34 :名無しさん@ピンキー:2006/06/07(水) 22:14:18 ID:By0enTX2
*― ―) 亜子長編part4「京都事変」
「近衛佳話、終の炎」
35 :「近衛佳話、終の炎」 ◆FePZUCQ9Q6 :2006/06/07(水) 22:14:52 ID:By0enTX2
―――生きたい。
死ぬ直前になって生まれる、当然の欲求。
それは亜子と楓が、穴の底に着く少し前の話である。
底には、世にも醜い肉の塊が存在していた。
無数の手足は腐り落ちて、身体は蝋燭のようにどろりと溶けていく。内臓や脂肪が境界を失い混ざりつつ、硬度を無くした
骨に染み込んでくる。身体中が裂けて体液が流れ出した。乳房が腹までべりりと剥がれて肝が漏れた。顔が潰れた。鼻や
口が一体化し、目は流れ落ちた。
「―――――――――――――――っ!」
ぶるぶると震えていた赤黒い肉塊は爆発するように膨らんで弾け、獣声に近いおたけびを上げた。
びちゃびちゃびちゃびちゃと飛び散る飛沫には、骨や爪なども含まれていた。半分溶けた子宮もごろりと飛び出してきた。
かつて食べた人間の頭蓋の欠片や、排泄物も含まれていた。肉片を撒き散らした後、ずるずると肉塊が這い進むと、後に
は湿った粘液と人間の背骨が残されていた。今の状態では不要となり、身体から排出されてしまった。それらは肉塊から
分離するや、すぐに灰に変わって死滅した。そもそも、とうの昔に滅んでいる存在なのだから、それが自然なことだった。
肉塊はしぶとく動き回っていたが、その大きさはみるみる小さくなっていった。
それは、放置しておいても死が確定している存在。
全てに敗れ、舞台から退場した哀れな存在。
とある魔法使いの術で奇跡的に延命していた1000年以上前の身体は、毎日大量の人肉を摂取することで維持されてき
た。その魔法使いも死に、魔法は解けた。シンデレラが汚らしい娘に戻るように、彼女は当然の死に向かっている。
かつて、あやかにはナツミ姫と呼ばれ、三条家には玉創りの巫女と呼ばれていた存在は、滅びかけていた。
魔法が解けて力を失った巫女は、迫りくる蜘蛛の群れから逃れるべく、ほーちゃんが逃げた穴に飛び込んだ。最後の魔
力で無事に着地したものの、力は尽きた。
肉塊は器を求めていた。本当ならば不安定な肉体を捨てて、木乃香の肉体を奪う計画だった。魔力が満ち満ちる肉体を
食らい、自らの血肉として、身体を安定させる。あとは木乃香の肉を元に肉体を再構成し、粗末なかりそめの肉体など切り
捨ててしまえる。姿形などどうにでもなる。十分に魔力が滾る肉を食べて己のものにすることが、現在のリスクを捨てる唯
一の方法だった。
だが、深い地底に、そのような存在は見当たらない。
「―――――――――――――――っ!」
脳も滅びに犯され、心も滅びに犯されていく。
壊れかけた思考回路に焼きついているのは皮肉にも、愛ではなく憎悪だった。
自分がこのようなことになったのは、全てあの月の眷族のせいだ!
あの、忌々しい、白い髪の吸血鬼め!
