次元の海に浮かぶ巨大な時空管理局本局。
大型の次元航行艦が何隻も停泊している。もはや艦と言うよりも要塞と言ってもいいかもしれない。
そこにクラウディアは帰還し、エドワード・エルリックは降り立った。
顔つきは妙に晴れやかで生き生きとしている。それもそのはず、探し求めた元の世界に戻る手掛かりを掴みかけているかもしれないのだから。
「お~い、エドワード君」
「あ、マリーさん」
本局に戻るなり声を掛けてきたのはマリエル・アテンザ。彼女が彼の義肢の製作、修理等を担当している。それ故、彼女には少々頭が上がらない。
「義肢のメンテナンスするからちょっと付き合ってくれる?」
「ああ、わかったよ」
結局ここでも手足のメンテナンスは必要になる。もう慣れたものとはいえ、やはり面倒なものだ。
自分は前に進めているのだろうか?この腕はそう問いかけているような――。
たまにそう思うことがある。

第3話
真理の扉/からくり~しろがね 第一幕 開幕ベル

「う~ん、大分損耗が激しいね。ちょっと無茶しすぎだよ」
エドは下着姿で台の上に寝転び、マリーは取り外した義肢をまじまじと調べる。
「あはは……悪い」
とりあえず苦笑してお茶を濁す。つい先日も魔力弾を直接殴り返すようなことをした手前、言い返せない。
「でもさ……この義肢、デバイスみたいに魔力ダメージにも耐え得る素材を使ってるけどさ。
もっと見た目も質感も本物に近い義肢だってあるんだよ?何もこんな頑丈さ重視の面倒なのじゃなくっても……」
彼女が握っているそれはずっしりと重い、鈍く光る鋼の腕だった。
「まあな。でも、もう慣れたよ。それにデバイスはいまいち性に合わないからさ。これのほうが戦い易い」
それともう一つ、あまり便利な腕に慣れてしまうと、あの世界のことを忘れてしまうのではないかと不安になるのだ。
自分はいつか必ず、元の世界に帰る。それなら機械義肢〔オートメイル〕に近いものの方がいい。
機械義肢とよく似た重み、関節の軋み、神経の痛みが過去を思い出させてくれる。忘れずにいられる。
「あの掌をパンってやるヤツ?エドワード君の稀少技能〔レアスキル〕」
「ああ、何度か使った魔法は詠唱無しで発動できるんだ」
元々覚えたての頃ふと試してみたらできてしまったものだが、今では慣れたものだ。
錬金術の下地があったせいだろう。魔法の覚えも平均よりもかなり早かったらしい。

物質を理解し、分解し、再構築する。その力を望む方向にコントロールする式を刻んだものが錬成陣。
自分は『真理の扉』のその奥を見たことで、自身を構築式として錬成陣を利用せず錬成することができるようになった。
掌を合わせるのはその為のトリガーである。
手を合わせることで錬成陣の円――すなわち力の循環を示すのだ。構築式は己の中にある。
自分はこの世界へと渡った際に真理の扉を潜った。ならば詠唱を省略することも可能なのではないか?
魔法を独学で学んだ時に必要とした知識も理数系。錬金術を学んだ時と同じ分野のものが多かった。似ていると感じたのはこの時。
力を望む形にコントロールした構築式を自ら理解する必要がある――この点では錬金術も同じである。
そしてそれを集中、詠唱によって発動させる。それが魔法だ。
作用する形があまりに多岐に渡る為、知らない術式を即興では使えないが、それは錬金術でも同じだ。
結局は術者の資質や学習が肝心であるという点も。
決して万能な技能ではなく、便利であるという程度の認識でしかない。結局は魔法も錬金術も科学の一つなのだ。
不可能を可能にすることなどできない。
ましてや死者を完全に生き返らせることなど――。

