・「逆まる」
研ぎ澄まされた刃には、かつての可愛らしさの薄れた、やつれて凄絶な程の美少年が映し出されていた。
床に座ったネギは、「落とし物」の短剣を手にし、その鋭い切っ先を喉に向ける。
そう、これでいい。
明日には刑が執行される。夏休みの魔法世界でも法廷でもその桁外れの実力を見せたネギへの刑罰執行には、
軍当局を中心に最大級の警戒がなされる。無論、ネギにそんなものを煩わせるつもりはない。
このまま生きながらえたとしても、
只のオコジョとして、あるいは何も考える事すら出来なくなって一生を終える事になる。
それなら、ここで終わっても同じ事。
事件が未確定で終われば、記録上だけでも、父の名を汚さずに済む。
英雄と言われた、ネギの生きる目標の全てだったネギの父、ナギ・スプリングフィールド。
先のない身ならば、その尊敬する父の偉業、父の名誉を自らの愚行により傷つけ汚す事が避けられるのならば、
この薄汚れた命一つ、喜んで差し出そう。もう、自分には何も無いのだから。
ネギに迷いはない、筈だった。
座り込んだネギの喉に、切っ先が触れようとする。
「千雨さん」
ネギの目の前に、千雨の怒った顔が広がる。
「****!!」
そして、怒声まで聞こえた様だ。
次の瞬間、ネギの目の前にパッと弾ける。
路上に広がる血の海チョークの人型祭壇の写真冷たい顔。
千雨の顔明日菜の顔このかの顔刹那アーニャネカネクラスのみんな次々と…
「うわあああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「どうしたあっ!?」
「うるせーぞおっ!!」
看守が駆け付けると、房の中でネギが短剣を振り回し絶叫していた。
「消えろおっ!消えろっ、消えろ消えろきえろおおおっっっ!!
知らない、僕は知らない、みんななんか知らない、もう、もう関係ない、
みんなだって忘れた筈、ちゃんと、記憶消された筈、会わせる顔なんてないんだあっ!
消えろおおおおっっっ!!!」
「何をしてるかっ!?」
「うるさいぞっ!!」
看守がわらわらと房に踏み込み絶叫するネギに組み付き取り押さえる。
「いやだああぁっっ!!死にたくない逝きたくないオコジョもいやだあっ!
千雨さんアスナさんこのかさんお姉ちゃんアーニャタカミチおじいちゃんカモ君助けて助けて助けて…
嫌だ嫌だ嫌だ助けて助けて助けて死にたくない死にたくない死にたくない…」
全身看守に組み付かれたネギの目の前に、ローブの老人の顔が見えた。
「嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない助けて助けてたす、け、て…」
老人が、ネギの胸から短剣を引き抜く。
「うむ、急の病にて、手配する様に。
…この様な記録を残しておいてはいつの日にか、旧世界との紛争原因にも…
…哀れな…」
靄の中をネギは進んでいた。
「…あ…」
ネギが足を止める。その前に、木の幹に背中を預け足を組んだ千雨が立っていた。
「よう、ネギ先生」
「千雨さん、じゃあ、ここは…」
「ああ、この先が三途の川だ。イギリス人に分かるかな?」
「そうですか、じゃあ僕は…」
「全部見させてもらった…何考えてんだこのクソガキはあっ!?!?!?」
再会早々、ガコンと鉄拳を打ち下ろしてネギの胸倉を掴んで絶叫した千雨は、
ネギがにっこり笑ったその目から涙が溢れるのを見た。
「…アハハ、やっぱり千雨さんだぁ…やっと…やっと会えた…」
「このバカガキ…あんなに、頑張って…てめぇの人生も何もかも台無しにしやがって…
私が…私のせいで…そんな事されて、私、私死んでも死にきれねぇだろ…」
「ごめんなさい。僕は、何も出来なかった自分が、自分が許せなかった。
だから、千雨さんのせいじゃない、だから泣かないで下さい千雨さん…」
「そんだけじゃねぇ、みんな、クラスのあいつらだって…」
「大丈夫です、それは、僕の事はちゃんと最初からいなかった事に…」
「ふざけんなっ!あんなに、あんなに楽しそうにバカやってたてめぇが、
そんな思い出、あんなキラキラした思い出が空っぽになる、
みんなの、あのノーテンキなあいつらのそんな思い出をみんなみんな無かった事にして、
それで大丈夫、それでいい筈ねぇだろっ!そんだけのもんだったのか先生にとってあいつらはっ!?
