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ライファスの正門から、商隊の馬車の列が旅立ってゆく。 前後を護衛部隊が警護し、交易品の他にも路銀や食料を積み込んだ、総勢二百人を超える集団は、白嶺街道を北へと向かい、オオカミの国やイヌの国を巡り、そして半年ほどで再び戻ってくる。 その馬車の列を見送りながら、ヒトの男とネコの女性が話していた。「うまく北方に販路が広がればいいけど」「北方は市場としてみればまだまだ未開拓の部分が多いにゃ。相手の需要を掴めば勝機は十分にあるにゃ」 その言葉に、ヒトの男がぽつりと呟く。「先行投資が多いから、相当儲からないと採算が取れないけど」「急いで儲けようとしないことにゃ。北方販路は新規開拓にゃから、序盤で躓くとそのまま終わるにゃよ。利益を取りに行くのは需要を固めてからでも遅くないにゃ」「ネコらしくない意見ですね」「南方販路とは売るものが違うにゃ。奢侈品や嗜好品はブームを逃さず最初からガンガン行ったほうがいいにゃ。北は衣服とか燃料とか、生活必需品を売りに行くにゃ。ブームに左右される南方販路に比べて、一時の儲けは少なくとも確実な売買を見込めるにゃ」 「だったら、得意先を増やしていったほうが得……か」「そうにゃ」「ネコってのは色々考えるんだ」 感心したようなヒトの青年に、指をちっちっと横に振って言う。「このくらい、商売人なら当然の発想にゃ。商売の本当の秘訣はこんなところで話さないにゃよ」「……そういうものですか」「なにしろ、猫井の野望はまだまだ始まったばかりだからにゃ」 腕を組んで、小さな胸を目一杯そらして言う。「これからの猫井はただの魔洸屋にはとどまらないにゃ。これからは政商として世界各国の国政に食い込んで、世界を裏から牛耳る闇の巨大権力を目指すにゃ!!」「…………」 言葉を失う人の青年。「大通りのど真ん中で白昼堂々不穏なことを言うなっ!!」 そう言って、ネコ女性の後頭部を思いっきりはたく手。「に゙ゃっ!?」 振り向くネコ女性の後ろには、いつのまにか長身のカモシカがいた。「な~んにゃ、リュナじゃにゃいか」「なんにゃじゃないっ! まったく、商売の秘訣はしゃべってもいいから、そういうことこそ黙ってろ!!」 リュナ・ルークスだった。「まったく、大通りでそんなこと言われてたら危なっかしくておちおち癒着もできない」「そっちも人聞きの悪いこと言ってるにゃ」 そんな二人のあいだに、おそるおそるヒトの男が口をはさむ。「その、ルークス卿……」「ん? なんだい、ナオト君」「出てきてもいいんですか?」 ライファスに移送された後は一応、軟禁状態に置かれているはずのリュナ。本当は、城内でおとなしくしておいたほうが良いに決まっている。「……街中歩くぐらいはいいだろ。朝から晩まで城の中だけでいたらカビが生えそうだ」「インキンにゃのか?」「違うっ!」 全力で否定しながら裏拳を振り抜いた。 「しかし、さすがは猫井というべきなんだろうな」 真新しい紡績工場を見ながらリュナが言う。「正直、あれだけネコ襲撃が続けば、猫井が残るとは思ってもみなかったからな」「尊王攘猫のスローガンはリュナが考えたのかにゃ?」 その問いに、苦笑して首を横に振る。「あれは僕じゃない。そもそも語呂が悪すぎる。ソンノウジョウビョウはいくらなんでも舌噛みそうだ」「まあ、それは確かににゃ」「……とはいえ、その雰囲気を作り出したのは僕だ。だからこそ、ここで猫井が踏みとどまるとは思わなかった」「それが甘いにゃ」 人差し指を突きつけて、ネコ女性が言い切る。「ライバルがみんないなくなってるにゃよ。作物を高値で売りつけてくるネコ地主もいなくなって、残るのは商売下手のカモシカ地主ばかり。これはむしろ絶好のチャンスと考えるにゃ」 「しかし、襲撃されたら元も子もないだろ」「襲撃ぐらい、自前の戦闘力を持っていれば問題ないにゃ。猫井の強みは他国の環境に依存しない独自の経済力と戦闘力にゃ」「……だったな」 そう。確かに、それが経済の根源を他国の土地や王権に依存せざるをえないこの国における旧来のネコ地主や経済官僚とは異なる猫井の強み。 コタツで築いた巨万の富を背景にした資金力と、もはや私設軍と読んでも差し支えない護衛戦力。