「へぇ~。凄いんだねえ、錬金術って」
そうしている内に予備の義肢の用意が出来ていた。
「っ~!」
神経を繋ぐ独特の痛みに歯を食い縛って堪える。これが嫌なところまでそっくりとは皮肉だと思う。
「どんな感じ?違和感ある?」
「う~ん、少し。まあ慣れると思うけど」
肘や膝を曲げ伸ばしたり、飛び跳ねたりして感覚を確かめてみる。
以前の機械義肢に比べると多少の違和感は拭えないが、まあこんなものだろう。
「悔しいなあ。君の前の義肢?造ってた技師さんはよっぽど君のことを熟知してたんだね。そりゃあもう身体の隅々まで」
熟知していた?身体の隅々まで?
急に頭の中に幼馴染の少女が浮かぶ。彼女とも、もう二年以上も会っていない。
「そ、そんなことないって!ただ昔からで慣れてたからさ……」
しまった。ついつい声が上擦ってしまった。
「ふぅ~ん、まぁいいけどぉ~」
マリーはからかうようにニヤニヤした笑みを向けてくる。顔が赤くなっているかもしれない。
「でもね。こういった義肢は着ける人の体型は勿論、癖や歩き方まで技師が知ってないとなかなか違和感無くって訳にはいかないと思うよ。
また会えたら感謝しとかなきゃ」
「考えとく」
「そうそう。私もその内、六課に出向すると思うからその時はよろしく」
エドは振り向かずにひらひらと手を振り、そそくさとその場を去った。
異世界から飛ばされてきたことは三人にしか話していない。一人はクロノ、一人はマリー。
クロノには自分が元の世界を探していることを伝えておいた方が動きやすかったから。
マリーには機械義肢の特徴をできるだけ詳細に話す為に必要だったのだ。
そしてもう一人――。

「やあエド。久し振りだね」
次の目的地、無限書庫に着いて早々にユーノ・スクライアと鉢合わせた。もっとも彼は大抵ここにいるのだから当然といえば当然だ。
「よっ、ユーノ先生」
エドもユーノに片手を上げて答える。彼がその最後の一人である。
「一つしか違わないんだから先生は止してよ」
本局勤めになって自分の部屋よりも長くいたのがここ無限書庫だった。
管理世界のあらゆる情報、書籍が集まる場所であるここには、戻る為の方策を求めて幾度と無く足を運んだ。
尤も一武装局員ではアクセスできる情報にも限りはあったが。
当然司書長であるユーノとも親しくなり今では友人に近い。
情報収集の手伝いを頼んだ時に事情も打ち明けてある。幸い彼は快く引き受けてくれた。
「へへ、まあ先生には違いないからさ」
彼からは私的に魔法を学んだこともある。
デバイスを使用しないこと。補助や防御魔法に長けていること。
デバイスでの攻撃魔法にどうにも慣れないエドは彼のスタイルにヒントを見出した。
「僕が教えたのは、拘束や防御、転移、結界魔法だよ。エドはそれに幻術なんかも加えてそれを駆使して接近。後は――」
「ゲンコでボコる!だな」
エドが彼の言葉を繋いだ後、二人で同時に吹きだした。
それが自分の性に合っていた。もともと体術だけで多人数と渡り合うのも慣れている。
「それで?今日はどうしたんだい?」
「ああ、ちょっと調べ物。それと今度ミッドの機動六課に転属になったから、その報告に」
「機動六課!?」
ユーノが素っ頓狂な声を上げてエドに詰め寄る。あまりの勢いに少し怖気づく。
「な、何だよ……」
「いや、機動六課っていったら僕の友達が三人いてね。ちょっと驚いただけ」
「へえ、偶然だな」
「ほんと、凄い偶然だよ。六課課長の『八神はやて』と分隊長の『フェイト.T.ハラオウン』。もう一人の分隊長の『高町なのは』。この三人」
「ああ、覚えておくよ。それじゃ適当に見せてもらうぜ」
少なくとも高町なのはという名前には聞き覚えがあった。『エース・オブ・エース』だのなんだの天才としてえらく有名なんだとか。
正直どうでもいい話だった。ユーノがえらく頻繁に口にする名前であること以外は。
「エドはいつも熱心に本を読んでるけどさ。なんでそこまでするんだい?君ぐらい足繁く通う人なんていないよ」
適当にあしらわれたユーノが少しむっとしながら訊ねる。
最初は元の世界に戻る為に、やがてそれは苛立ちを紛らわせる為になった。錬金術を学ぶように魔法書を読んでいるとそれに没頭することができた。
そして今は再び振り出しに戻る。
エドは首だけをユーノに向ける。その顔は自信と活力に満ちていた。
「元の世界に帰る為に決まってんだろ」

