339 :第22話「真祖の進む道(中編)」 ◆lQS9gmV2XM :04/02/04 14:55 ID:V56jvR2H
「結界解除プログラム、始動します」
ネギの血液を啜ったエヴァから茶々丸に、特別な魔力に変換されたエネルギーが流れ込んでいく。
茶々丸は身体に内蔵されたアンテナを展開し、充填された魔力を以て一帯を覆う魔法の結界に干渉を開始した。
エヴァを麻帆良に縛り付ける、登校地獄の呪い―――
最強の魔法使いが適当にかけた最低最悪の呪いが、科学と魔法が融合した茶々丸の能力によって中和されていく。
「ふっふっふ、では食事にしようか」
エヴァが亜子にゆっくりと近づいていく。暗闇の中で狂暴な瞳がぎらぎらと輝き、唇の隙間からは鋭く尖った牙が見えていた。
白いエナメル質はネギの血液が混じった唾液に塗れ、仄かに赤く染まっている。
「私を尾行したのが、貴様の不幸だった」
エヴァが穏やかな顔で、眠る亜子の横に座る。
生きた蝙蝠で編まれたマントが亜子の全身を覆い隠し、獲物を絡めとって主人の口元に引き寄せた。
まるでキスをするかのように、エヴァと亜子の顔が近づいていく。
首にエヴァの息がかかり、亜子は「ん……」と少し声を出した。
首筋に、血が溶けた唾液が糸のように垂れ落ちる。
牙が肌に触れ、瑞々しい皮膚が牙の侵入に抵抗する。しかしそれも儚い。圧迫された肌の色が変わる。
ぶつん、と、鈍い感触を残して皮膚が破れる。
裂けた皮膚から、牙が肌の裏に侵入する。
液体がじわりと滲み出す。赤黒い。身体中を旅してきた。新鮮な。血。
牙の先端がずぶずぶと首に潜り込む。
皮膚の下の血管や筋肉の抵抗を愉しみながら、深く、深く、牙を亜子の首に刺し込み、顎に力を込めてじゅるじゅる吸い上げる。
「………あ゙、あ゙……あ゙ぁ、あ゙……!?」
亜子の目が見開かれ、驚愕の色をなしてエヴァを見る。しかし、既に抵抗する事はできなくなっていた。
「い゙、嫌や゙ぁ、ぁ……ぁ……ぁ……ネ、ギ、ぜんぜ、ぇ…………・た……け、て………」
西洋の魔法使いは特殊な魔方陣で契約を結ぶが、吸血鬼は吸血行為によっても契約を結べるという。
亜子の身体は既に、真祖の魔力に蝕まれて従者に変わりつつあった。
「……あ、こ、さん……」
倒れていたネギは、虚ろに呟いただけだった。
口内に広がる血の味と、恐怖に彩られた亜子の顔に、エヴァはうっとりと目を細めた。
首から溢れる血液を口一杯に頬張り、どろりと粘り付く感触を愉しみながら嚥下する。
若い亜子の血を、エヴァは夢中になって貪った。
「あ゙あ゙ぁ……………………」
亜子の瞳から、光が失われていく。
「こらっ、吸血鬼! ネギと亜子ちゃんを返しなさいよ―――っ!」
屋上の入り口のドアを蹴破って明日菜が乱入してきた。
「ふん、神楽坂明日菜か」
しかしエヴァは冷めた目でその招かざる客人を眺めて、薄っすらと微笑んだ。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 奴を打ち倒せ!」
亜子はびくりと震えると、跳ねるように立ちあがった。
そしてビデオの一時停止画像のように静止し、軋む音が聞こえてくるようなぎこちない動作で明日菜の方を向く。
「え、な、何!?」
戸惑いの表情を浮かべる明日菜の視界から、次の瞬間に亜子が消えた。
「従者としての初仕事だ。意識は残してやるから有難く思え―――」
「―――!?」
時間にして一秒も経っていなかった。
亜子はまるで短距離走の選手のような、否、人間離れした爆発的な加速をし、20メートルはあった距離を飛び越えるように縮める。
「!?」
明日菜がワンテンポ遅れて反応した。
亜子は弾丸のように明日菜に突撃しながら、身体を捻り、軸足を踏み込ませる。シュートの動作。ソックスが摩擦で黒く焦げる。
「身体が勝手に動いてまう……明日菜、ごめん、ごめん……ちゃんと避けてえっ!」
明日菜が回避の動作を始めた時、亜子の利き足は限界まで後方に溜められ、そして発射された。
びゅん―――っ!
