ウェンディ
合石岳/羽生蛇鉱山
初日/7時47分42秒
穴に落ちてからどれくらい経っただろう。
真っ暗闇の中、明かりになるデバイスを見つけた上、トンネルを発見して自分はツいていると大喜びしたことが昔のことのように感じられる。
「………ここ、さっきも通ったっスね」
『第六通洞』という文字がトンネルの壁に大きく書かれていた。ウェンディには読めないが、何回も見たものだから形だけでも覚えてしまった。
それを誰のものかも分からないデバイスの放つ光で照らしながら、ウェンディは疲弊仕切った様子で溜め息を吐いた。
デバイスを持っていない手には、血で汚れたネイルハンマーを握っている。
穴に落ちてからどれくらい経っただろうか。
あれからウェンディは、一向に外に出れず、闇に包まれたかび臭い地下を延々と歩き続けていた。
なんでこんな目に、と嘆いた時もあったが仮に、もしあの穴の中にデバイスが無ければ、ウェンディは穴からも出れず闇の中で正気を失っていたかもしれない。
それだけでも考えてみればかなり幸運なことと言えるかもしれないが、ウェンディにとってそんなものは今はもうどうでもよかった。
歩き続けてわかったが、ここはどうやら廃棄された炭鉱施設らしい。
ここまでトロッコや採掘場、事務所らしき部屋などがあり、レールが敷かれた坑道は蟻の巣のように地下に広がっている。
初めは、いずれ外に出られるだろうと意気揚々とその中を歩き回っていたのだが、その考えは非常に甘かったことを思い知らされた。
迷路のように広がっている上に完全な闇に閉ざされているトンネルの中では方向感覚が曖昧になり、同じような場所を何度も何度も回ってしまうのだ。
―――げら―げら―げら―げら―――
不意に闇の向こうから笑い声が聞こえてきた。不気味な笑い声はトンネル内を反響する。
あいつらだ。
滅入った顔をして、ウェンディは踵を返してトンネルを後戻りした。
「………なんなんスか、もぉー」
歩きながら、思わず愚痴が漏れる。
「ISも通信も使えないし身体は思うように動かないし変なヤツらはうろついてるし」
『変なヤツら』とは、現地人と見られる人々……いや人では無かった。
血や土に汚れた衣服に、蒼白の顔、目から血の涙を流しているその姿は、化け物と呼ぶに相応しい外見をしている。
満面の笑みを浮かべて暗闇から現れたそれに初めて出会った時、ウェンディは絶叫してその場から逃げ出した。
しかしそれも、迷う中で何度も何度も出くわしている内に、今ではすっかり慣れてしまったが。
奴等はこの炭鉱の中に複数人いた。そして懐中電灯と各々の凶器を手に、飽きずに坑道を徘徊し続けている。
そして奴等はウェンディと出会う度、ウェンディを見つける度に凶器を振りかざして襲いかかってきた。
鈍器を持つ者がほとんどだが、中には銃器、管理局により禁止されている質量兵器を手にしている者もいる。
(質量兵器だなんて、管理外世界って言ってもやりにくいったらありゃしないっスね……)
しかし、ウェンディも襲われるだけでは済ますわけにもいかない。通洞に落ちていたネイルハンマーを拾い、それで奴等に抵抗して何度も殴り殺した。
間近で、しかも原始的な方法で生物を殺めたのは初めてだ。
エリアルボードによる爆撃とは全く違う、骨を砕いて肉にめり込む金槌の感覚が気色悪かった。
しかし、奴等は幾ら打撃を加えようが執拗にとどめを刺そうが、暫くすると何事も無かったかのように再び動き出して、また徘徊を始めるのだ。
信じられないことに、奴等は不死だった。これでは終わりがない。
今では体力の浪費を防ぐため、奴等と出くわしても戦闘になることは避けて、ひたすら逃げて隠れることに徹している。
「ほんと、気が滅入るっスよ……おまけに便利スけど幻覚は見るし!!」
ISが使えなくなった代わりに突如授けられた、頭痛と共に奴等の視界を盗み見る能力。
実際それは奴等との戦闘回避等で大いに役立ってはいる。
だが同時にそれは、既に自分もどうにかなってしまったのではないかという不安をウェンディに抱かせた。
魔力も何も作用していないのに他人と感覚器を共有する能力を授けられるなんて、オカルトそのものだ。とにかく普通じゃない。
もしかしたら、自分も奴等のようになりつつあるんじゃないか……そういう考えがふと脳裏をよぎる。
(いやいやいやいや、アタシは血の涙なんか流してないし、あんな頭がトんでるわけでもないっスよ!)
