「ドラなの」第1章「魔法の世界へ・・・・・・」 前編


日本のとある町にある公立小学校。
既に日は傾いており、学童達は学校という強制収容所からの生還に歓喜しながらそれぞれの家路に着く。
彼らの頭はすでに「学校に行った」という過去ではなく「これからどうやって遊ぶか?」という未来に向けられている。
未来の存在を無邪気に、そして楽しいものであると信じられるのは若者の特権であり、それこそ若者のもつパワーの源なのだ。
まぁそれはさて置き、こんなご時世に一人だけ教室という牢獄からの脱出に失敗した者がいた。

4階5年3組

彼はライトグリーンの服に紺の短パン。そして野暮ったい丸いメガネを掛けた少年だった。
そして彼の目前には学校では一角の地位である“先生”と呼ばれる役職に就いた中年のおじさんが眉間にシワを寄せ、1枚の紙切れを少年にかざしながら切々と語っている。
その紙切れには社会科の問題が書かれており、解答欄の全てに『ターン“へ”』が赤ペンで振られている。
アメリカの人がそれだけを見れば「Greatjob!」と褒めてくれるだろう。しかしここは日本の学校であり、全く正反対の意味を持つ。
つまり日本でのターン“へ”(チェック)は正答ではなく誤答であり、日本での正答は言わずもがな、マルである。
そしてその紙切れにも1つだけ“マル”が存在した。しかしそれは多数ある解答欄ではなく、氏名欄の隣であった。
この事実に少年が先生の話を真摯に聞き、反省の色を示していればまだ同情の余地がある。だが彼の意識は下界で自分を呼ぶ友人2人に注がれていた。
2人の要求はただ1つ。

『試合に遅れるから早く降りてこぉーい!』

というものだ。
何でもレギュラーメンバーの1人が病欠で、ベンチを温める彼に出番が回ってきたのだ。
彼は『今は動けないから先に行ってて!』とジェスチャーで返すが、2人には伝わらないのか更に激しい調子でこちらに叫ぶ。
お互いの要求が通らないことで双方の動きが苛烈化していく中、遂に先生に雷が落ちた。

「こぉら野比!君は先生の話を聞いておるのか!?」

「は、はい!」

「まったく君は人の話は聞かないし、努力もしない。そんなので将来いい大人になれると―――――!」

その後先生のお叱りから彼、野比のび太が解放されたのは20分後のことであった。

(*)


「ああ、ひどい目にあった・・・・・・」

のび太はそう呟きながら今も肩を怒らせながら自らを待っているだろう友人達の元へ急ぎ足で向かう。
そして

「(また打(ぶ)たれるだろうか・・・・・・)」

と背筋をゾクッとさせた時、彼の視界にある光景が入った。


『少女が床に落ちた本、十数冊を拾おうとしている』


字に起こせばこれだけのことだが、彼女が同じクラスの同級生であり、その行為を“車椅子に乗った状態”から行おうとしている事が一番重要だ。
その本は絵本のように薄い物もあるが、辞書みたいに分厚い物もあるので拾うのにいちいち苦労している。
のび太はそのまま通り過ぎても良かったが、その良心が許さなかった。

「大丈夫?」

呼びかけながら転がる本を拾い集める。その拍子にそれらのタイトルが読み取れた。
『ぼくらの1週間戦争』、『空想化学読本』、『決定版!これだけ見とけ世界遺産百選』などなど・・・・・・。しかしこれらは彼女のものではなく、学校の図書室の蔵書らしい。全てに学校名のスタンプが押印されていた。

「ああ、のび太くん。おおきに」

その車椅子の同級生、八神はやては笑顔とともにのび太からそれを受け取ると、本の多数積まれた台車にそれを戻した。
どういう拍子か台車を揺らして落としてしまっていたようだ。

