06スレ053

53 :第28話「近衛の姫VS闇の福音」 ◆lQS9gmV2XM :04/03/18 19:22 ID:0iKBcJQw

 今、麻帆良学園を襲っている現象は、近づく者や関わる者を否応無しに巻き込み、拡大する混迷の渦である。その忌々しい渦を生んだのは真祖と呼ばれる吸血鬼の少女だった。
 その渦巻きに最悪の形で巻き込まれたのが、吸血鬼に変質し戻れなくなった一人の少女であるならば、以下に挙げる二人はさながら渦巻きに呑まれず、台風でいう目の位置に立っていたと言えるだろう。

 一人は見習い剣士、名は桜咲刹那。
 古都京都に本拠地を持った掛値なしの戦闘集団「神鳴流」の一員。魔法剣士。気を込めた剣は一振りで岩を砕いて魔を切り裂き、跳べばワイヤーアクションのように壁を越えるその能力は、常人を遥かに凌駕している。
 肌は白く端整な顔、目は刃物のように鋭い。背は小さいが四肢は鍛えられ引き締まっている。肉体はまだ熟れてはいないものの、硝子のような強さと脆さを内包した美しさに、男たちは思わず足を止めるだろう。

 もう一人は何も知らされずに育てられた才能、名は近衛木乃香。
 祖父は関東魔法協会の長、父は関西呪術協会の長。日本魔法界の中核「近衛家」、その血に秘められた強大な魔力を受け継ぐ令嬢である。その才能は関東を滅ぼせるとさえ謳われており、千の呪文の男をも超える。
 おっとりとした性格の大和撫子であり、長い黒髪が美しい。幼さが残る美顔からこぼれる笑みはホットケーキのように場を和ませる不思議な雰囲気を放っており、これも一種の彼女の才能だろう。


 二人は最初、お互いに大切な友達だった。立場も、家も、身分も関係ない、純白のティッシュペーパーのような関係である。しかしすぐに友達は護衛に変わり、また友達はお嬢様に変わっていった。
 時間は溝に、絆は闇に、願いは影に、想いは力に、
 欲は暴力に、愛は鎖に、自責は罪に、夢は現実に、
 近衛の姫は吸血鬼に、護衛の剣士は生きる傀儡に、
 変わりゆく全てを受け入れながら進む二人に、そして今―――



 学園・屋上―――


「せっちゃん」
「このちゃん」
 周囲に満ちていた夜の闇は二人の会話に反応するようにざわめきだし、煽るような強い風をどこからともなく運んできた。木乃香の長い髪とオレンジの着物が、風に流されてゆらゆらと靡く。
 母のお腹から産まれたままの姿の刹那は、片手に刀を、片手に呪符の束を持ち、冷たいコンクリートの上をひたひたと歩いて木乃香の方に近づいていく。その肉体には薔薇のような香りが纏わり付いていた。
 風に乗って漂ってきたその香りをくんくん、と嗅ぎながら、木乃香は眉を少し寄せた。
(この香りは………魔法薬?)
 刹那はそのまま木乃香の前で、目を愛らしく細めて頬を朱に染めながら「えへへ」と無邪気に微笑んでみせた。木乃香もそれに応えるように華のような笑みを浮かべる。
 刹那は嬉しそうに刀を前に翳して、刃に刹那と木乃香を歪めて映しながらまた「えへへ」と嗤う。
 しかし、女子寮で誘拐しようと時と同様、今の状態の木乃香には刀は通用しない。
 木乃香の纏うオレンジの着物がざわりと、風に逆らうように波打って動いた。
 しかし刹那はそのまま刃を水平に構えて、
 一気に突き、そして抜けた。
「え……」
 木乃香の思考が数秒停止した。
 木乃香の前で、背中から刃を生やした刹那は反動で回転しながら、しかし微笑みながら刀を握る手に力を込めて、そのまま刀を引き抜いた。
「えへへ…ごほっ!」
 刹那の口から、そして身体から流れ出す液体がぽたぽたと屋上のコンクリに染みていく。べっとりと濡れた刀が刹那の手から滑り落ち、からん、と乾いた音を立てて転がっていった。

