863 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:10:14 ID:jdq8ZR3U]
『空に見るもの』
―その壱―
昨夜の雨は明け方に雪に変わったらしく、通学途中の森も田畑も日の光を反射して目に眩しい。
冷えた朝の空気に息が白く浮かぶ。
「なーつめぇーおーはよー」
「おはよう」
がし、と首と背中に衝撃があり、肩を組むと言うよりも技をかける勢いで飛びついて来たのは西村と北本だ。
「おはよう…って重いぞ」
じろりと睨んで抗議するが、まあこの二人に夏目の眼光が効く筈もない。
「昨日、多軌さんにチョコ貰ったんだろー?いいなーいいなー。何でお前だけなんだ!もちろんおれ達の分持って来たよな?な?」
「西村、落ち着け」
「ああ……無いよ」
「一人で全部食べたのか?ずるいぞ夏目!なんて友達甲斐のない奴なんだー!」
「落ち着けって」
「そう言われても…ひとつだけだったし」
「お前なー、当然だろ。何で一人に何個もくれるんだよ」
「そうか?一人ひとつなのか、知らなかった」
「ん?ひとつって、一個だろ?」
「いや、一粒だ」
「…はあ?」
夏目の予想外の返答に西村と北本は呆気にとられる。
「一粒くれて残りはタキが持って帰った…と思う」
「何で。普通箱ごと全部くれるだろ」
なあ、と西村は北本にふる。
「普通はな。他に何か貰ったとかか?」
「他に…」
ばっと脳裏に蘇ったのは、甘い甘いキス。思わず夏目は口元を押さえる。
「あっ!北本!夏目のやつ顔赤くしてるぞ!」
「何ぃ!お前何貰ったんだ?!」
「い、いや…」
追及を避ける為に逸らした視線の先に。
「お、噂をすれば。おはよー多軌さーん♪」
西村がちぎれんばかりに手を振るのに気づきタキも軽く手を上げる。
「おはよう、夏目君。西村君と北本君も」
「なあなあ多軌さん、夏目にあげたチョコ一粒だったって本当?」
あ、とタキは口元に手をやる。
「(あの時、ポケットに入れて…)」
一粒あげてキスをして、すっかり渡すのを忘れていた。あんなことするからだ、と指摘されたら否定出来ない。
「…そうだ、ごめんなさい。持って帰っちゃったんだ」
「それ…貰ってもいいか?西村がくれってうるさいんだ」
夏目がずっとあらぬ方を向いている理由に気づいてタキは赤面する。
「(…やっぱり夏目君も思い出したよね)」
同じように横を向いたら、西村と目があってしまった。
「あれ?多軌さんも顔赤い?……二人で何か隠してないか?」
「そ、そんなことないわ!明日持ってくるね!」
日直だから先に行くね、そう言ってタキは駆け出した。
864 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:11:22 ID:jdq8ZR3U]
―その弐―
「はい、夏目君。こっちは西村君と北本君の分」
「おお!多軌さんからチョコ貰えるなんてっ有り難う神様!」
「大げさだよお前は。でもやっぱり嬉しいな、有り難う」
「有り難う。すごいな、皆の分作ったのか」
夏目が少し驚いた顔をする。
「うん、せっかくだから」
本当は違う。コートに入れっ放しだったチョコは溶けていて、昨夜2時までかかって作ったのだ。
「(…夏目君に食べて欲しかったから)」
恥ずかしくてそんな事を言えるはずもなく、結果「皆の分」と相成った。
「美味しいといいんだけれど」
「来年は当日がいいなー」
「…おい」
さり気なく要求する西村に誰の彼女だ、と夏目はつっこみたかったが、からかわれるのがオチなのでぐっとこらえるしかない。
「みんなで集まって何の話?夏目くん」
「…笹田」
ねえ、と袖を引かれ口に添えた手の陰で、
「妖怪の話?」
と聞かれる。夏目はさっと振りほどいてにっこりと笑った。
「いや、バレンタインデーの話だよ」
「ふうん」
「あ、そろそろ教室移動の時間じゃないか?タキ、有り難う。じゃあまたな」
「うん、またね」
「またねー多軌さーん」
「ちょっと夏目くん」
しつこく手を振り続ける西村と、まだ話したそうな笹田を背に夏目は教室に入る。
笹田は、時雨様以外の妖の何をそんなに知りたいのだろうか、と思いながら。
「え…おれに?」
「うん、二日遅れだけど」
タキからチョコを受け取った田沼が夏目を窺う様に見る。
「貰っていいのか?夏目」
「ああ、手作りだってさ。……ん?なんでおれに聞くんだ?」
