624 :「三条家の挽歌、完結編」 ◆FePZUCQ9Q6 :2006/05/20(土) 01:04:59 ID:6X+fgJl1
―――時は少しだけ遡る。
総本山から発射された光系殲滅魔法が、上空で交戦している2人の木乃香とハルナを捉えながら立ち昇る。
「!?」
「な、なんや!」
巫女が操る蓬莱の樹が、地下から総本山の機能を操作しているとは、さすがの木乃香の予想の範囲外であった。
かつて亜子に向けられて京都を焼き尽くした魔力砲の奔流が埋め尽くしていく。
「ちょ、まっ」
本物の木乃香は咄嗟に魔力体の縛りを解いて霧状に戻り、風に飛ばされる煙のように光魔法をかいくぐる。偽物の
木乃香とハルナがシールドを張るのが見えたが、光は2人をシールドごと呑み込んでいった。まるで濁流に離れ小島
が削り取られるように消えた木乃香たちが無事とは思えない。光は上空で渦巻く巨大な乱雲の中央に吸い込まれるよ
う伸びていき、千歳の魔法と激突する。
静寂。 そして爆音。 その瞬間、夜空は白く塗り潰され、渦巻く雲と光の嵐が空一面でスパークして消滅した。
「ふぅ、びっくりしたわ。でもこれで、決着もついたし……早く亜子ちゃんらの応援に行かんと!」
再び実体化した木乃香の魔力体は地上に急降下し、巫女の張った丸いドーム状結界に侵入する。竜巻の爆撃で生
き残った蜘蛛たちはすぐそこまで迫っており、もはや一国の猶予もないように思われたが。
「あれ……この空間、ちょっと変やな」
時間の流れが違うことに木乃香は気付いた。現実世界よりかなり速い。外から見れば木乃香たちは、ビデオの早送
りのように動いて見えるだろう。あの魔力体に妨害されずに総本山から脱出するための時間稼ぎが目的だと、木乃香
は思い当たる。
「待っとってな! 亜子ちゃん、楓ちゃん!」
木乃香の魔力体はすいすいと結界の境界を破りながら、亜子たちの気配のある方向に進んでいく。
………そのころ、総本山の上空には空間のひび割れが生じていた。夜空がまるで黒いガラスのように割れて、中か
ら上半身だけの黒焦げになったハルナと、木乃香の魔力体が現れる。ハルナの胸には無傷のスケッチブック。ハルナ
は下半身が焼失するという致命傷を受けながらも、黄金の右手とスケッチブックは死守していた。そして、木乃香の魔
力体にかかれば、致命傷も致命傷ではなくなる。
「奈天の上溝・彼岸の糸括―――まずは命と光の源、乾いた湖、源に近過ぎた不幸、母なる大地、光らない鏡、源に
遠過ぎた不幸、13の衛兵を従えし王―――」
木乃香の魔力体も消耗が激しいが、まだ健在である。復活した2人の周りに、再び緑色に燃え盛る隕石たちが生み
出されていく。めらめらと破滅の炎を灯して。
*
上昇して急降下した亜子が、隕石のように地面に叩きつけられた時、体内の半分から潰れる音が聞こえてきた。右
手の筋肉が破裂して骨が砕ける音、足がちぎれる音、そして内臓がほぼ同時に破裂する音、鼓膜が破れる音、眼球
が潰れる音、そして舌を噛み切る感触。音ではなく振動、衝撃としてそれは伝わり、伝わった部分をも破壊する。
「がは、ぁあぁあ、ごほっ、げほっ……あ……あぐ……あ……ぁぁ……」
真紅に染まる亜子の顔半分の、血の海から眼球が復元されて標準を前に合わせる。目の前にいるのは枯れかけた
老人、三条千歳のみ。真祖化している亜子が少しでも本気を出せばバラバラにできそうな、ただの老人である。しかし、
できない。それどころか、その老人の手にかかれば、逆に亜子がバラバラにされそうだった。
「ごほっ…げほげほっ、げふっ! はあ……はあ……はあ………こ、こんな……」
不可視の力でクレーターから浮上していく亜子の身体。皮膚が剥げて髪まで真紅に染まる顔にはわずかに光が戻る
が、全身は泥と血に塗れて潰れ、折れ、破れている。手足どころか指一本動かせない。それ以前に、右足は太ももから
千切れていた。破れた腹からは、今も中身がぼとぼとと流れ出している。血と体液が雨のように落ちる。
