではこの場から動くこともままならないし、そのまま近付かれて最悪射殺されるかもしれない。
緊迫状態の中、キャロは生唾を飲み込んだ。
(……さっきの視界を盗み見るチカラ、使えないかな)
ふとそう思い立ち、試しに目をつぶって意識を周囲に集中させてみた。
すると、あの鋭い頭痛が頭の底から湧き上がるように広がっていき、例の能力を使うことに見事に成功した。
「……っ!!」
頭痛で漏れそうになる声を抑えて、自分を狙撃しようとしている者の視界を探る。
……あった。
猟銃を構えている視界が。その視界を介して、自分のいる位置も感覚的に理解できた。
狙撃するにはキャロのいる位置とかなり距離が近い位置にいるようだ。丁度小さな崖の上にいるらしく、キャロのいる辺りを見下ろせる場所。
しかし屈んでいるキャロの姿はちょうど茂みに隠れており、犯人からは見えない。
―――はぁはぁ はぁ はっ ぁはぁ は ぁはぁ―――
そして犯人は声を潜める気は無いのか、こちらまで息苦しくなりそうなまでに呼吸が異様に荒々しい。
心を大きく取り乱しているのか、それとも異常者なのか。
どちらにしろ少女一人が山中に迷い込んでいるのをいいことに射殺してこようとしてくる者の気が知れない。
犯人はキャロが動かないことを悟ったようで、やがて猟銃を持ち直すと崖を飛び下りた。
地面が一気に近付いて着地。相変わらず不規則な呼吸を繰り返しながらキャロのいる茂みをしっかりと見ている。
そして犯人はそのまま、覚束ない足取りで、よたよたと歩いてきた。
(こっちに向かってくる……!?)
男の動向を確認したキャロは目を開けた。どうしよう、と混乱しつつ屈んだまま身の回りを見回す。隠れるところは少ないが、周りにはとりあえず茂みや木がある。
頼りないが仕方ないと思い切り、キャロは素早く、しかし静かに茂みに飛び込んだ。
そして息を殺して忍び、草間から覗き込んで近付いてくる男を待った。
やがて草や枝を踏みつける音が近づいてきて、男がやってきた。
現れた男。猟銃を持ち、ほっかむりをした男は農夫のようでYシャツと、丈の大きなズボンを履いている。
しかし、その顔を見たキャロは、思わず引きつった声を漏らしそうになった。
(に、人間じゃ……ない……)
年配だと思われる男の顔にはある程度の皺があった。しかしその顔は、死体のように、いや死体以上に青白い。服も泥や血でぐちゃぐちゃに汚れていた。
目や鼻からは血が溢れ出し、その目は焦点が合っていない。呆けた表情をして何事かをぼそぼそと呟いている。
衝撃と恐怖に身体を固まらせたまま、キャロの目は男に釘付けになっていた。
やがて男は挙動不審に周りを見回し、その場から離れていった。
「…………………」
男がどこかへ行った後もしばらくキャロは動けなかった。数分経ってからようやく動き出し、絶句しながら茂みを抜け出す。
そしてキャロは男が歩いていった方向と逆方向に走り出した。
(な、なんだったの……?)
わけも分からず走りながら思い返す。
あれはまるで歩く死者だった。しかしそんなものは物語の中でしか存在しないんじゃないか。
だがあれは確かに目の前にいて、息をして歩き回っていた。
(もしかして、他の人達もあの人みたいに……?)
能力で見つけた『人々』もあの男と同じ状態なんじゃないか。
やはりあのサイレンだ。
あのサイレンが原因でこんなことになってしまったんだ。
そう考えながら、靄で先の見えない凸凹とした森の中を走り続ける。
ある程度走り続けて、キャロは息を切らして立ち止まった。膝に手を当てて屈み、深呼吸を繰り返す。ここはどこなんだろうか。
相変わらず周りは木ばかりで、目覚めた時と景色に違いは無い。
今もこの山のどこかにあいつらがいる。
そう思うと、キャロは一刻も早くこの場から抜け出したい気持ちに駆られた。
ぱきっ
不意に枝が折れる音が聞こえてきた。目の前からだ。
(だ、誰か……いる?)
走っていたせいで鼓動が早まった心臓が、緊張感も相乗して張り裂けそうになっている。
しかしそれ以上、近付いてくる気配は無い。
「……?」
恐る恐る、キャロは顔を上げてみた。
目の前に、人が立っていた。それは女性だった。あの男と同じ、農業を営んでいるだろう服装をしている。
その顔もやはり血の気はなく、目からは大量の血液が流れ出していた。あの男と変わらない、焦点の合わない濁った目。
女性はその目をキャロに向けると、血で溢れた口を三日月にして、笑ってみせた。
「な ぁあ にぃ い ひ っひぃひ ひ」
声すら出なかった。
キャロは、踵を返すと再び全速力で走り出した。茂みに突っ込み、草を掻き分け、道無き道を、必死に。
背後から草を掻き分ける音が追ってくる。後ろなんて見られない。恐ろしいだなんてものではなかった。脳裏に女性の笑顔が貼りつき、それがキャロの足を余計に速める。
なぜ微笑んだのか、それは分からない。しかしあの不気味な笑顔はキャロに向けられ、それはキャロに確かな恐怖心を植え付けた。
「あっ!!」
不意に目の前に地面が無くなり、キャロの身体が宙に浮いた。
しかしすぐに重力に従って落下。咄嗟に受け身を取ったものの、コンクリートの地面の上に叩きつけられ、その上思い切り転がる。
「いたい……」
受け身を取った腕がすりむけ、破けた皮膚の間から血が溢れ出している。軽い打撲もしており、腕や膝がじんじんと痛み出した。
痛む箇所を労りながら、辺りを見回した。どうやら山間部に走る道路に出れたようだ。それに道の上に電線が走っている辺り、廃道というわけでもないらしい。
ただ辺りは相変わらず深い朝靄に包まれ、道の向こうはまるで見えないが。
キャロが出てきたのは道路を挟む山の一方から。道路脇の山肌はブロックで固められて生け垣のようになっており、自分はその上から飛び出してきたようだ。
と、キャロのいた山の茂みから、がさがさと音が聞こえてきた。
(逃げ、なきゃ……)
キャロは未だ痛みを増す腕と膝を労りながらも、先の見えない道をとにかく走り出した。
まさか隊長陣のいた平和な世界で、こんな異常事態に巻き込まれるだなんて思いも寄らない。
靄の中、歯を食いしばりながら、キャロは道を走り続ける。
(ティアさん……っ!!)
せめてその先に、仲間のティアナがいることを望んで。
最終更新:2013年03月13日 01:00