「うひゃあっ!?」
明日菜が倒れるように回避した数センチ上を、亜子の渾身のボレーが掠めていく。明日菜の髪の毛が数本、風圧で切断されて舞い上がった。
「やべえ! そいつ吸血鬼化してるぜ姐さん!」
カモの声が聞こえたが、なぜか姿は見えない。隠れてしまったらしい。
ボールに対するボレーシュート、人間に対して行えば蹴りである。
亜子は蹴りの勢いを維持したままドア(が設置されていた場所)の横のコンクリ壁をそのまま駆け上がり、刹那に静止する。
勢いと重力が相殺された一瞬に軸を回転、上下をUターンし、壁を蹴って弾け飛ぶように宙を舞った。
「くっ――っ! 危ないっ!」
ボコォン!
ボレーの回避から体勢を立て直せなかった明日菜が、転がりながら横に逃げる。そこに亜子のかかとが叩き込まれた。
一連の動作に耐え切れず、ソックスは既に焼失していた。裸足になった亜子のかかとは、コンクリ製の屋上に深くめり込んでいる。
蜘蛛の巣のような罅が生じた。鈍い音と衝撃が明日菜にも伝わる。亜子はコンクリから乱暴に脚を引き抜いた。無傷である。
それを見た明日菜の顔が蒼白になった。ギャクだとしても最早笑えない。
「に、人間業じゃねぇ……」
カモの声だが、姿はない。
「いやああああああああああああああ、ウチの身体ぁ、どうなってもうたん―――!?」
唇の端から牙を見せながら、悲痛な亜子の声が木霊する。従者化した彼女の身体は、既にエヴァの操り人形と化していた。
しかし明日菜にとってみれば、それは大した問題ではない。問題はあまりに亜子の性格及び言動と釣り合っていない、亜子の身体能力と攻撃の破壊力である。
(ガードしたら……絶対、折れるよねぇ……)
ドアを蹴破った経験は明日菜にもあったが、流石にコンクリートを粉砕するような蹴りを受けとめる気にはなれなかった。
「ほう、我が魔力の庇護を得ているとは言え、なかなか有能な従者だ。元々身体能力は高かったのか―――?」
エヴァが亜子と明日菜の攻防を見物し、嘲笑うように言った。
「ちょ、ちょっと、待ってよ!」
蹴破ったドアを盾のように亜子に向け、明日菜は興奮した心臓を落ち着かせようとする。
亜子はしかし、そのまま脚を振り上げて助走無しにドアを、正確にはリーチの関係でドアの直前の空間を蹴った。
ぱきん。
ドアは風圧で切断された。綺麗な断面で斜めに、真っ二つになったドアを見て、明日菜は無思考に陥った。
「あ、あああ―――」
もう明日菜は、どうすることもできなかった。
「明日菜ぁ! 諦めやんといてぇ―――っ!」
亜子が悲鳴を上げながら、明日菜に蹴りを放った。
明日菜が咄嗟に、半分になったドアを盾にする。次の瞬間ドアは粉砕された。
ドアはクッションの代わりにならない事はなかった。
しかし衝撃は抑え切れず、身体をくの字に曲げて明日菜は吹っ飛び、コンクリの上をごろごろ転がっていった。
「く、はぁ………あ……あ……あ、ぁ………」
全身を砕かれるような衝撃に貫かれ、明日菜の意識は混濁していた。
口内には血の味が広がり、呼吸が苦しい。何が何だか分からない。
内蔵には痺れるような痛みが染み付いて、身体は軋んで自由に動かなかった。
苦しそうな声を漏らしながら立ち上がろうとする。しかし、身体を支え起こそうとする腕は、枯れ枝が折れるようにそのまま力尽きた。
ぐったりとその場に横たわった明日菜の唇の端から、赤い血が伝い落ちる。
(なに、これ………わた、し、どうなった、の……?)