「はやてちゃんって図書委員だったっけ?」

「そうや。わたし本読むの好きやから、待ち時間ゆっくり本が読めるこの委員って結構乙なスポットなんよ~」

確かに小学校の図書室にしては規模が大きいこの学校だが、しょせん小学生。読書好きなどそうはおらず、聞いた噂では年中“閑古鳥”が鳴いていると聞く。
その噂を聞いた時

「(図書室になぜ鳥が鳴いてるんだろう?先生のペットかな?)」

と思ったのび太ももちろん全く利用したことがなかった。

「へぇ、そうなんだ。・・・・・・そういえば1人でこれを図書室に?」

目の前の台車を示してきく。図書室はこの学校の最上階である5階に位置し、ここは1階であった。
そして彼女は

「うん」

と頷く。

「それじゃ手伝うよ。はやてちゃん1人じゃ大変だろうし」

「ほんまか?そりゃありがたいわぁ~。しずかちゃんが塾で急いで下校せなあかん、ちゅうとった(下校しなきゃいけない、って言っていた)から困っとったんよ~」

彼女はパッと明るい顔を見せると、礼を言った。
そしてのび太には台車を押すよう頼んで並進するようにして輸送を開始した。
その間にはやてからこの本について話を聞くと、何でもこれは新たに図書室に入れられる蔵書で、2日程前に図書室担当の先生が

『2日後は出張で私(先生)がいないけど、届いたものを台車に載せておくよう業者の人に頼んだから、あなた達で図書室に運んでおいてね』

と頼まれたのだという。
しかし同じく図書委員を務め、はやてにとっても親友である源静香が急用で下校せねばならなくなり、彼女1人で行おうとしていたのだという。

「ふ~ん。そんな理由があるなら明日やってもいいと思うんだけどなぁ~」

のび太は呟きながら一階の給食室にそれを運ぼうとする。

「ああ、そっちやないで」

「え?このエレベーターを使うんじゃないの?」

給食室には給食センターから届いた巨大なワゴンを上に運ぶための大型エレベーターが存在する。クラス内で順繰りする給食係という役職に就いたことのある彼はそれをよく知っていた。

「ううん。そんな大掛かりなことをせんでも運べるやろ?」

「ま、まさか階段で・・・・・・!?」

はやては台車を見つめて絶句するのび太に微笑みを見せると、

「ま、ついて来(き)いや」

と促した。

(*)


「へぇ、こんな所にエレベーターがあったんだ」

のび太は呟くと“↑”ボタンを押し、3階を示す液晶ディスプレイからはやてに視線を移した。
この定員が数人の通常型エレベーターは先ほどの給食室からさらに奥に行った倉庫の近くにあった。

「やっぱりのび太はんも知らんかったんかいな。・・・・・・まぁ、普通の人は使っちゃいかんかんね」


ピンポーン


軽やかなチャイムと共に扉が開き、のび太は台車と共に「それ行け!」とばかりに滑り込む。しかしはやてがなかなか乗ってこない。
不審に思って振り返ると、彼女の電動車椅子は廊下で超信地旋回(その場でくるりとターンすること)。エレベーターへバックで駐車しようとしている最中だった。

「(そっか、車椅子なんだっけ・・・・・・)」

彼女の口調や笑顔からは全く見られない自分達との違い。しかし確かにハンディという壁が存在する事を彼は改めて実感した。
のび太は彼女がエレベーターの空きスペースに収まるのを確認すると“開”ボタンから“閉”ボタンへと押し替えた。

