白紙1-5

レナート・コンスタンチノヴィチ・アスカロノフは、白い空間に立っていた。

どこまでも白く続いていく空間。そこに響き渡るピアノの音。その前に座り、狂ったように演奏を続ける、継ぎ接ぎの何者か。

「ここは、一体……」

世界を移動したのは、一度や二度ではなかった。慣れたとは言わないまでも、それなりに覚悟はできているはずだった。
だが、ここまで特異な物は初めてだった――――ただ、中心に居る何者かが、此処に至る下手人であるということだけは、本能的に察することが出来た。
言葉が通じるかどうか、自身はあまりなかった。言語の問題ではない、果たしてこれは――――“人智の及ぶ存在なのか”という部分が、懸念材料だった。
レナートは正しく、人智の結晶のような存在であった。そのために、“人間”と相対することも、“怪物”と相対することも、恐れることはなく、それに歩み寄った。

「……よう、お前さんだろ。俺を呼んだのは――――――――!?」

その肩に触れた瞬間――――――――流れてくるのは。

――――――――どうしようもないものだった。

それは不平と不満であった。それは俯瞰者であった。それは生きるものでもなければ、歩みものでもなかった。ただただ、“悪”だけで構成されていた。
そこに悪意があったかどうかは分からなかった。いや、悪意は間違いなくあったが、同時に強烈な正義感と善意すらも存在していた。
確実に言えるのは、それが仮に善意によるものであろうとも、それが成すもの、成したものは、間違いなく、悪でしかなかった。
数多の世界を蝕むような――――凶悪極まりない。安全地帯から、此方側を嘲笑うような、“人類が普遍的にばら撒く悪の集合”であった。


「貴方も選ばれたようですね。“再生者”に」

「……リチャード」

背後に立っていたのは、見知った顔の男であった。
スーツ姿の貼り付けたような微笑み。聖王の騎士団首領代行、リチャード・ロウ――――言うなれば、彼も、そしてレナートも、同様に、そして同格の“悪”であった。
救いようのないもの。人類に害を成すもの。しかしながら、“それ”とはあまりにも質が違う――――言葉にならないほどに、あれは“邪悪”であるようだった。

「私達は世界を“再生する”為の役割を与えられました。砕け散った世界をまとめ上げ、一つの世界に再生する役割を。
 さて、貴方は何を望みますか――――いえ、聞くまでもありませんか。貴方の望みは――――」

言い切る前に、レナートの頭上に突如、巨大なロケット・ミサイルが出現した。
V2ロケット、単段式弾道ミサイルは、リチャードではなく、“それ”に対して超音速を以て放たれ、粉砕せんとした。
だが、それよりも早くそれは“分解”された――――パーツごとに、などというものではなかった。それは“素粒子”の単位にまで分解され、跡形もなく消え失せた。

「――――下らねえ。“そんなもの”に縋るか……縋るものかよ」

「ほう。それは何故?」

レナートの青い瞳は、強い意志の光を宿していた。
レナートは正しく戦争の狂気にとりつかれた男であったが、それを実行するのは狂気などではなく、真っ当な正気であったのだ。
そして何より、心の底からの善性の存在であるのだ。故に、悪を成す正気を以て目の前の何者かを否定した。“その邪悪”を否定した。


「この世に生まれた者は、皆役者だ。それぞれの舞台に立ち、それぞれの役割を演じ、それぞれの脚本を全うする。

 だが――――――――」

それが仮に。数多存在する命に対して、人間に対して、絶対的な存在である、例えば“神であったとしても”。
“創造主”であったとしても。或いは、“絶対不可侵”であったとしても。否、だからこそ。
レナート・コンスタンチノヴィチ・アスカロノフという男は、神殺機関の総帥だ。だとするならば、神への反逆こそ正しく至上命題であるのだから。


「なんの糸にも操られずに自分で立って、ちゃんと生きて演じ切るのが、俺達の役目だ。


 招かれざる観客が、俺達の舞台をどうこうできるなどと、自惚れるなよッ――――――――!!」



白い部屋が、粉々に砕けていく。


気づけば、レナートは夜空を落ちていた。空には白い部屋が見えて、遠ざかっていく。
彼は拒絶された。白い部屋の主から追放され、空を舞って――――せめて、その歯車の一つとして死ぬことだけを期待されて、この世界へと降ろされることになった。
それで良かった。どれだけ大きな力でも、仮にその大きな力で世界を自在に操ることが出来たとしても――――それは“違うもの”なのだから。





融合決戦世界『White World』にて。今より少し前の話。







「……準備は全て、整ったようだな」

「ああ、万全だぜ。後は俺達は、俺達の役割を演じきるだけ――――だろ、旦那?」

――――燃え盛る炎が、彼らの叛逆の狼煙だった。
“融合血戦”の世界にて回るべき最後の歯車が――――この舞台を徹底的に破壊するための役者が、そこに漸く揃った。
アレクシス・アーデルベルトという、サングラスの男の問いかけに、レナート・アスカロノフは口の端を歪めることによって、返答とした。
極彩色の瞳を持った少年が夜空を見上げている。まるで人外であるように見えて――――レナートにとっては、存外、その心は分かりやすいものでもあった。

「……俺の、母さんみたいな人が言ったんだ。最高の結末以外は、認めないって。だから……俺は今の、この世界を認めない」

レナートにとっては、その言葉が聞けただけでも充分だった。
帽子の端を押し上げながら、それに頷いた――――

「惚れた女のためにも、か?」

「ばっ……ハンナさんは別にそんなんじゃ……!!」

アレクシスのからかいに、判りやすく鳴海が狼狽えて、それに小さくレナートは笑った。
彼らは――――“悪”だ。この世界を破壊しようと企む、極悪非道を担うものであった。
だが、同時にそこには確かな意志があった。例えば、誰かの糸に操られているような――――どうしようもない誰かを、嘲笑わせるための道化師のような。
そういうものに飽き飽きとしている、そういう存在だった。


「さぁ、行くぞ。
 作られた舞台を滅茶苦茶にしてやろう。伸ばされた糸を断ち切ってやろう。俺達の物語は、俺達のものであると証明してやろう。


 ――――――――俺達の戦争を、初めよう」

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最終更新:2020年01月06日 19:03