567 :「三条家の挽歌、3」 ◆FePZUCQ9Q6 :2006/05/13(土) 22:11:33 ID:D/SVYc7S
丸い肉塊の表面に人歯が溢れ出し、それがぱくりと半球に割れて口が現れる。その後ろからは、形を留めずに
どろどろと流れ続ける肉塊が、獲物を捕らえようと無数の触手を伸ばしていた。触手の表面には無数の吸盤が付
いていて、吸盤の中央には眼球が蠢いている。丸い肉塊の口から数センチはある牙が剣山のように噴き、己の舌
と肉を貫きながらも獲物に向かう。それらの背後にはさらに、巨大な肉山から放たれた怪物たちが続いていた。
並の人間ならばそのまま呑み込まれてしまう。そんな腐肉の群れを前にしても、楓は冷静な表情を崩さない。た
だし、その数は10人に増してはいたが。
「ふん、私の可愛い子供たちを前に、微動だにできまいか!」
楓の前方にそびえる腐肉の山はずるりずるりと前進していて、そこからぼこぼこと異形の群れを生んでいた。
頂上に立つ真紀乃の周囲には、それを護るように怪鳥の群れが舞っている。人間を無数に混ぜた胴体に、ランダ
ムに付いている眼球や、耳や、鼻。頭の部分は白骨であり、その機能を成しているとはいえない。それらの怪物は
全て、腐肉の山の一部が真紀乃の魔法で変化されて創られたものだ。彼の魔法は、人体を自由に加工する。
「首のみにして捏ね回してやろう」
楓を指差す真紀乃の手から、一筋の光線が放たれる。触れた者の肉体を変質させる「回復魔法」である。過度の
回復魔法により逆に人体を破壊してしまうのが、彼の主な術である。
上からは魔法、正面からは異形の群れ。
魔法を食らうわけにはいかないが、回避する動作をすればおそらく、異形の群れにそこを突かれる。
「ここは退くのが定石でござろうが」
楓は十字架手裏剣に気を込めながら、すうっと前に進む。
「それは、本当に得体の知れぬ相手に限る」
魔法を避ける形で、楓は異形の群れに駆けた。
「愚かな!」
真紀乃が笑うが、その笑みはすぐに引き攣っていた。
「な……何?」
楓に一瞬でも触れた異形たちは、たちどころに崩れてぐずぐずと地面に広がった。形を失い、ただ蛆に食われて
土に還るのみの、本当の意味で腐った肉になる。
まるで魔法が無効化されてしまったような光景に、驚く真紀乃に、楓は冷酷に微笑んだ。
「壊すのではなく、解くように」
腐肉の山を前に、楓は一歩一歩、進んでいく。
「お主の魔法は、死肉を縛り形を成すもの。ならば、それを解いてやればいい。少しだけ気の込め方を変えて、束縛
系の魔法を解くようなものでざるな。コツが分かるまで時間がかかると思ったが、なかなか、簡単でござる」
再び繰り出される腐肉の怪物たちを、楓はあっさりと崩壊させる。
楓はさらに、腐肉の山に進む。
「な……あぐ……」
真紀乃は、自分が立っている腐肉の山に近づいてくる楓を見て狼狽した。
痛覚のない不死身の怪物たちの大群を操るのは、真紀乃の最大の強みである。しかし、そのいくら壊されても復活
する怪物の、存在そのものがあっさりと解かれてしまうのでは、意味がない。
―――彼は甘く見ていた。鳴滝姉妹を助けるために、彼女が彼のコピーを倒した後も、どれだけの敵を乗り越えて、
どれだけ成長していたかを、過小評価していた。
「ち、ちょっと待ってほしい。確かに君は私の術を敗れるようだ。しかし、私の術がそれだけとは限らないだろう!