「あ、あ……?」
 よろよろと木乃香が刹那に近づいていく。まだ思考は正常に戻っていない。刹那はそんな木乃香に、やはりにっこりと微笑みながらどろりと口から液体を垂れ流し、そして倒れた。
「き…きゃああああああああああああ――――――! せっちゃん!」
 木乃香が刹那に慌てて駆け寄る。素人目から見ても、刹那の傷は決して浅くない。早く回復魔法をかけなくては命に関わりかねない。
 木乃香は倒れた刹那の傷に手を置き、回復魔法を唱え始める。溢れる液体で指や爪がべたべたになったが気にしてはいられない。
 しかし刹那は突然目を開くと、刀を握っていた手で木乃香の手を掴み、もう片方に握っていた呪符を全て発動させた状態で木乃香の身体の、胸の辺りに押し付けた。
「きゃっ!? せ、せっちゃん、何するん?」
 木乃香の障壁と刹那の呪符がバチバチと反発し火花を散らした。どうやら呪符は攻撃用の代物らしい。それと連動して刹那の身体にも負荷がかかるのか、傷が広がりプシャ! と液体が勢いよく吹いた。
「せ、せっちゃん………」
 木乃香を捕えた刹那は蒼白な顔で、「えへへ」と邪気のない笑みを浮かべた。


 エヴァのかけた暗示、それはつまり、そうする事だった。
 木乃香を確実に追い詰めるための、トラップ。



 せっちゃんの傷がこれ以上広がると、手遅れになる。
 罠だろうが関係ない。
 せっちゃんが一番大切なのだから。
 せっちゃんの護衛はもう要らないと言い切ったのだから、自分は強くなったと言い切ったのだから。
 ウチがせっちゃんを守ると言い切ったのだから―――


 木乃香は躊躇いなく自分を守っている障壁を解除した。オレンジの着物は消えてなくなり、木乃香は刹那と同じく産まれたままの姿になった。
「きゃあああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙―――――――っ!」
 反発は収まり刹那の傷が広がるのは止まったが、呪符から流れ込んでくる電撃のようなものが、無防備になった木乃香の身体を貫いた。身体が砕け、精神が焼き切れるかと思うほどの激痛が木乃香を襲う。
 髪を振り乱して泣き叫ぶ木乃香の腕を、刹那はしっかりと掴んで離さない。呪符を押し付けられた木乃香の胸は乳房が真っ赤に腫れ上がり、刺激で乳首が立ってぷるぷる震えている。
「いやあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ―――、せ、せっちゃ……ん―――、い、今あ、治して…あ゙あ゛あ゛っあげる、がらぁ、も、も゛う少し、だけぇ、あ゛あ゛あ゛あ゛っ! あ゛あ゛あ゛あ゛っ! がんばってな、ぁ……」
 激痛で集中できず、回復呪文の光はネオンのように点滅して上手く治療できない。
「うん、ウチがんばるね。ゴホッ、ゴホッ、だからこのちゃんもがんばってな」
 刹那は蒼い顔で口を赤く染めながらにっこりと嗤って、そう答えた。
 ……………………………………
 ………………………

          *


「果たして木乃香さんはどの程度消耗しているでしょうか?」
「枯れ果ててくれていると楽だがな」
 濃厚な闇の気配が辺りに満ち満ち、その中からぬるりと人影が屋上に現れる。
 生きた蝙蝠で編まれた漆黒のマントを纏うブロンドの少女と、巨大な銃を装備したメイド服のロボット―――従者二人を退けて「主人」の元に辿り着いたエヴァンジェリンと茶々丸である。
 二人の前では一糸纏わぬ姿の刹那と木乃香が絡み合うように抱き合い、冷たいコンクリに転がっていた。周囲にはどす黒い染みが飛び散り、少し離れた場所には汚れた刀が転がっている。
「せ、っちゃん……」
 ゆらりと立ちあがった木乃香が、闇にその身体を預けるような無防備な姿でぽつりと呟いた。刹那は安らかな顔で眠っており、微かに上下する乳房が呼吸をしている事を示している。
「ごめんな…ひくっ、ひっく、こんな辛い目に遭わせてもうて……油断しとったなんて、言い訳にはならへんよね……ごめん。ほんまにごめん……」
 ぼろぼろと零れ落ちる涙は、広がったドス黒い染みに吸い込まれるように消えていく。木乃香の乳房は真っ赤に腫れあがり、腹部は刹那から溢れた液でべとべとに汚れ、憔悴した顔は目だけがぎらぎら輝いている。