エドは黙々と本を読み漁り、ユーノはデータの整理。その間は互いに話すこともなく、書庫には静寂が満ちていた。
数時間が経過した頃、それは突然の来客によって引き裂かれた。
「ユーノーーー!」
「アルフ!?」
この耳と尻尾を生やした少女は、フェイトの使い魔である。たまに手伝いに来てくれるのだが――。
「どうしたんだい、アルフ?」
彼女は今は目一杯に涙を溜めている。出来るだけ優しく話しかけるが、嗚咽を漏らすばかりで話にならない。
「うるせえなぁ……書庫では静かにしろよな、アルフ」
読書の邪魔をされたエドの文句に
「エドには関係ない!!」
と怒りを露わにするアルフ。
怒って少しは話せるようになったのか、息を荒くしながらもぽつりぽつりと話してくれた。
「ここ何日か本局に来てて海鳴を留守にしてたんだけどさ……」
彼女はリンディの付き添いで本局に来ていたらしい。そういえば何度か書庫にも顔を出していた。
「さっき海鳴に帰ってみたらさ……そしたらエイミィもチビ達も……それどころか街中の人がいなくなってたんだよ!!」
「ええ!?」
これには無視して読書をしていたエドも振り向いた。
「街中って……海鳴市全部がかい?」
「中心部のあたりは誰もいなかった。翠屋も見に行ったけど……滅茶苦茶に荒らされてた。街中が全部そんな感じだ……」
アルフはまた力無く肩を落とした。余程ショックだったのだろう、耳も尻尾も彼女と同じ様に沈んでいる。
「それに海鳴の中心部に繋がる道は全部が警察に封鎖されてたんだよ……」
「封鎖って……何があったんだ……?」
呟いてみても答えを返せる者はいなかった。アルフは泣きながら首を振るだけ。
エドにも一応視線を振ってみるが、彼も首を無言で振る。
「銀成市寄りの辺りを何人か変な奴等がうろついてたんだ。武器を持ってて……近寄らない方がいいと思ったから全部は聴いてないけど、
『ホムンクルス』とか言ってた……」
「ホムンクルスだと……!?」
ホムンクルスという単語に、エドの表情が険しくなる。
ホムンクルス――錬金術で造られた人造人間である。これくらいは錬金術を知らない者でさえ物語等で耳にしたことがあるだろう。
ユーノが知っているのはその程度だ。だが、彼は他に何を知っている?
そういえば、彼からは錬金世界について何度も話を聞いたが、"最も知名度の高いであろうもの"に関しては彼は語らなかった気がする。
それはあらゆる病を癒す霊薬、或いは卑金属を貴金属へと変化させるもの。万物に永遠を約束するもの。
天上の石、大エリクシル、哲学者の石、第五実体、赤きティンクトゥラ。様々な名で呼ばれる幻の物体――。
錬金術とあの世界に関して意図的に伏せていたことがある。クロノにもマリーにも、ユーノにさえ深くは語らなかった。
『賢者の石』とそれを求めるホムンクルス。その正体についてである。
語れば、自らの罪も語らねばならなくなる。だからできるなら語りたくはなかった。
それは錬金術最大の禁忌――『人体錬成』。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

フランスはキュベロンの郊外の海辺にひっそりと佇む洋館。無数の墓に囲まれたそんな場所に敢えて近づく者などまずいないだろう。
それでも彼女は行かなければならなかった。決意に満ちた表情で歩を進める彼女の傍らには、未だあどけない少年と少女の姿があった。

「あんたにしちゃ早かったじゃないか……」
扉を開くとそこには黒衣の老女が三人、こちらを向いて立っている。どうやら口振りから察するに誰かと間違えたようだ。
「誰だい?あんた達は」
三人は声こそしゃがれているものの、背筋はピンと立ち異様な迫力を感じさせる。それは彼女達の銀髪、そしてガラス玉の様にこちらを映す銀の瞳のせいでもあるだろう。
「失礼しました、私はフェイト・T・ハラオウンと申します。お呼びしたのですが返事が無いので、勝手とは思いましたが入らせていただきました」
フェイトは粛々と頭を下げる。続いて傍らの二人が一歩前に出る。
「僕はエリオ・モンディアルです」
「キャロ・ル・ルシエです……」
二人とも緊張しているのか、それとも気圧されているのか随分と動きが固い。特にキャロは最後まで聞き取れないくらいだ。
「それで?こんなところまで入ってきたということは私達に用があったのだろう?」
「はい。あなた達でしたら『ゾナハ病』の治療法に関してご存知と聞いて参りました」

『Z.O.N.A.H.A.Syndrome』――他者の副交感神経系優位状態認識における生理機能影響症。
通称ゾナハ病。
激しい痛みと痙攣、呼吸困難に襲われ最終的には死に至る。発作を解消する方法は他者の副交感神経を優位状態に導くこと、
すなわち笑わせること。
全世界に広がっているこの奇病には予防法も治療法も解明されていない。
これがフェイトがこの世界に戻ってから必死に調べたゾナハ病の全てである――。

