212 :『久しぶり』1/6:2010/05/14(金) 12:23:01 ID:nmIE4Z1W
「じゃあ、気をつけて」
「名取さんは」
「私がいたら彼は嫌がって出て来ないかもしれないだろう?。それに──少し仕事があるんだ。後で迎えに来るよ」
運転席から夏目のリュックを指差す。側面に白い紙人形がぺたりと張りついていた。
「紙をつけたよ。連絡はそれがする──逢えるよう祈っているよ」
「はい、有り難うございます」
名取を見送って振り返ったそこには、長く苔むした石段。両側から隠すように茂った木々の幹も同じ色だ。
ここを登り切ったら、カイがいる。カイに逢える。
「きっと大丈夫よ」
隣で夏目の手を強く握って、タキは真っ直ぐに先を見つめている。
「大丈夫。謝りたいと心から思うなら、いつだって間に合うわ」
「……ああ。タキがいて、良かった」
夏目は肩を揺すって大切な手紙と荷物を背負い直し、しっかりと一段目を踏みしめた。
213 :『久しぶり』2/6:2010/05/14(金) 12:23:52 ID:nmIE4Z1W
川沿いの道は並ぶ桜で薄紅色に染まっていた。
風が夏目の制服の肩に、隣を歩くタキの髪にひらひらと雪のような花を散らす。
「いたぞーっ!」
穏やかな春の空気に響き渡った声の主に、夏目は背後から飛び蹴りを食らって派手にすっ転んだ。
「な、夏目くんっ!」
慌てて駆け寄るタキの横をすり抜けて膝をついた夏目をぐるりと囲んだのは───三つのランドセル。
「うわっ、弱いなもやしのにーちゃん!」
「どんくさっ!」
「うう……痛ぇ……」
「大丈夫?夏目くん」
夏目は額をさすりながら立ち上がった。乾いた土で白茶けた制服の汚れを払うと、一緒に桜の花びらも舞った。「……何の用だお前ら」不穏な空気をまとって子ども達を睨む。
「にーちゃんさあ、カイと一緒にいたエノキにーちゃんだよな?」
「間違いないってこんな女顔!」
だが、必死の形相の小学生男子はまったく怯まない。(なんでおれ、好き放題言われるんだろう……)軽くへこんだのを察したか、タキが「夏目くん、しっかり」と慰めてくれた。夏目は何だか情けなくなって肩を落としかけ、はたと気づいた。
「……ん?今、カイって言ったか?」
「そうだよ!カイのこと、覚えてるのかっ?!」
「あ、ああ」
「やったーっ!良かった!先生達もみんな知らないって言うんだ!」
「サッカーだってかくれんぼだって一緒だったのにさ!」
輝いた六つの目が一斉に夏目に詰め寄って、堰を切ったように問いかける。
「やっぱり引っ越したのか?!」
「電話番号とか知ってるか?!」
「おれ達カイに渡したいものがあるんだっ」
まあまあ、とタキが一生懸命彼らを宥めた。夏目は落ち着くのを待って口を開いた。「悪いが──おれからは教えられない」
なんで、どうしてと非難の声があがる。最後の賭けと思って夏目を探してきたのであれば、それも当然だ。でも。
「仲直りが先なんだ。すまない」
「けんか、したのか?」
一瞬黙り込んだ子ども達の一人が、真剣な眼差しで訊ねた。夏目はしゃがんで目線を合わせ、微笑んだ。
「少し違うかな。謝ってくるから、待っててくれないか?」
「じゃあさ……おれ手紙書いてやるよ。仲直りしてやれって」
「おれも書く!」
「おれも!」
夏目もタキも純粋なその想いに驚く。大人達に否定されて、幼い心は傷ついただろうか。それでもなお、彼らは友人の存在を疑うことなく───ただ一途に、カイに逢いたいのだ。一人ひとり、そっと夏目は頭を撫でた。
彼らのように迷わず揺るぎなく、カイに逢いに行けると思った。泣き虫の一人の神様にこの想いを届けに。
214 :『久しぶり』3/6:2010/05/14(金) 12:25:05 ID:nmIE4Z1W
山頂にはそれほど大きくない社がぽつん、と静かに日を浴びていた。周囲を常緑樹の深い緑と、萌え始めた若葉が包むように護っている。
人影も何かの気配も無く、ただ静寂がある。
「まったく情けない奴だな」
「とりあえず、少し休みましょう」