「あんたらか、せっちゃんに、変なことをしたんは」

 木乃香の首がぎこちなく回り、エヴァと茶々丸を無表情で見た。長い髪がふわりと舞い上がる。

「ちっ、まだ力は有り余っているようだな―――茶々丸!」
「攻撃開始します」

「氷の精霊17頭。集い来たりて敵を切り裂け。『魔法の射手・連弾・氷の17矢』―――!」

 エヴァの周囲で、闇から生じた氷が魔力で矢へと変わっていく。同時に茶々丸がチャージしていた銃から閃光を発射した。荒れ狂う魔法の矢と眩い光線が木乃香のいる場所で炸裂する。
 轟音と共にぱらぱらと氷の欠片が飛び散り、闇に白い雪の結晶が舞い落ちる。
「因果なものだ。ジジイは産まれてくるお前を将来守るために、わざわざ学園の警備員を探していたというのに、今ここで、その警備員がお前と戦っているとはな」
 爆発の余韻の霧が朦朦と立ち込める、その向こうから伝わってくるのは圧倒的な敵意。
「この麻帆良という巨大な揺り篭を与えられた貴様が今、自らの手で麻帆良を壊そうとしている。色恋に狂うなとは言わんが、反抗期もほどほどにしておくことだ」
「……魔力値が急上昇しています」
 エヴァの横で、茶々丸が無感動に報告した。霧の向こうからびりびりと伝わってくるプレッシャーは、どうやら気のせいではないらしい。
「ふん、これが一週間前には私の力を借りなければ何もできなかった小娘の力か。これが近衛の血を受け継ぎ、その力あれば関東を討てると言われた近衛の姫か―――面白い!」
 ぼん! と霧を吹き飛ばし現れたのは、美しい、姫と呼んでなんら遜色ない綺麗な少女だった。オレンジの着物を身に纏い、バチバチと周囲に青い放電現象を起こしながら身体は数センチ浮かんでいる。
 星明りしかない闇の中でも、着物はまるで輝いているように鮮やかなオレンジ色だった。生地は生物のようにばたばたと波打ち、木乃香の身体を覆っている。

「マスター、あの着物は」
「ふむ、身に纏うタイプの『護鬼』だな。ループ結界といいパートナーといい、どうやらジジイの孫は西洋魔術と陰陽術の両方を使えるらしい」
「オンアクヴァイラウンキャシャラクマンヴァン!」
「―――っ!」
 漆黒の翼を広げたエヴァと、ジェット噴射の茶々丸が上空に舞い上がる。衝撃波が屋上の表面をバリバリと削り取りながら通過したのはその直後だった。設置されていた避雷針が折れて飛んでいく。
「ふっふっふ。近衛木乃香よ。桜咲刹那の唇は柔らかいな!」
 上空のエヴァの言葉に、木乃香がぴくりと反応する。
「マスター?」
 茶々丸を無視して、エヴァは木乃香に叫ぶ。
「ああ、弄んでやったよ。無理矢理薬を飲ませてからも、ずっと泣いてお前の名を呼んでいたよ。助けてー、このちゃん助けてー、ってな。まあ、指を挿れてやったら大人しくなったが、くくく」
 木乃香の髪が、ざわざわと動いて逆立ち始める。間違えても風のせいではないだろう。
「………」
「ついでに流れた血を少し舐めてみたが……血は不味かったな」
「せっちゃんの、血を……? ウチがずっと飲むのを我慢していたのに……?」
 呆然とする木乃香が、すやすやと眠る刹那を見る。
「マスター、なぜそのような嘘を」
「少し怒らせて魔法を乱発させる。もう少し消耗させないと今の状態では勝負になら―――」
 小声で会話するエヴァと茶々丸。その時、屋上は猛烈な光に包まれて闇を照らした。