それゆえに、市場環境の変化に戸惑うことなく自由に動くことができた。 「ちょうど、北に新しい市場を作りたいところだったしにゃ。狙いは生活必需品。相手が生きるためには欠かせないものを一手に握れば、こっちが強気に出られるにゃ」 「つまりは衣食住か。で、そのうちの衣服に目をつけたと」 リュナの言葉に頷いて言葉を続ける。「だいたいこの国は今まで、交易がネコ相手の奢侈品や嗜好品に偏りすぎてたにゃ。ブームが過ぎれば嗜好品は弱いにゃよ」「そうだな」「北は寒いからにゃ。かといってコタツを変えるほど金のある人もいないし、何より魔洸のインフラがさっぱりにゃ。だったら安くて手ごろな暖かい衣服を売ればいいにゃ」 「薄利多売路線か」「それも一つの手段にゃよ。そのための工場にゃ」 国営工場ではあるが、猫井が少なからぬ資金提供を行い、共同経営と言う形を取っている。 ネコに対する感情的しこりも考慮して、猫井からの幹部陣はネコ以外の種族が多い。 そして、裏で計画を立案し実現にこぎつけた人物はというと、毎朝の経営会議に顔を出すことさえせずに、こうして大通りで話をしている。「ところで」 ナオトが尋ねた。「ルークス卿とミスティさんはいつお知り合いに?」「……いつ、だっけ」 すこし考えるリュナに、ミスティと呼ばれたネコの女性が答える。「一昨年にゃよ。ヒトの仕入れ交渉のときにゃ」「……ああ、それだ」「ヒトの仕入れ?」 ナオトが尋ねる。「あのころ、加齢で容色が衰えたり、主人が使いすぎて、性奴としては少々使えなくなったヒトを安値で買い取って、フロミアに運んでたんだ。何しろ、ヒトだってこの山中にそうそう落ちてくるものでもないし、こっちの予算も限られてるから、そういうのを安く仕入れ……いや、悪いとは思ってる」 ナオトの表情が険しくなるのを見て取ったリュナが、慌てて謝る。「そう怒るにゃよ。それまでは壊れたヒトは捨てられて人知れず野垂れ死ぬことだってあったんにゃよ」「……でも」「いや、言いたいことはわかる。僕も無意識のうちに“商品”として話してた。……その、まあ、つまりはそういう、捨てられかけたヒトを捨て値で買ってはフロミアで集めてたんだけど、奴隷商人の闇ネットワークとか、縄張りがらみのトラブルが意外と厄介で。まあそれで、どうせなら大手と組んで、ヒト売買を表の市場に引きずり出そうとしたのが始まりだ」 「それで、こっちもヒトビジネスに乗り出したかった時期だったし、ヒト売買を奴隷商人の個人的つながりが強い闇取引から、表の市場に引き出したいのは同感だったから利害が一致したにゃ。売り手としては高品質なヒトの安定供給という点で、フロミアを持つこの国を利用しない手はなかったにゃ」 「まあ、そんなこんなで今では猫井を介して、いわゆる“中古”のヒトをフロミアとかに運び、若い養殖ヒトを他国で売るというのが一つのビジネスとして成り立ってるんだが……ナオト君にはやっぱり納得しがたい話かもしれないね」 「いえ……頭じゃわかってるんですが」「でも実際、これというスキルのない老いたヒトの受け入れ先と言うのは世界でもフロミアとか、まあ今ならあの紡績工場があるけど……それくらいしかないのが実情なんだ。労働力としてみたら、ヒトを雇うよりイヌを雇ったほうがずっといいから。……そうなると、あとは捨てられるか、怪しげな人体実験のモルモットにされるかしかない」 リュナの言葉に、ナオトがたまりかねたように反駁する。「それでいいんでしょうか」「良くないに決まってる。けど、現実として一朝一夕にその手の社会保障を充実させる国力はこの国にはない。そもそも、この国よりはるかに経済的に優れているネコの国にしてなお、社会保障と言う概念自体がヒト社会と比べてあまりに未熟だといわざるを得ない」 「猫井もボランティアじゃにゃいから、そうそう金にならない事業はできないにゃ」「そう……ですよね」 力なく頷くナオト。冷たくても、それが現実なのだろう。「ただ、紡績産業ではたぶんこれから、イヌよりヒトの雇用率を上げていくはずだから。こと繊維産業に関しては、労働者の獣毛の混入はかなりまずい。こんなこというと獣種差別だといわれそうだけど、本音として繊維業の労働者は毛深くない種族がいい」 「そうだにゃ。だからこれからはヒトの就労率が増えると思うにゃ」「まあ、何事にしても第一歩がなきゃはじまらないし。