憎悪ばかりが溢れ出した。
肉体からは更に臓器が溢れ出す。
そんな肉塊の周りから、次々と銀色の触手が飛び出してきた。
肉塊を愛でるように、優しく表面を撫ぜる。
巫女が生み出した怪物、ほーちゃん―――木と金の属性を併せ持った、巨大なモンスター。驚異的な能力を有する怪物
であったそれも、亜子の冷気で身体を一部損傷し、地底深くに逃れていた。
しかし、主である存在が近くにいるのを察し、忠実にそれを迎えに来た。
「…………」
ほーちゃんは木乃香ほど濃密な魔力を持っていないが、その分大きいので、実際は同じぐらいの……。
もしかしたら、これを食べれば、あるいは……。
脳味噌は半分が蕩け、機能はほぼ停止している。
しかし、わずかに残った肉塊の知性は、最悪の可能性をついに見出した。
肉塊はしゅるしゅると銀の触手に包まれ、ゆっくりと地中深くに沈んでいった。深く深く、敵の目の届かない場所へ。
数分後、亜子と楓がその場に着いたときには、肉塊の痕跡は全て土に変わっていた。
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総本山は完全に終わった。術者たちは次々と倒れ、鬼蜘蛛の大群にほぼ占領されつつある。刹那は木乃香の肉体とい
っしょに、抜け穴で総本山から脱出させてある。あの亜子という少女は、仲間と共にどうなったのかは分からないが、願わ
くば無事に本山から脱出していることを―――。
「私は、いったい何をしてきたというのだ……」
火があちらこちらから上がり、煙がゆっくりと視界を奪っていく。
壁に刻まれたのは乱戦の後、誰のものとも分からない血液。
足元には蜘蛛や術者たちの死体が散乱しており、血の香りで鼻が麻痺しそうである。
しかし、そんなことは気にもせずに、近衛詠春は思案しながらゆっくりと歩を進めていた。
手に握られたのは、かつて相棒として共に戦場を巡り歩いた、自慢の愛刀である。しかし、それも平和な時代になってか
らは抜かれることは少なくなっていた。平和という名の甘い世界。誉れ高きサウザンドマスター・パーティの英雄という名誉、
近衛家に婿養子として入った後に用意されたのは圧倒的な権威と権力。東西の政治的な問題や、関西13理事筆頭とし
ての使命。最初のうちは戸惑うことの連続で、時間だけが過ぎていく日々が続いていた。間違っていると思うことがあった。
しかし、それは間違っていても、どうしようもないことだった。かつての仲間に一括されそうな行為を、黙認した。敵対者と戦
う行為とは異なる、灰色の世界。割り切れないことを積み重ねて形作られる秩序。
詠春はゆらりと、いつしかその世界に身を委ねていた。
実に心地よいその世界で、心が腐っていくのを感じなかったわけではない。
しかし、気付いたときはもう遅く、すぐに何も感じなくなった。
「私は、何をした?」
自問するが答えはでない。
間違ったことをしてきたのは分かっているが、他に選択肢があったかと考えると、なかった。
こうするしかなかったのだ。
愛しい木乃香をどうして冷たく暗い牢獄に入れられる?
大した血筋でもなく、魔法使いの社会にも人間社会にも影響のない亜子と、近衛家の次期当主の木乃香。どちらが牢獄
に入るかなど、考えるまでもない。事実など関係ない。木乃香が牢獄に入ることで起きる混乱を考えれば、亜子が1人どう
なろうと影響は小さい。亜子が牢獄に入ってもごく少数が悲しむだけだが、木乃香では多くの関係者の未来に影を落とす
ことになりかねない。
より多くの人々が不幸にならずに済む。
亜子を投獄したのは正解ではないが、不正解でもない。
長として、当然の判断だった―――。
「そうするしかなかったのだから……」
襲い掛かってきた蜘蛛を、詠春は音もなく斬り捨てる。
久々の実戦―――腹部からどくどくと溢れ出している血を考えると、詠春はもう長くはない。
錆付いた勘を取り戻すには、少々重過ぎる代償であった。
「いまさら、どうにかなることではない」
だが、最後に、どうしてもやらなければいけないことがある。あの、怨霊のような怪物だけは―――。
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総本山上空―――。
「あら?」
隕石群を周りにはべらせ浮かぶ木乃香の魔力体と、瀕死のハルナの視界に、1人の男の姿があった。
ひときわ高い建築の頂上に立つ男は、関西呪術協会の長、近衛詠春に他ならない。