石段はかなり長かった。木陰ではあったが、高さと段数の分体力は奪われて、寝不足気味に加え数日前に倒れたばかりの夏目には相当きつかった。先生の憎まれ口に返す元気もない。
社の横手の木の下に座り込むと、タキが汗を拭ってくれた。
「……ごめん」
「無理しないで。必ずカイに逢わなくちゃ、ね」
少し近くを探してみる、欠伸をするニャンコ先生をいつものように抱きかかえてタキは歩いて行った。
残された夏目はふう、と息をはいて幹に寄りかかった。(先生の言う通りだ。女の子より先にへたばるなんて)
「……情けない」
さらさらと涼しげな音に気づいて僅かに体を曲げると、ちょうど死角になる場所に小川が流れていた。水は澄み、鱗を煌めかせて小さな魚が水草をせよがせてつい、と通った。
「綺麗だな──これが水源、かな」
カイは水神だと以前名取の式達が言っていたのを思い出す。
泣いていないといいな、そう夏目が想うように、今も一人でこの美しい水を守り、あの小さな友人達を夏目やタキを想うことはあるのだろうか。
(そういえば、名取さんが式を連れていないのって初めてだ)
海でも今日の道中も、柊達の気配すら感じなかったのはどうしてだろうと夏目は首を傾げた。その視界で水面に映った日が翳って、雲が出てきたかと空を仰ぎ見た。
青いはずの空が黒かった。いや、黒いのは影だ───妖。
がくん、と力が抜けて夏目は木の幹からずり落ちる。さっきまでより一層重くだるく渇いた体がいうことをきかず、虚ろな黒いモノから目が逸らせない。背中を冷たい汗が伝った。
(や……ばっ)
「それに手を出すな」
澄んだ声が響いて、影が凍ったように動きを止めた。
「去ね」
強い、それは圧倒的なまでの一言。影はかき消えて夏目の体に力が戻った。拝殿に寄りかかる小柄な姿の髪が、微かに花の香る風に揺れた。
215 :『久しぶり』4/6:2010/05/14(金) 12:27:06 ID:nmIE4Z1W
「カイ……!」
「──人が何をしに来た」
少し刺のあるその声、前髪に隠れた眉間には皺が寄って、険のある眼差しが夏目を射る。ぐっ、と両手を握りしめて立ち上がった夏目は一歩踏み出した。
「逢いに来たんだ──大切な友人に」
「……ふん」
踵を返したカイの腕を、駆け寄った夏目はとっさに掴んだ。「離せ」カイが見上げる角度で睨む。
「カイ。おれは──おれはずっと諦めていた。仕方ないんだと、離れていく背中を追うことなんてないんだ、って」
夏目は懸命に言葉を紡ぐ。伝えたい、届いて欲しい、気持ちに足りないのがもどかしい───逢いたかったと、それだけなのに。
振り解こうと顔を背けたカイの腕を夏目は離さない。
「もう違うんだ。大切なものがたくさんできて、たくさんのことを教えて貰ったから。カイはおれの大切な友人だ。後を追わないなんて、出来ない」
「──私である必要はない」
「おれが謝りたいカイは、ひとりだよ。代わりなんていない」
カイが髪の隙間から僅かに夏目を見た。目を逸らさず見つめ返した。
「君を傷つけてごめん。許して欲しい」
返事は無い。
いつの間にか木々が騒めきを止めていた。せせらぎも風の音も鳥の囀りも聞こえない。夏目と一緒に、彼らもたった一言を息を潜めて待っている。
すう、と風が戻った。甘い香りは、白い花を咲かせたおがたまの木だろうか。
「…ナツメ」カイが笑った。「有り難う。逢いに来てくれて嬉しい」
「遅くなってごめん、カイ。逢いたかったよ──久しぶり」
「うん、久しぶり」
胸の中にも同じ風が吹いたような気がして、夏目も笑った。
「夏目くーん!カイーっ!」
「あ、タキだ!」
零れ落ちそうなほどの笑顔で駆けてきたタキがそのまま夏目とカイに抱きつく。「ああ、良かった!」
勢いあまって地面に倒れて、三人で吹き出したのを見ていた先生が、小さくため息をついた。
これは何、あっちのは、ああクッキーもある。はしゃぐカイを微笑ましく眺めながら、タキお手製の弁当を囲んだ。
蓮華の咲く日向で、今度は三人で花を摘んだ。
