「家鴨雛は月で鳴く」
「あ、刹那さん」
「ああ、ネギ先生」
ネギと刹那が挨拶を交わしていたのは、麻帆良近郊の山林だった。
「じゃあ、刹那さんも龍宮神社に?僕は学園長のお使いですけど」
「ええ、私も少し、仕事の話がありまして」
「でも、いいお天気ですね」
ネギが言い、刹那がふふっと笑う。確かに、ネギと二人きりと言うのは珍しい、
二人で山の中を散策すると言うのも何か楽しい。
「あれ?」
そんなネギが、何かに気が付いたらしい。
「どうしました?」
「誰か、います」
別にいても不思議ではないのだが、何となく興味を引かれ、二人は竹林に向かった。
刹那の隣で、ネギはほーっと息を吐いていた。
視線の先に立っているのは、普段美少女に囲まれていると言ってもいいネギにしてそうなる、
それ程の、大人の美女だった。
二十歳前後と言った所だろうか、
170を超える上背に全体のバランスも良く、名匠に墨で描かれたかの如く整った顔立ち。
剣道の白い胴着に黒袴の姿で、美しい長い黒髪を首の辺りで束ね、白鞘の刀を手にしている。
とにかく、何がいいのかと説明する言葉以前にオーラがある、
この二人に絶世の美女を見たのかと尋ねても容易に首を縦に振るだろう。
そして、その静かに立つ雰囲気だけでも、刹那には相当の手練れと察する事が出来た。
竹が、切り倒された。
「居合抜き、って言うんですか?」
ネギが息を呑む。だが、刹那には言葉も無い。
目の前の女性は、青く鋭い剣と一体化したかの如く凛々しく、美しかった。
刹那はハッとした。ネギも同じだった。
竹林の四方から、大型ナイフを手にした黒覆面が一斉にその美女を襲撃していた。
その挙動に淀みはない、特殊部隊出身でも不思議ではない、プロの刺客の集団だ。
だが、飛び出した刹那はもっと信じられないものを見ていた。
気が付いた時には、刹那は夕凪を抜いて美女の一刀を受け太刀していた。
既に、刺客は全員地面に伸びている。
言葉もなく、刃のみが目にも止まらぬ速さで交えられる。
束ねが切れた刹那の黒髪はザンバラに乱れ、コメカミがキリキリ響く。
美女が、一瞬、切り裂かれた袂に視線を走らせ、口元をふっと緩める。
相手には闘いを楽しむ余裕がある。麻帆良に戻って早々、一瞬でも気を抜けば、死ぬ。
「うおおっ!」
絶叫と共に突っ込んだ刹那が、気が付いた時には荒い息を吐いていた。
ネギの左腕が刹那の腕を押さえ、ネギの手にした練習杖が美女の刃をギリギリと押さえている。
そうしながら、ネギもはあはあ荒い息を吐いていた。
ハッとした刹那が夕凪を地面に置き、片膝を着く。
そこに、黒いスーツにサングラスの男たちがわらわらと現れ、刺客を引き立てていく。
その黒服の班長が片膝着いて脂汗を流し、刀を鞘に納める美女と言葉を交わす。
「陽動作戦に引っ掛かった、この責任は、構いません、無理を言ったのは私です、
こんな会話です、アメリカ人みたいですね」
ネギが小声で言い、ゴツイ班長が頭を下げた後、ネギが美女に声を掛ける。
「助けてくれたのね、ありがとう、そして、本当にごめんなさい」
ネギと言葉を交わした美女が、刹那に綺麗な日本語で言った(以後、特に断りの無い限り、日本語です)。
「いえ、却ってご迷惑を…」
「とんでもない。本来命の恩人を相手に大変失礼しました。
私はミハレ、美しく晴れ渡った青空の美晴」
「ネギ・スプリングフィールドです」
「桜咲刹那です」
「ネギ君に刹那さん、お茶など、いかがですか?」
美晴の柔らかな笑みに、ネギも、刹那も既に魅了されていた。
「…完璧なクイーンズ・イングリッシュでした。向こうでも聞いた事がないぐらい…」
美晴の後を行く刹那にネギが囁いた。
黒服班長に案内された先は、質素な庵だった。
