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ウィンドウの向こう、巨大な戦艦を中心とした総数12隻から成る艦隊が、港湾施設より出港してゆく。
微速航行するそれら艦艇の所属は、管理局から各次元世界、そして地球軍まで多岐に亘っていた。
その殆どは人工天体内部へと転送され、バイドによる模倣の基となっていたオリジナルである。
艦隊旗艦に抜擢された全長1830mにも達する巨大な戦艦は、第148管理世界に於いて管理局への通達を行わずに建造された違法艦艇、空母型戦闘艦「ウォンロン」だ。
第148管理世界本星ではなく衛星上の基地にて秘密裏に建造されたこの艦は、アルカンシェルに匹敵する戦略魔導兵器のみならず、核弾頭を始めとして膨大な数の質量兵器と艦載機を搭載する戦略艦だったらしい。
此処十数年に亘って違法艦隊を保有しているのではないかとの疑惑が囁かれてきた当該世界だが、これ程までに強大な戦闘艦を有している等という事実は管理局の知るところではなかった。
それだけに、厳重な情報統制が為されていたのだろうと予測できる。

第148管理世界にとっての不運は、次元世界に於ける試験航行中にウォンロンが隔離空間へと転送されてしまった事だろう。
ランツクネヒトが提示した生存者の証言記録によれば、転送は26日前の事らしい。
そして混乱の最中、艦は中枢系に異常を来し始めた。
先ず緊急用隔離壁が作動、乗組員は艦内各所にて孤立。
動力系統がダウン、循環システムの停止により全乗組員の2割が窒息死する。
残る乗組員はエリア毎の非常用電力供給システムの起動に成功したが、その後に彼等を待ち受けていたのは更なる脅威だった。
都市部等で運用する対人掃討機、即ちマンハンターが起動し、艦内の人間を狩り始めたのだ。
その他にも艦自体のセキュリティ、更には対BC防御システムまでもが生存者に牙を剥いた。
結局、アイギスによってウォンロンの出現を察知したランツクネヒトが艦内へと突入した時、生存していた乗組員の数は全体の1割にも満たない僅か52名。
内6名は後に、この時の負傷が原因となって死亡してしまう。

ランツクネヒト、そしてコロニー群に身を寄せる生存者にとっては、ウォンロンの転送は思わぬ幸運だった。
旗艦となり得る主力戦闘艦がL級次元航行艦1隻という状況下で、戦略兵器を満載した大型戦闘艦が現れたのだ。
彼等はウォンロンの生存者を収容した後に艦内を制圧し、一部制御系統を破壊する事で除染に成功。
生存者の協力の下に、カタパルトを始めとする各種設備の改修を経て、艦をコロニー防衛艦隊へと組み込んだ。
そして今、ウォンロンは無数の機動兵器と22機のR戦闘機を搭載し、脱出艦隊の旗艦として作戦行動に当たっている。

「・・・これが3時間前の映像だね」

ウィンドウを閉じ、自身の隣へと視線を移す。
青の髪、赤の髪。
無言のままにウィンドウを見つめていた2人へと、彼女は気遣わしげに言葉を掛ける。

「・・・大丈夫?」

返す視線は、何処か虚ろだった。
1人はウィンドウの消えた中空から、もう1人は自身の掌から視線を外して彼女を見やる。
どうやら聞こえていなかったという訳ではないらしく、返答は確りとしたものだった。

「私達は大丈夫です。それよりも、なのはさんはどうなんですか? 軽い怪我ではなかったと聞きましたけど」

逆にこちらを気遣う言葉に彼女、なのはは苦い笑みを浮かべる。
彼女が目覚めたのは約21時間前、目前の2人より12時間遅れての覚醒だった。
完治までに要したその時間は、彼女が負った傷の重大さを意味している。
しかし状況の把握と前線への復帰については、2人よりもなのはの方が早かった。
無数の検査を受けねばならなかった2人とは異なり、彼女の場合は30分で全ての検査が終了してしまったのだ。
結果として2人の前線への復帰は約2時間前の事となり、今はこうしてなのはから状況の説明を受けている。

「大丈夫、もう完璧に治ったよ・・・ちょっと違和感はあるけどね」
「あはは、良く解ります」

そう言って朗らかに笑う彼女、スバル。
だがなのはは、その笑顔が作られたものだと見抜いていた。
その表情の裏に、色濃い苦悩が渦巻いているのだと。

無理もないだろう。
ナノマシンによる高速復元を受けただけのなのはでさえ、自身の身体が数十時間前のそれと同一のものか否か、判然としない感覚を味わっているのだ。
況してやスバルとノーヴェは、脳髄を除く全身を再構築するという、治療とも呼べない異常な方法で生命を取り留めている。
長年に亘り苦楽を共にしてきた身体を本人達すら知り得ぬ間に奪われ、意識が回復した時には全く新しい身体が与えられていたというのだから、彼女達の受けた衝撃は如何ばかりのものか。
驚く程に違和感はないと語ってはいたが、その事実は何ら救いとはなり得ない。
彼女達がこれまでの人生を刻み込んできた本来の身体は、もはや永遠に失われてしまったのだ。
変わらぬものは、自身ですら認識する事が叶わぬ脳髄だけ。
極論してしまえば、それすらも本当に自身のものであるか否か、確かめる術は無いのだ。

そして彼女達が苦悩しているのは、その事実だけではあるまい。
現在は脱出艦隊と共にある、計9機の無人R戦闘機。
その制御中枢として用いられたという、スバルとノーヴェの体組織を用いた培養体。
戦闘機人として有する無機構造物との高度癒着性ゆえ、脳髄のみの存在として生み出された彼女等は自己の意識を持つ事すら許されずに加工され、唯バイドと戦う為だけの生命として変貌させられたのだ。
否、地球軍の例を鑑みるに、生物個体としての認識があるか否かも怪しいものだろう。
良いところ、単なるR戦闘機の一構成部位という認識かもしれない。
自分自身、或いは姉妹とも云えるそれらが単なる部品として扱われているという事実をどう受け止めれば良いのか。
2人は導きだせる筈もない答えを探し出そうと、必死に思考の闇を掻き分けているのだろう。

「・・・それで、アタシ達は此処で何をすれば良いんだ?」

暗く沈みゆく思考を引き上げるかの様な、ノーヴェの声。
彼女は自身達をこの場、即ちコロニー外殻へと運んできた強襲艇、そのタラップを降りるランツクネヒトの人員を見やっていた。
その声には怒気も敵意も感じられなかったが、常からの彼女の苛烈さを知っている身としては、逆にそれが良からぬ傾向に思える。
彼女もまた、自己の同一性について苦悩しているのか。

「外部からの救出部隊が到着するまでコロニー群を護る事、それが私達の役割だね。宙間戦闘はR戦闘機や艦艇の土壇場だから、私達は此処に取り付く小型から中型の機動兵器を排除する」
「防衛衛星は?」
「アイギスの兵装は威力が大き過ぎて、コロニーに取り付いた敵を撃つ事はできない。其処で、小回りの利く魔導師と小型機動兵器の出番って訳」
「ランツクネヒトのR戦闘機部隊はどうしているんです」
「「ヴィルト」隊と「ドロセル」隊は脱出艦隊の方。「シュトラオス」隊はアイギスと一緒に宙間防衛任務に就いているよ。此処に居るのは「ペレグリン」隊の4機、後は「ヤタガラス」だね」

言葉を紡ぎつつ、なのははランツクネヒト所属のR-11Sと、約26時間前に新たに合流を果たした地球軍所属のR戦闘機の映像を表示してみせる。
だが地球軍のR戦闘機の映像を目にするや否や、スバルとノーヴェの視線が剣呑な光を帯びた。
スバルは驚愕に、ノーヴェは敵意に満ち満ちた眼で、ウィンドウ上に映る黄色の塗装を施された機体を見据える。
そしてなのはにとってもその機体は、決して好ましくはない記憶と共に脳裏へと刻み込まれたものだった。
機体各所に張り巡らされたチューブ、複数の放熱機とタンク、キャノピー下部のノズル。
忘れはしない、忘れられる筈もない。

「R-9Sk2 DOMINIONS」
主天使の名を冠されし異形、業火を支配する機体。
嘗て第4廃棄都市区画を焼き尽くし、その炎によってなのはをも追い詰めたそれ。
3本の脚を持つ烏のエンブレムが刻まれたその機体は今、映像の中のそれと寸分違わぬ姿を彼女達の頭上に現わしていた。
航空機の尾翼を思わせる3つのコントロールロッド、各々のロッド左右に位置する計6枚の翼状放熱フィールド、それらを備えた巨大なフォース。
9つもの翼を広げる異形の影は、成程、日本神話にあるという三本脚の烏を思わせるものと捉えられるかもしれない。
神話の八咫烏は太陽の象徴であるとの事だが、こちらもまたトカマク型核融合炉を内蔵した機体だ。
だが同じ原理、同じ力を司る神の名を冠されているとはいえ、その機体の全貌からは神々しさなど全く感じられず、寧ろ禍々しさと質量兵器特有の無機質さが際立っている。

何よりこの機体の存在を認め難い理由は、複数の同型機がクラナガン西部区画に対し、無差別砲撃を繰り返していた事実が記録映像より判明している事だ。
それらの砲撃は撃墜した汚染体の焼却が目的だったらしいが、クラナガン市民の生命を完全に無視したその凶行によって、少なくとも4万人が行方不明となっている。
死者よりも行方不明者の数が圧倒的に多い理由は、5,000,000Kにも達する超高温の炎によって、犠牲者の身体が区画ごと消滅してしまったからに他ならない。
どうやらなのはを砲撃した際には数千度にまで熱量を抑えていたらしく、更に西部区画でのそれについても最大出力での砲撃であったかは疑わしい。
何せあの機体には、熱核融合炉が搭載されているのだ。
熱核融合の励起には100,000,000K以上もの熱が必要である事を考慮すれば、最大出力での砲撃時には他のR戦闘機をすら凌駕する圧倒的、破滅的な破壊を齎すものと予想できる。
否、砲撃に波動粒子をも用いている事を考慮に入れれば、破壊の規模はその予想をすら上回るかもしれない。

