黒百合学院。
瀬平戸市北区に位置する、超が付くほどのお嬢様校である。
前身は明治時代に華族教育を行っていた官立学校であり、官立学校廃止後は私立学校として再発足された。
広大な敷地内には至る所に当時のままの建物が存在し、その中にあるいくつかは国の重要文化財に指定されているほどの、非常に由緒正しい学校。
「ごきげんよう」
時代錯誤極まりない挨拶が未だ飛び交うほどのこの学校内……在籍することが既にステータスとなるこの場所において、更に羨望の視線を集める者達が存在する。
その名を、黒百合学院生徒会。
優秀な生徒の中から、更に頭一つ抜けた『天才』のみが所属することを許される。
生徒会長は理事長の娘であることから、他の学校の生徒会とは桁外れた権力を有する。実質的には、黒百合学院における最高機関と言っても過言ではない組織である。
その選定条件は非常に厳しいものであること、以外は謎に包まれている。単純に学力のみではいけない、単純に結果を残しているばかりではいけない。
生徒会長直々の推薦と承認のみが唯一の入り口である其処は――――全生徒たちの、憧れの的であり。
そして更に。その中でも、より一層強い憧れを向けられる者が存在する。
「ああ、見て、ヘレネ副会長がいらっしゃったわ!」
一人の少女が、恍惚と感嘆に塗れた嬌声を挙げた。視線の先には……美しい少女の姿があった。
美しいブロンドの髪に、青い瞳。その年齢にはあまりにも不釣り合いにすら見える、完璧の整った肢体。上品かつ美しい立ち居振る舞いに、微笑を浮かべる絶世と言える顔貌。
何人もの少女達が礼節を忘れかけながら後を追い、黄色い歓声を上げそれに対して軽く手を振りながら挨拶をすれば、最早それは絶叫にすら近いものになる。
「ああ、今日も美しいわ……ヘレネ様……」
「品行方正、文武両道、容姿端麗、更には聖母のごとき慈愛に溢れていて……はぁ、いつかお近づきになれたなら」
正しく、高嶺の花の中でも最高峰に位置すると言うべきその姿に向けられる視線は凄まじいものであった。
誰もが彼女を美しいと讃え、誰もが彼女を愛に溢れた人物であると謳い、誰もが彼女を純白で純粋であると信じ切っている。
ある意味では崇拝にすら近いものであり――――そして。同様の視線を注がれるものが、もう一人。
「此花ちゃーん、今日も髪がハネてますわ、身嗜みはきちんとしないと」
「え、ああ、その、すみません……ありがとうございます」
とは言っても、ヘレネ=ザルヴァートル=ノイスシュタインと比べれば小さく。然して、彼女と比べればより距離感は近しいものであった。
周囲に居るのは、上級生の姿が多かった。ハネている髪に串を通されながら、親しげに話す年上の少女へと、たどたどしくも礼を言う。
「中等部一年に転校してから、若干十三歳で藤宮会長から生徒会に抜擢された寡黙で謎の多い少女……ですけれど、ええ、それはそれとして」
「少し話すのが苦手なところも、どことなく大雑把な……何というか、妙に慣れていない感じが、可愛らしいわ」
視線や賞賛に慣れきったヘレネとは違い、此花は未だその雰囲気に馴染めずに居た。
その上で年齢で言えば小学校を卒業したばかりというのが年上の彼女達の母性を擽り、また親しみやすさにもなっているのだろう。
あれこれと世話を焼かれるのに、恥ずかしいやら申し訳ないやら、と言った様子であったが……然して、その雰囲気は。目の前に立ったヘレネによって、停止を強制されることになった。
「……ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
申し訳程度、と言ったばかりの挨拶がそこで交わされる。
とは言え、ヘレネと此花のこの程度の関係性はいつものことであった……とても仲が悪いとも、実は彼女達は深いところで繋がっているからこそ、だとも言われているが。
故に、その歓声は相変わらずであった。むしろ、その恒例のイベントに対して湧き上がってすらいるくらいであり。
――――彼女達の裏側に含まれるそれを、理解できる者など一人たりと存在などしていなかった。
「藤宮生徒会長が、私達をお呼びです。……分かっていますね?」
「……ああ、分かっている」