「なんでって…付き合ってるだろ、夏目と多軌」
『どうして知って…っ』
思わぬ田沼の答えに、否定するのも忘れ二人は大声を出しそうになった。
「日曜、父の客を迎えに出た時見かけたんだ。手を繋いでたし、声かけて邪魔しちゃ悪いかと思ってさ」
田沼が頭を掻く。
二人は田沼の話そっちのけで焦る。田沼の家は夏目の家の先を通るのだ。まさかまさか、あの場面を。
『(見られてたら…どうしよう?!)』
「前から思ってたけど、お似合いだよ二人は。仲良くしろよ」
爽やかに笑う田沼が何故か眩しくて、敢えて聞くまいと二人は決心した。
「黙っててごめん」
「いいって。多軌、夏目、これ有り難く頂くよ」
「ええ。じゃあ私行くね」
「おれも戻るか」
じゃあな夏目、そう言って去りぎわ田沼が耳元に呟いた。
「渡したくないなら、離すなよ」
「え?」
「夏目くーん」
またもや飛びついてきた笹田を軽くぺいっと剥がし、振り返る。田沼は教室に入る所で、追いかけてまで話すような事ではないかと、微かに感じた違和感に封をして夏目は席に戻った。
865 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:12:32 ID:jdq8ZR3U]
―その参―
「…ふう、まいたかな」
屋上のフェンス際に座って夏目はやっと息をつく。
今日の笹田はいつもにもまして追及が激しかった。
お陰で休み時間の度に校内を逃げ回る羽目になり、放課後やっとここで落ち着けた次第だ。
──笹田が諦めて帰るまで時間を潰すか。
制服のポケットに入れておいた、タキのチョコを取り出して一つ口に放り込む。
「(あ…美味い)」
綺麗に丸く形作られたそれは小さな箱に行儀良く並んでいる。
「一生懸命作ったんだろうな…」
自分を想って作ってくれたのかと思うと嬉しくて、ちょっとにやけてしまう。
「夏目君」
「わあっ」
突然声をかけられ振り向くとタキがいた。夏目は胸を撫で下ろす。
「…笹田かと思った」
タキは自然に隣に腰を下ろす。ふわ、と甘い匂いがしたのは手作りしたチョコの残り香か。
「追いかけられてたね」
「さすがに参った」
「教えてあげないの?」
「…笹田には悪いけれど」
彼女なりの訳があって知りたいのだとわかっていても、軽々しく話す気にはまだなれない。
「笹田さんも、見てみたいのかなあ」
「笹田も?」
「私も、見たかったもの。…あの時」
あの時──夏目とタキが出会った河原も、こんな夕暮れ。
タキは抱えた膝に顎をのせて反対側のフェンス越しに空を見る。
ゆったりと近づく日暮れに空の下がほんのりと朱に変わりつつあった。
「…今は?」
「今は…やっぱり、見てみたいかな。ごめんなさい、夏目君にこんなこと言って」
望まずとも見える妖の為に辛い思いをしてきた夏目に簡単に言っていいことではない。
こうしてタキがただ眺めているだけの空にも、夏目は何かの姿を見ているかもしれないのだ。
「いや、気にしなくていい。どうして…見たいんだ?」
「夏目君と、同じものが見たいからかな。怖いだけじゃないってわかったらから」
「そうか……有り難う」
思ってもみない言葉にタキは目をぱちぱちさせる。
「妖もおれの友人だから、タキがそう言ってくれると嬉しいよ」
向こうの空みたいに頬を染めて照れたように夏目が微笑う。
「いつか、笹田にも聞けるかな」
「そうね」
二人で水色と朱色が段々と混じっていくのを眺めながら、あんな風にゆっくりとでいいから、人とわかりあえたらいいなと夏目は思う。
866 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:13:53 ID:jdq8ZR3U]
―その四―
「あ、チョコ食べてくれたんだ」
夏目が膝に乗せていた箱をタキが見つける。
「ああ、美味しいよ」
「良かった。夏目君にいちばん食べて貰いたくて頑張ったから」
「…そうなのか」
花のようなタキの笑顔とその照れた様子に夏目は驚き、そして顔を背ける。
西村達に少し嫉妬しそうだった自分が恥ずかしい。
それに気づいたタキが夏目を覗き込む。肩からさらさらと髪が流れる微かな音が聞こえて、艶やかな髪の幾すじかが光る絹糸に見える。
「夏目君?」
「…実は、独り占めしたかったと思ってた」
前髪の間から見える少し不満げな顔。
「ふふ。夏目君、子どもみたいで可愛い」
笑うタキに夏目は拗ねたみたいな表情になる。