「それを誰から聞いたんだい?」
左の老婆が口を開いた。先程とは目つきが違う。彼女らは明らかに自分達を警戒している。
それほどまでにゾナハ病の治療法とは隠さねばならないものなのだろうか?
「ギル・グレアムという方をご存知ですか?」
「グレアム……」
三人は目を合わせて黙り込む。何かを示し合わせているようにも見えた。
「ということは……あんた達は管理局の魔導師だね」
沈黙の後、中央の老婆が口を開く。いきなり正体を看破され、フェイトは見るからにうろたえた。
「私達を知っているのですか……?」
老婆達はまたも顔を見合わせて、今度は一斉に笑い出した。
「ほほほ、軽く鎌をかけてみただけなのに、随分と分かり易い反応だこと」
「なっ……!」
右の老婆はからかうように赤くなったフェイトを笑う。
「お止しよマリー。何のことはない、あれがまだそこの坊やぐらいの時に少し面倒を見てやっただけさ。
確か三等海士だったっけねえ……あれは息災かい?」
「グレアム元提督は現在は引退され、故郷のイギリスに隠棲されています」
もう隠し通せないと思ったフェイトは正直に情報源を話すことにした。どうやら年季が違う。
「あのヒヨッコが提督……しかも引退とはね。私達も年を取ったもんだ。ねえタニア?」
「そうだね、ルシール。それにしても、まさかあれが私達を覚えていたとはね」
会話の内容から、老婆達は右からマリー、左がタニア、中央がルシールというらしい。
この三人は一体何歳なのだろう?既に八十に近いグレアムをまるで子供扱い。だが嘘を言っているようには見えない。
改めて大変な人達なのかもしれない。しかしそれでいいとも思った。
フェイトが必死に探し回っても、たった一言で済ませられる程ゾナハ病に関しては解っていないのだ。
普通の人間の知らないことを知っている者が普通なはずがない。
「あの……それで治療法をご存知なんでしょうか?ご存知なら教えて頂けないでしょうか?私達にはどうしても必要なんです」
おずおずとフェイトが談笑に割り込んだ。
「お願いします!」
「お願いします!」
エリオとキャロも続いて頭を下げる。
「ああ、そのことかい。それは勿論教えられないね」
三人は談笑が続いているかのようにあっさりと、しかしはっきりとフェイトの訴えを跳ねつけた。

あまりにあっさりとした答えだった為に、フェイトは暫く呆然としてしまった。
エリオとキャロも愕然として言葉を発することができないようだ。
「それは……ご存知ない、ということでしょうか?」
呆気に取られた挙句、出てきたのはそんな間抜けな言葉。
「聞いていなかったのかい?私達は教えられない、と言ったんだよ」
マリーは表情一つ変えずに、再びフェイトを突き放した。
「ゾナハ病に困っている人間は世界に五万といるんだ。あんた達だけに教えられる訳ないだろう?」
タニアも、いやルシールもだ。それが病に苦しむ者達にとって、どれほど絶望的な言葉かを知りながらも平然としている。
「……!」
湧き上がる激しい怒りを唇を噛み締めて堪えてみても、拳は小刻みに震えてしまう。それでもフェイトはそれを抑え、ゆっくりと床に膝を着いた。
「お止め!」
そのまま両手を床に着けようとしたところで、ルシールの声にフェイトの動きが止まった。
「あんたが土下座したところで何も変わらない。私達の答えは同じさ」
「そう、私達はもう何百年も変わらないのさ……。まるで人形みたいにね」
マリーとタニアの顔はまさしく人形のように見えた。

「今……ミッドチルダでは徐々にですがゾナハ病が広がっています。
今は数百人程度ですが、患者は少しずつ増えて……そして減って……それ以上に増えているんです」
震える声で呟くフェイトを三人は冷ややかに見下ろしている。だが、先程までとは微妙に表情に変化が現れた。
ほんの僅かだがそれは"驚き"だった。
「ミッドチルダにゾナハ病がね……それは詳しく聞く必要がありそうだ」
「それじゃ――!」
明るい声でエリオが期待の声を上げる。それはキャロも同じだったが、
「勘違いをするんじゃないよ。教えられない、いや教えたところでどうにもならないのは同じこと」
すかさずルシールに釘を刺され再び顔を曇らせる。
「どのみち、私達には関わりの無い別世界の話。あんた達、管理局が昔に言ったことだよ」
「それは……どういうことですか……?」
タニアの言葉にフェイトはその意味を問うが、彼女はそれきり何も答えない。