いまはたかだか数棟の紡績工場だけど、それなりの数のヒトを受け入れる場所が出来たというのはこれから先、ヒトにとっても、そしてヒトビジネスを展開する猫井にとっても大きいはずだ」 「……そう、ですね」 一見、ヒトのためを考えたような言葉の裏にある、ヒトにたいする“商品”と言う目。比較的ヒトに対して開明的な部類に入るであろうリュナでさえ、その旧来の認識から脱却しきれていない部分はある。 それはこの世界の人間にとっては当然の認識なのだろうが、ナオトにはいまなお抵抗がある。 それでも、それを押し殺して頷くしかない。確かに、ヒトの受け入れ先として考えた場合、与えられたそれを失うわけにはいかないのだ。「……ところで、三次隊がリュナ宛の手紙を持って帰ってきたにゃよ」 話が途切れたところで、そう言ってミスティが封筒に入った手紙を取り出す。「……って、封を開けただろ」 その後ろを一目見て、リュナが苦い表情を見せる。「当然にゃ。リュナは裏で何してるかわかんないから、安全のためにゃ」「プライベートってものが……」「却下にゃ」「……ぉぃ」 不満げなリュナに指を突きつけて言う。「大体、表では揉み手で猫井に近づくくせに裏でネコ襲撃を計画するような奴、信頼できるはずがないにゃ」「ちょっと待て、地主を襲えとは進言したが商隊襲えとは言ってないぞ」「結果は結果にゃ。その結果として起きたネコ無差別襲撃の責任はリュナにあるにゃ」「いや、しかしだな……」 困り顔のリュナを見て、ミスティが満足気に笑う。「ふっふっふっ、これから一生言い続けてやるにゃ」「鬼かっ、おまえは!」 実際のところ、そうは言っても猫井にも表の顔と裏の顔はある。 表で握手をしながら裏で潰しあうのが普通の世界に、リュナもミスティもいる。 おそらくこの三人の中では、ナオトがもっともそういう権謀の世界とは縁遠い場所にいるのだろう。「……でもまあ、北方も軌道に乗せられそうだな。内乱さえとっとと終われば、この国のサパン・ニャン……道路網を生かした南北交易で儲けられるんだが。……そしてその先には、山を切り崩して東西に幹線道を伸ばしての十字貿易」 「けど、そう簡単には終わりそうにないにゃ」 ミスティがかぶりを振る。「早急に終わらせたかったんだが」「長引いて武器が売れるのも悪くはないにゃ」 ミスティの言葉に、こんどはリュナが言う。「こっちは金がいくらあっても足りない」「だからああやって、商売のやり方を教えてるにゃ」「結局儲けてるのは猫井じゃないか」 女王派は猫井と提携した紡績産業で北方に市場を広げ、猫井と折半した利益を得る。 で、その利益を使って今度は猫井から武器を買う。……誰が一番儲けているか、子供でもわかる。「それが商売にゃ」 悪びれる様子もないミスティ。「第一、そっちも損はしてないにゃよ。旅費を差し引いても確実に黒字が見込めるんにゃから」「損させられてたまるか」 そう言って、リュナは城の方に戻ろうとする。「でもまあ、とりあえずこいつを読みに帰るよ。場合によったら商売どころの話じゃなくなるかもしれないし」「なかなか面白い話だったにゃ。こっちもあとで総研に調査依頼しとくにゃ」「……そういや、ミスティは中身勝手に読んだんだよな」「秘密にするようなことでもなかったにゃ」「そういう問題じゃないだろ!」 ツッコミを入れてから、城へと戻るリュナ。 残されたナオトが、ミスティに尋ねる。「あの手紙、何の話だったんですか?」 その言葉に、ミスティが答える。「地震にゃ」 ◇ ◇ ◇ 戦争が社会の発展を促進するというのは、少なからぬ皮肉を込めた言い回しではあるが、全くの誤謬でもないのだろう。 武器や兵器を買ったり、傭兵を雇ったり、功を上げたものへの報酬や防衛線の補修費、その他ともかく金がかかる。 そのせいもあって、女王派、王弟派のどちらも、血で血を洗う争いの裏では外貨獲得のための商隊の派遣および招聘、そして交易に必要な特産品の開発に力を注いでいた。 カモシカの国から北へと伸びる白嶺街道を通じて行われる、オオカミの国やイヌの国との交易。 寒冷の地に位置する両国との交易で主交易品となるのは、ハトゥン・アイユ特産の綿花を使った綿織物である。 