その中の茶室で少し待っていたネギと刹那だったが、途中でネギがトイレに立った。
「でも、遅いな…」
厠を出たネギは、何となく茶室とは別の扉を開けていた。
「………」
その向こうは庭で、盥の側で手桶を手にした、艶やかな黒髪の流れる白い背中が見えていた。
美晴が静かに振り返る。
「はうっ!ごごっ、ごめんなさいっ!!」
「そこで待ってて」
「はいっ!」
言われた通り、扉を閉め、壁に張り付いてドキドキ動悸を響かせながらネギが待っていると、
ざばっと言う水音が何度か響き、美晴が半色の和服姿で姿を現した。
「あああの…」
うつむいて言いかけるネギの頭を、美晴がくしゅっと撫でてネギの耳に唇を寄せる。
「待たせてごめんなさい。エスコートして下さる?小さな紳士さん」
日本人形を思わせる切れ長の目、優しく、ちょっと悪戯っぽい笑みがネギをどこかほっとさせた。
「ごめんなさい、支度の途中に急ぎの電話が入りました」
「いえ、とんでもない」
美晴と刹那が共に頭を下げる。
「美晴さんは、外国の方なのですか?」
刹那が尋ねる。
「生まれはこちらです。向こうで会社を経営しています。詰まらないいざこざに巻き込んで本当にごめんなさい」
美晴が頭を下げる。
「あなた達は、下の学園の?」
「はい、私は麻帆良学園中等部の学生です。ネギ先生は、私の担任の先生です。
信じられないかも知れませんが…」
「あなたがそんな冗談が好きには見えません。あちらで飛び級はままあります。
確かに、利発そうな少年ですね」
美晴ににこっと笑みを向けられ、ネギはぽーっとなってうつむいていた。
質問はここまで、美晴の点てた茶を一服し、穏やかな一時が流れた。
「恐るべき手練れです」
庵を出た刹那がネギに言った。
「余りの速さに動きが予測できず、戦闘領域にまともに踏み込んでしまいました。
速く鋭く、力強い。あの状況下で瞬時に全員峰打ち…」
「凄いですね」
ネギが言う。
“…それに、茶の道も又一流を極めている。
千利休が再来したかの如き、侘び寂びの極みの空間。
あの茶の一服のみで完全に見通された。私も、ネギ先生も…”
「何か、事情がありそうです。余り深入りしない方がいいでしょう」
刹那の言葉に、ネギが頷いた。
「何よいいんちょ」
「委員長として先生と打ち合わせるのは当然ですわ」
そんなある夜、女子寮643号室でいつもの憎まれ口が交わされる。
「アスナー、こないだ買ったお菓子どうしたん?」
「ああ、あれ…」
「ネギ先生」
明日菜が台所に立ち、ネギの横にあやかがぴとっと座る。
「雪広資本の高級会員制スポーツジムが近くにオープンいたしましたの。
ネギ先生は様々な鍛錬をなされていると伺いました、わたくしの紹介で…」
「もちろん、私も連れてってくれるんでしょうね」
ゴゴゴゴゴゴゴゴと効果音を立てた明日菜が腕組みし、あやかの背後に仁王立ちして言った。
「あらオサルさん聞こえませんでした?高級、会員制、ジムであると」
「保護者よ保護者、あんたとネギ二人っきりにしておいたら何されるか分からないもんねー」
「なんですってぇーっ!?」
ぽかぽかと手を出しながら言い争うものの、あやかとしても聞かれた以上、
ス○夫紛いの事は本来好む性格ではない。
「あー、桜咲さん」
右手を額に当てたあやかが言う。
「はい」
「あなたの事も手配いたします。このオサルさんのお守り、お願いします」
「なんですってぇーっ!?」
そんなこんながあったものの、
翌日、木乃香は事情でちょっと外れ、明日菜と刹那、ネギは、あやかの招待でスポーツジムを訪れていた。
「全く、呆れた馬鹿力ですわねオサルさん」
「なんですってーっ」
一通り回った後、あやかと合流したメンバーはプールで相変わらずの憎まれ口を聞いていた。
