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475 名前:1/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:03:35 ID:yOm+0ky3]
カラカラ、カラカラ、下駄をならして走る。

何と静かな夕方だろう、人は見えず、人の家すらなく、
ずっと続いているんじゃないだろうかと錯覚してしまうような、
広大なすすき野に虫たちの合唱だけが聞こえてくる。

何処か不安になる。
今まではずっと人に仕え、その人の日常に溶け込むのが当たり前だった。
今となっては、此処に生活音を刻むのは俺一人。
あの美しい演奏を納めた「アサギ」は
俺の首に掛けられた瓢箪の中で静かに眠っている。

不思議な話だ。
今まではアサギや壬生様のような貴人に陰のように寄り添い、
ある時は傘をさし、またある時は身を守ってきた。
なのに、今では、アサギを抱え、俺は趣くままに走っている。
「里に帰る」という目的はあっても、そこまでの道は俺自身が選び走るのだ。

まったく、不思議な話だ。

476 名前:2/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:04:37 ID:yOm+0ky3]
カラン。
不意にどこか乾いた音が響いて立ち止まる。

「……アサギ?」

首に提げていた瓢箪を外し、こわれものを扱うかのように、
そろそろと手のひらの上に乗せ、彼女が居る瓢箪に目線を合わす。

「……良い夜ですね」
それは本当に小さな呟き。力は未だ少ししか回復してないせいもあるのだろう。その声には若干の憂いと疲れが感じられた。

「……あまり喋ると体にたたるぞ」
ああ、そんなぶっきらぼうに、会話を終わらせたい訳ではないのに、
ずっと影として、人を支える物として生きてきた俺には、
そんな風情を想う、美しい問いかけに何と答えたら良いのか分からないのだ。

「ふふ」

「何故笑う?」

「御免なさい。だってアカガネ、貴方の手がとても暖かくて」

ふと気づけば、すすき野に吹き込む風が止んで、
さっきまで五月蠅いぐらいに大合唱していた虫たちの声も消えてしまったかのようで。

477 名前:3/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:06:38 ID:yOm+0ky3]
「……嬉しいのです」

ああ、これはきっと幻だろう。
いつの間にか、手を伸ばせば届くような距離に、彼女は居た。

月明かりに照らされて、あの里にいた頃と変わらぬままの、
真珠のような肌も、繊細な指先も、全て揃えたアサギ。

「私は、何も知りませんでした。
 ただ壬生様に仕え、美しい音を捧げるのが私の定めであり、運命なのだと」

そう呟くように嘯いて、彼女は痛々しく目を伏せる。
俺はまるでぼたん雪のような、その儚い美しさに瞬きも出来ない。

「身が朽ち始めた時に、気づいたのです。
 あぁ、音を捧げられなくなった私は、壬生様を喜ばせて差し上げる事ができなくなった私は、
 ……一体何の意味があるのだろう、と」

何もかも止まっていたようなすすき野に、柔らかく風が舞い込み始める。
絹でできたような、彼女の髪を優しく揺らして。

478 名前:4/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:08:15 ID:yOm+0ky3]
「そんな時、貴方は、崩れかけの私の指を引いて、
何も得るものなど無いのに、里から連れ出してくれました」

「いろんな景色を見ることが出来ました。
あの里に留まっていたら、きっと見られなかったような、
ふふ、建物の大群や、大きく広がる海、見事に満開の桜並木まで」

彼女は軽く微笑んで、その光景を思い出すかのように、軽く首を傾げて
また目を伏せる。今度は、そこに憂いは無く、恐らく本当の喜び。
何も考えずにただ、嘆き悲しむ彼女の手を引いて、宛てもなく里を飛び出した。
本当にこれで正しいのかと、いくつもの夜を眠れずに過ごした。
だけど、良かったのだ、それで正しかったのだ。

479 名前:5/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:09:25 ID:yOm+0ky3]
「ねぇ、アカガネ」
何故だろう、彼女に名前を呼ばれることですら、こそばゆくて仕方がないのに。
どうして、そんな、美しい瞳で真っ直ぐと俺を見るんだ。

「あなたは私を絶望から、連れ出してくれました」
どうして今なのだろう。黙っていた虫たちが、静かに鳴き始めて。

「這い上がろうとする気力さえないこの腕を黙って引いてくれました」
柔らかく光っていた月は、どこからか流れてきた雲に少しずつ隠されて。

「とても大きくて、驚くべき、美しい世界を教えてくれました」
そよぐような優しい風は、徐々に速度を上げ始めて。

轟と、遠くの方から、雷の落ちる音が聞こえて、
思わず彼女を抱きしめた。


「ありがとう、アカガネ。本当にありがとう」

ちょうど胸のあたりで収まった彼女を不器用に抱きしめる。
胸元に少し熱い吐息と濡れたしずくを感じるのに、
何と言ってやったらいいのか分からず、ただ抱く腕に力を込めて、君に掛ける言葉を探す。
だけど、不器用なまま、ずっと影に生きてきた俺には、
それはとても難しすぎて、ひたすらに抱きしめ続けることしかできない。

480 名前:6/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:11:32 ID:yOm+0ky3]
「ふふ……暖かい」

伝えたい思いを伝えられないままに、ザァと、強い風が吹き抜ける。
その風はとても強くて、まるで儚い君を攫っていくには十分な――。

「……アサギ!」

固く、君を抱きしめ守ろうとしたときにはもう遅くて。
さらり、と君の長い美しい髪が風にたなびくのが目の端に見えて、
俺の腕は支える物を失って宙に落ちた。


「……ああ」

気づけば、ポツリ、ポツリ、と、雨が降り出していた。
雲の動きは速く、雷の音も心なしか大きく、近くなってきている。

薄汚れた袖でまぶたをこすってみても、やはりもうそこに君はいない。
代わりに残されたのは、いつもより随分熱く感じる瓢箪と、
雨ではない滴に濡れ、強くなってきた風に冷やされ、少し冷たく感じる袈裟。

481 名前:7/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:15:11 ID:yOm+0ky3
ああ、アサギ。
次に君が目覚めたら、今度はちゃんと伝えたいことがあるんだ。
きっと、言い出すのにも話し終えるのにも時間が掛かってしまうだろうけど。


ただ、ずっと――。
こんなにも胸が高鳴って、まるで暖かな日差しの中にいるようで。

ああ、救われたのは君だけじゃないんだと。
今はただ、君と同じように、とても世界が美しく見えているんだと。

きっとそれは……君がくれた――。


「行こう」

短く呟いて、強くなり出した雨の中、また下駄をならして走り出す。
暗い空に凍えそうになるけれど、胸元に大事に抱きしめた瓢箪がもう一人ではないと教えてくれる。

それがやけに嬉しくて、そう、とても暖かかった。

《終わり》

482 名前:8/8 mailto:sage [2009/05/12(火) 21:16:58 ID:yOm+0ky3]
アサギ+アカガネさん>>475-481
地味ーなエピソードだけど何気に好きで、ふと思い立って書いてみました。
エロ要素なし+長めですみません。少しでもお楽しみ頂ければ嬉しいです。
どこで区切るかが難しくてレスが多くなってしまい反省しておりますorz

最終更新:2010年03月05日 11:15
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