「私も気になることがある。あんたはそれなりの地位みたいだが、何故わざわざこんな辺境まで自分で調べに来たんだい?」
「それは……私もこの世界に住んでいたからです。この世界のことなら私が――」
「本当にそれだけかい?あんたの口振りじゃミッドも大変なんだろう?市民達の為だけに直々にこんなところまで?」
「それは……」
フェイトは言葉に詰まってしまった。エリオとキャロは彼女の気持ちを察してか何も言わない。
マリーとタニアも共にフェイトの答えを待っている。

「仮に……」
沈黙を破ったのはルシールだった。彼女はガラス玉のような目でフェイトを睨む。
「私達がゾナハ病の治療薬を持っているとする。でもそれは二度と作り出せぬ特効薬さ。苦しむ人々を全て救うには到底足りない」
「ルシール?」
マリーとタリアは何を言うのかとルシールを見るが、彼女はそれを片手で遮った。そして再び話し出す。
「それをあんたにやれるとしても精々が十数人分。あんたはそれを受け取ったら大人しく帰るのかい?
それはたとえ管理局でも培養や解析はできないだろう。断言してもいい」
ほんの僅か数人に限定された『救い』。それに一瞬、ほんの一瞬だが心が揺らいでしまった。
ただの仮定に過ぎないのに、それを解っていてもフェイトは求めてしまった。
「ふん……」
ルシールは静かに鼻を鳴らす。
「あ……」
フェイトは心を見透かされて、俯いた。
自分の身勝手さを、己の愚かさを恥じるフェイトにだけはその意味が痛い程解った。

索敵対象は『ルシール・ベルヌイユ』。意識を手元のレーダーに集中させ、対象の顔を思い浮かべる。
抱えた自動人形〔オートマトン〕があんまり煩いので後頭部を『ヘルメスドライブ』で叩くと静かになった。
目を開いた時、もうそこは海中の研究所ではなく海の見える洋館の一室。
突然現れた自分に当然目を見張る三人の老女。そして子供連れの若い女性。
何やら取り込み中のようだが、今更帰る訳にもいくまい。
「お久し振りです、ルシール先生。そちらはタニア先生とマリー先生ですね?」
「あんたは確か……」
「はい。錬金戦団の使いで参りました、『楯山千歳』と申します。まずは突然の訪問をお許しください」

目の前に突然、人が現れた。魔力を感じないことから転移魔法の類ではない。
老婆達は驚きながらもすぐに平静を取り戻したが、フェイト達はそうもいかなかった。どうやったらこんなことが可能なのか皆目見当がつかない。
彼女は老婆達に向いて礼を取った後、フェイトを無表情で一瞥した。
「申し訳ありませんが、席を外していただけませんか?」
あからさまな拒絶に腹も立ったが、フェイト自身も今はルシールの目を見るのが怖かったし、
何よりこれからのことをエリオとキャロと相談する必要もあった。
「わかりました……」
勝手な希望的観測でこんなところまで来て、呆気なく断られて、蚊帳の外と追い出される。フェイトには今の自分がひどく滑稽に思えて仕方なかった。

「申し訳ありませんが、説明するよりもまずはこれを……」
千歳は手元に抱えた自動人形を差し出す。饅頭のような頭の自動人形、エンゼル御前はぶすっとした表情だ。
「なんだい?これは」
「通信機のようなものです。これなら盗聴も電話代も心配ありません」
「俺様を電話代わりにすんじゃねー!」
千歳の言葉に、遂にゴゼンは暴れ出した。行く前から不満気だったので心配だったのだが――。
「だいたいお前ら!俺様は桜花の武装錬金で蝶高速精密射撃が売りだってのに、いつもいつも俺様をパシリや電話にしやがって!そもそも――」
「お黙り!!!」
「ひっ!?」
じたばたもがくゴゼンを見かねて三人の老婆が怒鳴りつけた。深く皺が刻まれた顔三つ、銀色の眼六つに同時に凄まれる様は恐ろしさをも感じさせる。
「HELP~~」
その恐怖に耐えられなかったのか、ゴゼンは千歳に助けを求めながら彼曰くの"魂の汗"を股間から噴出させた。
そして"魂の汗"は千歳の手をしとどに濡らす。
「!!」
千歳は無言でレーダーの武装錬金『ヘルメスドライブ』をゴゼンへと振り下ろす。
ヘルメスドライブ本体は非常に硬質で盾や鈍器にも使用できる――ゴッ!と鈍い音がしてゴゼンはぐったりと大人しくなった。
「(ごほん!そろそろいいかね……)」
「失礼しました……」
千歳はその声に、改めてゴゼンを老婆達へと向けた。