「色々使わせていただきました、有り難うございました」
「桜咲さんは素直ですこと、オホホホホ」
「分かってるわよ、いいんちょ、ありがとうね」
「プールも広いし、一杯泳ぎました。ありがとうございました」
「オホホホホ、とんでもございませんわネギ先生、
ネギ先生のためとあらばこの雪広あやかプールの水の一つや二つ…」
「あー、はいはいいいんちょ、ネギ、シャワー、ちゃんと浴びて先着替えてて」
明日菜に言われ、ネギがぱたぱたとその場を離れる。
「いいんちょ更衣室まで着いてって捕まらないようにねーほほほー」
「なんですってぇーっ!」
ぐわっと怒声を上げたあやかが、次に鼻血を出してくらっとする。
「何マジで想像してんのよいいんちょ」
「何でもありませんわっ」
苦笑いしながら二人のやり取りを聞いていた刹那が、ふと背後の騒ぎに気付く。
そちらを見ると、競泳プールのゴールに、一人の女性スイマーがタッチした所だった。
その隣のレーンで、一瞬遅れてもう一人のスイマーがタッチし、プールサイドがどっと沸く。
「あれ、アキラ?」
帽子と眼鏡を取った、第二位スイマーに明日菜が声を掛けた。
「どうしたのアキラ、こんな所で?」
「ああ、神楽坂さん、色々あってここの利用券もらった」
「凄いわアキラさん」
そのアキラの背後から、一位スイマーが近づく。
「ああ、どうも」
アキラがぺこりと頭を下げる。
「あら、刹那さん」
「知り合い、刹那さん?」
「美晴さんでしたか」
明日菜が言い、水泳眼鏡と帽子を外し、美しい黒髪を流す美晴に刹那がぺこりと頭を下げる。
「綺麗な人…」
明日菜が思わず呟く。濡れた黒髪のよく似合う美人だが、
黒い瞳から覗くちょっと勝ち気なぐらいの光が冷たいぐらいの美形を和らげている。
隣のアキラも、成人基準ですら十分過ぎるナイスバディーだが、
引き締まっていながら出る所はしっかり出ていて何より成熟した大人の魅力は競泳水着からも際だっていた。
「さっき知り合ったんだけど、凄い。どうしてもあの流れが…」
「ああ、それは…」
アキラと美晴が、少しの間話し込む。
ぱあっと表情を明るくしたアキラがぺこりと頭を下げてプールに向かい、美晴はにこにこ笑って手を振った。
「美晴様?」
明日菜が振り返ると、そこに、さっきツンと喧嘩別れしたあやかが突っ立っていた。
「どうしたのよいいんちょ…」
明日菜が言いかけるが、ぽーっと顔を上気させたあやかは、その場に片膝を着いた。
「雪広家次女雪広あやかでございます。この度は…」
「お久しぶりですね」
クイーンの笑みを浮かべる美晴の前で頭を下げるあやか、明日菜は只只呆然と見ている。
「覚えていて下さいましたか…」
「もちろんです。ケンタッキーでの馬合わせ、楽しかったですね」
「光栄にございますっ!」
「お友達もご一緒みたいですから、オバサンは退散いたしましょう。では、又」
「はいっ!」
「それでは、刹那さんに…」
「明日菜です。神楽坂明日菜」
「明日菜さん、それでは」
「どうも」
刹那と明日菜がペコリと頭を下げ、ひらひらと手を振った美晴がその場を離れる。
「えーっと、誰、あの人?」
ぽーっと上気したまま突っ立っているあやかに明日菜が尋ねる。
「 ネ申 ですわ」
「は?」
ぽかんとする明日菜に構わず、あやかはうっとりと話を進めていった。
「美晴様…自らマスコミに出る事を好む方ではありませんが、
その類い希なる美貌と才能、人を惹き付けてやまない天性の魅力、何より弛まぬ努力鍛錬、
その結果としてこの世の富と名声と権力の頂きに立つセレブの中のセレブ、
その様な言葉では到底くくれないTheすら要らない存在」
「あのー、もしもし?…」