南方のネコの国や獅子の国との交易で主力となるのはカカオやコーヒー、タバコにピメントといった奢侈品であり、ヘビの国との交易では、砂漠では育てにくいトウモロコシやジャガイモなどの食料品が主となる。 が、北方諸国やイヌの国との交易では、そのようなものよりもまずは身を切るような寒さから体を守る衣服こそが最も重宝がられる。 そのせいもあって、白嶺街道を通じての交易が盛んになるにつれ、カモシカの国では織物産業に力を注ぐようになっていった。 ナオトとリュナ、そしてミスティが話していた今と言う時期は、ちょうどそんな時期だ。 しかし、今でこそ主力交易品の一つとなっているこの綿織物だが、元からこの地で発展したものではない。 はるか以前、何かの理由でヘビの砂漠を逃れてこの地にやってきたヘビの民の一種族、ククルカン氏族から教わったものという。 元来、織物に長けた種族であったククルカンの民は、はじめてこの地を訪れたその時、精緻な織物で身を飾ったその形容から、羽毛まとう蛇と称された。 やがて時の王に請われてライファスに移った彼等は、その技術で王族や貴族の衣服を色とりどりに作り上げ、美しく飾り立てている。 王はその出来栄えを絶賛し、彼等に永住権と王族の衣服を一手に作ることを許されたという。 それゆえに、ククルカン氏族の子孫は今なお織物を伝えた者の子孫、そしていまなお、この地の織物業の長として、この国では高い地位を与えられている。 そのククルカン氏族の伝承の中に、セトの寝返りという伝承がある。 いまだ永い眠りの中にいる龍神セトは、400年に一度、大きく体を揺らし、大地を揺るがすというのだ。 そのとき、地は砕け建物は砕け、炎が町を焼き尽くすという。 ハトゥン・アイユの地に住まうククルカン氏族の者は、一人の例外もなく皆その伝承を信じ、子々孫々と伝えている。 だが。 奇妙なことに、この逸話が伝わるのはヘビの諸種族の中でもククルカン氏族しかいない。 最近、交易や傭兵などでカモシカの国を訪れるヘビの諸種族の誰として、そのような伝承は伝わっていないという。 無論、セト信仰はそれぞれの種族によって細かな伝承の違いはある。しかし、多かれ少なかれ、どこかにそれぞれ、似たような逸話は残っている。 一種族にだけ伝わり、それ以外の種族では聞いたこともないという伝承は極めて珍しいものといえた。 その節目の400年目があと数年に迫っている。 リュナ・ルークスがその伝承を知ったのは、ライファスに移送され、軟禁状態に置かれた後、ふとしたことからククルカン氏族の少年と知り合ったことからだった。 「…………」 リュナ宛に送られてきた一通の書状。 あてがわれた部屋でそれを読みふける彼に背中から声が聞こえた。「何の手紙だい、リュナ」「ああ、くーちゃんか」 その言葉に、ぶーと口を膨らませ、尻尾をぱたつかせて抗議の意を見せるヘビの少年。「くーちゃんて言うなぁ。それより、何の手紙?」「この前教えてくれただろ、セトの寝返り。その件でちょっとね」「リュナ、信じてくれてたの?」「半信半疑。ただ、あと何年で寝返りが起こるといわれたら気にはなる」「なーんだ」 半信半疑と言われて、ちょっとがっかりしたような声を出す。「ただ、この手紙を読む限り、十分に信憑性はあると思い返した」「ほんと?」 一転して嬉しそうな声。「……もっとも、神様とは無縁の話かもしれないけどね。ただ、伝承自体は十分な根拠があるっぽい」「……それって、喜んでいいの?」「ウソツキと呼ばれるよりはマシだろ」「そりゃあ、そーだけど……」 まだすこし不満げなヘビの少年……くーちゃんに噛んで含めるようにリュナは言う。「僕が思ったのは、400年に一回の周期で、おそらくはこの近辺……ハトゥン・アイユだけで大きな地震が起きているんじゃないかということだった」「地震……」「恥ずかしながら、この国では歴史の記録がさっぱりだから、過去をさかのぼって検証することは出来ない。だから、別の方面からそういうことがありえるのかと言うことを調べたかった」 「それが、その手紙?」「うん。イヌの国、スキャッパーに出していたんだが、その返事が返ってきた」「スキャッパー?」「風の噂では、あの地の執事さんはヒト……それも、めっぽう地震の多い国の出身らしい。だとすれば僕たちの知らない知識を持っている可能性があるから。