雄平

雄平(ゆうへい)

  • 本名「高井雄平」
  • 背番号41
  • 1984年6月25日生まれ
  • 神奈川県川崎市宮前区出身
  • 左投左打

  • 東北高時代は高校生No.1左腕としてメジャーリーグのスカウトからも注目を集めるほどの存在だった。
  • 当初は巨人入りを熱望していたが、巨人が久保裕也(東海大)と木佐貫洋(亜大、現北海道日本ハム)を自由獲得枠で獲得する動きを見せていたためドラフト1位での争奪戦になった。
    • 当初はヤクルトをはじめ大阪近鉄、日本ハムが指名する動きだったが直前になって日本ハムは指名を回避(報徳学園の尾崎匡哉を指名)。ヤクルトと大阪近鉄で競合し、ヤクルトが交渉権を獲得した。当時の背番号は16。

  • プロ入り後は、その実力にたがわず高卒ルーキーでは数えるほどしか達成していない2桁奪三振を記録。シーズンは5勝をマークした。
  • しかし暴投はリーグワーストの12個。制球難が投手としての一軍定着を阻んでいくことになる。
  • 2004年は後半にローテーションの一角を担って4勝を挙げるが、翌2005年は制球難から二軍落ち。
  • 一久が復帰して背番号を22に変更した2006年はリリーフに転向するが、防御率が6点台を記録するなどてんで機能せず。またこの年1イニング3暴投を記録する。おお、もう…
  • 2007年は高津が背番号を22に変更したのに伴って41に変更。制球難を解消するためにこれまでのノーワインドアップからセットポジションに変えた。この年プロ初セーブを挙げ、チーム最多52試合に登板したが終盤に二軍落ち。
  • 2008年、2009年はそれぞれ1試合登板にとどまり、2009年オフに野手転向。一時はサイドスローでの投手続行を希望したが、結局は野手に専念することに。

  • そして野手転向1年目となった2010年は一軍出場はなし。それでも二軍で規定打席に到達しまずまずの成績を残す。
  • 2011年は一度一軍登録されるも出番なく抹消されてしまう。二軍では打率.330を残す。
    • ちなみに規定打席に到達していた選手の中では最高の打率だったが、この年のイースタン首位打者は規定で鷲・銀次が獲得している。
  • 2012年は野手として開幕一軍入りするも、一度二軍落ち。9月に再昇格後は一躍センターレギュラー候補最右翼に躍り出る活躍を見せた。
  • シーズンオフに二刀流の話が出たが、今のところ実現はせず。
  • 2013年は開幕スタメンこそならなかったが、打てて走れる強みを生かして、野手転向初ホームランを放つなど活躍。しかし4月に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負って今季絶望。orz

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年07月10日 07:49