心の中で不安を必死に打ち消しながら、坑道内に放棄されたトロッコの影に隠れた。座り込んで、背中を錆びきったトロッコに預ける。
実際のところ、いつまでもこの廃炭鉱から出れずにこんなことを繰り返していれば、いずれどうなるか分かったものではない。そう思うと、ウェンディの胸の内には更に重い不安が生まれるのであった。
(……外に続く道はあるみたいなんスけどね)
目をつぶり、意識を集中すると、それに伴って鋭い頭痛が脳をいたく刺激する。
しかし、それにもだいぶ慣れたもので、ほとばしる頭痛に対するウェンディの反応は、眉間に皺を寄せる程度になっていた。
―――てぇ んにぃ いおぉわ ぁす ぅ―――
トンネル内を懐中電灯を片手に錆びたつるはしを持ち歩きながら何やら呟いている視界。
恐らく先程の笑い声の主だろう。無闇に笑って何が楽しいのか、化け物達は愉快そうにこの暗黒に包まれた炭鉱内を徘徊し続けている。
ウェンディは息を押し殺して、そいつが自分のいるトロッコを通り過ぎてくれるのを待った。
「……………………」
待ちながら、何となしに意識の方向を変えて、別の『奴等』の視界を盗み見る。
―――ひ はぁは ぁ ひぃ は ぁ―――
不規則な呼吸を繰り返している誰かの視界。見えているのは白濁色の霧に包まれた廃炭鉱……即ち、地上の景色だった。
しかし地上に於いても、あの化け物達がうろついていることに変わりは無いようだ。『そいつ』の視界から、霧の向こうで覚束無い足取りで徘徊している人影が何体か確認できる。
(外に出ても同じっスか……。一体なんなんスか?この世界は)
改めてそう確認し、やや落胆する。だが諦めてこのカビ臭い地下空間で大人しく朽ち果てる気など毛頭無い。
それにノーヴェやクアットロ、ゼストにルーテシアにアギトもどこかにいるに違いない。いち早く合流して、早くこの地から去りたい。
視界を切り替えて、どこかに脱出口が無いか探していく。
(ノーヴェやクア姉はもちろん、ルーお嬢様とかゼストさんも、アイツらに殺されるとは思えないし、大丈夫っスよね)
今のところ、この能力が他の仲間達を捉えたことは無く、それどころか現地の人間にすら引っかかったことは無い。
要するに現時点では、少なくともこの辺りは自分以外に化け物達しかいないということになる。
(そう考えると余計に落ち込むだけっスね…………ん?)
頭を巡らせながら視界を切り替えていると、気になるものが映り込んだ。
―――ぜ はぁ ぜぇは あぁ ぜぇ はぁ―――
猟銃を手に、切らしたような呼吸をしている、奴等と思わしき誰かの視界。自分のいる場所とそんなに離れていないところにいるようだ。
やはりこの坑内のどこかだろう、行き止まりとなっている薄暗いトンネルの奥が、鉄柵で仕切られていた。
その先が唐突に途切れて、鉄柵はそこに設けられている。
ウェンディの目を引いたのは、鉄柵の向こう。そこに地面は無く四角い穴が開いており、天井には滑車と太いワイヤーが垂らされ、壁に鉄骨が組まれていた。
(……エレベーターかなんかスかね?)
見たところ、エレベーターのようだ。
そう認識してからすぐに、もしかしたらそこから外に出られるかもしれない、という考えが頭をよぎる。
(……なんとなく、あっちの方だったっスかね?)