……まあ、事前に何の話もなしに送った手紙だから、実際には直接執事さんまで届かないかもしれないけど、その近辺にいる人なら、何かしら知ってるんじゃないかと思ってね」 「それなら、なにも山一つ越えた向こうに手紙を出さなくても、フロミアで……」 その言葉に、リュナはかぶりを振る。「よりによってエグゼクターズ監視下のフロミアに手紙を出せるものか。リュナ・ルークスがここにいるということを、特にエグゼクターズにだけは知られたくない連中が約数名いるから。間違いなく途中で握りつぶされる」 「それで」「その点、よその国に手紙を送るなら、こわーい軍人のお姉さんや、油断も隙もないネコの商人がなんとかしてくれる。……まあ、一番の問題は過去のいざこざ……それもかなり洒落にならないいざこざがあったから、向こうが返事を返すかどうかわからないということだったけど、この手紙に僕たちだけじゃない、ヒトの命がかかってるとなれば……ね」 そう言って、ふっと笑う。「で、どうだったの?」「……かいつまんで説明すると、だな」 そう前置きして、リュナは話し始めた。 僕にもにわかには信じがたいことだけど、この大陸はずっと昔……何千万年とかの昔、東西に分かれていたらしい。 そのころは、イヌの住むル・ガルのあたりは海の底だったと書いてある。 それが、ぷれーとてくと……なんとかっていう働きで、東西二つの大陸がすこしづつ近づいていった。一年に指一本ぐらいのすごくゆっくりした速度でね。 そして、左右の大陸から押しつぶされるようにして、その二つの大陸の間にある海がすこしづつ盛り上がってきた。 水深がだんだん浅くなり、やがては海の底だった一帯は、東西からの圧力で水面より高い位置まで持ち上げられて陸地となって、そして東西二つの大陸は陸続きになった。 そして、その後もさらに二つの大陸は東西から近づいてゆき、ついには海の底だった場所は、二つの大陸に近い場所から持ち上げられるようにして、やがて二つの山脈になった。 「……それが、ル・ガル東西の山脈?」「そういうことらしい。まあ実際、山のてっぺんから貝殻が見つかったりしてるしね」「……で、それと地震にどんな関係が?」「つまり、大陸が二つ、ものすごい力で東西から押し付けられるわけだから、圧力がどんどんたまっていく。で、その圧力が限界を超えたとき、地震が起きる……」「よくわかんない」「まあ、僕も受け売りで話してるからきちんと説明できないんだけど、結論だけ言うと、400年周期で大地震が起きることは理論上十分にありうる、ということだ」「じゃあ、やっぱり本当なんだ」「……って、喜んでいいのか?」「え?」「地震が起きたら、建物が崩れて死んじゃうかもしれないんだぞ」「あ……」 その言葉に、我に返るくーちゃん。「ま、それでだ。とりあえず地震対策で何かしらできる事はないかってのもいくつか書いてあるんだけど、実践できるかどうかはこれからの課題だな。なにしろ、こっちはその手のノウハウはさっぱりだし、何よりも問題なのは、お偉いさん達が真に受けてくれるかってことだ」 「真に受けるかって?」 「なにしろ、一部族にしか伝わらない伝承と、世間一般ではまだまだ見下されがちなヒトの知識が元だからな。その上、伝える奴は元王弟派なうえに現在軟禁中の僕と来ている。傍目には何とかの大予言並みに信憑性がないんだから、頭の固い人たちに説得するには、もうこれ以上ないくらいに最悪の状態だ」 「……確かに最悪だね」「ま、それでも何とかしなきゃなんないんだけどね。……ゆっくり考えるとするよ」「リュナって、意外とのんびりやさんだよね」「よく言われる」「だよね。そんな感じだもん」 無邪気に同意するくーちゃんに、ちょっとだけ苦笑いする。 リュナのもう一つの顔をこの少年は知らない。「じゃ、また遊びに来るね。僕はリュナと違って忙しいから」「はいはい」 暇人扱いされて苦笑するリュナの背後で、しゅるしゅるという音が扉の向こうに消える。 少年が去った後、リュナは手紙の最後の部分に目を通した。 そこだけは、それまでの事務的で丁寧な筆跡とは違う、すこし速い筆致で書かれていた。 おそらくは、この手紙を出すときに最後に思い立って急いで書き加えたのだろう。 「災厄の恐ろしいのは、財産を奪うことでも生命を奪うことでもなく、過去を奪うことです。 財産を失うのは惜しいことですが、また蓄えることもできます。 