414 :「三条家の挽歌、2」 ◆FePZUCQ9Q6 :2006/04/24(月) 03:01:51 ID:nzDu5Yfz
ちゃぷん、ちゃぷんと水の音だけが聞こえてくる。
辺りに人の気配はない。ただ、どこまでも暗い水面が広がっているだけである。
そう、そこには誰もいるはずがない。そこは日本最大の面積を持った湖―――琵琶湖のほぼ中央にあたる場所なのだから。
「やれやれ、どうやら脱出はできそうだな」
フェイト・アーウェルンクスは無表情のまま、暗い水面の上を歩いていた。水面より数センチ浮いている足には水飛沫が全く
かかっていない。いや、水飛沫の方が彼を避けるようにして左右に散っていく。
「………」
日本に侵入したものの上手く活動できなかった彼だが、目的が失敗したことは既に割り切っている。そんな彼にも、心の片隅
で引っかかっていることが1つだけあった。
冷酷ともいえる彼がどうしても上手く処理できないその心残りとは、かつて彼が京都を案内されていたとき―――
「くだらない。ただ情報を聞き出すために利用しただけなのに……」
彼の案内役として傍にいた少女の、あの訴えだった。
三条家による爆破テロで両親を失った、1人の、もう名前さえも忘れてしまった少女。
しかし、あの鬼の形相から発せられた強靭な意志だけは、今もフェイトの心に焼き付いているのだった。
"ふぇ、フェイト君! フェイト君っ! おったら開けてください! 貴方の世話役どすっ!"
"ウチの両親―――<四国院>にいたから"
"絶対、絶対に赦さへん……あの<怪仙>三条老人でも……刺し違えてでも地獄に送ってやるっ! 畜生!"
「もはや僕にはどうすることもできないが」
フェイトは荒れ模様の京都の方角を向いて、ぽつりと呟く。
「僕のような存在ではなく、君の気持ちが理解できる者が、君の、いや、君たちの無念を晴らすことを願っているよ」
時間がきた。
水面に転移魔法の巨大魔方陣が現れ。水柱を立ててそこに巨大な黒光する質量が現れる。
巨大な潜水艦―――それは世界のどことも知れない場所からこの琵琶湖まで、複雑な転移魔法を経てやってきた。そいつ
の入り口が開いて、無言でフェイトに乗船するように促す。国籍が分かるものは何もない。これは、彼の属する勢力のものだ。
「さようなら、日本。しかし僕は、必ずここに戻ってくるよ」
フェイトが乗り込んだ潜水艦はすぐに沈んでいき、そして湖底で再び転移魔法を行い、日本から消えた。
「また会おう。近き、しかるべき日に」
* * *
***関西総本山***
「はあ、はあ、はあ」
破壊音と悲鳴ばかりが耳に飛び込んでくるのを塞ぎたい気持ちだったが、それを実行すると周囲の様子が正確に分からなく
なってしまう。刹那は木乃香の肉体を背負ったまま必死に走り、詠春に教えられた抜け道に向かっていた。蜘蛛の大群はもう
すぐそこまで迫っている。木乃香の力ならば蹴散らすのは容易いが、意識が魔力体として抜け出してしまっている今の状態で
は無防備な餌に過ぎない。
「はあ、はあ……」
木乃香の身体を置いていけばもう少し早く走れる。誰かも分からない少女だ。しかし、記憶を失っていても、刹那はどうしても
それができなかった。それは絶対にしてはいけないと、もう忘れてしまったはずの記憶が、心の奥底から警告してくる。
”私はここに残る。そして、西の長としての責任を果たさなければならない”
やはり、知らない男の言葉の真意を、刹那はなぜかすぐに理解できた。―――この人はここで死ぬ気なのだ、と。
男のことを思い出そうとするたびに頭が痛むが、記憶はやはり戻らない。
しかし今は、それを悲しむ余裕も無い。悲しむ前に、一刻も早くここから脱出しなければならないのだ。
………そんな刹那を、背後から観察している2つの人影があった。
「ひひひ、抜け道があるようだねえ。ほれみぃ、東園寺、どうやら私の読みは正しいようじゃないか」
「ど、どうやらそのようですね、華山院殿。さあ、は、はやく我々も逃げないと……」
「うむ、私たちの運も、まだ尽きてはいないようだ……三条と近衛はもう駄目のようだがね」
脱出用の抜け道。
反乱に参加した2人の理事は、絶体絶命の状況下で微かに差した光に顔をほころばせる。