それに、そもそもそれが出来ない極めて珍しい体質の奴もいるってな。
見るか?見る義務あるぞ?毎日毎日明るく振る舞って、
誰にも気付かれない様に毎日毎日泣いてるの」
千雨に怒鳴られ、ネギは涙ぐんだ顔を下に向けて首を横に振った。
「バカガキ…ま、説教はここまでだ。私が変に意地張ったってのも多少はあるしな。
全部、見せてもらったぜ。しまいに随分派手に泣き叫んでたじゃねぇか」
「あはは…みっともない所お見せしました」
ネギが後頭部を掻いて笑うと、千雨はうつむいた。
「私は、死にたくなかった…」
「千雨さん?」
「死にたくなかった。
最後の方はヤな事ばっかだったけどさ、それでも、死にたくなかった。
あの変人クラスも、そん中のド変人クラスもちょっとは楽しめて、
ネギ先生と会って、これからだったのに、どうして、痛い、苦しい、辛い、
どうしてこんな事に、どうしてこんな所で、助けて、助けて助けて誰か助けて、ってさ、
それで、もう、こうなったらそんな連中とも誰とも会えない…
私は、死にたくなかった、この歳で、あんな所で、死ぬのは嫌だった。まだまだ、生きたかった…
…だから、いいんだよネギ先生。みっともなくって、いいんだよ。
えらそーな事言って、カッコ付けて笑って死ぬヒーローなんて、私は信用しない」
「僕は…父さんの事を、沢山活躍して英雄って言われた父さんの、僕は…最期に僕は…」
うつむいて首を振るネギを、千雨は静かに見た。
「どっかのオッサンが言ってたな」
「?」
「あいつなら…ナギなら、案外おんなじ事したかも知れない、
女一人のために、そんなバカやったかも知れない、そんな事言ってた気がした…」
「父さんなら…」
「ハズイんだよ、てめぇがんな事言ってるから言わざるを得なくなったじゃねぇかバカガキッ!!」
「あうぅー、ごめんなさい」
「さて、と、先生、形の上では他殺って事だから地縛霊にもならずに
一応あの世の裁きって奴は受けられるみたいだけど?」
「じゃあ、ここでお別れですね。
僕は地獄行きで決まってます。あんなに悪い事一杯したんですから」
「又、私を置いてくのかよ?」
笑って言うネギに、千雨がぼそっと言った。
「え?」
「又、私を一人にするのかよネギ先生…
ずっと、ずっとずっと待ってた、ずっと、ネギ先生が助けに来てくれるの待ってた。
ずっと、ネギ先生が、来てくれるの、待ってた…」
「千雨さん…ごめんなさい…」
「生きてる間は自分でも気が付かなかったけどさ、ずっと、待ってたんだネギ先生の事…
ネギ先生が、好きだから(ボソッ)」
「千雨さん?」
「一生一度で十分なんだ人生終わってるからって何度も言わすなガキッ!!」
「はうっ、ごめんなさいっ!」
「連れて行って」
「千雨さん、でも…」
「私のせいなんだネギ先生がなんて言おうと私のせいなんだ。
ネギ先生だけ地獄に堕として、私の心に天国なんてどこにもない。
ネギ先生とずっと離れ離れ、これ以上の地獄は、無い…
だからお願い、ネギ先生、ネギ先生と一緒に、もう嫌なんだよ、
一人は嫌なんだネギ先生と離れ離れなんて、もう、嫌なんだ」
「千雨さん…僕もです。僕だって、千雨さんと一緒に、ずっと一緒にいたい。でも…」
ネギが皆まで言う前に、千雨はネギを抱き締めていた。
「置いて、行かないで…」
ネギが、千雨を抱き締め、熱く深く、唇を交わし舌を交える。
「契約、これで、いいんだな?」
千雨の言葉にネギが頷いた。
「たった一人のミニステル、頼りないけどよろしくな」
「相手が閻魔様でも神様でも、僕が、千雨さんの事、今度こそ絶対守り抜く」
「言うじゃねぇかガキ」
千雨が、不安の隠せない顔に笑みを作る。
「こっちじゃ年も取んないみたいだし、モノホンの鬼相手に経験値上げ放題だなネギ先生。
あいつらがこっち来るまで大分ありそうだ、それまで地獄ぶん奪ってネギ・リゾートでもおっ立てて
牛魔王に玉面公主で君臨するか。あいつら来たら力ずくで橋掛けて地獄巡りにご招待だ。
じゃ、行こうかマスター」
「はいっ」
「ちょおーっと待ったああっ!!」
どちらともなく手を握り、顔を見合わせ不敵な笑みを浮かべて靄の中に消えていく二人の前に、
もう二人の美少女が立ちはだかった。
「だーれか忘れてないかな、ネギ君」
「ハルナさん、朝倉さん」
「お前ら…」
「そこまで道徳ぶっ千切っちゃうんだったらさ、妾の一人や二人セットにしてもお得じゃない?」
「そうそう、私たち、ネギ君あーんな事もこーんな事もしてくれたの、してあげたのとか、
ちょーっと忘れられないよねぇ」
「お前らなぁ…」
ハルナと和美の言葉に、ネギがおどおどと二人と千雨を見比べ、
千雨が拳をにぎってひくひく眉を震わせる。
「ま、魔法世界よりはクリア難しそうだし、連れてって損はないんじゃない?」
「ってなぁ朝倉、大体てめぇどうやってここ来てんだよ、仲良く地縛霊じゃねーのかてめぇは?」
「パパラッチの追跡能力甘く見ちゃいけないよ千雨君」
「説明になってねえっ!」
「で、どうする、ネギ君?さすがにのどか達来るまで待てないしさ…
私も、地獄行き確実だし、正直、一人キツイし…」
ハルナの語尾が段々小さくなる。
「しゃーねーだろ」
つんつんと両手の指先を合わせて千雨の顔色を伺っていたネギに、千雨が言った。
「元はと言えばこれ私の事件に巻き込んでんだ、妻妾同衾でもなんでもやってやろーじゃねぇかっ畜生っ!!」
「さっすが、ちうちゃん太っ腹っ!」
「ラブラブ本妻の余裕だねえっ!」
「るせえっ!」
和美とハルナの言葉に怒鳴り返した千雨が、嘆息して苦笑する。
「じゃっ!」
「お、おいっ!」
和美が、千雨の手を引く。
そこに、みんなの手が重なる。
「新・ネギパーティー…ファイトッ!!」
-この項・了-
最終更新:2012年01月28日 16:30