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ナショ文字の歴史

ナショ文字の歴史

ナショ文字とは、松下電器・松下電工のナショナル・パナソニックブランドの製品で使用されていた書体。ナショナル体とも呼ばれていた。
松下幸之助の生涯
そのコンテンツに、こんなページがあった。
「ナショナル」マークを改正統一
このページからこのようなことがわかる。
1、近代感覚の広告が多くなり、社内にも書体をもっと近代的なものにしたいという声が高まった。
2、ラジオ受信機が製造品目に加わったのを機に、昭和10年11月、「ナショナル」の新書体を発表し、書体統一を図った。
3、しかし、株式会社への改組、9分社制への移行など組織の変革があり、当面、ラジオ受信機に関してのみ、新書体を使用することになった。
4、だが、書体統一は松下電器の統一的なイメージづくりの基本でもあることから、社主は、昭和12年12月、再度「ナショナル」のマークをつくり、書体を改正統一した。当初の案は、「ナショナル」の文字を円で囲んだものだったが、社主はふと思いつき、上下に「電光マーク」を加えることを指示した。
このようにして「ナショナル」マークができたのである。

それでは終焉はどうなのか、見てみよう。
終焉した年度は、1986年-1988年。
ちょうどすべての年度がそろっていた。
1986年:谷井副社長が社長に就任
1987年:北京・松下彩色顕象管有限公司(BMCC)を設立
1988年:松下電器貿易と合併
そして
1989年:松下幸之助創業者が逝去
これではよくわかりません。
ですから、以前のものも見てみましょう。

1983年:「ACTION-61」を推進
 「ACTION-61」を推進
 この「ACTION-61に何かが隠されているのではないか。
この頃に、ナショ文字使用中止・ナショナル/パナソニックのブランド使用基準変更の具体的案が入っていたのではないか。
しかし、まだヒントはある。

1986年:谷井副社長が社長に就任
これは・・・・
 もしかして?
「「ACTION-61」を先頭に立って指揮してきた谷井社長は、就任後ただちに「事業構造の改革」への取り組みを強く要望した。そのため5月には、OA、ニューAV、FA、半導体を4重点事業に指定、推進担当の委嘱を行った。
1987年には、「ヒューマン・エレクトロニクス」の観点から、その具現化を目指して人間性と先端技術を融合させ、新しい商品文化を創造する「強い商品づくり」を推進した。 また同年、グループの決算期を統一し、翌年には人事方針を改定するなどの改革に取り組んだ。 さらに激変する市場の変化に迅速に対応するため、1987年11月、営業体制を従来の商品別から顧客別・地域別に再編し、リビング、システム、インダストリーの3営業本部を設置した。」
この改革は、おそらく「グローバル化」への一歩であるだろう。
「グローバル化」とすると、1988年に松下電器貿易と合併したことからもわかる。
その意図は、「国際企業への脱皮」というものだ。
広く海外に進出するということは、それだけたくさんの努力をしていかなければならない。
また当時(1980年代)は、多くの企業がCIを導入している。
このことからもわかるのではないか。


(以上、サンプルでした。)
最終更新:2009年08月10日 12:08