「おおきに」

「うん。でもいいなぁ~、いつもエレベーター使えるんでしょ?ほら、僕達の教室4階だから疲れてる時だと階段が山に見えてさ~それだけで嫌になっちゃうもん」

のび太としては純粋に実感を言ったまでだったが、そのような話題はあまり振るべきものではなかった。

「ふーん・・・・・・わたしは・・・・・・自分の足で歩ける方が羨ましいかな・・・・・・」

不意に過る寂しそうな声。
遅まきながらようやくのび太は気づく。
彼女らのような人にとって最も嫌なのは、そのような普通との違いを言われること。例え相手に悪意が無いにしても。
それにはやては特殊な事例であった。
しずかに聞いた話によれば、はやては昔から原因不明の下半身マヒの障害を患っており、ずっと車椅子生活だった。
しかし、ある日に奇跡が起こった。
それは彼女が魔法とか家族が増えたりとかそんなの“何にも起こっていない”小学校3年生の独りクリスマスを迎えた時だ。
朝起きると突如として彼女の足を含む下半身は運動神経に至るまで全て回復。病院でのリハビリ生活の末、数日で歩けるまでになったのだ。
しずかなどの友人は『聖夜の奇跡』や『サンタの贈り物』としてこれを喜び、はやて自身も突如として広がった世界に大きな夢を持ったはずだった。
だが半年前。何故か再発してしまったそれは、やってきたのと同じように突然彼女から世界を、夢を奪い去ったのだ。
人間最初からダメなら諦めもつく。しかし安易に夢を見させられて、それを突然奪い去られるショックは計り知れない。
彼女とて同じである。
ついこの間まで、みんなと同じように走ったり、歩いたり、座ったりできた。
その長い階段でもみんなと同じように肩で息をしながらも一緒に登れた。
そんな普通の生活を彼女は夢に見、実現され、何の前触れなく瞬時に奪われてしまった。
彼女は自分を心配する人達に笑顔でこう言ったという。

「元に戻っただけやから、心配せんでええよ」と。

八神はやては強い子である。だからその真実を受け止める。だがその心中、穏やかでないことは容易に想像がついた。

「ごめん!そんなつもりじゃ・・・・・・!」

「・・・・・・うん、ええよ。もう慣れっこやし、のび太くんがわざとそんなこと言う人やないのはわかっとるから」

はやてはそう言うと微笑んでみせる。しかしそれが無理したものであることが分かる気がして、のび太には嫌だった。

(*)


「のび太くんありがとうな。助かったで」

はやては図書室のカウンターまで台車をのび太に運ばせ、労を労(ねぎら)った。

「こんなの全然へーきだよ!他にも何か手伝えることある?」

のび太の言にはやては振り返るが、何かに気づいたような顔をして小声で言う。

「あぁ・・・・・・気持ちは嬉しいんやけど、“何か大切なこと”を忘れてへんか?」

『え?』となるのび太に、はやては彼の背後に立つ人達に会釈した。

「「のび太ぁぁぁ!」」

突然の怒声と脳天に貫く衝撃と激痛。

「いたぁーい!痛い痛い・・・・・・」

腰が砕けたのび太はその場に座り込み、カチ割れそうな頭を抑えながら振り返る。果たしてそこには怒りに目を爛々と燃やす2人組がいた。
言うまでもないが、彼の友人である剛田武(たけし)ことジャイアンと、骨川スネ夫だった。

「お前いつまで待たせるつもりだ!?」

ジャイアンがその巨躯に秘められたる莫大な肺活量を使って怒鳴る。
これにのび太は完全にすくんでしまう。

「ちょっと人助けをしてて・・・・・・」

「あんだと?お前、人助けとジャイアンズの進退とどっちが大事なんだ!?今日負けたら河川敷(練習場所)が南校の連中に取られちまうって言っただろうが!」

「そうだぞ!どうしてくれるんだ!?」

スネ夫がジャイアンの威光を被って援護射撃。
この分だとあと2、3発は拳骨を食らうことになるだろう。のび太は覚悟したが、今日は勝手が違った。

「まぁまぁ、たけしくんもスネ夫くんもそんなに責めないであげてや。わたしが急いでるのび太くんを呼び止めて、“無理にでも”ってお願いしちゃったんや。堪忍してあげて。な?願いや」

はやてが仲裁役として加勢。加えて

「(あれ?呼び止められたんだっけ?)」

と思ったのび太の視線に小さくウィンクして見せた。
こう正面から庇われてしまってはガキ大将を自称するジャイアンも振り上げた拳を納めざるを得なかった。

「はやてちゃんがそこまで言うなら仕方ない・・・・・・だがな!」

ジャイアンはのび太を煩雑に立たせると、スネ夫に問う。

「今何時だ?」

「え~と、2時47分」

「試合開始まであと15分ないな・・・・・・だからのび太!」

「う、うん」

「全速力で走るぞ!遅れたらケツバット20回だ!」

「えぇ~!」

「スベコベ言うなぁ!」

そうして2人はのび太を半ば担ぐようにして階段を駆け降りていった。
そして図書室に残された少女は、祭りが終わった後のようなもの寂しさを感じていた。



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最終更新:2010年11月22日 21:44