猿の夢 ◆gsq46R5/OE
そも、どこから歯車が狂い始めたのか。
ジャック・ハンマーというファイターは、狂人の一種だ。
彼は幻の世界に身を委ね、そこへ居場所を求めるような真似はしない。
居もしない神を盲信し、信仰を称して虐殺を是とする奇特な価値観も持ってはいない。
その狂気は、ただとある一点。
範馬勇次郎を超えるということのみへ、莫大な熱量と時間をもって注がれてきた。
日に三十時間の鍛錬という矛盾を条件に存在する肉体。
それを維持するための拷問にも等しい十数年を耐え忍び、人の身で強化薬物を超越した魔人。
当然、強靭な意志力のみで適う芸当ではない。
強化薬物が人体へ与える影響は言うまでもなく甚大だ。
良い意味でも、悪い意味でも。
ジャックほどの領域で投与を行えば、寿命を爆速的に縮めることになるのは言うまでもない。
そもそも彼が常人なら、既に死んでいる。
十数年を耐えることもできずに、最初のオーバードーズの時点で終わりを迎えていてもおかしくない。
人体の道理に反して生存を可能としているのは、果たして彼の生まれ持つ強さ――その体に流れる『範馬の血』がもたらした頑健さ故なのか。
それはきっと、人体生理学に精通した学者でもなければ判別不可能な題目だろう。
しかし一つだけ、確かに言えることがある。
――ジャック・ハンマーはこの地で、全く別な次元の狂気へと足を踏み入れたのだ。
摩訶不思議な強さを持った繭なる少女の手によって、世界は一変した。
四方を海に囲まれた絶海の孤島にて行われる、ルール無用の殺し合い。
刺殺、射殺、撲殺、毒殺、謀殺、呪殺……あらゆる殺戮が許可される、史上最悪のデスマッチだ。
主催者への反目を誓う者、あるいは願いを叶えるという口車に乗る者、様々な思想が参加者の間に渦を巻く。
ジャックの場合は、この状況を踏み台として利用することにした。
宿敵にして実の父親たる男、史上最強の生物、範馬勇次郎を乗り越える為の踏み台に。
この世のどんなハードトレーニングでも身に付けられないものを獲得することで力を得、勇次郎の高みへと上り詰めるべく奮起。彼は手段を選ばぬ戦鬼と化した。
そこまではよかった。
「……ヤツは死んだ」
勇次郎が、死んだ。
あろうことか、序盤も序盤で。
何処の馬の骨とも知れない輩の手で、勇次郎は殺された。
範馬勇次郎がそう簡単に死ぬ筈がないと、現実逃避することなら幾らでもできる。
しかし、彼は言葉でなく、心で理解してしまったのだ。
勇次郎は、己の父は死んだ。
異郷の地で、その猛威を知らしめることなく塵と消えた。
そしてその現実を、ジャック・ハンマーは許せない。
「ならば、母の無念を誰が晴らすッ」
ジャックの母は、範馬勇次郎に敗れた。
戦士としての生き方を全うすることもできず、勇次郎に陵辱され、挙句牢獄へと叩き込まれた。
その無念を晴らしたい。それこそが、この『範馬』の原風景。
彼が屈折の末に志した目標は、範馬勇次郎を打倒すること。
決して代えが利かない親子の繋がりと因縁がそこにある。
勇次郎の死は、ジャックの人生を否定することと同義だ。
彼は顔も知らない殺人者の手で、生きる意味を奪われた。
「なあ、誰がッッ」
このまま燻って終わるなら、最早それは『範馬』でも、ファイターでもない。
運命の苛酷さに膝を屈した、哀れで愚かな救いようのない敗残者だ。
負けた者はリングを降りるしかないというのは、古今東西あらゆる格闘技に共通して存在するルールである。
それに則るならば、きっとジャック・ハンマーに生きる価値はない。
筈だった。しかし彼は、敗北を是としなかった。
「誰が、その役を担えるというッッッ」
平和島静雄に負けた。
勇次郎を殺した何者かに負けた。
そして先程、またも自分は平和島静雄に負けた。
日に二度、どころの騒ぎではない。
既に三度だ。
三度、己は負けたのだ。
「俺しかいないッッッッ」
痛む頭と、目眩。
押し寄せる疲労感。
内臓のダメージも恐らく大きい。
これ以上の継戦は、間違いなく自殺行為だ。
ましてやジャックのように、明日を捨てた戦闘スタイルを取るのならば尚更のこと。
それでもジャックは立ち上がった。
休息はもう十分だと、痛む肉体へ鞭を打つ。
勝利よりも多い敗北を重ねても、惨めに可能性へ縋り付くその様。
ジャックはヒートアップしかけた思考を冷水の冷たさで沈静化させ、水面に映る自分の姿を見据える。
「……成程」
そんな自分を見ても、不思議と心は静かだった。
屈辱感の断片すらも覚えることなく、凪のように平静を保っている。
「俺はもう、ファイターとしては終わったらしい」
それでも――ずしりと。
肩へ伸し掛かってくる、透明な重みがその言葉にはあった。
勝敗に頓着することなく、願いという明日の光に全てを懸けるジャックは最早ファイターなどではない。
今の彼は、ただの殺人者だ。
父の蘇生という願いだけを胸に、自己を強化する目的でなく、私欲の為に人を殺す。
誇りも何もない、ただ残虐で、非道で、救いようのない悪魔だ。
「だが」
ケタケタと、
クスクスと。
背後から、嗤う声がした。
振り返れば、そこにあるのは幻影。
父の姿を象った半透明の幻が、軽蔑と嘲りを帯びた顔で嗤っている。
「……構うものか」
ジャックは一度だけ奥歯を噛み締め、歩き出した。
まだ全身のダメージは取れないが、腐っても彼は戦士。
類稀なるスタミナと精神力を前にしては、そんなものは瑣末に等しい。
彼は往く。
自分を負かした相手への雪辱を最後に回し、より多くの屍を積み上げるべく舵を切る。
その足取りは、西へと向かっていた。
戦えもしない父の幻影を視界の隅へ残したまま、ジャック・ハンマーは剣ヶ峰を登り続ける。
もし、彼が願いを叶えたとして。
そこに舞い降りる範馬勇次郎は、最早地上最強の生物などではない。
彼の願いは汚された。
よしんば父への勝利を成し遂げたとしても。
その栄冠は二番煎じ――元通りの輝きには程遠い。
光なき道を往く殺人鬼が見る夢は、もはやただ寂しく、煤けた色に燃えるばかりだった。
【G-4/エリア南東端/一日目・昼】
【ジャック・ハンマー@グラップラー刃牙】
[状態]:疲労(中)、頭部にダメージ(小)、腹部にダメージ(中)、服が濡れている、範馬勇次郎の幻影を見ている
[服装]:ラフ
[装備]:喧嘩部特化型二つ星極制服
[道具]:腕輪と白カード、赤カード(9/10)、青カード(9/10)
黒カード:なし
[思考・行動]
基本方針:優勝し、勇次郎を蘇生させて闘う。
0:島を時計回りに周回する
1:人が集まりそうな施設に出向き、出会った人間を殺害し、カードを奪う。
2:平和島静雄との再戦は最後。
[備考]
※参戦時期は北極熊を倒して最大トーナメントに向かった直後。
※喧嘩部特化型二つ星極制服は制限により燃費が悪化しています。
戦闘になった場合補給無しだと数分が限度だと思われます。
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最終更新:2016年04月09日 16:10