そんなに迂闊に近づけばどうなるか保障はできんぞ! だから、止ま……!」
「一度戦っている相手など、怖くも何ともない。手の内が分かっているならば、いくらでも対処法はあるでござる」
楓は笑って、
そして、手裏剣を持たない手を翳し、
真紀乃が立つ腐肉の山そのものを解いてしまおうと、気を込める。
それは気の達人が、指一本で岩を粉砕するような、静かな攻撃。
風船に針を刺したかのようだった。
腐肉の山は沸騰したかのように泡を吹き出しながら、所々から盛大に爆ぜ始めた。
魔力のみで縛られた悪夢の肉塊は、その縛りを解かれ、ずるずると崩れ去っていく。
「ぬああああああああああっ!」
真紀乃の周囲を舞っていた怪鳥たちが、融合して巨大化する。真紀乃はそいつの足に掴まり宙に浮いた。さきほど
まで、真紀乃が立っていた腐肉の頂上は、ぼこぼこと爆ぜながら崩れていく。
「降りてくるでござる! 今度こそ決着をつけるのではなかったのか!」
彼を屠らない限り、鳴滝姉妹は救われない。
しかし、真紀乃は楓を嗤いながら、巨大な腐肉の鳥の足を掴んで、空を舞う。
「やれやれ、こんな形になってしまって残念だが、今回は引き分けにしておいてやろう! 巫女から、ここから逃げる
術式が完成したと連絡があったのでね、私は一足早く逃げさせてもらう」
しかし、勝者の笑みを浮かべる真紀乃。
「また、どこかで会おうではないか! ここから生きて出ることができたらな! はっはっはっはっは!」
「ま、待て!」
楓が大声で叫び、十字架手裏剣を投じようとした、その時、
……それは、もう消え去りそうになっていた2つの意志だった。
心を上書きされ、既に自分自身が何なのかも分からなくなり、それでも、許してはいけないものだけは分かる。
魔法で縛られなくなった死肉に混じってはいるが、彼女たちはまだ、生きている。
崩れ行く腐肉の山から、半身が形を無くした2人の少女が飛び出してきた。
腐敗した肉、身体中に沸いている蛆、爛れた顔。
魔法の効果により、殺される寸前のところで寸止めされていた、2人の少女。
身体に張り付いていた衣服の一部を見れば、マニアならば気付くかもしれない。
それは、炭素繊維を編みこんでいるが、メイド服だった。
魔法から解放された2人に、わずかに記憶が戻る。
自分を失う前の彼女たちは、雪広財閥の私設部隊として、あやかの警備を担当していた。
しかし、あやかが三条財閥に誘拐され、その救出のために三条園に乗り込んだのである。
そして、妙な球体に吸い込まれ、それから……。
あやかを救うために、三条園に乗り込んだ240人の特殊部隊。
隊長の玲子や、樟葉、アキ、マユたちはどうなったのだろうか……。
「な、何だとっ! ビブリオンのトラップにかかっていた者がいたのか!?」
驚愕する真紀乃の身体に、体当たりをするように飛びついた2人の少女は、腐敗した身体がぼろぼろと崩れていく
にも関わらず、彼を離さない。
「は、離せ! このゴミどもがっ!」
腐った2人の少女の下半身が、自重を支えきれずにぶちぶちと千切れて、そのまま崩壊する腐肉の山に落ちていく。
少女たちは骨が露出した腕を回し、腐敗して蛆で飽和した顔で、何かを叫んだ。
それは、怒りの咆哮だった。
破れた喉では声になどならず、ただの掠れた空気音にしか聞こえない。
それは、彼女たちの声。
許しがたい者への怒り。
自分たちの大切な存在に害をなす存在への、怒り。
「ぐあああああっ!」
少女たちは、真紀乃の首をそれぞれ噛み千切った。
鮮血のように噴き出した血が、腐肉の山に霧のようにかかっていく。
真紀乃の手が怪鳥から離れ、2人の少女と真紀乃は絡み合いながら、崩壊する腐肉の山に落ちた。
怪鳥が解けて肉塊に戻り、やはり落下していった。
「ぐがあ……あああああがあああ!」
2人の少女の命は、既に燃えつきていた。
しかし、その腕は、まるで生者を引きずり込もうとする亡者のように、真紀乃の身体を捕らえている。
喉を噛み千切られてパニック状態の真紀乃を捕らえるには、それは十分な枷だった。
真紀乃が、そのまま腐肉の山に呑み込まれる。
そして、その山は楓の目の前で、ぐしゃり、と完全に潰れた。
「………」
潰れて辺りに広がった腐肉の中から、1人の男が起き上がってきた。全身腐肉でどろどろになっているが、それは
気にならないらしい。破れた喉は腐肉の一部をあてがい、簡易の止血までしてある。
「やれやれ、何が敗因だったかを、考えてみたよ」
男は自嘲しながら、目の前に立っている忍の少女、楓を見る。楓は十字架手裏剣を構えながら、笑うでもなく、怒る
でもない、無感情を貼り付けた仮面のような顔で、男を見る。
「敗因は、権力にこだわりすぎたことだ。三条家で高い地位についたことはミスだったな。蓬莱学団も、結果だけを見
れば失敗だ。やはり、権力を維持しようとするのが目的になってしまう。それは手段でしかなかったというのに」
そして、男は口を歪めて笑った。
「本当は、みなが苦しむ様子を見れれば、それで良かったのにな。くくくくく、はっはっはっはっはっは! 君の大切な
姉妹のようにね、目に入る奴のほとんどを、もうメチャクチャに、してやりたかった。それが、私の、最も古い夢だ!
