野口祥順(のぐち よしゆき)
- 背番号55
- 1981年5月16日生まれ
- 茨城県土浦市出身
- 右投右打
- 中学校時代はシニアに所属。片手間に出場した走り幅跳びの県大会では優勝するほどの身体能力を持っていた。
- 藤代高に進学後、当初は陸上部に入るつもりだったが当時の監督に誘われて野球部へ。
- 入部は持ち前の天性のバネを生かして関東屈指の遊撃手へと成長を遂げた。
- 高校通算30本塁打の強打と俊足強肩を買われ、1999年ドラフト1位でヤクルトに指名され入団。
- プロ入り当初は「ポスト池山」と期待を受けたが、頭部死球による事故が響いてしばらくは二軍でも低迷を余儀なくされる。
- 2002年も頭部死球で戦線離脱したが、その間に荒井コーチと試行錯誤を重ねバットを短く持つスタイルへ変えた。
- その後、9月に宮本さんの離脱から一軍初昇格を果たすと、対横浜戦で千葉英貴からプロ野球史上44人目となるプロ初打席初本塁打を放つ。
- 2003年は一軍に定着、代走や守備固めなどで51試合に出場。大きく飛躍したシーズンとなる。
- 前年を足掛かりに2004年には宮本に代わってショートのレギュラーを張る。一時は打率3割を記録するなど打撃面で大きな成長が見られたが、8月に入るとケガで城石にスタメンを譲るようになる。
- 結局オフに痛めていた右肩を手術し、翌2005年はまるまるリハビリに充てることに。
- 2006年、2007年はともに一軍出場こそなかったが、イースタンリーグで順調な回復ぶりを見せる。
- 2008年、高田総統のもとで3年ぶりの一軍昇格を果たす。イースタンでは戸田軍の優勝にも貢献している。
- 2009年からは内外野全ポジションを守り、自己最多74試合に出場。打率.263、11盗塁と順調なシーズンを送る。
- しかし2010年、2011年は打撃不振で、代走のポジションもFくちくん・三輪らの台頭によって奪われる。
- 2012年も打率こそ.263とそこそこだったがバントの失敗が目立つなどしたために一軍定着には至らず。
- 2013年は開幕からずっと二軍暮らし。
最終更新:2013年08月20日 16:14