「ああ、良かった。では、一緒に行きましょう? ね?」
それに対する返事をすることはなく、此花は再度歩み出し、その横にヘレネが立って歩み出す。
然程珍しくもない光景、けれども黒百合学院の生徒を毎朝湧き立たせ、そして一日を豊かにする光景でもあった。
――――その胸中に、刃を潜ませているとは誰一人として思わない。
■
「失礼します」
「……失礼します」
黒百合学院、生徒会室。
とはいっても、通常思い起こされるようなそれとは大きく違う光景がそこに広がっているだろう。
絢爛豪華たる調度品の数々、机や椅子に関しても値段にして幾らになるか分からない程の逸品を使用した、お嬢様高校である黒百合学院のそれを考慮しても逸脱した室内。
そしてそこでは、既に一人の少女が紅茶を嗜んでいた。
ヘレネのそれとは勝るとも劣らない……少し“凛々しさ”に富んだ美貌。
スラリと伸びた手足に女性として完成しきった美しい肢体。そして何よりその怜悧温和、然して其処に確かに存在する……いうなれば、支配者としての圧が、彼女という存在を物語っていた。
名を藤宮明花。黒百合学院理事長の娘にして、黒百合学院生徒会長の名を持つ絶対権力である。
「おはよう、ふたりとも」
「おはようございます、生徒会長」
ティーカップを置いて、入室した二人に対してにこりと藤宮は笑いかけた。
それは、性を問わず他者を魅了する魔とすら称することもできるほどの蠱惑。何も知らぬものであれば、身の程を知らずそれに手を伸ばしてしまいたくなる。
であるが然し、ヘレナにとっても、此花にとっても、藤宮という少女はそれ以前に、強大な“力”であるという認識が先ずあった。
それは、棘どころか猛毒を血液と循環させているとすら言っても過言ではなかった。此花の表情は強張り、そしてヘレネの余裕はぐしゃりと引き剥がされている。
「始めましょう。大丈夫、授業が始まるまでには終わるわ」
藤宮に促され、此花とヘレネが席に着く。
空気が張り詰める。何時もならば口数の多いヘレネも、この場においては此花を睨みつけるばかりで言葉を切り出すことは出来なかった。
まるで静寂を弄ぶかのように、ティーカップを持ち上げて口をつける。ゆっくりと、そのリズムを崩さず……二人には悠久にすら思えただろうそれは、カチャリという音と共に終わりを告げる。
「さて、昨夜の件ですが。ヘレネさん、何か訂正や追加はありますか?」
話を振られたヘレネが、ピクリと肩を震わせた。冷や汗を流しながら、藤宮へと、それから此花へと視線をやった。
此花は全く無言のままであった。ギリィ、と奥歯を噛み締めながらあれやこれやと考える――――が、生半な嘘はこの女には見抜かれてしまう、ということを痛いほど理解していた。
一拍置いて、ヘレネは重々しく口を開くだろう。
「……いえ、ありません、生徒会長。全て、昨夜報告した通りです」
「そうですか、では、此花さん」
「いいえ、私からもありません」
昨夜――――魔法少女狩りにおける、“取り逃した件”について。
報告はすべて済ませてあった。ラッキー・クローバーの発見から、オーネストハートの存在、そしてコノハナ少佐の独断行動から新たな乱入者、そしてその戦闘行動における決着について。
この場において、法とは即ち藤宮であった。二人はただ判決を待つだけの被告人であり、弁護人もいなければ傍聴人もいない。
故に。どれだけの理不尽が注がれようが、彼女等に抗う術はない。
「……此花さん、貴女にしては随分と珍しい判断でしたね。確実性に欠ける……感情的にすら見えるものでしたが」
「はい、その通りです。今回の件は、私個人の意思によるものです。副会長の静止も叱責も取り合わず、全ては私が独断で行ったことです。如何な処罰も受け入れるつもりです」
それに対して此花は一切の言い淀みなくそう返した。
ヘレネはそれに安堵した……これで言葉を違えて此方に責任を擦り付けてきたならば、どうなっていたかと。
此花に対する報復の有無ではなく、先ずそれに対する追求が無かったことに安堵する。
「……そうですか。ヘレネさん、どうして力づくでも止めなかったのです?」
「申し訳ありません、生徒会長。然し此花書記長の単純戦闘能力は我々の中でも最高峰……下手に手を出せば、兵士諸共被害を受ける可能性がありましたので」
