田川賢吾(たがわ けんご)
- 背番号35
- 1994年5月22日生まれ
- 大阪府茨木市出身
- 右投左打
- 野球を始めたのは小学3年のころ。
- 高知中央高へ野球留学し、1年秋からベンチ入り。当初は外野手だった。
- 2年春、この年新たに高知中央野球部の監督に就任した角田篤敏氏との出会いが田川の野球人生を大きく変えることに。
- ちなみにこの角田氏、かつて岡山・関西高や沖縄尚学高を指揮し甲子園へ導いた実績を持つ名監督。教え子の中には比屋根もいた。
- 田川のたぐいまれな運動能力に惹かれた角田が投手転向を提案。その後は徹底的に体を鍛え抜き、最終的には3年夏の県大会3回戦でストレートがMAX148キロを記録するなど大きな成長を果たした。
- なお、148キロを記録した時軸足が疲労骨折していたらしい。なんだこいつ…
- 結局上記のケガが影響したのか甲子園に出場は出来なかったが、プロのスカウトに強烈な印象を残した田川はこの年のドラフトで東京ヤクルトに3位指名されて入団。
- エースで4番を張っており、県大会ではバックスクリーンに特大ホームランを打ったことも。現に野手として指名することを検討していた球団もあったようだ。
最終更新:2013年08月21日 18:17