「・・・このコロニーごと焼き払うつもりですか、彼等は」
「流石に出力は制限されているって話だよ。まあそれでも、巻き込まれたら一巻の終わりなのは変わりないけれど・・・私達も、ランツクネヒトもね」

ウィンドウを閉じ、息を吐く。
空洞内部は無重力だが、大気が在る為に呼吸は可能だ。
現在地であるコロニー外殻は人工重力が発生しており、その影響範囲は外殻から200m以内の宙間にまで及ぶ。
よって魔導師や歩兵、各種陸上機動兵器は、通常の感覚で行動する事が可能となっている。
なのは達は此処で、アイギスと艦隊、そしてR戦闘機による防衛網を突破し、外殻からコロニー内部へと侵入を図る汚染体を迎撃するのだ。

「それにしても・・・敵は本当に、あの防衛網を突破してくるんですか? 核弾頭とレーザー、おまけに電磁投射砲と波動砲にアルカンシェルですよ」
「それでもかなりの数が突破に成功するみたい。敵の物量が圧倒的過ぎて、どんなに少なくても3%近くがコロニーに取り付くらしいよ」
「具体的にはどれ位なんだ」
「小型の汚染体が300から400、50m級が約20、稀に100m以上が1体から2体」
「・・・3%でそれかよ」

うんざりとした様子で呟くノーヴェを横目に、なのはは頭上のヤタガラスを見上げ、次いで外壁の彼方を飛ぶ小さな影を見据える。
このコロニーは直径6km、全長は54kmに達する円筒形だが、彼女達の現在地はその端部だ。
その影が飛んでいるのは外殻中央、約27km離れた地点の筈だが、微かに視認できるその影はR戦闘機と同等か、或いは一回りほど大きい。
しかしその飛び方は、どちらかと云えば有機的な物を感じさせた。
悠々と宙を舞う影の傍には、それよりも少し小さな影が寄り添う様にして付き従っている。

「ヴォルテールとフリードですね」

スバルから掛けられた言葉に、なのはは無言のままに頷く。
真竜ヴォルテール。
第6管理世界、アルザスの守護竜。
竜召喚士であるキャロの命によって召喚され、彼女の障害を打ち砕く黒き竜。

「あれ、ルーお嬢の白天王をやった黒い奴か? 何で此処に居るんだよ」
「召喚したのは隔離空間が拡大した後だったんだけど、アルザスに戻す事ができないらしいよ・・・キャロが言うには、アルザスか第6管理世界全域に何かあったんじゃないかって・・・」
『警告。第4層より敵機動兵器群接近。出現ポイントA-74からJ-55。アイギス、交戦開始』
『第3層より敵機動兵器群接近。出現ポイントC-03からW-92。シュトラオス隊、交戦開始』

なのはの言葉を遮る様にして、全方位念話での警告が飛ぶ。
咄嗟に宙空を見上げれば、闇の彼方に無数の光が瞬き始めた。
同時にヤタガラスが緩やかに上昇を始め、そのまま人工重力の影響範囲外へと脱すると、青い燐光と轟音、そして衝撃波だけを残しその姿が掻き消える。
どうやら、反対側のコロニー外殻へと向かったらしい。
頭上の宙空は無数の閃光によって完全に覆い尽くされているが、距離の関係から此処までは未だに一切の音が届いてはいない。
レイジングハートを通じてバリアジャケットの防音設定を変更しながら、なのはは無言で激しい宙間戦闘の光景を見上げる。

『やっぱり、気になりますか?』

そんな中、スバルからの念話が届いた。
今にも轟音が届くとも知れない中での、音声での会話は危険と判断したのだろう。
下手に防音設定を解除すれば、突然の轟音で聴覚を損なう恐れがある。
本来はデバイスが適度に調整してくれる為、これまでは特に気にも留めなかった。
しかし聴覚への被害の恐ろしさについては、つい数十時間前に身を以って体験したばかりだ。
少しばかりプログラムを強化し聴覚の保護に努めねば、まともに戦闘を行う事すら危ういだろう。
そんな事を思考しつつ、なのはは念話を返す。

『何の事?』
『例のカイゼル・ファルベを操ったっていう汚染体の事です。ザブトム・・・でしたっけ。R戦闘機の追撃を振り切って、第4層に逃げ込んだんですよね』

その言葉を受けたなのはの脳裏へと浮かぶのは、あの鋼色の異形の全貌。
40mにも達する全高に、全長が70m程もある節足動物の様な下半身。
人が認識し得る、ありとあらゆる負の感情が凝縮されているかの様な、醜悪な形相。
その額へと埋め込まれた、直径4mを超える赤い結晶体、レリック。
コードネーム「ZABTOM」。

逃げ切っていたのだ、あの戦域から。
砲撃によりなのはが意識を失った後、あの異形は浅異層次元潜航を用いて離脱を図ったらしい。
無論、目標と交戦中だったR-9C「メテオール」は追撃に移ろうとしたが、周囲の残存艦艇、その全てがオンラインとなった為に断念せざるを得なかったのだという。
メテオール、そして辛うじて意識を保っていた攻撃隊員達は、戦闘に気付いたランツクネヒトが応援に駆け付けるまでの約3時間、正に全滅と紙一重の戦闘、正確には逃走劇を継続。
最終的に、汚染艦艇群はペレグリン・ドロセル両隊とアイギス群の集中砲火により殲滅され、攻撃隊は意識の無いなのは共々ランツクネヒトに保護されたのだ。
戦域からの離脱に成功したザブトムの行方は、未だに判明していない。

『・・・全く歯が立たなかった訳だし、あれがまだ健在って事は此処も襲われるかもしれない。警戒しておくに越した事はないよ』
『できる事なら脱出艦隊の帰還まで、何処かで大人しくしていて貰いたいですね』
『できる事なら、ね』

その時3人の傍らに、警告音と共にウィンドウが展開される。
通常とは異なる赤い画面に、黒い「WARNING」の表示。
同時に質量兵器及び魔導兵器群による長距離砲撃が開始され、外殻の其処彼処から砲撃と誘導弾体が宙空へと放たれ始めた。
魔導師よりも射程の長いそれらが、迎撃の先鋒を担っているのだ。
続いて念話が脳裏へと響く。

『警告、敵機動兵器群の一部が防衛網を突破。「リボルバー」281体及び「キャンサー」149機、タイプ「ギロニカ」18体』
『管制室より全隊、照明弾を射出する』

「AIFS activated」の表示がウィンドウ上に現れると同時、コロニー外壁の各所より無数の火柱が上がり、数百ものロケット弾が宙空へと放たれた。
それらは微かに白い尾を引きつつ、瞬く間に闇の中へと消える。
そして、閃光。
強烈な白い光の中、コロニーへと近付く全ての影が明確に浮かび上がる。
敵、接近中。

『魔導師隊、迎撃を開始せよ』

その念話が伝わり切るよりも早く、無数の砲撃と魔導弾の弾幕が撃ち上げられる。
閃光の中に浮かぶ影は随分とその数を減らしてはいたが、それでも蜘蛛の様な大型の影が複数、砲撃のカーテンを物ともせずに降下してくる様が見えた。
異様な光景に軽く息を呑むと、なのははレイジングハートを構えて背後の2人へと指示を飛ばす。

『迎撃するよ、スバル、ノーヴェ! 単独行動はせず、周囲の魔導師隊と協力して・・・』

その言葉が言い切られる事はなかった。
宙空に巨大な業火の線が刻まれ、大蛇の如く蠢くそれが影を次々に呑み込んでいったのだ。
小型の影は跡形もなく消滅し、大型のものは爆散し炎を纏った僅かな破片となって降り注ぐ。
忘れもしないその光景、ヤタガラスの砲撃だ。

だがそれでも一部の大型敵性体は、途切れた砲撃の合間を縫って降下を続ける。
激しい迎撃によって2体が宙空で四散したものの、未だに5体が健在だ。
降下軌道から予測される落着地点は、恐らくは外殻中央。

『おい、あそこって!』
『なのはさん!』
『分かってる、行くよ!』

落着地点に位置するエリオとキャロを援護すべく、なのははスバル達を引き連れ外殻中央へと向かう。
長距離砲撃は新たに防衛網を突破した一群の迎撃へと移行した為、降下中の5体を狙い撃っているのは魔導師と、質量兵器によって武装した歩兵のみ。
中央周辺にははやてとヴォルケンリッター、少し離れた位置にはギンガや他のナンバーズも居るが、速やかに大威力の砲撃を放てる者ともなればその数は限られる。
はやての砲撃は強力だが、詠唱に時間が掛かる為に敵性体の落着以前に発動する事は困難だ。
無論、他にも多くの戦闘要員が配置されているが、援護が来るまでの短時間とはいえ5体もの大型敵性体を相手取るには、エリオ達と数名の魔導師では不安が残る。
すぐにでも駆け付け、可能な限り速やかに攻撃に移らねばならない。

そんななのはの思考を嘲笑うかの様に、遥か前方の外殻に紅蓮の閃光が奔る。
爆発と見紛うばかりのそれに一瞬、最悪の事態がなのはの脳裏を過ぎるも、直後にその意識は閃光の内より放たれた2条の砲撃に引き付けられた。
周囲の大気をすら消し飛ばしつつ放たれた、紅蓮の業火を纏う2発の大規模砲撃魔法。
それらは降下中の異形2体を呑み込み、一瞬にしてその巨躯を四散させる。
砲撃の余波は他の1体にまで及び、その6本の脚の内2本を消し飛ばした。

降下姿勢を崩し、錐揉み状態に陥る異形。
その存在を無視するかの様に、金色の閃光が異形の傍らを突き抜ける。
魔力光の残滓を引きつつ、衝撃波を撒き散らして宙空を貫く雷光。
直後、如何なる理由か、残る2体の異形が降下姿勢を崩す。
3体の異形は姿勢回復を試みる様子もなく、人工重力に引かれるままに降下を続け、そして。

