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――バレンタインから三日後――青龍殿の茶室「ほうほう、ハルがそんなことにのう」 先日の『まさかの逆チョコでハルおおよわり』の顛末をアルマから聞きながら、龍王様は朗らかに微笑んだ。 話しているアルマの方は茶釜に向かって正座し、器を清めるため静かに湯を注いでいる。今日の彼女は普段と違い狐国の物とおぼしき薄青の着物を身につけており、知らぬ者が見ればモンハナ種かと思うような落ち着いた華やかさを備えていた。「そのあとで私がチョコを渡したのですが、感激のあまり私の手を握って『ありがとうありがとう』と鬱陶しいくらいでした……いえ、もちろんチョコは義理だったのですが」「ほっほ、義理じゃ本命じゃとこだわるあたり、アルマも乙女じゃの」「からかわないで下さい」 器に続いて茶筅を清めた湯を静かに建水に捨て、残った雫を茶巾で拭き取ると、アルマは茶入れと茶さじを手に取った。「その着物もよう似合っておるし、そんなに恥ずかしがることもないじゃろうに…うむ、カール君は実にいい趣味をしておる」「贈られた以上は袖を通さないのも勿体無いと思っただけです。もっと似合う娘がいればさっさと譲るつもりです」「ふむ、ならば当分はアルマの物ということになりそうじゃの。わしの見立てでは、女官の中にもアルマ以上にそれが似合う娘はそうそうおりそうにないわ。これは是非ともそれを披露する機会を作ってやる必要がありそうじゃのう」 にまにまとアルマの着物姿を堪能する龍王様に、アルマは嘆息しつつ茶筅を振る。「…本当によろしいのですか」「んむ、何がじゃ?」「カールと、あのヒトの娘の件です」「おお、その話かいの…特に問題はないと思うんじゃがの。まあ、気になるなら張りついておるとええ。シアちゃんにはフーラがまた別の意味で張りついておるようじゃが」 フーラとシアの名前を聞いて、アルマはまた嘆息した。「あの馬鹿を自重させるよい方法はないものでしょうか」「ええんじゃよ、あれはあれでいい影響が出ておるからに」「そんなものでしょうか…」 疲れた表情を浮かべつつ、アルマは点て終わった茶碗をすっと龍王様に差し出した。 湯気とともに漂うほのかな甘い香りを楽しみつつ、龍王様は茶碗を呷る。「いかがでございましょうか」「ふむ、粉っぽさも残らず程よい甘さ…いいお点前じゃ。銘はなんじゃったかの?」「ネ○レの業務用です」 三日遅れのバレンタインココアであった。 シアは客間のベッドの上で目を覚ました。 まどろみの中でここが自室でないことを確認し、なぜここに寝ているかを思い出すにいたって、シアの顔は見る間に紅く染め上がった。「おはようシア、よく眠れた?」 そしてシアの記憶を裏付けるように、バスローブ姿のフーラがカップを二つ持って部屋に戻った。「モーニングコーヒーならぬモーニングティーだけど、どう?」「…いただきます…」 消え入りそうな声の返答にフーラはくすりと笑って、シアの傍らに腰を下ろしカップを手渡した。「ありがとうございます…」 両手で受け取ろうとして自分が裸なのに気付き、あわててシーツで前を隠しつつ片手で受け取る。「ふふ、そんなに必死になって隠さなくても…ゆうべは隅々まで見せ合ったじゃない」「そ、それは…そうです、けど…」 茹であがったような顔をシーツに埋めて、シアは喉まで出かかったうめき声を飲みこんだ。 それはいつもの悪ふざけの延長のようで、だからもう半分慣れつつあったシアは対処が遅れた。 逃げようと思う前に退路は断たれ、気がついた時にはすっかり剥きエビにされていた。 カールへの罪悪感だとか、誰かの身代わりにされているんじゃないかという疑念だとか、快楽に侵されて色々口走ってしまったような予感がする。 …そして、それを優しく解きほぐすような、それでいて容赦のない愛撫に遂に陥落してしまったような記憶も。「ん、どうかした?」「…い、いえ…」 見透かしているような微笑から目を背けてお茶をすする。フレーバーティーのような少し強めの香りがするお茶は、飲むとなんとなく落ち着いた。「ねえ、シアも今日はお休みだったっけ?」「え、あ、はい。