「(お久し振りです、マリー先生、タニア先生、そしてルシール先生)」
「やっぱりあんたかい」
ゴゼンから聞こえたのは優しげな物腰の落ち着いた紳士の声。彼女らには馴染みの深い声でもあった。
「(私も行くとなれば戦士・千歳に負担が掛かってしまうので、このような御挨拶になってしまったことをお詫びします)」
「いいからさっさと本題に入りな。わざわざ連絡してきたからには何かあるんだろう?」
「(はい。それでは……)」
ルシールに急かされ、彼の声は和やかなものから緊迫したものへと変わる。
「(先日、日本の海鳴という街がホムンクルスの大群に襲撃されました)」
「おや?一年程前に主だったホムンクルスは全て月へと飛ばしたんじゃなかったのかい?
そして直後の活動凍結――なかなかの英断だとあたし達も感心していたんだがね」
「(お褒めに預かり光栄です。ええ、確かにそのはずでした。
残ったホムンクルスがいたにせよ、こんなに大規模な襲撃を行えるとは考えにくかったのですが……)」
「それで?それが『しろがね』に何の関係があるんだい?」
ホムンクルスは戦団の領分である。これまでもどれだけ大事件だろうと、しろがねに連絡してくることはなかった。ということは――。
「(ですが死傷者、行方不明者は数名。そして海鳴市の一万超の市民がゾナハ病に罹患していました)」
「何だって?『真夜中のサーカス』のものなのかい?」
「それはおかしいね……。昨日、イリノイで真夜中のサーカスの興行があったばかりだ」
マリーとタニアが口々に述べる。彼はそれも予想していたのか、淡々と話を続けた。
「(解りません……。ですが、私はこう考えています。ホムンクルスと自動人形〔オートマータ〕が手を組んだのだ、と。
そして奴等は街中に突然現れた。これは自動人形でもホムンクルスでもない何者かの協力があったのではないか、と」
「話が飛躍しすぎなんじゃないかい?」
「(かもしれません。ですが、連中がゾナハ病で動けない人間を喰うでもなく、血を吸うでもないというのは……)」
「明らかにおかしいね。それで肝心の街はどうなった?」
「(ええ。それでしたら、一人の戦士が時間を稼いでくれたおかげで今朝方全てを殲滅することができました。ですが……)」
「……首謀者は取り逃がしたのかい?」
ここまでほとんど話さなかったルシールが訊ねた。話を纏めるにホムンクルスは銀の煙が街に回るまで逃がさない役割を果たしていたのだろう。
抵抗する人間だけを攻撃する命令を受けて。
「(はい。人間型ホムンクルスは一体も確認できず、他は捨て駒でしょう。自動人形も一体のみでした)」
「自動人形とホムンクルス。そして第三の存在、厄介だね……」
「(ええ、我々でも調査を続けますが、そちらも警戒をお願いしたく……。いずれ共闘をお願いするかもしれません)」
「その時はまた、男爵の雄姿が拝めるかい?」
彼はそこで初めて苦笑した。戦団全てを取り纏める立場となれば疲労も緊張も相当だろう。
「(そうならないことを願っています。それでは、御三方とも十分にお気をつけ下さい)」
「あんたもね。大戦士長『坂口照星』」
そこで通信は終わった。ルシールはゴゼンを千歳へと返す。
「それでは失礼致します」
彼女は短くそう言うと、また宙に消えてしまった。

「ミッドチルダに日本。これまで確認されなかった場所にゾナハ病が出たのもホムンクルスや他の勢力と組んだとなれば説明もつく」
「そして次元を移動する能力を持っている奴がいるのも確実だ」
「これまで『フランシーヌ』を笑わせることしか眼中に無かった連中が、しろがねや戦団を滅ぼすことに目を向け出したら厄介だね。
ここを移動することも考えないと……」
マリーがそう言い終えると同時に、彼女の背後の壁に無数のヒビが走る。ドォンと衝撃が部屋を揺らす度にそれは伸び――。

何故真実を語れなかったのか。多くの市民のためという気持ちに嘘はない。でもそれだけならここまで来ただろうか?
真実を話せばきっと教えてはくれないだろう。罪もない市民のためだと言えば教えてくれるだろう――そんな考えがあったのかもしれない。
つくづく自分の浅はかさに腹が立つ。