『ギロニカ、落着3。機能停止2』

そのまま、外殻へと叩き付けられた。
第一派迎撃開始より、実に1分12秒。
余りにも短時間の攻防だった。

*  *


『馬鹿げている・・・!』

チンクより発せられた念話は、眼前の戦闘を目撃したほぼ全ての魔導師の内心を的確に言い表しているだろう。
少なくともはやてとしては全く以って同意であり、目の前で繰り広げられた戦闘は彼女が良く知る少年と少女の行う戦いではなかった。
4体の大型敵性体を僅か6秒で撃破し、更に1体を行動不能に陥らせた攻撃。
簡潔に言ってしまえば、ヴォルテールのギオ・エルガに続いて、エリオのメッサー・アングリフによって連続的に攻撃を実行したに過ぎない。
しかしそれは、個々の攻撃の規模こそ桁違いではあるが、はやての知るエリオとキャロの連携と異なる箇所は無いのだ。
異常なのは其々の攻撃精度と威力、そして速度である。

ギオ・エルガが降下中の2体を精確に捉え一瞬で破壊した事は勿論だが、はやてにとってはその後のエリオの攻撃こそが理解の範疇外だった。
何しろ、一部始終を目撃していたにも拘らず、彼が何をしたのか全く視認できなかったのだ。
それでも、突如として宙空に出現したエリオの手に握られたストラーダが紫電の光を纏っていた事から、メッサー・アングリフを発動したのだろうという事は辛うじて理解できた。
解らないのは、彼がそれで何をしたのかという事だ。

『・・・ザフィーラ、見えた?』
『ええ、何とか』
『エリオは、何を?』

自身の家族にして守護獣であるザフィーラへと問い掛ければ、彼はエリオの行動を視認できたという。
はやてには彼の魔力光と、全てが終わった後に現れた彼の姿しか視認できなかった。
一体、エリオは何をしたのか。

『刺突です』

ただ一言。
ザフィーラが放ったのは、それだけだった。
数秒ほどはやては彼の背を見つめ、呆然とした様子を隠しもせずに再度の問いを放つ。

『刺突が、どうしたん?』
『ですから、エリオのした事です。メッサー・アングリフによる突進からの刺突、彼がしたのはそれだけです』

はやては理解できなかった。
先ず、あの大型敵性体を単なる刺突で以って撃破したという言葉だ。
ストラーダに異様な改造が施されている事は既知であったが、それを考慮に入れたとしても異常である。
確かに、魔力付与を用いて放たれるエリオの刺突・斬撃は、師の1人であるシグナムのそれとまでは行かずとも強力だ。
だが、あれだけ大型の機動兵器を一撃で撃破できる程かと問われれば、はやては否と答える。
ガジェット程度なら未だしも、相手は幅50mにも達する機動兵器。
如何に強力とはいえ、飽くまで対人及び対小型機動兵器戦闘を想定して構築されたエリオの近代ベルカ式魔法では、それら規格外の存在を単独にて打倒する事は困難を極める筈だ。

更に理解できない事は、単体でさえ苦戦する筈の大型敵性体が2体存在し、それらがほぼ同時に機能を停止したらしき事である。
少なくとも、他方面からの攻撃が降下中の2体へと届いた様子は無かった。
であれば、それらを撃破したのはエリオ以外には有り得ない。
それともランツクネヒトか地球軍辺りが、こちらの知覚範囲外より何か仕掛けたのだろうか。

『エリオだ、はやて』

そんなはやての内心を察したのか、ヴィータからの念話が届く。
見れば彼女は、グラーフアイゼンを肩へと担いだまま、遥か前方を舞うフリードの影を見据えていた。
そして、険しい表情から滲む警戒の色を隠そうともせず、言葉を紡ぐ。

『どっちもエリオがやりやがった。一瞬だ』
『一瞬って・・・』
『ストラーダから一瞬だけ馬鹿デカい魔力刃を展開して1体目を貫いた後、その図体を蹴って殆ど減速なしで2体目をブチ抜きやがった。フリードの背中を飛び立ってから2秒も掛かっていない』
『おまけに魔力刃を敵に突き立てた後、サンダーレイジを放っています。内部から敵兵器の制御中枢を焼き切ったのでしょう』

ヴィータ、そしてザフィーラの言葉に、はやては改めてエリオの影を見やった。
彼は人工重力の影響範囲外へと脱した後、宙空より眼下の敵性体残骸を見据えている。
その時はやては、残骸と化したかに見えた一体が、未だ活動を続けている事に気付いた。

『・・・あかん!』

それは、ギオ・エルガの余波により姿勢を崩した1体。
どうやら外殻との衝突を経ても機能を保持していたらしく、残る4本の脚で姿勢を正すと同時に歩行を開始した。
良く見ると敵性体の表層は有機組織に覆われており、恐らくは半有機系機動兵器の一種であると思われる。
そして上部の機械部位より、発光する気泡が間欠泉の如く放たれ始めた。
その数は数十などという生易しいものではなく、明らかに1000を超えている。
僅かに下降して同高度に留まる無数の気泡は、不気味な光の帯となって周囲へと拡散を始めた。

『警告。ギロニカ、多目的浮遊機雷の放出を開始』
『敵兵装MFM-805、有機系空間制圧機雷。弾体は強酸性及び爆発性のガスを内包』
『こちらライトニング、目標を攻撃します』

管制室からの警告が届いた直後、聞き慣れたコールサインと共に別の念話が発せられる。
見れば、何時の間にかヴォルテールが敵性体へと接近しており、その背に乗る小柄な人物からは嵐の様に激しい弾幕が敵性体へと撃ち込まれていた。
その弾幕は記憶の中のそれよりも遥かに密度が高いが、恐らくはキャロのウイングシューターだろう。
攻撃はそれだけに留まらず、フリードが敵性体の周囲を旋回しており、矢継ぎ早にブラストレイを目標周辺へと撃ち込み続けていた。
弾幕と噴き上がる爆炎が気泡状の浮遊機雷を片端から焼き尽くし、更に敵性体の脚部を覆う有機組織までをも剥ぎ取ってゆく。

次の瞬間、目標は全ての機能を停止していた。
可視化した衝撃波と金色の閃光がはやての視界を閉ざした後、再度視線をやった先には、敵性体上に立つエリオの姿。
その手に握られた異形のストラーダは敵性体の体躯に深々と突き刺さり、微かに紫電を放った後に呆気ないほど軽く引き抜かれた。
カートリッジシステムに装着された「AC-47β」から、大量の圧縮魔力が高圧蒸気の如く噴出する。
エリオは周囲の炎を気にも留めずに跳躍、低空を滑空する様にして接近してきたフリードの背へと飛び乗った。
フリードは上昇、頭上で待機していたヴォルテールと並び旋回を始める。

『ギロニカの撃破を確認。外殻クリア』
『アイギス及び防衛艦隊、敵の殲滅に成功。外殻展開中の各部隊は現状のまま待機、指示を待て』

呆然と2騎の竜を見つめていたはやては、管制室からの念話によって漸く戦闘が終結した事を理解した。
そうして、気付く。
自身がこの場に於いて、如何に無力であったかを。

何もできなかったのだ。
防衛網を潜り抜けて降下してきた敵の殆どは、各次元世界の兵器とR戦闘機によって大きくその数を減じ、僅かに落着した大型敵性体はエリオとキャロの2人が完膚なきまでに殲滅してしまった。
やや離れた地点に位置するティアナ達、そしてギンガとナンバーズは数機の小型敵性体を撃破した様だが、自身等は交戦にすら至らなかったのだ。
自身も、自身の家族達も、短時間の内に発動できる長距離攻撃魔法を持ち得てはいない。
ザフィーラやヴィータ、今は負傷者の治療に当たっているシャマルは勿論の事、シグナムのシュツルムファルケンでさえ射程と発動時間の面では些か心許ない。
自身は大威力・長射程の砲撃魔法を有してはいるものの、やはり発動時間の面で絶対的な不利がある。
故に、この迎撃戦に於いては、全くの戦力外だったのだ。

条件は同じだった筈である。
ヴォルテールの砲撃が如何に強力であるとはいえ、魔力の充填にはそれなりの時間が必要。
エリオの機動性が如何に優れているとはいえ、射程の絶対的な不足は覆し様のない事実。
にも拘らず、2人は実に見事な手際で、5体もの大型敵性体を撃破して退けた。

果たして、自身等に同じ芸当が可能だろうか。
恐らく不可能だろう。
あのタイミングで砲撃するには、敵性体落着までの時間を正確に予測せねばならない。
あの機雷を射出する異形の表層へと取り付くには、敵性体の行動を読み切らねばならない。
そのどちらについても、自身達には実行できるだけの下地が無い。
何故か?