「それもそうですね……それでは。“監査長”、貴女はどう思いますか?」
窓際に、一人の少女が“立っていた”。
藤宮を除いて、そこにいる誰もがその存在に今の今まで気付かなかった。
純白の髪に、無色透明の瞳を身に纏い、唯一黒百合学院の制服だけが少女の存在を位置づける――――その少女は正しく、無色透明。
世界に溶け込むかのごとく。光の屈折が、たまたま照らし出したかのように彼女のことを映し出す。
「――――貴女が、楽しめたのなら」
それは溶けて消えてしまうかのような。はっきりと耳に届いているのに、まるで静寂と相違無いかのように。
そうですか、と事も無げに藤宮はそう言って、此花へと目をやった。相も変わらず、表情一つ、眉一つ動かさず此花はただ静かにそこに座っている。
「……お相手の魔法少女とは、どうも知り合いであったようですが?」
「はっ、手心でも加えたんじゃねえのか? 知り合い様に情が湧いて、わざと逃したんじゃねえだろうな、ああ!?」
ヘレネの拳がテーブルを叩いた。今すぐにでも、鬱憤晴らしに此花を殴り付けかねん勢いでヘレネは怒り狂っていた。
元より、此花自身が気に入らないヘレネであり、理由さえ在れば憂さ晴らしに此花を殴りつけていたが――――然して、それを藤宮が今、許すはずもない。
ただ、ほんの少しだけ冷たい視線を藤宮はヘレネに送った。それだけで、湧き上がりかけたヘレネの頭が急速に冷えていく……顔を青褪めさせながら、失礼しましたと消え入るように言った。
藤宮の注目はまた此花に戻される。そしてやはりそれは、淡々と語りだす。
「はい、あれと私は友人でした。故にこそ、私はあれを私自身の手で斬らねばなりませぬ。私は刃です。刃に幾許の迷いもあってはならない。あれは、私に最後に残された唯一の心残りの一つです。故に、故に、私は……あれを。殺さねば」
それは説明と言うには感情的に過ぎる、或いは独白に近いものであった。
そうだあれは友人だ、だからこそ私はそれを殺さなければならないと此花は謳う。それは藤宮のそれともヘレネのそれとも、無論そこの無色透明な少女のものとも違う狂気の発露であった。
ヘレネにとってはそれが恐ろしかった。藤宮にとってはそれこそが此花に期待するものであった。無色透明にとってはそれこそが嬉しく思えた。
幾許か、藤宮は思考に耽った後――――紅茶を飲み干すと同時に、結論を出した。
「……此花さん。貴女は骸姫討伐戦から職務に忠実に、確実に、刃を以て達成してきました。貴女はとても優秀な人材です……ええ、ですから。貴女がそう言うなら、機会をあげましょう。
ただし、より確実に。必要な分だけ兵を貸し与えましょう。貴女がそれで、今よりも更に鋭利な刃となるならば――――次こそは。間違いなく、あれらを刈り取りなさい。
良いですね?」
「はい。寛容なご配慮に感謝します。必ずや」
藤宮は、此花の返事に微笑み返す――――裏を返すのであれば。
達成できなかった時にどうなるかは保障せず。そしてそうなった場合、どうなるかは彼女達自身がよく理解していた。
ある意味では死よりも恐ろしいことになる。ヘレネをすら屈服させる、黒百合の支配者に自身を任せるということがどういう意味なのか……そして、此花はそれを理解した上で。
次は確実に殺すと言った。ならば、それでいい。今回の件は、それで終わりということになる――――チャイムが、鳴り響いた。
「それでは、ここでお開きということで。今日も一日、良い一日になりますように」
「はい、それでは失礼します、生徒会長」
「……失礼します」
そうして二人は揃って生徒会室から去っていく。残されるのは、藤宮自身と……無色透明な少女が一人。
藤宮は彼女へと目をやること無く、彼女自身も窓の外へと視線を送って外さない。意思さえあれば、永遠にこの場には静寂が流れるであろう。
それを破ったのは無色透明からであった。
「――――貴女は。楽しめているのかしら?」
果たしてそこに意味などあるのか、無いのだろうと藤宮は思う。故に、藤宮もまた――――その意味のない問いかけへ、意味のない返答を寄越してみせる。
「ええ、楽しいわ、とっても」
最終更新:2017年11月29日 01:05