華山院と呼ばれた老婆は総本山の混乱振りを呆れるように眺めて、ふん、と嗤った。
「こんな馬鹿騒ぎに付き合ってはおれん。早々に逃げて次の手を考えるまでさ」
その時、背後の壁が轟音と共に破壊され、数人の術者の残骸が乱れ飛んできた。
「ひ、ひいい!」
「早く、逃げましょう!」
仰天した2人は慌てて刹那の後を追う。そして、姿が見えなくなってしばらくして、埃がおさまった破壊地から、蜘蛛を引き連れ
た1人の少女がきょろきょろしながら現れた。
「あれー、確かに声が聞こえた……よねぇ。誰がいたのかな?」
ピコピコハンマーを装備した椎名桜子は自分の直感を信じ、血走る眼と鋭い牙をぎろりと輝かせて、刹那たちと2人の理事が
逃げた方に歩き出した。
* * *
亜子が三条千歳にドロップキックを食らわせたことで、総本山から立ち昇っていた竜巻は消失した。
「やった、動ける!」
竜巻に捕らわれていた本物の木乃香の魔力体は、急いで呪文を詠唱し、自分の背後に巨大な光の鎌を出現させた。10メー
トルはありそうな光の刃が動く光景は、まるで木乃香の背後に見えない巨人が立ち、その武器を操っているようでさえある。
「きゃあはははははは!」
偽の木乃香の魔力体とハルナも急いで体制を立て直し、ハルナは巨大な剣を生み出して魔力体に与える。家の大黒柱ほど
もあるその剣は魔力体の影響を受け、青い火花を散らす炎の魔法剣となって夜を焦がした。武器を生産したハルナは再び、隕
石を生産する作業にとりかかる。
「させへん!」
「きゃは―――」
ガキン、ガキン、と2度、3度と切り結ぶたびに魔力が夜空に飛び散る。それは遥か遠くまで舞い、地上に落ちる前に消滅して
いった。花火のように色とりどりの魔力の飛沫だが、その1つ1つが人間数百人を焼き尽くせるエネルギーなのである。触れるど
ころか、近づいただけで並の人間なら沸騰して溶けている。戦場がもしも地上なら、一帯は既に焦土と化しているだろう。
しかし、2人の木乃香はそれを浴びても平気な顔で、刻み合いを続ける。
そんな戦いを止めたのは、地上に集まりつつあった膨大な魔力だった。地脈から吸い上げているその魔力は復活していた防
衛結界中で既に飽和しており、いつ、どこに流れ出してもおかしくはなかった。
「!?」
「な、なんや!」
巫女が操る蓬莱の樹が、地下から総本山の機能を操作しているとは、さすがの木乃香の予想の範囲外であった。
かつて亜子に向けられて京都を焼き尽くした魔力砲が、上空の魔力体に向けて発射される。
木乃香たちの視界を、光系殲滅魔法の圧倒的な魔力の奔流が埋め尽くしていく。
総本山から、今度は光の柱が立ち昇った。
それは上空で渦巻く巨大な乱雲の中央に吸い込まれていくように伸びていき、千歳の魔法と激突する。
静寂。
爆音。
その瞬間、夜空は白く塗り潰された。
* * *
吹き飛んで、気がついたらその場所にいた。
「どうして、ウチの両親を巻き込んだんや?」
世界は再び塗り替えられ、ひたすら地平線まで草原が続いているだけとなる。今までの空間より広いのはおそらく、千歳の
大規模な魔法が結界に与える影響を減らすためだろう。
そんな何も無い世界で、亜子は1人の老爺と向かい合っていた。
老爺は脇に2本の女性の脚を抱いており、その様子からはもはや正気とは思えない。尋ねても、まともな答えが返ってくる
かも分からなかった。しかし、それでも亜子は、自分の両親や親族を誘拐してこの狂乱劇に巻き込んだ勢力の首魁に、その
答えを求めていた。
「………」
老人はぎろりと血走る目を亜子に向けて、
そして嗤った。
愉快に。
無邪気に。
あまりにも無邪気に。
童のように。
「そんなもんは、お前さんを三条家の駒にするために決まっておろうて」
げらげらげら、と。
よく澄んだ、
そして狂った声。
老人は肩を揺らしながら、
どうしてそんなことを尋ねるのか分からないといった風に、嗤う。
「ウチを駒にして、何をするつもりやったん」
老人はぴたりと嗤うのを止め、
目を輝かせて亜子を見る。
「国を……国を造るんや。今までみたいに腑抜けな者どもが跋扈するような国とちゃう、古代の日本より伝わる偉大なる陰陽術
を操り、かつての大いなる自然の神と、天と、地を、政を行っておった、あの時代を取り戻すのや。近衛家ではなく、我々が!