「・・・決まっとるやん」

自身等には経験が無い。
自身の五感を通して収集した敵性体の情報も無ければ、攻撃実行を決断できるだけの要素も無い。
だがあの2人は、そして一月に亘りこのコロニーで生き抜いてきた者達は、それを自らの経験として獲得している。
彼等にしてみればこの程度の戦闘など、これまでにも幾度となく繰り返してきた事なのだろう。
キャロは砲撃のタイミングを知り尽くし、エリオは何処を攻撃すれば効率的に敵を屠れるかを知り得ている。
だからこその、あの手際、あの結果だ。
同様の戦果を叩き出す事など、現状でできる筈もない。
少なくともこの戦場で自身等は、あの2人と比して考えれば新兵も同然なのだ。

『管制室より外殻展開中の各部隊へ。敵増援は確認できず。魔導師及び歩兵部隊は順次コロニー内へ退去せよ』
『ライトニング隊、第3通信アレイ・ハッチへ』

はやて達の頭上を、黄色の塗装を施されたR戦闘機が悠々と飛び越えてゆく。
その後を追う様に白と黒の竜が飛び去った後、彼女は力なく首を振ると、傍らの2人を促して歩き始めた。
少し離れた位置を、同じ様にして歩くギンガ達の姿を視界の端へと捉えながら、彼女は遅々とした歩みでハッチを目指す。
一息に飛んで移動する気には、到底なれなかった。

*  *


解り切っていた事ではあるが、40000を超える人員の全てを同時に脱出させる事は不可能だった。
コロニーごと移動してはどうかという意見もあったが、コロニー自体の防衛能力及び耐久性の貧弱さ、そして何より移動速度が問題となり却下されたらしい。
そもそも浅異層次元潜航が不可能となった時点で、独力での脱出の望みは潰えた様なものだったのだ。
では何故、この段階で脱出作戦が決行されたのかと問われれば、それには大まかに3つの理由があった。

1つは、当初の想定を超える戦力が揃った事だ。
ウォンロンという大型戦闘艦のみならず、総数8機ものR戦闘機との合流。
そしてスバルとノーヴェを解析して得られた情報、それらを基に培養された制御ユニットを搭載する事で、無人制御が可能となった9機のR戦闘機。
これらが揃った事で、浅異層次元潜航を使用せずとも正面から敵戦力を突破できるのでは、という可能性が出てきたのだ。
更に、総数900基を超える防衛人工衛星アイギスの約半数を随伴させる事により、大規模艦隊戦にすら対応できる程の戦力を送り出す事が可能となった。
艦隊を構成する各艦艇の巡航性能、そして敵の迎撃等を考慮すれば光速航行など望むべくもないが、それでも11時間以内に何らかの結果が齎されると思われる。
現時点で艦隊の出撃より4時間が経過している為、作戦が順調に進行すれば7時間以内に脱出艦隊、若しくは救援部隊がこの第3空洞へと現れる筈だ。

2つ目は、時間的猶予の消失である。
現状で判明している外部の状況は、決して好ましいものではない。
時間が経過するにつれ、バイドの物量は確実に他の勢力を圧倒してゆく。
最悪、地球軍を含む各勢力が遠方へと撤退する事態も考えられた。
そうなってしまえば、救援など望むべくもない。
よって、何としても短期の内に、外部との連絡を取る必要があったのだ。

既に、コロニー群の防衛戦力はそれなりに充実していた。
脱出艦隊の12隻を除いても、L級を筆頭として構成された7隻の戦闘艦による防衛艦隊。
ペレグリン・シュトラオス隊を含む11機のR戦闘機、450基を超えるアイギス。
数十機にも達する大型の質量・魔導兵器、1700名以上もの魔導師。
襲い来るバイド群を撃退するには、確実とは言えずとも十分な戦力である。
最早、作戦実行を躊躇う必要性は何処にも無かった。
このまま籠城戦を続けていたとしても、いずれはバイドの物量によって圧殺される事となるのだから。

そして、3つ目。
これまでに幾度となく、生存者達を悩ませてきた問題があった。
幾度か事態の改善を図ったものの、今に至るまで解決されてはいないその問題とは。

「またか・・・」

不規則に点滅した後、エリオの呟きと共に落ちる照明の光。
停電である。
このコロニー、元々は水星及び金星の公転軌道上に浮かぶ発電衛星群からの送電によって電力を得ていたらしく、完全自律発電機構としては非常用の原子炉が2基、それもコロニー建造当初の旧式型しか備えられてはいなかった。
無論、それで防衛系統を含む全システムへの電力供給が事足りる筈もなく、苦肉の策として第88民間旅客輸送船団の輸送艦2隻を第4ドックへと固定し、その動力である常温核融合炉を使用して電力を得ているのが現状である。
しかしそれでも、電力喰らいの防衛システムを維持した上で他系統への電力供給を網羅するには到底足りず、こうして不定期に何処かの区画が停電を起こすのだ。
電力供給に用いる輸送艦の数を増やしてはどうかとの意見もあったが、資源の輸送やコロニー間に於ける物資の流通等を考慮すると、これ以上は稼働状態にある艦数を減らす訳にはいかなかった。

結果、こうして現在もエリオ達の居る区画が停電するに至っている。
復旧までの時間もまちまちで、30秒程で回復する場合もあれば、2時間近くも停電が続いた事もあった。
元々が急ごしらえのシステムなので、異常の発生箇所もほぼ毎回に亘って異なるのだ。
こうなると大気循環システムまでもが停止してしまう為、各区画の隔壁は常に開放されている。
何時だったかランツクネヒトの隊員がエリオに、対バイド戦に於いては致命的な事だとぼやいていたが、停電で窒息死するよりはましだというのが大方の意見だった。

「今度は何時まで掛かるかな・・・」
「今回は早いと思うよ。原因はG-08のマス・キャッチャー格納区だって」

隣から掛けられた声に、そちらへと視線をやるエリオ。
其処には暗闇の中に浮かぶウィンドウを前にして操作を行なっているキャロ、その肩で翼を休めるフリードの姿があった。
彼女はウィンドウを閉じ、照明代わりの魔力球を浮かべる。

「空調も停止してる。少し暑くなるかも」
「良いんじゃないかな、このエリアって少し寒い位だし」

自らの使役竜の顎下に手をやり撫ぜるキャロと、微かに目を細めるフリード。
一見すれば微笑ましい光景だが、以前のそれとは僅かに異なるものである事をエリオは知っている。
キャロの表情に笑みはなく、フリードも以前の様に声を発する事はない。
それが何時からの事であるかも、エリオは良く覚えている。

六課解散後、キャロと共に自然保護隊所属となったエリオは、彼女の元上司である2人の局員から大いに世話を焼かれたものだ。
ミラ、そしてタント。
彼等は上司としての指導に当たる傍ら、キャロとエリオを自身の妹と弟の様に可愛がり、どちらかといえば娯楽に疎い2人の為に様々な遊びを教えてくれたりもした。
エリオも彼等を姉や兄の様に想っており、2人が交際を始めた事を打ち明けてきた時も、キャロと共に我が事の様に喜んだものだ。
2ヶ月前にミラの妊娠が発覚した際も、喜びの余りタントが彼女を抱き締める傍らで、2人共に心中へ次から次へと浮かんでくる喜びと祝いの言葉を送り続けた。
そうしてあの日も、検査の為に仲睦まじく街へと向かう彼らを乗せた車を、巡回前にキャロと並んで手を振りつつ見送ったのだ。

スプールス全土へと「何か」が落着したのは、その3時間後だった。
狂った生態系が猛威を振るう地獄の中を死に物狂いで逃げ惑い、襲い来る異形の生命体群を片端から屠る。
救援を求めても答える者は無く、近辺の生存者を集めると状況に流されるがまま籠城戦が始まった。
こちらが優勢だったのは、最初の2時間のみ。
後は尽きる事のない物量によって徐々に圧され、初めに1人、次に10人、次に100人と、秒を追う毎に犠牲者数が増えていった。
だが、真に生存者達を追い詰めたのは、その事実ではない。

スプールスに生息する生物の大多数は、リンカーコアを有している。
それらは個体識別に利用する事ができ、更に対象の同意を経て付与される識別用マーカーにより、120時間毎に自然保護隊の施設へと24時間のバイタル送信を行うシステムが構築されていた。
そのシステムは住民にも任意で適用され、雨期には比較的大規模な自然災害が多発するスプールスの環境から、彼等を効率的に守る為に利用されていたのだ。
そしてあの日もまた、バイタル送信の実行日だった。

原生生物のバイタルに紛れる様にして複数の人間のバイタルが存在する事に気付いたのは、近代ベルカ式という戦闘スタイル故に最前線でストラーダを振るっていたエリオだ。
一部の敵が住民のバイタルを複数に亘って有している事を確認したエリオは、しかしそれを熟考する暇さえなくストラーダで対象を貫いた。
切迫した戦況下での咄嗟の行いだったが、実感を以ってその事実を振り返る事ができたのは4時間程が経過してからの事だ。

休息を取っていたエリオは、自身が「人であったもの」を殺めたという事実を反芻し、恐怖した。
嘔吐し、震え、水を飲み、また嘔吐する。
恐ろしい事実に彼の心は軋みを上げ、悔恨が意識を締め付ける。
だが、其処で膝を屈するにはエリオの意思は屈強であり過ぎ、思考は聡明であり過ぎた。
彼はキャロや他の生存者に余計な心労を負わせまいと、自身を叱責して再度前線へと向かう。
そして襲い来る「人であったもの」達を、自身の心を殺しつつ屠り続けたのだ。

その頃になると、生存者達は皆が気付いていた。
押し寄せる異形の生命体群の中に、人間を基とする個体が少なからず存在する事に。
無論、キャロも例外ではなかっただろう。
フリードの放つブラストレイは徐々に大型の敵のみを狙い始め、その砲撃頻度も時間を追う毎に減少していった。
施設のシステムは暴走し、敵性体へと接近する度に対象の個人名が表示される様になってはいたが、エリオは強靭な意志でそれらを無視する。
認識してしまえば、槍を振るう事などできなくなってしまうから。

意志の力を振り絞って、表示されるウィンドウを意識の外へと追いやり、悲鳴を上げる肉体とリンカーコアを無視して、敵を屠り続けた。
只管に突き、抉り、薙ぎ、穿った。
悲鳴も、咆哮も、血飛沫も、負傷さえも無視した。
戦闘以外に関する全ての思考を抑え込み、突き殺し、焼き殺し、踏み潰した。
一瞬でも攻撃の手を緩めれば、その立場となるのは自身達であると理解していた。
皆を護る為に、自身が生き残る為に、絶対の暴力たらんとした。

それでも近接戦闘である以上、強制的に視界へと飛び込む情報もある。
対象へとストラーダを突き立てた瞬間に、眼前に表示されたウィンドウ上の名が目に入ってしまう事は幾度となくあった。
だがそれすらも無視し、エリオは押し寄せる無毛の鳥類にも似た異形を屠り続ける。
肉片と鮮血と共に敵の体内に巣食う無数の寄生虫が降り注ぐ中、彼は数十体目の異形へと突進、スタールメッサーで両脚を叩き斬り、落下してきた胴体へとストラーダの穂先を叩き込んだ。
その瞬間、噴き出す血潮の中で展開されたウィンドウを通し、彼の視界へと飛び込んできた人物名。