部屋から追い出され、ホールの階段で塞ぎこむフェイトに、エリオとキャロはどう声を掛けたものか迷っていた。
「あの……フェイトさん。あんな訳の解らない変な仮定なんか気にする必要ないです」
「私もそう思います。たとえ十数人でも救いたいと思うのは当然ですもん。それに薬さえ手に入れば何か解るかもしれないじゃないですか」
「うん……。ありがとう、エリオ、キャロ。でも、ミッドチルダに帰ってもいいんだよ?これは私の我儘〔わがまま〕なんだから」
無垢な言葉にまた胸が痛む。それでもフェイトは二人に笑って見せた。
「何言ってるんですか!僕達でフェイトさんを助けるって二人で決めたんです!」
「そうです!ここで帰ったら、なのはさんにも隊長にも申し訳が立ちません!」
そうだ、彼女達は必ず何か知っている。それを確かめなければ二人に背いた意味が無い。
もう一度頼もうと立ち上がった瞬間、屋敷中が揺れたかに思える程の轟音が響いた。
「何!?」
音の源はすぐに解った。自分達がさっきまでいた部屋だ。
階段を駆け上がる間にも断続した衝撃が鳴る。そして老婆の誰かの悲鳴が聞こえた。
「エリオ、キャロ!」「はい!!」
フェイトが言うまでもなく二人ともBJを装着する。
二階へと上がり、扉を開くと真っ先に目に入ったのは壁の大穴から見える海、そしてフランス語で綴られた真赤な血文字――。

「ギイへ。
一人だけババアを預かった。お前をカルナックでぶっ殺してやる。
フラーヴィオより」


壁には両断された巨大な人形が杭で打ち付けられ、糸の先にはマリーが倒れている。
「大丈夫ですか!?」
フェイトは抱き起こして初めて気付く。
脇から心臓に掛けての肉がごっそり抉られていた。それなのに血は一滴たりとも流れていない。
「これは……!?」
「フェイトさん、ヒーリングを!」
キャロが進んで治癒魔法をかけるが、全く効果が現れない。確かに重傷を治す治癒魔法などないのだが、これはそれとも違う。
抉られた肉は完全に乾いて、まるでミイラだ。この身体はまるで――とうの昔に死んでいるかのよう。

「遅くなった――」
フェイトの背後でゆっくりと扉が開かれた。現れたのは二人の男。
一人は銀髪に銀の瞳、人形のような美しさを感じさせる優男。
もう一人は黒髪の大男。太く逞しい剥き出しの右腕は野生的で、相方とはまるで対照的だ。
二人とも、この光景に驚いていることだけは確実だった。
「あなた達は……?」
フェイトの問いに二人は答えない。大男は急ぎ駆け寄り、優男はゆっくりと歩み寄る。
「大丈夫か!?ばあちゃん!」
「マリー……ルシールとタリアは?」
「ギイ……ですか。タニアは……フラーヴィオという自動人形に捕らえられ……あなたをおびき寄せる為にカルナックへ……ルシールは追っています」
ギイ――壁の血文字の名前。もしや老婆達は彼を待っていたのか。
「あの自動人形に血をほとんど吸い取られてしまった……。
さすがの『生命の水〔アクア・ウイタエ〕』も……もう……私を、この呪わしいしろがねの役に縛りつけては……おけないでしょう」
「遂に……さよならだな」
「ええ……ようやくさよならね……ギイ」
まるで死を待ち侘びていたかのように老婆は微笑んだ。
「諦めないで下さい!まだ……」
「そうだぜ!ばあちゃん、今医者に……」
もう助かりそうにないことはフェイトから見ても明らかだった。キャロが全力でヒーリングを掛けていても乾いた身体は血を流すことすらしない。
「はぁ……はぁ……」
無理にでも魔力を搾り出そうとするキャロは荒い息を吐いて、。老婆は彼女の腕を掴んでそっと下ろし、囁く。
「せっかく……死ねるのです。邪魔をしないでおくれ……」
「そんな……」
キャロの魔法が止まるとマリーは涙を流した。それは歓喜の涙――。
「ああ、長かった……二百年……二百年もの間……死ねなかったのだもの……」
フェイトもエリオも、キャロも、もう何も言えない。笑顔を浮かべるマリーの顔が、腕が硬化していく。
「いよいよ……さよならです、ギイ……。告白するけれど……私はずっと後悔してきたのですよ……」
ギイは静かにそれを見送り、大男はそれを信じられない顔で見ている。やがてマリーの全てがフェイトの腕の中で砕けた。
「ゾナハ病にかかった時、生命の水〔アクア・ウイタエ〕など、飲まなければよかったって……」

