ルーテシア・アルピーノ
大字粗戸/バス停留所付近
初日/7時22分49秒



 辺りには、依然として深い霧が立ち込めている。

 白んだ空気は、一寸先にある木々すらをも飲み込み、日が出ているにも関わらず森はどこもかしこも薄暗い。
 霧は日光を薄らげるだけでなく、視界を悪くし、ただでさえ閉鎖的なこの村を、余計に息が詰まるような空間に仕立て上げていた。

「ルーテシアちゃん、寒くない?」

 理沙はおもむろに、ルーテシアの薄着に見える服装を見やりながら聞いた。時は8月。季節は夏だが、山間部の朝は都会と違って熱を籠もらせるコンクリートも少なく、緑が多いために肌寒い。
 しかも立ち込める霧により日光は遮られているため、日が登ってからしばらくしても気温はなかなかあがらなかった。

「大丈夫」

 ルーテシアは短く、小さな声で返した。山奥での肌寒さなんて、今までのゼストやアギトとの生活で数え切れない程体験してきた。今更、特に苦に思うようなことでも無い。

 立ち込める霧を掻き分けるように、宛もなく二人でさまよい続けている理沙とルーテシア。
 お互いが出会ってから二時間は経つというのに、未だ彼女達の尋ね人は見つかっていない。ただただ、化け物達を避けては歩き続けるだけで数時間は過ぎていた。

 歩き続けている間、理沙は自分自身のことを色々と語ってくれた。
 自分と姉の美奈が一卵性双生児であることや、宮田という医師と自分は会ったことが無いということ、東京というこの国の首都にいた時のことなど。

 歩きながらも無心に話し続けていた辺り、少なくとも沈黙が好きではないタイプの人間なのだろう。
 あるいはそうしていなければ不安に押し潰されてしまうのか。
 どちらにせよ特に鬱陶しいとは思わなかったが、それを分かっていてもルーテシアはただ相づちを打つことしかできない。

 ルーテシアは別段、理沙と言葉を交わす気が全く無いわけではない。
 日頃はスカリエッティにナンバーズやゼスト、アギト以外の者と会話をする機会が無かったルーテシアにとって、辺境管理外世界の人間と警戒心も無く行動を共にするなんて初めての経験だった。
 むしろこの異常事態を通じて、新たに気を許せるような人間が出来たことをルーテシア自身、気付いてはいないが心のどこかで嬉しく思う節があるぐらいだった。
 ただ、理沙に比べて遥かに特異な出自を持つ自分のことを魔法も知らない理沙に話したところで、何一つとして理解され無いだろうことも目に見えていたのだ。
 それを考えると、理沙にとっての非常識を無理矢理に理解させようとして、余計な混乱を招くよりかは、こうして一方的に話を聞いている方がいい。ルーテシアには、そう思えた。

 だがそんな理沙も、さまよい続けている疲労により、今ではすっかり口数が少なくなっている。
 二時間、休まずに歩き続けていることで疲れを感じているのに、その上、辺りの霧が生み出すまとわりつくような湿気が、二人の体力の消耗を加速させていた。
 足取りは確実に重くなっており、その状態で更に一人でしゃべり続けることなど、余計に体力を使うだけなのだ。

 魔法が使えたら、こんなことにはならないのに。流石のルーテシアもそう思わずにはいられなかった。
 召還、転送、飛行、念話……魔法が使えさえすればすぐにでもゼストやアギトと再会できる。だが生憎のこと、その魔法自体が完全に封じられているのだ。
 苛立ちこそ覚えなかったが、異常事態に置かれて、更に魔法が使えないという人生初めての経験に、ルーテシアは微かに疲弊を感じていた。
 小さな崖沿いに林が切り開かれて出来た道を辿って、二人はとぼとぼと歩いている。
 ルーテシアは、誰かの足跡が無数についた、足元の湿った土を見つめながら黙って歩いていた。

 と、不意に横から聞こえていた理沙の足音が突然途絶えた。ルーテシアも思わず立ち止まり、顔を上げる。すると理沙が、前を向いたまま呆然とした表情で立ち尽くしていた。

「あれは……」

 目を細め、呟く理沙。

「……リサ?」

 ルーテシアが声を掛けるが、理沙には聞こえていないようだ。ルーテシアは理沙が真っ直ぐ投げ掛けている視線を追って、前方に目を向けた。
 すると遠くに人間の輪郭が見えた。なにか白い服を着ているのか、霧の中でその姿は非常に見えにくい。

「人………?」

 ルーテシアも呟くと、同時に理沙がその人物に向かって、突然駆け出した。

「あっ、リサ!」

 ルーテシアは名前を呼ぶも振り返らずに、そのまま走っていく。ルーテシアは仕方無く、理沙を追い掛けた。
 近付いてみて、その人物は白衣を着た男だということが分かった。
 こちらには気付いていないようで、理沙は男に駆け寄ると化け物かどうかも確認せずに、いきなり声を掛けた。

「あ、あの!」

 その声に、白衣の男はいたく驚いた様子で振り向いた。眉や耳を出した、真面目さを感じさせるような切りそろえられた髪型に凛々しい顔付き。
 血色は良く、顔から血が流れているわけでも無い。見たところ、れっきとした人間だった。
 手にはあの化け物達と戦っていたのか、血に濡れたラチェットスパナが握られている。


「み、美奈……?」

 理沙の顔を見た瞬間、男の目に動揺の色がありありと浮かび、同時に理沙の姉の名を呟いた。
 その瞬間、ルーテシアは理解した。この人物こそ、理沙の姉の婚約者であると言う『宮田先生』なのだと。
 姉の名を耳に入れた理沙は、途端に涙声になりながら、矢継ぎ早に言葉を男にぶつけていった。