意識を向けた方向、能力で捉えた化け物がいるであろう位置を感覚的に察知した。
もちろん超感覚的なものだから、確かな方向ではないかもしれないし頼れる情報では無い。
だがそこに僅かでも希望が転がっているなら、行くしかないだろう。
能力を解いて、トロッコから顔を覗かせる。あの男はもうとっくにウェンディの隠れているトロッコを通り過ぎていたようだ。坑道の闇の向こうに懐中電灯の灯りと、僅かに男の背中が見えた。
ウェンディはもう一度、能力を使ってエレベーターの位置を確認した。そして静かに立ち上がり、そのエレベーターがあるらしき方向を目指し、歩き始めた。
――――――――――――――――――――――――――
曲がり角や梯子、分岐点がある度に能力を使って位置を確認しながら歩き続け、しばらく経った。
そして今、ウェンディの目の前には、能力で盗み見た例のエレベーターがあった。あの視界の主はここにいない。どうやらエレベーターで上がった上の階層にいるらしい。
(……意外と信用できるもんなんスね、この能力)
予想よりも簡単にたどり着くことが出来て、やや拍子抜けしながらエレベーターに歩み寄る。鉄柵で仕切られたエレベーターはすすけており、長らく使われていないように見えた。
鉄柵を除けて、中に入り、デバイスの放つ光で照らした。エレベーターは鉄骨が組み合わさっただけのような簡単な作りで、その鉄骨の柱にスイッチが取り付けてあった。
正直、どう見ても稼働しているようには見えないが、一応そのスイッチを押してみた。
かちっ
案の定、スイッチが小気味よい音が鳴らしただけで、エレベーターの方は待ってみてもうんともすんとも言わない。
「ちっ……そこまで甘くないっスか」
苦々しい表情で思わず舌打ち、エレベーターから出る。
落胆しながら踵を返してその場から離れようとした、その時。
ダァ……ァ……ン
何かが聞こえた。
(なんスか今の……銃声?)
ダ……ァァ……ン
銃声のような音は、坑道内を微かに反響しながら飛んできた。それからも数回、音は連続してウェンディの耳に届いた。
耳を澄ますと、音はエレベーターより上から聞こえてきた。どうやら地上から響いているらしい。
(どうしたんスかね)
不審に思いながら地上の様子を探ろうと、目をつぶって意識を集中、銃声を響かせている主の視界を探る。
―――へは ぁ はぁ は ぁ はぁ あはぁ―――
どこかの小屋に乗っているのだろうか。廃炭鉱を見渡せる見晴らしのいい場所で、化け物の男が猟銃を撃ち続けている。
―――ダン、ダン、ダン―――
男は何者かを狙い撃っていた。
男がいる場所と対岸にある、窓枠や扉すらない穴だらけで二階建ての荒廃した鉄筋コンクリートの建物。
男はそこに向かってひたすら猟銃を撃ち続けていた。
―――ダァン―――
その時、建物の二階のぽっかりと空いた窓から、発砲音が鳴り響いた。
銃声の直後、男の視界が大きく揺らいだ。首に被弾したようで、視界の真下からは大量の血が爆発したように飛び散る。
男は呻き声も上げられずにそのまま倒れ伏して、やがてその視界は暗転していった。やはり何者かが奴等と戦闘をしているようだ。
(一体誰が………)
男を撃った誰かがいる方向に意識を集中させる。頭痛と共に視界は切り替わった。
―――はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ―――
あの二階建ての建物の中にいるらしく、視界の主は息を切らしながら、長い間打ち捨てられてボロボロになった階段を駆け下りていた。
足取りはしっかりとしており、その手には猟銃が握られている。整った呼吸に、機敏な動き、血の通った浅黒い腕からして、奴等とは違う。
恐らく、人間だ。
(ちゃんと……ちゃんといたんスね、普通の人間が)
化け物達以外に、ちゃんと人間がいる。
その事実だけでも、長時間地下空間で化け物と共に閉じ込められていたウェンディを安堵させた。
――んは あ ぁぁ――
とその時、ふと背後から気配を感じ、ウェンディは思わず目を開けて後ろを振り返った。
「か ぁがや ぁけ ぇ ぇた もぅ うぅ」
そこには化け物がいた。その手に握られた懐中電灯とつるはしに、呟いている口振りからすると、先程トロッコに隠れてやり過ごしたあの男のようだ。
ウェンディと目が合った途端、血涙に濡れた蒼白な顔を愉快そうに歪め、錆び付いたつるはしを持ち上げてみせた。
「……ネチっこいスね、ホントに」
溜め息を吐いてから、ウェンディは笑う男と対照的に恨めしそうな目で睨み付け、持っている金槌を構える。
「ひい゛ ぃと ぉつ ぅ や゛ぁ !!」
男は叫びながらつるはしを振り上げて躍り掛かってきた。ウェンディは振り下ろされるつるはしを避けるとその勢いで身体を回転させる。
そしてつるはしを振り下ろしてよろめきながら通り過ぎていく男の後頭部を目掛けて、裏拳のような形で金槌を叩き込んだ。
ごきっという鈍い音と共に、手に頭蓋骨が砕かれる感触が伝わる。
(やっぱ気持ち悪いっスね、この感触!)
