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もう走り始めて一時間は経っているだろうか。初めのうちは体中をドバドバと溢れるアドレナリンのせいか全く疲れを感じなかったのだが・・・いや、今も心は疲れてはいないのだが、体が意識とは裏腹にへばって来ているような気がする。『ハッ・・・ハッ・・・ハッ・・・』 懸命にストライドを伸ばし月夜の砂丘を走るぼく。目指すは砂丘の向こう。月明かりの下で小さく黒々とシルエットになった釣橋の櫓だ。だがまだ先は遠いし、同時に砂は深くなりサラサラと踏みしめるたびに崩れ、走りにくい。まだ興奮状態の脳が焦れば焦るほど、疲労している体をコントロールしそこねて足がもつれ、何度も転びそうになってしまう。 「ハッ・・・うわっ!! ・・・くっ!? ・・・」 今度は大きくつんのめり、辛うじて踏みとどまる。その時に自分の脇の下から背後を覗き見れば追跡してくる馬に乗った盗賊たちとの距離はもう当初の800メートルぐらいから400にまで縮まっている。思ったよりも接近していなくてホッと息をつくぼく。あんまり差が詰まらないのは、馬が砂底に沈んだ石くれを踏むのを嫌がってるらしく自らスピードをあげないみたい・・・あとこれが本当の正解なのかも知れないが、どうやら盗賊たちはぼくを嬲るつもりらしくジワジワと差を詰め、ぼくが必死でこけつまろびつする様子を楽しんでいるようだった。時おり、思いついたように馬鹿でかい弩を放ち、いきなり背中を蹴られたように驚いて走るぼくを眺め、下卑た歓声や嘲笑をあげている。それが乾いた空気に乗って伝わると悔しくってじんわり涙が出るけど囚われのお姫様の事を思って必死に走ることに集中する。 『ザシッ!! 』 「うわああっ!! 」脇腹を掠めた矢が足元の砂地に突き立つ。痛みより先に脇腹に赤い線が走る。そして痛みの前の熱い感触と供にぼくは悲鳴を上げて砂地に突っ込んでしまう。 「うっ、うえっ・・・ひぐっ・・・」 ぼくは糸が切れたように半べそをかきながら慌てて立ち上がる。汗ばんだ顔にべったりと砂がついている。しかも砂地に倒れこんだまま、思わず悲鳴を上げてしまったせいで砂が口に入ったせいで心の中も口の中もざりざりした。つばと一緒に吐き出そうとするが、乾ききった口には粘った唾液もなく、不快な感触のみが残る。そして、ついにぼくの脳も体が疲弊していることを認識してしまったらしい。一気に足は重くなり、口はカラカラ、酸素を求める肺は大量に空気を欲し、干からびた気管を痛めつける。 『辛い・・・』 『苦しい・・・』 頭にそれしか浮かばない。ノドが乾いているのに汗は遠慮なく滴り落ち、砂地に落ちるのをもったいなくも理不尽に思うぼく。ぼくは口から『ヒューヒュー』と息をしながらそれでも走ってる・・・ 『ぼくは頑張った、すごく頑張ったから・・・』 『もう走るのをやめて土下座したら許してくれるかも・・・』 という、イヤな囁きが耳に聞こえるようになる。その度に頭を強く振る。走りはいつしかつんのめるようになり、泳ぐようになり・・・でもスピードだけは落さないようにと、殆ど脅迫観念を持ったように走り続ける。口の端から涎が垂れたかと思ったら、泡を吹いていた。だけど今のぼくはそれを拭うこともできない・・・ 心の中の溢れんばかりの『辛い』『苦しい』という単語の代わりに『マナさま・・・』と呟くぼく。必死で何回も何回も呪文のように唱える。 「マナさまマナ様まなさまマナサマまなマナマナサマ様マナさま・・・・・・」 気絶する寸前で、何か突き抜けたような気配がした。 いつしか、心が不思議と静かになっていた。ただ、静かな湖面に佇んでいるような・・・魂が抜けて2メートルほど上空から自分を眺めているような・・・手足が機械的にすいすいと動く。響くのは自分の発する引き攣れたような呼吸音と『サクッ、サクッ』という砂地の上の足音のみ。乾いた風が頬を撫でて行く。すぐ側を時おり矢が飛来して行くが気にならない。 静かだ・・・ぼく、走りながらもう死んでいるのかな・・・と醒めた気持ちで思う。あながちその想像は間違っていないのか、走馬灯のような幻覚が飛来してくる。 義理に厚く、涙もろいリナ様がつんと澄ましてぼくを見つめる。母さんに手をひかれたぼくの弟がぼくを悲しげに見ている。厳しくて優しい、しっかり者のユナ様が花のように笑いかける。険悪な両親に挟まれておろおろしてるぼく。ヤル気のないポーズの下に隠れる美しいマナ様がぼくに叫んでいる。