「タント」
「ミラ」
「胎児レベル 個人名未登録」



其処からのエリオの記憶は曖昧だ。
ただ、大量の魔力を消費した事と、耳を覆いたくなる様なキャロの悲鳴だけは覚えている。
後に記録映像を見たところ、彼は電気変換された魔力による暴走を引き起こしていた。
サンダーレイジの効果域を超える広範囲に亘って紫電の光が爆発し、周囲のありとあらゆる生命体を死滅させたとの事だ。
そして意識を失った彼はその後、5時間に亘って眠り続ける事となる。

尤も、彼自身は後に映像を見るまで、そんな事実があった事すら認識してはいなかった。
気付いた時にはベッドで仰向けになり、屋外より響く戦闘の音を耳にしつつ呆けていたのだから。
ただ、止める局員やキャロをすら振り切ってすぐさま戦闘へと復帰した際、異様に思考が落ち着いていた事だけは覚えていた。
後は機械的に敵性体を処理し、適当に敵を密集させた後にサンダーレイジで感電死させる作業を繰り返していた記憶はある。
そうこうしている内に人工天体内部へと転送され、ランツクネヒトによって保護されたのだ。
絶望的な籠城戦を生き延びたエリオ等だったが、その頃からキャロは全くといって良い程に笑わなくなった。
時折見せる笑顔は明らかに繕ったものであり、以前の様に自然な笑みを浮かべる事は決してない。
更に、今でこそこうして会話もできるが、保護された直後は顔を合わせる度に、まるで逃げる様にして彼の前から立ち去る事を繰り返していたものだ。

キャロが何を考えているのか、ある程度はエリオにも想像できた。
「ミラとタントであったもの」を殺してしまったエリオに対する制御できない憤り、それを抱く自身に対する憤怒と嫌悪、エリオに手を下させてしまった事に対する後ろめたさといったところか。
実質、あの時点でミラとタントという人間は死亡したも同然である事、殺害以外に方法が無かった事は、キャロも理解はしているのだろう。
だがそれでも、納得などできる筈もない。
直接に手を下したエリオを恨み、その役割を押し付けてしまったと自身を責め、しかし余りにも残酷な2人の死を受け入れる事は容認できず。
その優しさゆえにキャロは、エリオに対し憤りと罪悪感とを抱きつつも、否応なしに迫り来る状況に対応する中で一時的に精神が摩耗してしまったのだろう。

それで良い、とエリオは考えていた。
許さなくて良い、恨んでくれれば良いと。
そうでなければ、彼は正気を保つ自信が無かった。

いずれ、キャロの精神は回復するだろう。
彼女は強い。
残酷な現実も、何もかもを受け入れて、その上で前へと進む事ができるだろう。
だが、自身は以前と同じには戻れそうもない。
全てが終わった後、自身はこう考えてしまったのだ。
2人を、確実に殺せたのだろうか、と。

ストラーダを振るい「人であったもの」を屠り続けている最中、ふと脳裏へと浮かんだ疑問があった。
或いは自身のこの行いは、この異形へと変貌した人々にとっては「救い」なのだろうかと。
彼等はきっと、2度と人としてあるべき姿へとは戻れない。
異形の化け物と化し、同じ人間を襲い喰らう様からは、正常な人間の知性というものは全く感じられなかった。
このまま人を喰らい、無数の寄生虫を体内に宿しつつ狂気に侵されたこの世界を練り歩く事が、彼等にとっての幸福となるのだろうか。

違う。
此処で彼等を生かしておく事は、決して慈悲とはなり得ない。
真に彼等を想うならば、その変わり果てた生を許容する事なく、人間である者の手で断ち切る事こそが救いなのではないか。

それは、単に罪悪感から逃れる為の言い訳に過ぎなかったのかもしれない。
だがその時の自身にとっては、震えそうな腕に槍を振るう為の力を与えてくれる、正に天啓とも云うべきものだったのだ。
このコロニーへと保護された後、治療を受けている最中に思考を占めていたのは、自身は2人を「救う」事ができたのかという、結果に対する疑問だけだった。
2人、否、3人の殺害は不可避のものであったと、既に自身の中では結論が導き出されてしまったのだ。

卑怯な事だとは思う。
自身がこの問題で悩む事は、恐らくは2度と無い。
キャロが3人を殺害する役割を自身に押し付けたというのならば、自身は3人の死を悼む役割をキャロに押し付けている。
彼女はいずれ、この隔たりを埋めようと歩み寄りを試みる事だろう。
だが、自身がそれに応える事は、恐らくない。
彼女と同じく死者を悼んでしまえば、自身は2度と槍を振るえなくなってしまうから。
異形と化した者の境遇を想ってしまえば、背後に護るべき者があるにも拘らず、その生命を奪う事を躊躇ってしまうから。

自分が殺し、キャロが悼む。
それで良い、それこそが最良なのだ。
全てが終われば、互いに2度と交わらぬ道へと分たれる事になるかもしれない。
歩み寄ろうともしない自分に失望し、死者の魂を厭わぬ内面を軽蔑し、キャロ自身の意思で自分の前から去るのかもしれない。
だとしても、この意志だけは覆すつもりはないのだ。
人が、或いは「人であったもの」が、この先もまた自身等の前に立ちはだかるというのなら。



キャロには、誰1人として殺させない。
その責は、全て自分が負ってみせる。



「・・・戻ったみたいだね」

空調からの風が髪を擽るとほぼ同時、キャロの呟きが漏れた。
直後に照明が次々に点灯され、通路は元の明るさを取り戻す。
「Air circulation system activated」との人工音声アナウンス。

「・・・行こうか」
「うん」

キャロを促し、歩み始めるエリオ。
と、その左肩にそれなりの重みが掛かる。
見れば、フリードが其処に止まり、翼を休めていた。
以前は頻繁にあったが、あの日からは1度として無かった事だ。
驚き、キャロを見やると、彼女は何処か怯える様にしながらも、エリオの手元へと自身の手を伸ばそうとしていた。
だが彼女は、自身を見つめるエリオの視線に気付くと、暫し迷う様な素振りを見せた後にその手を引き戻す。

咄嗟に手を握りそうになる自身を何とか抑え、エリオはキャロより視線を外して歩み始めた。
自身の名を呼ぶ、掠れる様に小さな声を意図的に無視し、平静を装って無機質な通路を進む。
その肩にはもう、小さな竜の姿はなかった。

*  *


「復旧しない?」

小奇麗に清掃されたレストランで食事を取っていたシャマルは、同じ店内から発せられた声にそちらへと振り返った。
彼女がこの場に居る理由は、何も職務を放棄した訳ではない。
シャマルが負傷者の治療に回された背景には、彼女が医務官の肩書きを持つだけが理由ではなく、能力が間接支援向きである為に迎撃戦には不向きと判断された事もあった。
無論、彼女自身もそれを承知していた為、特に問題はなく医療任務に就く事となったのだが、予想外な事に彼女がすべき仕事が殆ど無かったのだ。

だが、少し考えれば納得もできた。
重傷者は「AMTP」と呼称される第97管理外世界の医療ポッドか、各次元世界の被災者が持ち込んだ治癒結界展開装置を用いて治療する事がこのコロニーでの通例だ。
それが時間的に最短の方法であるし、元より外科手術を行える人員の数は限られている。
生存者達にとって全てをオートメーションで実行してくれる機械類は、医療に携わる同じ人間よりも遥かに信頼性が高かったのだ。

問題は電力である。
医療ポッドに治癒結界、いずれにしても稼働時には大量の電力を消費する物だ。
電力事情の悪いこのコロニーでは、全てのポッド及び結界を常時稼働させる事など不可能。
以前は比較的広域の結界を常時展開しており、軽傷者は自力でその中へと入って治癒を行っていたらしいが、被災者の数が膨れ上がるにつれ電力消費も跳ね上がり、結界を維持する事が不可能となってしまったのだ。
其処で、今度は医療魔法を使用できる魔導師が脚光を浴びる。
短時間で負傷を癒す事のできる彼等の能力は軽傷者の治療に打って付けだったが、その活躍も長くは続かなかった。
アイギスの配備数が増大し防衛戦力が強化される事で、散発的な戦闘の発生件数が激減した為だ。
周期的に発生するバイドの大規模侵攻では、防衛網を突破した強大な戦力との戦闘である事が多く、担ぎ込まれるのは重傷者か死体ばかり。
即ち医療ポッドを使用するか安置所送りかの2通りであり、個人の有する医療魔法が必要となる場面そのものが激減してしまったのだ。

シャマルも例外ではなかった。
彼女が治療を施したのは、保護された時点で負傷していた民間人4名のみ。
一応の精密検査は行ったものの、特に異状もなく全ての検査が終了した。
その後も医療施設内部で待機していたのだが、局員の1人に休憩を勧められ、施設から少し離れた位置で食事の提供を始めたレストランへと足を運んだのである。
元々はこのレストラン跡を覗いた数人の被災者が、自身等が料理を供する職業であった事も手伝って、生存者の精神的なケアを目的に始めたものだという。
その意図は見事に実を結び、昼時までは少し早い時間帯である現在も、店内には十数人の人影があった。
これが食事時ともなれば、屋外のテラス席までが満席になるという。

シャマルのオーダーはマフィンにコールスローという軽食だが、元が合成食品とは到底思えない程に美味なものだった。
マフィンは、生ハムの塩気とトマトの酸味がチーズのまろやかな甘みと相俟って絶妙な塩梅となっており、それが容易に噛み切れる程度の固さに焼き上げられたマフィンと見事に調和している。
少し強めに利かせたドレッシングの胡椒も、しつこくない程度に刺激的なスパイスとなっていた。
マヨネーズではなくレモン風味のソースで仕上げたコールスローも、マスタードがアクセントとなって新鮮な味わいがある。
そして何よりシャマルが気に入ったのは、食後にオーダーしたコーヒーだ。
ふくよかな豆の香りはこれまでに嗅いだ事のないものだったが、その香ばしさは彼女の好みにぴたりと当て嵌まった。
口に含むとブラックでも仄かに甘みがあり、それが口の中の油分を爽やかに押し流してくれる。
時間があれば、何処の世界の豆を使っているのか、店の者に尋ねてみるのも良いかもしれない。

