相川亮二(あいかわ りょうじ)
- 背番号2
- 1976年7月11日生まれ
- 千葉県市川市出身
- 右投右打
- 5歳のころから野球を始め、小学2年でリトルリーグに入る。少年時代は野球だけではなく多彩なスポーツをやっていたらしい。
- 東京学館高校では2年から捕手に転向。石井は1学年下でバッテリーも組んでいた。
- 1994年ドラフト5位で横浜ベイスターズに入団。
- 捕手経験が浅かったためしばらくは二軍でみっちりと鍛えられ、プロ5年目の1999年に一軍デビュー。翌2000年には当時正捕手だった谷繁元信が離脱時にはその穴を埋める活躍を見せる。
- その谷繁が中日へ移籍した2002年は正捕手の座を窺うが、谷繁と入れ替わりで加入した中村武志に阻まれレギュラーの座は逃す。それでも2003年に定着のきっかけをつかむと、2004年には中村の不振も手伝って正捕手に定着。2006年にはWBC日本代表にも選出され、選手会長にも就任。名実ともにチームの顔となる。
- 2008年オフにFA権を行使。海外FAであり、当初はメジャー移籍を目指したが交渉がまとまらず、翌2009年1月に国内で唯一オファーを出していたスワローズに入団が決定する。
- ちなみにこの相川の獲得がヤクルト初のFA補強となった。
- 交渉の中で古田の背番号27を提案されたが相川は辞退。背番号は2となる。
- 移籍1年目の2009年は、古田の引退でドングリの背比べが続いていた正捕手争いを一気にリード。開幕スタメンマスクをかぶると扇のかなめとしてチームを支え、クライマックスシリーズ進出に大きく貢献。
- ちなみにこの時、正捕手だった相川が流出したことをひがんだベイファンが「相川の放出が最大の補強」と強がっていたが横浜の成績はお察しくださいレベルだった。
- 2010年は自己最多11本塁打65打点を記録。バッティングとリード両方でチームに貢献しメークミルミルの功労者に。
- 2011年は終盤、相次ぐケガに悩まされ川本との併用が続く。最終的には骨折を押して強行出場。
- 2012年はキャプテンに就任するも開幕早々に離脱。一度は一軍復帰するも8月にまたしても離脱してしまった。
- 2013年は第1回以来のWBC日本代表に選出される。
- WBCでは巨人・阿部慎之助の負傷もあって初戦のブラジル戦にスタメン出場。その後も2番手捕手としてチームを支えた。
- シーズンではベテラン捕手として苦しいチーム状況を支えている。
最終更新:2013年06月29日 17:28