赤川克紀(あかがわ かつき)
- 背番号47
- 1990年7月31日生まれ
- 宮崎県宮崎市出身
- 左投左打
- 野球を始めたのは小学2年の時。中学校では軟式野球部に所属し県大会優勝を果たす。
- 県立宮崎商業高校に進学後は1年秋からエースとなり、秋季大会で30イニング連続無失点や46奪三振といった驚異的な記録を残してチームを甲子園出場に導く。
- そんな輝かしい実績を残して2008年ドラフト1位で東京ヤクルトに指名され入団。この時のやくせんはもう恥ずかしいくらい浮かれていた。ええ。
- ルーキーイヤーの2009年から一軍で登板の機会を与えられる。しかし一軍デビュー戦で1アウトも取れず、この後登板の機会がなかったため防御率∞を記録してしまうという辛酸をなめた。
- 2010年も一軍登板は1試合のみだったが先発を任される。5回途中4失点で敗戦投手に。
- この年インターコンチネンタル杯の日本代表にムーチョとともに選ばれる。2試合に登板し、白星は挙げられず。
- インターコンチネンタル杯出場が刺激となったのか、翌2011年は飛躍のシーズンとなる。
- この年は開幕二軍スタートだったが、8月にプロ初勝利を挙げる。
- 当初は中継ぎでの登板が主だったが、のちに先発を任されて9月だけで4勝を挙げる。その間に初完投勝利も記録し、苦戦するチームを支える原動力となった。
- 結局この年は6勝3敗、防御率は2.03と一気にブレイクしたシーズンに。
- その後のクライマックスシリーズではチームのファイナルステージ進出に貢献した。
- 先発ローテーション入りが期待された2012年は自身初の規定投球回を達成し、8勝をマーク。完封勝利も達成した。
- オールスターにも初出場するがハイタッチを無視されぼっちになってしまった。
- しかし貯金は作れず(9敗)、防御率も3.79と安定せず。投球回とほぼ同じ被安打を許すなど来季に向け新たな課題ができたシーズンだった。
- 2013年は開幕前からやくせん民に不安視され、それが的中したのか開幕ローテーション入りはしたものの不安定な投球でまったく白星を挙げられず。
- 5月には登録抹消。戸田ではなんとか元気にやっているみたいだが…。
最終更新:2013年07月08日 18:40