大切な人を失うのは悲しいことですが、また新たな生命も生まれいずるでしょう。 しかし過去を失ったとき、人は寄る辺を失います。 長い時間をかけて積み上げてきたものを災厄は一瞬で奪います。 人生をかけて積み上げてきたものを奪われる、それが過去を奪われるということです。 過去を奪われたとき、人は驚くほど脆いものです。 自らの積み重ねてきたものを一瞬で失うという理不尽に面したとき、人は惑います。 自分のやってきたことは無意味だったのではないかと迷い、自分は何も出来ないのだと苛み、そして再び奪われるのではないかと怯えます。 そして、再び立ちあがることを怖れるのです。それこそが、災厄の最も恐ろしいことなのです。 ですが、災厄に襲われ、貴方が自分を疑いかけたとき、もう一度自分の歩みを振り返ってみてください。 たとえ目の前に形として残っていなくても、貴方の歩んできた過去は、本当は消えたわけではありません。 歩んできた道、積み重ねてきたもの、その全てが形として残るものではありませんが、しかしその時間は確かに存在していたことを見失わないでください。 貴方がそこにいて、貴方と共に時を過ごした者がこの世界のどこかにいる。それだけで、貴方の歩んできた道は確かにそこにあると思います。 かつて貴方が未来に何かを求め、そのために一歩を踏み出そうとしたときの想い。それを志と言います。 貴方の積み上げてきたもの、たとえその形は理不尽に砕かれることがあろうとも、貴方に志が残っている限り、いかなる災厄も、本当は貴方の過去を奪う力はないのです。 いえ、それどころか、貴方と共に時を経たものがいれば、志はきっと受け継がれて、広がってゆきます。 そう考えるならば、災厄は実は無力な存在なのです。なぜならば、貴方の生命を奪うことですら、災厄は貴方の歩みを止めることはできないのですから。 そして、再び立ち上がったならば、あとは迷わないでください。 災厄で大切なものを失った人の中には、それでも立ちあがろうとする貴方を疑うものもいるでしょう。それどころか、敵意を向けてくるものさえいます。 それでも、怖れないでください。 必ず、貴方を信じる人が現れます。貴方とともに歩むことを選ぶものが集います。そして、それはすこしづつ確実に増えてゆきます。 なぜなら、本当は、誰もがもう一度立ち上がりたいからです。災厄に屈服するのが嫌だからです。それなのに怯えが先立つために、立ちたくても立てないのです。 それでも一人では立ち上がれない人のために、貴方が彼等の寄る辺となるならば、どうして彼等はいつまでも災厄に屈したままでいるでしょうか。 それが、人と言うものの力、集団と言うものの力だと私は思います」 「…………そうだな」 しばしの沈黙の後、一言、リュナはそうつぶやくと、その長い手紙を封筒にしまい、机の中に入れた。 ◇ ◇ ◇ 同じころ、ライファス宮殿の奥深くにある地下牢。 ベッドの上で、女が裸身のまま後ろ手に縛られ、自由を奪われたままやや老いた男に抱かれている。 縄で上下から絞られた乳房を指が這い回り揉みしだかれるたび、猿轡を噛まされた女の口からは呻くような喘ぎが漏れる。 そしてそのまま、先端の突起を指で摘まれ転がされると、耐え切れないようにびくりと体を震わせた。 汗ばんだ肌が蝋燭のほのかな明かりに照らされる。 諦めきったような虚ろな表情で、されるがままに裸身を嬲られているのは、囚われの身の女王エリザベート。 そして、かつての主だった虜囚をいいように弄ぶ男は、大臣ギュレム。「んっ……」 目を強く閉じ、体をこわばらせて愛撫に耐える姿を楽しげに眺めつつ、片方の手を下腹部に運び、股の下に通された二本の縄に指をかけ、軽く引っぱる。「んんっ!」 媚薬を吸った股縄が秘裂をこすり、肉の芽を蹂躙すると、悲鳴のような喘ぎ声が漏れた。 媚薬と蜜で濡れきった股縄を、まるで玩具でも扱うように指でくいくいと引っぱると、縛られ、自由を奪われたた裸体はまるで釣り上げたばかりの魚のように跳ね、暴れる。 それを押さえつけて、もう一方の手で乳房を愛撫すると、言葉にならない悲鳴を上げて逃れようとするが、しかし両手足を縛られたままではどうすることもできず、ただ身をよじって悶えることしかできない。 「良い声で鳴く」 耳元で、あざけるようにギュレムが言う。