魔法使い、しかも真祖の従者を相手にするのは、普段のいいんちょとの喧嘩とは次元が違っていた。
第三者からどう見られようが、それは喧嘩ではなく戦闘だった。
明日菜の視界に、涙目で自分を見下ろす亜子の姿があった。
(いけない……に、逃げなきゃ―――)
殺される。
それが従者である亜子と対決した、明日菜の結論だった。
亜子の蹴りを、腕で受ければ腕が折れるだろう。足で受ければ足が折れるだろう。直撃すれば身体が壊れるだろう。
「い、いや……止めて……」
明日菜を動かしたのは、単純な恐怖だった。動かない腕を必死に動かして、明日菜は這うように亜子から離れていく。
背中や髪の毛がコンクリに擦れる。一歩一歩近づいてくる亜子から、ずりずりと絶望的に遅いスピードで明日菜は逃げる。
亜子の脚が180度の角度をなして星空を指した。かかと落としをするつもりらしい。
「き、きゃああああああああ―――」
明日菜が悲鳴を上げて目を閉じる。
「明日菜逃げてぇ―――!」
亜子も悲痛な叫び声を上げて目を閉じた。
「まあ待て」
エヴァの声に、亜子の動きがぴたりと止まる。エヴァは明日菜を見てにたりと嗤い、倒れていたネギを起こして立たせた。
ネギは虚ろな目で遠くを眺めている。心ここにあらず、といった感じだった。
「せめて最後に、経験ぐらいさせてやろう。坊やだって、男になってから死にたいだろう?」
ネギの首に背後から手を回し、エヴァは目を細める。その言葉には不気味な響きがあった。
「ど、ういう、ことよ………あんた、ネギをどうする気よ!」
「マスター?」
結界の中和に専念していた茶々丸も、作業を続けながらエヴァを見る。
「ふふふ、なぁに、簡単な事だよ」
エヴァは外見相応の少女のような笑みを浮かべ、そして少し頬を赤くして言った。
「坊やを生贄にして、闇の秘術でサウザンドマスターを生き返らせるのだ―――」
「え…?」
場の空気が凍り付いた。明日菜は最初、それがどういう意味なのか理解できなかった。
「マスター、本気ですか?」
明日菜の代わりのように、茶々丸が主人の真意を問う。
「本気に決まっている。私の魔力が全て戻り、魔方陣やアイテムを準備し、そして息子を生贄にすれば不可能ではない!」
「あ…あんた、バカじゃないの!」
「マ、マスター、しかしそれではネギ先生が……」
明日菜と茶々丸が同時に口を開く。
「うむ。坊やには可哀想な事をしなければなるまい。しかし、それで、あの男が帰ってくるのだ。仕方がない―――」
エヴァはにっこりと、花園でチョウを捕まえようとする少女のように微笑んだ。
「坊や、謝るよ。若いお前の命を犠牲にしなければならないのは、私としても辛いのだよ」
ネギは意識をエヴァに支配され、動かない。
「しかし分かってくれ……もう、これしか方法がないのだ。私は、あの男に会いたいのだ。会って声を聞きたいのだ! 顔を見たいのだ! もう一度、せめてもう一度だけ……」
響き渡る美しい声は、切実で、純粋で、綺麗で、可愛く、少女のように、当然の事のように、
「光に生きる事に意味があるか? あの男はいないのに! あの男はもう帰って来ないのに! 闇の手段に頼れば再会できる可能性があるのに、光で生きる意味が、果たしてあろうか―――」
信じて疑わないような、絶対的で、縋りつくような、しがみ付くような、夢のように儚い、憎悪と愛が入り乱れて、
「会いたい、会いたい会いたい! 会いたいのだ! 私は、あの男に! 闇の福音を無様なメス犬に堕としたあの男に、会いたい………」
爆発し、我慢できない、噴き出て、傲慢で、自虐で、怪物のような、愚かしい、ぶつけるような、狂おしい感情の発露だった。
「さあ、坊や。せめて最後ぐらい、お前のために、そして私のために、お前が心を寄せた相手と、愉しんでくれ。これが私の、僅かな償いだ―――」
エヴァの胸から、ネギはふらふらと前に進み出した。その先には亜子と明日菜がいる。
「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック! 神楽坂明日菜を陵辱しろ」
ネギが虚ろな顔で、明日菜に向って歩いていく。
「ごめんよ、坊や―――」
飽和するまで狂気が溶けた涙が、エヴァの頬を伝った。
to be continued
最終更新:2012年02月12日 21:45