「光の精霊173柱。集い来たりて敵を射て。『魔法の射手・連弾・173矢』―――」

「何―――っ!?」
 屋上から発射された魔法は、まるで光のシャワーが夜空に降り注いでいるような幻想的な光景を作りながら、麻帆良学園上空の闇を一気に塗り潰した。

「くっ、この化物めっ! くだらん呪文をどこで覚えた?」
「マスターの狙い通りですね。木乃香さんはキレたようです」
「ええい、うるさいっ! とにかくこちらは力を温存せねばならん。防ぐのは必要最低限に止めろっ!」
 確かにエヴァと茶々丸に直接飛んでくるのは数十矢で、残りの矢は魔力の無駄な消費として夜空に消えていく。ホーミング弾でなかったのが幸いである。しかし……。
「こ、これは……ちょっと待てっ!」
 光の矢の大群に混じって数メートルはある巨大な光の玉や、目に見えない衝撃波が連射される。
 最初は凌いでいたエヴァたちだったが、シューティングゲームのふざけたボスキャラのような猛攻を仕掛けてくる木乃香に、だんだん逃げまわるだけになってくる。
「たまらん! 茶々丸、少し反撃しろ!」
「了解!」
 怒涛の勢いで魔法を乱射する屋上の木乃香に、上空から氷の矢と閃光が降り注いだ。しかし、木乃香の着物は攻撃を完全に遮断しており、魔法を発射するペースは衰えない。
 上昇する魔法と、降り注ぐ魔法の軌跡が空間で交差し爆発する。衝撃が伝わり学園が震え、窓ガラスが粉々に割れて滝のように学園校舎の壁を流れ落ちた。
 夜空をまるで昼のように明るくしながら、遠距離による魔法の撃ち合いが続く。
「マスター、このままではこちらが押し切られます!」
「ふうむ……いや、そんなことはないぞ。茶々丸よ、もう少し凌げ。攻めるのはそれからだ」
 エヴァが下降し、そのまま学園校舎の中に飛び込み見えなくなる。屋上から校舎の内部を狙うのは難しい。木乃香が魔法を発射しながら軽く舌打ちをした。

          *

「ふーむ、これは使えるでござるかな……?」

 「♪」を逆にしたようなマイクを片手に、黒装束の少女は首を傾げた。
 壊滅した占い研の部室には「うーん、うーん」と呻いている円と美砂、そしてその兵隊が転がっている。
「おい、どうだ? 私でも使えそうか? 柿崎のマイク!」
「うーむ、とりあえず試しに拙者が一曲披露したいところでござるが、聞かせる相手がいないでござる……」
「まあ保留だな」
 携帯で会話しながら、黒装束の少女は部屋を調べている。
「んー。隣の部屋は何でござるかな?」
 黒装束の少女はそのまま隣の部屋に移動する。その部屋はハルナが使っていたはずだった。
「………」
 黒装束の少女は警戒しながら歩を進める。部屋には沢山の本が積まれていた。奥にある机には、漫画家が使うトレース台やカッター、インクやトーンが散乱している。
 積まれた本は最新兵器の図鑑、刃物の写真集、式神術の教本、魔法アイテムの書物など。どうやらハルナがアーティファクトを使う時の資料にしたものらしい。そして、

「理科の教科書? こんなものがどうしてここに―――」

 それは少女たちが使っていた中学理科の教科書だった。
 その時、外がまるで昼のように明るくなり、爆発音が何回も響いてきた。校舎がガタガタと揺れて窓ガラスが割れて落ちていく。
「どうやら始まったようでござるが……いや、すごい」
 窓枠に残ったガラスを丁寧に取り除いてから、黒装束は窓から顔を出した。
「どれぐらいすごいんだ?」
「音と光のショーを見ているようでござる」
「遊園地かよ」
「ははは」
 屋上から発射される光の奔流に、黒装束の少女はしばし見惚れる。

 と、その時。
「何っ!?」
 黒装束の少女は慌てて窓から身を退き、そのまま隠れた。上空にいたはずのエヴァが飛んできて、黒装束の少女が覗いていた窓を通り過ぎて少し離れた部屋に突っ込んだ。
「こ、校舎の中に来られると、拙者も危ないでござるよ――」
 部屋から出ようとする黒装束の少女、しかし部屋の出口付近で足を止め、そのまま横の壁に張り付く。
「さあ、勝負はここからだぞ小娘ぇ―――っ!」
 黒装束の少女が飛び出そうとした廊下を、漆黒の翼を展開したエヴァが猛スピードで飛んでいった。
「ふうう、危ない危ない。いやいや、スリル満点でござるな。遊園地の5倍はすごい」
「遊園地の5倍? 客も5倍で行列も5倍か」
「並んでまでは……どうでござろう?」
 黒装束の少女は苦笑しながら、窓から顔を出して観戦を続けた。
「むう? 校舎側からの攻撃が止んだようでござるな―――」