「王としては論外だが、お前は特上の娼婦だ」 その言葉に、耐え切れないように顔を横に背けるが、ギュレムの指が再び乳房を弄ぶと、嫌がりながらも身をよじって悶える。 そして、唇の端から否応なく甘い官能の声を漏らす。「縛られて悦ぶとは、なんという淫乱」 股縄を弄びながら、耳元で続ける。「んん……」 猿轡を噛まされて言葉を発せないエリザベートが、それでも首を横に振って否定しようとする。「このような音を立てておるのに、いまさら淑女のフリをするか」 縄をなぞるように、指で陰部をまさぐり、縄の結び目を押し付けるようにして転がすと、じゅぷじゅぷという濡れたような音が漏れる。「おうおう、このように濡らすとは」 とろりとしたものがついた指を、見せ付けるようにエリザベートの眼前に持ってくると、それを彼女の頬に塗りつけた。 汚らわしいものでも避けるように、首を横に背けてそれから逃れようとするエリザベートの姿に、あざけるように笑う。「自分で出したものではないか。嫌がることもなかろう」 そう言って無理やり抱き寄せると、愛液のついたままの手で乳房をまさぐる。 乳房を上下から絞る縄をなぞるようにして弄ぶ指が、下からなで上げるようにして乳頭に触れ、そこを爪で掻く様に責めると、短い悲鳴と共に体をのけぞらせて悶えた。 「この指が憎いか、ん?」 桃色の突起を嬲りながら問いかける。「それとも、もっと苛んでほしいか」 もう一方の手が、再び股縄を引く。「ん……んあぁ……」 その刺激に耐えられず、とうとう声を上げて果てるエリザベート。「……うぁ……」 漏らした愛液が、縄の隙間からふとももを伝い、シーツにしみを作る。「もう果てたか。くく、一度は玉座にもいた女が、とんだ好き物よのぉ」「…………」 恥辱に涙をこぼすかつての女王に、容赦なくあざけりの言葉を投げかける。 一年近い監禁の間に、女王の殻の中に潜む雌を暴き出された肉体。媚薬に漬け込まれた縄で圧迫され続けた陰部は、指が触れる前からじわじわと疼き続け、ひとたび指が触れれば、軽くなぞるだけでも電流のような刺激を走らせた。 発情期の雌が発する、独特の淫靡な匂い。汗と共に発するそれが狭い地下牢の中を満たす。「このような売女が一度は女王になっていたと知れては、民草はどう思うことか」 うつぶせにさせ、尻を上に向けさせると、縄目の横を蜜をすくうように指でなぞる。「んんっ、んん……」 嫌がるように身をよじられ、陰部を隠そうと無駄な努力を続ける雌は、しかしその動き自体がこの上なく淫らに映ることに気付いていない。「何を嫌がる? そなたはこのように貝をひくつかせて、もっと欲しがっておるではないか」 すっかり濡れた股縄を、無理やり尻側に引き上げる。 そして、結び目を指で弾くようにして動かすと、あとからあとから蜜があふれてくる。「ほれ、人前でこのように漏らして、はしたない」「………っ、んあぁ……あぅ……」 猿轡をかみ締めて声を殺そうとするが、すぐに耐え切れなくなって嗚咽交じりの喘ぎ声をあげる。 そんな健気な姿を愛でるように眺めながら、ギュレムは無抵抗の虜囚を弄び続けた。「…………」 やがて、幾度かの絶頂の末に気力も体力も失い、意識を失ってぐったりとするエリザベートを引き寄せると、ギュレムはようやくエリザベートの股縄をほどいた。 凌辱と媚薬と縄の刺激のせいで赤く腫れたようになっている恥部があらわになる。 そこを、舌で舐め上げるとエリザベートの肢体がぴくんと悶えた。 長い舌がべろりと陰部をなぞり、唾液を塗りつけられるたび、切なげに腰を動かしてくる。 意識を失った女は、本能のままに快楽を求め、小さな尾を動かし腰を近づけてくる。──佳き女だ。 女王の仮面を剥ぎ取った下にある、淫欲に溺れ、自らを捕らえた敵にまで淫らな匂いを発する若く美しい雌。──わしのものだ。 舌を離し、姿勢を変えると下帯に手をかけ、そそり立つ分身を露にする。「わしの子を孕ませてやろう」 言いながら、芳香を放つ雌に肉棒を突き立てる。「わしが再び女王の座につけてやる」 欲望のままに犯しながら、高慢な言葉を投げる。「わしの子を産むのだ。そしてわしの子を王につける。お前は永遠にわしのものだ」 その言葉は、意識を失いされるがままに犯されるエリザベートの耳に届いていただろうか。 ──気分が悪い。 