何を叫んでいるのですか?・・・異国の地で商社員の父さんと駅で待ち合わせているぼく。そして目の前が真っ白になるような爆発、巻き上がる人、父さん、ぼく・・・ 『タンッ!! 』 足元の固い感触がぼくを唐突に現実へと引き戻す。思わずガクガクとよろめいた。足元には草が所々繁殖して地面が締まってきている。 吹き飛ぶように五感が戻ってくる。体中の痛みを感じた。盗賊の叫び声が耳に刺さる。口に広がる砂の味は鉄の味。焦点が合った視界には、つり橋のやぐらの大きなシルエット。そして甘い水の匂い・・・ ぼくは来るときに半日かかった道のりを2時間弱で一気に走破していた。 「・・・や、やった・・・」 ぼくは四つん這いになって土手を這い上がる。最後の活力は水を欲した体が勝手に川へ向かってヒョコヒョコと動く。土手の上に広がるのは急流の川と村落。肝心のつり橋は・・・降りてる!!そして背後にはもはや50メートルほどに迫っていた盗賊達。盗賊達も足場が固くなったので馬の速度を上げて距離はみるみる縮まる。 「う、うわああっ!! ・・・」 ノドが焼けたせいで擦れた悲鳴を上げつつ、ぼくは慌てて斜面を転がり落ちるようにして・・・いや本当に転がり落ちる。そして寝静まった村落を駆け抜け、ついにつり橋をわたり始める。後ろを見れば急な土手の斜面で盗賊たちはまだもたもたしていた。 『早く渡って、向こうからつり橋を上げれば・・・』 よたよたと走るぼく。ネコ達が5人がかりで動かしていたほどの釣り橋だがやるしかない、と決意したときだった。 盗賊たちはつり橋には行かず、そばの櫓のそばに急行する。盗賊の一人が馬から飛び下りるとニヤリと笑って山刀を抜く。目の前には杭に結び付けられていたロープ。それはピンと張り詰めて斜め上の櫓の上に伸びている・・・ 「そらっ!! 戻ってこい」 盗賊の一人が刀を振り下ろしロープを叩き切る。 『バツン!! 』 張り詰めたロープが切れると同時に櫓の上に結び付けられた大岩がゆっくりとだが音もなくするすると櫓の中を落ちてくる。大岩を縛っている切れていないほうのロープはつり橋にのびていて・・・ 「うわああああっ!! 」 ぼくは叫ぶ。足元が『ガクン』と揺れたと同時にいきなりひどい立ちくらみに似たような感覚がぼくを襲う。倒れかけ手すりにすがり付いて左右を見れば上昇してる?・・・いや、つり橋が上がり始めていた。 「そ、そんな!? 」 手動よりも遥かに早い上昇スピードに慄きつつ、それでもぼくは必死でつり橋を走る・・・すぐにそれは登るようになる・・・35度近くなればもはやぶら下がるだ。下を見れば盗賊たちが転がり落ちてくるぼくを膾切りにしようと山刀を抜き、舌なめずりしている。 「くうっ!! ・・・」 ここまで来て死んでたまるかとぼくは最後の力を振り絞り、ついにつり橋の真ん中にたどり着く。角度はもはや45度、橋の根元を見れば殆ど絶壁のように見える。今度は慌ててぶら下がるように身を乗り出し、逆に前を見る。 「ああっ・・・!! 」 思わず絶望の叫び。そうなのだ、つり橋は両方上がりもう一端もすでに10メートル近く離れていた。その間にも自由への出口は着々と離れて行き、地獄への入り口は勾配と供に険しさを増していく。 「おらっ!!降りて来いや、指からどんどんみじん切りにしてやらあ」 「見苦しく命乞いしてみろよ!! 」 ギャハハハと笑う盗賊たち。ぼくはギリギリと歯を食いしばる。盗賊たちを振り返り、離れる端の先端を見つめ、そして渦巻く激流を見下ろす。ぼくは小さくうなずいて橋の突端にしがみつくように立ち上がる。騒ぐ盗賊たちの声が一瞬ピタリと止んだ。角度はもう60度。考えたのはほんの一瞬。 『・・・・・・ニコッ』 ぼくは『お前達の思い通りにはさせない』という思いを込めて微笑む。追いかけてくるなら来てみろ!! って・・・ 「ええぃ!! ままよ!! 」 と、学校でぼくの人生では使うことはないと確信しつつ覚えていたセリフを恥ずかしげもなく叫び、ぼくは一気に激流に身を躍らせた。落ちた水音や水しぶきは渦巻く激流の音にかき消され、無音世界のシーンのよう。 月明かりさえ吸収する黒い流れに飲み込まれ、すぐ見えなくなるヒト奴隷。水の苦手な盗賊たちは一斉に怯み川面に目を凝らす。 『ドウドウ』と渦巻く川。果たして『ぼく』の運命は・・・ (つづく)
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