ウェンディが未だ馴れない感覚に気分を悪くしている一方で、男はそのまま前のめりになって地面に倒れる。
しかしまだ余力があるようで、うつ伏せから仰向けになると、再び立ち上がろうとする。
ウェンディは倒れた男にすかさず馬乗りになり、とどめの一撃を振り上げる。その時、男は血に濡れた目をウェンディに向けて、余裕からか悦からか、歯茎を剥き出しにして笑って見せた。
「ッ……キモいんスよっ!!!」
男の気持ち悪い笑顔を見て、ウェンディは苛立ちを爆発させながら、その顔面に渾身の一撃を叩き込む。
べきょっ、という音と共に金槌の先が男の額にめり込み、呼応するように男の両目が飛び出かけた。男は手足を痙攣させて、そのまま動かなくなった。
ウェンディは息を切らしながら金槌を持ち直して黙って立ち上がり、男から離れた。
程なくして男は脊髄反射のような感情の無い動作でうつ伏せになり、土下座をしているような体勢に入った。
……まただ。
絶命してからするこの動作にどんな意味があるのかは分からないが、奴等化け物は一度殺すと、決まってこの体勢になり、
暫くすると何事も無かったかのようにまた復活をするのだ。
しかもこの体勢に入った奴等は鉄塊のように異常に硬くなり、その場からびくともしなくなる。
その姿はまるでさながらサナギのようだった。
ビーッ ビーッ ビーッ ビーッ
『硬化』した男を呆然と見ていると突然、今度はどこからともなく、けたたましい音が響き渡った。
「な、なんスか!?」
驚いて思わず声をあげる。
何かの警告音のようだ。
取り敢えず目をつむり意識を集中して、音の原因を探る。そしてそれはすぐに分かった。
先程上で奴等と撃ち合っていた、あの人間だ。
どこかの施設にいるらしく、目の前には赤いボタンがあった。どうやらそれを押したことでこのサイレンを鳴らしたようだ。
その行動の意図は分からないが、能力を通して見たところサイレンは坑内中に鳴り響いているようだ。
他の化け物達に意識を向けると、どの化け物達もサイレンの音に反応して今までの行動から外れた行動を取り始めている。
もしかしたら脱出の糸口が掴めるかもしれない、そう思ってウェンディは一人一人の視界を注意深く観察した。
―――なあ ぁ あ ぁぁ に ぃ い―――
音を辿るように、坑内を歩いている者。
―――ひっ はぁ あ はっはぁ ああは ぁ―――
音に反応してただ周りを見回すだけで、その場から動かない者。奴等のサイレンに対する動きは様々だが、その動向は大まかに動く者と動かない者で分けられていた。
(…………!)
―――えぇ ひっえひぃっ ひひ ぃひ ひひ ひ ひぃっ ひ ぃひ―――
奴等の視界の中に、大量のスイッチやランプが並んでいる機械が映っているものがあった。
ウェンディはその視界に集中し、見えるものを観察する。暗闇の中、化け物の照らす懐中電灯に浮き上がっているそれは、何かの制御盤のようなものだろうか。
もしかしたらエレベーターを稼働する電源があるかもしれない。
(もしかして、また当たりっスか?)
先程のエレベーターと同じく、視界から得た情報に確証は無い。
しかし暗黒に包まれた穴の中で明かりとなるデバイスを見つけて、何時間もさまよったと言えど運良くエレベーターを見つけ、
さらには偶然にも他の生存者が鳴らしたサイレンによって電源の制御盤らしきものを見つけたのだ。
まるで何かに導かれているかのように。
(……やっぱツイてるっスよ、あたし)
一連の出来事からウェンディは、その制御盤がこの錆び付いたエレベーターを動かしてくれると確証していた。
なにより能力で見た機械に付属しているランプは、赤や緑色に光っている。それは少なくとも電源は生きているという証拠だった。
「……行くっスかね」
そう呟き、ウェンディは一抹の確かな希望を胸に、制御盤を目指して、再び行動を開始した。
最終更新:2013年09月12日 22:12