「…可愛いって男に言うことか?」
「夏目君らしくなくて、嬉しいかも」
ふふ、と笑ってタキは箱からチョコを一粒摘み出した。手の震えを押さえるのがやっとなくらい見せかけの余裕。
──私、いつの間にこんなこと出来るようになったんだろう。
「はい、あーん」
「なっ…タキ…おれで遊ぶな」
「あーんして?」
首をかしげて見つめるタキの可愛らしさに夏目は勝てず、口を開けた。
「あーん」
さっきより美味しい。
「もう一つ食べる?」
夏目はこくりと頷く。
「(ふふ、本当に子どもみたい。こんな夏目君、私しか見たことないかな)」
ちょっと口を開いたまま待っている夏目は、鳥の雛の様に無防備だ。
「あーん」
夏目はいきなりぱく、っとタキの指まで口に含む。反射で引こうとした手首を掴み、指先を舐めあげる。
「(や…これ…っ)な、夏目君のエッチ!」
「いいよ、別に」
一瞬口を離し、そう答えて夏目はまた続きに戻る。
爪の周り、皮膚との境目、間接。舌をまとわりつかせ、丁寧に舐める。
「はっ…夏目、君……やめて」
「(あ…気持ち、いい…)」
タキの頬は上気し、息が弾み始める。夏目が掴んだ手もふるふると震えていた。
一気に引き寄せ唇を奪う。
「んっ」
軽く開いていたそれをこじ開け舌を差し入れる。歯の裏側、隙間まで舌を這わせてゆっくりとキスをした。
片腕で抱いているタキの体が熱い。華奢な手首、手を回した細い腰、柔らかな胸。
「…今日は、チョコなし」
唇だけを離し囁く。
867 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:14:55 ID:jdq8ZR3U]
―その伍―
「夏目君……ずるい。心臓破裂するかと思ったよ」
タキの上目遣いの額にさらさらと栗色の髪が流れて、今度はシャンプーだろうか──漂う微かな匂いが色っぽい。
桜色に紅潮した肌と微かに震える睫毛の下の瞳が淡い夕日に彩られるさまに、夏目は目を奪われる。
「じゃあ…続き、ここでする?」
掴んだままの手首をフェンスに押し付けぴったりと体を寄せた。
曇り空でもう日は落ち始めているのに、その弱い陽光すらもはじいて夏目の瞳は煌めく。
先ほどまでの拗ねた表情とは違って、うっすらと口元に微笑みをたたえて。
「(……そんな目で見られたら)」
覗き込んだタキの大きな目が潤んでいる。
「……寒いから、また今度にしようか」
夏目もタキも無意識に止めていた息を吸った。
「(どきどきしてる……もう少し押されたら頷いてた)」
「夏目君が、こんなにエッチだと思わなかった」
「おれも思わなかった。…タキにだけだよ」
タキをしっかりと抱きしめ、肩に顔を預けた夏目がぽつりと漏らす。
「タキが…あんまり可愛いから。もし、離れたらと思うのが……少し怖い」
「そうね…私も同じ」
信じて。夏目に言ったタキでさえそうなのだから、自分から離れていく人達をずっと見てきた夏目ならば尚更だろう。
見えているものすら、存在しないと否定されてきたその不安は計り知れない。
「…幸せだからかな」
「きっとそうね」
いつか、二人とも不安でなくなる時が来るといい。お互いの手を離さずにいれば、それも遠くないような気がした。
「手を繋いでもいいか?」
「うん」
夏目はタキの手をぎゅっと握り、握り返されるその手の暖かさをかみしめる。
868 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2010/02/15(月) 15:15:55 ID:jdq8ZR3U]
―その禄―
「…タキ」
手を繋いで階段を降りていた足を止め、夏目が意を決したように口を開く。
「なあに?」
「その…来年もあげるのか?西村達に」
「…夏目君がいやならあげないわ」
「いやじゃないんだ。西村達が喜ぶのはおれも嬉しいから」
でも。それは遠慮がちに紡がれる言葉。
「…一番に欲しい」
「…夏目君は、そう言うような気がしてた」
繋いでいた手をタキがそっと解き、右手の小指が差し出される。
白く細く、夏目にとっては何よりあたたかなその指。
「来年の約束」
「…約束」
「ええ、その次も」
小指どうしを絡め、指切りをする。
小さな約束、でもそれは何よりも確かな約束。
見えるものが違ったとしても
同じ未来を見て、
隣を歩いていこう。
来年も、その先もと。
最終更新:2010年03月01日 13:14