『G-08エリアです。供給ラインの迂回により他のエリアでは復旧が確認されたのですが、当該エリアの電力はダウンしたままです』
「エリアを使用しているのはメイフィールド近衛軍だったな。通信は?」
『不通。向こうからの接触もありません。隔壁が閉鎖されたのか、或いは・・・』
「他に向かえる部隊は?」
『既に4小隊が向かっていますが、時間が掛かります』
「すぐに向かう、魔導師を寄越してくれ。探査系に優れた者が良い」
「此処に居るわ」

カップの中身を飲み干しナプキンで口許を拭くと、席を立ち通信を続ける彼等へと歩み寄るシャマル。
驚いた様に彼女を見る彼等だったが、すぐに魔導師であると悟ったのか、同じく席を立つと足早に歩み始めた。
カウンターの奥に声を掛け、食事の礼を言うとそのまま店を出る。
シャマルもそれに倣い、店の人間に礼を言いつつ屋外へと歩み出た。

「オルセア正規軍・第203陸戦隊、指揮官のビクトル・アロンソだ。正規軍って組織はオルセアに山ほど在るが、それについては勘弁してくれ。現在の隊員数は19名」
「管理局医務官、シャマルです。そちらに魔導師は?」
「いや、居ない。だが全員が対機動兵器戦を想定した武装を有している」

地下、即ち構造物内部へのアクセスポイントは市街の至る箇所にあり、シャマル達はその1つを目指す。
緊急用アクセス・ハッチの前には既に他の隊員が集合しており、各々が手にした質量兵器を点検していた。
そしてハッチが開放されると、全員が滑り込む様にして内部へと姿を消す。
後を追ってハッチ内部へと踏み込むと、其処には既にトラムが到着していた。
円柱状のレールから3本のアームが伸び、それらの先端に車体が接続された全方位可動式車両。
全員が車内に乗り込みドアが閉じると、トラムはすぐに発車する。
マス・キャッチャー格納庫までは3分だ。

「聞いた通りだ。我々はG-08エリアに向かい、周辺を調査する。当該エリアはメイフィールド近衛軍が機動兵器の保管に使用しており、特に大型マス・キャッチャー格納区は無重力状態が保持されている。
侵入する際はマグネットをオンにしろ。ドクター、飛翔魔法を使う際は重力下と感覚が異なるので注意を」
「了解」

やがて、トラムが減速を開始する。
車両が停止しハッチが開くと、其処はG-08エリア第2トラムステーションだった。
第203陸戦隊の面々が先に降車し、暫し安全確保をコールする声が続いた後、アロンソに促されてシャマルは車外へと歩み出る。
非常灯の明かりのみが照らし出すステーション内部。
薄闇の中を奔る赤い光、十数本のレーザーサイト。
シャマルはウィンドウを開き、アクセスを試みる。

「・・・駄目ですね。メインの電力は完全に落ちています」
『隔壁の閉鎖を確認。警戒して下さい』
「203了解。総員、格納区へ向かうぞ」

2名の隊員が通路を先行、やや離れて続く本隊。
後方にも2名が着き、隊は前後を警戒しつつ広大な通路を前進する。
やがて、閉鎖された隔壁が視界へと入った。
エリア各所へのアクセスルート、幅15m、高さ4mの通路を封鎖する、分厚い金属の壁。
隊員の1名が壁際のパネルを開き、内部のコンソールを操作する。

「駄目だ、全く反応が無い」
「管制室、電力を回してそちらからオーバーライドできないか?」
『了解、待機して下さい』

十数秒後、パネルに幾つかの光が点った。
すぐさま操作を再開する隊員。
そして彼はシャマルの名を呼び、コンソールの前にデバイス用のアクセスポイントである魔力球を発現させた。

「管理局のメカニックが構築したシステムなので問題は無い筈です、ドクター」
「ありがとう」

クラールヴィントをリンゲフォルムへと変貌させ、それを嵌めた指で魔力球へと触れる。
途端、隔離区画内の情報が、洪水の如く意識へと流れ込んできた。
システムの補助を得てそれらを整理し、並列思考で以って高速処理を行う。

「バイド係数2.62、複数探知。総数9」
「そいつは近衛軍の機動兵器だ。魔力増幅の為に「AC-47β」を模倣したシステムが配備されている」
「あとは・・・生命反応は確認できません。システム自体が沈黙しています」
「バイド係数の検出源は9ヶ所のみなんだな?」
「ええ」

暫しの沈黙。
シャマルは再度の探査を掛けるが、特に新しい情報は無かった。
何とか生命反応だけでも探知できまいかと試行錯誤していると、沈黙を打ち破ってアロンソの声が響く。

「マテオ、隔壁を開放しろ」

丁度その時、ステーションへとトラムが到着したらしい。
30名程の人員、魔導師やランツクネヒトを含むそれらが、こちらへと追い付いてくる。
どうやら通信越しに先程までの会話を聞いていたらしく、アロンソが続く言葉を紡ぎ出す事を待っている様だ。

「検出源の数は兵器数と一致している。先程の戦闘で損失があったとの記録も無い。という事は、こいつは純粋なシステムトラブルである可能性が高い」
「万が一という事もあるのでは? 例えば、格納区内部にバイドが侵入しているとか」
「コロニー内部へ侵入するものは何であれ、全て記録される。24時間以内にこのエリアから外部へ出入りしたのは、メイフィールドの機動兵器だけだ。それに・・・」

アロンソは溜息を吐き、手にした質量兵器の銃身で軽く肩を叩く。
その素振りが何処か呆れを滲ませている様に感じられるのは、気の所為ではあるまい。

「正直なところ、原因は分かっているんだ。連中が使っている防護結界だよ。待機中は9機の機動兵器、その全てに結界を施しているんだ」
「何だ、それは」

初耳だったのだろう、新たに到着した人員の1名が怪訝そうに問う。
だが、どうやらランツクネヒトの小隊指揮官は既にその事実を承知しているらしく、無言のまま僅かに肩を竦める素振りを見せていた。

「近衛軍兵士の能力は非常に優秀だが、同時にプライドも並外れて高い。軍全体から選び抜かれた精鋭の中の、更に一握りが近衛軍に所属できる。能力だけでなく、王家への忠誠心も問われるんだ。
連中の兵器は他の軍団とは異なり、王家から直々に授けられたもの、という事になっている。連中はそれに傷が付く事を敬遠するんだ。だから、普段から防護結界を展開して厳重に管理している」

その話は、シャマルも知っている。
メイフィールド王朝を有する第71管理世界は、旧暦に於いて親ベルカ勢力国家だった。
真偽こそ定かではないものの、メイフィールド王家は一部聖王の血筋を引いている、との歴史的見解すら存在する程度には密接な繋がりがあったのだ。
その見解を裏付ける様に、第71管理世界は古代ベルカに良く似た、或いはその発展形とも取れる専制君主制が敷かれている。
一方で軍の大部分はシステムの近代化が進んではいるものの、これが近衛軍ともなると未だに兵士というよりは騎士としての性格が色濃く残されていた。
彼等の使用する兵器は王家より授けられ、王家より賜った命を果たす事にのみそれを使用するのだ。
それらが戦場に於いて損傷する事に関しては納得せざるを得ないであろうが、戦闘以外の要因で傷付く事は極力避けたいというのが彼等の本音だろう。

「結界の電力を外部から供給しているのか」
「結界そのものが外部に構築されたものだ。連中、マス・キャッチャーの保管ユニットに機体を格納して、表層に結界を展開したシャッターを下ろしているんだ」
「それが停電の原因か」

だが、その信念も時と場所を弁えて欲しいものだ。
シャマルは騎士として共感を覚えると同時に、そんな相反する思考をも抱いてしまう。
彼等にしたところで、現状でのその行いは最善でない事など疾うに承知している筈だ。
それでも信念を変える事ができないのは、誇りある騎士としての融通の利かなさ故か。

「これでもう3度目だよ。確か第97管理外世界じゃ、何とかの顔も3度まで、って言うんだろ?」
「仏の顔も、よ。それも一部地域限定」
「何だって良いさ。こいつを開けて、中に入ろう。窒息でもされたら貴重な戦力が減っちまう」
「同感だ」

マテオと呼ばれた隊員が、三度コンソールを操作する。
「Quarantine lifted」との音声の後、隔壁が天井面へと収納され始めた。
未だに照明は落ちたままだが、ドア等の操作は可能となったらしい。

「前進」

アロンソの指示と共に、総数50名近くにもなった歩兵と魔導師の混成部隊は、警戒を緩めずにエリア深部へと向かう。
行く先々で隔壁を開放し近衛軍人員を探索するものの、その姿が照明の落ちた闇の中に浮かび上がる事はなかった。
だが同時に、最も恐れていたバイド係数の変動、検出源の増加なども起こってはいない。
係数2.62、総数9。

『リフレッシュルーム、クリア。やはり誰も居ない。何処へ行った?』
『機体の整備中だったんだろう。格納区へ行くぞ』

エリアに散っていた隊員が集まり、一丸となって格納区へと続く通路を進む。
やはり照明が落ちている以外にこれといった異常はなく、しかし万が一の事を考えるに警戒を緩める訳にはいかなかった。
バイドの脅威は此処に居る全員が身を以って経験しているであろうし、楽観的な予想を口にしたアロンソでさえ周囲警戒を怠る様子はない。
一同は、人に向けるには明らかに過剰な威力を有するであろう質量兵器、或いはデバイスを構え、足音を忍ばせる様にして移動を行っていた。
シャマルはバリアジャケットのデザインから徒歩で彼等の歩調に合わせる事を早々と諦め、今は飛翔魔法を用いて床面より僅かに浮かび上がり移動している。
そして通路を進むにつれ、右手の壁面に「MC HANGER BAY 01」との表示が施された隔壁が現れた。