ボキンと彼女の身体がボロボロに砕け、首が床を転がる。その音さえも金属のように乾いて響く。
木片か石の欠片のような、完全に水分を失くした肉が散らばった。
「ああ……」
キャロとエリオはショックで声も出せないようだ。フェイトも状況の認識が全く追いつかない。それほどにその光景は狂っている。
「羨ましいよ……先生……」
ギイはたった一言彼女を祝福し、コートをはためかせ立ち上がる。
「君達はどうする?去るならこの事は忘れたほうがいい。行くなら好きにしたまえ」
――手に持った大きな鞄を開き、指輪に十指を通す。
「私は……」
――糸を引くとキリキリ歯車が回りだす。
自動人形。それがミッドチルダにゾナハ病をばら撒いたのなら、それがタニアを攫ったのなら――やはり放ってはおけない。
しろがね、生命の水、解らないことが多過ぎる。その答えがカルナックにあるだろうか?
「やめときな」
逡巡の末、「行く」と言いかけたフェイトを大男が止めた。彼の視線は背後で呆然とするエリオとキャロに向けられている。
「あんたが誰かは知らねえ。ここでばあちゃんを助けようとしてたんなら、きっと無関係じゃないんだろう。
でもよ……あんたはそのガキ達をこんな危険な……化け物同士の戦いに連れて行くのかよ?」
そうだ、自分が行くということはエリオとキャロも巻き込んでしまうということになる。やはり二人だけでも帰したほうが――。
――鞄の中から、ゆっくりと彼女は立ち上がる。両手を身体の前で握り、純白のドレスを白いグローブを着けた細い指で摘まんで。
「行きます……!」
「私達にだって行かなきゃならない理由があります。絶対にゾナハ病の治療法を見つけて帰るって約束したんです!」
フェイトに代わり答えたのは、自失状態だったエリオとキャロの二人。
何も映してなかった瞳は、今は涙で溢れていても強い意志でフェイトを見つめている。
「お願いします!絶対に足手纏いにはなりませんから……僕達も行かせて下さい!」
「お願いします!」
真っ直ぐな目を見てフェイトは思う。色々と考え過ぎて自分は最も大切なことを忘れていたようだ。
皆を救いたいのは二人も同じ。その為にここまで来たのだから。
できれば危険には近寄って欲しくはない。でも、それも彼らが選んだ道。
それでも生き残れるよう、自分はこれまで鍛えてきたし、二人も厳しい訓練に耐えてきた。
自分がいる限り、絶対に死なせはしない。
「足手纏いなんて言わないで……。私には二人が必要なんだから」
そっと二人の首に腕を回して抱きしめた。いつだって救っていたようで、救われていたのは自分だった。
――抱き合う三人の背後で、彼女はその背中に大きな翼を広げる。翼に隠された腕が一本、露出した。
「へへっ……」
大男が何故か笑いながら鼻の下を擦る。きっと顔をくしゃくしゃにして"泣きながら笑っている"可笑しな三人を見て笑っているに違いない。
「お嬢さん……君が誰かは知らないし、詳しく聞いている時間もない。僕からはしろがねについては話せない。
ルシールとタリアを助けて、彼女から聞きたまえ」
「はい……」
「来い、ナルミ。更なる疑問はカルナックで解けるだろう」
――ギイが彼女を壁の穴へと向け、ナルミを促す。
「ああ……。お前ら、名前を教えてくれよ」
「私はフェイト。フェイト・T・ハラオウンです」
「僕はエリオ・モンディアル」
「キャロ・ル・ルシエです」
ナルミはフェイト達を見て一度、穏やかに笑った。
「ギイ・クリストフ・レッシュ」
「そんで俺が鳴海、加藤鳴海だ」
自己紹介を済ませても和やかな雰囲気になるはずもない。これからカルナックで待っているのは、もっと激しい戦い。
そして厳しい真実かもしれないのだ。

ギイの懸糸傀儡〔マリオネット〕、『オリンピア』は鳴海を抱え飛び立つ。
「お願い、フリード」
次に白竜フリードに跨ったキャロとエリオが続く。
フェイトは最後に一度、マリーだったものを振り返る。彼女の首は笑みを湛えたまま、静かに海を眺めていた。
彼女は何故、あんなに喜ぶことができたのだろう?しろがね――少なくとも今のフェイトにはそれを理解することはできそうにない。
見開かれたマリーの瞼を閉じることはせず、フェイトもギイの後を追って飛び立った。

偶然に思われたフェイトと鳴海、ギイの出会い。
誰もがからくりの歯車の一部であり、サーカスの役者であることなどフェイトには知る由も無かった。
ましてやそれがフェイトのみでなく、高町なのはを含む全ての人もそうであることなど――。

次回予告

ミッドチルダを貫く光は始まりの終わりを告げる。
第4話
『光』

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年09月24日 09:41