腹部からはおびただしい血液が溢れており、顔色は最早蒼白である。
しかし、手に握られた刀からは凄まじい殺気が立ち昇り、目もまだ死んでいない。
「和泉亜子さん。君とはもう一度話をしたかった」
刀を構えた詠春は、静かな口調で語る。
そして、最後の言葉を、誰に聞かせるでもなく、発した。
「すまなかった」
詠春が魔力を込めた刀を振るうと、夜空に魔力の渦が一気に広がっていった。
それは浮かんでいた隕石を、全て木乃香とハルナに集中させた。いきなりの荒業に対処する暇を与えられず、自分たち
の生み出した無数の隕石に押しつぶされたハルナと木乃香がひしゃげる。そして魔力による爆発が起こり、2人の少女が
その中心で消滅した。
しかし、それだけで済むはずがない。
彼女たちの隕石を、同時に一箇所に集めて爆破したのである。
一撃でも、山を吹き飛ばせる威力があるのだから。
集まれば、もう―――。
色は存在しない。
光がただ、広がった。
爆発はどんどん膨らんでいき、総本山を呑み込んでいく。
光は詠春を焼いた。
いや、既に肉体は尽きていたのかもしれない。
場に立っていた詠春は、ただの影に過ぎなかったのかもしれない。
その影も光に呑まれ、消え去った。
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「ぷぱー! やっと出れたけどー、ここってドコー?」
抜け道を発見した桜子は壁をピコピコハンマーで破壊しながら、総本山の裏山に出た。周りは森で囲まれていて、正確な
位置は分からない。周りをきょろきょろと見回してみるも、標識など、特に目に付く特徴的なものはなかった。しかし、かなり
遠くに見えるのが総本山だということは分かった。木乃香の隕石が無数に浮いているのが見えたのである。数キロは離れ
ている。抜け道に何か魔法的な仕掛けでもあったのか、500メートルぐらい歩いたつもりがずいぶん遠くに来てしまった。
亜子の中から出てきた桜子は、通常の人間とは比較できない感覚を持つ。目もまた然りであった。
「いいもの、みーつけた♪」
桜子は、にぃぃ、と口元を歪めて地面を見る。そこには3種類の新しい足跡があった。桜子よりも先に、最低3人がこの抜
け道を通って脱出しているのだ。この足跡を辿っていけば、なかなか面白いことに出会えるのではないか。
光が空を覆ったのはその時だった。
「え?」
巨大な光の玉の中で、総本山が消滅していく。音らしきものは聞こえたが、大きすぎてどのような音か分からなかった。
火山噴火などの映像で見たことがある。空まで届いた煙の塔。
一帯を覆っていた沈黙魔法が引き裂かれる。
そして、ばらばらばらばらばらばらばら……! と、石の雨が降ってきた。
数十メートルはある巨大な岩が、ちょうど、桜子に直撃するコースで落ちてくる。
このままでは数秒後には、桜子はぷちんと潰されてそこで終わる。
「もう、仕方ないなーっ!」
桜子はピコピコハンマーを一振りして、ガキン! と、岩を軽々と打ち返した。
打たれた岩は再び空に舞い上がりながら、細かい粒子となって散る。
「ふーん、好調……でも、ちょっと威力は弱くなったかな」
桜子はちょっぴり残念そうに笑う。あの爆発の様子だと、木乃香の魔力体は滅んだようだが、桜子は基本的に独立した形
で亜子の心から飛び出してきた。それはおそらく、のどかも同じで、今でもアーティファクトの力は消えていないはずだ。そ
う言えば、あの山にはのどか以外に、亜子と楓も、たぶん木乃香も、まだいるはずだった。4人はどうなったのだろう。普通
に考えれば蜘蛛たちに邪魔されるので、山から直接脱出するのは不可能。目に見える形で脱出すれば、木乃香の魔力体
も黙ってはいない。抜け道は桜子が通ってきたのがあるが、例によって爆発で崩れていた。もっとも、他の脱出路がある可
能性も0ではない。
「でも、結局、逃げられずに死んじゃった気がするなー。亜子ちゃんと楓ちゃんと木乃香ちゃんと本屋ちゃん」
吹き飛んだ山を見ながら、桜子はフフッと笑みを零して歩き出す。
「私の勘ってば、よく当たるんだから♪ あ~あ、死んじゃって残念でしたっ、てね」
桜子はそう言って涙を拭うリアクションをしながら、ピコピコハンマーをぶんぶん振り回し、夜の森に消えていった。
「バイバイ、みんな」
後には只、燃え朽ちる栄華が闇夜を照らすのみ。
最終更新:2012年01月31日 15:16