地下牢から本宮へと戻る長い地下廊下を歩きながら、シゲルが語りかける。──あんな下種野郎を、いつまで生かしとけばいい。(……落ち着いて。あの男を利用するのが任務の鍵よ) 不快感をにじませながら、それでもエルシアが言う。──任務は任務だ。偶然“不慮の事故”が起きるくらいはいいだろう。 自分より弱い者だけを蹂躙する、本当はさほど強くもない男。そういう男の増長した姿を見るだけで、シゲルは虫唾が走る。(……気持ちはわかるわ。だけど、殺すのはいつでもできる。いまは落ち着いて)──くそっ……(ごめんなさい)──エルシアが謝る必要はないさ。悪いのはあの糞外道だ。 ほんの数日前、あの男はエリザベートの異母妹であるローザも手篭めにしていた。 世間知らずな王女を言葉巧みに脅し、その肢体を食い物にしたばかりである。 その時の醜悪な光景が、脳裏に浮かぶ。──今はいい。だが、いつか……用済みにさえなれば、俺がこの手で切り捨てる。 ぎゅっと、無意識のうちに拳が強く握られる。(そうね。そのときまでの我慢よ) 話しながら廊下を歩いていると、向かいから人影が近づいてきた。「ご機嫌斜めね、義兄さん」 濃紺の軍服の女性……ベリルだった。「機嫌も悪くなる。ああいう手合いは一番腹が立つ」「そうね。でもどこの国にもいる、最低の男よ」 ベリルが同意する。「……いつになれば、あいつが用済みになる」「すこし先になるわ。私達がこの地を手に入れるためには、傀儡が必要よ。あの男は早くからわれわれに接近して、自らが走狗となることさえ望んできた」「売国奴め」「義兄さんは潔癖すぎるのよ。今の世の中、力を持つものはもっと醜い欲望で動くわ」「それが間違ってるんだ」「たとえ間違ってても、現実は現実よ」「くそっ……」 短く舌を打つシゲルに、ベリルが言う。「それよりも」「何だ?」「上の動きが読めないわね」「……もともと、俺たちは駒の一つだ。俺たちの知らないところで動いているものもいるだろう」 シゲルの言葉に、ベリルはなお小首をかしげるように言う。「それにしても、矛盾が多いわ。私と義兄さんでさえ、違う目的のために動いているようにさえ思える」「……確かにな」 内乱を終わらせるため、シゲルはシャリアを殺害した。 内乱を続けさせるため、ベリルはリュナを移送した。 全く正反対の目的を伝えられ、そのために、ほとんど同じ時期に二人が手を組むように動いている。「……どこまで、私達は本当のことを知っているのかしら」「さあな」 そっけなく答えるシゲルと、そんなシゲルの目を見つめて問いかけるベリル。「義兄さんは、それでも上を信じられる?」「イヌらしくない言葉だな」 その言葉に、うつむき加減でベリルは答える。「私は、上がどんな目的で動いてても、それに黙って従うわ。それは、私がイヌだから。でも義兄さんは……」「……いまは、まだわからない」 言葉を濁すシゲル。「……何もわからないんだ。下手に動けない」「そうね」「ベリルとはできるだけ連絡を取るようにするよ。そこからなにかつかめるかもしれない」 そう言って、シゲルは歩き出す。 歩きながら、エルシアに問うた。──俺は……(なぁに?) すこし思いつめたような表情で、続ける。──六局に、勝てるか。(えっ……?)──俺は“本物”に……“腐肉喰らい”に勝てるか?(……それは……) エルシアはすこし考え、しかしすぐに言った。(たぶん、無理。六局の構成員は五局と同等……私達とは根本的にスペックが違う、文字通りの殺戮兵器よ。それが、敵を確実にしとめるために複数で行動する……さらには過去の戦闘データを共有して頭脳に詰め込み、数千回の殺戮経験を積んでいるに等しい。私ならとても、敵に回そうとは思わないわ) ──だろうな。(シゲルは……どう思ってるの?)──わからない。ただ、聞いてみただけだ。正直……どうすればいいのか迷ってる。(そう……)──この命と肉体は俺だけのものじゃないんだ。だから……俺は死ぬのが怖い。今は死にたくはない。(いまは、任務に従うほうがいいかも。むやみに動かないほうがいいわ)「……そうだな」 今は、そうするしかないのだろう。 首都ライファスのあちこちで、それぞれの思いが交錯しつつある。
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