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740 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/01/27(水) 22:28:20 ID:Sdv5IxvF]
『人も、妖も』

―その壱―

―嬉しい。貴方に逢える。
私からただ見つめるのではなく。
私は翔ぶように走る。
身に纏った淡い青の花の浴衣は羽根のように翻って、面を外した顔は喜びで染まっているだろう。

祭囃子が聞こえてきた。
道行く人々は皆同じ場所を目指している。
この中に貴方がいる、何処だろう。きっとすぐに見つけられる。
追い越しざま人の肩にぶつかった。
「ごめんなさい」
言ってまた実感する。今の私は貴方に触れられるんだ。

いた。見つけた。
足を止め息を整える。
ちゃんと話せるだろうか。浴衣の乱れを直し髪を撫でつける。
おかしくないだろうか。
私はすっと近づく。貴方の処へ。

「…あの、谷尾崎様」
声をかけたが貴方は気づかない。もう一度。
「谷尾崎様」
聞こえないようだ、何故?と浮かんだ疑問はすぐに消える。
『お前の妖力では、人と言葉を交わすことは無理かもしれないけれど』

ああ、そうだった。
この気持ちを言葉では貴方に伝えられないんだ。
怖じ気づきそうになるのをぐっとこらえた。
あの人は、何の為にこの浴衣を持って来てくれたのだ。
せめて、精一杯の笑顔で伝えられるだろうか。

また貴方に追いつき、つい、と袖を引く。
「うん?」
こちらを見下ろす顔には僅かに驚きの色。
「何か用かな?」
懐かしい貴方の声だ。優しくてあたたかな貴方の声だ。
貴方の目で私を見、その声で私に話しかけてくれる。冷たい水底でこの日をどんなに願ったことか。
なんて嬉しいんだろう、何という喜びだろう。

身振り手振りで私、貴方と祭の方を示す。
「どうしたんだい?誰かとはぐれたの?…もしかして君は話せないのか?」
こくり、と頷く。
「そうか…案内所に連れて行こうか?」
懸命に首を振り、人で賑わう方向と貴方を指差す。

―お願い、一緒に祭を見たい。

「祭が見たいのかい?あちらに行けば家の人に会えるのかな」
また懸命に頷く。

「そうか…。ちょうど私もね、一人で見るのはつまらないと思っていたんだ」
貴方は私に向かって話す。


741 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/01/27(水) 22:30:21 ID:Sdv5IxvF]
―その弐―

「娘がね、熱を出してしまって…奥さんと留守番なんだ。お土産だけでも買って行こうと来たんだけれど」
貴方は優しく笑う。ああ変わらない。貴方の優しさは二十年前と同じ。
暗闇となる寸前だった私に人の温もりを思い出させてくれた。

「これも何かの縁だ。一緒に回ってくれるかい?」
もう一度懸命に頷く。三度目だ。気持ちが通じたのが嬉しくてたまらない。

「じゃあ行こうか」
貴方の手にそっと触れると、にっこりと微笑んで手をつないでくれた。

―ああ、人とはこんなにもあたたかいんですね。

祭は賑わっていた。
屋台や出店の眩しい光に人が集まっては離れる。
ずっと水底にいた私には不思議な光景だ。

貴方に連れられてのぞいた一つの出店では、四角い桶に水を張り、小さな金魚を泳がせていた。
水面がゆらゆらと揺らぐ。
水の中の沈んだ村に似ているようで思わず座り込む。

真上に灯された明かりの淡い橙色を映した中に、より濃色の魚達は泳ぐ。

ひらひら、ひらひらと水中に舞う金魚のひれはまるで私と同じ浴衣姿のよう。

「…金魚すくい、やってみるかい?」
すっ、と貴方は私の傍に座って店の男に声をかける。

受け取った棒がついた丸いものは、水に浸かるとすぐふわふわと溶けてしまい、魚達を捕らえる事は出来ない。
「…難しいね」
貴方が笑ったのが嬉しくて私も微笑む。

立ち上がった時もまた手を繋いでくれた。

―冷たい私の手は貴方の手のひらでぬくもっていくようです。

歩きながらも貴方は私にたくさん話しかけてくれる。
優しい瞳で私を見て。
私は幸せをかみしめる。

「あれは射的」
「お、大判焼き。今はクリームなんて洒落たのがあるね」
「水風船を頼まれたんだよ、君は何色が良いと思う?」
「お好み焼きも良いけど、やっぱりたこ焼きにしようかな」
「ああ、あったあった。綿飴」
店先で見慣れぬ箱からわきでてくるのは、白い綿の様なもの。
「(…雲、みたいだな)」
木に登って眺めた空を思い浮かべる。
貴方は二つ、と指差す。一つはお土産、と言いながら。
「はい。…雲みたいだよ」
―今、私は貴方と同じ事を思っていたのですね。