夏目が初めて作った花かんむりは、緩んでしまってうまく出来なかったけれど、カイもタキも嬉しそうに髪に飾ってくれた。
216 :『久しぶり』5/6:2010/05/14(金) 12:27:53 ID:nmIE4Z1W
「ナツメ、タキ。こっちだ」
「なあに?」
「どこに行くんだ?」
カイが二人の手を引いた。小川を遡るように森の奥を目指す。傾斜は僅かだが巨木に囲まれ薄暗く湿った空気に満ちていた。
時間にすればおそらく数分、一際大きな木の太い根を乗り越え、裏側に回った足元に──桜色。
「花びら?」
「──本当だ」
「着いたよ」
「……すごい」
「なんて……」
見上げた視界すべてを覆って満開の薄紅色の桜が散っていた。空を仰いでも下を向いてもただいちめんのいちめんの花の世界。
次々に舞う花が髪に肩に降り積もって、一息ごとに淡いはずの香りが強く染み込んでいく。まるで桜色に染まるような錯覚に、夏目もタキも立ち尽くした。
「見せたかったんだ、この木。──昔、ここに祠があったんだ。晴れた日は花を携えて、雨の日は笠を被って、人が供物を捧げに訪れた。その中の一人が植えていったんだ。『水神様がさみしくないように』って」
さらさらと花が降る。カイは広げた手のひらに落ちたひとひらをそっと握った。
「おれはただ、逢いたかったんだ」
人に。小さな声でそう呟いてカイは俯いた。震えそうな細い肩をしゃがんだタキがそっと撫でてやる。
「手紙──預かってきたよ」
「手紙?」
「カイの友達からだ」
驚きに瞠られた瞳から涙が零れ落ちた。慌ててぐい、と拳で拭ってカイは夏目の袖を掴んだ。
「本当か?」
「ああ。カイに逢わせろって囲まれて大変だったんだぞ」
「飛び蹴りとかもやしとか、ね」
うんうん、とタキが何故か神妙な顔で頷いた。夏目はカイの頭を撫でて、また蹴られるのは困るんだ、と笑った。
「ちゃんと逢いに来てくれ、カイ。彼らにも、おれ達にも。約束だ、いつでも待ってる」
「──うん。約束だ」
カイがとても嬉しそうに笑ってもう一度涙をふいた。
217 :『久しぶり』6/6:2010/05/14(金) 12:28:43 ID:nmIE4Z1W
降りるのは久しぶりだというカイと石段の下に着いた時には、辺りに闇が漂い始めていた。名取の車が少し先に止まって、窓の隙間に紙人形が滑り込むのが見えた。
「送らなくて平気か?ナツメ」
「ああ、名取さんが来てくれているから」
「名取って───あの祓い人か」
カイの顔が強張る。夏目はカイの前に膝をついた。
「ここを探して、連れてきてくれたのも名取さんなんだ、カイ」
「え……」
俯かなかったけれど、体の横で握ったカイの手に力が入った。夏目はその手を包む。
「祓い人を好きになれとは言わない。ただ、誤解だったんだ。名取さんは厳しいけれど──優しい人だよ」
少しだけ、カイは黙って夏目を見ていた。それから小さく口を開いた。
「……わかった。ナツメが、言うなら」
「有り難う、カイ」
「ううん、ナツメこそ有り難う、タキも。クッキー美味しかった」
「ふふ、また作るからいつでも言ってね」
「──じゃあおれ、行くよ」
「ああ、元気で。またな」
「またね、カイ」
いつでも逢えるからとさよならは言わない。軽く握手をしてカイは石段を駆け上がった。「またな!ナツメ!タキ!」声だけが聞こえて、姿はもう闇に溶けて見えなかった。
夏目とタキは少し微笑んで、名取の待つ方へ歩きだした。繋いだ手が暖かくてやっぱりさみしくなった。
「逢えたようでなにより」
「はい。有り難うございました、名取さん」
「夏目───私もお礼を貰ったようだ」
ハンドルに頬杖をついていた名取が、飾る場所に悩むね、とエンジンをかけながら困ったように隣を指差した。覗きこんだ助手席のシートいっぱいに、おがたまの枝と蓮華が無造作に積まれていた。
名取の声がどこか嬉しそうで、夏目は泣きたくなった。
白い花がひとつ落ちて、車の中に花の香りが溢れて。
さらさらと優しいせせらぎが──聞こえた気がした。
最終更新:2010年07月25日 22:24