「さすがに吸血鬼最強種、頑丈じゃな」
「……う、あ……」
薄っすらと嗤う老人を見て、亜子の顔が歪む。
空まで持ち上げられて、落とされて、力の差を思い知らされた者が浮かべる表情。それは恐怖にも勝る絶望。
家族を死に追いやった元凶を前にして―――全く勝てる気がしないという絶望。
「さっきまでの、威勢はどうしたんや?」
肉塊一歩手前の亜子の身体は、ゆっくりと上空に持ち上げられていく。血と体液が亜子から逃げていく。潰れかかった
肉体のまま天に昇らされるその姿は、晒し者のようであり、絞首刑にされる罪人のようでもある。
「すまんが、巫女からよう言われとってなぁ。月の眷属は、ただでは殺すなて」
老人が軽く息を吐くと、その空気の流れはみるみると暴風になり、スクリューのように回転する真空の刃に変わる。
「どこからがええ? やはり、その汚れた穴からかのぉ」
回転する真空の刃がヒュンヒュンと音を立てて、片方がない亜子の足の付け根に吸い込まれた。真空刃は失禁してい
た亜子の秘所の粘膜を耕しながら、股自体をも上に向かって引き裂き始める。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙―――――っ!」
張り裂けそうな悲鳴に、復元しつつあった気管が爆ぜる。首と股間から鮮血が散った。そこに次々と新しい真空刃が
飛んできて、亜子の身体を切り裂き始める。亜子は泣き叫びながら拘束を解こうとする。激痛から逃れようと足掻くも身
体は動かない。風の攻撃は続く。胸を縦一直線に抉り、手足が落とされた。復元した眼球が再び潰される。胸から内臓
まで抉り出される。背中を引き裂かれて皮膚が剥かれ、裂かれた性器と肛門が一つの裂傷でつながる。
「…………」
亜子の皮膚は血を吸収し、再生する。
再生した部分はすぐに根こそぎ抉られて、傷が深くなる。
手にした治癒能力が効かなかった。
悲鳴が消えた。涙の源は潰された。
まるで鳥に貪られているように、亜子の身体は風の中で朽ち果てていく。
真空の刃はますます数を増し、亜子の身体を削り取る。
いかに真祖とは言え、その暴風が過ぎ去った後には、何も残らないだろう。
「ふむ、口ほどにもないわい」
千歳は暴風に呑まれている亜子に背を向け、こずえの足を抱いて歩き始める。彼はまだ、これから総本山中にいる巫女
の敵を殲滅しなければならない。たとえ味方を巻き添えにしようとも、三条家のため、こずえを復活させるためには仕方が
ない。それが巫女の望みなのだから。
その時、まるで雷のように、白い光が上空から、亜子に落ちてきた。
「何じゃと!?」
驚く千歳の前で、亜子を包む風が掻き消された。
*
「あ……」
あまりの痛みに自分を失いかけていた亜子の身体は、優しい肌の感触に包まれていた。
全身に広がる温かい光と熱い鼓動は、傷つけられていた手足や恥部、顔や胸の傷をみるみる治癒していく。現実かどう
かも分からない、夢のような感触といっていい感覚。
「遅れてごめん……でも、間に合って、良かった……!」
「……木乃香」
白い空。
色とりどりの花畑がどこまでも広がっている。
汚れたものは一切ない、その清廉な世界の中で、亜子は裸で、やはり裸の木乃香と抱き合っていた。
重なり合う柔らかい胸。
お互いの背中に回された滑らかな手。
忘れかけていた甘い匂い。
あまりにも純粋で、洗練されている充足感と安堵感。
亜子が驚いた顔で木乃香を見ると、木乃香はにっこりと微笑んで、亜子を守るように抱擁を強める。
「ここは……」
亜子はすぐに、その木乃香が魔力体だということが分かった。
しかし、本物と同じ感触がするのはどういうことか。
「まさか、ウチの心の中?」
「うん、ちょっとシンクロした。とり憑いたって言うと嫌な感じやけど、助けるためには仕方なかったん」
亜子ちゃんを死なせたら、ウチはどう償えばいいのかと、木乃香は泣きながら笑った。