三条家が! わしと、こずえが! 偉大なる巫女の神官として、すべての汚らわしきもんをこの地から排斥し、全ての美しいもの
をこの地に甦らせ、全ての衆愚に真の価値を与えてやるのじゃ! 巫女を神とし、さらなる繁栄をもたらすのじゃ! わしらが、
この国を、正しい方に導いてやる! 東京ではなく、京都を都として、この国を滅ぼして、再生させる。愚図どもは命を捨てよ!
わしらの、魔法使いの国じゃ! そしてこの国は、甦る! わしらが神官となり、神となり、導き手となりて! 三条家が―――」
老人は子供のようにはしゃいで、唾を飛ばし、夢を語る。
皴だらけの顔をぐにゃりと歪め、壊れた笑みを浮かべて語られる夢は、亜子ではなく自分に言っているように見えた。
「そんなことのために、ウチの両親や、兄貴や、みんなを……」
亜子は下を向きながら、ぼそりと呟いた。
「しかし、お前さんは巫女が要らんと言うとる。だから、要らん。われらの国に、お前さんも、お前さんの家族も、要らん」
老人は真顔でそう言って、また肩を揺らした。
「なあ、おじいちゃん。おじいちゃんに、家族は……」
亜子は微笑んで、老人に語りかける。
微笑んでいる眉間には、今にも破裂しそうなほど血管が浮き上がっていた。
「こずえという孫がおる。可哀想に、今はこんな姿になってもうた……ううっ」
色の悪くなった脚を撫ぜながら、老人は今度は涙を流し始める。
「他には?」
「もう、おらんが」
「そっか。良かった。さっきの人らには聞くの忘れてもうたから」
亜子は赤い目に涙を浮かべていた。
怒りだけではない、別の感情もそこにはあった。
「ウチが家族に合わせたげるわ。その大きい夢もいっしょに、持って行けばええ」
穏やかな笑みを浮かべて、亜子は蝙蝠のマントを膨らませる。
「羨ましいわ。ウチより先に、ウチの家族のところにいけるなんて」
「どういう意味か、分からんのぉ」
老人は首を傾げて、亜子を伺うように微笑んだ。
「三条家の当主に向けてのその言葉、先程の狼藉、それだけでも家族の死刑は当然じゃわい」
そう言った老人の身体から魔力が溢れ出し、じんわりとした風が生まれていく……。
「な、何を……! う、うあああっ!」
亜子の身体はその風に持ち上げられて、きりもみ状態になりながら急上昇していく。翼を使おうにも動かせない。いや、手足
もろくに動かさせないまま、否応無しに、ロケットのように打ち上げられていく。まるで全身を鋼鉄で固められているかのように、
風に縛られており、びくともしない。
老人の姿はみるみる小さくなり、
砂粒のようになり、
ついに見えなくなる。
まるで宇宙船から地球を見ているような視界だった。
亜子は一気に数千メートル、その身体を持ち上げられてしまっていた。
「ううっ、ぐうっ……」
風圧で歪む亜子の顔が、だんだん赤くなっていく。
身体中を風で締め付けられて、体内の臓器が搾り出されそうだった。
それは、風でここまでのことができるのかというぐらい、圧倒的だった。
もう老人の姿は見えないが、魔力だけは感じている。
自分を縛っている。
直接触れるまでもない―――歴然とした力の差がそこにはある。
(でも、負けられへ……ん……)
そのとき、力のベクトルが逆転した。
「きゃあああああああああああああああああああああああああっ!」
亜子は風に縛られ、弾丸のように加速しながら、地上に向けて急降下していった。
* * *