渡してくれた人の食べ物は、ふわふわしてとらえどころがなくて、とても甘い。
「美味しいかい?」
こくり、と頷く私に貴方はまた笑顔を向けてくれる。
―なんて幸せなんでしょう。このまま傍にいられたら良いのに。



742 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/01/27(水) 22:41:51 ID:Sdv5IxvF]
―その参―

匂いがする。周囲の空気が湿気を含みしっとりと濃度を増す。
雨が近い。
祭の夜は、もうおしまい。私の弱い妖力も。一晩限りの浴衣の力も。
―お別れをする時ですね。
貴方の手を引き、少し離れた場所の人の群れを指差した。
「ああ、家の人を見つけたかい?」
微笑んで頷く。本当はそんな人いないけれど、逢いたい人は貴方だけれど。
「そうか。良かったね」
貴方も微笑む。
ふと、声をかけられた。
「あれ、谷尾崎さん。今日は娘さんと奥さんは?」
貴方と同じくらいの歳の男は知り合いの様だ。
「ああ、熱を出してしまってね。代わりにこの娘さんと…」
話す声を聞く。もうさようならを言わなくては。
―貴方には聞こえないけれど、私の声でありがとうと伝えたいのです。貴方と歩けてとても楽しかったと。

「じゃあ、せっかくだ。君と一緒に写真を撮ろう」
え、と思う。
「とても楽しかったよ、ありがとう。会えた記念だ」ふふ、と思わず笑いたくなった。
―私が言いたかったこと、貴方に先に言われてしまいましたね。

「並んでね、こっちを見て。」
貴方の隣に身を寄せる。いちばんの笑顔になろう。貴方の記憶に残るのなら。

「写真、出来たら君にもあげよう。…せめて、名字だけでも分かれば届けられるんだが」
少し困った表情で貴方は言う。
たぶん届かない言葉を、私は口を開いて貴方に告げる。微笑んで頭を下げ、くるりと踵を返して人に紛れた。

貴方は私の様な異形とは違う。もう逢うことはないでしょう。でも。
今日の貴方の温かな手も。優しい声も。
私を見る眼差しも。
忘れることはないのです。
とうとうと降る雨はすべてにまつわり水を呼び、私はまた水底に帰るけれど。
そこから遠く見上げる外の景色は、きっと違って見えます。
―ありがとう、優しい人達。

谷尾崎様。
あの時、貴方が私の姿を見ることができず良かったのですね。醜い悪鬼ではなく、一人の娘として貴方に逢えました。

夏目様。
貴方が異形を見る人で良かったのです。優しい姿であの人に逢う事ができました。
写真とやらは私の姿だけでなく、喜びも写してくれるでしょうか。
私はまた兄弟達と眠りにつきます。それはとても優しくてそして温かな眠りです。
ありがとう。私は人が好きです。
誰かを想う気持ちはきっと同じなのでしょう。それはたぶんあたたかいのでしょう。

人も、妖も。



743 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/01/27(水) 22:44:01 ID:Sdv5IxvF]
―その四―

その人は写真を出しながら言った。
「もしかして、君は夏目君じゃないかい?」
夏目は怪訝そうに答える。
「…そうですが」
「そうか!良かった。あの娘さんの事を知っているならもしやと思ったんだ」
その人は笑顔になる。

「写真の娘さんがね、そう言ったんだ。届け先を聞いたら夏目、と」
燕は言葉を交わせたのだろうか、と夏目は思う。
「ずっと言葉は出なかったんだけれどね、最後別れ際に」
「…他に何か言っていましたか?」
「ああ。ありがとう、と言ったのが微かにね」
「…そうですか」
「写真は君に預けるよ。それじゃ」
谷尾崎は手を上げて帰って行った。

夏目の目からは涙がこぼれる。昨日までの雨のように。
「…燕。お前の想いは届いていたよ。…良かったな」
本当に良かったね。
お前は幸せだっただろう。嬉しかっただろうね。
おれもとても幸せだよ。
人も妖も同じだね。

ゆっくりとおやすみ。
またいつか、優しい人に逢えるまで。
最終更新:2010年03月01日 12:19
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