「さあ、傷を完全に治すから、もう少しだけ、深くシンクロさせてな……」
木乃香は目をつむり、淡い色の唇をそっと亜子に差し出した。
シンクロするということはつまり、感覚を共にしてくれということだろうか。それがつまり、キスであると―――。
「……んっ」
それはあまりに無垢で剥き出しな、心同士のキスだった。
唇を合わせた2人の周りに一陣の風が吹き、花びらが2人を包むように舞い踊る。
心同士だからこそ直接感じる、木乃香の息遣い。
愛そのものである唾液の味。
そして想い。
(木乃香……)
木乃香は心の底から、亜子を救いたいと思っていた。償いたいと思っていた。
唇を合わせながら、木乃香の心に亜子は涙する。
ただ、その想いが嬉しかった。
(亜子ちゃん……)
想いが通じたことを理解し、木乃香もまた嬉しい、そして贖罪の涙を流す。
「さあ、いこか」
「みんなのことに、帰らんとな」
舞い踊る花びらが2人の肌に張り付き、ふわりとした光のドレスに変わる。
「いっしょに!」
「いっしょに!」
2人の少女の視線が融合し、
一帯はさらに、力強く、優しい光に満ち満ちた。
「「帰る!」」
*
「うぐううううう! 一体、何が起きたんや……!」
まばゆい光の中で爆発的に増大していく魔力を前に、千歳の顔色が一変する。「怪仙」を名乗る老人は、風に乗って
宙に舞い踊りながら、すぐさま呪文を詠唱する。それに呼応するように上空に現れた数々の雲の渦から、何百本という
竜巻の槍が光の源泉である亜子に方に降り注いだ。
光の中から飛び出した亜子は、上空にいる千歳の方に向かっていくが、竜巻の雨がそれを阻む。
しかし、亜子が手を一振りすると、そこから光のカーテンが生まれて竜巻たちを相殺した。何百発あたってもそのカー
テンは破れず、ついに亜子は竜巻の群れを突破する。
「何ぃぃぃ!」
先程まで使えなかった高等魔法を操る亜子に、千歳は驚愕して呪文の詠唱を開始した。
彼を中心に現れた暗雲は、瞬く間に空を覆いつくす。
(む……!)
千歳の目に、亜子の姿が映りこむ。
その亜子と重なり合う、木乃香の姿も。
光を纏う2人の少女が、迫ってくる。
近衛家の姫。
闇の福音。
それが敵として、今―――。
(真祖の魔力と、近衛の魔力と技術……そういうことかい!)
「よかろう、滅びるのは近衛か三条か。ここで決着を付けようではないか!」
千歳は振り上げた手を、乱暴に下ろした。
その瞬間、雲が降りる。
空中に広がった雲が、まるで天井が下がってくるように―――空そのものが落ちてくる。
黒雲は千歳を透り抜け、地上そのものを押しつぶさんと落下する。
「そのまま潰れてまえ! 近衛木乃香―――そして、闇の福音!」
千歳の、最強の風系殲滅魔法。
まるでピストン内の空気を圧縮しているように、黒雲の蓋をされた地上の圧力が変化する。
全てを圧力が押し潰す。
空から迫りくる暗黒が、見える範囲の全てを終に帰す。
「「負けへん!」」
2人の少女の声が重なり、光を爆発的に噴射して黒雲に激突する。
黒い盾に白い槍が激突するような光景。
亜子たちと黒雲が互いを押し合う―――が、ゆっくりと、亜子と木乃香が押され始めた。
*
穏やかだった花畑に、黒い風が吹いていた。
心を掻き乱しているのは外からの感覚、苦しみ、痛み、疲労、そして恐怖。
「くうぅぅぅ……す、すごい力や!」
「うぐ、ぐ……こ、このままじゃあ……やられてまう……」
光のドレスが風に冒されて温もりと輝きを失い、痛く冷たい風に身体を容赦なく嬲られる。
お互いを抱きしめながら、亜子は左手を、木乃香は右手を前に出し、前方より吹き荒れる黒い風に抗う。
しかし、白く美しい2つの手も、風によって裂かれ、爪が砕け、赤黒い血が噴き出している。
亜子と木乃香、その手のダメージは全く同じだ。
お互いにシンクロして力と根性を倍増しても、現実が劣勢ならば、それは均等に2人の精神にも襲い掛かる。
「ふ、2人で、力、合わせても……」