「此処が格納区?」
『近衛軍が使用しているのは第4格納庫、もう少し先だ』

部隊は更に前進する。
200mほど進んだ頃、漸く「04」の表記が闇の中に浮かび上がった。
隔壁の前に展開した隊員達が質量兵器とデバイスを構え、無数のレーザーサイトの光が闇を切り裂く中、無機質な合成音声が響く。

『Quarantine lifted』

隔壁、開放。
次いで通常のドアが開放されると、その向こうには完全な闇が拡がっていた。
天井面と床面の非常灯が幾度か明滅した後に点灯し、漸く最低限の視界が確保される。
幅及び高さは50m程、奥行きは300m以上か。
シャマルは格納庫内部をサーチ、各種反応の位置を探る。

「バイド係数検出源、特定。此処だわ」
『壁面に格納ユニットの隔壁が並んでいるだろう。連中の機体はその中だ。確か、外殻から直接此処へ輸送される筈なんだが・・・』
『マス・キャッチャー・ユニットの格納用ラインがあるんだ。今は近衛軍が使用しているが、外殻ハッチ内部に機体を固定すれば、後はオートで格納ユニット内部まで運搬される』

ランツクネヒト隊員の説明を耳にしながら、シャマルは左右の壁面に並ぶ計10ヵ所の非常用隔壁を見渡した。
縦横60m程のそれら内部は、本来ならば近衛軍が設置した防護結界によって保護されているのだろう。
しかし今は完全に閉鎖され、その内部を窺う事はできない状態となっていた。
数名が各所の隔壁開放を試みるも、その結果は芳しいものではなかった。

『システムが操作を受け付けない。此処だけ独立している様だ』
『本当か?』
『詳しい事は解らないが、アクセスが拒否された。管制室、そちらからオーバーライドできないか?』
『試みましたが、失敗しました。先ずはエリアの電力供給を回復して下さい。その後で、再度オーバーライドを試みます』
『203了解。隊を2つに分けるぞ。我々はこのまま前進、アンタ方は此処の警戒を頼む。残っているのは大型マス・キャッチャー格納庫だけだ』

そして部隊は2つに分かれ、シャマルは第203陸戦隊と共に大型マス・キャッチャー格納庫を目指す。
目的地は第4格納庫を抜けた先、全ての格納庫へと繋がるドアが集合した通路の突き当たりにあり、逆方向のメインホールへと繋がるドアは破損している為に機能していないとの事だ。
進むこと数分、シャマル等は「LMC HANGER BAY」の隔壁へと辿り着いた。

「この先は無重力だ。ブーツの設定変更を忘れるな」
「電力が落ちているのに、無重力状態が維持されているの?」
「このコロニーは今、回転して遠心力を生み出している訳じゃない。急ごしらえの重力制御システムで、外殻へと向かって重力を発生させているんだ。無重力状態や重力偏向状態が必要な区画には、その影響が及ばない様になっている」

隊員がコンソールを操作し、隔壁を開放する。
その先に現れた通常のドアを前に、シャマルはシステム越しに内部を探った。
生命反応、多数。
システムエラーにより、詳細な数は不明。

「生命反応はあるけど、数は分からないわ。でも、彼等は此処に居る筈よ」
「マテオ」

アロンソの合図と共にドアが開かれる。
隊員達の質量兵器に取り付けられたフラッシュライトが内部を照らし出すと、微かな呻きが上がった。
照らし出された先に、パイロットスーツを纏った幾人かの人影。
どうやらペンライトの明かりを頼りに端末を覗き込んでいたらしく、向けられるフラッシュライトの光を遮る様に掌で目を庇っている。

「オルセア正規軍・第203陸戦隊、停電の調査に来た。全員無事か?」
「・・・ああ、良く来てくれた、助かるよ。この通り、みな無事だ」

答えつつ、年配の男性が幾分ぎこちない足の運びで歩み寄ってきた。
ブーツのマグネットにより、足裏が床面へと吸い付いているのだ。
シャマル達もまた倉庫内に踏み入ると、途端に襲い来る無重力感。
飛翔魔法など用いていないにも関わらず、床面より浮かび上がる身体。
床面に突いた足の反動により、予想以上の勢いで浮かびそうになったシャマルは、慌てて飛翔魔法を発動し制動を掛けた。
アロンソの言葉通り、重力下とは異なる勝手に些か戸惑いながらも、何とか通常と同じ視点の高さを保つ。
何とか平静を装いつつ、彼女は近衛軍の指揮官らしき男性に問い掛けた。

「それで、停電の原因は判明しているんですか」
「ああ。恥ずかしい限りだが・・・「アンヴィル」を格納庫に戻した直後、いきなり隔壁が閉鎖されたんだ。停電はその際に起こった。どうやら、結界維持に電力を喰い過ぎたらしい」

アンヴィルとは、第71管理世界に於いて運用されている機動型魔導兵器である。
縦幅及び横幅は約50m、高さ15m程のそれは、外観からは上下に圧縮された騎士甲冑の様にも見える代物だが、その運用方法たるや空間移動砲台とも云うべき兵器だ。
機体の四方には高出力魔導砲、更に上部には円盤状の旋回砲塔を備え、全方位への攻撃を可能としている。
この旋回砲塔は多くの魔導兵器同様に砲身が存在せず、発射口のみが砲塔側面に穿たれている為、非常に高い耐久性能を誇っていた。
更に、内蔵されている戦術級魔導砲は次元航行艦クラスのそれと比較しては劣るものの、Sランクに相当する魔導砲撃を約8秒間に亘って持続し、更にその砲撃間隔たるや僅か10秒強という異常な性能を誇っている。
加えて、砲撃の持続時間を短縮し砲弾の様に形成する事で、0.3秒間隔での連射を40秒間に亘って継続する機能をも有し、現行の魔導兵器としては最も優れた機種であるとして、管理局内部でもその危険性を指摘する声が絶えなかった。
しかしこの状況下では、これ程に頼もしい戦力もあるまい。

「パイロットは?」
「まだ機内の筈だ。本来、格納されているマス・キャッチャーは無人だからな。隔壁を開放してやらねば、降機する事もできない」
「なら、早く出してやらないとな。マテオ、ルート再設定。ルペルトはマテオを補佐」
「了解」

そうして各々の作業に移る各員を、シャマルは展開したウィンドウ越しに眺めていた。
何度サーチを繰り返しても、バイド係数と検出源の個数、位置に変化はない。
それでもなお、シャマルには気になる事があった。

「何故、隔壁が作動したのかしら」
「魔力増幅用バイド体の所為だろう。あれは強力なシステムだが、実装されてから日が浅い。管理局で使用しているものみたいにエネルギーの蓄積で暴走する事はないが、妙に不安定になる時があるんだ」
「不安定に?」
「急激なバイド係数の上昇、そして下降だ。改善しようと思えばできるらしいが、増幅率を優先して目を瞑っているっていうのが現状だよ。恐らく、今回の停電もそれが原因だろう。
急激に上昇したバイド係数に反応したシステムが、安全の為に隔壁を閉鎖したんだ。それで電力不足に陥ったと」

成る程、とシャマルは納得し、ウィンドウを閉じる。
ほぼ同時に格納庫内の照明が回復し、広大な空間を光で満たした。
先程までの闇の中では気付かなかったが、遥か頭上に100名以上の人員が居る。
彼等はブーツの磁力により壁面に立ち、周囲と言葉を交わしつつ各々の作業へと戻ってゆくところだった。
他にもかなり大型の機材が壁面に固定、或いは太いチューブに繋がれた上で空間を漂っている。
先程の指揮官らしき男性がこちらへと向き直り、改めて礼の言葉を紡いだ。

「協力に感謝する。ありがとう。此処はもう大丈夫だ」
「なら良いんだ。じゃあ、我々は撤収する。他の連中を待たせているんでな」
「第4格納庫を通るのなら、パイロット達に此処へ戻るよう伝えてくれないか。どうにも先程の停電で通信システムがやられたらしい」
「何だって?」

男性の言葉にアロンソが第4格納庫に残った隊員達との通信を試みるものの、聴こえてくるのはノイズばかり。
暫し操作を続けるものの、状態が回復する事はなかった。
第4格納庫、通信途絶。

「まいったな。ぼろコロニーめ、1ヶ所直すと2ヶ所壊れやがる」

悪態を吐きながらも、アロンソは隊員を呼び戻して帰投する事を告げた。
二言三言、指揮官と言葉を交わし、互いに敬礼して無重力圏を後にする。
シャマルもその後に続き、しかし通路との境を跨いだ瞬間、回復した重力に体勢を崩しそうになった。
何とか踏み止まるも、右足首に鈍い痛み。
すると、一部始終を目撃していたらしい隊員から、気遣う様な言葉が掛けられる。

「大丈夫ですか、ドクター?」
「あ、ええ・・・」

それは、マテオと呼ばれていた隊員だった。
大丈夫だ、との意思を込めて苦笑を返すも、直後に奔った再度の痛みに表情が揺らぐ。
傍にあった休憩用のベンチに腰を下ろし、シャマルは軽く息を吐いた。

「・・・ごめんなさい、少し捻ってしまったみたい。私は此処で治療していくから、貴方達は先に戻って」

その言葉に、シャマルを待っていたアロンソは何事かを考え始めた様だ。
暫くして彼は、シャマルの傍に付いていたマテオへと指示を出す。

「マテオ。ドクターの治療が終わるまで、傍に付いていてやれ。俺達は先に戻って、今回の件を報告する。ステーションに2人ほど残して行くから、彼等と合流して何時もの店まで来てくれ」
「了解」

それだけを言うと、部下を率いて通路の奥へと消えてゆくアロンソ。
初めは断ろうとしていたシャマルだったが、まだ勝手が良く解らない事もあり、折角の配慮だと厚意に与る事にした。
足首に治癒魔法を掛け、捻挫による軟部組織の損傷を癒すシャマル。
マテオは無言のまま、治療が終わるのを待っていた。

「見たところまだ10代みたいだけれど、貴方はどうして軍に?」

暫くして治療が終了すると、シャマルは足首の具合を確かめながらマテオへと問い掛ける。
彼の方もそういった問いには慣れているらしく、特に言い淀む様子もなく答えを返してきた。