          *

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
 刹那を後ろに寝かせ、木乃香は大量の汗をかいて屋上にへたり込み、荒い呼気を何とか整えようとしていた。少なくとも魔法を乱射していた元気はなくなっている。
 その前にズシャ、と重量を感じさせる音を立てて茶々丸が着陸した。その手に構えた巨大な銃はエネルギーをチャージし、一直線に狙いを木乃香に定めている。

「貴女は魔力を無駄にし過ぎです。いくら膨大な魔力を有していても、あんな使い方をすれば枯渇するのは当然。マスターの睨んだ通り、戦闘に関しては素人のようで」
「そっちこそ、何でわざわざ降りてきたん? 実はエネルギー切れでもう飛んでる余裕もあらへんとか? だいぶエヴァちゃんを庇っとったみたいやし」
 刹那と茶々丸の間に身体を入れるようにして、涼しい顔で木乃香は立ち上がった。汗はかいているものの、その表情には焦りや疲れは全く見られない。
「もう魔力も少ないのにその表情。ご立派ですね。自分が弱っている事を敵に教えないのは基本だと、マスターも申していました」
「表情では、茶々丸さんには勝てへんえ。ほら、ウチを攻撃したら?」
「そちらこそ、自慢の魔力を使用したらどうですか?」
 お互いに睨み合うが、どちらも手は出さない。
「もしかして、もう残り一発分のエネルギーしかないんかな? 外したらお終いとか」
 にっこりと笑みを見せる木乃香に、茶々丸は無機質な声で言う。
「そちらこそ、さっさと魔法を使ったらどうですか? 使える状態なら、の話ですが」
「………」
「………」

 ―――桜咲刹那を狙うぞ。防げ。

「―――!」
「マスター!」
 どこからともなく響いてきたエヴァの声に、屋上の停滞した空気が弾け飛んだ。



「来たれ氷精、闇の精。闇に従え吹けよ常夜の氷雪。『闇の吹雪』―――!」


「くっ! せっちゃんを狙わんとウチを狙え―――っ!」
 刹那の元に木乃香が駆け寄っていく。同時に屋上を突き破って、木乃香を追いかけるように闇のエネルギーの奔流が渦を巻いて殺到した。下の階からエヴァが攻撃魔法を放ったのである。
 刹那は穏やかな顔で眠ったままだった。木乃香は背中に迫る魔法の力を感じながら、刹那の身体を庇うように抱き締めて着物で覆う。そしてこれからくる苦痛に耐えようと、ぎゅっと目を閉じた。
「せっちゃんは、ウチが守る―――」
 攻撃魔法が木乃香の背中に押し寄せ、そのまま呑み込んだ。鈍い爆発音が響いて屋上の3分の1が吹き飛び、宙に二人の少女が投げ出される。
 刹那は無傷で眠ったまま、まるで葉が風で舞っているように穏やかに虚空に投げ出された。木乃香は裂けてボロ雑巾のようになった着物を纏いながら、刹那を目で追い続けていた。
「せ、っちゃ、ん」
 木乃香が明らかに重力以外の外力を使って空中を移動し、そのまま刹那をがっしりと抱き締めた。そして屋上にいたエヴァと茶々丸に向けて何かを叫ぶ。
「――――――――――――――――っ!」
 それは呪文だった。既に存在しているものなのか、木乃香が無意識に創ったのかは分からない。
 判別不能な叫び声の呪文は、恐るべき量のエネルギーを集めて屋上に収束し大爆発を起こした。二人が抱き合って地面に落下していった後に、校舎の屋上と下の二階分を抉るように吹き飛ばしてエヴァと茶々丸を巻き込んだ。