「勝てへんの……」
2人がそう思った瞬間に、黒い風はさらに勢いを増して吹き荒れた。
「ああああっ!」
「きゃあああああっ!」
亜子と木乃香の頬が、風によってざっくりと切り裂かれて、悲鳴が上がる。
光のドレスが花びらに変わって消し飛び、黒い風が容赦なく2人の身体を切り裂き、赤い飛沫を散らした。
「うぐ……」
「あ、ああ……」
黒い嵐の中、裸体を重ねるようにうずくまる。
風を押さえてきた手が力なく地に落ち、亜子たちを挫こうと、黒い風がさらに苛烈に吹き付けられる。
「亜子ちゃん……ウチ、最後の手段の覚悟を決めた」
「奇遇やな、ウチもや」
「まあ、シンクロしてるから、なあ」
「それなら」
「ひとつ、いってみよか」
亜子は木乃香を噛んで、自分をも噛み、そして命ずる。
「死力を尽くして敵と倒せ」と己と木乃香に命じ、魔力で魔力を引き出しながら、シンクロを急上昇させて―――。
*
「むううっ! まさか!」
暗黒の雲が割れ始め、眩い光が千歳を照らす。生じた罅はゆっくりと、しかし確実に成長していき、その光景を千歳は
呆然と眺めていた。本気を出した自分の魔法が、まさか敗れ―――。
「そんな、馬鹿な! まさか、ありえん! 認めん! 認めへんぞ! さ、三条は!」
黒雲がついに瓦解し、そこから光に包まれた少女が飛び出してくる。
その少女の顔を見て、千歳はぎょっとして気圧された。
三条家の長が、怪仙が、恐怖を覚えたのである。
敵を倒すことのみを考えている顔。
己を己で縛ってまで、敵を倒す。
これからを生きるために。
続くために。
重なり合う亜子と木乃香が、千歳を見据える。
執念。
「三条は、三条は―――絶対に、滅びはせぬ! 滅びは―――ぐふっ!」
光が老人を貫く。
胸に大きな穴を開けた老人は、孫の足といっしょに落ちていく。
もう二度と、浮かび上がれぬ場所へと。
「三条殿……」
亜子の口から発せられたそれは、中の木乃香が発したものだった。
そのとき、結界が大きく揺れて、崩壊し始めた。亜子たちがいた場所ではない。巫女が作った結界そのものが崩壊しつつ
ある。巫女自身に何かが起きて、結界を維持できなくなったのだろう。
―――ちょうどそのとき、楓もまた、遠藤真紀乃を討っていたのである。
「和泉殿!」
結界が消えて、離れ離れになっていた楓が近づいてくる。
亜子はふっと微笑むと、そのままどさりと楓の胸に倒れこんだ。
「だ、大丈夫でござるか!?」
しかし亜子は脱力した顔で、
「あぁー、長瀬さんの胸、大きいなあ……気持ちいい感触」
「ほんまや、明日菜やせっちゃんと全然違う」
と、亜子と木乃香の声で言った。
「なっ! な!?」
「あー、ごめん、説明は後」
「今、魔力空っぽに近くて、シンクロしとらな、どっちも気失いそうなんよ……」
楓は状況がよく分からなかったが、2人とも亜子の中にいて、限界らしいことは掴めた。しかし、悠長なことは言っていられ
ない。楓たちの周りには、巨大な鬼蜘蛛がたちが迫っているし、上空にはあの木乃香の魔力体が隕石をしぶとく量産して浮
いている。
「これからどうするでござる?」
楓と問いに、木乃香が答える。
「とりあえず、脱出しよう……せっちゃんはウチの身体といっしょに、もうここから脱出してる。お父様は、ここに残るからええ」
「………」
楓は亜子を背負うと、走り出す。
脱出路を求めて。
「…………」
楓に背負われた亜子の目から、亜子と木乃香は、少し離れた場所に散らばった白骨を眺めていた。
それは腰が曲がった老人と思しき骨と、2本の足と思しき骨だった。
あの空間は時間の加速が激しかった。崩壊したときに時間が、さらに加速したのだろうか。
そこにあるのは怪仙ではない、ただの骨だ。
その骨も、そこにやってきた鬼蜘蛛に蹴散らされ、土ぼこりに隠れて見えなくなった。
亜子と木乃香だけが、その目に焼き付けた。
三条家の、滅亡の瞬間を。
<続>
最終更新:2012年01月31日 16:08