『No.0666―――<ビブリオン 悲愴なる最終決戦!>―――』
「しかし、残念ながら上映している暇はない。まさか私がここまで追い詰められるとは思わなかったからね」
真紀乃が取り出した球体から発せられた音声は、ぶつりとすぐに途絶えた。
彼が持っているのは球体「傑作666」。かつて三条園を護っていた防衛システムの中でも、彼が小田原や光仙と共同で開発
し、一番凝った演出を施していた一品である。閉じ込めた者を架空のアニメキャラクタに仕立て上げた上で、彼らが考えた同人
的バッドエンドストーリーを死ぬまで演じさせるという恐ろしく無駄な機能を持ったそれはしかし、三条園の警備スタッフから恐れ
られていた殺戮兵器でもある。
「万が一の護衛のために三条園から持ってきたのだが、どうやら正解だったようだな!」
にやりと嗤う真紀乃だが、楓は特に怯えた様子もない。
「どうせ、その球体に拙者を閉じ込めて中で色々なことをするとか、そんなところでござろう?」
「な、何っ! どうして分かったのだ!」
戦慄する真紀乃に対して、楓はいたって冷静だった。
「お主の思考も嗜好も、もうだいたい読めるでござるよ……風香たちのビデオを何度も見て、拙者がただ吐いていただけとでも
思ったか? あの、標的を動けなくしてから執拗に痛めつけているビデオを」
楓は小さい手裏剣に気を込めて巨大化させ、カチャリとかまえる。
「それに、モンスターボールにそっくりでござるよ。それ」
かつて平和だった頃、鳴滝姉妹にポケモンを全て覚えさせられ、ついに姉妹より強いカメックス使いになった楓だった。
「むぐうぉ!? たまたま……本当にたまたま……似てしまっただけだ……」
痛いところを突かれたという顔で、自分たちで開発した傑作666を見る真紀乃。
「しかし、これにはこのような使い方もできるのだ! 小田原さんや光仙さんには申し訳ないが、使い切らせてもらう。
混沌の腐肉を宿し傑作よ。開発者、真紀乃の名の下に、全ての安全装置を開放せよ。レリィ―――――――――ズ!」
びちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃびちゃ!
球体がぱかりと開き、そこから濁流のような腐肉と蛆虫の塊が飛び出してきて、巨大な山になった。
腐った肉と蛆虫でできた山、それは汚物と形容してもまだ生ぬるい。蛆で飽和した表面はどろどろと爛れ落ち、眼球や耳が
ぶくぶくと下から湧き出しては蛆に食われて潰れ、捻じ曲がった骨があちらこちらから突き出している。
そんな数百メートルはある悪夢のピラミッドが、楓の前に出現する。
「うっ……」
一帯に異臭が立ち込め、思わず楓も一歩下がってしまう。
「うむ、実に素晴らしい。しかし、悲しいかな。もう、こいつらは球体には戻せない。封を解いてしまったからね」
腐肉の山の頂上に立った真紀乃は、悲しそうに首を横に振った。
匂いなどは気にならないらしい。
「さて、三条家の腐肉の貴公子と呼ばれし私の真骨頂、しかと見せてあげよう」
山がずるりずるりと動き始め、表面から無数の触手が飛び出してきた。
腐肉の山は真紀乃の魔法で数百メートルの怪物となって、楓に迫る。
「ふん、ちょうどいいでござる」
楓は十字架手裏剣をかまえ、その山から少しだけ距離をとった。
「そんなに生ゴミが好きならば、お主も生ゴミにしてやろう」
そんな楓が、10人に増えた。
(続)
最終更新:2012年01月31日 15:56