 地面が接近する前に木乃香と刹那は光に包まれ、そのまま重力に逆らって速度はスローになっていく。屋上から地上に、ふわりと優雅に着地した。
「せっちゃん、無事で、よかった……」
 魔法の光が消えて現れた木乃香はボロボロだった。オレンジの着物は真っ黒に焦げて裂けており、魔法の直撃を食らった背中の着物は完全に焼失して、その肌に真っ赤な火傷が広がっていた。
 魔法を乱発し、また敵の魔法を連続してガードしていたが障壁は少し破られ、指の爪は全て割れている。全身がだるく、初めての本格戦闘による精神的疲労も激しい。
「ウチが、せっちゃんを、守る……から……」
 木乃香は傷ついた身体をそっと刹那に近づけ、ゆっくりとキスをする。まるで弱った鳥が羽を休めているような、穏やかな光景がそこにあった。

「まだ、終りだと思うな……」

「ま、まさか、そんな……エヴァちゃん?」
 驚愕の顔で振り返る木乃香の目に飛び込んできたのは、全裸でふらふらと迫って来るエヴァだった。その鬼のような表情に木乃香は戦慄する。
「機能停止、機能停止、復旧まで1200秒」という警報を鳴らして倒れている茶々丸が近くにいた。どうやらエヴァは茶々丸に庇われて助かり、茶々丸は機能停止に追い込まれたらしい。
「せっちゃん、ウチに、力を……」
 木乃香が震えながら立ちあがり、ふらふら向ってくるエヴァに血塗れの手を向ける。エヴァもエヴァで両手を構え、それを迎え撃とうとする。


 ―――!

 両者が渾身の力で呪文を放ち、両者はそのまま相手の呪文で吹き飛ばされた。エヴァは地面を転がっていき、倒れた木乃香の着物は限界を超えて呪符に戻っていった。
「う、ぐううう……後、少しというところで………」
 苦しそうに呻き声を上げるエヴァの前で、木乃香がずりずりと地面を這っていく。その先には着物の懐から落ちた仮契約カードの束が転がっていた。
「させるか……うぅ……」
 エヴァは攻撃魔法を使う魔力が残っておらず、木乃香が仮契約カードに近づくのを阻止できない。
 と、その時、
 パチパチパチと拍手しながら、
 その黒装束は現れた。

「いやいや、両者いい勝負でござった」

 携帯を肩と首に挟んで穏やかな微笑を浮かべながら、長瀬楓は闇の中から溶け出すように現れた。その細い目に木乃香とエヴァを交互に映し、にやりと口を三日月に歪める。
「楓ちゃん………? まさか、記憶が残ってたん……?」
「長瀬、楓か……いいところに来た! 早く! そいつにトドメをさせ!」
 仮契約カードに手を伸ばした木乃香がそのまま固まった。エヴァが期待の声を上げる。
「まあ、慌てない慌てない」
「……?」

 何を言っているのだ? とエヴァの表情が語っていた。楓はしかし視線を木乃香に移し、にっこりと人を安心させるような笑みを浮かべて言った。

「仮契約の方法を教えるでござる。そうすれば、この場から逃がしてさしあげよう―――近衛の姫君」

 十字架の巨大な刃を翳しながら、楓は木乃香を見下ろして目を細めた。
「つーか、聞き出した後で近衛もエヴァも両方ぶちのめせよ」
 楓にしか聞こえない大きさで携帯から女声が語りかけ、「あいあい」と楓は肯きながら表情は変えない。
「な、何を言っているのだ貴様! そいつは危険だ! 早くトドメを!」
「拙者の仲間が近くにいて、お主を逃がそうと待っているでござるよ」
「……ほ、ほんま?」
 木乃香の問いかけに、首肯する楓。
「…………これ、知ってる? 仮契約カードって言うんやけど?」
 ごく自然な、まるで楓に説明するためのように、木乃香はカードの束を拾う。そして呪文を唱え始めた。知らない者から見れば、仮契約の説明を始めようとしているようにしか、見えない。
「愚か者がぁ! 仮契約カードは従者を―――」

 呼び寄せる事ができる―――、というエヴァの言葉は、最後まで語られなかった。

「………!?」
 楓の前でハルナ・のどか・桜子のカードが鈍く発光し、にやりと嗤う木乃香の顔を照らし出した……。

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最終更新:2012年03月03日 23:48
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