「内戦で両親が死にまして。自分の街を焼き払った連中に復讐する為と、家族を食わせる為です」
「家族が居るの?」
「妹が1人。2年前にリンカーコアがあると判明して、それを頼りにオルセアから逃がしました。その4ヶ月後に、無事に管理局に入ったとの連絡が」
「そう・・・妹さんは何処の訓練校に?」

その時、マテオの視線が僅かに伏せられた事を、シャマルは見逃さなかった。
嫌な予感を覚えつつも、彼女は続く言葉を待つ。
果たして、語られたのは非情な現実。

「・・・第二陸士訓練校」

シャマルには、返す言葉が見付からなかった。
第二陸士訓練校はクラナガン西部区画郊外に位置し、バイドによるミッドチルダ襲撃時、ガジェット群の攻撃を受けている。
迫り来る数十機ものガジェット群に対し、教導官達は訓練生を地下へと避難させた上で迎撃を開始した。
訓練生を除いた全ての魔導師が、壁となって迫り来るガジェット群を魔導弾幕で以って撃墜せんとしたのだ。

結果、第二陸士訓練校は周囲6kmの土地と共に、ミッドチルダの地表から消滅した。
生存者は疎か、遺体すら1つとして発見されなかった。
行方不明者、2059人。
内、1634名が訓練生だった。

「・・・もう行きましょう。皆が待っている」

そう言って促す彼に、ぎこちなく頷きを返す。
先導する様に先を歩くマテオの少し後方を、無言で着いてゆくシャマル。
やがて第4格納庫の前へと辿り着くと、マテオは其処で足を止めた。
訝しむシャマルに、彼は語り始める。

「ドクター」
「・・・なに?」
「妹は死んでしまいましたが、自分は後悔していません。オルセアに残っても、きっとアイツは遠からず戦火に巻き込まれて死んでいた」

背後のシャマルを振り返る事なく、マテオは言葉を続ける。
シャマルも、口を挟むつもりはなかった。

「それだけじゃない。何時かアイツも自分と同じ、戦場で誰かを殺す様になっていた筈です。銃の代わりにデバイスを手にして、見知らぬ誰かを殺す事に。アイツは、訓練校で友達ができたと言っていた。
そんな経験ができたのも、管理局に入ってミッドチルダへ行ったからなんです」

振り返り、シャマルの目を見据える。
その眼光の強さに、シャマルは息を呑んだ。

「自分はバイドを許すつもりはありません。奴等が目の前に現れるなら、その全てを殺し尽くしてやる。1匹だって逃がしはしない。此処に居る連中は皆そう思っている。貴方達はどうなんです?」
「マテオ・・・」
「管理局は、バイドを裁けますか?」

真っ直ぐに自身の瞳を見据えるマテオの問いに、シャマルは拳を固く握り締める。
シャマルとて、バイドは憎い。
数え切れぬ数の生命を奪い去り、踏み躙り、喰らい尽くした。
できる事ならば、存在の一片すら残さずに消し去ってやりたい。

しかしその憎悪の一部は、バイドのみならず地球軍へと向けられている事も事実である。
何せ、クラナガンでの犠牲者の3割近くは、地球軍の攻撃により発生したものだ。
更に云えば、バイドとは異なり意志の疎通が可能であるにも拘らず、それを承知した上で非人道的な作戦行動を実行したという事もあり、ある意味で地球軍に対してはバイド以上に純粋な憎悪を抱いているとも云っても過言ではない。

マテオはそれを承知した上で、シャマルへと問い掛けているのだ。
その地球軍への憎悪をも呑み込んだ上で、バイドに対し鉄槌を下す意志が、管理局にはあるのか。
そう、問うているのだ。
シャマルは、それを理解した。
だからこそ、答えるのだ。

「・・・勿論よ」

その言葉に、マテオは何を思ったのか。
再び格納庫のドアへと向き直り、掠れた声で何かを呟く。
その声は確かに、シャマルへと届いた。
彼女は小さく笑みを浮かべ、穏やかに声を掛ける。

「・・・行きましょうか。皆が待っているわ」

マテオは微かに頷き、ドアを開放した。
そして1歩、格納庫内へと踏み入り。



瞬間、その姿が掻き消えた。



「あ・・・」

呆けた声を漏らすシャマル。
ほんの一瞬の事であるというのに、マテオの姿は跡形もなく掻き消えてしまっていた。
彼が其処に居たという痕跡は、何処にも無い。
壁面を見ると、全ての隔壁が開放され、その奥にはアンヴィルの巨体が鎮座していた。
其処にすら、彼の影は無い。

「マテオ・・・?」

ふと、シャマルは違和感を覚えた。
それは、ともすれば気の所為と断じてしまえる様な微々たるもの。
だが、確かに存在する感覚だった。

先程の無重力圏の様な、身体が浮かび上がる感覚。
無重力よりもはっきりと感じられる、自らの身体を引き上げんとする力。
否、上方へ「落そうと」する力。

バリアジャケットのポケットから、小さなケースを取り出す。
その中からアンモニアのアンプルを取り出し、掌に乗せてドアの外から格納庫内部へと突き出した。
アンプルは掌の上で奇妙に震え、直後に何かへと吸い込まれる様に掻き消える。
シャマルは迷わずケースを掴み、中のアンプルを全て取り出した。
そしてそれら全てを、通路と格納庫の境である、ドアレール付近へと撒き散らす。

今度は、視認する事ができた。
十数本のアンプルは徐々に、しかし確実に目で追える程度の加速で、ゆっくりと上方へ「落ちて」ゆく。
その軌跡を追い、シャマルはゆっくりと視線を上げた。
そして、それを目にする。

「う・・・あ・・・」



遥か50m上方、全てを染め上げる赤い染み。
天井面へと「落ちて」叩き付けられ、潰れて拉げた人間の成れの果て。
凡そ数十人分の、拉げた肉と骨の山。



「あ、あああぁぁぁぁッッ!?」

シャマルは叫んだ。
叫んだという自覚は無かったが、有りっ丈の声を振り絞った。
恐怖に歪む顔を取り繕うという思考すら持てず、アロンソやマテオ、その他の50名近い人間だったものの残骸を視界へと捉えながら、金切り声を上げ続けた。

と、その視界の端に、蠢くものが映り込んだ。
反射的に視線を投じると、それは格納ユニットの1つ、その中から延びる影だった。
何かがユニット内部で蠢き、這い出そうとしている。
そしてシャマルは、その正体を目にした。

「うそ・・・」

それは、アンヴィルだった。
否、アンヴィルであって、同時にアンヴィルではなかった。
外観には何ら異常は無い。
しかし決して味方では有り得ないと、シャマルには分かった。
何故なら、そのアンヴィルは上下が逆転した状態のまま、砲口をこちらへと向けているのだから。

瞬間、シャマルは飛んだ。
飛ぶこと以外の全てを思考より捨て去り、元来た道を全速力で逆行した。
背後で光が溢れ返り、轟音と熱風が全身を襲ったが、それすらも無視した。
只管に、ただ只管に大型マス・キャッチャー格納庫を目指す。
そうして「LMC HANGER BAY」の表示が記されたドアが目に入る頃、シャマルは唐突に全てを理解した。

何て事だ。
停電の原因となった隔壁の閉鎖は、機器の誤作動などではなかったのだ。
アンヴィルは汚染されていた。
バイドに汚染されていたのだ。
或いは、アンヴィルに擬態したバイド体なのか。

いずれにせよ、敵性体は狡猾にも、アンヴィルに内蔵されていた魔力増幅システムと全く同じバイド係数を保ち、アンヴィルそのものと成り切って侵入に成功したのだ。
そうとも知らず、管制室はアンヴィルをユニットへと格納してしまった。
だが、人間達が取り返しのつかない過ちを犯して尚、コロニーのシステムは正常に動作したのだ。
バイドを探知し隔壁を閉鎖、汚染の拡大を防ごうとしたに違いない。
だがそれも停電と判断ミスにより、あろう事か生存者自身の手で無力化されてしまった。
生存者達の最後の砦、その内部でバイドが解き放たれてしまったのだ。

「誰か・・・!」

大型マス・キャッチャー格納庫のドアを開き、シャマルは助けを求める言葉を放たんとした。
だが、その声は意味のない音となり、宙へと消える。
シャマルの眼前には先程と同じ、床一面の紅い花が咲いていたのだ。

「ひ・・・!」

思わず後ずさり、そのまま体勢を崩して倒れ込む。
格納庫内は、既に無重力ではなかった。
数十トンはあるだろう、巨大な機器が片端から落下し、それら拉げた金属の塊の下からは夥しい量の血液が溢れ返り、小さな流れを作っている。
飛び散る血痕は床面を完全に赤一色で覆い尽くし、壁面には数十mに亘って何かを引き摺った赤い筋が十数条も刻まれていた。
特に密集した血溜まりの中には、限りなく平面に近い状態となった肉塊と、その中から突き出す白い骨格の破片が無数に重なっている。
そして格納庫の中空には、濃群青の装甲を膨大な量の血で黒く染め上げたアンヴィルが、傲然とその巨体を浮かべていた。

「うあ・・・ああ・・・!」

呻く事しかできないシャマルを見下ろすかの様に、アンヴィルは微動だにせず其処に在る。
だが、シャマルは気付いていた。
自身を圧迫する、異常なまでの物理的重圧を。
音を立てて軋む骨格、強大な圧力に悲鳴を上げる体組織。
眼前の存在が重力を意のままに操っている事を、シャマルは完全に理解する。
そうして、彼女の左眼窩の奥で、何かが割れる音が聴こえた瞬間。



アンヴィルの下部装甲を突き破り、無数の触手が床面を貫いた。



警報。
「QUARANTINE!」の表示が、残されたシャマルの右眼、その視界を覆い尽くす。
残された力を振り絞って上げた叫び、魂すら吐き出さんばかりのそれを聴き止めた者は、誰1人として存在しなかった。