「あの、もしかして宮田先生?私、恩田美奈の妹です!理沙です!」

「妹……?」

 白衣の男、宮田は言葉の意味を確認するかのように呟いた。
 理沙は尋ね人と会えて安堵したのか、その目からは涙が次々と溢れ出している。

「私、お姉ちゃんに会いに行こうとして……お姉ちゃんは無事なんですか!?お姉ちゃんはどこですか!?」

「はあ、双子か……」

 泣きながら問いただす理沙に、気の抜けたような返事をする宮田。
 理沙の双子の姉である恩田美奈と婚約者である辺り、突然現れた美奈と顔が同じ理沙に動揺を隠しきれなかったのだろう。
 宮田の反応の理由は恐らくそんなところだろう、とルーテシアは感じた。

「……………」

 がしかし、そう感じつつもルーテシアは宮田の様子に何か引っかかりを覚えていた。それが何なのか、はっきりとは分からないが、どうにも動揺した表情に裏がありそうに感じた。
 ただ、突然婚約者の妹に出会ったからということが原因の動揺というわけでは無い。ルーテシアには何故か、そう思えた。

「……そちらの子は?」

 ふと宮田が、理沙の傍らに佇んでいたルーテシアに注意を向けた。
 一応ルーテシアが警戒して、口を噤んだまま無表情で宮田をじっと見ていると、理沙が泣きながらも代わりに説明してくれた。

「この子は、逃げてる途中に会った子で……外国の子らしいんですけど」

「へぇ」

 宮田は既に落ち着いたのか、興味の無い様な感情の薄い返事をすると、ルーテシアを見やった。
 ルーテシアも見つめ返す。この地域に住む人間特有の平たい顔に、鋭い目つき。じっと自分を見つめる宮田の顔からは、どことなく冷たい印象を受けた。

「とりあえず、この先に商店街がある。そこに降りよう」

 宮田は泣きじゃくる理沙に視線を移し直すと、顎で道の先を差した。見ると道がすぐそこで途切れており、その向こう、霧に家屋の屋根がうっすら見えた。

「は、はい……」

 安心以外に、美奈がいないことへの不安の現れか、理沙は一向に泣き止まない。
 とりあえず宮田を先頭にルーテシアと理沙はついて行く。道の先を行くと、寂れた商店街の街路にあるバス停小屋の屋根の上に出た。


 木の壁にトタンの屋根が乗せられただけの、簡単な作り。三人が足を踏み出す度に、トタンが小さく軋む。

 バス停の屋根から降りると、これまでの泥道とは違った、アスファルトで舗装された道路が現れた。
 木造住宅の建ち並ぶ商店街は不気味なほどに静まり返っており、相変わらずの深い霧によって先はまるで見えない。だがその向こうにも、化け物達が闊歩する気配だけは明確に伝わってきた。

「……………」

 ルーテシアの目を引いたのは、ちょうど道から出たバス停小屋を境に商店街の道を阻む、無数のベニヤやトタン、板切れによって構成された、明らかに不自然な巨大な壁だった。

(……これは?)

 壁は、その先も続いているだろうコンクリートの道路を中途半端なところで完全に分断している。
 その上、商店街にある二階建ての家よりも高く、見上げると霧のせいで霞んではいるが壁の上に家の屋根のシルエットが見えた。
 壁、というよりいくつもの家をかき集めて作った巨大な砦のようだ。その巨大な砦に、商店街の家も一部が呑み込まれている。
 しかし商店街と同じく、巨大なその建築物も廃墟のように静まり返っており、より不気味な様相を呈している。

 誰が、何のためにこんな物を建てたんだ、とルーテシアがしげしげと不気味にそびえる壁を眺めていると、背後から宮田の声が聞こえてきた。

「私も、美奈さんを探してたんだ」

 振り向くと、宮田が商店街の方を見やり、こちらに背中を向けて理沙に話し掛けていた。理沙は涙を拭きながら「はい」と答える。

「とりあえず、その子も一緒に病院に」

 宮田は首を動かしてルーテシアを見やった。こちらに向けられる鋭い視線。
 現状に取り乱している理沙とは違い、仮面を被っているかのような無表情を取り繕っている宮田。
 なにを考えているのか分からない不気味さを備えている。
 少なくともまともな人間では無い、それがルーテシアの抱いた宮田への印象だった。

「君、日本語は分かるのか?」

「……うん」

 ルーテシアが機械的に頷くと、宮田は何も言わずに前方に向き直り、静かに歩き出した。理沙が鼻をすすりながらルーテシアに振り向く。

「ほら、行こう?ルーテシアちゃん」

 言いながら理沙は微笑んだ。その目は、やや赤く腫れている。
 正直、宮田は理沙とは違い、今のところ信用に足るような印象は無い。しかしここで無理に別れて一人になったところで特に意味も利益も無いだろう。
 無表情の内側に、宮田への警戒心を強めながらルーテシアは理沙に歩み寄って頷く。それを見た理沙は少し安心したように表情を緩めた。
 理沙は宮田に対して特に不信感を抱いている様子は無い。大丈夫だ、何かあった時は私がなんとかする……そう胸に決める。
 顔を見合わせた後、二人は宮田の言う『病院』に向かうため、宮田の後を追って、霧が覆う商店街の中へと、足を踏み出していった。

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最終更新:2013年03月13日 01:22