「幼少のみぎりより武芸百般歌舞音曲に秀で長じて様々な分野で免許皆伝その一流を極め、
事、ヴァイオリンにおいてはヨーロッパ各部門で日本人女性記録をことごとく塗り替えた。
学業においても余りに規格外に過ぎたため、平凡な中流家庭に生まれながら着目する人に恵まれて早くに渡米。
飛び級進学、幾つもの論文で学界最年少受賞を繰り返し、日本での進学の参考に受験した全国模試では
未だ破られぬかの成瀬川なるとのタイ記録。
大学在学中にやはり若き天才技術者との恋に落ち、学生結婚。
公私共に夫のバックアップに回り、世紀の大発明により巨額の富を得た。
ただ、その夫が早くに病死した事が美晴様にとってただ一つの悲しい過去なのかも知れません。
それでも、事業と財産の全てを引き継いだ美晴様は、果敢な買収と巧みな人心掌握、
緻密な分析と理想を現実に近づける強かさ、何より、天性の勘と魅力で、
事、ネットの分野においては、ハードもソフトも、今や美晴様抜きには世界そのものが成り立たない。
美晴様の良心と支えなくしては、三ヶ月で世界の餓死者は倍増し三年で地球環境は破綻する…」
「えーと、いいんちょからかってるのかしらー?」
明日菜がむにむにと頬を引っ張っても、手を組んで歌い上げるあやかは止まらない。
「これは全て雪広総研の最新分析結果に基づいた正確な試算に過ぎませんわ」
「…マジ?…」
「その意味でも神のごとき存在。
まさに天より二物も三物も与えられた素晴らしきお方」
あやかは手を合わせくるくる回って歌う様に言い募る。
「いいんちょにそこまで言わせるって…」
明日菜に言わせると十分天からいくらでも与えられているあやかに、
明日菜が呆れたと言うより恐れすら含んだ口調で言う。
「当然ですわ。あのお方に比べればわたくし等月とすっぽん、足元にも遠く及ばない小さな小さな存在。
天より与えられる事の許された才能と光の全てを受け取った、最早 ネ申 と呼ばずして何と呼びましょう♪
嗚呼、この様な所で美晴様のご尊顔を拝し奉る事が出来ようとは…」
「駄目だこりゃ…」
「…ちなみに、美晴様の…」
「あ…」
刹那の声に明日菜がそちらを見ると、対面のプールサイドで、
美晴の後ろで白人男性が二人床に伸びて黒服に片付けられていた。
「今、あの二人がしつこく絡んだと思ったら、合気ですね…」
「当然ですわ」
あやかが言う。
「中学に入ったばかりの頃、一度だけ手合わせいただいた事があります。
最初に組みに行った事とああして床に伸びていた事以外何も覚えていません。受け身ぐらいは取りましたが。
実にいい経験でした」
陶酔丸出しで言うあやかの姿に、明日菜は本気でぞっとした。
あやかの実力は明日菜が一番よく知っている。
今でこそ明日菜が圧倒しているとは言っても、だからと言ってあやかが弱い筈が決して無い。
あやかの話している頃であっても、そこらの有段者が簡単にどうこう出来るものではなかった筈だ。
何より、あのあやかをここまで「諦め」させてしまう存在。許せないと言う思いすら湧くが、
見せられている現実を前にだからと言ってどうにも出来ないもどかしさがある。
「美晴さんに会ったんですか?」
待たせてしまったネギが明日菜に小さく叫んだ。
「うん、ネギも刹那さんと一緒に会ったんだってね」
「そうですか、美晴さん、来てたんですか」
ネギが思わず周囲を見回すのに、明日菜は少しむっとした。
「もう帰ったわよ…そうだねー、美晴さんすっごい美人だもんねーおほほー」
「あううー、違いますよー」
わたわたしながらも、ネギの脳裏に、あの美晴の笑顔、凛々しい姿、白い背中が浮かんで離れない。
「ネーギせーんせぇーっ」
ちょっとした手続きの後、くるくる舞い踊りながら姿を現すあやかにネギは思わずほっとしていた。
