バズーカ (Bazooka) は、第二次世界大戦でアメリカ軍が使用した歩兵が携帯可能な対戦車ロケット発射器の愛称。
正式名称は「M1 / M9 / M18対戦車ロケット発射器」、または朝鮮戦争で使用されたものは「M20対戦車ロケット発射器」。
その形状が、当時アメリカで有名であった音楽コメディアン、ボブ・バーンズの「バズーカ」と呼ばれる
舞台で使用されていた自作のラッパに似ていた事からこの愛称で呼ばれるようになった。
最初の型であるM1バズーカ初速の遅い砲弾でも高い装甲貫通力を発揮させる成型炸薬弾頭(HEAT)が実用化され、
当時の戦車に対して非常に有効な歩兵用携行火器となった。戦後アメリカから西側諸国に多数が供与され、
携帯対戦車ロケット兵器の代名詞的にもなった。
以来同様の担ぎ型発射方式の対戦車ロケット発射器や無反動砲を、軍事専門家以外は
一般名詞的に「バズーカ」と呼ぶことが多くなった。日本では「バズーカ砲」などとも呼ばれるが、
「砲」(ガン)ではなく、薬室を持たない「噴進弾発射器」(ロケットランチャー)に分類される。
極めて単純で安価なこの兵器は、最初のM1が1942年末の北アフリカ・チュニジアに投入され、
改良型のM1A1やM9、折りたたみ式になったM9A1、アルミ合金の使用で軽量化されたM18を含め
第二次大戦中だけで本体約48万器、ロケット弾1560万発と大量生産された。
一方、ドイツ軍は鹵獲したバズーカに影響され、43型対戦車ロケット砲「プップヒェン」の8.8cmロケット弾の設計を流用した物を
使うバズーカ型ロケットランチャー・43型ロケット対戦車銃「パンツァーシュレック」(別名オーフェンロール)を採用した。
これは成形炸薬弾の貫通力が口径に比例する法則の通り、口径60mmのM1バズーカより強力であり
東部戦線ではT-34を撃破する威力をみせた。
捕獲されたバズーカの攻撃から身を守るため、砲塔に金網を張った朝鮮戦争におけるM46パットン戦車第二次大戦中には
ドイツ重戦車の側面を狙い戦果を挙げたはずの2.36インチ(60mm)M9バズーカは、朝鮮戦争においてT-34-85に対し
威力不足であったが、これは大戦後5年が経過した在庫のロケット弾の炸薬が劣化していたのが原因とする説がある。
この事態に際し、1945年に既に採用済みの口径90mmのM20「スーパー・バズーカ」が急遽大量生産、空輸され威力を発揮した。
使用方法は射手が肩に担いで構え、装填手が後部からロケット弾を装填、ロケット弾から伸びた電線をバズーカ本体の電極に接続。
発射準備が完了したら、後方爆風を浴びない位置に移動し射手の鉄帽を叩いて合図、敵(主に装甲戦闘車両やトーチカ)を
攻撃する。ロケットの燃えカスが射手の顔面に吹き付けるため、初期には防毒面と手袋着用で発射されたが、
後にディフレクター(ラッパ状に広がった覆い、初期には金網製の笊型)が筒先に取り付けられた。
バズーカ型ロケットランチャーの外見は無反動砲と非常に類似しているが、無反動砲と異なる点は砲身内部に
ライフリングが刻まれていない点と、ロケット弾が推進薬で加速するのに対し、
無反動砲弾は高速で後方に噴出する燃焼ガスで反動を相殺する(作用・反作用の法則)、火薬発射型の
「砲」であるという点である。
また、後方爆風が発生するため発射器/砲の後方に物や壁があってはいけないことと、
発射後の煙で位置を容易に特定されてしまう弱点は共通する。
M20スーパーバズーカはその後、より射程の長い無反動砲や対戦車誘導弾にその座を譲って、正式装備から外れていった。
最終更新:2010年12月03日 21:03