たしかそうだったと」 山篭りというわけでもないので、ここの道場にも休みの日はある。 休日返上で鍛錬する者もいるにはいるが、大抵の者は買い出しに行ったり部屋でごろごろしたり、思い思いの方法で休日を満喫している。「じゃ、ちょっと付き合ってくれない? 予定がなければ、だけど」 本日はカールの訪問予定はなく、それはつまり今日のシアがフリーであることを意味していた。 だから、シアはつい、その誘いを受諾してしまった。 一方その頃、隣の客間に蠢く影があった。「は~…オンナノコ同士ってすげえもんだなぁ。自分用にもう一本“だびんぐ”しとくかな」 もうこれ以上事態が推移しそうにないことを確認すると、影は昨夜のフーラとシアの痴態を録音した音封石をしげしげと眺めた。「それくらいの特典はあってしかるべきだよな、うん」「…ほう、面白いことをしているじゃないか」 背後から声をかけられ、影が竦みあがる。そうっと後ろを振り向こうとしたところで、床に引き倒され音封石を持った手を捻り上げられた。「の、ノーマさん。本日はどーもお日柄もよく…」「私の娘の愉しみを盗み録りか。誰に頼まれた…かは、まあ愚問だろうな」 ぱきりと軽い音を立てて音封石を握り潰し、トラフシャコの男は引き倒した男を冷たく見下ろす。「悪趣味も大概にしないと仕置きではすまんぞ、ハル」「いや、ははは…」 異形の貌がさらに怒気を発する姿は筆舌に尽くし難く、まな板の上のトビウオはただ笑うほかに術を持たなかったという。「…あれ、でも娘さんがお楽しみだったってなんで知って ち に ゃ 」 …つくづく地雷を踏むのが得意なハルだった。 シアが連れてこられたのは、港町近くの広い砂浜だった。 遠浅の美しい渚にはやさしい潮風が吹き、シアはこの場所を一目で気に入った。「あの、ここで何を?」「お掃除」 簡潔に告げられ、シアは二の句を失った。 二人で暫し黙々と浜辺に打ち寄せられたごみを拾う作業をしていると、海から二つの人影が浜にあがってきた。 一人はトラフシャコの男性…たしかノーマと言っただろうか。もう一人はトビウオのハルだろうと思われるが、なぜかボロボロになっていた。「ノーマが来るのはともかく、なんでハルまで?」「いわゆる奉仕活動というやつだ。そうだな?」「うぃー、むっしゅう…」 力なく頷くハルにフーラは首をかしげたが、それ以上は突っ込まなかった。 あらかじめ用意してきた弁当で昼食をとり、日が少し傾くくらいまで清掃を続けると、浜のごみはほぼ一掃された。 座るのにちょうどよかったので残しておいた丸木に腰かけていると、フーラも隣に腰を下ろした。「…ここは、私の友達の帰る場所なのよ」「えっと…ヒトといっしょにいなくなったという?」「そうよ」 フーラは水平線の彼方を見ていた。まるでそこから友達が帰ってくるというように。「あの馬鹿の元いた場所に行ったんだし、戻って来れない道理はない…だから、その時までここを綺麗にしておきたいの。あの子、毎日大切に掃除してたから」「大事な…友達なんですね」「ええそう、大事な友達よ」 迷い無く言い切るフーラに、シアの胸がちくりと痛んだ。「私は、その人の…」 代わりなんですね、と言おうとしたところで、フーラがくすりと笑った。「馬鹿ね、全然違うわよ。それはたしかに、最初はちょっと似てるかなって思ったけど」 突然ぐいと抱き寄せられたので、シアは目を白黒させた。「あなたはあなたよ、シア。私はシアがかわいいと思うわ…カールくんがうらやましいくらいにね」「ふ、フーラさん…」「ふふっ、それにね! あの子、シアほどムネがないのよ。やっぱり触り心地いいのが一番ね♪」「も、もう、なんですかそれっ」 けらけらと笑うフーラに真っ赤になりつつ、シアは複雑な気持ちが少しやわらぐのを感じていた。 一方その頃。「友情とは美しいものだなハルくんよ」「さらりと詭弁ぶっこかないでくださいよノーマさん」 物陰から双眼鏡で仲良くデバガメする二人。 しかし、その背後に白い影が迫っていることを、二人とも知る由もなかったという。「成敗ッ!」「「アッー!?」」
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