そして、明日菜もほっとしていた。
翌日、ネギの足は自然と竹林に向かっていた。
会いたい、見たい、感情がそのまま行動になっていた。
ぺこりと頭を下げるネギの前に、黒服班長が立っていた。
「どうぞ」
携帯で連絡を取っていた班長がネギを促す。
「いらっしゃい」
庵の和室で、にっこり笑って出迎えた美晴の姿に、ネギはちょっと戸惑いを見せた。
「ちょっと待ってねー」
美晴が動き出すと、ポニテに束ねた長い髪、
短いタンクトップから半ばはみ出した背中とほつれたホットパンツに包まれた下半身のライン、
その下にスカッと形良く伸びる脚が座って待つネギの目に入る。
「はい、どうぞ」
そして、ネギの前に飲物を置いて自分もネギの前に座ると、
ネギの目は白いタンクトップをこんもりと盛り上げる膨らみに向かってしまう。
「甘くて、ちょっと苦いって言うか、おいしーです」
「良かった、冷やし飴、生姜がアクセントなの」
美晴も、にこにこ笑って冷やし飴を楽しむ。
「お茶もいいけど今日暑いし、楽する時は楽してないとねー」
「アハハハ」
パタパタと手で扇ぐ美晴を前にネギも笑みを見せる。
清楚なお茶の席もいいが、
砕けた夏娘の美晴もピチピチ若々しく、それでいて大人のお姉さんのボリュームも見せつけられて、
それだけで、美晴に会いに来たと言う事を自覚しているネギはお得な気分になる。
「美晴さんって、凄い人だったんですね」
汗が引いた辺りでネギが言った。
「ネギ先生も凄い人でしょう」
美晴が言った。
「その年で先生、それに、八極拳。
瞬動、縮地、素晴らしい動きでした。あのままいけば私と刹那さんの殺し合いになりかねなかった」
ごくりと息を呑むネギの前で、
ふっと笑みを浮かべて美晴がネギに向けた目には、どこか挑む様な光があった。
黒服が、ネギに何かを渡す。それは、衣服の様だった。
「あっちで着替えて」
美晴の言葉にネギが顔を上げると、美晴はたった今黒服から受け取った胴着に袖を通し、
胴着の中のホットパンツをすとんと落としている所だった。
「あ、あの…」
黒服が用意した稽古着に着替えたネギが、竹林に立って戸惑いを見せる。
「どうぞ」
胴着袴姿の美晴が無造作に言う。
「…では…ラス・テル、マ・スキル…」
黒いリボンを腕に巻き、合掌と共にネギが体を動かす。
次の瞬間には、ネギの背中は竹林の枯れ葉の上にあった。
そんなネギに、黙って背を向けている美晴に、ネギは本気でカチンと来た。
次の瞬間、ネギは、美晴の前でごろごろと地面を転がっていた。
「…あの…本気でいきますよ…」
暗い程の声で言うネギに、美晴は、返答代わりに、改めて自然体を取る。
ネギには何時間とも思える時間の後、美晴は枯れ葉まみれになったネギの右袖を取り、
体を開いてネギの拳を交わしていた。
その美晴の目の前でネギの体が一回転し、ネギはすとんと立って力ずくで離れる。
「さすがね」
美晴が腕で額の汗を拭って言った。
「美晴さんこそ、強いです」
ネギの本心だった。
「じゃあ、こう言うのはどう?」
「?」
シンプルな体落としに、ネギはいとも簡単に掛かった。
一本と言う落ち方ではなかったが、続きがあった。
「あっ、いっ…」
ぐにゅっと押し付けられる感触と共に危機を察したネギの体は、とっさに練習通りの動きをしていた。
「…抜け方は知ってるのねっ」
「とっ」
美晴が繰り出したのは、絞り、固め、絞め、寝技の連続だった。
ネギとしても、受けて立つしかない。実戦では何が役に立つか分からない、いわんやこれは正統な武術だ。
だが、余り慣れていない上に、大概の達人でも一つ決められたら確実に試合が終わるハイレベルな美晴の技術に、