世界の全てを腐肉で埋めて、食い続けてやることが、私の夢で、願望であった。いいではないか、そんな世界!」
楓は何も言わない。
哀れむような視線をただ、男に向ける。
ただ、壊したかった―――それが、この男の本質だった。
誰もが一度は想い、そして捨て去るはずの夢を、この男はずっと持っていたのだ。
「しかし、まだ終わりではない。私は転生した。1000年以上かけて車持皇子から転生したのだ。今回の失敗はいい
経験になる。今の私が潰えようと、次の私がそれを引き継ぐ。次の私は権力に惑わされることもなく、世界の全てが
腐肉で覆われたような世界を創るだろう!そのためには、戦争を起こすしかないな、今回のように」
楓はすっと手裏剣を構える。
「甲賀の忍よ。私は予言しよう。次の私はさらに大きな目標を目指す。そして引き起こすだろう。世界の構造が塗り
替えられるような、魔法使いも人間も巻き込むような、破滅的な戦争を。それが数十年後か、数百年後になるかは
分からないが、必ず起こしてやる。世界を腐肉で覆うために! 今の私はもう、それを決心したのだ。ここで私を殺
すことは、未来の破滅的な大戦争の引き金になるだろう。さあ、やりたまえ」
「未来は誰にも分からぬし、まだ決まってなどいないでござる。」
楓は十字架手裏剣を構え、気を全力で込めて、真紀乃を撃った。
男の身体は粉々に吹き飛び、腐肉の中に散って消えていく。
復活する様子はなく、気配も完全に消失した。
「ふう……」
楓は緊張を解き、緊張で脈が速くなった胸を手で押さえて、感嘆した。
ここに、三条家を操り、大戦を引き起こそうと暗躍していた蓬莱学団は、完全に壊滅したのだった。
今の私が潰えようと、次の私がそれを引き継ぐ。
世界の構造が塗り替えられるような。
魔法使いも人間も巻き込むような。
未来の破滅的な大戦争の―――。
「拙者が生きている間に、また仕掛けてこい」
楓は広がる腐肉を一瞥して、その場から立ち去る。
「地獄に叩き返してやるでござる」
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***関西総本山***
「えっ!?」
ようやく脱出の術式を編み出した玉創りの巫女は、自分の身体に起きた異変が、信じられなかった。
巫女の身体は真紀乃の魔法により支えられ、日に何人も人間などを食べることで維持されてきた。つまり、真紀乃が
死んで魔法の効果が消えるということは、肉体を支える根幹が崩壊したことになる。
「あ、ぎ? が、ぁあ、があああがああがあ……ぁ……ぎぃぃ、ぃぃぃぃ!?」
蠢く無数の腕が次々と枯れていき、何人もの人を食んだ下腹部の口が赤黒い血を吐いた。
完成させた術式が、力を失い消滅する。
「ぎ、ぎゃあああああああああ!」
背中が大きく裂けて、ぬいぐるみから綿が漏れるように、血と脂肪が噴き出した。そして、身体の表面がどろどろと溶
けて流れ出している。元々、1000年以上の時間の経過で、既に滅んでいる身体なのである。このままではおそらく、
何も残らずに巫女は消滅し、無力な魂魄となり流浪することになる。
(なんで、どうして………!?)
どうしてここまで予定が狂ってしまったのかを考えれば、それは間違いなく亜子のせいだった。あの月の眷属がいな
ければ、事態はもっと好転していたのに違いないと、巫女の思考回路は結論を出した。
亜子はおそらく、三条千歳に殺されるか封印されるかしているだろう。しかし、それだけでは足りない気がした。殺すこ
とさえ生温い。巫女をこのような目に遭わせた元凶は、その程度で済ますことなどできるわけがない。
「ま、まだ、生きてな、さぃ、よ、ぉ、、ぉぉ、、、わ、、、たし、ぁ、、わ、た、し、、、ばつを、、わ、た、しが、、、ばつ、を、、、」
幼い少女の顔は溶けて崩れ、乳房は爛れ落ちて地面に落ちた。
下腹部の口と尻の穴からは体液や肉片が垂れ流されて、背中からは骨や臓器までもがずるずるとはみ出してくる。
「だ、まぁ、だぁ、ぁぁぁ、、、、、まだ、お、わら、、、ない、、、、まだ、、、、、、し、な、なぃ、、、、」
血と肉が入り混じるアメーバのようになった巫女は、崩れながらも、まだ動いていた。
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「お、お姉ちゃん」
「史伽……!」
泣きながら抱き合う姉妹と、それを見守るクラスメイトたち。
まき絵たちの記憶処理をしている最中に、その小さな奇跡は起きた。
「さーて、こうなったら、このかに亜子ちゃんに楓さんに刹那さん、さっさと迎えに行かないとね」
そう言うのは、明日菜の声。
まだ、戦いは続いているようなので、できる限り早く関西に戻らなければいけない。
そして連れて帰るのだ。
彼女たちを、会わせてやるために。
人間に戻った、風香と史伽に。
最終更新:2012年01月31日 16:05