ネギは大苦戦を強いられる。
不意に、黒服のホイッスルが鳴り、二人は地面に腰を下ろしたまま距離をとった。
「さすがね…」
地面に両手を着いた美晴は、胴着の襟をパタパタ扇ぎながら荒い息を吐いて言う。
「美晴さん、本当に強いです」
ネギも荒い息を吐きながら言い、見るともなしに疲労困憊した美晴に視線を向け何かうずくものを覚えていた。
「これが檜の香り…」
ネギは、促されるまま、庵の檜風呂でぼーっと湯に浸かっていた。美晴に勧められると、断れなかった。
からりと風呂場の扉が開く。
「…はうっ!…ごめんなさいっ、すぐ、上がりますから…」
「あら、ごゆっくり、あんなに一杯運動したんだから」
手拭いと桶を手に現れた美晴は、平然と腰掛けに座り手桶で湯を浴びた。
慌てて後ろを向いたネギが、ちらちらと黒髪の栄える白い背中に視線を走らせて自己嫌悪する。
「でも、そろそろ交代していただこうかしら」
「はいっ」
斜め下を向きながら湯船を出ようとしても、
入れ違う美晴の白い大きな膨らみが一瞬目に入ってもネギを圧倒する。
年齢的規格外に溢れる3‐A担任であり、何故か担任と言う以上の場面に続々と出くわしているネギが、
柔らかで成熟した大人の雰囲気、それが一糸まとわず隣を行き違う一時だけで
今までに無いぐらい胸の高まりを感じていた。
「…もう体洗ったの?あんなに汗掻いてたのに」
「はははいっ!」
その事で叱られると言う事に慣れているネギが慌てて入口から引き返し、
腰掛けに掛けるネギの後ろで、美晴はのんびりと湯に浸かっている。
「はうっ!」
ざばんと水音が響き、そちらを見ない様に見ない様にネギが意識を集中させていると、
不意に、とろとろとした液体の感触と共に、髪の毛がくしゅくしゅかき回され始めた。
「あっ、あのっ、シャンプー?…」
「卵の白身」
優しい言葉に後ろに視線を向けると、果たして美晴の優しい笑みがチラッと見えた。
ネギの頭に手桶から湯が注がれ、白身が洗い流される。
「あのっ、ありがとうございました…」
「まーだ」
立ち上がろうとして後ろからぎゅっと抱き締められ、それだけでネギは顔から湯気が噴出しそうだと感じた。
「さっきから見てたけど全然洗ってないじゃないの。天才お子様先生、意外な弱点ね」
「あううー…」
ゴシゴシと美晴に背中を流され、ネギが情けない声を出す。
何より、痛いぐらいに一杯一杯に反り返っているのが自分でも分かるから、
何とかこの場を脱出しなければ、でも、まさかそうだからとは言えないしと、
うっかり動くと遠慮なしでネギを磨いている美晴の豊かな膨らみが先っぽまで見えそうになるし、
今までほとんど気にならなかったものが突然直面した焦りの中、そればかりが頭をぐるぐる回っていた。
「はい、腕上げて脇もちゃんと洗う」
「ひゃっ!」
「やっぱり、逞しい脚してるわね」
後ろから腿をぎゅっと掴まれ、ネギは悲鳴を上げた。
普通なら美晴のセクハラ、と、言うか十分逮捕される事態になっているが、
ネギ自身に嫌らしい事を考えていると言う羞恥心や自己嫌悪があるのでネギもそんな事は思い付かない。
それに輪を掛ける様に、そうやって、後ろにいた美晴が風呂場に相応しい姿で段々ネギの横に移動して
ネギは不自然な首の動きをしなければならなくなる。
もう少し混乱していれば口笛を吹いてごまかしたかも知れない。
「…あら…」
呟いた美晴は、真っ赤な顔でうつむくネギの頭をくしゅくしゅと撫でた。
「すぐ側に裸の女性がいるんだから、当然の事よ。
でも、この辺も、あんな雑な洗い方してると後が大変なんだ、から…」
「はうううっ!!」
ネギの悲鳴と共に、止まった時間の中に鹿威しだけが高く響いた。
最終更新:2012年01月28日 16:21